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斉藤蓮舫議員の二重国籍問題で、国政の場で日本国民を代表すべき人士の氏素性への関心が高まったのは良いことです。 わたしに言わせれば、国会議員は芸名ではなく戸籍上の本名で活動すべきでしょう。選挙のときだけは芸名も認める、という線でどうでしょうかね。 大臣に就任すると資産を公開することになっており、所持している株式の銘柄と株数まで公開されます。 公人として そこまで 公開すべきものなのなら、いっそのこと、大臣や政党役員は二等親(祖父母、父母)までの国籍変遷(誕生時以来の国籍がどうなのか)を公開し、タブー情報にしないという決めごとにしてはどうでしょうね。 もちろん、親が韓国人であろうが、米国人であろうが、本人がいま現在日本人なら堂々と日本国民の代表を務められるのは当然です。 ネット上では、かねてより「土井たか子=李高順」説とか「福島瑞穂=趙春花」説とかが浮き沈みしてきました。二等親までの国籍変遷を公開することが「国民の知る権利」確保のためにルール化されれば、ダークな言説は払拭できます。 いいことだと思うのですが。
Oct 1, 2016
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電車内のつり革が、一般人の手で引きちぎれるとは驚きだ。プロレスラーならいざしらず。わたしが通勤で利用する地下鉄千代田線でいっとき、犯人を見かけたら駅員に知らせてほしいと車掌アナウンスが流れていたことがある。 平成28年4月19日の日経夕刊15面にこんな報道があった:≪つり革ちぎった男逮捕 警視庁、器物損壊容疑 混雑への不満供述電車内のつり革を引きちぎったとして、警視庁捜査3課は4月19日までに、会社員の松村道雄容疑者(63)=東京都足立区東和4=を器物損壊容疑で現行犯逮捕した。都内では昨年11月以降、大手私鉄やJRの電車のつり革が盗まれる被害が約200件確認されており、同課は関連を調べる。同課によると、松村容疑者は「電車が混雑していて立ちっぱなしで疲れていたため、鉄道会社を困らせようと思った」と供述しているという。逮捕容疑は4月16日午後7時40分ごろ、東京メトロ千代田線の町屋―北千住間の車内でつり革を両手でつかんでねじり、引きちぎった疑い。同課によると、千代田線では4月5日につり革が盗まれる被害があり、防犯カメラに同容疑者とみられる男が映っていたという。≫■ 実名報道される・されない ■ 63歳にもなって電車のつり革を(おそらくは200本も)引きちぎる行為に及ぶとは、一般人の用語でいえば「頭がおかしい」状態、専門用語でいえば「心神喪失」「心神耗弱(こうじゃく)」状態にあったのではないか……とも言えようが、現行犯逮捕された容疑者は、年齢・氏名はおろか住所も「東和(とうわ)四丁目」と丁目まで報道されてしまった。 わたしの感覚からいくと、たとえ後のち「心神喪失」と判断されて無罪になったとしても、年齢・氏名を報道することは正しい。住所は「足立区」までで とどめるべきかなとも思うが。* * * なんでこんなことを突然書くかといえば、2年前の平成26年におきた「アンネの日記破損事件」のことが思い出されるからだ。犯人逮捕後の当局対応の不可解さに、いまだに納得がいかないのである。 「日記」本の破損がどのようなものであったか、こちらにもっと写真がある:http://yomouni.blog.fc2.com/blog-entry-4694.html「よもぎねこです♪ 報道しない自由 アンネの日記破損事件」 上のブログにもあるとおり、事件発生当時は日本国の名誉が傷つくほどの国際問題となりかけた。事件について忘れたかたは、Wikipediaの「アンネの日記破損事件」の項も参照いただきたい。 犯人が逮捕されるまで、新聞もテレビも「アンネの日記破損」のことを詳しく報道していた。ところが、平成26年3月14日に小平市在住36歳の無職の男が逮捕されて以降、メディアの追及はパタリと止んだ。顔写真はおろか、実名も報道されなかった。そして、まるで臭いものにフタをするかのように、6月20日、東京地方検察庁は容疑者の「心神喪失」を理由に不起訴とし、幕が引かれた。■ 心神喪失って、どういう状態 ■ わたしの感覚では、心神喪失の状態とはたとえば、図書館で突然奇声をあげながらペットボトルのジュースを本棚にぶちまける行為を言う。図書館や書店で「アンネ本」だけを選び出して秘かに破損させるという“知的”で意識的・計画的な悪事が「心神喪失」で片づけられるとしたら、およそ全ての殺人や強盗や傷害事件は「心神喪失」で片づけるべきなのではなかろうか。あっさり実名報道された「つり革ひきちぎり男」のほうが、よほど「心神喪失」していると思う。 「アンネの日記破損事件」の真相を知らせようとしない捜査当局の意図に唯々諾々(いいだくだく)と従って、一斉に矛を収める日本のメディアの横並び体質。 平成28年4月20日に「国境なき記者団」(本部・パリ)が世界各国の報道自由度ランキングを発表し、日本は180ヶ国・地域のうちの恥ずべき「72位」だった。(アンネの日記破損事件のあった平成26年には、日本は「59位」。) メディア後進国のレッテルを貼られたのは悔しいが、アンネの日記破損事件の顛末を思えば、わたしは国境なき記者団の評価を受け入れざるをえない。■ 辛坊治郎さんの正論 ■ 平成26年3月19日に衆議院内閣委員会で日本維新の会(当時)の中丸啓(なかまる・ひろむ)議員が、アンネの日記破損事件の犯人逮捕後に容疑者の実名報道がない理由について質問した。国家公安委員会の古屋圭司委員長が答辯している:https://www.youtube.com/watch?v=FQuSo3yaN0g「中丸啓:アンネの日記の事件でなぜか実名報道がない」(12分45秒~16分06秒のところ) 古屋委員長の官僚答辯には全く納得できない。おそらく中丸議員も納得していまい。 この問題について辛坊治郎(しんぼう・じろう)さんが論じている。じつに正論である:https://www.youtube.com/watch?v=TY92pW3NTaQ「アンネの日記破損事件で、犯人の実名報道がされないのは何故か?【辛坊治郎ズームそこまでいうか!】」 このうち2分40秒~4分04秒を文字起こししてみた:≪匿名って、おかしくないかっていう話で。当然、重度の精神障碍で心神喪失の場合に刑事責任を問えないのはそれは万国共通ですよ。それに関しては近代刑法は世界共通で、日本だけの話ではないので、それに関しては当然なんだけれども、名前を出さないとか、報道しないとかいうのは、イコールじゃないからね。罪に問えないということと、名前を報道してはいけないということは、別次元の話で。世界じゅうがそうしてるよね、心神喪失の場合に罪には問えないけれども、どこの誰が犯人なんだという名前と顔は報道するよ、ふつう。≫■ 大事を一笑に付するか ■≪日本はなぜか、「罪に問えない」ということと「報道しない」ということがイコールになってるって、こんな変なハナシはないわけで、それ、違うでしょと。我々が報道するのはべつに、罪を問うために報道しているのじゃなくて、どこの誰が何をという事実関係を確定させるために報道しているわけだから、刑事責任があるのかないのかというのとは本質的に違う問題なんだけれど、今回全部、警察も匿名で、どこの誰が犯人か分りません。じゃぁその人物が本当に刑事責任を問えないような状況なのかもわからないし、思想的背景があったのかなかったのかも検証ができない。いっぽうで何となくそういう中途半端なリークで、あたかも思想的背景で行われたということになると、日本の国際的な立場がきわめて悪くなる。異常だよね、この現状は。≫ わたしが政治家や言論人に会う機会があるとすれば、まずぶつけたいのが、ここで辛坊治郎さんが述べた論点だ。 アンネの日記破損事件など、過去の些末(さまつ)なできごとだと一笑に付するような御仁には「あんたがそんなふうだから、日本の報道自由度は世界72位なんだ」と一喝したい。
Apr 24, 2016
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三省堂の神保町本店のすぐ近くに「神保町シアター」という映画館があり、日替わりで昭和映画を見せてくれる。 さる9月に芦川いづみ主演、昭和37年作の映画を観た。 「硝子のジョニー 野獣のように見えて」。 芦川いづみさんは、今でいえば石原さとみさんのような、演技の幅のひろい美人女優である。 冒頭、北海道の貧しい漁村、芦川いづみをはじめ数名の女が砂浜で昆布干し作業をしている。そこへ、歌手のアイ・ジョージ扮する「人買い」がやってきて、母親と話をつけてカネを渡すと、泣き叫ぶ芦川いづみをトラックの荷台に載せて運び去る。 芦川いづみはアイ・ジョージのスキをついて脱走し、列車にもぐりこむ。そこで宍戸錠の扮する荒くれ男と出会い、これに頼って生き延びるのだけど、あろうことか荒くれ男はカネのために 芦川いづみを妓楼に売る。 芦川いづみは再び脱走し苦労して故郷に帰るが、漁村に帰ると親は行方知れず。 そんな悲劇である。■ 朝鮮人の内部問題 ■ 紅白歌合戦にも出る歌手のアイ・ジョージさんがなぜ「人買い」役かというと、映画の後半で流しの歌手として再登場するからなのだが、それはひとまずおくとして。 映画の時代設定は昭和20年代後半だ。親から娘を買って妓楼に売る人買いが貧しい村にやってくる、そんな世界があることをオトナたちが常識として知っていた時代であれば、慰安婦問題は今日のようにこじれはしなかったろう。 朝鮮人慰安婦問題の核心は、朝鮮人の親が自分の娘をやむをえず朝鮮人の人買いに売って、朝鮮人の人買いが娘を(おもに)朝鮮人の妓楼主に売り、その妓楼に日本兵が客としてやってきた、ということ。 「強制性」を詮索すればするほど、朝鮮人の内部問題になってしまう。 それでは韓国の恥辱だから、困る。「朝鮮人の娘を親の了解なしに日本人が拉致した」というストーリーで決着することで日本政府は韓国の名誉をまもり、日本政府として韓国政府に謝罪せよ、というのが朴槿恵(ぼく・きんけい)大統領の主張である。 日本政府に対して「韓国に都合のいいように歴史を捏造してくれ」と要求しているのだから、日本としては到底受け入れられない。 「空白の7時間」を国際問題化させ墓穴を掘りつつある朴槿恵大統領だが、願わくば、昼食会などどうでもいいから、1時間47分の「硝子のジョニー 野獣のように見えて」を安倍首相とご覧いただきたかった。■ 挺身隊協議会の背後をさぐれ ■ 慰安婦問題は「落としどころ」がまったく見えない。 駐韓日本大使館前に許可なく涙の少女坐像を据えた「韓国挺身隊問題対策協議会」(以下、「挺身隊協議会」)という反日団体があり、韓国政府も手がつけられない。 韓国政府も「手じまい」してしまいたいのだが、日本政府とどう決着しようとしても、挺身隊協議会は絶対に受け入れない。挺身隊協議会が事実上「拒否権」を握っていて、韓国政府は挺身隊協議会のエージェントに成り下がった。 ご存命のモト慰安婦の皆さんが亡くなってしまえば補償問題は消えるから、それを待てばよい、時間の問題だ、という意見があるが、それは甘い。 モト慰安婦がひとりもいなくなるということは、生き証人がいなくなるわけだ。挺身隊協議会は慰安婦神話を作り放題、いっそう元気になるだろう。 発端はどうあれ、現在の挺身隊協議会は北朝鮮ないし中国の工作員がたきつけているのではないか。消去法で考えればそうなる。 「モト慰安婦の名誉」を本当に大切にしたいなら、そっと老後の生活を支えてあげればそれでよかった。老いた女性たちを引きずり出してさらしものにする目的は、日本と韓国を離反させることでしかない。 北朝鮮と中国の国益にかなう。それは大成功をおさめた。 日韓米の情報機関が挺身隊協議会の背後を調べ上げて白日のもとにさらせば、この団体を社会的に葬り去るきっかけが見出せるのではないか。それ以外に出口はないと思うが、韓国政府にその勇気があるかどうかだ。「慰安婦問題の出口」は、11月24日に無料配信したコラムです。登録読者数は約 6,000名。あなたもメルマガ「国際派時事コラム」の読者になりませんか。↓ こちらでアドレス登録ができます。http://www.mag2.com/m/0000063858.html
Nov 24, 2015
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わたしは高校3年のとき、自分の意思でカトリックの洗礼を受けたが、いまは後悔している。ふりかえって自己分析してみると、自分の父親の存在が鬱陶しくて、父親以上の権威となってくれるものを持ちたかったのではないかと推測する。なぜ後悔しているかというと、カトリックが諸民族にもたらした罪があまりに巨大で、どす黒くも深いことに、ほとほと愛想尽かしをしたわけである。安土桃山から徳川時代にかけて、日本人をたましいから蝕(むしば)んで、日本人奴隷を南洋に売り飛ばすは、島原の乱をあおりたてるはと、佛教が千年かけてもやらなかった悪事を数十年で次々とはたらいた。佐治敬三と開高健の生涯を描いた北康利著『最強のふたり』(講談社、平成27年刊)に、こんなくだりがあった。≪北はソ連の支援を受けたホー・チ・ミン率いる共産主義国家であり、南はアメリカの支援を受けたゴ・ディン・ジエム大統領率いる自由主義国家である。ところがゴ・ディン・ジエムは、次第に独裁色を強めて暴走しはじめる。この国(南ベトナム)は1割ほどしかいないカトリック教徒が富と権力のほとんどを握っていた。とりわけ熱心なカトリック教徒として知られたゴ大統領は、佛教徒が国民の8割を占めているにもかかわらず、政治的発言をする佛教指導者を東国あるいは殺害するなどして弾圧しはじめた。やがて僧侶たちが抗議のために街頭で焼身自殺をしたり、“ゴ政権の世など見たくもない”とばかりにみずからの目をくりぬくといった陰惨な事件にまで発展していく。汚職も蔓延し、政権を批判する勢力を弾圧したため、反政府運動はますます活発化していった。昭和35年には南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が結成され、12月に内戦状態に陥る。ベトナム戦争の幕が切って落とされたのだ。≫ベトナム戦争の最大の悪者はハノイの共産主義政権だが、サイゴン側を内側からガタガタにしたのは、つまるところカトリックではないか。かりにゴ・ディン・ジエム大統領が佛教徒で、佛教徒が8割を占める国民側に立っていたなら、北の勢力につけ入るスキを与えず、朝鮮半島のように南の政権も安泰だったかもしれない。カトリックはベトナム戦争の遠因を作ったとも言える。日本で犯した罪悪といい、ベトナムでの罪悪といい、まったく反省していませんね、カトリックは。まぁ、そういう厚顔無恥がこの地球の国際標準だということだけど。
Oct 4, 2015
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東芝の不適切会計は、歴代の社長3人がそろって職を辞するドラマが、巧みな目くらましとなった。民衆向けに意図した演出だったと思う。 城主の切腹は劇的だが、中堅社員の目線で見たい。メディアであまり語られていないポイントを指摘したい。■「悪材料は出し切る」のが経営の常識だが ■ 第三者委員会の報告書が出たとき、変だなと思ったことがある。不適切会計による利益上増しの最初の年とされる平成20年度は、東芝の史上最悪の赤字の年だった。 平成20年度に東芝の税引前損益は ▲2,793億円。第三者委員会の報告によれば、ホントの税引前損益は ▲3,075億円であるべきだった。 282億円の水増しがあったと結論づけている。 「業績があまりに悪くて、みっともなかったから、少しでも良く見せようとして水増ししたのだろう。やったことは悪いが、いちおう、動機は理解できる」ですって? とんでもない! 企業経営のイロハは? 膿を出すときは一気に出し、翌年度からの好業績を確保するのが、正である。だらだらと低空飛行するのではなく、どぼ~んと沈むときには思い切り沈む。 業績が決定的・構造的に悪い年度には妙なやりくりで粉飾せず、むしろ損切りすべきものをどんと集めて、巨額赤字の年にする。市場に向けて「悪材料は全部出し切った」と宣言して、翌年から好業績路線に復帰する。 これが現代の企業経営の常識である。■ 異常値を如実に示すパソコン事業の営業利益推移 ■ 東芝のトップマネジメントは、そんな基本も知らなかったのだろうか。天下の東芝だ。トップがそこまで愚鈍ではあるまい。 平成20年度より以前から、事実上の粉飾決算に手を染めていたにちがいない。もともと大赤字の平成20年度が、まさか不適切会計の第1年ではあるまい。 ……と考えたのだが、第三者委員会の調査報告書の末尾の「別紙3 PC事業月別売上高・営業利益推移(平成17年4月~平成27年3月)」を見ると、異常値が見受けられるのは平成20年第1四半期からである。 どうやら東芝のトップマネジメントは、ほんとに企業経営のイロハを知らなかったようだ。どうなんでしょうね。 調査報告書の要約版が、東芝のサイトで読める:http://www.toshiba.co.jp/about/ir/jp/news/20150720_1.pdf 途中をすっ飛ばして、まずは最後のページを見てほしい。「別紙3」がある。パソコン事業の月ごとの「売上高」と「営業利益」の折れ線グラフがある。■ 新日本監査法人の監査のありかたも問うべきだ ■ 「売上高」の青線に、特段の異常は見受けられない。平成18年(2006年)3月と平成22年(2010年)3月が、その年度で突出して売上高の大きい月になっていて、駆け込みで売りまくった営業努力の汗と涙が伝わってくるが、まぁこれは「商売はつらいよ」の世界だろう。(この数字まで粉飾だったら、救いがない。) 問題は「営業利益」の赤線。 平成20年(2008年)から振幅が激しくなる。平成24年(2012年)9月には、なんと、月の売上高より営業利益が多いというトンデモナイことになり、その後も振幅はエスカレートする。 売上高と営業利益は、経理上の基本中の基本の数字だ。ここまで異常値が出ていて気がつかない新日本監査法人は、いったいどんな監査をしていたのだろう。 「東芝トップとグルだった」と言われても仕方ないのではないか。なぜこれが分らなかったのか、きちんと申し開きをしてほしい。 調査報告書要約版も、69~70頁で新日本監査法人を擁護している。一読して、あまりに手ぬるいように思える。■ ひとごととは思えない ■ 東芝のパソコン事業は平成20年度から「四半期の最後の月に利益を前倒し計上して(=コスト計上を先送りして)四半期の利益を上積みする」不適切会計を始めた。 前倒し計上した分だけ、翌月の営業利益は沈む。沈んだままだと四半期の数字が悪くなるから、またまた四半期の最後の月に、もっと大きな額の利益を前倒しで計上する。 これを繰り返すので、営業利益の月次の額の振幅がどんどん大きくなった。 本社の経理も営業も、じつに多くの社員がこの不適切会計のことを知っていたはずだ。 「おかしい!」「こんなやり方は間違っている!」と異議を唱える社員は組織にとって危険人物だから、ていよく出世の道を断たれたに違いない。見せしめになった社員もいたと思う。 わたしが東芝にいたら、真っ先に異議を唱えて、会社人生の将来をつぶしただろう。 前途有為の少なからぬ社員が、つぶされたのではないか。気骨のある社員を会社の本流に戻す作業に、東芝は真剣に取り組んでもらいたい。■ 再生を心から望む ■ きょうの結びとして、第三者委員会調査報告書の最後の部分を引用したい。≪東芝の多くの役職員にヒアリングを実施したが、おしなべて、真面目にかつ真摯(しんし)に業務に取り組んでいることが窺(うかが)われた。そして、ヒアリングの中で、多くの役職員から反省の弁と併せて、不適切な会計処理が行われてきたことを憂うとともに、その再生を心から望む声も聞かれた。また、本委員会の設置した内部通報窓口にも、同様の声が寄せられた。このような東芝の人財と様々な関係者の絶えざる東芝への期待と想いが、東芝のこれからの再生を後押しするものと本委員会は考える。≫ わたしも短い時間だったが東芝の人たちと仕事でお付き合いがあった。 東南アジア向けに輸出する火力発電プラントに、東芝の発電機が含まれていて、何度か東芝で会議をしたことがある。 頭の切れる、ユーモアをたやさないプロジェクトマネージャー。補佐する女性もきわめて有能だった。東芝には、いい印象をもっている。 頑張れ、東芝!無料配信コラムの読者募集中です!「東芝の不適切会計、わたしの目線」は、8月20日に無料配信したコラムです。登録読者数は約 6,000名。あなたもメルマガ「国際派時事コラム」の読者になりませんか。↓ こちらでアドレス登録ができます。http://archive.mag2.com/0000063858/index.html
