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入院中の母を見舞いに行きました。「98歳で、あのやる気はなかなかない」と看護師さんたち褒められているくらいの頑張り屋さん。とは言え、大腿骨骨折の手術から3週間で、まだベッドから下りるのもポータブルに座るのも人の手を借りなければできません。リハビリを頑張っているようですが、まだ手押しカートにつかまって数歩あるける程度。骨折前の元気さを取り戻すのは容易ではないと見ました。以前より探していた夫婦二人で入れる高齢者施設に空きが出ました。母の希望は自分の家でもとの生活に戻ること。ですが、この調子だといつになるか分かりません。いつまでも病院においてもらう訳にもいきません。ここは施設の方にお願いするのが現実的選択。私も父との2人暮らしを3週間続けてきて彼の世話にも慣れてはきましたが、奈良や沖縄の家はその間、留守のまま。奈良や沖縄の生活をすべて犠牲にしているこの生活を永遠に続けることはできません。そろそろこの辺が潮時でしょう。というわけで、来週は施設の職員さんに父と母の「本人面談」をしてもらうことになっています。面談の1、2日前に私が母を説得をしに病院に行ってくる予定です。母は納得してくれるでしょうか。二人で施設に行くことになると、私も父との2人暮らしから解放されるのですが。自分の生活(と健康=椎間板ヘルニアには今の環境はよくありません)のためにも母をしっかり説得しなくちゃ。
2024年06月02日
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母が父のために用意する朝ご飯はだいたいルーティーンが決まっていました。母が入院してしまって助っ人に来た私も同じようなものを準備して父に食べさせています。パンとコーヒー。果物に野菜、ハム類、牛乳そしてヨーグルト。これに食前、食後のお薬がアペリティフとデザート代わり。本気なのかギャグなのか、父は毎回コーヒーをすするたびに「苦い」、ヨーグルトを食べては「すっぱい」と言います。今朝もやや遅めの朝食が父の完食で終わり、薬も飲ませたので洗い物をするために流し台に立ちました。父に背中を向け「この後は父を着替えさせて」などと段取りを考えながら洗い物をし、終わって振り返るとなんと勝手に父が棚からおやつを出して食べようとしているではありませんか。最近食べるのが早くなり、食欲もあるので朝ご飯は少し多めに出しているつもりですが・・・いくら多くても父には足りなかった?いや、そんなことはないと思います。たぶん甘味が足りなかったんでしょう。昔から甘党の父は同じく甘い物好きの母と一緒に、今よりずっとたくさんおやつを食べていました。それでは体に良くないと私と2人暮らしになってからはかなりおやつの量を減らしました。でもおやつの盗み食いはちょっとショック。パンにつけるジャムをもう少し増やしてあげようかな。
2024年06月01日
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朝の5時。もう夜も明けてきている時間、父の様子を見ようとリモートカメラをみましたが、いません。二人あわせて199歳になる両親は実家で2人暮らしをしています。何かあると心配なので寝室と食堂、リビングにリモートカメラをつけて姉と二人でスマホで監視、もとい、見守りしています。いまは母が骨折して入院中なので私が父と二人で生活していますが、二人と言っても私は2階、父は階下で別々に寝ているのでリモートカメラは必需品です。寝室にもどこにも父がいません。寝室にいないと食堂に行って勝手におやつを食べているのが常ですが。トイレかなと思いましたが、10分、15分経ってもカメラに映りません。心配になってきました。階下に降り、寝室に行ってみると・・・いました。カメラの死角になるベッドの下でコケていました。ベッドから起きようとしたのかトイレから戻ってきたのかのどちらかでしょうが、これまでコケたことのない場所。もがいている姿を見て驚いてしまいました。何もなかったような顔をして助け起こしてベッドに座らせ一件落着。それにしても最近コケる頻度が高くなってます。そんなこんなで朝早くから体力を使ったのか、普段ならとっくに起きているこの時間にもまだ寝ています。最近早寝早起きだけど今朝は起床時間が早すぎました。さっきトイレに起きたので、その後いつものように「腹減った」と食堂の方にくるかと思いきや「もうちょっと寝かしてくれ」と言って寝室に戻っていきました。ま、たまにはゆっくりするのもいいでしょう。朝からあたふたして疲れたもんね(こっちは寝不足だけど 笑)。
