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『発達障害支援センター』なるものが出来ると期待もしましたが、「こども発達支援センター」となってる。事業内容は、発達障害のある児童生徒などの円滑な就学や将来の自立のため、発達障害のある児童生徒などとその支援者の支援や情報収集関係機関などとの連携・調整、相談事業を行う。ということで本当に支援を必要としている者は誰なのか?解っていない・・・んじゃないかぁ。本当に必要なのはなにか?解っていない・・・んじゃないかぁ。これって・・・「発達障害」と分かった時、本人よりも周りの者がこまって何かを模索しようとしているのと同じ。当事者以上に支援者が支援を欲しがってるというのは滑稽なものだ。しかも「こども」とあえて付けてある。「こども」はどんな子どもであっても特別支援教育で支援されるものである。というだけでは不充分?それとも機能不全?・・・・ということだろうか?勿論、幼少期からの療育が大切なことは言うまでもないが、知的障碍じゃなくて、大きくなってから判明した子はどうなんだ?「子どもと」類される年齢は手厚いものだ。18歳になったわが子を思うと、・・・・またハズレたな、こりゃ。子どもの支援はあれだこれだ言われてること多くあるが、どれも本当の意味での自立に繋がるものは無し。肝心なのは、親・学校(支援者)からの自立のレールを社会へどう繋げられるのかじゃないかなぁ。親離れ、本当の意味での『卒業』を迎えられるようにってことだと考えるがなぁ。子どもの時代を手厚くしっかりと連携された中で育った子は本当の意味で『自立』が出来るのだろうか?まぁ今更、相談窓口を訪ね歩くこともないだろうし、当事者と社会を繋ぐ連携は希望してもまわりくどい関連機関の連携は望まないよなぁうちにとっては利用価値など期待された所じゃないなぁ。しかし、支援者の連携がとれる所があるなら連携がスムーズにいくための個別シートってモノはまたひとりあるきしないかなぁ?ダブってることいっぱ~い。厚く撒いたとなりの麦畑と撒くタネの少ないわが麦畑みたいな話世の中にあまり期待したもんじゃない事は端から分かっていてもなんと無駄なことを・・と思わずにはいられない。ともあれ、『おやばなれ』を目標にいかなければ・・・・。
April 24, 2009
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昨日、息子は最終日のテスト終了後の「卒業生を送る会」を楽しみに学校へ行った。夕方5時過ぎに「本屋に居るからお願いします」と迎え要請の電話が来る。オット君とスーパーで買い物を済ませ息子を迎え「大雪のため疲れたからそのままレストランで食事して帰ろう」という話になり息子へ話すと「家へ帰ってから出直さないと困る、持ち物が多くて・・それに家に速く行って置いてこなければ・・」と少し困って少々強い口調。その理由を繋げ合わせて要約すると出かけ用のバックがなければ、ハンカチ、ティッシュ、携帯など手荷物が多くて持てないから困る。友達とも連絡を取り合いたい。「送る会」でゲットした物はまっすぐ家へもって帰り見せる予定なのだった。会食の寿司を残したから母に早く食べてもらわないと、生物だから。(なんと、お新香巻き2個を母にと残したとの事。自分が嫌いなためか母を思ってか不明だが、パックの端っこにコロコロと・・・ありがたく、い・た・だ・い・た)帰ってから食事の準備をしたくない母は「じゃぁレストランは見送り帰るか?」と更に迫った。息子は「急な変更は困るんだよな!」言いながら結局、3人で食事して帰ってきた。「送る会」では漢字の読み方クイズで「聖林」が最後の問題、勘で答え賞品の『せんべい』一箱、『ノート』2冊を戦利品に持ち帰り見せた。「送る会なのに自分がこんなにフィーバーしちゃっていいのかなぁと思ったけど手加減する気もなかった、得意分野だもん」と半分反省、半分得意になって話した。怒って帰って来るよりましか、母も予定通り手抜きしたことだし。
February 2, 2009
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久々のアップ、筆不精はやはりブログも不精なり。支援センター昨年のこと、市に「発達障害支援センター」なるものができると嬉しく市議会を傍聴した。先日は、そのセンターが教育委員会に管轄されることを知り驚いた。ネーミングも「発達支援センター」あえて『障がい』を入れない・・と。計画は就学児に重点を置き学齢期中心の取り巻く機関のセンターという説明だったので、素朴な質問!「特別支援教育を受けて来ていない中学、高校、あるいは成人している者達は利用できるものか?」と訊ねたところ、「できるが、決定権は市長にあり」と返事があった。またまた『早期発見、早期療育』で私たちの子の年齢はここでも非該当になるのかと心配される。手帳先日の「講演会・意見交換会」で講師の先生が手帳について話された。発達障害者が手帳を取得する場合「療育手帳」ではなく「精神障害者保健福祉手帳」(その他の疾患ICD-10)になる準備が始まっている、と話された。動向を見「療育手帳」が広義になるのではと思いもしたが、やはりそうではなかった。アスペルガーの人たちは「精神障害者保健福祉手帳」となったら取得するだろうか?今手帳を持っておられる方々には甚だ失礼な話だが社会の偏見が強すぎる、と感じているのは自分だけだろうか?いろんなこと考えてると息子の将来は、若しかしたら「変わった人」で行ったほうがより『幸せ』に近いのかもしれない・・とそんなことも頭をかすめる。
January 31, 2009
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だいぶ前のカウンセリングの時の話。今年1月に何年も病気と闘ってきた私の兄が亡くなり、 その火葬のときの事を息子はだいぶ月日が経ってからのカウンセリングで話し出していました。「体中には一杯溢れるくらい悲しい気持ちが詰まってるのに、どうしても涙が出ないんです。涙を出そうと欠伸をするようにし、我慢して涙を出してみたりしました。周りで見てる人達が、あの子は薄情だって思いやしないかとおもって・・」周囲の目を気にしてありのままで居られなかったのでしょう。大勢の中に居て受けるストレスは・・・とまた考えさせられた一つでした。では、泣けないかと言えばそうでもなくてトラウマが起きたときには自分が情けなくて泣いたと言うこともありますし、本を読んで泣けたということもありました。いつか思いっきり涙が出るくらい笑ってみてほしいです。
August 6, 2008
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もう4ヶ月も経ちました。 昨年度、入試を受け入学し成績も順調のようでした。が、学校仲間や先生とのコミュニケーションの不和から落ち込み葛藤の日々。先生からは耳を疑う言葉や執拗な嫌がらせとも思えることの数々に親子とも追い込まれたこともありました。それでも学校を諦めまいと頑張る心が息子に見えるうちは通学に協力しました。時には途中から戻り、家へ帰れなくて誰恨むこともなくただ二人で泣いたことも度々ありました。学校へ行っても教室へ入れなくて苦しみ、登校しても保健室ではダメだと言われ、いる場所もなかったのです。「何よりも誰よりも、お前が一番我慢強いんだ」と励ましにもならないことを言っても母も折れてしまいそうでした。学校には理解や指導どころか排除に近いものを言わずとも親子で感じていました。(出席日数と授業時間数とがかみ合わない規定になっている)己を叱咤しながら頑張りましたが、ついに年度末の授業時間数に追いまわされる日々私達親から『諦めろ』の言葉を告げ息子は驚き怒ったけれども、やっと親も子も苦しみもがくことにピリオドを打つことができました。中学の先生は通信制では退屈するだろう・・絶対普通校でやっていける筈なんだけどな・・と驚きのようすでしたが、支援体制のない高校の現実は現実、時間は待ってはくれません。大切な一年を理解者が見つからず棒に振ってしまったような、我慢のどん底を見た気もしました。そんなことですから前の学校とはスムーズに転学の手続きができるはずもなく全くもってお粗末な橋渡しと言いましょうか・・。ともあれ私達は、『ゆっくり行こう』と決め息子は通信制に転学させました。バタバタと手続きをして緊張の入学式。およそ200名の新入生。「同じことは繰り返すまい、初めから突っ走るまい」とそんなことを言ってました。このごろは、昨年とは打って変わってガチガチの心も融けてきたかのように明るくなり、話も耳を貸すようになってきました。今はお気楽に「学校がはじめて楽しい所と思える」と言いながらスクーリングじゃない日もセッセと通っています。お気に入りの本と音楽を用意し、職員室で新しく出来た友達とお喋りして帰って来ます。レポートも順調(と言ってるが・・?)思春期相応の厄介事はあっても昨年の様子から比べると今のところ大きな心配はありません。(そのうちに間違いなく何かあるはずだけれど)「理解してくれる先生がいるって、こんなにも違うんだねぇ・・いいよなぁアンタも私も。」息子と二人で時々話してます。去年の辛さがあったからこそ今がある――そう息子に考えてほしいものです。
August 3, 2008
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車で息子と二人で出かけました。カウンセリングを終えショッピングモールへ。「ホッケ焼き定食を食べたいネ」と歩き回り、お店に入って注文すると、「あいにく品切れで・・」とガックリ。予定変更!私、一瞬ヒヤリ!息子の顔色を伺いながら、別の和食系の店に移ってもいいかとも考えました。しかし息子は嫌な顔もせず「じゃ、仕方ない違うものにしよう」とケロッとした様子。夫々の食事をしながら、息子の後方斜めに座ったサラリーマン風の人を見てると、運ばれた定食の付け合せ千切りキャベツをすぐに味噌汁の中へもっそりと入れ掻き混ぜたのに驚いた。軽くジェスチャーで息子へ伝えると、息子は一発でその内容が解ったらしくTVのお笑いで見る漫画『サザエさん』のマスオさんの真似で「エェ!」と驚いた様子を表情だけでやって見せた。間がよく無言でやりとりでき、それがまた二人とも可笑しくて笑った。こうして二人で居るときは息子も屈託のない笑顔でいられるのになぁ・・・。夕方の帰り道は途中から雨模様で何台もの車の列。少し休もうと車を止め「15分眠らせてちょうだい」と言うと「わかった15分だね」と了解し息子はトイレへ行きました。念のため携帯のアラームを仕掛けシートで休んでいると、「もうすぐ15分になるよ!」と起こされた。見るとまだ3分前、カチッ!「まだ15分経ってないでしょ!」「もうすぐだって教えてるの!」「あっそ、・・いつものキチッと君で計ってくれればいいのに、もう」ありがたいような迷惑なようなそれから30分も走ると、助手席の息子はナビゲーター気分もそぞろになりイビキを・・。いい気なもんよね。お天気もかわったようで家の近くへ来ると路面も乾いていた。「もうすぐ家だよ・・」と言いながらあぁそうか、息子も『もうすぐ・・』と言ってたことを思いだし。起こした息子に私が腹を立てるのはまちがいで、単にもっと眠いだけだったから腹が立ったんだなぁ。そうだそうだ、『もうすぐ』って『まだ早いけど』ってことだものなぁ。私はたったこれだけのことを考えながら家へ入ったのでした。
March 30, 2008
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息子は4月から今まで係って、自分の力だけでは普通の域へ到達しないことを知りえただろうか?希望をもって通うことを笑顔で一緒によろこびつよくある時 肩をたたき「胸をはってすすめ」といった萎えた時 「まちがいなんかじゃないよ」といった堪えてるとき 「堪えてる心が何よりつよい、もうじゅうぶんだよ」といった悲しんでるとき 「ありのままでいい」といってきた無理をするなと言いながら苦しみぬこうとする様をみて、一緒に痛いおもいを続けてきた。息子に添いながら、私自身に鞭打って。息子が『倒れそう』と気付いては支える用意をし、ゆらりと揺れたら引き起こして、前を向いたらまた手を離し、これじゃ多分続けられないだろうと思いながらも息子の学校へのかすかな希望があるうちは私の不安を隠して応援し寄り添ってきた。学校に失望し、なおも行こうと己を責め続けている息子はボロボロになっていた。これ以上は『足掻き』と思えた晩に夫婦で「おしまいにしよう、あきらめなさい、お前には叶わないんだから」と告げた。今、息子は自分に言い聞かせるようにして肩の荷を降ろしたかのように穏やかに過ごしている。どんな人であっても懸命に努力し、当たってみて『合わない道だった』と実感して自分を知ることも必要かとも思った。しかし、長かった~!いくら親子で努力しても、息子の行く道は籤みたいなものかも。周りに居る人に障害理解の当りが出れば吉、無理解のハズレが出れば凶、全てはこれにあり?