Aug 24, 2015
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イスラム風刺の漫画についてだが、わたしが見たいのはイエス・キリストや諸聖人、教皇をはじめとする教会幹部、あるいはプロテスタント教会組織たとえば「エホバの証人」のような団体を痛烈におちょくり、けなし、それらを国民性に結び付けてあざけった漫画である。それを西欧人の本流のひとたちは、ちゃんと歓呼の声で受け入れるのでしょうね?アイルランドやイタリア、スペインで、カトリック教会をぼこぼこに批判し、「だからこの国はダメなんだ」と主張する漫画を1面に大きくあしらったタブロイド紙が堂々と売られ、道行く人たちが嬉々としてそれを買う光景を見せてくれたなら、JE SUIS CHARLIE(わたしはシャルリ)も信用できる。テロが絶対に許せないのは当然として、そういう自問が西欧社会の主流の人々のなかにあるのだろうか。
Jan 21, 2015
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朝日新聞は8月5~6日に慰安婦報道限定撤回の特集記事を紙上に掲載したが、英文発信は おろそかな様子だ。ネット検索しても、報道撤回記事の英訳が出てこない。読売新聞が朝日新聞記事の英文抄訳を自社系列のThe Japan News紙に掲載した。ネット記事はこちら:SPECIAL REVIEW of The Asahi Shimbun’s “Comfort Women” Reporting / The paper slow to correct its errors
Aug 16, 2014
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原子力規制庁の官僚が議論から意図的に逃げているという指摘がある。 外部専門家の意見をいつ、どういう形で聴取して、それを議論の材料にしていくのか、規制庁は一向に説明しようとせず、自分らの内なる世界に閉じこもるばかりであると。 よほど後ろめたいのか。誠実さを缺(か)いた姿勢で公務をおこなっていると見られてしまう。 電気新聞 平成26年7月2日2面≪敦賀市長 専 門 家 排 除 に 遺 憾 の 意 敦賀破砕帯評価で意見書日本原子力発電敦賀発電所の敷地内破砕帯評価を巡り、福井県敦賀市の河瀬一治市長は7月1日、原子力規制庁を訪れ、幅広い専門家の議論への参加と科学的・合理的な証拠を示すことなどを求める意見書を提出した。河瀬市長は原子力規制庁・森本英香次長に対し「(評価会合で)有識者メンバー以外の専門家を排除するような対応がなされたことは大変遺憾。しっかりと対応してほしい」と述べた。同発電所の敷地内破砕帯を巡っては、6月21日に開かれた評価会合で原電側が会合前日に用意した資料が採用されず、同社が招いた外部専門家2人の同席も認められないといった場面があった。河瀬市長は「多様な意見を入れ、公平かつ科学的な議論を尽くした上で丁寧な説明を行うことが、市民から信頼される規制につながる」と強調したうえで、「我々の思いが一体どうなっているのか不満に感じている。メンツばかりを気にするのではなく、きちんとした証拠を示してほしい」と訴えた。一方、森本次長は「評価会合は各学会から推薦された5人で破砕帯について議論する場。そこに第三者として専門家が入ることはもともと想定していない」と話し、事業者のデータや考え方を説明する立場なら同席はあり得るとの認識をあらためて示した。意見書では、(1) 有識者やピアレビュー委員以外の専門家の参加(2) 審議に入る前に有識者が考える議論の焦点を明示すること(3) 科学的・合理的な証拠を示し、評価に携わった者が市に対して丁寧に説明すること――の3点を要望した。≫ 敦賀市長の要望は、いちいちもっともなことである。 市長が公の場で国家公務員に対して「メンツばかりを気にするのではなく、きちんとした証拠を示してほしい」と物申すのは、よほどのことだ。 原子力規制庁としてはあくまで、規制庁が選んだ有識者が一流の科学者であり、およそ それ以外の科学者はみな二流だからいい加減に 「業者の声」 として打っちゃっておけばいいというふうな考えなのか。だとすれば問題だ。 科学にも誠意が必要だ。
Jul 4, 2014
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原子力規制委員会の再稼働審査が遅々としていると、経済損失は千億円台だ。積上げれば兆円台になる日も近い。 そのカネがあれば、あれもやれる、これもやれると、わたしのようなフツウ人は考える。 電気新聞 平成26年6月30日8面 「オピニオン」 より≪性 善 説 は 捨 て よ う川内(せんだい)原発1号機・2号機の優先審査決定から既に3カ月、補正申請は出たが審査書案が未だに出来ない。この審査停滞を原子力規制委員会 (NRA, Nuclear Regulation Authority) 側は一方的に事業者 (=電力会社) の準備不足に起因すると主張しているのだが、不可解なのはメディアもそのニュアンスで報道していることである。川内1・2号機の事業者ヒアリングはまもなく500回に達する勢いであり、これだけの会議が行われているのに未だに完了に至らない原因が 100% 事業者にあると考える方が不自然であろう。どうして誰も NRA 側にも基準の適合条件を明示しない、後出しの宿題を出す等の問題がある、と言おうとしないのか。先日開催された東海第二原発と東通(ひがしどおり)1号機との合同審査会合で、NRA の委員は事業者側の準備不足を厳しく指摘し、「とりあえず申請して議論の中でクリアしようと考えるのは困る」と述べた。しかし、どんなに書類を整備し万全の体制で臨んでも次から次へと宿題を「後出し」され審査が進まない現状を見れば、事業者が「どうせどんな宿題を出されるかわからないのだから最低限の適合性を示しておいて、後は議論で解決しよう」と考えるのは当然ではないか。長期化の責任は 99% くらいは NRA にある、と筆者は見ている。それをある論文で指摘しようと事業者 (=電力会社) にレビューしてもらったところ、こう言われた。「同感ではあるが、NRA をいま刺激するのは控えてほしい。もっといじめられるから」。これが、メディアも事業者側を擁護する報道をしない原因のようだが、言うことがまるきり “いじめられっ子” ではないか。いじめっ子を怒らせたくないといって抗議しなければ、いじめっ子に誠意は通じるのか。余計つけあがるのではないか。敷地内破砕帯問題で NRA と議論中の電力関係者も似たようなことを言っていた。別の審査に影響するから訴訟は考えていないと。それが約1年前。現状はご存知の通り。もういい加減、性善説は捨てよう。 (瑞)≫ 審査をいい加減にせよというわけではない。 ただ、原子力規制委も、無謬の官僚集団としてふるまうだけではなく、ときには不明を恥じてみせ、審査加速のために事業者 (=電力会社) と同じ位置に立とうとする心を見せてほしい。
Jul 2, 2014
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このていどの人でもハーバード大学の歴史教授がつとまるのかと、唖然とさせられた。著者の入江 昭(あきら)氏は昭和9年生まれで、ハーバード大で歴史学の博士号を取得し、同大名誉教授である。知人がフェースブックで絶賛していたので、かなり期待感をもって手にとった。いつまで読んでも予告編みたいな浅さだなぁと思いつつ読み進んでいたら、≪国家のなかには中国のように数千年も存在してきたものもあるし、多数の 「新興国家」 のように建国後数十年に過ぎないものもある。≫ (56頁)は? 「中国」 こそ、新興国家の典型なのだがね。建国したのは昭和24年、いや、歴史学的に分析すれば、文化大革命の終焉をもって現在の中国は建国された。それ以前は、漢字を使う別の国家だ。百歩譲っても、満洲人の支配から独立して漢人国家を立てた中華民国建国あたりが、さかのぼれる最古のところだが。入江昭著 『歴史家が見る現代世界』 (講談社現代新書、平成26年刊)≪「市民社会化」 の現象には国によって著しい格差があり、それがすぐにグローバルな規模での民主化につながるとは限らない。1960年代だけを見ても、66年に始まった中国の 「文化大革命」 は、最初のうちは反体制的な要素を持っており、毛沢東自身、政府や共産党の権力を弱めて人民の力を高めようとしたし、実際、上海その他の地方では学生や労働者が中心となって新しい政治・社会秩序を作ろうとした。しかし長続きはせず、2~3年ののちには従来にも増して強力な中央政権が出現している。≫ (106~107頁)なんとも、突っ込みどころ満載だ。文脈によれば、毛沢東が煽り立てた文革のアナーキーも 「市民社会化」 の一環だと入江昭氏は考えているようだ。毛沢東が 「人民の力を高めようとした」 とはね。やぶれかぶれの権力闘争を仕掛けた毛沢東が、政権秩序に対してアナーキーで対抗してみせたことを 「反体制的な要素」 と評価する入江昭氏の神経が理解できない。むしろ毛沢東に奉仕する体制づくりの一環にすぎまい。さらに 「2~3年ののちには従来にも増して強力な中央政権」 とは、いつの時点を指すのか。毛沢東の権力闘争勝利の時点を言うのであろうが、それは決して 「強力な」 基盤のある政権ではなく、単に恐怖政治を敷いたに過ぎないのだが。いったい入江昭氏にとって「歴史」とは何なのか。≪「歴史解釈」 は常に変わりうるものだが、歴史そのものは変えることができない。「歴史を知る」 ということは、過去の事蹟を学び、現代とのつながりを考えることである。≫ (149頁)わたしなら、こう書くところだ: ≪「歴史」 は常に語り変えられるものだが、出来事そのものは変えることができない。「歴史を知る」 ということは、出来事をある人々がどういう切り口でストーリー化したかを批判的に検証することである。≫歴史とは何かということについて、入江 昭 氏にはもう少し勉強してもらいたいものだ。≪1930年代のナチスドイツにおける人種制作と、その極限の表れとしてのユダヤ人迫害も、ユダヤ人の大部分が国の社会に溶け込み、経済活動を行い、文化面でも積極的な活動をしていたことに対する 「純血」 民族 (いわゆるアーリア民族) の反動であり、日本での「大和民族」優越主義と相通ずるものをもっていた。≫ (207頁)ここに至っては、唖然とする他ない。善良なるドイツ国民として生活していたユダヤ系の人々を突然にドイツ社会から引っぺがして、「血すじ」 を理由に迫害したナチスドイツと、日本人になりすましたい朝鮮人に創氏改名を認めた日本国は、真っ向から異なる原理にもとづいている。入江 昭 氏は、不明を恥じるべきである。≪世界中の人たちが着々と雑種化、混血化するにしたがって、血統とか伝統とかいうものの重要性が減少していくのは自然の成り行きであり、やがては社会、文化、国家など、あらゆる存在が自分と他者を区別する境界を取り外し、1つの地球としてのアイデンティティのみが残るようなときが来るかもしれないのである。≫ (213頁)入江昭氏には、中国共産党から「ぜひ講演をお願いします」とお呼びがかかるのではないか。ウイグル人女性を強制的に漢人地域に来させて漢人と結婚させることでウイグル民族の抹殺を図ろうとしている中国共産党。その政策を、入江昭氏は結果的に全面支持しているわけだ。アメリカ先住民を略奪虐殺して文明を抹殺した白人たちも、「やがては社会、文化、国家など、あらゆる存在が自分と他者を区別する境界を取り外し、1つの地球としてのアイデンティティのみが残る」 と聞けば、さぞや心やすらかになるだろう。入江昭氏のような学者がもてはやされる歴史学界とは、いったい何なのだろう。
Jun 29, 2014
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福井地裁の大飯3・4号原発運転差止め判決は、「仮執行宣言」 がついていないから、関西電力が控訴した瞬間に拘束力はなくなる。そういう気楽さがあるから、樋口英明裁判長も専門家への証人尋問を避け、自分の趣味で判決文を書いたわけだ。最近よくある、主文とは趣旨の異なる 「傍論」 を書いて自分の趣味を満足させる裁判官に、似ている。ひとりごとの快感、究極のつぶやき。樋口英明判決は専門家から見てどういう点が問題なのか、電気新聞に解説記事があったのでご紹介する。電気新聞 平成26年5月23日1面≪大飯3,4 地裁差止め判決炉型、認識不足の記述も識者から厳しい声 「司法の威信下げる」 福井地裁 (樋口英明裁判長) が21日、関西電力大飯発電所3,4号機の運転差し止めを言い渡した判決を巡り、関電は22日、名古屋高裁金沢支部に控訴した。判決理由には PWR (=加圧水型原子炉) への認識不足とも受け取れる記述や、東京電力福島第一原子力発電所事故後の対策が顧慮されていない点が目立つ。原子力や耐震問題に詳しい学識者からは 「司法の威信を低下させる無謀な判決」 など厳しい声が上がっている。 (塚原晶大、新田剛大) 関電に対し大飯3,4号機の運転再開の差し止めを求めた訴訟は、2012年11月に福井県などの住民が提訴。13年3月の2次提訴と合わせて189人が原告となった。判決では、大飯発電所から250km圏内に住む原告166人について差し止め請求を認めた。■ 人格権根拠に 福井地裁では約1年半・8回の審理で専門家の証人尋問などがないまま結審。判決文では 「生存にかかわる人格権」 を超える価値は存在しないとし、原子力発電所の稼働が 「電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由」 に属するとして劣位に置いたことが差し止めの根拠となった。また、大飯3,4号の安全性に関する関電側の主張を退け 「原子炉を冷やす機能、放射性物質を閉じ込める構造に欠陥」 「1260ガルを超える地震が来ないという想定は不可能」 「大飯発電所の運転は、250km 圏内に住む人の人格権を侵害する具体的な危険がある」 と断じた。 関電は22日に名古屋高裁金沢支部へ控訴し、改めて大飯3,4号の安全性を主張する。福井高裁による差し止め判決は確定しておらず、上級審の判断を待つ。 福井地裁判決は、結論に至る論拠には非科学的な部分が目立つ。宮崎慶次・大阪大学名誉教授 (原子力工学) は 「PWRとBWR (沸騰水型軽水炉) の違いを全く理解していない上、福島事故後の対策を顧慮してもいない」 と厳しく批判。判決文は電動の給水ポンプが使えなくなると 「大事故になるのは必至」 と断定するが、PWRは蒸気で動くタービン動補助給水ポンプが備わる。「タービン動補助給水ポンプの耐震信頼性は高い。崩壊熱除去系も格納容器の外側に備わっており、外部からの冷却機能維持が容易な構造」 (宮崎名誉教授) という点なども考慮されていない。■加速度を誤認 大飯3,4号はストレステスト (裕度評価) で1260ガルまでの揺れならば炉心損傷に至らないと評価された。この数値に対し判決では08年の岩手・宮城内陸地震の加速度4022ガルと対比。「1260ガルはこれをはるかに下回る」 とした。だが、4022ガルは地表での値。京都大学原子炉実験所の釜江克宏教授 (地震工学) は 「加速度は地盤によって変わる。だから原子力規制委員会も地下構造を含めて地震動を審査している。そうした違いを考えずに (1260ガルが) 岩手・宮城内陸地震より小さい、という論理は論外であり乱暴だ。比較対象としておかしい」 と話す。 山口彰・大阪大学大学院教授 (原子炉工学) は「科学技術に関する判決としてはポイントがずれている」 と指摘。03年1月に高速増殖炉 「もんじゅ」 の設置許可処分無効を言い渡した名古屋高裁金沢支部判決と同様、「可能性は排除できないという精神論という意味で共通している。海外ではリスクを管理して公衆への影響を防護できるかの観点から議論するが、(福井地裁は) あのようなセンスで判決文を作っていいのか。議論の必要すらなく、直感で書けるような判決だ」 と疑問視する。≫
Jun 3, 2014
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広島大学大学院の奥村晃史教授 (地震地質学) が「敦賀原発の現場をいくら観察しても破砕帯が動いた証拠はなかった」と、環境省原子力規制委の見解を真っ向から否定している。ところが規制委は、この議論に応じようとせず、時間ばかり無為に経過する。不健全の極みだ。『電気新聞』 平成25年10月15日1面の特集記事に奥村教授へのインタビューが載っていた。半年前の記事だが今日ただいまの問題であり、古新聞にはあらず。後半、K断層に関連する技術説明が分かりにくいのが、いささか残念だが。≪原子力規制委員会 検証 活断層問題 識者に聞く敦賀 「動いた証拠ない」広島大学大学院教授 奥村晃史氏活断層調査の対象になっている6つの原子力発電所のうち、原子力規制委員会が唯一活断層だと判定した日本原子力発電の敦賀発電所。地震地質学を専門とする奥村晃史・広島大学大学院教授は 「現場をいくら観察しても動いた証拠はなかった」 と、規制委の見解を真っ向から否定する。規制委がよりどころとする有識者会合の評価書についても、「明らかな間違いが書いてある」 と厳しく指摘する。 (聞き手 = 長岡 誠)―― 敦賀の破砕帯が活断層だという有識者会合の評価に、一貫して反対してきた。問題だと思う点はどこか。「要するに有識者は D-1 破砕帯の活動の有無はよく分からないので、安全側に判断すると言い続けてきた。確たる証拠がなくても 100% 否定できなければ活断層にする論法だ。しかし現場をいくら観察しても、D-1 破砕帯が動いた証拠はなかった。『探せばある』 と言われたから原電は必死に調べたが出てこない。にもかかわらず有識者は 『分からない』 という根拠だけで判断した。到底、科学的な姿勢とはいえない」―― 分からないものを “クロ” と言うことと、安全側に判断することは違うということか。「そう思う。たとえば医者が健康な人間に対して 『100%否定できないから、あなたは癌だ』 と言ったら、ただでは済まない。活断層調査も同じだ。軽々しい、吹けば飛ぶような根拠で判断すべきではない」―― 外部レビューチームの一員として、D-1 破砕帯が活断層ではないという原電の調査報告を妥当と評価した。原電の調査結果で特に重要だと思う点は?「有識者会合の評価書が D-1 破砕帯と一連の構造とみなした K 断層を追跡した結果、消滅することが分かった。周囲には K 断層に相当する別の断層も見つかっておらず、別の所に移った形跡がない。地層年代判定の決め手になる火山灰の情報が飛躍的に増えた点も重要なポイントだ」―― 有識者は K 断層と D-1 破砕帯は一連の構造とみている。「これまでの観察結果に、同じものと示す証拠は一切ない。傾きの方向は似ているが、それ以外の共通点はない」―― なぜ K 断層が移動してないといえるのか。「いったん変位量がゼロになっているからだ。そもそも断層が動くのは岩盤に力が加わるから。一連の断層で消化される力、あるいは縮む量は一定であり、ステップしたなら、近くにゼロになる前の変位量を引き継ぐものが見つかるはずだが、掘削した範囲で似たものは見つかっていない」―― 有識者会合の評価書には、初歩的な認識で誤りがあるとも主張してきた。「目を覆いたくなるような、明らかな間違いが書いてある。たとえば、K 断層が基盤岩を切っているから地下深部まで続いていると書いてあるが、それは嘘だ。現場を見て単なる地滑りであっても、そのほとんどは岩盤まで続き、基盤岩も切っている。本当にK断層が深い地下から来たものなら、そう簡単に消滅しないはずだ」「不整合の解釈もおかしい。有識者は上下の地層は短い時間間隔で堆積したと説明しているが、明らかに間違い。不整合があるということは、地層が削られて、時間情報が完全に失われたということ。失われた時間が千年か、1万年か、それとも100万年かは、誰にも分からない」―― 事業者が依頼した外部チームの評価は信頼できないので無視するといった風潮も一部メディアにはある。「我々は原電を守るために仕事を引き受けたわけではない。原電には炉の直下に活断層があると分かれば、我々が廃炉勧告を出すと繰り返し伝えてきた。電力会社に化かされて調査を手加減するなどあり得ない」≫【関連ブログ】 敦賀原発直下の “活断層” に固執する規制委の風通しの悪さ 何かウラ事情でもあるのか?