2024年05月31日
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大正生まれの父。最近、使う言葉がだんだん昔風になってきました。昭和50年代まで教員をしていたので「現代語」も知っているはずですが、年齢を重ねていくと口をついて出る言葉はより昔使っていたものになっていくようです。トイレに行くときは「便所」、スプーンを取って欲しいときは「さじ」と言います。そのあたりは平成生まれの若い人も知っているでしょうが、こんな言葉は分かるでしょうか。下着の長袖シャツを指して「じゅばん(Juban)」、ズボン下は「ばっち(Batchi)」。「じゅばん」は和装の長襦袢などに言葉としては残っていますが、父の着るのはもちろん長襦袢ではなく普通の下着のシャツ。ズボン下は股引ともパッチ(P)とも言わずにバッチ(B)。この言葉は時代だけでなく方言が影響している可能性もあります。でも現代では当地の若者も「じゅばん」や「ばっち」とは言わないでしょうし、そもそも長袖の下着のシャツやズボン下を着る習慣自体が廃れているようにも思います。ただ下着のパンツは「さるまた」とは言いません。彼が穿いているのはおむつ型のパンツで、かつて穿き慣れた物とは違ったからでしょうか。昔の言葉だけでなく方言丸出しの会話は私を子どもの頃にタイムスリップさせてくれ楽しい時間を過ごしています。
2024年05月30日
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今朝、父と二人でご飯を食べていると父が突然突飛なことを言い出しました。「こうして二人でしている会話を文にしようか。」「なんで?」「本にして出したら売れる。」この人、何を言っているのでしょう。それまでしていたのは他愛もない普通の会話です。さらに続けて「漫才にしたら笑ってもらえるかなあ。」とさえ言います。何が面白いのかよく分かりませんが、父のツボにはハマったらしくハッハッハと笑っています。「俺もあの舞台に立とうかな。」101歳の人がこんなことを言い出したら知らない人は100%、認知症が進んだなあと思うでしょう。しかし、父の場合は昔からこう。突然脈絡と関係ないことを言い出すのは常にあることでした。なので、家族の会話のなかではいつも一人浮いていて、あんまり相手にしてもらっていませんでした。母が入院する前、私がたまに実家に来て三人でご飯を食べていても会話をするのは私と母。父は蚊帳の外。昔から蚊帳の外で当たり前だったのですが、今は父と私の二人だけなので父との会話には付き合います。すると、上のような会話が出てくるのです。母より父の方が記憶力もいいし、認知症の検査をしても受け答えは正しくできます。でも普段は普通に会話をしようとしてもボケているのかフリなのか、相手が期待する答えが返ってくることはマレ。それで「この人は認知症が進んでいるので会話が出来ない」と思われてしまうこともあります。でも、これは父の性格。身体能力に衰えはありますが頭の方はOK。ただ根っからの「変な人」なだけなのでご安心を。
2024年05月29日