March 3, 2008
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今日一日もままならぬ子に明日のことを期待してもならぬものはならぬ。学童、学生その時々にうまいこと支援されていた子もままならぬ日を送っていた子も時を経て必ず社会へ出ようという時期が来る。自己の持つ力のみで自立できる子がどれくらいの割合になるのだろうか?一部の支援で自立を目指す人、生き易さを考えて障害者福祉の支援を願い出る人障害を示さずして普通の中に身を置く人、障害を持っていると知っていてもさまざま生き方があるのだろう。どれを択んでも間違いではなくどれを択んでも多分に生き抜く辛さと苦悩に見舞われるに違いない。大方の人生にも必ずあるのと同じように後悔も付いてまわる。今はまだ、大きすぎる夢も持つも自由、知り得ぬ未来を語るも自由。只、明日への1歩を着実に歩こうとする意欲のみをもてたらそれだけでいい。
February 22, 2008
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親子で頑張ったけど空回りばかりだったこの一年、身近に理解してくれそうな人がついに見つからずに高校生活をいよいよ考え直さなければ・・と考えています。勉学、勉学と言われる相手とのコミュニケーションがとれないと勉学どころではなくなる様を親子で体験しました。信頼関係が構築できず、替わりに親が伝えることを手段にすると、『なんて過保護な・・』と思われがちで、『自分の口で言え』という流れになり余計に関係が気まずくなるし。伝え方の手段としての言葉があまりに大げさな単語だったりすると、変な奴とか生意気に思われたり。果ては『異常だ』とか『普通じゃない』『おかしいんじゃないか』と言われたり。敬語や自分を見下げた言い方を適当な使い方が出来ないと相手には『感謝の気持ちがない』と受け取られてしまうし。言葉を発するタイミングもほんの少しずれてしまっただけで、場の空気に合わず浮いてしまい、気まずくなるし。誤解・行き違い・意味がつかめない・・・たくさんありました。それでもまあ、「自分が弱いから・・」と言った時に『そうよ、あなたは弱いのよ』という返事は人間的に正しくない!と怒る息子の様子をみてると、曲がって育ってるわけではないと少し安心もしました。コミュニケーション苦手はこの先もずっと私たちを悩ませるでしょう。人間同士ってコミュニケーションは欠かせないけど、難しいですね。
February 4, 2008
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みなさん、ご無沙汰しておりました。ブログ更新も気乗りせず滞ってから、かれこれ3ヶ月も経ってしまいました。息子は現在不登校まっしぐら夏休み明け・いえその前からボチボチと怪しい兆しはありました。現在、欠席40日を超えてしまい、正に学校社会への不適応症です。たっぷりと家で時間のある息子の話から自尊心や自己評価の低下は学校での対人関係がうまくいってないことへ殆ど繋がります。流行の言葉で言うと『空気が読めない』から変に思われたくないから話せなかった。そんなであれこれとモチベーションが下がってしまうことばかり続いたのでした。家では真剣に考えると落ち込み、コントロールしようとあれこれ努力しているのがわかります。時として私も我慢ならなくて『ううう・・んも~う!』と怒りの気持ちも湧いてきますが・・・多分一番辛いのは当の本人ですから、ここは根気比べでしょう。息子は今、逃げ場のある人で居て構わない時だと思い、親は我慢々々の毎日です。この3ヶ月のうちに私は、辻井正嗣先生や杉山敏郎先生、花輪敏男先生など他にも3回ほどの講演を聞く機会がありました。息子が参加したこともいろいろありました。青年や成人対象の当事者のワークショップや『親の会』で企画した親子ピクニック、ボランティアさんが付いてくれてキャンプ場で芋の子汁を作り親もご馳走になったこともありました。学校へは行けなくても結構私的には然程抵抗なく出かけている息子です。言う事とやってること何か矛盾してない??な~んて言いたくなることがたくさんありますがいやいや、今言ったところで云々・・・と普通からみたら少々手ぬるい親かもでも、辛い時に甘えられる人が居るのは幸せなんだよなぁ・・・たぶん息子が何年か先にそう思ってくれたらなぁ(いけない、いけない、期待は禁物だった)期末テストが始まる・・・さて、どうしたものか。
November 13, 2007
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昨日、県発達障害者支援センター主催の研修へ行ってきた。午前10時半から午後4時40まで講演3回支援センター、県教委、療育センターからの講師でした。内容は基礎的な理解と対応関係機関との連携の大切さ相談事例からの対応の仕方主に幼児期から小学生に関わる支援者への基礎研修仕事休んでまで行く価値ありか?事前に受講申込みはどうしようかと考えておりましたが地域で開催される研修会は然程多くなく『どういった現状か・・』的に行って見るのも良しかも、一つでも学ぶことあれば・・・と申し込みました。受講者は幼稚園、保育所や学童保育の職員らしき方々でお若い方が多かったです。やはり『場違いまではいかないまでも、チョッと違ったな』(正直な感想)話されてる内容は私にとっては極当たり前のこと、再認識といえばそれまでなんだが耳がピクピク動くような内容はなかったなぁ。息子の障害が判った頃、講演で聞く著書名などはメモり話される内容には耳をダンボにしたものでしたが『読んだ、読んだ・・ウンあった』『ピンポイントの視覚認識かもしれないと考えたらそりゃ当然!でしょ』『パターンで覚えてるから応用は新たに教えなきゃ・・』『そりゃ起こりうることだわ』そんなふうに思って聞いておりました。やはり基礎理解が目的だからしょうがない。理解のある人もこれからどんどん育てていかなくてはならないだろうし社会からみたら発達障害の理解って悲しいかな『現状はこういう段階なんだな』と再認識。しかし、養護の学童保育という現場に毎日居て小1から高3までの子と接し、家に帰ってからは息子と一緒の私にとっては基礎理解だけでは不十分なわけで、もっと専門的な学習が必要不可欠。『毎日に動きがあり、日々成長して行く子達にもっとできることが・・』と思う気持ちとなかなか追いついてきてくれない社会の現実へギャップを感じている。行ける講演あれば受け、読書で学習、ネット検索・・これでいいのか?『一日24時間中、発達障害に関わっている時間、私の場合多いなぁ』と改めて感じた一日でした。
August 21, 2007
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植え替えた鉢を見ながら『しあわせ』ってなんだろうふと考えてみる結婚のシーンでよくある言葉、「きっと幸せにします・・」じゃあその時はしあわせじゃないのかなぁそんな事はないはずそう言ってくれる人が居ることはじゅうぶん幸せなこと『しあわせ』って未来をいう事ではない今よりもっと良い時がほしくて『しあわせになろう』と言うそうプラスに思えるときは、しあわせな時だよなぁ・・たぶん希望、欲望、願望が叶えられた時だけがしあわせと錯覚するけれど叶うようにと考えた時も、叶うように向ってる時でも『そう思う』『出来る』しあわせがある生まれてどんな時が流れてきたとしても今、ここに居られること傍に居る子や家族を、友達や親戚や職場など関わる人々を大切に想っていられることそしてこんなことをボンヤリ考えているこの時間もたぶん、しあわせかも・・・映画「母の眠り」で母役のメリルストリープが娘に言うシーンがある「しあわせになる事は簡単なことよ、あなたの周りに居る人を愛せばいいだけ・・」この言葉があたりまえのことのようでも意味深く思え、とてもすきだ
July 24, 2007
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先日、テレビの芸能ニュースでハニカミ王子を追っかけ放送中でした。ヨ「なんだぁ、ハだのカだの付いてりゃ皆王子か・・」私「また出たね、最近多いねこうして騒ぎ立てること」ヨ「全くだ、ハンカチの次はハニカミか・・やれやれ」私「うちにも居るね、王子!」ヨ「何?」私「ハナカミ王子」 (息子はアレルギー鼻炎でティッシュが必需品)ヨ「カチッ!!」ヨ私 大爆笑!言葉のゴロ遊びのようなものが小さかった頃から大好きですが数学苦手の息子はいつもてこずっています。息子は間違いなく私に似てるかも。
July 13, 2007
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2月から毎月1回のペースで集まり今月は5回目の集まりになりました。会則もできて、参加者が極僅かの時もあれば、新しく参加する方もあり、小規模ながらも継続しています。当初は新年度を迎える準備の時期で、支援学級か普通学級かの選択、進学や就職、家族の事などたくさんの事が話題にあがっていました。今月は療育センターの相談支援の方に来ていただき談話しました。親の知識として知っておきたい事や今の悩み事の解決策なども話されました。AS、HFPDD、LD、ADHD、或いはそれらから引き起こされる多くの二次的な障害に悩む方、全国でどれだけ多くの方々が同じような事を話されているのだろうかと思います。何かしら、身近に具体的な制度や方向付けが見え悩める人の数が減る時代がやってくるのはいつの事かと考えます。 小さく地味でも活動を続けていこう。
June 26, 2007
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(本日2つめの投稿)朝食時、急に箸を置きトイレ急行した息子最近、お腹の調子を崩しているようだとは思ってましたが・・・(汚話多謝)最近テンションが下がってるからなぁ、しかし何の腹痛??気温の変化で冷えでしょうかホントの腹痛でした昼頃は落ち着くかも・・弁当は普通に作り、飲み物はぬる目のほうじ茶を入れテーブルには下痢止め薬と胃腸薬を用意し時間を気にしていると息子は戻り、続きのウインナ―を食べ始めました 私「おいおい、もう食べるなよ、不調な時は食べずにお腹を休ませるもんだよ」 ヨ「朝ごはんはキチッと食べないとならないんだ」そのように学校保健便りやテレビ等を見てで学習してきた息子は紋切り型勿論、私もそのようにして躾けて来たから・・・息子が言うのも正しい但し、それは普段の健康体に通用する事であり、不調の時は食べても栄養を摂ることが出来ないだから先に不調を治さないとならない、つまり胃腸を休ませるこの事をトイレの中と前で・・・×××結局最後は ヨ「朝から、こんな事で言い争いたくないよ・・」 私「そりゃそうだね、止めよう」不安ながらもオット君に車で送られ、急いで行った息子は定期券を忘れたことに気がついて戻り、次のバスで行くことになりました。朝の通勤前、空振りだったオット君ご苦労様最近、上級生からバスの乗降の順番についてあれこれ言われることはまだ続いている様子、おまけに近所の小学生には「宣教師さんですか?」などと言われたりでテンション下がり気味の息子ですこんな変更の多いバタバタした朝だったりすると拙い事になりかねませんが案の定、『学校休めたらな・・』と思っているようでしたオット「時間が遅くなったんじゃぁ自分も間に合わない」代わって息子は私が送りました信号待ちで、バスの乗降の順番には気を配るように話したら ヨ「なんで自分だけこんな思い、するんだろうなぁ・・」と言ってました時刻も気になり他に気の聞いた言葉も出なくて 私「気持ちを強く持ちなさいよ」車から降りた息子を心配する気持ちのままに、バスに乗り込むまで見送りたかったが、私の顔色に敏感な息子には悟られないよう堪えて折り返して帰ってきた今日の私は朝から多くの反省がありますそれでも、『今日も行った』・・・毎朝想う、息子の頑張りに感慨無量
June 22, 2007