Apr 24, 2014
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不健全なウラ事情があるとしか思えないのが、福井県敦賀原発直下の破砕帯に対する環境省原子力規制委の対応ぶりだ。昨年平成25年5月に規制委が下した 「敦賀原発直下に耐震設計上考慮するべき活断層あり」 (=だから敦賀原発は廃炉にすべし) という評価は、原電側の調査続行中 (=データ不十分の時期) に下した実に性急なものだった。反論として平成25年7月に敦賀原発の持ち主である原電が提出した調査結果は 「活断層ではない」というものだったが、これが規制委では長らく店(たな)ざらし状態。そしてようやく今月、規制委は評価会合を再開したが、幅広い専門家による検証は行われず。昨年5月に 「活断層だ!」 とクロ判定したのと同じメンバーが再審議する。これでは、メンツにかけて 「クロだ!」 と言い続ければ、通ってしまう。『電気新聞』平成26年4月16日2面の記事では≪今回の会合は当時の評価を方向付けた有識者5人が、自ら下した評価を見直す必要性を検証するという流れ。いわば一審で 「クロ判決」 を出した判事が控訴審も担当するのに似た形だ。≫と批判しているが、もっともな批判である。規制委のやり方は不健全だ。審査の風通しが悪すぎる。■ 「敦賀原発=スケープゴート」 説 ■国家基本問題研究所のサイトに 「原子力規制委員会の対応を強く批判 奥村晃史・広島大学大学院教授」 (平成25年7月19日) という記事がある。≪国家基本問題研究所は平成25年6月28日、奥村晃史・広島大学大学院教授を招き、原発問題研究会を開いた。奥村教授は、地震と活断層の関係を研究する専門家で、原発再稼働するうえで問題となっている活断層について原子力規制委員会 (田中俊一委員長) の対応の仕方を強く批判した。奥村教授は、現在の原子力規制委員会の前身の原子力安全委員会で4年間にわたり耐震安全のチェックを行い、国際原子力機関 (IAEA) の科学委員を務めてきた。同教授は、研究会の中で、次のような問題点を指摘した。(1) 結論から言うと、今の規制委員会は原発の下に活断層があったら、すべて危険だと判断してしまう。地震が起きるかどうか、建物が壊れるかどうか、科学的には証明できない。でも危ないからとのことで廃炉へとつなげる。分からないものは分からない、正しくないものは正しくない、という仕分けをきちんとすべきである。(2) 過去10万年で動いた活断層はまた動くだろう。だから耐震設計上考慮しなければいけない。でも、15万年間も動いていないものは、もう動かないと判断していいのではないか。それを40万年前までさかのぼるというのはおかしい。(3) 米欧の専門家に聞くと、断層の食い違いだけで全てを考えるべきではない、という。問題は構造物に与える影響であり、工学的に対処できるなら、それをすべきである、としている。下で動いたら、もうすべて壊れておしまいなんだ、という恐怖心を煽る議論が横行している。日本原子力発電が依頼した国際的なレビュー・グループが国際的な常識に照らし合わせてものを言っても、規制委員会側は全く聞く耳をもっていなかった。(4) 海外の専門家や工学系の人たちが言うのは、まず確率です。アメリカでも IAEA でも確率論的評価をやっている。ところが、平成25年7月8日施行の原子力規制基準は、がんじがらめの決定論で成り立っており、もう最初から 「将来動く可能性がある断層」 としています。(5) 一部には、敦賀はスケープゴート (犠牲のヤギ) ではないか、との推測がある。近くに活断層もあるので、敦賀か、もう一つぐらい潰しておけば、再稼働がスムースにいくのではないか。規制委員会の手柄にもなるし、といった見方だ。(6) 今はもう、危険だ、危険だの大合唱で、多くの学会で異論、反対を言い出せる雰囲気ではない。マスコミからは 「あいつは御用学者だ」 といわれ、排除されかねない。朝日新聞をはじめ、多くのメディアの原子力トラウマでしょうか。イデオロギーかと思う。(7) 人間が災害に立ち向かうについて、人命をすべて救えるような幻想を持つ人がいるかもしれない。だが、現実的には、戦争と同じで、一定の消耗は避けられない。災害が嫌なら、地震がほとんどないところに移住する。津波が怖ければ、海辺から離れて暮らす。でも災害のリスクにとらわれて経済活動を損なうというのは、我々の行動パターンにはないことであり、合理的ではない。 (文責・国家基本問題研究所)≫【関連ブログ】 環境省原子力規制委は奥村晃史教授の指摘をなぜ黙殺するのか 「敦賀原発の破砕帯は現場をいくら観察しても動いた証拠なし」
Apr 24, 2014
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「アンネの日記」 破損事件の犯人が逮捕され、再逮捕されても、一向に犯人名も写真も出ませんね。ふつうこの段階で、犯人名が報道されるものではないでしょうか。 週刊誌はおろか、ネットでも犯人名が出てこない。水も漏らさぬ報道管制です。 こういうとき、日本のマスコミは関係者をしつこく追い回します。回答が得られなくても「なぜ答えられないのか」「いつ、どういう条件が揃えば答えるのか」などと、しつこく聞いて、関係者の困惑の表情をテレビに映し出すものではないでしょうか。 ところが、そういう報道も一切ありません。というか、報道管制されていることに文句すら言いません。 すごい報道管制ですね。世界を騒がせた事件の犯人が逮捕された後、これほどすごい報道管制が日本で敷かれたのは、おそらく歴史上初めてではないでしょうか。 と、それすら言わない日本のマスコミや言論界はポンクラの集まりだと、つくづく思います。 まぁ、おおかた、今回の報道管制は、日本政府か自民党が、どこかの国か政党との取引材料にしているのだろうと、わたしは思いますね。関連文書が公開されたあかつきには、ぜひ日本史に残してください。
Apr 7, 2014
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今後日本のメディアでは、少なくとも痴漢や万引きていど(?)の犯罪で捕まった場合には名前は出ず、性別と年齢だけの報道になると考えてよいのでしょうね。法のもとの平等は憲法も保障していたはずです。それとも、朴とか金とかいうひとが犯罪を犯したときは、これが特定秘密扱いになるのでしょうか。アンネの日記事件は、容疑が確定しながらいまだに犯人の名前が公表されない。きのう男児の遺体が見つかった大事件も、犯人はいまだに 「シッターの男」 だ。いったい日本はどうなってしまったんだ!? 明らかに、おかしい。
Mar 17, 2014
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「アンネの日記」 本の破損事件についてのニュースが、ぱたりと途絶えました。あれだけ物的証拠があり、日本の捜査陣のエリートを動員しているのだから、捜査は急速に進展すると思うのですが。かりにこれが迷宮入りにされたら、日本じゅうの殺人や強盗も、みな迷宮入りでしょう。民主党政権なら迷宮入りは確実だったでしょうが、安倍政権なら 「特定秘密」 化はないものと信じます。
Mar 12, 2014
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クリミア半島もあっさりロシア領になってしまう。攻められる側の国防軍の反撃がなければ、諸外国も反撃の軍は送らないし、経済制裁もおざなりなものだ。クリミア半島情勢を見て、中国(チュンクオ)軍は尖閣諸島と沖縄に思いを馳せているにちがいない。尖閣諸島も沖縄も、かりに我々の軍が反撃しなければ、クリミア半島みたいに静かに中国(チュンクオ)領になるわけだ。社会科のまことに良い教材なのだけれど、何割かの教師は「クリミア半島のかたがたは我々のお手本です。抵抗さえしなければ、戦争は起きません」と生徒に教えるだろう。そういう教師が、めぐりめぐって敵国にわが国の姿を見誤らせ、戦争の火をつける。
Mar 5, 2014
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業界紙の 『電気新聞』 に細川・小泉という勉強不足コンビをいたぶる秀逸な辛口コラムがあったのでご紹介したい。業界紙読者だけではもったいないと思ったもので。 電気新聞 平成26年2月17日、10面≪【オピニオン】 反知性主義に惑わされるな本意ではないが、敗者の傷口に塩を塗る。細川・小泉連合の敗北は、その矛盾だらけの主張に都民が冷静な判断を下した結果と言える。立候補表明の際、細川氏は「祖父近衛文麿の過ちを繰り返したくない」と語ったが、その祖父が大政翼賛会を設立し、日独伊三国同盟を締結したのは、大手新聞社が煽り続けた開戦世論に背中を押された側面が大きい。今回、細川・小泉連合を絶賛したのも、かつて開戦世論を握った新聞社。ある意味で細川氏は、祖父の過ちを繰り返した。ちなみにソ連コミンテルンのスパイ、リヒャルト・ゾルゲと共に国家の重要情報を流し続けた、近衛首相のブレーン尾崎秀美(ほつみ)氏も細川氏もその新聞社の出身。歴史の不思議な縁だ。国会議員73歳定年制を提唱していた小泉氏は、今回76歳の細川氏を擁立。「核廃棄物の最終処分場がないから脱原発だ」と言うが、地球温暖化をもたらす二酸化炭素の処分方法がないまま、化石燃料を使い続けることには全く言及がない。反米的姿勢の日本の政治家は米国により排除されるとの噂がある中で、米国完全追従の小泉内閣は長期政権を保った。その米国は 「脱原発」 には猛反対だ。世界の原子力は、日本の原子力技術なくして成り立たないからだ。そもそもジャパンマネーの活用を目論む米国の強い要請を受けた郵政民営化が、日本国民のためになったか。米国の郵政事業は今だに国営のままだ。道路公団民営化は中途半端で、何ら経済対策も取らなかった小泉政権は、「失われた10年」 を 「失われた20年」 にした元凶だ。彼の政治手法は 「反知性主義」 と言われる。国民に合理的判断をさせないよう分かりやすい言葉で情緒に訴える愚民化政治だ。歴史上、知性によらず情緒に依拠した政治が、国民のためになったためしはない。 (千慮一得)≫ 上掲文中で批判されている大手新聞社とは、もちろん朝日新聞社のこと。 ところで、10年以上も前になるが、リヒャルト・ゾルゲと尾崎秀実を描いた 「スパイ・ゾルゲ」 という映画があった。女優陣はよかったが、男優がいまひとつで、ゆがんだ歴史観のシナリオに至っては二流以下というものだった。 平成15年に 「国家」 を理解せず 「スパイ映画」 が作れるか という映画評を書いたのがウェブ上に残っているので、ご覧ください。
Feb 25, 2014
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「欧米の左翼」 と 「日本の左」 を分かりやすく比較したものが 3ヴァージョンあったので、並べてみます。ぼくは小学4年生から朝日新聞の愛読者で、「コスモポリタン」 みたいな言葉にあこがれる青年だったわけです。いま、この比較記述を読むと、「欧米の左翼」 の欄に書いてあることがそのまま幼いぼくの革新幻想であったことが改めて思い返されます。実際の欧米の左翼がこれほど立派なものとも思いませんが、他国の工作員や傲慢な野心家にめちゃくちゃにされないうちの政治集団は、どれもこの 「欧米の左翼」 欄に書いてあるような発足の大志を持つものでは?「欧米の左翼」 欄に書いてあることは、べつに左でも右でもなくて、まっとうな人間の常識論だと思います。ぼくは、北京から帰った翌年の平成2年、朝日新聞の天声人語があまりに愚劣で、怒り心頭に発して朝日新聞の購読を止めたわけです。たしか、「国」 というシステムそのものを茶化す、飲酒運転中のような駄文でした。それから ほどなくして、いろいろな局面で (いつのまにか死語と化した) 日本の 「革新勢力」 のいい加減さをつくづく知ることとなりました。で、本題が、これです:平成22年7月13日ヴァージョンhttp://blog.livedoor.jp/newskorea/archives/1265156.html≪欧米の左翼 : 「○○であるならば△△である。ゆえに□□すべきという結論が導き出される」 日本のブサヨ: 「だって、だって、○○さんたちがかわいそうでしょ~」 欧米の左翼 : 自分の住む故郷・国をもっと良くしたいという強い思い。 日本のブサヨ: 自分をゴミ扱いしてきた日本社会に対する強い怨念。 欧米の左翼 : 常に現実と向き合う。 日本のブサヨ: 常に現実から逃避する。 欧米の左翼 : 自明の原理を疑う。なぜか。新しい哲学と政策を作るために。 日本のブサヨ: 自明の原理を後生大事にする。なぜか。内輪で盛り上がるために。 欧米の左翼 : あらゆる既成概念を疑うことから、全ての思考が始まる。 日本のブサヨ: 「平等」 「平和」 「正義」 といった薄っぺらい観念をそのまま信じ込むだけで終わる。 欧米の左翼 : あなたの意見は私の意見と違う。 しかし、私は、そのようにあなたが自由に発言できる権利を全力で守る。 日本のブサヨ: あなたの意見は私の意見とは違う。 よってあなたは軍国主義復活を目論む右翼であり、アジアの敵である。 中国と韓国に謝るべきだ。 欧米の左翼 : 異なる価値観の交差。 日本のブサヨ: 異なる価値観の排除。≫ 平成23年9月26日ヴァージョンhttp://engawa.2ch.net/test/read.cgi/nida/1317042931/≪欧米の左翼: 「○○であるならば△△である。ゆえに□□すべきという結論が導き出される」 日本の左翼: 「だって、だって、○○さんたちがかわいそうでしょ~」 欧米の左翼: 自国を愛するがゆえに、自国をもっとより良い社会にしようと思い、左翼になる。 日本の左翼: 中高生の時に悲惨なイジメに遭ったため、日本社会全体に憎悪し、左翼になる。 欧米の左翼: 常に現実と向き合う。 日本の左翼: 常に現実から逃避する。 欧米の左翼: 政府のやり方に反対する場合は、できる限り、具体的対案を提示することに努める。 日本の左翼: はなっから具体的対案を提示しようとは考えないし、 低IQゆえにそうした能力を持ち合わせていない。 「政府のやり方に反対するカッコイイボク」 に自己満足するのが目的。 欧米の左翼: 自明の原理を疑う。なぜか。新しい哲学と政策を作るために。 日本の左翼: 自明の原理を後生大事にする。なぜか。内輪で盛り上がるために。 欧米の左翼: あらゆる既成概念を疑うことから、全ての思考が始まる。 日本の左翼: 「平等」 「平和」 「正義」 といった薄っぺらい観念をそのまま信じ込むだけで終わる。 欧米の左翼: 異なる価値観の交差。 日本の左翼: 異なる価値観の排除。 欧米の左翼: 基本的にプラス評価。「○×は大切だ」 「□▲には価値がある」 と訴える。 日本の左翼: 基本的にマイナス評価。 「○▲はいけない」 「断固反対する」 「○□はやめろ」 と叫ぶだけ。≫ 平成25年10月7日ヴァージョンhttp://ameblo.jp/syouyuya8/entry-11630580061.html≪欧米の左翼と日本の左翼の違い欧米の左翼: 「○○であるならば△△である。ゆえに□□すべきという結果が導き出される」日本の左翼: 「だって、だって、○○さんたちがかわいそうでしょ~」欧米の左翼: 自国を愛するがゆえに、自国をもっとより良い社会にしようと思い左翼になる日本の左翼: 中高生の時に悲惨なイジメにあったため、日本社会全体に憎悪し左翼になる欧米の左翼: 常に現実と向き合う日本の左翼: 常に現実から逃避する欧米の左翼: 政府のやり方に反対する場合は、できる限り、具体的な対案を提示することに努める日本の左翼: はなっから具体案を提示しようとは考えないし、 低IQゆえにそうした能力を持ち合わせていない。 「政府のやり方の反対するカッコイイぼく」 に自己満足するのが目的欧米の左翼: 自明の原理を疑う。なぜか。新しい哲学と政策を作るために。日本の左翼: 自明の原理を後生大事にする。なぜか。内輪で盛り上がるために。欧米の左翼: あらゆる既成概念を疑うことから、全ての思考が始まる。日本の左翼: 「平等」 「平和」 「正義」 といった薄っぺらい概念を信じ込むだけで終わる欧米の左翼: 異なる価値観の交差日本の左翼: 異なる価値観の排除欧米の左翼: 基本的にプラス評価。「○×は大切だ」 「□▲には価値がある」 と訴える。日本の左翼: 基本的にはマイナス評価。「○▲はいけない」 「断固反対する」 「○□はやめろ」 と叫ぶだけ「●●は日本から出て行け!」 「●●は 強 姦 魔 だ!」 「●●は殺人集団だ!」 「●●の特権を許すな!」 「●●は日本人に謝罪しろ!」 この 「●●」 に 「アメリカ兵」 と入れれば 『表現の自由』 になり、 「韓国人 or 朝鮮人」 と入れれば 『ヘイトスピーチ』 になります。≫
Feb 3, 2014
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「いまこの瞬間、朝日新聞や中国新聞 (広島の県紙で、一部周辺地域も販売領域になっている) はお祭り状態だろうな」と思った。まずそう考える自分はつくづく下卑ているが、あれらの社内は実際そんなものだろう。実態を知りたいものだ。ひとが亡くなったというのに、いまごろ朝日新聞や中国新聞は陣太鼓気分ではなかろうか。TBS やテレ朝も。平成32年の五輪開催地に東京が落選するのと同じくらい、欣喜雀躍の態 (てい)にちがいない。亡くなったかたのご冥福を祈るとともに、真相解明をねがっております。
Jan 16, 2014