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例のヘルパーさんを泣かせた(?)お話。平日に毎日来てくれる父の担当のヘルパーさん。仕事は寝ぼすけの父を起こし着替えさせ食の介助をして薬を飲ませること。そして父の脱いだ服、パジャマ等を洗濯して干してくれること。時間があれば掃除も。のはずですが、最近の父は早寝早起きをするため、ヘルパーさんが来たときにはもう着替え終わって、食事も済んでいます。おとといと昨日は「粗相」があって色々と汚していたので、洗濯も私が行いました。するとヘルパーさん、やることがなくなりました。父は起きている、着替えている、洗濯もすんでいる。担当は1時間もあるので間が持ちません。普段は1時間で足りないくらいなのですが、あとは掃除ぐらいです。ヘルパーさん、困ってしまい「ほかに何かやることはありませんか」と私に尋ねてきました。父はお風呂に入りたがっていたので「入浴介助はできませんよね」と聞きました。でも準備がありません。「いつも時間をオーバーしてやってくれているので早めに終わった日ぐらい、早く帰ってくれたらいいですよ」と言いましたが、根がとっても真面目な彼女にはそんなことは無理な注文のようです。「では床の拭き掃除をします」と宣言して、フローリングの床を隅から隅まで磨き上げてくれました。湿度の高いジメジメした日に拭き掃除は大変だったでしょう。手を抜かない、真面目な彼女に感謝。
2024年05月28日
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昨日の夕方、父とのんびり大相撲の観戦。父が分かっているかどうかは別にして、私は大の里の優勝をしっかり見届けてお風呂に入ることにしました。入浴後、台所に行き夕食の支度をしていると・・・何やら父がごそごそしてる。リビングにいる父のところに行くと、ありゃ、上半身の衣服を脱いで裸になっています。「どうした?何やってるの」と聞くと「風呂、風呂」とうめきます。入浴はいつもヘルパーさんにやってもらっているのですが、急にお風呂に入りたくなって実力行使を始めたようです。「今日は入浴日じゃないから」と言いますが、なおも「風呂」とどうしても入浴したい気分のようです。仕方なく、夕食の準備をしている手を止めて体を拭くことにし、洗面器やタオルを用意しました。幸い昨日は寒くなかったので裸にして清拭しても大丈夫。おむつの方にも「して」いたのでそちらもきれいにして、清拭を無事終了。父はさっぱりしたでしょうが、入浴したばかりの私はまたまた汗をたっぷりかきました。それにしても最近は私との生活に慣れてきたのか少々ワガママを言ってくるようになりました。今朝も用意した朝ご飯だけでは足りなかったらしく「もっと欲しい」と要求。母との二人暮らしでは母にしっかり押さえつけられていたのが息子になら言えるのね。どんどん要求してくれたらいいよ。
2024年05月27日
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今日も父(101歳)のなんちゃって介護。朝5時。リモートカメラで確認するとちゃんと起きてベッドに座っています。どうするんだろう。まさかまだ起きないよね。20分ほど座っていて、また寝ました。よしよし。こっちももう一度寝ます。朝6時半。カメラに映ったのは上半身裸の父の姿。昨日と同じだ。このまま起きるかな?昨日は裸になっていたのであわてて寝室に行き服を着せるも、その後また寝てしまいました。しばらく待っていると、父は上半身裸のまままたベッドに潜り込み寝始めました。昨日のことがあったのですぐに寝室に行かなくてよかった。もう少し寝てくれるでしょう。私がいっしょに暮らし始めたこの2週間。父の行動は段々パターン化してきました。以前は起きる時間がバラバラでお昼を過ぎてから「朝ご飯」を食べていたことも。最近は7時~8時には朝食を食べ終え、お昼も軽く。一日2食から3食になりました。何が彼の行動パターンを変えたのか考えると、夕食時間と就寝時間の固定化に思い至りました。午後6時になると夕食、午後9時になると就寝(それぞれ開始時間です)。母と2人暮らしのときはどちらも結構ばらばらだったので起床時間もバラバラだったのかなと思います。夕食など、午後8時過ぎのこともありました。今は必ず6時からと固定しました。おやつも夜は与えません。それで朝はお腹が空いて起きてくるようになったのではないかと。なんだか赤ちゃんかペットの話をしているみたいですね。さて、そろそろ起きてくる頃でしょう。カメラを見ると、おやおや起きて着替え始めているぞ。では手伝ってきまーす。