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昨日も今日も朝は雨降りです昨日の朝、バス停まで徒歩15分のところを送ってほしい息子は私達親の言葉を期待したような遠まわしな言い方をしました。 ヨ「あ~ぁこんな天気だしどうしようかなぁ、全く・・」『車で送ってくよ』という言ってほしかったのだと思いますが、頼み事があると度々このような言い方をすることが気になっていたので 私「お願いしたいんだったら言い方があるでしょ!」 ヨ「そんなぁ、いいじゃないか」 私「また、そんなぁ・・曖昧な言葉で誤魔化すんじゃないの、もっとストレートに話なさいよ」 ヨ「いちいち、めんどくさいな」 私「お願いします・・・でしょ!」そんな遣り取りがありましたが、すぐには受け入れない息子ですから深追いをせずに送り出しました。同じ雨天の今朝は ヨ「バス停まで送って下さいお願いします」これまでより丁寧に言いました。頼み事は『お願いします』と心から思い、はっきり言ってほしいものです。でも、相手の気持ちを覗うための言い方も時には必要なんだけどなぁ・・・次は『お願いしたいのですが・・』に取り組んでみようか・・・
June 22, 2007
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27日(日)の晩はオット君と息子と3人でテクトロに出かけました。釣果は息子が3、私が2.5オット君は1ポイントでした。大きさ25~6センチの黒ソイを釣り上げた息子は続けて2ポイント目を釣り上げご機嫌!私のは十数センチの若さでリリース2ポイント、0.5ポイントは地球を釣ったかと思ったら、おまけに噛み付いてきたシュウリ貝。オット君も小物でした。1日(金)の晩「また行こう!」となり、私は前日の寝不足で不参加。しかも、急に作る様に言われて寝ずに作成した資料の半分は不要ですって!『段取りしてから指示してよ!』てな気分で心身ともに釣りの気分じゃない。夜遅く、男二人はボウズで帰ってきたようでした。しかも、息子は大物を水面より上げたところでバラシちゃったらしい。土日は、悔しがる二人の話を何度か聞かされました。行きたそうなオット君、ヨ「テスト期間だから俺、行かないよ」私「1昨晩の貴方の奴は私に任せなさい!しっかり勉強してなさいよ!」オット君と二人で出かけました。しかし・・・、いつものポイントは当たる様子がなくポイント移動してオット君が釣り上げたのは大きかったけど、えらく怖い顔したムラソイでリリース。私は十数センチ黒ソイでリリース。狙いを変えて生簀の近くを探ってみようということになり移動してまもなく、何ということじゃ!私のラインは暗闇でオマツリ状態!!車の中でダンゴ状態のラインと挌闘する羽目に・・・。オット君も当たらず、車へ戻って来ました。気が付いて空を見上げれば、何と月明かり私「釣れない筈だ、もう帰ろう!」と時間を見れば11時半。1ポイントずつだったけど手ブラで帰りました。あ~あ、悔しい!!肴のない晩酌は寂しかった・・・。
June 4, 2007
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どなたか知ってたら教えて下さ~い!身の周りを認知できないために困る事がしばしばあります息子は一般のバスで通学しています。登下校には上の学年の生徒も乗り合わせます。昨日、「先輩が降車してから降りるように」と言われたとか息子には学校を出てからの公共機関のことだから、先輩後輩の礼儀は頭になかったのだろうと思われます。しかも、降り損ないの心配をしないために先に降りていると思います。私(朝、出掛けにそんなことを持ち出すなよ・・昨日のうちに話しな!ブチッ) ヨ「先輩とのトラブルは避けたいな、あぁどうすりゃいいのか??」 私「そう言われたなら皆が降りてから、降りたらいいでしょ」 言ってしまってから(上級生がみな降りたのかどうかを把握するのは難しいだろうに)と曖昧な自分の言葉に気がついたが・・・そんなことを思っていると、オット君から強烈な一撃の言葉 オ「乗った時に先輩がどれくらい乗ってるのか見ておけばいいんでないか?」 私「あ~た、そりゃ無理よ!」 間髪入れず ヨ「そんなことできるか!」(ブチッ)―――――(険悪ムード)私「とりあえず、時間だから今日はいつもより順番は後の方に降りなさい」ムードを打ち消すように言い、送り出してやった。このままでいい筈はなく学校へ電話バス利用の際の生徒たちの風潮?について把握したいことを告げた。おまけ話ししながらお弁当を作り、どうやら悪くなり加減なおかずを入れてしまったらしい。『弁当に入れたイカカツは食べるな!』先生へ恥ずかしげもなく息子への伝言を頼んだ母でした。
May 30, 2007
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26日(土)運動会があり我が職場からはボランティアで参加する事に、と言っても実際は応援に徹してしまったのだった。当日へ向けて毎日練習を重ね、疲れた身体と様々なストレスとプレッシャーを抱えて学校から帰って来る子ども達を見ていて「どうか運動会当日までもちこたえてくれ~」と思いながら接する毎日でした。当日は、ひたむきにそして素直に一生懸命に頑張っている子ども達に感動しました。養護学校の運動会は初めて拝見しました。普通の学校と何も変わりませんでした。強いて言うなら、小学部から高等部まで一緒なので迫力もあどけなさも一度に見られました。層が厚いと言いますか・・他は何も変わりないというのが本音。普通の学校の運動会や体育祭でも、わが子には勿論のこと他の生徒にも皆に「頑張れ!」と心で応援していたし、関わる子達の養護学校の運動会でも皆の頑張りも悔しさも充分に伝わり声援を送っていました。さてさて、わが息子のその後は・・・。ずいぶんと柔らかくなったというか、落ち着いて過ごしている。当初の親の心配は・・・あっけにとられた様な無風状態が続いている。級友との会話、授業の様子など話してくれるが然程心配される点も見つけ出せないで居る母です。入学から2度あった高(前回の日記の他1回)校での説明が理解不能で「解んない?どうしよう!」電話で確認し、息子へ伝えた事はあったけど。そして、一緒に進んだ級友の事でショックを受けた時は涙を隠せないでいた時もあったけど。それでも息子は毎日頑張って登校している。今、察することは『休まないように、1学期は皆勤賞まで頑張るぞ!』『初めての期末考査、心配だけど赤点取らないように勉強やろうかなぁ・・』『英検準2はそこそこでも、漢検2だけは取ってやる!』『明日は出掛けの時や学校で腹の調子が良ければいいが・・・薬は持った方がいいよなぁ』『明朝、起きたら録画チェックしよう!』『肩が凝ってるからマッサージしてほしいんだけど・・・今は言えそうにないな』・ ・・などとさまざまな事を今夜も言わずとも考えて居たに違いない。
May 28, 2007
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高校に通うようになって、これまでになかったくらい楽しそうな息子を見ています。自分から同級生に声をかけ、楽しく話をした事、数人の生徒と会話出来てること先生との会話の様子、バス停で上級生の女子と話した事、クラブや委員会の事など学校であったことを話してくれます。毎朝、急がずとも間に合うのに、途中まで駆け足で行く息子を窓越しに見送ってからオット君と「今日も行った、頑張ってるね・・」と同じ会話。無事に過ごせる日を重ねてほしいものです。しかし、そんな日ばかりでもなく先日は掃除が原因で放課後、正座する事になったようです。少々不機嫌で帰り、話してました。息子曰くいつものようにモップがけをし、掃除が終わったと思ってクラブへ向かう途中に校内放送で呼び戻され、戻ると何だかわからないまま同じ掃除のグループ全員が正座することになっていた。終わったことを先生に報告することになっていたなんて知らなかった。先生に聞いてみると修了報告がなく、行って見ると落ち葉が渡り廊下にあり、掃除したようには見えないので勝手に解散したグループ全員を呼び戻し連帯責任で正座を・・。話しを聞き合わせているうちに掃除グループの生徒が毎日順番に終了の報告をするらしいのですが、息子はそのシステムさえも知らずにいたのかも・・・把握できていないようすでした。そして、チームの連帯感これを息子に理解してもらうのは難しいです。掃除は片づけ・掃く・拭く・ゴミ捨て・・etcワンセットであること。部分を手抜きしては終了にならないこと。息子の考えるとおりだが(夫々が分担に責任を持ってやれば済むこと)自分はきちんとしていても、他の人が手抜きをすればワンセット完了にならないこと。欠席等で出来ていないことも考えられるから、自分の分担以外の仕事でも完了までやること(カバーし合うという意味)。これが出来ていなかったために、反省の意味で正座させられたこと。そして、「これ等は皆が解ってることだね!」と、先生は確認できたから解散になったこと。息子に話しましたが、解ったかなぁ・・?甚だ疑問です。困ったことがあったとき短文で話そうと思ってもなかなか通じなくて結局、くどくなってしまうあぁ息子よ言葉じゃなく音声のない意思の疎通がお前とできるなら母はこんなに口数が多い女性にならなかった・・・ハズナノニ・・・。
May 13, 2007
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花粉症で外に出るときはジャンパー、マスク、帽子は欠かせない今日も仕事。子ども達と午前は外遊び、午後は散歩。くしゃみが止まらない。息子は春季入校前課題の英語を片づけ明日は国語かな?テスト勉強でも宿題でも1教科づつ片付けようとする。どの教科も同じくらいのペースで進めたらよいと思うのだが・・訊くと「混ぜこぜになるより纏めてやった方がましだ」とのこと。(同時進行が苦手)覚えやすいようにやってるのだから、まぁいいか。先日の息子との会話運動着、上履きの注文のこと高校へサイズはきっちり現在のサイズで注文していた。合わせてみると案の定、余裕無し。私「まだ大きくなるんでしょう?」ヨ「うぅん、分からないけど、たぶん・・」一回り大きいサイズに変更してもらう。(凡その検討が難しく先が分からないとはいえ、それぐらいは考えて覚えてほしい)私「今、調達しようとする物は3年間着ます。現在のサイズより一つ上を買うのがベター!」ヨ「そんなのいちいち覚えているか?次から次と変わるんだよ!」私「当たり前、それが成長ってもんだよ、脱皮が続くうち、サイズは決まらないの!」「過去のサイズは忘れても、今のを覚えときなさいよ!メモしといても良いんだしサ」ヨ「あ~めんどくさ・・」私(カチッ)「己のことを面倒くさがってどうするんだ!何れ自分でや・る・ん・だ・よ!」障害の困難さは克服の手段があるなら教えたいそして、私は息子の頼る気持ちと甘えを見極める必要ありだな甘えられる幸せを感じつつも、甘えに甘んじないようになってほしい少しずつ自覚をもつよう考えさせて行きたい更に自立までには自分で考え出来る自信を・・・あぁ遥かな道のりだ
April 2, 2007
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私の風邪は治ったはずだが、鼻ジュビジュビはつづく、苦しい花粉アレルギーがはじまった。うぐいすの初鳴きの声が聞こえると、オット君は言うが耳が塞がった感じで私にはよく聞こえない。前の週は祝日もあったが、体調不良で熱を出し、更に息子の用事があり結局のところ週1日しか働かず。そして先週はフル稼働、おまけに土曜日は職場の引越しでクタクタだ。日曜の母はゆっくり休めるわけは無し。視力低下?の息子のメガネを買いに出かけた。前の晩はゆっくり温泉に漬かった家族だから、本日は当然早起きの者は居らず、毎度のことで、昼からのスタート。こんな日曜日に遠くまで出かけると帰りが遅くなり疲れてしまい、当然、月曜朝が怖い。よって娘は留守番。息子のメガネを買い、ついでに今の物よりも思いっきり若作りの私用も・・。アハッ、意外と反論のないオット君・・・ありがとう。帰り道は助手席でいびきをかくオット君、後部座席からは口ナビの息子、バタバタと新年度の始まり、我が家の一日。せめてオット君と晩酌でもしてから、休むことにしよう。
April 1, 2007