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主演の西田敏行さんが楽しみで見たテレビドラマ 「影武者・徳川家康」 (1月2日夜、テレビ東京) が面白かった。関ヶ原の戦いでホンモノの家康が暗殺され、影武者の世良田二郎三郎(せらだ・じろさぶろう)が家康を演じ続ける。面白いのは、影武者・世良田の独断的な行動が結果的に我々が知っている日本史を作り上げているというスジ立て。史書によれば温厚かつ父に忠実であったとされる秀忠が、ドラマでは傲慢な野心家として登場し、その秀忠の無軌道ぶりを修正して現実の日本史に軌道を戻したのが影武者・世良田だったというわけ。自分と周囲の女性たち、そして自分が産ませた子供たちのいのちを守るには、徳川オンリーの世の中になってはいけないというのが影武者・世良田の判断だ。豊臣家が滅びてしまったら、家康という重しがなくても秀忠は国を治められる。そのときニセ家康は不要となり抹殺される。だから豊臣家を守らなければならない……。豊臣家を早く討伐したいとあせる秀忠に、影武者家康が家臣列席の場で 「千姫を豊臣秀頼公に嫁がせよ」 と命じる。秀忠は怒り心頭だが、従わざるを得ない。将軍職を秀忠に譲るのが極めて早かったのも、秀忠の要求に影武者家康が従わざるを得なかったからであり、その影武者家康が江戸付近ではなく駿府に移ったのも謀殺を防ぐべく守りを固めるためだった。大坂冬の陣の停戦を画策したのも、大坂夏の陣で千姫を救ったのも、影武者家康の機転。……もちろん、ファンタジーですが。いわゆるタイムトラベル SF 的に “我々の知っている歴史が変わってしまう” ストーリーではなく、むしろ “我々の知っている歴史が形づくられたウラには実はこういう秘話があったのだ” という作りにしたところがミソである。その流儀で現代史ドラマを作るとすれば、まずもって中国や韓国のスパイの暗躍をテーマにするのがいちばん作りやすいだろう。政治家連中の国益に反する行動や、ゆがんだテレビ・新聞の報道ぶりなど、“じつは中国・韓国のスパイが暗躍してました” というストーリーは十二分に可能なのだが、なんでそういうドラマがないのでしょうね。それはね、ほんとのことだからですよ(笑)
Jan 3, 2014
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Yahoo Japan のサイトを見ていたら、テレビ朝日のニュースとして、米国国務省があらためて靖國参拝を批判したと称する報道があった。 以下のものである。 今ならまだ映像も見ることができるので、まずはそれをご覧いただき、得た印象を記憶にとどめていただきたい。その上で、泉の論評をお読みください。「“失望”は明確」 米国務省が改めて靖国参拝を批判http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20131231-00000022-ann-int[テレビ朝日系(ANN) 2013年12月31日 (火) 15時22分配信]テレビ朝日の映像から文字起こししたものを掲げておく:≪安倍総理大臣の靖国神社参拝について、アメリカ国務省は会見で、緊張を悪化させる行為だと改めて批判しました。米国務省・ハーフ副報道官: 「日本の指導者が近隣国との緊張を悪化させる行動を取ったことに失望した。選んだ言葉から、私たちのメッセージは明確だ」このように、ハーフ副報道官は改めて参拝を批判しました。ただ、日米関係は今後も変わらないと強調し、日本とこの問題について協議を続けていくとしています。≫■ 証拠はすべてネット上にある ■ 果たして米国は、中・韓に踊らされて靖國参拝をイッシュー (外交上の課題) にする気なのか。おかしいなとは思いつつ、心のなかでごくりと唾をのみ込んでしまった。 当然ながらテレビ朝日など信用できないから、米国国務省のサイトでハーフ副報道官の発言を文字起こししたものを読んでみた。 やはり、テレビ朝日の悪質なデッチ上げだった。 12月30日に Deputy Spokesperson である Marie Harf さんの行った Daily Press Briefing の文字起こしが、こちらで読める:http://www.state.gov/r/pa/prs/dpb/2013/12/219160.htm#JAPAN ハーフ副報道官が靖國参拝について語ったのは、記者からの質問に答えたものだ。 「駐日米国大使館によるプレスリリースは見た。中国は批判している。国務省としてのコメントは?」 という質問に対するもの。 質問に対してハーフ副報道官は、米国大使館によるプレスリリースの文言をほぼ正確に繰り返した。 テレ朝は「アメリカ国務省は会見で、緊張を悪化させる行為だと改めて批判しました」というが、実態はちがう。 記者がコメントを求めるから、副報道官は発表済のプレスリリース内容を読み上げるごとくに語ったに過ぎない。■ disappointed, regret, concern の違いは? ■ その後に記者は重ねて料簡違いの突っ込みを入れてきている:QUESTION: Some media reports that U.S. officials from State Department discussed with officials from White House and finally chose the word “disappointed” rather than “regret” or “concern” to express a stronger or tougher tone. I mean, what kind of message does U.S. trying to send to the Japanese Government?≪質問: いくつかの報道によれば、国務省の高官らは大統領府の高官らと議論した末に、regret や concern ではなく、より強いトーンの disappointed という語を選んだのだと聞く。それによって米国は、日本政府に対していかなるメッセージを送ろうとしたのか。≫ これを読んで、「ははぁ、disappointed は regret や concern より強い表現なのか!」と あなたが考えるとしたら、申し訳ないがあなたは無教養を恥じたほうがよい。 端的な論証をしよう。 たとえば朝鮮国が諸外国の反対にもかかわらずミサイル実験をした場合に、米国や日本がどんなメッセージを発するか。■ disappointed とは 「他人事だが心外」 ■ 無法な行為に対する外交的コメントは、抗議の意味をこめた regret (遺憾) であり、今後これに関与していく意思を表明する concern (懸念) という語である。 ここで disappointed という語を使ったら、大ボケだ。 なぜなら、disappointed とは 「あくまで他人事ではあるが心外なり」 という表明にすぎないから。 問題に関与していくという意思を示さない語だから。 仮に米国政府内で regret, concern, disappointed の いずれにするかという議論があったとして、米国が disappointed という語を選んだのは「靖國参拝にまつわる近隣国との緊張は、米国にとっては他人事ではあるが心外なり」というメッセージだ。 直接的な抗議の意図を含まない表現とするために disappointed という語を使ったのである。■ 国務省から記者への突き返し ■ 食い下がる記者に対してハーフ副報道官は答える:MS. HARF: Well, I think our message is very clear from the words we chose. I don’t know those reports about interagency communications. Obviously, we talk to our colleagues at the White House all the time. I think we've made very clear that we were disappointed, that we think this will exacerbate tensions. I think those words are very clear in their meaning, and I wouldn’t probably wordsmith them any further to try and get deeper meaning out of them.≪ハーフ副報道官:わたしたちのメッセージは、選んだ語句でもって極めて明確です。国務省と大統領府の間の調整についての報道のことは知りません。言うまでもなく国務省の人間は大統領府の同輩の人たちといつも話をしていますよ。わたしたちが disappointed だったということは明確にしたと思いますし、緊張関係を悪化すると考えています。それらの言葉は、言葉の意味として明確なものだと考えます。ことばの職人よろしく、それらの言葉からさらに深い意味をくみ取ろうとすることもないでしょ。≫ テレ朝のニュース報道にある「選んだ言葉から、私たちのメッセージは明確だ」というのは、米国国務省が日本政府に宛てて disappointment の意思表示をダメ押ししたものではない。 プレスリリースの内容以上に踏み込んだ表現を国務省から引き出そうとする記者の突っ込みに対して「プレスリリースで語ったことで以て満足せよ」という、国務省から記者への突き返しなのである。■ 米国の 「遺憾と懸念」 をでっち上げようとする記者 ■ この記者はさらに食い下がっている。QUESTION: So you have no differences between “disappointed,” “regret,” or “concern.”≪質問: ということは、disappointed と regret と concern の間に、差はないということですね。≫ 読者の皆さん、この引っかけ質問の意味が分かりますか。 もし仮に国務省が “No difference”(差はない)と言ったら、その途端にこの記者は、「米国国務省は靖國参拝に対する遺憾と懸念を表明した」と世界中に向けて書き散らすわけである。 つまり、「米国が平時に行うであろう最大限の抗議を日本に対して行った」のだと。 ハーフ副報道官も、その辺の記者の意図はよく分かっている。巧みにかわした。MS. HARF: I'm happy for you to get a dictionary and look up what the difference is. I think it’s pretty clear what I mean when I say “disappointed.”≪ハーフ副報道官: 辞書をお貸しして、それらの言葉の意味の違いを引いていただきましょうかね。わたしが disappointed という言葉を使うとき、何を指しているのかは極めて明確だと思います。≫■ 記者会見も戦(いく)さやな ■ この辺でこの反日記者君 (おそらく日本人かな) も勢いを削がれてくる。 ええ加減にせぇや! とばかりに、おそらく別の記者だろう、漢領 東トルキスタン (いわゆる 「新疆ウイグル自治区」) の度重なる暴動についての質問が出され、靖國関連の質疑は終わっている。 文字起こしを読んでいると、記者会見もバトル (いくさ) だなと痛感した。少なくとも、米国国務省の記者会見は。
Jan 1, 2014
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「国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律」 という法律があり、これの適用が可能だが、その前に「軽犯罪法」を見てみよう。「軽犯罪法」 の第1条の以下の項が適用できそうだ:≪第1条 左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する。……十四 公務員の制止をきかずに、人声、楽器、ラジオなどの音を異常に大きく出して静穏を害し近隣に迷惑をかけた者……三十一 他人の業務に対して悪戯などでこれを妨害した者……第二条 前条の罪を犯した者に対しては、情状に因り、その刑を免除し、又は拘留及び科料を併科することができる。 第三条 第一条の罪を教唆し、又は幇助した者は、正犯に準ずる。 第四条 この法律の適用にあたつては、国民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあつてはならない。≫大音響デモを第1条の十四項で取り締まるには、まず 「公務員の制止」 がなければならない。公務員として制止するかどうかを 「国民の権利を不当に侵害しないように」 警察が判断することになる。抑制的な適用をするのが美風となっていることは間違いない。しかし軽犯罪法第1条は、迷惑な大音響かどうかを判断する権利を公務員側に与えていると読める。「取り締まられる側」 の国民の権利もあるかもしれないが、「迷惑を蒙っている側」 の国民の権利が不当に侵害されたまま放置されないようにすることも、法の精神である。大音響で迷惑しているのがもはや官邸、官庁にとどまらず、周辺の私人を含むことを、公務員がまず淡々と説明し、取り締まり開始を宣言してはどうか。ところで、経産省の敷地で不当に野宿する者は、軽犯罪法第1条の以下の項に該当する。≪三十二 入ることを禁じた場所又は他人の田畑に正当な理由がなくて入つた者≫野宿して反原発を主張するのが 「正当な理由」 かどうかというのが論点となる。判断の権利を誰が持っているか。「入ることを禁じた」 者の専権のはずだ。裁判所に行くまでもない。また、学校の卒業式などで国歌斉唱の儀式を妨害する者は、軽犯罪法第1条の以下の項に該当する。≪二十四 公私の儀式に対して悪戯などでこれを妨害した者≫これも、起立しないことが 「悪戯など」 にあたるか、また起立しないことが 「妨害」 にあたるかが論点となる。この場合、判断の権利をもっているのは、儀式の主催者だ。裁判所に行くまでもない。軽犯罪法をどんどん適用していくと社会は守られるのだが、世の中が殺伐としてくるかもしれない。そこにいかないように持っていくのが、ほんらい 「常識」 のちからなのだが、それが機能しないと殺伐モードに切り替えざるをえない。つまるところ、「非常識」 なのは誰かという議論に帰する。それに備えて、「非常識」 の側はしっかり主流メディアをおさえ、主流メディアは賎業化する。
Dec 5, 2013
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石破茂さんの言っていることが正しい。常識論である。常識が通らない社会になったら恐ろしいことになるから、常識人として警報を発しただけだ。わたしにカネと時間があれば、石破批判を展開する野党やマスコミのオフィスの前で大音響反論を仕掛けてみたい。新法案賛成、原発再稼働賛成のスローガンだけを繰り返す大音響。野党やマスコミはどういう論拠でわたしの大音響デモを排除するよう警察に頼むだろう。学んでみたいものだ。簡単に大音響が出せる世の中になった。技術が変われば、常識側としての規制も変えていかねばならない。本来は、メガホンやアンプ、スピーカーが登場した段階で濫用制限の法規制がされるべきだったのだが、今までは法規制なしでも常識が社会を守ってくれていた。常識に社会を守る力がなくなったのなら、法規制を作るしかない。大音響デモに社会が支持を与えるなら今後、デモの手法は急変する。恐ろしいことだ。*作戦をもって仕掛ける大音響は りっぱな凶器である。街頭で凶器をふりまわす行為を取り締まる法令は既にあるはずだが。あとは、それを適用する政治判断ができるかどうか。まっとうな政治判断を支持する、常識に裏打ちされた社会でありたい。大音響デモの仕掛け人は、日本人でない可能性も大いにある。調査してみてはどうか。
Dec 3, 2013
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「台風30号のフィリピン被災者に、東日本大震災義捐金をそっくり回してはどうか」 という一文を書こうと思って調べ始めた。大津波被災への義捐金集めのニュースはたくさんあった。その義捐金をいかにして被災者に “平等に” 配るか (=不平等だというイチャモンを回避することが第一) ということに官僚的な人々が腐心しているらしいという批判も耳にし、そのとおりだと思っていた。「義捐金をもらって助かった! ありがとう!」という被災者の話、みなさん聞いたことありますか?そういうニュース報道、見たことありますか?義捐金集めのほうはさんざん報道されたが、使われるほうが報道されないから、おそらくウン千億円のカネはいまだに日本赤十字社の口座に眠り、被災者たちに完全に平等に配分できる時期 (=つまり緊急の援助が不必要な時期) が来るのをひたすら待っているのかな。日本は豊かすぎるから!それなら大津波を超える文明消滅の被災に苦しむフィリピンにそっくり回してはどうか。1万円のカネに100万円の価値を感じてくれるであろう被災の現地に、官僚的な平等主義にこだわることなく援助をばらまき、中期的には 次に同じ規模の台風が来ても堪えられるような社会環境を整えることにも使えばいい、と。東日本大震災の義捐金が使われることなく、どのくらい残っているのだろうかと調べ始めた。*分かったこと。まじめな日本人は、都・道・県に義捐金配分委員会を作り、そこから被災市町村へ配分し、被災市町村が被災者に配分していた。日本赤十字社の 「東日本大震災義援金の受付および送金状況のご報告」 というサイトがある。それによれば、日本赤十字社と中央共同募金会から県レベルの配分委員会に送金された義捐金が 3,678億円 (平成25年6月12日現在)。このうち被災市町村に配分されたのが 3,539億円 (平成25年2月28日現在、つまり時期差あり)。被災者に配分された累計額が 3,398億円 (同)。調べてみるものである。わたしは日本赤十字社への不信感、さらには そもそも 義捐金募金への不信感でいっぱいだったのだが、認識を改めた。*被災者レベルではどういう配分になっているか。厚生労働省の「義捐金とその配布状況」 (平成23年8月5日現在) という報告がある。それによれば、第一次配分の874億円は・ 死亡・行方不明者 1人あたり35万円・ 住宅全壊 1戸あたり35万円・ 住宅半壊 1戸あたり18万円・ 原発避難関係世帯 1世帯あたり35万円との方針で配分された。この額を見て、義捐金を受け取ったひとの 「よろこびの声」 がニュースにならないのも納得できた。被災直後に配られれば大感謝のニュース映像にできた金額だが、あるていど生活が落ち着いてからこの金額をもらう被災者からニュースのネタになる映像や声は引き出せない。だから、義捐金配分のことが報道されないわけだ。しかし1戸分の35万円をお前が集めてみろと言われたら、集められない。この金額を全被災者に配るということ、そしてそれだけの義捐金が集まったということは、これはやはりすごいことだ。
Nov 20, 2013
