よびりん人生大学

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 63年前の今日、
昭和20年8月30日、マッカーサー元帥は、厚木飛行場に降り立ち、
この日から日本は、GHQの占領下に名実ともに置かれました。

マッカーサーは、厚木に向かう「パターン号」の機内で、このように記者会見しています。




まず日本の軍事力を粉砕する。 次いで戦争犯罪人を処罰し 代表制に基ずく政治形態を築き上げる。 

自由選挙を行い、婦人に参政権を与える。 

政治犯を釈放し、農民を解放する。 

自由な労働運動を育て上げ、自由経済を促進し 警察による弾圧を廃止する。 
自由で責任ある新聞を育てる。 

教育を自由化し 政治的権力の集中排除を進める。 

そして宗教と国家を分離する。




いかがですか?
良きも悪しきも、戦後日本は、マッカーサー(アメリカ)が創った国であることがご理解いただけたでしょうか。

もし無条件降伏の屈辱がなければ戦後の民主主義は、遅々として進まなかったはずです。
今も北のような軍国主義国家だった可能性すらあります。

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倒産、破産、会社更生法の適用を受けた経営者、詐欺の被害などですべてを失った人にアドバイスです。

無条件降伏したのだから、ジタバタしないことです。
歯を、食い縛って生きて生きて生き抜いて、
生き恥をさらして「笑わば笑え。もっと笑え!」の精神を体得したとき

負けて勝つ!!の天の計らいを知ることになるのです。

「笑よく業を制す」のですから屈辱の時こそ、笑わなければなりません。



☆ 終戦秘話

 昭和20年8月16日 連合軍戦争計画委員会(JWPC)において決定された
日本分割占領案では、北海道、東北をソ連。
東北と中国地方を除く本州と沖縄をアメリカ。
中国地方、九州を、イギリス。
四国を中国。東京を四カ国で分割占領となっていたのですが、トルーマン大統領の強行な反対で、アメリカ単独占領と決まったのです。
もし本土決戦となれば、この案で採択された可能性があったのです。

 ☆ ドイツの分割占領や、朝鮮半島の悲劇を思う時、
引き際の大切さを痛感します。

どうせ負けるのなら、沖縄決戦前に!
そうすれば沖縄県民の悲劇も、原爆投下もソ連の侵攻もなかったのです。
~当時は、そのような国論ではなかったのですが。。。。

☆ 人生も経営も、撤退、解散、引き際のタイミング。
これを間違えないことです。









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