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息子の卒業式後、不覚にも不摂生が祟ったのか2・3日熱を出して寝込んでしまった。家族には「鬼の霍乱」と言われ、3月になってから人手不足で大変な職場も2日間休んでしまった。高校入学の準備や、サポートのための資料作り、そして職場の新年度体制の会議の資料などやることはたくさん有るのに・・。息子は卒業後とてもリラックスした毎日を送っている、私からは羨ましい限りだ。21日、高機能のクラブへ参加、友達と合格を喜び合っていた。その反面、双方共新しい学校への不安を語り合っていた。私たち親はその様子を微笑ましく眺めさせてもらった。24日、親の会2回目の集会をもった。前回は夜で集まれない人もあったので昼に行った。終始和やかに夫々の意見や会話がもたれと思う。「発達障害」はどうして「発達」なんだろう?いろいろな障害があるようだが、どれも脳からの指示が上手く伝わらず、ホルモンのコントロールがなされない、意思表示や身体のコントロールができない、異常なまでに動く、或いは動かない、反応しない、話せない、思っていても出来ない、痛みも感じない等になってしまっている現実をもって生きている。生まれた時からもしも、自分に障害があったら今、自分の中ではどんなふうに見え何をどう感じるのだろうか?子ども達と接していると、まっさらのただの人だったら的な気分になる。勉強不足の一言に尽きるが、改めて「障害」を考えさせられる。あ~頭があと二つくらい無いかなぁ。楽しみたいこともたくさん有るし、しなければならないことがちっとも片付かず、コントロール不能な毎日が続くよ~!明日は10時から入学手続きで息子と高校へ行き、午後は仕事へと急ぐが、間に合うかなぁ?
March 27, 2007
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今日、公立高校の合格発表が午後3時からありました。普通科に合格しました。掲示板を見て「やった!」と拳を振り上げたとか。息子と私たちの選んだ高校は今回が最後の募集のようですから、やがては統合されるだろうと思います。山があって川があって静かな環境の小さな学校です。今の中学校からは遠く離れたところになります。『山のある静かな過ごしやすいところ』という息子の気持ちを一番に支援と将来性、学校生活を楽しんで過ごせるように考え決めたところです。入ってからの本人の頑張り次第ですが、2年生からの進学コースもあることですし、一人一人を生かしてくれる学校だと信じ選びました。本音は、また初めからですので通学のバスの中や行事、校内生活で最下級生ストレスを味わうだろうなと心配しています。でも、中学で不登校ASの先駆者もあり・・の情報もありますから理解は求めやすいかも。とある程度の期待はしています。息子は、これまで自分を抑え、あまり主張できていなかったから、思いっきり楽しめる学校生活を送ってもらいたい。これが一番の願いです。入学手続きの後に、支援を求めて学校へ話しに行って来ようと思っています。ヨ「よろしく頼むよ」私「うん・・・とは言ってもこれが大変なんだよ」ヨ「だから、宜しくって言ってるだろ」私「おうおう、急に態度でかくなったよね」受験まで頑張ってきた息子から引き継ぐように私たちの出番になります。障害への理解と息子の特異への理解、そして支援や連携について・・など。経緯を話すとき、簡単に纏めると善い事も不十分な事もあったから・・・。さあて、どこから纏めようか。
March 15, 2007
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式後の最後のホームルームで担任の先生が、生徒一人ずつへ送る言葉を言い握手してくれました。生徒との出会い、生徒の頑張りを褒め、これからに自信を持て・・・。息子にはどう言ってくれるのだろう。「あなたは私の目標でした。あなたに刺激されて私は漢検を受けました、受かったと思ったらあなたは更に上に居ました。これからも私を引き離して行って下さい。頑張って、ありがとう」と言って下さいました。更に担任の先生は生徒たちへ贐に中島みゆき作、ミスチルの「糸」の曲に合わせてトロンボーンを吹いて下さいました。1年生の時に比べると、自分の障害が受け入れられるようになってきましたが、相変わらず行事は困り事が多かったです。他の生徒との関わりでは激しいトラブルは少なくなり、訴えも随分減りました。困った時、担任へ自分から話せば大分気持ちが楽になることへつながるのを知り、「教室に居るのが嫌だ」ということも少なくなってきました。小学校の卒業アルバムは「捨てて無くしてしまいたい」と言う息子が、昨日持ち帰ったアルバムは自分から開き、説明しながら一緒に見ています。学校生活が、辛く嫌な事だけではなかったと考えられるようになれて、何よりです。学校へ行けなかったとき、行事の度に担任の先生には本当に頭を悩ませました。校長先生は、快く私達の申し出をきいて下さり、励まして下さいました。普通以上に看ていただかなければならないことを、いつも心苦しく思っていました。無事に今日を迎えられ、「感謝」の気持ちでいっぱいでした。演奏も終り「皆さんから何かありますか?」と先生が言うと、なんと息子が「はい!」と手を上げました。私とオット君は驚きました。「何をするんだい?」「聞いてなかったよ」とモソモソ。ヨ「私的なことで恐縮ですが、俺の気持ちです」と筆ペンで書いた絵を差し出しました。(場からは唐突に感じられ息子らしかったです。)私達「あれ、あれだ!12日に描いた絵・・・。」(そうか、このつもりで描いてたのか)息子の気に入ってる「田舎風の雪に埋もれた家」(年賀状にも似た風景を描いていた)そして、もう一枚の「竹」の絵は、外で見送る校長先生へ渡して親子3人でお礼を言いました。(絵を差し出すタイミングが息子リズムで、校長先生のオデコにこつん!)最後の最後までゴメンなさい、ありがとうございました。・・・あの絵、先生方へのつもりだったのか・・・でもコピー用紙ってのは、どうよ!・・・もっと別の用紙が有っただろうに。 (イケナイ、イケナイ私の悪い癖、息子からのホンの気持ちだから良しとしよう)
March 14, 2007
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朝、登校前の息子へ抹茶を一服入れ、言いました。「長かった、と思えば辛かったこと苦しかったことが、たくさん思い出されるけれどたくさんの出会いのおかげで確かに生きてきたことを感謝いたしましょう。」「ありがとう」と正座して答え、飲み干して「ご馳走さま」。卒業式では背筋が曲がっていたり、頭に手をやるなど落ち着かない様子もありましたが、なんば歩きもせずに皆と一緒に並んで終えることが出来ました。後半の、セレモニーでは息子の不得意な合唱がありました。3年間、合唱練習が有る度に辛さを訴え、学校へ連絡の取り合いをしたことが思い出されました。案の定!視線の置き場所がわかってないから瞬きが多い。緊張とは裏腹に欠伸を堪えている。(七不思議のひとつ)今日は文化祭の時よりは暗幕が無いだけ楽だな。他の誰より口が大きく開いていてしっかり歌っているようにも見える。心なしか息子の居る位置からひときわ大きな声が聞こえてくる気がする。ステージ上の息子を見ていると、他の生徒との違いがあれこれ見えてきました。と同時に、息子がいるおかげで私は多くの父兄のように合唱を聞き、ただ眺めているだけではなく、他の人には見ても解しようの無いわけをも感じながら見ていられます。他の生徒と違っていても良い。違うから解ることの方が、ずっと私達親子にとっては大きなプレゼント。帰宅してから言いました。「あなたが頑張って生きてくれたから、自分の卒業の時ですら味わえないほど、今日が嬉しい、ありがとう」
March 14, 2007
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コミニュケーションを上手くとれないことにも繋がりますが、息子は困った時になかなか自分の気持ちを相手に伝えられません。話す時は、私が全く別の話をしているとき突然だったり、話す順は、何処語か?と思うように主語、動詞、述語が順不同で内容を掴みにくいです。状況説明をする時など複数の人のことを聞くためには、よほど耳を凝らし整理しながら聞かないと私にも不可解。息子の話した内容を私の口からおさらいすると喰い違っていることも有ったりします。もう一度説明してくれる時は、比較的息子の気持ちが安定している時で、ムシの居所が悪いときなら「もういいっ!かぁちゃんには話してもわからない!」と怒ってしまいます。(これが困りものです)現在は(1) 困り、如何にかしたくても出来ない(2) 自分ではどうしたらよいか考えつかない(3) でも、如何にかしなければと思う(4) 如何にかしてほしい(1)から(4)へ気持ちが移り変わった時に、私にその内容を伝えようとすることが多いのです。しかし、私はこの頃では(3)から(4)へは簡単に移ってほしくないとも考えます。できるなら、ここで勇気をもって自ら近くに居る誰かに(4)を求めてほしいものです。そのために1 自分のことを理解してもらう2 困っている状況をわかってもらう3 自分がどうしたい(なりたい)かの希望を伝える4 手段を教えてもらう(手を貸してもらう)を伝えることが出来るようになってくれたらよいな、と思っています。もちろん、これらの前には相手への言い出し方や終わってからの助かりましたという気持ち(感謝やお礼の言葉)を伝えることも忘れては成らないことでしょう。すごくハイステップな事だとわかってはいますが、自分で解決する方法として身につけてほしい術だと思います。気長に、いつかは出来るかと思って居たいです。 久しぶりの息子 作
March 13, 2007
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息子は学校行事が苦手。普段のスケジュールと違って進行の予想がつかないから。他の生徒は普段と違う気分でいるのに自分はいつもと同じ緊張を持って臨んでいるから。もう少しで卒業、壺の蓋が半分外れたようで開放的な気分の生徒とは違い、息子が学校へ行く緊張感はいつもと同じだ。箍の外れた気持ちに成れるのは、なりふり構わず話し過ごせるところ。多くの生徒達のように要領がよくないから、学校では気を張ったままのようだ。卒業式練習の困難について思う椅子に座っているだけの時でも多くの『わからない』が息子の頭の中を陣取る。「練習の一つ一つに係る時間」や「練習を終わった後はいつものように掃除等普通にあるのか」等。単に「言われたとおりにすれば良い」とは違い、予め知って安心しておきたい。予定を知れば、また「時間通りに終わるかどうかが心配」になるのだが・・。自分に直接係らない練習時の、気を抜いた回りの生徒の行動は当然小声でもお喋りやミニ悪ふざけのお遊びで暇を潰そうとする。彼等は要領良く先生が近づいて来たのを察知し、お喋りや悪ふざけを止めることが出来る。息子が仮に他の生徒へのお付き合い程度の無駄話をしていたとしても多分、「注意されるかも」と余計な心配をするよりはいけないことは、やはりしない方が良いと考える。(白黒判断の息子)やってはいけないと学習した息子は、多分マジメ君ですごしているかと思うが・・。それに、息子は注意をしようと近づいて来た先生にも気が付かないことも考えられる、更に注意の話し方によって自分に話されているか他の生徒へなのかの判別もつかなくて・・と拡大すれば別の混乱も起こり得る。行事の際、浮かれた多くの生徒から浮いてしまうのも無理もない。練習の緊張は回りの事へも注意を要すが、当日はもっと楽に出来るような気がする。他の生徒が皆、緊張して臨んでくれるから、自分だけ注意していればいいから。立ち位置やタイミング、行進等注意する事は他の生徒と同じ。加えて、緊張が伴った時の動作は細かく意識しないと上手く動けない困難がある。少し気を抜いて、「あぁ・・緊張してるなぁ」等と他のことでも考えようものならその隙に歩く手足がバラバラに動いてなんば歩きになってしまう、椅子に足先がぶつかってしまう、まっすぐ歩けずバランスを欠く等の動作に繋がる確率大。「息子が今学校でどんな風に過ごしているだろうか?」と思うままに卒業式練習について母の他愛無い思いを書いてみました。学校の担任は理解して下さり、電話で告げたことを汲んで出来るだけ本人と折り合いをつけ対応してくれています。息子の場合、担任が他の生徒一人に費やす時間よりは多分に多くを占領しているだろうな・・。あと二日、どうにか持ち堪えてくれ~!さて、午前中に息子は帰るだろうから、昼ごはんと仕事へ良く準備をしよう!