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メールマガジンで10月8と9日に配信したコラムです。無料メールマガジンの登録は http://archive.mag2.com/0000063858/index.html でどうぞ! 消費税を上げると不景気になるという単純論がある。 「では景気回復のために消費税率を下げる国がないのはなぜか?」と、かねてから疑問を呈しているのだが、これに答えられる反消費税論者にいまだにお目にかからない。 消費税1%分は、ざっくり 2.5兆円。 消費税を上げても、カネが消えるわけではない。政府がポンプの役目を果たして、日本国内でカネの回り方が変わるだけである。 いっぽう、原子力発電所を稼働させず、火力発電用に余分に天然ガスや石油を買うために、国外へ流出するカネ。 平成22年と25年を比べると、5兆円の増 (為替レート差も含む)。http://www.jri.co.jp/MediaLibrary/file/report/researchfocus/pdf/6752.pdf 消費税2%分、5兆円の国富が新たに国外流出している。(5兆円のうち若干は、われわれ総合商社が日本国内へ取り戻して株主に還元している。もし総合商社が国外で資源開発をせず、日本がまるまる外国企業から天然ガスや石油を買っていたら、さらに悲惨なことになったろう。) 消費税2%分の国富流出の割に、日本経済はびくともせぬように見えるから、反原発も健在だ。■わたしの疑問■ 「消費税2%分の国富流出」 が日本経済に与えるマイナス効果は、消費税を何%引き上げたマイナス効果に相当するのだろう。 たとえば消費税を5%から10%に上げたとき、引き上げられた消費税5%分のカネは消滅するわけではなく、政府がポンプ役になって日本国内を新たな形で巡るわけである。 福島原発用地内の地下水対策に膨大な費用をかけるとしても、そのカネだって消滅するわけではなく、東京電力がポンプ役になって日本国内を新たな形で巡るだけだ。 それと 「国富流出」 は根本的に異なる。国富流出こそは日本経済へのボディブローになる。 「消費税2%分の国富流出」 が日本経済に与えるマイナス効果は、消費税を何%引き上げたマイナス効果に相当するのか、わたしの疑問に誰か答えてくれないだろうか。* * * 「景気回復のために消費税率を下げる国がないのはなぜか?」と、かねての疑問を昨日の配信で書いたら、さっそく賢明な読者からメールが入った。 経済へのカンフル剤効果を狙って、消費税率を暫定的に引き下げた例がいくつかある。 それを示す3つのサイトをご教示いただいた。◆ 英国 VAT減税に消費拡大効果http://nna.jp/free_eu/news/20090414gbp002A.html 平成20年12月から13ヶ月の期間限定で付加価値税を17.5%から15%に引き下げたという話。下げても、15%だ。 日本並みに5%に引き下げたら景気はもっとよくなる? 上の和文サイトのモトネタと思われる BBC のサイトも発見した:http://news.bbc.co.uk/2/hi/business/7995850.stm その英国の後日談が JETRO のサイトにあった。以下のページの下のほう、「注2」 をご覧いただきたい:http://www.jetro.go.jp/world/europe/eu/qa/02/04A-000910≪英国では、景気後退に伴い、2008年12月1日から VAT標準税率を 17.5% から 15.0% に 引き下げましたが、2010年1月1日に 17.5%、2011年1月4日には 20%に変更されました。≫ 日本並みに5%に引き下げたら景気はもっとよくなる?◆ タイ VAT税率7%に据置きhttp://ameblo.jp/bangken/entry-11348091683.html タイでは平成4年に10%の付加価値税を導入したが、平成11年に暫定的に7%へと引き下げられた。理由は、経済危機への対応のため。 上の報道は、平成24年10月1日から平成26年9月30日までの2年間、付加価値税の税率が引き続き7%に据え置かれるというもの。 理由は、大洪水後の購買力アップと民間投資の促進。 一時的な引き下げのはずが、15年間も7%で据え置きだ。 日本並みに5%に引き下げたら景気はもっとよくなる?◆ EU 財務相会合: 付加価値税引き下げを容認http://www.bloomberg.co.jp/article/2009-03-11/aJwBsjhjhMNs.html 平成21年3月の記事である。≪欧州連合 (EU) 財務相会合は2009年3月10日、各国政府が付加価値税 (VAT) の税率を引き下げることを容認することで合意した。ただし、適用分野は外食産業や住宅改築などの労働集約型産業に限定される。≫ 景気回復というより、雇用促進のためのピンポイント的カンフル剤効果を狙ったもののようだ。 その EU だが、さきの JETRO のサイトの 「注1」 によれば≪欧州理事会は2015年12月31日までは加盟国の標準税率が最低15%以上であることを決定しています。≫ 日本並みに5%に引き下げたら景気はもっとよくなる?===▲ 後記 ▼ 5%だ、8%だ、10%だ……というのが、ほとんどオークション感覚でしか語られないのが、わたしには不満なのです。 もっと、人間の本性を見据えた上で、間接税と直接税の比率はどうあるのが望ましいのかといったオーソドックスな議論がもっとあってよいと思います。 税金の名のもとでの負担以外に、年金や医療のための社会保険料も負担しているわけですが、それらを合計した負担額の国際比較も見てみたいと思います。
Oct 8, 2013
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メールマガジンで9月17日に配信したコラムです。無料メールマガジンの登録は http://archive.mag2.com/0000063858/index.html でどうぞ! 今となってはお恥ずかしい限りだが、わたしは漫画 『はだしのゲン』 第1巻をエスペラントに訳して出版させた張本人である。 出版年は昭和57年。わたしは大学生だった。 「反核運動」 の名のもと、ソ連・中国の核には頬かむりした政治キャンペーンが盛り上がっていた頃である。思えば、日本の左翼の最後の光芒(こうぼう)であった。 懺悔話(ざんげばなし)をさせていただく。■ 通達を出すなら、もっとしたたかに ■ その前に、有名な松江市教育委員会による 『はだしのゲン』 閉架措置問題について論評しておこう。 報道に接したとき、松江市教育委の担当者は何と “善人” だろうかと思った。 『はだしのゲン』 だけ決め打ちで閉架あつかいにすれば、したたかな日教組が言論の自由を盾に必ず反撃してきて、こてんぱんにやられる。 「家庭内暴力をはじめ粗暴な暴力行為を繰り返し描いた視覚的作品は、児童への悪影響に鑑み閉架措置をとること」と、個々の書名を挙げずに通達を出せばよかった。 小・中学校の図書館には、手塚治虫作品も石森章太郎作品も置いてないはずだ。教材として編集された小学館の学習漫画シリーズを除き、漫画作品は原則として置かれていない。 それをかいくぐって、なぜか 『はだしのゲン』 が例外的に棚に並んでいること自体が異常であり、それを突いてもよかった。 「漫画作品は、教育用に編集された学習漫画を除き、学校図書館には置かないのが原則であり、これを徹底ねがいたい」と、しれっと通達を出せばよかった。■ 英語版を読んで ■ さて、懺悔話である。 わたしの大学生活はエスペラントに染め上げられた年月だった。 挙句の果てに、小学館 『日本大百科全書』 の 「エスペラント」 や 「ザメンホフ」 「国際語」 などの項目を執筆させてもらった。 こちらに関連記事があるので、興味のあるかたはどうぞ:http://plaza.rakuten.co.jp/yizumi/diary/201107240000/ 親不孝者のわたしは大学に6年間も行ってしまったのだが、その4年目の夏に冷房なしの下宿にこもって取り組んだのが 『はだしのゲン』 の英訳本“Barefoot Gen”をアンチョコにしながら行ったエスペラント訳の作業だった。 『はだしのゲン』 の英訳本が出た! と、当時愛読していた朝日新聞で大々的に報道され、大学生協に “Barefoot Gen” が平積みになった。 これを読んだ泉青年が 「エスペラント版を出してはどうか」 と、当時所属していた日本エスペラント学会編集部の会議後の飲み会で言い出すのに、さして時間はかからなかった。■ 人海戦術 ■ 編集部員のひとりであった東海林(しょうじ)敬子さんが「泉さんがエスペラント訳するなら、出版費用を募金し、グループ作業で出版までこぎつけましょう」と言ってくれた。 しゃれた字体の電動タイプライターをもっている人が、わたしのエスペラント訳をきれいにタイプする。 それを東海林さんがいろんな倍率で縮小・拡大コピーする。 東海林さん宅でのエスペラント学習会に集う主婦たちが、英語版の版下の吹き出しにうまく収まるように、セリフを切り貼りしていく。 わたしの年来の友人であった熊倉 一(まこと)さんが、擬音部分をエスペラントに置き換えるレタリング作業を引き受けてくれた。 人海戦術であった。■ もろもろの都合 ■ じつは原作の日本語版を読んだのは、エスペラント訳の作業を始めてからだった。 エスペラントは基本的にヨーロッパ言語なので、日本語からの翻訳は大変だが、英語からエスペラントへの翻訳はラクにできる。だから翻訳作業は英語版の “Barefoot Gen” をベースに行った。 しかしそれだけではシャクなので、原作の日本語版も見ながら、英語版が原文から離れているところは原作に近づける努力をした。 日本語版を読んで、英語版で洗い落とされていた 「ゲン」 の粗野さにはじめて触れ、うんざりしたのは事実である。今だから言うが、翻訳を止めたくなった。 ほんとは手塚治虫の 『火の鳥』 とか、藤子・F・不二雄の 『ドラえもん』 のエスペラント訳をしたかった。 しかし 「火の鳥」 や 「ドラえもん」 では募金でカネは集まるまい。反核運動の一環としての 「ゲン」 だから募金でカネが集まり、ひとも集まる。 日本のさまざまな漫画の外国語訳があふれる今日と異なり、当時は 「火の鳥」 も 「ドラえもん」 も英訳がなかった。 日本の縦書き漫画を横書き言語に移し替えるには、コマの順序を変えたり反転させたりする必要がある。英訳本のない漫画をエスペラントに置き換えるのは、素人ではとうていムリだった。 というわけで 『はだしのゲン』 のレールから外れるわけにはいかなかった。■ 緑の星 ■ というわけで、翻訳作業を始めた翌年の昭和57年に、エスペラント版 “Nudpieda Gen” が出版された。 ネット検索していたら、この本の表紙を掲載したサイトがあった:http://p.twipple.jp/P12In 表紙で V サインを出してわらうゲンの白シャツの左えりに、エスペラントのシンボルマークの緑の星がついている。これをつけたのは、わたしの発案である。原作者・中沢啓治さんの了解ももらって、わたしが星形を切り貼りした。 出版後の評判は上々で、かの朝日新聞など、わたしの顔写真入りで紹介記事を掲載してくれた。 ところが、オランダに本部がある世界エスペラント協会の機関誌に出た書評は、期待に大きく反して否定的なものだった。■ 「君は無責任な奴だ」 ■ Esperanto 誌の書評は 「子供に読ませることは奨めない」 というものだった。 作中に繰り返し登場する暴力シーン。 ゲンは父親の中岡大吉から何度もポカリポカリと殴られる。そのゲンも弟を殴る。街でも軍隊でも、暴力シーンが続く。 自分は子供にこの本を読ませたいとはとても思わない、と。 この書評を読んだときは大層心外だったが、あらためて本を読み返すと、たしかに暴力シーンが多いなと思った。昭和58年のことだ。 その後、あるエスペラントの催しで、横浜に住む論客からこう言われた。 「泉君、きみは 『はだしのゲン』 を全部読んだことがあるか? あれはひどい本だぞ」 「読んだのは第1巻だけです」 「なに? 10巻本の第1巻だけ読んで、翻訳したのか? 君は無責任な奴だな。第1巻の続きを読んでみなさい」 言われて続きを借りてきて、第2巻を読んで気持ちが悪くなった。 今まで誰にも言ってないことだが、第1巻のエスペラント版の翻訳者でありながら、第2巻の途中で気持ちが悪くなり、第3巻以降は読まずに返してしまった。 聞くところでは 「ゲン」 は後半に入ると反軍、反天皇のゆがんだ描写で大暴走するらしいが、そのはるか手前で わたしは下りてしまった。■ 何度も読んだ山場 ■ そういう次第で、『はだしのゲン』 は子供に読ませたい本ではない。読ませるとしても、中学生以上だろう。 第1巻のところどころに感動的シーンがあるのは確かである。 反戦を口にしては隣近所から白い目で見られる父・中岡大吉、そして中岡家。そんな中岡家を近所の白眼視から救おうと予科練に志願する長男・浩二を、父・大吉は頑として見送らない。 列車のなかで涙にくれる浩二。 ふと、車窓から外をみると、線路沿いの野原に立つ人影がある。 父・大吉が息子に大声で 「中岡浩二、万歳!」 を叫ぶ。 このシーンは第1巻の山場で、何度も何度も読んでは わたしも涙した。■ 天秤にかけてみる ■ 第1巻の最後では、父・大吉、姉・英子、弟・進次が、倒壊した自宅の下敷きとなり、燃え広がる焔のなかで死ぬ。救おうとして果たせず、無念の思いで火から逃げる身重の母・君江とゲン (元)。 原爆炸裂のその日、ゲンが母・君江から女児・友子をとりあげ、絶望のなかの希望の光を暗示しつつ第1巻は終わる。 それはそれで感動の物語ではあるのだけど、目に余る暴力表現の氾濫と天秤にかけて考えるべきだ。 世の中に良書は、たんとある。不勉強な日教組の諸君は知らないのかもしれないが。
Sep 17, 2013
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「モッタイナイ」の精神が世界的に称賛されたのは、いつのことだったろう。 いま日本でいちばんモッタイナイもの。それは再稼働を待つ原発である。 原発1基が動かず、代わりに火力発電所で石油や天然ガスを燃やすと、1日あたり、およそ2億円の余分な経費がかかる。安価なウラン燃料の代わりに、高価な石油や天然ガスを燃やすから。■ 原発1基で1日2億円 ■ きょう7月8日に、北海道から九州まで10基の原発の再稼働申請が出される。7月12日には、さらに九州の玄海原発2基の再稼働申請が加わり、合計12基となる。 審査するのは環境省原子力規制庁の80名の職員。「少なくとも半年程度かかる」と言っている (原子力規制庁・森本英香次長の5月31日記者会見発言)。 80名が3班に分かれての審査。審査作業が1日早まり12基の原発が1日早く再稼働するだけで、2億円×12基=24億円分の燃料費が節約できる。 その分だけ二酸化炭素の排出も減る。 海外の資源国へ支払う巨額のカネが国民経済へと回り、国民の福祉向上に役立ち、多くのいのちも救われるだろう。 6ヶ月かかるところを、環境省の80名に潤沢な残業代を支払って5ヶ月で審査が終わったとしよう。再稼働が30日、早まる。 24億円×30日 = 720億円 が、国民の福祉向上に役立つおカネとなる。 「時はカネなり」 を絵に描いたような世界だが、環境省にその認識があるだろうか。■ 環境省のおどろくべき視野の狭さ ■ 審査に手心を加えてくれなどと言っているのではない。環境省はいまや絶大な権力者なのだから、相応のコスト意識とスピード感をもって仕事をしてほしい、ということだ。 「環境省原子力規制委員会の使命は、環境と生命を守ることに特化すべきであり、それ以外の要素を規制委員会が考慮することはない」とは、環境省原子力規制庁の森田 深 統括管理官の発言だ (電気新聞、平成25年6月11日報道)。 6月7日の敦賀市原子力発電所懇談会で、敦賀原発の廃炉を憂慮する敦賀商工会議所会頭が「地元経済は疲弊、困惑している」と発言したのに答えて森田統括管理官が述べた発言だが、環境省がそういう視野の狭い考え方で仕事をしてもらっては、皆が迷惑する。■ 「バース党排除」の論理 ■ フセイン後のイラクの占領統治が米国主導で行われたとき、大混乱に陥った。 官僚・職員がこぞってフセイン傘下のバース党に所属していたイラクで、占領統治は「バース党の排除」を旨として行われた。その結果、経験ある官僚・職員が軒並み排除されてしまい、イラク統治は大混乱となった。 同じことが、いま日本の原子力行政でも起きている。 従来、原子力に携わってきた経産省資源エネ庁や文部科学省の官僚・職員が排除され、しがらみがない (=素人の) 環境省の官僚・職員がこれにあたる。 かなうことなら名乗り出て、わたしも環境省で再稼働申請書類の読み込み・整理作業に加わりたいものだが。1ヶ月頑張れば、原発2基の再稼働を1日早めて、生涯賃金分くらいは日本経済に貢献できそうな気がする。■ 増員は来年4月以降だよ ■ 再稼働申請の審査時期が来ることは、昨年度から当然わかっていた。 だったら人数を増やしておけばいいのに、たった80名が今日から12万ページの再稼働申請書類と格闘する (原発1基分の申請書類が1万ページという)。 80名の仕事の仕上げを1日早めるだけで国民経済が24億円もトクをするとなれば、常識ある民間企業なら非常措置で追加人員をかき集めるだろう。 しかし環境省はどこまでも絵に描いたようなお役所仕事だ。≪今年度は80人であたるが、来年度は2倍以上に増やす。経験者や新卒の採用を進めるとともに、他省庁の審査経験者などを募る。≫(日本経済新聞、平成25年6月22日5面) 来年3月末までは、テコでも増員はしないらしい。 ああ、モッタイナイ……と思うわたしって、間違ってますかね。 繰り返しになるが、審査に手心を加えよとは言っていない。厳格な審査も、急ぎようはあると言っているのである。
Jul 8, 2013
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中学生のころ、弁論大会で 「僕」 を使ったら、先生から 「わたし」 と言うよう注意された。自分のことを 「わたし」 というなんて “自分らしく” ないと思い、反発した。何が何でも 「僕」 です、と幼くたてついたので予選で落ちた。外向けに文章を書きだして、一人称に何をつかうかは常にだいじなポイントだ。配信コラムでは、「コラム子(し)が思うに…」 などと、「コラム子」 と自称した。数年前から、「わたし」 に変えた。ブログに書くときは、文章によって 「わたし」 と 「ぼく」 と 「俺」 を使い分ける。ふつうモードは 「わたし」。つぶやきモードは 「ぼく」。ごくまれに、演じて書くときに「俺」 となる。「ぼく」 「僕」 は、辞書にも ≪今は、同輩・目下の人に対して用いる≫ (新潮現代国語辞典)とある通り、公で使えば傲慢のリスクがある。すくなくとも、公の謝罪で使うことばではない。*≪今回の僕の態度振る舞いによって、皆さんには多大なご負担をおかけすることになりますが、日本を変えるために、力を合わせて戦に勝ちましょう。≫東京都議選、日本維新の会の新人候補に橋下氏の名で届いた謝罪コメントとして、平成25年6月21日の産経新聞31面に引用されていた。破壊者として盛り上がる言説では、「僕」 を使うがよろしかろうが、謝罪のフリをするときに 「僕」 はないだろう。「ご負担をおかけすることになります」 と “未来形” 表現になっているが、候補者にとって 「ご負担」 は切なる “現在進行形” だ。この意識のギャップに気がつくことができない傲慢。それを直すだけの能力をもつ側近を欠く、陣営の貧弱。それが、権力者・橋下徹氏を非常識に導く。言っていることが 「正しい」 かどうか以前に、座標軸がおかしいわけだ。「正しい」 ことを言うだけなら、日本共産党だって正しいことを多々言っている。座標軸がおかしいから、ダメなのだ。
Jun 21, 2013
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「活断層」 を理由に環境省原子力規制委が今回決めたこと。平たく言えば、こうだ。「今後は敦賀原発2号機の再稼働審査は門前払いだ。原発の直下に活断層が “無い” ことを事業者側が証明しない限り」。理不尽だと思う。一般紙では報道されないが、海外専門家の調査では原子力規制委と異なる見解が示されている。(「D-1」 の位置などは、一般紙でも図解があるので、そちらを参照いただきたい。)『電気新聞』 平成25年5月22日1面≪敦賀、活断層判断できず 原電調査、第三者が評価日本原子力発電の敦賀発電所2号機直下にある破砕帯 「D-1」 の評価に関し、地質学や地震工学などの専門家で構成される2つのレビューグループは5月21日、原電が現時点まで蓄積したデータを踏まえると、破砕帯は活断層とは判断できないとする見解を出した。原子力規制委員会の有識者会合は先週、破砕帯は活断層との判断を下したが、レビュー組織の専門家は、判断するには 「情報が足りない」 (GNSサイエンス社のケルビン・ベリーマン氏) と指摘。断層調査の継続によるデータの一層の蓄積が必要との認識を示した。レビューグループは、ノルウェーのコンサルティング会社であるスキャンドパワーが組織する 「TRM」 と、英国やニュージーランドなどの専門家が加わる 「IRG」。2つのグループに所属する3人の専門家が都内で5月21日、レビューの中間結果を発表した。原子力規制委員会の有識者会合の議論で焦点となったD-1破砕帯の活動性について、IRGに所属するベリーマン氏は、D-1トレンチで見つかった約12万~13万年前のものとされる美浜テフラを含む地層に 「全く断裂が見られない」 と指摘。「近くの浦底断層は何度も動いていたが、(D-1破砕帯に) 副次的な活動性がないことが示された」 などと話した上で 「現時点で活断層という証拠は一切ない」 と結論付けた。このほか、TRMに所属する確率論的リスク評価 (PRA) が専門のウッディー・エプシュタイン氏と、奥村晃史・広島大学教授 (地質学) もそれぞれ意見を述べた。奥村氏は「現在までのデータに基づけば、原電のロジックは正しい」と話した。原電は敦賀破砕帯について海外の専門家からも幅広い意見を聞き、6月末にまとめる報告書に見解を反映させるために2グループにレビューを依頼。専門家らは会合や敦賀発電所の視察を通じ、原電のデータを詳細に検証してきた。≫これに対して、環境省原子力規制庁の官僚は 「黙殺」 の姿勢だ。『日本経済新聞』 平成25年5月22日5面≪規制委の事務局である原子力規制庁の森本英香次長は5月21日の会見で、原電が依頼した海外専門家による第三者評価が 「議論に影響することはない」 と説明した。≫かりに逆のことが起きたならと考える。原発行政にたずさわる経産省資源エネ庁の官僚が専門家意見をいけしゃあしゃあと黙殺したら、一般紙はこれを血祭りにあげるはずだが。環境省原子力規制委と規制庁は、敦賀2号機の活断層問題の判断をなぜこうまで拙速に行うのか。≪そもそも規制委は自前で調査も行わず、肝心のデータをすべて事業者に頼る。にもかかわらず調査未了のまま審議を打ち切り、事業者の主張を「データ不足」とはねつけた。データがそろった段階で会合を開き、結論を出すのが筋だろう。≫ (電気新聞、平成25年5月16日1面、解説記事)環境省のやり方は、おかしい。わたしが直観的に推測するのは、反原発官僚が自らの人事異動ないし退任前に何としても敦賀原発2号機にフタをしようとしている図式。「無いこと」 を証明させようとする現行ルールも、おかしい。≪もう一つの疑問は 「活断層でないこと」 の立証責任をすべて事業者に押し付ける現行ルールの正当性だ。あらゆる可能性が存在する自然科学の世界で、「ないこと」 を証明するのは難しく、事業者にとって極めて高いハードルになっている。一方の規制側は、あまたある可能性の一つを示唆するだけで事業者を断罪できる。世界でも類をみないこのアンフェアな議論をどこまで続けるのか。≫ (電気新聞、平成25年5月16日1面、解説記事)電気新聞の言っていることが正論だ。もっとも、環境省にデータ調査を行うところまで義務付けると、環境省はこれさいわいと調査を引き伸ばし、いつまで経っても結論を出すまい。ひたすら経産官僚憎しの、環境官僚のサボタージュである。
May 23, 2013
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メールマガジンで配信したコラムです。無料メールマガジンの登録は http://archive.mag2.com/0000063858/index.html でどうぞ! わたしの勤務先の職場でも、十数メートル離れたところにいる同僚らが、国内の太陽光発電事業を担当していて、あちこち出張で飛び回っている。 太陽光発電の電力は、1キロワット時あたり 「40円+消費税」 で20年にわたり電力会社が買い取ってくれる。だからビジネスになる。 一般家庭の電気代は1キロワット時が20円台の前半だから、電力会社にとっては完全な逆ザヤだ。もちろん、電力会社が黙って損をかぶるわけはなく、ツケはやがて消費者へ回される。 高コストの電力は、景気にはマイナス要因だ。商社として太陽光発電でショボショボ儲けたとしても、景気を悪くしては元も子もない。■ 開発途上の技術 ■ 1キロワット時あたり 「40円+消費税」 という買取価格が去年発表されたときにはビックリした。 あまりに高い。事業者にここまで儲けさせてよいのかと。 世界的な相場は、1キロワット時あたり30円そこそこだ。だから、政府が決める固定価格も30円台の前半だろうというのが大方の予想だったのだが。 わたしの勤務先がやるかどうかは別として、中国製の安い太陽光パネルを使えば30円台の前半でもビジネスとして成り立つはずだった。 太陽光発電は、まだまだ開発途上の技術である。 昨年12月に 「次世代太陽光発電」 のシンポジウムが横浜で行われ、わたしも傍聴したのだが、その副題にいわく ≪発電コスト14円/kWh の太陽光発電技術の普及に向けて≫ 7年後の2020年に、1キロワット時あたり14円の発電コストを実現しようというわけだ。業界としては、2030年に1キロワット時あたり7円を目指している。 原料となるシリコン。いまは 100%輸入品であり、うち80%は中国からの輸入だ。 国産のシリカ(二酸化珪素)が使えれば原料輸入に頼らなくて済む。国富の流出が防げる。そういう技術も懸命に開発中という。■ 未来にツケと悔いを残すな ■ 太陽光パネルは20~30年にわたって使われる。現在の遅れた技術に基づく高価格のパネルを、今日ただ今 何を焦って国じゅうに敷こうとするのか。 7年待って2020年あたりから、国産シリカを原料にした低価格のパネルを一気に普及させるほうが、国民経済にとってプラスではないか。 2020年になって、後悔したくない。そのときになって、7年前の2013年に敷きつめた高コストの太陽光パネルをにらみつけ、2013年に結んだ理不尽な電力買取契約を恨みに思っても、詮ない話だ。 未来に悔いを残さぬよう、いますぐ軌道修正すべきである。国民経済の限りある資金を投じる先は当分のあいだ、技術開発に絞るべきだ。■ 太陽光発電事業はローテク ■ いまの技術による太陽光発電は、もはやハイテクではない。ローテクだ。 太陽光発電の電力を高く買い取らせますと政府が音頭取りをしても、国産のパネルは中国製に価格で太刀打ちできない。週刊誌に叩かれてもヘッチャラの事業者は、中国製パネルを使う。 土建・据付け。まちの工務店でやれるローテクの土建である。 太陽光発電には広大な土地が必要だ。借地料もコストを左右する。 再生可能エネルギーといったところで、ハイテクの要素は少ない。潤うのは、工務店と地主と素人事業者ではないか。いまの太陽光発電事業をあり姿のままに支援しても、ハイテク支援の要素はとぼしい。 1キロワット時あたり40円+消費税の20年間据置き価格は、未来の世代にツケだけ回す捨てガネだと思う。■ 社会が納得する 「35円+消費税」 ■ 日本経済新聞の1月19日の1面報道記事を読んで、暗い気持ちになった。 経済産業省は、いまの割高な長期買取価格を平成25年度の契約分についても引き続き適用する方針でいるらしい。2月中に本決まりとなる。(ここで解説をしておこう。平成24年7月に始まった制度では、ひとまず平成24年度のうちに成立した太陽光発電プロジェクトには、1キロワット時あたり42円を20年にわたり認める。長期据置価格はプロジェクト成立年度ごとに見直すことになっていて、平成25年度に成立するプロジェクトについては、適用価格は未定とされてきた。) そもそも再生可能エネルギーの固定価格買取制度から、太陽光発電だけ外してしまえばいい、というのがわたしの本心だ。太陽光発電はコスト高で、技術も未熟だから。 しかし、現実社会ではさすがにそれだけでは通るまい。社会が納得する現実的なタマとして提案したいのが、1キロワット時あたり35円+消費税という買取価格レベル。 (わたしの本心としては 「33円+消費税」 あたりでもいいと思うが。)■ 税制を変えて休耕地でやればいい ■ 40円を35円に引き下げる条件として、提案したいことがある。休耕地となっている農地で、太陽光発電を行うことを認めるのである。 現行のルールでは発電事業は 「工業」 にあたるので、農地で太陽光発電を行うと固定資産税が跳ね上がる。農地として支払う固定資産税が、工業用地の固定資産税へと変わるからだ。 経産省・農水省・財務省の間で調整を進めてほしい。休耕地で太陽光発電を行うときには、農地としての固定資産税のままでよいことにしてはどうか。 その代わり、減反などの名目で与えている補助金は無しとする。 要は、すべてを簡素化する。すると、解が見つかる。 太陽光発電には複雑なノウハウは要らない。米や蜜柑を作るよりずっと単純だ。 農家が遊ばせている土地で、かつかつの利益が出ればそれでいいではないか。
Jan 22, 2013
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メールマガジンで配信したコラムです。無料メールマガジンの登録は http://archive.mag2.com/0000063858/index.html でどうぞ! 勤務先の商社の職場でよく使う表現に 「椅子から転げ落ちそうになる」 というのがある。【用例】「おまえのメール読んだら、税制が変わって来年は4割減収だって? 椅子から転げ落ちそうになったよ」【意味】ひどく驚くさま。 東京新聞 (=中日新聞の首都圏版) の元旦社説を読んで、椅子から転げ落ちそうになった。■ 無欲でなく大欲を説いた石橋湛山だが ■≪満州事変から熱狂の十五年戦争をへて日本は破局に至りました。三百万の多すぎる犠牲者を伴ってでした。湛山の非武装、非侵略の精神は日本国憲法の九条の戦争放棄に引き継がれたといえます。≫と、東京新聞は書く。 「日本国憲法制定以前に非武装を唱えていた論者」 という汚名を着せられ、あの世の石橋湛山(たんざん)翁(おう)もさぞやお怒りだろう。 36歳の石橋湛山は、大正10年7月の 『東洋経済新報』 社説にこう書いている。湛山の真骨頂。少し長いが引用する。≪吾輩は今の世界において独り日本に、欲なかれとは註文せぬ。人汝の右の頬打たば、また他の頬をも廻して、これに向けよとはいわぬ。否(いな)、古来の皮相なる観察者によって無欲を説けりと誤解せられた幾多の大思想家も実は決して無欲を説いたのではない。 彼らはただ大欲を説いたのだ、大欲を満たすがために、小欲を棄てよと教えたのだ。 さればこそ仏者の 「空」 は 「無」 にあらず、無量の性功徳を円満具足するの相を指すなりと言わるるのだ。 しかるに我が国民には、その大欲がない。朝鮮や、台湾、支那、満州、またはシベリヤ、樺太等の少しばかりの土地や、財産に目をくれて、その保護やら取り込みに汲々としておる。従って積極的に世界大に、策動するの余裕がない。≫ バランスのとれた正論である。とても 「非武装」 論者の説とは読めない。 わたしなど「中国への長期投資は控えて、基幹部品・素材の輸出に特化せよ。投資したければ、中国にこだわらず広く世界に目を向けよ」と言い続けているのですがね、まさしく湛山流の大欲を説き続けていたわけですね。■ 「無軍備を誇るのは迷信」 ■ 日本国憲法制定後も、石橋湛山は健全な批判精神を保ち続けた。ウィキペディアからの引用になるが、≪(湛山は)私的に記した日記の中でも、1950年の記述で、「今日の世界において無軍備を誇るのは、病気に満ちた社会において医薬を排斥する或種の迷信」 と非武装中立の主張を公的な発言以上に辛辣に評してもいる。 1953年の総選挙では、鳩山自由党の政策委員長として政策をまとめて「憲法を国情に適するように改正」「戦争否定の精神は国策として存置するが、戦争発生防止のため自衛軍を組織する」などを明記した。≫ この湛山のどこが 「非武装」 論者であろうか。 東京新聞・中日新聞の勉強不足は 「熱狂の十五年戦争」 という形容にも明らかだ。日本史をまともに勉強したなら、満州事変から敗戦に至る時代を 「熱狂の」 とは形容できまい。 それはむしろ、指針のない、苦渋と混迷の15年だった。 ■ 混迷なき時代が求める長期安定政権 ■ それに比べて平成25年は、国の課題と向かうべき方向が極めて明確な、混迷なき時代と言える。わたし流にいえば、「GHQなき昭和21年」 と形容したいくらいだ。 国民のいのちと暮らしを守るために、国力を高める。 経済停滞を招いた日銀主導のインフレゼロ路線を捨てる。 ボロが出始めた老朽インフラの更新を、ムダを抑えつつ実現する。 「原発が止まるとホントに電気代って上がっちゃうのね」 「大規模な太陽光発電所を作っても、けっきょく電気代が上がるだけだな」 そういう当たり前のことに、ようやく過半数の国民が気づきだした。 「尖閣諸島を中国へ明け渡せば万事解決するなんてレベルの問題ではないらしい」という、当たり前のことに気づく国民も増えてきた。 とどまることを知らない軍国主義中国を抑え込むには、米国・豪州・東南アジア・インドと連携した 「自由と繁栄の弧」 (麻生太郎外相の提唱) が欠かせないことも実感される時代になった。 こういう基本的認識で一致しているのが、日経・読売・産経の社説である。そのうえで読売・産経は、安倍政権が参院でも過半数を確保して長期安定政権を実現することに期待している。■ 自社の混迷をさしおいて ■ 朝日新聞の主張に沿いつつ政治を行った民主党政権の失態。 とりわけ鳩山由紀夫首相は、朝日新聞の臭いがぷんぷんするひとだった。現実無視がその場かぎりの言動につながり、普通人には 「嘘つき」 に見えた。 それでも鳩山首相を liar と呼んでは国際問題になるから、米国人も loopy (うすらバカ) と呼んで武士の情けを示した。 総選挙の大敗を受けて、さぞや社内も混迷していることであろうと思ったら、さすが朝日である。混迷しているのは社内ではなく、「時代」 なのだそうだ。≪混迷の時代の年頭に 「日本を考える」を考える≫と来た。 課題も打開策もクリアなこの時代を、かってに 「混迷」 呼ばわりしないでほしいものだが、朝日は言う。≪こう問うてみたい。私たちが抱える、うんざりするような問題の数々は、「日本は」 と国を主語にして考えて、答えが見つかるようなものなのか、と。≫■ 「国」という枠組みを利用する ■ 世の中の成果も問題も、日本国の中央政府が主語であることは確かにそれほど多くない。 経済の活性化は、数多くの私企業の決断と頑張りにかかっている。文化の振興は、こころざし高い藝術家やプロデューサーの意気に負う。 では、私企業や藝術家の頑張りに、ふつうの国民がどうすれば関わっていけるだろうか。 国民が声をあげ手をさしのべるには、やはり 「国」 という枠組みを利用するのである。そのために国家は存在する。 国民の意思を代表する 「国家」 という広場を通じて、私企業や藝術家が力を存分に発揮できる世の中にしたいと、そう願う。 だから我々普通人は、「日本は」 と国を主語にして答えを見つけようとするのである。■ 「公船の派遣」? ■ 小朝日と定評のある毎日新聞。≪力による現状変更を仕掛けてきているのは明らかに中国側であり、日本はあくまで対話と法理で問題解決を図ろうとしている。こういった日本の立場と主張を、アジア諸国を中心に世界に対し粘り強く丁寧に説明し、理解を得て仲間を作る。決して孤立化しないことだ。≫ 小朝日にしては、まともな主張である。しかし次の一節は、たちまち甘ちゃんだ。≪まずは、強硬路線の悪循環を排し現状維持の緊張に耐え抜くことだ。そして、対話と妥協の機をうかがう。例えば、中国は公船の派遣をやめる。日本も外交問題はあることまでは認め、話し合いのテーブルにつく。≫ 「公船の派遣」 という一節を読んで、何を言っているのかしばらく分からなかった。 あぁ、「海洋監視船による領海侵犯」 のことか。 領海侵犯を称して 「公船の派遣」 ですか。やはり毎日新聞は中華共和国の新聞か。 領空侵犯も、「政府航空機の派遣」 と呼ぶのだろうね。 領土問題があるとまでは認めず、しかし 「外交問題」 はあると認めれば話し合いは始められる、というのが毎日新聞の主張だ。 たしかに中国共産党はそれを望んでいる。 しかし日本は諸外国を味方につけながら、中国に対して門前払いを貫くしかないのである。 ん? いつまでも門前払いしている場合かというあなた! 待ってました。いますぐ百万円、わたしにください。 少なくとも、わたしと話し合いの席についてください! 門前払いはなし、でしたよね。授業料、いただきます!