March 12, 2007
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受験当日、朝6時起床いつも通りの行動。緊張している!出かける前にいきなり、一度だけでしたが面接の入退室のおさらいをし出しました。立つ位置、左右かかとをつけた姿勢、お辞儀等がぎこちなく気にしていました。私もいつに無く詰襟をかけてあげる。(緊張を煽るようだったかも)7時バス停へ向う。ヨ「緊張するぅ」と言いながらバスを待つ。私「今日だけは頑張ってきなさいよ~!」(息子と友達へ)友「はい!」(笑顔)ヨ「じゃ、行って来ます!」(緊張顔)乗り込んで行きました。午後3時、会場へ迎えに行きました。(緊張して途中退室など無ければよいが)なんと息子の苦手とする面接は、一人10分位係っている様子でした。外は寒く真冬並に雪が降っていました。時々エンジンをかけながら暖をとって車内で待つこと2時間、息子が会場から出てきたのは、5時を過ぎていました。校舎から出てきた息子と友達を車に乗せ、途中の自販機でお茶を買い飲ませると、ヨ「やっと、自分になった感じだぁ」友「ヨッちゃんも緊張したかぁ」ニ人の話から察すると息子は、5教科は予想どうり、数学がダメみたいです。理科、英語はそこそこで、自信があるのは国語と社会と言うことでした。それよりも、面接の質問内容に大分苦戦したようです。「行事での経験では何を学びましたか?」や「検定を取得して今後にどの様に活かしますか?」など曖昧な質問に頭の中が真っ白になったとか。面接の練習とは大分違った質問で、何と答えたのかはよく思い出せず、ヨ「とにかく自分をアピールしようと思っていた事だけ頭にあった気がする」と話していました。私に詳しく説明はつかなくても、終わって息子も友達もニコニコ顔。車の中は明るいムードでした。そんな様子を見て、とりあえず一安心しています。
March 11, 2007
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我が家の壁には、焼きかま入りの「必勝よっちゃんだるま」が並んでいます。この辺の店では見かけないが、山梨の親戚が送ってくれた。袋の幅が30センチほどあるかな?中身はもちろんお酒のつまみになります。漢字検定準2級と英検3級と高校入試の祈願。二つには目が入りました、もう一つ入りますように。英検二次の結果は思ってたよりも良かった。33点満点の28得点だった。合格点が19点だから、まぁまぁってところかな?採点票を持ち帰った金曜日のこと受験日近くになって、不安に駆られていた自分を思い出し以外な結果だったようだ。と同時に欲も出てきたのか?(オイオイ調子にのるなあのビビリようは何だったんだ?)ヨ「惜しな、あと5点かぁ」私「良かったじゃない、頑張って取れたんだから」ヨ「本当はもっと悪い点かと思っていた。 俺はいつも不安なんだよね。 あんなだったのは、一体・・・障害ってことかぁ?」私「自分の実力が掴めない・・ってことかもね。・・・だから皆テストするんだよ」息子には、私たちが掴む凡その検討がむずかしい。他の人達がどれくらいで、自分はどのくらいのレベルか、わからないのだろうなぁ。ゆえに完璧を求めずにはいられなくなるのだろう、安心するためには。加減も同じだ。「適当に」も曖昧で掴めない。だから、受験勉強もどれ位やったら良いものか、「自信がつくまで」や「もっと・・」など言おうものなら、とんでもない事になる。受験勉強はフツーよりはたぶん、時間的にも少ないだろう。一概に時間を重ねれば良いということでもなさそうだし。息子なりに意識して頑張ってるようだった。もう一つの達磨の目は15日の発表しだい。
March 10, 2007
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しまった!今日の時間割は?最近、卒業式の練習があった日のこと。練習の最中、後ろの席に座る他のクラスの生徒達からの刺激が多い。「肩を叩かれる、無駄話が煩い、急にぶつかってくる、椅子の列は乱せないから、浅く腰掛けることで除けているが、自分がひっくり返らないように気を付けていないとならない」と息子が私に訴え、帰宅してからイラつくことがあった。息子にとっては、後ろの生徒たちへの共感も無ければその意図がわからない為、迷惑、うるさい、不意なことで警戒しっぱなし、痛い、止めてほしいが伝えられない等沢山のことが自分の中にあっても、発せられないし、してはいけない事と学習しているから、合わせることも出来ない。結果「どうすればいいんだ」になってしまう。せめて明日の受験を控えた今日は、式の練習がありませんように・・。学年主任へ連絡、さすがに前日の今日は式の練習はないようだ。帰れば、明日への不安は言うだろうが、その他に学校から何を土産話にもってくるやら。それまで私も仕事に出かけよう。
March 7, 2007
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――全くご無沙汰の最近のことを纏めて――4日のこと事業所対抗のソフトバレーの大会に出る事になったオット君と私。メンバーはオット君の会社から、最近二人目の子宝を授かったトトさん。友達で結婚したばかりのシモ君と4人。(女性=私だけ、長老=私)若い彼等のおかげで決勝トーナメント進出。15点3セットマッチを計12セットもすることになってしまった。暫く練習してなかったから余計に、身体に効く~。「即席チームだから」と軽い気持ちで行ったが、いざ始まるとつい本気になるから・・レクなのに。「いつまでも続けてほしい」と息子に煽てられて参加したが、トホホ・・夕方から筋肉痛!5日のこと息子が漢字検定準2級の合格証を持って帰ってきた。受験当日「30分ほどで退室して来た、記入はしたけど判らないところもあった」と言ってたので期待はもたず、しかし気になってはいたが一安心。息子は「2級、うぅん準1級ぐらいまで取れないだろうか」と調子のよいことを口任せに言っている。次のステップへの気持ちがある・・と思っておこう。 6日のこと筋肉痛も回復!めでたし。家へ帰ると息子が言った。ヨ「担任から電話があった、英検受かったようだとか・・よくわかんない?」私「そう、よくわかんないでは、担任から電話・英検のこととしか私に伝わらないよ」(少々厳しい言い方で私の気持ちを伝える)電話の用件がわからない?それとも「○○のようだ」と聞いて英検合格の確信がないからわからない?せっかく先生に伝えてもらったのだが、息子は合格証を見てから信じられるのだろうなぁ。「急ではない様子だった」と言うから明日を待とう。
March 6, 2007
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オット君は例年の事でこの時期、多忙で毎日帰りが遅い。遅い夕飯と風呂を済ませると、PCへ向い静かになる、見ると丁寧に頭を何度も下げ頷いて?いる。Zzz娘も月末プラス年度末で疲労もピークに達している。息子は試験まで1週間そして卒業式を控えている。私は新年度も契約更新で、職場は新しい建物へ引越す。中でも気になる事はやはり息子の受験。体調不良は良くなったもののインフルエンザ蔓延で健康管理の気は抜けない。息子は受験、結構気にしているようで過去問やっているが、いつもの様子と変わらなく見えるのは?波なし・平ら・焦りなし・平和主義?冷静?そんなことはないと思うが。心配性なはず・寸前になっていつものように慌て出す?オイオイよしてくれよぉ。息子の卒業、受験、受診、お楽しみのクラブ・・。私の勤務は今月も息子の用事の休みが多い。他にも親の会の集まり、ソフトバレーの試合。家族それぞれが、多忙の三月。心配事も山ほどあるが、楽しみながら過ごす。まぁこんな春もよしとするか!