Jan 2, 2013
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幼少のころからテレビを見て50年余、これほど嫌いなCMは他にない。「三菱地所を、見に行こう」 という、桜庭(さくらば)ななみさん主演CMだが、シナリオがあまりに不自然で、ひとをバカにしている。たとえばその 「拡がり篇」 (30秒もの) は、こんなふう。若い男と女の喫茶店での会話。女は桜庭ななみさんが演じている。CMはこちらで見られる:http://www.youtube.com/watch?v=DWx0LoihdQo男 「こんどの土曜、どうしてる?」女 (不愛想に) 「三菱地所ッ!」男 「じゃ、日曜は?」女 (嘲笑っぽく) 「三菱地所ッ!」男 「ぼくと三菱地所のどっちが好きなの?」女 「ごめん」男 「え~」<ここから、女がバックグラウンドで歌いだす>♪ だっていつもそばにあるんだから、三菱地所を~ 見に行こ~~ いろんな街へ~ 見に行こ~~ 三菱地所を~ 見に行こ~~<別のナレーションの声>あなたのそばで三菱地所の街づくりが拡がっています<女の歌ふたたび>♪ いろんな街へ~ 見に行こ~~こんな性格不美人、振っちゃえよ!! こんな女に比べれば、どんなドブスでもまだましだ。どこのバカが考えたのだろう、この不自然なシナリオは。このCMが流れ始めると、他のチャンネルに即、切り替える。好感度ゼロ、いや、マイナス無限大だ。もしぼくがマンションや協業先をこれから選ぼうとしていたら、三菱地所は即、候補から外すね。べつに桜庭ななみさんを批判しているわけではない。CM前半の不自然なやりとりのない、歌だけの15秒ものCMはふつうである。親しい (はずの) 友人に、「三菱地所ッ!」 と言い続ける性格不美人を演じさせられた桜庭ななみさんこそ、被害者というべきだ。彼女のマネージャーは、このCMの仕事を蹴るべきだったと思うね。
Nov 13, 2012
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3月29日に死刑囚3名の刑執行が行われた。死刑執行の再開をわたしは支持する。代案は、刑法に 「無期懲役」 でなく 「終身刑」 を導入することだが、死刑ではなく終身刑とするためにどれほどカネがかかるか議論して国会で決めてもらいたい。事務方が検討を重ねて準備した死刑執行の命令書に今回ようやく署名した小川敏夫法相の判断はまっとうで、その点はおおいに評価するのだけれど、同日法務省で行われた記者会見の発言には違和感がある。産経新聞3月30日付31面によれば、小川敏夫法相の発言として「刑罰権は国民にあると思っている。世論調査でも死刑は大半の国民が支持しており、裁判員裁判でも死刑が支持されている」とある。すっと読んでしまいそうになるが、じつは恐ろしいことを言っている。もし 「国民」 に刑罰権があるのなら、わたしが小沢一郎氏に対して刑罰を下す権利も存在するか?天誅!だって、わたしも 「国民」 だから。「国民に刑罰権がある」 状態とは、どんな具合か。徳川時代に、仇討(あだう)ちが法制化されていましたな。そういう状態を指す。近代法制ではもはや仇討ちは認められない。「国民」 が一時的に持っていた 「仇討ち」 という刑罰権を、国家が取り上げたわけだ。国民にはもはや刑罰権はない。国民は刑罰権を国家に対して厳粛に信託したのである。刑罰権は、国家の独占物であり、だからこそ国家はこれを厳粛に扱わなければならない。小川敏夫法相に 「刑罰権は国民にあると思っている」 と言わせた法務官僚は、そういう基礎の基礎がわかっていないようだ。法務官僚は、国家として議論の矢おもてに立ちたくないものだから、「刑罰権は国民にある」と法相に言わせて議論を煙に巻こうとした。この不誠実はゆるせない。
Mar 31, 2012
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組織とは、バラバラの現実を偽善という糊でくっつけ合わせたものかもしれないが。とにかく会社にいてこの歳になると 「偽善」 というものにあきあきしていて、偽善の臭いを嗅ぐと心がさわぐ。金属ナトリウムに水をかけたようになる。横浜市営地下鉄が、全国で唯一、「全席優先席」 という看板をかかげているらしい。平成15年12月以来。ところが老人や妊婦さんから「席を譲ってもらえないじゃないの」という苦情があり、今年平成24年夏に 「最優先席」 (仮称) を設けるそうだ。そのための導入準備費用が約400万円だとさ。横浜市交通局が平成24年度予算案に計上した。日本経済新聞の3月6日夕刊14面に報道記事が出ていた。8年前に 「全席優先席」 なるものを発想した横浜市交通局の人物はおそらく 「べき論」 好きのとんでもない坊ちゃまだ。メリハリというものを知らない、現実から遊離した、宇宙人みたいなひとだろう。全席優先席というスローガンは、つまるところ「からだの弱いひとには席を譲りましょう」とモラルを説くポスターを駅構内に貼りまくるのと同じだ。車掌にうるさい車内マナーアナウンスをさせているのかもしれないが。優先席というのは、携帯電話の電源を切るエリアであり、ふつうに元気な乗客に坐るとき一抹のためらいを与えるエリア。そういうメリハリが必要なのが世の中の現実だ。で、けっきょく横浜市交通局も優先席を設けることにしたわけだが、振り上げたこぶしの下ろしどころとして 「優先席」 では具合がわるいのか、「最優先席」 という名前にするんだとさ。ほかの席も依然として 「優先席」 なのです、ということらしい。まつわりついてくるようなネチっこい偽善を感じる。偽善が組織をふりまわす。おそらく 「全席優先席」 というスローガンが非現実的なきれいごとであることは組織のなかでもささやかれつつ、これを言い出したエライひとが消えてくれるまで看板を下ろせなかったんだろうね。そういうイヤらしい構図が見え見えなんだな。
Mar 16, 2012
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「警鐘」 と 「現実」平成元年~23年のIPCCの予測値に対する、地球表面温度上昇の実際値IPCC (Intergovernmental Panel on Climate Change 気候変動に関する政府間パネル) は、地球温暖化が急速に進むであろうと予測値を発表してきた。しかし現実の温度上昇はそれを大幅に下回るものだったではないかと、各界の科学者16名が連名で問題提起した 『ウォールストリート・ジャーナル』 紙、平成24年2月21日号掲載のグラフ。
Mar 4, 2012
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国土交通省が、国営公園の落ち葉や枯れ枝を蒸してガスを発生させ、それをつかってガスタービンを回して発電する実験をするという。日本経済新聞、平成24年1月17日夕刊1面の記事。見出しは≪落ち葉や枯れ枝で発電 公園に災害用電源 国交省、実用化へ試験≫。「落ち葉や枯れ枝を蒸す」 というが、これは 「蒸し焼きにして木炭ガスを出させる」 ということだろうか。あるいは 「蒸気で蒸して発酵させてメタンガスを出させる」 ということだろうか。いずれにせよ、その熱源をどうするかが問題だ。停電中にこれを行うのが前提だから、大量の石油を燃やすのだろう。国営公園内で ?!牧場の牛の糞を集めてタンクでメタンガスを発生させ、ガスエンジンの燃料として使って発電するシステムは実用化されている。糞は発酵しやすいが、それでもメタンガスを得られるまでに1週間かかる。災害が起きるのが晩秋ならいいが、春や夏には落ち葉も枯れ枝もない。落ち葉や枯れ枝を保管する大型のサイロが必要だ。素人は、「燃料は落ち葉や枯れ枝だからタダだし…」 などと考える。太陽光も風もタダだが、太陽光発電や風力発電のコストが高いのはご存知のとおり。落ち葉や枯れ枝を蒸し焼きにしたり、蒸気で蒸して発酵させたりして、ガスタービンを回せるだけの高品質のガスを製造する設備は、レアな特注品だ。しかも国営公園内に設置するのだから、きわめて高性能の環境装置をつけなければならない。目の飛び出るような高級設備で、税金のムダづかいここに極まれり。実用化は相当に困難だ。さしずめ業者は実験プラントを言い値で売り込めばそれでよいという考えでは?そもそも国営公園内でガスタービン発電を行うことが許されるのだろうか。そういうことが許されないのが公園地区ではないのか。国交省は、運動家と結託した業者に騙されているのかもしれない。日経記事の本文は以下のとおり:≪国土交通省は災害が発生した場合の非常時電源として、落ち葉や枯れ枝を燃料にした発電設備を大規模公園に設置する。地震などのときに避難場所となる公園で、停電が起きても救護活動に支障が生じない電力供給設備を整える。まず2012年度中に国営公園で試験を始め、全国に広げる考えだ。全国に17ある国営公園から1~2ヵ所を選んで試験運転する。設置するのは落ち葉や枯れ枝、雑草を蒸してガスを発生させ、タービンを回し発電する設備。均質ではない燃料に対しても発電効率の高い設備を目指す。企業と協力、1年ほどかけて試験し実用化する。発電した電気は普段は公園内の照明などに使い、災害時に停電した場合は被災者への救援護活動に使う。同省の試算によると、広さが約165万平方メートルの昭和記念公園 (東京都立川市、昭島市) の場合、年間の必要電力の1割程度を賄えるとの試算結果を得たという。雑草や落ち葉を燃料にして植物ごみの量を減らす狙いもある。国交省によると、全国で年間200万トン程度発生している公園や街路樹の植物ごみのうち、肥料などに利用されるのはわずかで大半は焼却処分されている。公園に発電施設を置く自治体向けの指針づくりも進める。植物ごみの収集方法や効率的な発電方法といった情報を提供し、全国の避難公園での普及を後押しする。≫新聞記事を再読するに、4月1日のエプリルフール記事のように思えてならない。
Jan 17, 2012
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自分を引き上げてくれた上のヒトを守ろうとする連鎖だなぁ。役員になるかならないかで生涯賃金は雲泥の差だから、役員に引き上げてくれたヒトの言うことは 「はい、はい」 と言って聞いてしまうわけです。大学の体育会にいたようなヒトが会社で重宝されるのは、「先輩は絶対だ」 という価値観を叩き込まれているからですね。ぼくとは対極にありますな。ぼくの場合、社内で 上 の ヒ ト と付き合うときは基本的にまず相手を心のなかでバカにするところから出発しておりましてね。出発点が 「マイナス」 なわけです。経験的に、それが当たっていることが多いもので。もちろん、それを裏切るようなほんとに立派な上のヒトもいるわけでして、そういう 「いい面」 が見えたところで評価を上げていくというのが、ぼくの 「上のヒトとの付き合い方」 です。なんでそうなっちゃったのかな。かつて、上のヒトの言うがままに働くことでタイヘンなストレスを感じて、働けば働くほどもっと働かされて一向にラクにならなかった末に、脳が自己防衛に打って出たのでしょう。ぼく流の人間がオリンパスの歴代役員のなかにいたとしたら、自分の上のヒトのそのまた上のヒトのやったことを “刺 す” ことを いとわなかったでしょうが、まぁ、ぼくみたいな人間は会社組織ではふつう傍流に流れてしまいます。だから自己浄化が働かないのですね。オリンパスの病根は情実人事の連鎖だろうと思いますが、そういう病根はたいていの企業にあるはずだ。それにしても、オリンパスが企業買収のために払ったアドバイザーへの手数料は本来あるべき金額より2桁デカい。ぱっと見、警察が動いてもいい金額だ。これを放置した監査のあり方は犯罪的だ。
Nov 10, 2011
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ぼくの指紋は警視庁に登録されている。べつに悪いことをしたわけではなく、外国籍であるわけでもなく、そのむかし新宿区早稲田の日本エスペラント学会に泥棒が入った翌日に、捜査への協力のためにぼくの指紋も提供したわけである。30年も前の話。学生時分は日本エスペラント学会事務局に入りびたっていたからね。指紋の登録があると何がいいかというと、ぼくが遺体として発見されたときに、身元確認の役に立つ。わが国が専制国家となったとき、邪魔者になったぼくを冤罪で陥れるため、いずれかの犯罪現場にぼくの指紋をプリントして残すために指紋登録情報が悪用される、なんてことはあるかな。ハハハ。国家がそこまで堕落したら、そんな藝の細かいことはしないよ。*タイでは15歳以上の国民は指紋を登録する制度になっていて、おかげで平成16年のスマトラ沖地震後の津波による遺体のうち約4千体の身元を突き止めることができたという。4千体?数字の桁数に違和感があったが、ネットで調べたら平成16年のあの大津波の被災者は死者約22万人、行方不明者 (=死者) 7万7千名にのぼっていた。東日本大震災を1桁上回る災害だったことを忘れていた自分を恥じた。タイの遺体の身元確認の話は、日本経済新聞 平成23 年10月23日21面 (読書面) の戸島国雄 著 『タイに渡った鑑識捜査官』 (並木書房) の紹介記事で読んだ。それによれば≪04年のスマトラ沖地震による大津波発生直後、(著者・戸島さんは) 部下たちと共に被災地に入り、3ヶ月にわたって遺体の身元確認にあたった。損傷の激しい遺体の指から指紋を採取。タイでは15歳以上の国民の指紋が登録されており、約4千人の身元を突き止めることができた。東日本大震災が起きた今年。震災直後の状況を知り「日本でも、希望者だけでも指紋を登録できるようにすべきだ」と (著者・戸島さんは) 強く感じている。≫たまたまぼくの指紋は警視庁に登録されているが、もし任意登録の制度ができたら、ぼくは登録を希望するだろう。ぼくがぼくであることを国家によって証明してもらえるように、DNA情報とか瞳孔データ、掌の静脈データなども積極的に登録するだろう。日本の国家機関を、そのていどには信用しているのでね。というか、日本の国家機関は根っから愚直な存在だと思っているので。
Oct 29, 2011
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32型のテレビが4万円。3年前は10万円だったのが。はたして4万円で、運送賃が出るのだろうかと心配する。テレビの値段は、オートバイと比べられるべきものだろうに、いまや自転車と比べたほうがいいだろう。2万円の自転車と2万円のテレビを並べて、同じ価値だと言われたら絶句してしまいそうだ。部品の数も質も、テレビのほうがはるかに上だろうに。2万円のテレビと、指圧マッサージ4回分が同じ価値?。2万円のテレビと、新刊の小説12冊が同じ価値?2万円のテレビと、新聞5ヶ月分が同じ価値?値段とは、価値とは、いったい何だろう。女性ひとりで運べない大きさの精密機械が、2万円だったり4万円だったりするのは、あきらかにおかしいのだが。高い自転車は、自転車自体をめでる人が買う。高いテレビを、テレビ自体をめでるために買うひとは、いない。その辺の差だろうか。テレビが、たとえばコピー機のようにひんぱんに不具合が起きてメンテナンスが必要だったり、あるいは液晶パネルが消耗品で3ヶ月に1回取り替えなければいけなかったりしたら、たぶんビジネスとして成り立ちつづける。ところが、あまりに完璧な製品で、いちど買ったら10年間スイッチオン・オフを繰り返してもビクともしないから、テレビは安くなる一方で、儲からない。消耗戦のあげくに、ある日 電器店に立ってみたらマトモなテレビが店頭から消えて粗悪品ばかりだった、というようなことにならねばよいけれど。
Oct 22, 2011
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遠い過去のようにも思えるけど、菅直人首相が政権居座りの手段として外交日程を組もうとしたことがあったよね。米国や中国や、朝鮮に訪問するスケジュールを立てさせようとして、けっきょく相手国に笑われるだけで実現しなかった。朝鮮訪問のお膳立てをするために利用した朝鮮人人脈から「タダ働きさせたのか? タダ働きは許せん!」とゴネられて「それでは働いてもらったお返しに、朝鮮学校の高校授業料無償化のための審査手続きを再開することで手を打ちましょう」と8月29日になって菅直人氏が応じた……と、まぁ、おおかたそんなところじゃないかと、ぼくは想像している。9月初旬には、東京・愛知・大阪などの朝鮮学校が国家賠償請求訴訟を起こそうと準備していたそうだから、それに対処するのを面倒に思った官僚が、ラクをしたいと思って菅首相に最後っ屁をひらせたのかもしれないけれど。文部科学相は白々しくも 「事態が昨年11月の北朝鮮による韓国砲撃以前の状態に戻ったと判断した」 などと言っているそうだが (8月31日の衆院文科委で)、外務省の見解はどうなんだ。朝鮮から一言の謝罪もないのだから、砲撃の落とし前はまったくついていない。
Sep 1, 2011
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さいきん 「フェイスブック」 のことが気になりだした。潮時ってぇのだね、これぁ。8月4日に書店でガイドブックに目がとまり、導かれるように始めてみた。楽天ブログが、新たな読者を導き入れるための工夫をこらしてくれているように、フェイスブックも人とのつながりをあたためる細工があれこれと。フェイスブックにふれれば、ツイッターでは物足りなくなるだろう。知人の名前であれこれ検索してはリンクを呼びかけ、いまのところ 6名をフェイスブックの 「友だち」 にした。内訳は、エスペラント関連の人たちが 3名、作品を買ったことのある若い画家さんが 2名、そして台湾関連の片倉佳史さん。エスペラント関連の 3名のうちにはイスラエル人の Amri Wandel さんもいて、ぼくの 「ウォール」 に表示される Amri の書き込みにはヘブライ文字も混じる。20年以上も会っていない人たちの顔にたどりつくのは、けっこうおもしろい。*しかし、フェイスブックに 3日間つきあってみて、使い勝手の悪さも感じる。自分のブログへの書き込みにぶら下がっている “f シェア” のアイコンをクリックすると、さいしょの 2回ほどはうまい具合に自分のフェイスブックのウォールにすっとたどりつけた。ウォール上に、新たなブログ書き込みへのリンクを簡単に表示できた。ところが、きょうになってみると、何度やってもこれがうまくいかない。しれっと、拒否される。フェイスブック上の自分のサイトのアドレスを変更するのも、うまくいかない。しれっと、拒否される。システムの設計に、いまひとつ使用者への思いやりが足りないのじゃないか。フェイスブックが日本でうまく普及しない最大の要因は、実名・顔写真掲示の原則への抵抗感ではなく、もっと単純にシステムそのものの不親切さではないのか。フェイスブックと付き合っていると、感心されされる機能も確かにあるけれど、いろんな単純事が受け付けられずにイライラさせられることが多い。
Aug 6, 2011
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電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法案。ザル法であることを祈る。日本は、風力発電所建設の適地にとぼしい。太陽光発電はまだまだ技術自体が開発途上だし、蓄電池の技術も大量実用化の域にはほど遠い今、この日本で再生可能エネルギーに軸足を移すのは狂気の沙汰である。軸足を移すフリをするのなら、許そう。電力会社が再生可能エネルギーによる電力を高い価格で買い取ることを 「義務化」 しようというのが問題の法案の骨子だが、当然ながら割高部分は電力料金に転嫁される。憲法が財産権を保障している以上、割高な電力の買取りを民間企業に義務付けるとすればそれを料金に転嫁することを認めなければならない。後生(ごしょう)だから、言う。費用転嫁して引き上げる電力料金は一般家庭用の料金だけにしてほしい。産業用の電力料金は据え置くべし。失政により狂気の法律が成立し、産業用の電力料金が上がって工場が国外へ流出するハメになったら、失業者が増え景気が下がり、救いようのない負の螺旋階段だ。風力や太陽光発電による電力がいかにコスト高かを選挙民に如実に知らしめるためにも、一般家庭用の電力料金にだけコスト転嫁をすべきである。*言っておくが、わたしは太陽光パネルの効率の飛躍的改善や蓄電池のコストダウンのために研究開発を進めることは大いに賛成である。未熟な技術の太陽光パネルを日本家屋の屋根にちまちまと敷設するのは、金銭の浪費。そんなことに使うカネがあったら、すべてを研究開発に注(つ)ぎ込むべきだ。「研究開発への国家の助成額を10倍にする」 という法案であれば、もろ手を挙げて賛成する。