March 1, 2007
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熱は37度台になったが、相変わらずトイレへの駆け込みは続いている。学校へ欠席の連絡、小児科へ行く。私が受付を済ませ、息子は検温と身長体重を計測、179cmの小児か!私「一人で受診できる事も大切だから、自分でしなさい。身体だけ大きくてもね・・・(横目)」ヨ「カチッ!」名を呼ばれ返事して中に入って行った。私は診察室のカーテンの外で聞き耳を立てる。心配するほどのことはなく、症状を経過を追って話している。ウェルス性腸炎との事。帰宅後学校へ電話、明日の授業予定を訊き様子を伝える。担任との会話内容を聞いていた息子は、「・・・相変わらずトイレへ運動会してます」ということはどういう意味なのか訊ねた。そう言われれば変な言い回しだ。(物事をイメージ先行で捉える私らしい言い方かも)私「あなたが忙しくトイレに通ってる様子の比喩で・・」息子の日常に溢れる言葉には、このような不可解が多いのだろう。訊かれる度に解説し、話す内容がうまく伝わる様、砕いて伝える事が当たり前になっている母としては、自分の口数の多さとクドイ話し方はこの子の母ならでは・・と妙に納得した。
February 27, 2007
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土曜の夜、高熱を出した息子の様子から、日曜の検定受験へは行けないか?と思い、私「頑張って行ってくれないかなぁ」と呟く。オット君「仕方ないだろう、具合悪いんだから無理させない方が良いよ」と私を説く。久々に外は雪が舞い寒い。「仕方ない今回は、体調が悪化するより・・」と私は諦め加減になる。起きてきた息子に朝食は食べられそうか?のつもりで私「んで、どうする?」ヨ「いくよ!」私「・・・・・」(おっと、そうきたか)私「ならば、お粥と味噌汁を少しでも食べ落ち着いて、時間をおいて頻繁にトイレへ行かずとも良いタイミングと試験へ出かける時間とを合わせるようにしよう!」食後早々、テキストを見る余裕もないくらいにトイレへ通う息子。私「大丈夫?しっかりしなよ!短時間だから、帰るまでの辛抱だ!」(鬼母)今日の息子は「あ~ぁいやだな」とは一度も言わず。「会場の入り口がわからない」と言ってたこともあり、途中まで車で行き会場へは一緒に歩く事にしていた。車が進むにつれ、助手席の息子の顔はだんだん締まってくるようだった。それから暫く無言、車を走らせ止める。ヨ「よしっ行くぞ!」と私を見て降りた。私「うん、行こう!」と言い私も車を出た。 親バカは、心の内で(この子の強さに感謝)と思った。会場入り口には受験の諸注意が大きく貼り出されている。息子は丁寧にそれを全部読み、ヨ「んじゃぁ、行ってくる」と言い入って行った。受付に何かを訪ねている様子の息子を振り返りながら、(何よりもトイレの場所を先に確認してくれよ~!)終わってからの待ち合わせ場所へ移動して待った。終わって現れた息子へ「ご苦労、どうだった?」尋ねると「何を問われているのかは解ったが、何を答えたかはよく覚えてない」と緊張した様子がよくわかる返事だった。私「初めてだし、ダメでもまた受けられるから・・若し受かったら儲け物ぐらいに思ってなよ」 (こんなに頑張った子に何と心無い事を)取り繕うように言ってしまった。帰宅、昨夜の寝不足分を補充し、起きた息子は、お気に入りのぬいぐるみを昨日迄よりも高く放り投げて遊んでいた。
February 27, 2007
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明日の英検二次試験を目前に、息子は昼頃から腹部の不快感を訴えていた。昼食も満足に食べていなく午後はゴロゴロしていた。英検面接のプレッシャーだろうか?吐き気もあるようだが「本屋に行きたい」等言うくらいだから大したことではない明日の夕方にはケロッと良くなるだろう位に考えていた。夕食の準備にとりかかろうという時に「おかゆにしてくれ」と言う。(おいおい、ほんとの病気か?)食事は3度、しっかりと残さず食べる子が昼の様子といい、おかゆ希望といいやはり要注意のようだ。夕食を済ませ暫くすると、あーやっちゃた(吐)ノロかも・・慎重に処理。ヨ「ゴメンよ母ちゃん」私「なれたもんよ、気になさるな、それより大丈夫かい?」触れると少し熱いかな?しかし、熱があるといえば気にして、明日は××だろうなぁ。チョットようすを見よう。そのまま息子は就寝した。さて、娘はどうした事か。非難させねば、風邪にしろノロにしろ。午前2時、検温38.7、プレッシャー熱にしてはありすぎ、風邪かノロか判らないが、氷枕をする。午前4時10分起きてトイレ、下痢。 (読んでる方へ、汚い話ですみません)やれやれ、今夜も眠れそうにない。明日の試験はどうなることやら。
February 24, 2007
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英語検定二次面接試験を25日に控え今日は学校で練習をし、いつもより少し遅くに帰ったようだ。帰るタイミングが違うと周りにも会わなくて良い生徒が居たりする。(多分急いでいる様子)進路妨害され、「じゃぁネ、じゃぁネ、じゃぁネ・・」と何度も言われたとか。「自分と同じクラスの生徒もそれを見て一緒に笑っていた」息子は憤慨して話していた。高校受験と英検面接のことでWストレス、更なる対人ストレスは困りもの。怒りの沸点も普段より下がる。同時進行が難しい息子は混乱ぎみだ。(検定の時期を考えとけばよかったな)母も反省。ヨ「検定の意義が解らない、必ずしも必要ではない!」面接が苦手の息子は『二次試験を止めたい』と今にも言い出しそうだが耐えている。私「じゃやめる?」ヨ「そんなんじゃだめだ!・・そういう事を言ってるのではない!」押しつぶされそうだが、寸でのところで保っている。(受験の希望はある)時間をかけ、落ち着くようお茶をすすめ時間をおく。私は(今夜は長期戦)と気持ちを据え、息子のやる気が持ち上がるまで付き合う。合格した時はその上を目指したい気持ちがあったはず。二人で面接練習をする気にやっとなったのは、話し始めて1時間以上経ってからだった。タイマーを準備し、初めは息子が試験官、私が生徒のスタイルで質問と答えは息子が話す。次は逆の立場で行った。曖昧なところ、忘れたこと、試験当日の会場入り口・受験室を見つけられなかったら等々、不安なことをチェック。金曜日にもう一度練習があるらしい、ヨ「それだけじゃ、全体の雰囲気がつかめなくてわからないんだ」(困惑)私「何回か付き合うから、家でやろう!」ヨ「悪いが、頼む、物覚え悪いんで・・」私「お前にうまくやってほしいから、それに出来なくてブチッ・バチッ言ってるのは私も困るのでネ」わからない点を明日先生に伝え、明日も母と練習をすることになった。学校で解りやすく練習できるよう話してみることにする。息子は布団に入ってからも「すまないね、母ちゃんも色々あるんだろうけど・・」と言って、今夜自分のことに時間をかけてしまったことを詫びるようだった。「良いんだよ」とだけ返事した。普通と自分の困難さを知るとき、詫びることはないものを静かに「ごめんね」と言う。そんな気持ちになる息子を見るのは辛い。明日になったら重い気持ちにならないように「お前と一緒に英語を学べて、嬉しいよ~」とでも言ってみよう。
February 20, 2007
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今夜は先日呼びかけた方々で集まった。こんなで良かったのかなぁ?9人それぞれに思うことが有ったか?何もなくては、と進行を書いたものと今年1月に配布された?自作の呼びかけの作文を配った。皆が心の思いを話すには時間が足りない筈、「地域にこれまで無かった胸のうちを話せる場所になってくれれば・・」その気持ちが伝わればとりあえずそれで良い。会場へ急いだ。皆、話したいことは思ったとおり沢山あった。話し足りない気分で帰っただろう。産声をあげたばかり、定期的に続けて行こう。そしてからが本当に親としての支援を考えて行ける。困り事を話合いながら他を知り自分を振り返りどうあるべきかは、その後生まれるかと思う。現実には今夜のような場所に出てこられなくて悩む親はずっと多いことだろう。声を上げても、この指とまれと言っても動かない親は、救いたくても私には救えない。情報を共有できない、もどかしい。わが子をそして己を救いたければ踏み出すしかないものを・・・。(チガウカナ?)発達障害児を抱える家庭の障害は子どもの障害だけではない。来られなかった方々には残念だが2時間、話が尽きなかったことだけ伝えて次回へ繋げよう。今夜の会へ「自分も」と参加を希望して下さり立場の違う視点からの発言も参考になりよかった。夫婦で参加してくれた人達の真剣さも伝わる。今夜参加してくれた皆さんに ありがとう!
February 16, 2007
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地区の軽度発達障害の親を集め、茶話会からはじめようと考えている。10人ぐらいの集まりになりそう。互いの信頼関係から作っていく事を目標に、今日は第1回の集会を連絡した。会場の手配公の場所で、できるだけ参加できるような時間帯を皆から聞き設定する。「障害」というネーミングと葛藤している親もあると考え、会の名称を暫定的に考える。オット君と二人で「いろはのい」「ABC」など話していると、ヨッちゃんが話題に加わり、「だったらスバルはどう?」と言う。マジメに話す息子に母は「ダイハツじゃいけないのかい?」ヨ「俺達は異星人みたいだってこともあって、なんかねぇ星が良いと思うんだけど・・それに『昴』って集まって一つになるという意味もあるんだよね」と超マジメ態度で事典を出してきた。馬鹿げた己の発言を恥じながら、息子の不意の発言に納得するしかない。しかし、我が家の会話はそれでは終わらず。オット君「不思議・・?そういえば、生まれる前に名前を考えた時、昴輝(こうき)が最初の候補にあったねぇ」私「あっそうそう、昴の字だったね」ヨ「エッそうだったのかぁ、俺そっちがいいなぁ」私「コウキはコウキでも、高機能だったんだねぇ」ヨ「ブチッ!」(笑)暫定的な会の名称は「昴」として会場の使用申し込みをした。皆に電話連絡をする。地域の障害者コーディネーターも参加したいという事で案内する。児童相談所へは以前から希望してたことでもあり、今後も何かと関わっていただくことになるので、経過と状況の連絡をする。ともかくも見た目では解りにくいため周囲の理解を得ることの難しさを持った人達がいること、そんな「会」があることだけでも地域社会へは、啓発になる筈だと考えている。活動を続け、広げていくことで一般にも広がりのある協動へ、やがては軽度発達障害児(者)の「共に活ける」活動へ・・なんて、今は夢のまた夢。
February 13, 2007
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2月6日は、娘の23歳の誕生日でした。一日中、出かけていることが多かったので、今年のケーキは手作り出来なくて、ごめんなさい。当たり前のことだけど一緒にお祝いできて、とても嬉しく思いました。「何歳になったの?」解りきった質問をしたら「32歳、来年は42歳、その次は52歳・・。」一年で10歳以上も歳をとるペットの鳥年齢で答えていた。自分の1年を別な意味で話してはいないだろうか?と、余計な心配かもしれないことをふと思った。一年頑張ってきたね!一緒に過ごせる今日が嬉しい。ありがとう。6日は、もう一つのありがとうがありました。1年前までは話したこともなかったご夫婦でした。人に優しくて私達夫婦も時々寄せてくれ、仲良くしてもらっています。いつかの事、手作りのパッチワークのバッグを持っていて「いいなぁ・・」と羨ましがったところ、「あなたにも作ってあげるから」と、それから、お仕事をしながらチクチク縫っていてくれています。「取っ手はどうする?」と訊ねながら、膝の上に大事に仕上げようとしているバッグを置き、眺める奥さん。ソファーの向こうでそれを微笑ましく見ている旦那さん。なぜか、自然に涙がこぼれてきた。母もとうに亡くなり、よく編物をしていた叔母も年老いて自分のために手作りをしてもらえることなど、久しく忘れて無くなっていた自分に改めて気が付く。身内でもない、一年前までは知りえなかったのに・・。このご夫婦との出会いは、私にとって不思議。いつもご夫婦がくれる、多くのやさしさにまた、心があたたかくなり支えられている。ありがとう。
February 7, 2007
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昨日、発達障害児(者)の保護者や関係行政機関の意見交換会がありました。地域でははじめての事で活発な意見の交換はあまり期待していなかった。次期は遅かったが先週後半になってから、私の念願かなってやっと学校から案内チラシが配布された。しかし、同時にお願いした親の会への呼びかけプリントは・・・。この2年以上の期間、遠く離れた地区の沢山の方々とも知り合え情報提供したり、近況を伝え合ったりできている。しかし、どうしたことかこの地に「親の会」を望んでも、世間のことごとく阻むものを実感することになるのはどうしたことだろう。心無くも「まぁ無理でしょう」と言った人、「十数人は知ってますが・・」と言いながら一人にも取り合ってくれなかった人、「会が出来たら参加する」といった親・・など、様々な立場からいろんな言葉を聞いてきた。数日前、地区に「親の会」ができそうな事を耳に挟んだ。話の出所は期待していた他の方ではなく、どうやら私のことらしかった。「こうなったら、やはり軌道に乗るまでやるしかないね!オット君」とりあえず何人か集まったところで運営を検討しながら進めようということになった。昨日の意見交換会では「希望しているひとがいるのにどうして今まで・・・。(疑問)」と思った。会の終わりごろ「グループ参加希望の方は残ってください!」と言ったところ5名の方が残り連絡先を快く教えてくれた。障害はADHD・AS様々、「また会いたい・・」と、皆が親同士のコミュニケーションを欲してるのが伝わってきた。「よし、これで8名」なんとかなる!オット君と遅い昼食をとりながら、「やっと一段落だね」と話した。夕方、下校してきたヨッちゃんに今日の様子を伝えた。私「あなたの知っている子のお母さんにも会ったよ、よろしくって!」ヨ「やっぱりなぁ・・見てて大変そうだもの、あの子」私「これからも大変だよ、並大抵じゃないのよ、会を発足させるってのは・・」ヨ「そうかそんなに集まったか、やれよ!・・・っていうか、わるいな母ちゃん・・」私「オッ、なかなか可愛いこというじゃないか」多分、自分のことで両親が頑張ってることが息子には少しでも伝わっているかと思える会話だった。
February 7, 2007
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今日はオット君の誕生日!わーい、やっと私に追いついた。我が家の長老気分でいるのも5月まで。さてと・・今年はこれまでに無く講演やフォーラムが続いてる。もっと遠くまで行こうと思えば昨年でも案内は来ていたが、大掛かりなドライブ?をせずに過ごした。今年になって、6日の特別支援教育シンポジウム、20日の地区で行われたフォーラム、そして27日の軽度発達障害の講演会へ足を運んでいる。忘れないうちに、参加して感じたことを纏めておこう。親として早急に施策と対応を期待したいが、目指すものが今、示されて取り組みとしてまだ始まったばかりであるべき支援はまだ出来上がってはいないのだから・・・私達を取り巻く社会へ多くを期待してはいけないこと。となるかな。新年度に行政で行われようとしているモデル事業はたくさんありそうだ。学校教育法(75条)の改正案による特別支援のあり方と支援員や体制など追いついていない現実。期を遅れて始まるだろう高等学校での発達障害の支援。特殊教育から特別支援教育への移行による盲聾養護学校や普通学校の特殊学級と普通学級の特別支援。法律で掲げている発達障害の範囲と特別支援教育でいう軽度発達障害という言葉。漠然としかうたわれていない就労や自立へ向けた支援と生活全般にわたる支援。などなど曖昧さが多く安心してなどしていられない。わが子の歩く先の動向を見据えて考える材料は多い。「では、私はいま何をするか?」と自分に問えば、息子の活き難さを理解し、周りへの理解を求める。日々のサポートをすることは勿論、常に自立を考えた生活を教える。今住む地域にも確実に制度が届いていくよう、働きかけることだと思う。直接できなくとも、そのような意識で物事を見る目は常に持っていたい。27日(土)夜、講演やフォーラムへ参加して思ったことをオット君と話し、講演の最中、放りっぱなしだった子達を後部座席に乗せ帰路を走った。
January 30, 2007
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昨日夕方の会話私 「理科室の臭いはどうでしたか?」ヨ 「軽減したが、生臭く腐ったような臭いがしつこく残ってる、皆は気にしてない様だったけど」私 「英語検定は?」ヨ 「うん、まあまあ・・・念波、送った?」私 「送ったよ、3時と3時20分。でも都合の良い言葉だね、まあまあ・・・んでどうだったのよ、点数で言ったらどれくらい?」 (これじゃどっちがASかわからない)私 「何度も言うようだけど、1回で合格しなくても良いんだからね」ヨ 「何で?受けるからには合格が良いだろ?」私 「そりゃ良いに決まってるけど、失敗しても大丈夫だよって事だよ」娘 「あんた、私は3級を2回受けたからね、一発合格じゃ立場ないでしょ」ヨ 「大丈夫、あなたと俺とじゃ得意なことが違うんだから」前日に「頑張るから皆で検定の時間に念波を送って欲しい」と息子が言った。「頑張れ」の気持ちが受け取りにくい息子は「念波」と表現した。友達同士の意思の疎通を以前、「光ファイバーのようなもの」とも言った。「愛着ときずな」については昨年10月号のそだちの科学でも特集していたが、見えないもの・・・心のつながりまだまだこれからも私と息子の大切な学習が続く、たぶん一生。母のお給料日、家族で外食。7~8センチ四方位のチキンのから揚げ4個盛(マカロニと野菜のサラダ、お新香付き)1野菜炒め1・・・・お皿に山盛りエビグラタン1 ライス1 味噌汁4チキンライス(マカロニと野菜のサラダ、付き)1オムライス(マカロニと野菜のサラダ、付き)1焼きうどん(野菜たっぷり入り)1・・・・たっぷり大きいお皿少し味は濃い目だったが息子はハッキリした味が好みだから満足。疲れ気味のオット君と娘も満足。これで¥3,200母も満足。今日、ヨッちゃんは漢字検定、準2級に挑戦する。「ガンバレ!!」オット君へ、始まる時間を書いたメモをテーブルに置いて仕事へ行く。今日も午後になると、家族皆が夫々の場所で謎の宇宙人へ変化する。(爆笑)
January 26, 2007
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昨日夕方、学校で困ったこと、不思議、悩みを聞くと「理科室が臭い」と言う。今週初めに友達のクラスが行った魚の解剖実験でアラを流しから捨てていないためと言う。中学ってところは、こんな当たり前のことが出来ていないのは常。当然の事ながら、一般的な当たり前の事と、息子の学校の(非)常識を同時に教えることになる。私「気がついた人がごみ捨て、やればいいのよ」ヨ「なんで俺がやんなきゃなんないのさ!」「明日授業あるからどうしよう入るの大変だよ」私「理科室に、我慢して入れば慣れるかも」ヨ「ゲー、臭いに染まったらどうすんだよ、臭いで他のこと解らなくなる。それにゴミ捨てだってやったら反って変に思われるよ。あなたの発想にはついて行けない!」私(確かにすごいキツイ事、言ってると思うよ)ヨ「困るんだよなこういう事、明日お願いだから学校に言ってくれないかな?」私「自分で言えるようになりなさいよ~」片付けなかったという友達に言うべきか、言ったら関係が悪くなりはしないか。理科室掃除の下級生が気付いて捨てれば良いのだけれど。他の人は我慢できる範囲かも。等、息子の気持ちにはあったようだ。昨夜もう1件、寝る前に、「あっそうそう・・」と出してきた受験の面接練習の用紙。自分の長所・短所を記入していない。自分では気がつかず、記入できなかったのだろう。私にアドバイスを欲しいのか?(こんな事話す予定だよ)・・・お知らせだけのつもりなのか?考えているうちに息子はさっさと部屋へ行ってしまった。昨日は娘が通院のため早めの帰宅。息子は誰も居ない家へ帰ることもなく比較的調子が良い。なのにプリント出していなかったのは??(ここのところ、私の帰りが遅く息子の学校での不都合をじっくり訊いてやれないでいたからなぁ)今朝になって、理科室の件はいいとして面接の長所・短所について朝食時、息子に話してみた。しかし、少々不機嫌、今日は英語検定がある。息子は申し込み当初から、筆記試験よりリスニング試験が不得意で気になっているようだった。それとも、ゆうべオット君の帰りが遅くて『ズンダ餅』食べ損なった所為?(珍しいものは家族揃っていただきたい)息子へ話が伝達できないままに登校。 学校へ連絡。理科室の件と今朝の様子。面接練習の件は、一般的な体裁は考えず、ありのまま書くように長所・短所は障害の特性でもある?暗記力や対人関係が苦手など、本人が気付いていることもあるので、自分が許せる範囲で書けるように先生からの助言を求めた。帰ったら『ズンダ餅』食べられるように解凍してから出かけよう。
January 25, 2007