Jul 15, 2011
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義捐金(ぎえんきん)2,000億円をすぐ配るより、「平等・一斉」 のルールがだいじな日本。 被災者に保険金を届けるより、個人情報取扱いルールのほうがだいじな日本。 オモテむき、餓死するひとのいない、超成熟社会のぜいたくだ。* さる6月23日に亀田隆明(かめだ・たかあき)さんの講演をきいた。 東日本大震災のあと、亀田さんが経営する千葉県南部の亀田メディカルセンターに被災地の患者を何十人単位でつぎつぎに受け入れた。 たとえば人工透析を受けて生きてきた患者。人工透析には膨大な水が必要。被災地で透析を受けられず4~5日経った患者はよろよろに弱りきって自分で歩くことすらできない。 病院に入りきらないから、付近の 「かんぽの宿」 と交渉して、そちらに受け入れてもらう体制をつくった。バスを仕立てて、患者を房総半島南部の鴨川市まで運んだ。■ 手にすれば涙のでる5千円 ■ 患者のなかには、津波で家を流され全てを失った人が多かった。 千葉県に来て透析を受けて九死に一生を得た翌日、患者からこんな声があった。「先生、これほどの御恩をいただきながら、さらにこんなお願いを言うのは心苦しいのですが…… 5千円でよろしいので、お貸しいただけませんか」 5万円ではない。1万円でもない。5千円、なのである。 亀田さんは言う。「そのときの5千円というのは、手にすれば涙が出る5千円だったわけです。生活が落ち着いたあとに渡される5千円とはちがう。そのときの5千円は、後々の50万円くらいの価値があったんですよ。言い換えると、赤十字が集めた義捐金の価値は、震災直後に比べて100分の1に下がったと思ってください」■ 1,300億円が13億円にちぢんだ ■ 亀田さんは、大震災後のいろいろな組織の対応ぶりのうち、とりわけ日本赤十字の対応を残念がった。というより、痛烈に批判した。「震災後の混乱期に日本赤十字にはすでに1,300億円の義捐金が集まっていたわけです。ところが、被災者みんなに平等に配分できる体制が整うまでは配れないといって、義捐金はほとんど使われていない。そうしている間に、1,300億円の義捐金の価値は100分の1になってしまったわけです。震災直後の13億円の価値しかなくなった」 手帳を繰ってみるとわたしの場合、大震災募金には3月14日から4月1日にかけて6回応じて、つごう 2万4,650円を募金箱に入れていた。 思えばあの頃は、会社のコーヒーコーナーの震災募金箱に1万円札や千円札が、きつきつに入っていた。いまは、ユニセフの募金箱に戻って、百円玉や十円玉がちょろちょろだが。■ 台湾国から届いた170億円は? ■ 3月のうちは、それこそ「すべてを失った被災者が義捐金で数ヶ月をしのげるように」と願って募金に応じたひとが多かったのではないか。 義捐金が一向に使われる気配がないのを見て、4月以降わたしは福島県や岩手県産品のショップで酒やお菓子を買うほうにシフトした。 東北3県にキャッシュを送るには、義捐金よりもモノを買ったほうがよいのだと分かったから。 そうしているうち、もうすぐ7月。赤十字に集まった義捐金は2,000億円を超えた。うち170億円が台湾からのものだ。 1人あたりの所得が日本より低い国々からも100億円単位の義捐金をいただきながら、義捐金の機動性を生かせなかった。 いただいた義捐金の価値は100分の1になり、いまや日本国の税収をそっと補うだけの存在だ。 こうなると、ほとんど「国際的ペテン」ではなかろうか。 義捐金配分の基準は4月8日に、住宅全壊・死亡・行方不明者は35万円、住宅半壊は18万円などと決められたが、「平等・一斉」 にこだわっていまだに配分は進んでいない。 毎日新聞の解説記事がある:「義捐金の配布、なぜ遅れているの?」■ 5万円を、生きるちからにしてもらおう ■ 亀田隆明さん曰く、「日本赤十字が集めた義捐金がそっくり被災者の手に渡ると思ってはいけない。何割かは、日本赤十字の組織運営のためのコストとして持っていかれるだろう」 さぁ、どういう結末になるのか、我々はしっかり見ていよう。 台湾国民からいただいた義捐金分がそっくり、日本赤十字への天下り官僚の給与・退職金として消える、などということにならねばよいが。* いい話をしよう。 わたしの行きつけの画廊 「T-BOX」 (東京都中央区八重洲二丁目8-10) のオーナー・高橋盛夫さんの話だ。 高橋さんも4月から5月にチャリティ展を行い、80万円以上の義捐金を集めた。 てっきり日本赤十字に送ったのかと思っていたが、話を聞くとそうではない。「震災で失業したひとが新しい職に就くための活動資金として、ひとりあたり5万円をお貸ししようと思っているんです。10万円借りたら、返せないかもしれない。でもね、人間、5万円なら 『何とか返そう』 と思って仕事も頑張るんです。返してもらった5万円は、また次の被災者に貸して、おカネをどんどん回していけば、80万円が100万、200万の価値になる」 高橋さんは、被災者の臨時のすみかになっている赤坂プリンスホテルに行って、該当者をさがそうとした。ところが、入口の検問がきびしく、趣旨を述べてもなかなか思うにまかせない。 平等・一斉を旨とする管理社会は、ほんとうの篤志には冷たい。■ 「個人情報!」 の壁 ■ 被災者への就職斡旋のルートを伝って、被災者を新規雇用する企業へもアプローチした。ところが、趣旨を話しても 「個人情報は開示できない」 といって、被災者との直接連絡をなかなかとらせてもらえない。 ようやく1名へ、5万円の貸し出しが実現した。あと数名の被災者と、話をしているところだという。 温厚な高橋さんは、頭をかきながらぽつりぽつりと話す。「悪いことをされないようにと、個人情報の開示を規制するでしょ。そうしていくと結局、いいこともできなくなるんですよ。何もできない社会になっちゃう。被災地で損害保険や生命保険の保険金を支払う保険会社も苦労しているそうです。保険をかけた被災者や遺族を探そうとしても、『個人情報は出さない』 という壁にはばまれる。役所からは、『何で早く保険金を払わないんだ。怠けるな』 と言われるわけで、保険会社の最前線にいるひとたちもタイヘンなんです」 義捐金2,000億円をすぐ配るより、平等・一斉のルールがだいじな日本。 被災者に保険金を届けるより、個人情報取扱いルールのほうがだいじな日本。 オモテむき餓死するひとのいない、超成熟社会のぜいたく。【平成23年6月29日 配信コラムを転載】
Jun 30, 2011
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昨日この話を読んだときには、神社本庁の言い訳がまったく潔くないのに怒った。「神社へ行く気も失せた。神社本庁は不明を土下座してわびよ」 と思った。(なお、ここでいう 「不明」 とは 「才能がとぼしいこと。物事を十分にする能力がないこと。不敏。無能」 (新潮現代国語辞典の語釈より) の意である。)一夜あけても、神社本庁の小役人ぶりへの憤りは さめないが、そもそも取り扱いに礼を要する御料米を被災地まで運ばせるという当初の発想自体に無理があるのではないかと思えてきた。東北地方が飢餓状態にあるわけではない。東北地方にも米はたんとある。御料米はありがたいが、東北で食べる米をわざわざ三重県から運ぶ必要はない。運送賃がもったいない。被災地支援の趣旨を述べて御料米を伊勢神宮参詣のひとや名古屋などの都市で売り、その売り上げ金を伊勢神宮の社務所の職員が持参して被災地で金一封として配りまくればよかったのではなかろうか。よほど米が贈りたければ、御料米を売って得たカネを持っていって、被災地の地元の米を買って被災者へ配ればいい。何だ、それ? と思われるかもしれないが、それによって被災地にカネが回るのだから、いちばんいいのである。最悪は、御料米を売って得たカネを日本赤十字に義捐金として送ること。カネは当分のあいだ死蔵されて、必要がなくなったころアブク銭として出てくる。北國新聞 コラム「時鐘」 平成23年6月26日≪日本のコメは、ひと夏置いたぐらいで腐るのだろうか。神社本庁が伊勢神宮から被災地支援として送られた御料米の一部を職員に配っていたという。その理由が「梅雨のシーズンなので米がいたむ可能性があると判断した」と報じられた。「おそれおおくも」 と、時代がかった言葉は使いたくないが、伊勢神宮から預かった米を現地に届けず、一部を職員に配ったのは 「おそれ」 を知らぬようにさえみえる。瑞穂(みずほ)の国、日本の原点は稲作であり、伊勢神宮はその象徴である。稲は災害に遭いさえしなければ収穫は多く保存も利く。簡単に腐るようでは保存米など存在しない。それを知らないわけがない神社本庁が、何という言い訳をしたのかとの思いだ。被災地では津波をかぶって塩害の及んだ田んぼが広がっている。どうやって塩分を除去できるのか、あるいはがれきを除くのか、今も必死の農民たちがいる。その人たちの苦労を思えば、仲間内で支援米を 「配給」 などする気にはなれないはずだ。時間の経過は日に日に被災地を思う想像力を弱くする。被災地を長く思い続ける大事さを、コメに気づかされた。≫
Jun 26, 2011
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あっちも立てて、こっちも立ててと、あちこちに配慮しまくって全体がおかしくなっているのが太平の日本。東京・名古屋間のリニア中央新幹線で、沿線県に配慮して 「1県1駅」 の中間駅をつくるのもその類(たぐ)いだ。 リニア中央新幹線は、東京と名古屋間の移動距離短縮だけが目的だ。中間駅を4つも作り、いちいち停車して時間をロスするのは兆円級の迷惑である。実際の時刻表ではたぶん半分以上の便が、品川駅から名古屋駅までノン・ストップで走るだろう。相模原市の橋本駅には、新横浜駅よろしく若干の便を停めるだろうが。山梨県・長野県・岐阜県の片田舎に停める合理性はゼロ。もしも愛知県と岐阜県・長野県が合併していたら、現岐阜県にリニア中津川駅をつくったり現長野県にリニア高森駅をつくったりしようとは、誰も考えなかっただろう。大愛知県としては、名古屋市の利便性アップを選択したはずだ。もしも神奈川県と山梨県が合併していたら、現山梨県の甲府市の南方にリニア駅をつくろうと考えたかどうか。「甲府は在来線の特急があればいいでしょ」 というのが合理的思考である。ノンストップで品川・名古屋を走れば40分だが、途中に4駅も停まったら減速と停車でロスをして品川・名古屋は58分くらいかかるのじゃないかね。死んでも 「1時間」 は切るだろうけど。時刻表の見本を国民に提示して、最大公約数の現実利便を議論するのが正だ。[中間駅で乗車・下車する人の数] × [その人たちの受ける時間短縮利便]と[東京・名古屋間を利用する人の数] × [中間駅があることで生じる時間ロス]を比べてみれば、答えはすぐに出る。リニアに岐阜羽島(はしま)駅はいらない。富裕とはいえぬ岐阜県も長野県も山梨県も、メンツを捨てて賢いカネの使い道を冷静に考えたほうがいい。
Jun 2, 2011
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今年の憲法記念日には、大震災を教訓とした議論があって、新憲法に非常大権の条項を盛り込むべきだという主張が聞かれた。一方、社民党や共産党は反対を明言した。ところが、菅直人首相が非常大権行使まがいの違憲行為をしたところ、同じ社民党・共産党は喝采した。座標軸のゆがんでいる人たちは、あれもこれもズレている。浜岡原発の全面停止要請は、法的根拠もなければ法的手続きも踏んでいない。日本国憲法のもとでは、イラクやインド洋に自衛隊を派遣するのにも法的根拠と法的手続きが必要だから、特別措置法を国会で審議・可決し天皇が公布してはじめて派遣できる。浜岡原発の全面停止要請も、補償条件などを盛り込んだ浜岡原発特別措置法を国会で審議・可決し天皇が公布してはじめて行える。そんなことをしてたら間に合わないから菅首相が超法規的に要請をしたんだよ、と支持者は言うのだろうか。それならせめて、首相が再び違憲行為をはたらかずに済むよう、憲法を改正することにも賛成してもらいたい。憲法に非常大権の条項を盛り込むというのは、けっして首相の恣意独断をゆるすことではない。まったく逆だ。今回の菅首相のように、根拠も背景も不明で手続きも無視したまま、「要請」などという性質のよく分からない重大な独り言を首相が言わないようにするための、人権保護条項なのである。国家が緊急事態に陥って、特別措置法をつくるのが間に合わないときに、行政府の長はどういう国家組織の助言を得ながら、どういう手続きを踏んで、超法規的な命令を下すのか?その超法規的命令の有効期間は?国会の事後承認は必要か?超法規的に私権を制限することに伴う国家補償の内容は?……そういうことを決めておくべきなのである。憲法に非常大権の条項がなくても、首相は非常大権発動まがいのことを平然としてしまうということが、今回の菅首相の突出的な行動で図らずも明らかになった。それが違憲行為であることすら一般国民は思い至らず、メディアも首相の違憲を批判しない。そういうことだから、いかんのだ。首相の独断専行から国民の権利を守るためにも、現代的な非常大権条項を憲法に書き込み、法律でその詳細を決めておく必要がある。
May 9, 2011
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4月20日のフジテレビ 「とくダネ!」 で、福島原発の最前線で危機とたたかっている作業員の食・住のみじめさを、批判をこめて報道していた。いまだに粗食でせいぜいがカップ麺やレトルト食品、風呂も入れず雑魚寝で、極限状況のなか精神的に参っている作業員が多いという。そんな状況では、現場で適確な作業ができないのではと本当に心配した。現場力を盛り立てなければいけないのに。何らかの津波を想定することをそもそもしていなかった (=「想定外」ではなく「無想定」) ことは、わたしにとっては 「怒り」 の対象というよりはただただ残念で (というのも、もし自分が電力会社に勤務しその担当者だったとして福島原発の根本改善を事前に起案することはできなかったろうと思うから)、ひたすら前を向いて危機を乗り切るしかないという思いなのだけど、そんななか、最前線でたたかう人へのロジスティックス (=必要物資の輸送供給) が、こんなにおろそかにされているとは。第二次大戦後の日本人が口をきわめて批判してきた日本軍のロジスティックス軽視が、そのまま引き継がれているように思えた。はじめて東京電力に憂慮の電話をしたくなった。そしてふと思ったのだけれど、ひょっとしたら現場は、おもんばかりの間違った連鎖があるのではないか。被災地では島嶼部など電気供給がまだ満足に復旧していないところもあり、カップ麺を食うしかなく風呂にも入れず雑魚寝生活の人たちもいるという。かりにその人たちをおもんばかって、東京電力の最前線従業員がそれにならって粗食窮乏をつづけるとすれば、電力会社からみて下請け・孫請け・ひ孫請けにあたるであろう作業員も、間違ったおもんばかりの連鎖にはめ込まれてしまうということにならないか。現実問題として、原発危機対応で作業ミスが起こらぬよう、最前線の労務者への食と休憩を大幅に改善してほしい。強制力の発動が必要なのではないか。そのためになら電気料金を上げてもらって結構だ。<追記>:そもそも現場の苦闘のありさまは、電力会社でも自衛隊でも組織中枢に情報が伝わっていないそうだ。4月21日、日下公人さんらの講演会で清谷信一さんが語っていた。
Apr 21, 2011
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隅田川花火大会など大どころの花火大会を片っ端から中止にしてしまおうという動きがある。愚かなり。花火大会もよし、夏祭りもよし、人々が自宅の外に出て大いに騒ぎ、勧進の誘いに景気よく寄付をするイベントを、どんどんやればよろしい。福島県や宮城県、岩手県の産品をどんどん消費する夏の夜こそ最高だ。東京くんだりで花火大会を止めることで被災地の人たちが喜ぶとでも思っているのか、小役人どもは!使われるはずの花火や祭り用品が今年は売れないとなると、製造している中小企業の経営も苦しくなる。税収が減って、被災者支援に回す原資が減る。花火大会や夏祭りに出かけたウン万人の人々の自宅は、エアコンも動かさず照明も消えている。テレビも見ない。食洗機も動かさない。実は究極の節電なのである。(そもそも日没を過ぎれば電力消費もピークを過ぎるから、むやみな節電は不要だが。)*銀座のネオンやショーウィンドーも、ふつうに明るくして楽しい夜を演出すればいい。夜を出歩く人が増えれば自宅での電力消費が減るから、節電になる。東日本の復興を海外に向けてアピールするためにも、繁華街の夜は明るいほうがいい。観光客を呼び戻してカネを落としてもらい、その税収を被災者支援のために使う。無駄な電力消費は慎むべきだ。とくに午後1~5時の電力消費のピーク値を下げるためにも、常時照明の間引きには大いに賛成する。とかく現代の建築物内部の照明は贅沢仕様すぎる。その一方で、夜間のむやみな節電は意味がない。日没を過ぎれば、電力消費はどのみち減るのだから。日没を過ぎれば、電力危機はない。繁華街のイルミネーションも、ディズニーランドの夜間営業もパレードも大いに結構だ。それが、ふつうの国の姿である。
Apr 19, 2011
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じつは最近、通勤時に耳栓が手放せない。列車の社内アナウンスが音割れするほどうるさかったり、しつこかったりするので、その対策だ。使ってみると調子がいい。たまに耳栓を忘れると落ち着かない。駅のマツモトキヨシで新しいのを買い求める。ぼくの部屋は耳栓だらけだ。最近では背広のポケットに2組の耳栓を忍ばせてある。通勤電車の車掌は静かなほうがいい。録音の女性の声だけで十分だ。しゃべることがサービスだと勘違いしているワンマンショー車掌を集めて、説教してやりたい。いちばん腹が立つのが、地下鉄内のこういうアナウンス。「ただいま大手町を3分遅れで発車いたしました。お急ぎのところご迷惑をおかけしております。申し訳ありません」「まもなく北千住、北千住に到着いたします。5分の遅れとなっております。北千住、4分の遅れです。深くおわびいたします」4分の遅れで特急電車がどれほどわびるか知らないが、二重橋前から乗ったぼくにとっては大手町での3分遅延が北千住まで来て4分遅延になった、つごう1分の遅延である。3~4分ごとに来る地下鉄の 「4分遅れ」 に気付くのは、運転手と車掌しかいない。それを大仰に謝ってみせる自己チューぶりにあきれる。こんなことで深くわびていたら、10分遅れたら土下座する気だろうか。30分運転が止まったら、駅長が切腹するのだろうか。車掌本人は、じつは申し訳ないとはつゆほども思っていない。だから、「深くおわびします」 を軽薄に口にできる。それが見え見え。しつこい自己陶酔アナウンス。いらいらする。耳栓をしててもね。このとんだ勘違い車掌は千代田線の担当らしく、1ヶ月に1回は不快な独演会に付き合うはめになる。東京地下鉄は、社員教育の方向を間違ってはいないか。公共の場の快適さとは何か、議論してもらいたい。
Dec 20, 2010
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