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暫く振りのブログ更新。様々な事が同時進行で頭が超多忙。昨日から、また学校が始まった。休み明けのテスト、受験の準備など始まっている。家庭学習にも力を入れて欲しいところだが、本人の様子からすると以前これまでと変わらない。今日学校へ行ってきた。校長と担任外の先生と担任に会って話してきたが、今年度のうちには大きく変わった事があるのだろうか?相変わらず様々の場面で分からないことが多い息子はこのまま卒業を迎えるのだろう。学校社会はやはりあまり開こうとしていないように思えるのは私だけだろうか?連携をとることがもっと密にできたならもっと良い支援に繋がると思うのだが・・。朝のお弁当作りから始まり家事、外の用足し昼食で時間が過ぎ、午後4時頃に息子が帰ると集中した時間は取れず、何処の家庭でも同じことだが、夕方からはファミリーに捧げる母の時間になってしまう。家族の事、友達や親戚の事、自分のことはそっちのけで時間が過ぎる。皆が寝静まってからやっと自分の時間になる。読みたい本はとりあえずの飛ばし読みで、じっくり読む暇がないまま大分溜まってきた。明日の仕事の準備に時間が費やされる。「あぁ1日がせめてあと2時間あったら」と思う。ともあれ今日も無事に暮らせたことに感謝。
January 16, 2007
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親の会があれば良いと願ってもまだ叶わない。「あれば参加する」「誰かがやってくれるのであったら行ってもいいけど・・・」実は私も出来ればその方が都合は良いけど凡その方はそう思うのでしょう。今日は別の方向から当たってみたほうがいいかもと思い親御さん向けの呼びかけの文章を書き、冬休み明けに支援教育の組織から渡してもらうつもりでお願いに行ってきました。1年以上も前からHPで呼びかけて遠くに住む障害を持つ子のお母さんと人と知り合えて良かった。とても喜んで電話をくれた。彼女もまた、別の地域で同じように親の会を探していた。サークルの核になる人の問題。負担になる人がいては続けるのが困難になるのではという心配。小さな和から少しずつ大きな輪へという考えは甘いかなぁ。それでも捨てきれない、嫌な性分だ。希望は、いつも心で願うこと。希望を叶えたかったなら、自分から向かうこと。希望が心になくなったら、希望ではなくなること。希望は単に羨ましく思うことではない。希望は自ら引き寄せようとすること。勝手なことだが、思うようにやってみよう!コケたって、どうせ私だけじゃないか。と自分に言い聞かせている。
January 10, 2007
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8日のこと楽しみにしていた高機能自閉症のクラブへ参加して工作しながら友達との交流してきました。自作の絵とそれを飾る色紙掛け?を工作。枠にする木材も焼いてあり、丁寧に作ってありました。ヨッちゃんは満足そうでした。(家で牛乳パックを漉いて作れば違う絵も飾れそう材料費300円じゃ安い!)友達T君のお母さんと「昼食しながら二人に思う存分に話させよう」と前もって相談していたのでオット君やT君のお姉さんと6人で中華バイキングして来ました。T君とヨッちゃんは話も食欲も弾み、食べ終わってからも話は尽きず。不思議なことに家で私達と話がかみ合わないと不機嫌なのに二人はかみ合って無くても楽しそう。(許しあえる?)サメの話と車の話、サメの種類と車の車種、車メーカーと生息地・・・・。私 「チョッとあなた達、車のことはT君があまり詳しく分からない、サメのことはヨッちゃんが詳しく分からない、だったら二人で分かる話題にしようか」と提案したが二人とも考え付かない様子でまた続けた。ならば・・・と思い私 「どちらかの話題に付き合って順番に話せば、サメのことも車のことも二人で詳しく知ることが出来るよね」と言ってみたが、「そんな時間が無い!」とあっさり却下された。自分の欲求と他の人の欲求をうまい具合に満足させる手段が分からない。話がかみ合わないことは、幼少の頃の順番を守れないことに似ている。2時間近く過ごし、T君ファミリーと別れた後、神社で古いお札を取替え、やっと我が家も今年が始まった気分で一安心。お決まりの本屋さんで速読などの本を買い帰路もオット君の運転で私とヨッちゃんはzzzzでした。お疲れモード、でも気分は晴れの今日午前(地域の発達障害支援センター)養護学校のコーディネーターから電話(支援センターとしての活動は今ひとつ見えないどころか支援センターっていう位置付けさえ知らない親も居る現状だから当てにもならないし、過去にも「進路に関することであれば・・」と言うが実際のところ明確な情報は得られなかった経験もあったから・・・無駄だろうと思ったことも事実)「県の意見聞き取り会?へ参加する親への件、相談者の中に心当てあればお願いしようと思ったのですがもう用事は済みましたので・・」と言ったら、「こういう問題はデリケートで地域の中では難しくて、あまり目立って動けないことでもありますし・・・私は養護学校の職員で授業もあるし、忙しくて・・お力になれないことが多い・・云々」(連絡したけど用事は済んだ、電話ありがとうって言ってるのに何?なぜに戸を立てたような言い方するの?)『はぁ~!』 (摩邪コングになりそう)私は普段の不満が爆発し、イヤーな中年おばさんに変身?!「これまで養護学校には無かった支援部としての業務で、時間的にも上乗せされたようなことなのでしょう。個人の相談は受けて居られても助言も無く地域への啓発や理解などのイベント情報や連絡もないし、学校への教育支援としての動きは最近始まったようですが、地域の支援はそれだけじゃないでしょう?」と言ってしまった。(これは行政へのことで、彼女ばかりに言うことではないのだが・・)そのあとはなんとか穏やかな遣り取りで電話は終わった。しかし、センターとしての位置付けは御上が決めたこと。一個人へ向かって「忙しい」等と言うではない!電話が終わってからも嫌な気分が、ぶり返し午前中から不機嫌な母でした。ヨッちゃんには、あまり社会への不満の態度は見せないように繕っていたけれど帰ったオット君へはお茶を入れる間もなく不満爆発!私 「昨日から今日、晴れのち曇り模様だからね、私は!」ヨ 「お天気情報、えー大陸から発達性の更年期が張り出してきて・・ガハハ」こんな気分をよくも・・・笑うヨッちゃんを見ると怒りも我慢。
January 9, 2007
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昨日の6日は家族で神社へお参りを兼ねオット君と私は特別支援教育講演会へ娘とヨッちゃんは本屋さんへ行こうとドライブ出発。1時間ほど走ると雨が降ってきた。何ということだ、誰も傘を積み込まなかったようだ。仕方ない、「休みはまだあるから」神社の予定は無し。(全く我が家らしい)車の中でコースを変え子供達のスケジュール変更。ヨッちゃんへは「雨だから仕方ないね」と前置きし変更を説明。昼食から2コースに別れ、更に食事後は娘とヨッちゃんは2時間ほど別個行動になった。ムシの居所が良かったのか、ヨッちゃんは気を悪くするでもなくほっとした。娘とヨッちゃんをデパートに降ろし、オット君と講演会場近くで昼食を済ませました。講演会場へは早々入りましたが最終的に500人位集まっていたでしょうか。特別支援教育講演会なので対象は教師や保育士が主とは思いましたが受付の様子をみると一般も結構多く7~80人位はあったかな?講師の先生は滋賀県にいらした方で現在は国立特殊教育支援研究所の藤井茂樹先生でした。幼児期から就労期への一貫した支援や教育、福祉、社会との連携や発達支援センターとの情報の活用の実際的なことであれば講師の先生の得意分野かなと思いましたが、話された内容はLD・ADHD・高機能自閉症の基本的な特性と困難さ」「気付きが支援のはじまり」「一次障害と二次障害」「子供の見方と捉え方」「関わりと環境のたいせつさ」みたいな基本的なことでした。他の講演会でもたまにおもいますが、主催者側の目的内容と講師先生が何を得意とするか、が合わないと話される先生も苦労されるんじゃないかなぁ。(勿体無い、わざわざ遠くからいらしてくれたのに)でもなぁ、今こういうこと始めているようでは・・・・。主催の教育委員会の人が講演の前に言ってましたけど、「当県でも支援教育元年とも言うべき記念すべき年になります・・・云々」(オイオイ、確かに今年から学校教育法が少し変わり小中学校に加えて、幼稚園、保育所、高校でも支援していくことにはなるんだけれども・・今こういう事してるって、喜ばしくはないよ、元年って言っていいの?遅れていて恥かしい事じゃないの?)公演が始まってからの講師の話にも、「地域と学校や家庭、更には親の会等が連携をとって支援していくと非常に形としてはいいかと思います。こちらの県はやりがいのある県じゃないかと思いますネ・・・・云々」(お話し上手な先生でしたけど、私はまたまたガックリ。お上様、頑張ってチョ~ダイ!他所から見たらこんな風に思われてるんですよ!)「仕方ない、やっと動き始めたんだ」「これが、来週や来月、新年度になってからじゃなくて良かったって事にしよう」とオット君と話しながら会場を後にしました。
January 7, 2007
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息子の診断後、私の考え求めていた支援は大的外れなことだらけでした。今思えば世間知らずの私は、最初の心理検査の結果を学校に知らせ、それを基にヨッちゃんの苦手な部分の支援を学校に期待していました。支援計画にはどうか私の気の付いてる範囲での意見を考え合わせてもらえる様に頼み、先生から薦められて診断を受けたのだからそのくらいの事は可能だろうと単純に考えていました。しかし、一向に何の返事もなく、様子を訊けば、学校には体制も何もなく高機能自閉症やアスペルガーの対応を養護の先生と学年主任と担任等がネット検索して調べている現状でした。その頃は二次的な障害に苦しみ落ち込んでいる状態でした。学校での生徒同士の環境が良くないことから来る心理要因が大きいのは判りきっている筈、何も成されない学校への苛立ちから更に親子共落ち込むことになりました。今の状態から抜け出すことが当面の目標と気がついた頃は私自身もヨッちゃんが学校へ行き続けることは、全くどうでもよい事のように思えました。『命を守るために学校から守る』的に考えていました。それでもヨッちゃんは2日と続けて休むことはなく登校していました。私は、学校へも「支援できないという理由は聞きたくない!」というきつい態度だったと思います。多分、防衛心だったのでしょう。暫くして学校と対立関係にあっては何も進まないと思い、『理解してもらう』という振り出しに戻りました。学校でのストレス解消の気分転換を図ろうとプライベートでスポーツクラブヘのサポートをお願いしようと相談に行った先では、時間的なものと人員がなく全くの個人的な契約意外に出来かねるというものでした。右も左も真っ暗闇じゃぁございませんか・・・、と何度思ったことか。「どうやら私の住んでいる地域は、発達障害に関する情報のない地域らしい」と思わずに居られない。辛くても声をあげられないで居る子を救い、発達障害の子育てを考えて行くために、開かれていない社会で手探りを続けているとややもすると自分をも見失いかねなず、『共に生きる』が親も子も必要と今も考えています。『近くに親の会があったら学習会や地域の情報交換等できるのに・・』と思い願ってみても結局は、これからも普通の中で生きて行かなければならないのなら、ということなのだろう仲間は見つからない現状です。(社会的に隠していては本人の為には何一つ改善されることはなく遅れた社会を続けていくだけなのですが)暫くの間、見渡す限りには発達障害の親の会みたいなものは無く、やっと辿り遠いけれど大学の教育実践センターに高機能自閉症の親と本人の集まりがある事を突き止めて今は参加しています。年に3~4回のクラブが大変気に入り毎回楽しみにしています。次回は今月8日、行って来ます。出来るなら、すぐ身近に親子共いきいきと過ごせる場、互いの意識を今以上に高め合える場があったらと自分のきぼうが無いもの願いにならぬようにと今日も考えて居ります。
January 5, 2007
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夫婦それぞれの実家の神棚と、私の実家の裏にある小さな祠へお参りは済ませたが我が家はまだ神社へ、お札を戴きに行ってなかった。この時期のいろんなウィルスが怖くて人ごみを避けています。ヨッちゃんは人とぶつかりそうな距離は緊張の連続だし、娘はウィルス厳禁でマスクを欠かせない。普段でも家に持ち帰らないように、我が家では普通の家庭より手洗いうがいは勿論、この時期はマスクを心がけている。さぁて、今年の家内健康祈願とヨッちゃんの合格祈願のお参りは・・??松の内に行けば良しとするかな。だいぶ人が退けてきた土曜日ごろにでも。正月早々、我がオット君は大失態。二人で飲んで帰った後の今朝のこと起きたオット君のお腹の出っ張りに火傷!私の言ったとおり、電気毛布にすればよいものを。湯たんぽで・・・ギャハハ。「笑うな!」と言うオット君。「酔って、皮膚感覚無いんだったら湯たんぽも無意味じゃないか」と息子にまで言われ可愛そうだけど、笑うしかないでしょう。顔を合わせないように、そっぽを向いて笑いをこらえるこの苦しさはブログに書くしかないなぁ。(ガーゼを貼ってあげたけど心はひどい妻かも・・クックッ・・笑)
January 3, 2007
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