2024年05月26日
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私が父の見守り介護を始めてから2週間。父の早起き癖は定着し、頭もなんだか冴えてきています。母と2人暮らしだったときは11時に来るヘルパーさんに起こされるのが当たり前で、ヘルパーさんが来ない週末は午後まで寝ていたのですが、いまは6時台か7時台に必ず起きるようになりました。彼は1階、私は2階で寝ているのですが、朝早く扉(引き戸)の開閉の音がすると必ず目が覚めます。たいていはトイレに行きまたベッドに戻って寝るのですが、そのまま起きてしまうこともあります。起きてくると着替えさせたり朝食の準備をしたりしないといけないので、何時であってもこちらも起きなくてはなりません。それで階下の物音には敏感になって5時を過ぎると私も眠りが浅くなっています。何せ、彼の転倒する可能性が一番高いのがこの時間帯ですから。今朝も5時半に一度トイレに行き、その後またベッドに。私も安心して寝ました。そして次は6時半。今度もまた寝室に戻ったのでしばらく放っておき、リモートカメラで確認すると上半身裸になっているではありませんか。「起きる気になったのか」と台所に行き、朝食の準備をしながら寝室に行って着替えさせることにしました。パジャマの上はもう脱いでいたので、下着のシャツを着させてポロシャツを着させて・・・とやったところで「もう一回寝る」と言い出しました。着替えの途中でもう一度寝るのは珍しい。お腹が空いて起きてくるのが常なので今日はあまり空腹でない?朝食を作りかけていたので仕方なく作り終えた後は私ひとりで朝ご飯。父の食事を見守りながらだと40分~50分かかる朝食が15分足らずで済みました。「父の寝ている間にいろいろ仕事ができるかな」と布団を日に干していると、また物音がしました。小一時間もしないうちにまた目が覚めたようです。なぜか上機嫌で「腹減った-」と陽気に主張し、いきなりおやつを食べようとするので「おやつは後」と言ってご飯。いつもは一緒に食べて見守っているのですが、今日は変速的なことになったので洗濯をしながらときどきおやつを食べてないかチェック。洗濯物を干し終わる頃に父もようやく朝ご飯を終えたので食後の薬を飲ませました。今はリビングに移動してソファーでしっかりご就寝。食べているときだけ起きていたみたいです。ともかく「早起き」癖はいいこと。こうして私もパソコンに向かい、父との些細な日常を書くこともできますしね。
2024年05月25日
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今日も父は早起き。早起き、遅起きを繰り返している順番からすると今日は早起きの日でいいのですが、昨日も予想外に早かったし、三日続くと「早寝早起き」が定着したのかもと感じます。ま、早起きは悪いことではありません。6時半に起きて30分ほどかけて着替えをし、その後1時間かけて朝食。満腹で満足した父は9時現在ソファーでうたた寝しています。こう書くと平和な日常の始まりですが、実際は昨夜寝る前と今朝起きた後は「クソじじい」でした。寝る前にはパジャマに着替えさせ、朝はパジャマを脱がせて服を着させるのですが、昨夜からちょっとお腹が緩くなっていたみたいでパンツ(おむつ)を見るとそこにはすでに・・・出ていました。昨夜も今朝も。彼は一応自分でトイレに行き、おしもの始末も自分でできるのですが、こうなってしまうともう無理。就寝前の時間にバタバタとお尻やトイレ周りをきれいにし清潔な物に着替えさせ、こちらは目が覚めてしまいました。と思いましたが、父がすぐにすやすやと寝てくれたので私も安心してすぐに眠りに。私も父のお気楽性格が遺伝しているのでしょう。ぐっすり寝た翌朝。今朝も父は早起き。着替えさせていると・・・あら、また間に合わなかったみたいです。普段の脱ぎ着は時間がかかっても全部自分でやらせるのですが、これはまずい。そんなわけで今朝も「クソじじい」の拭き拭きから朝が始まりました。そんなことがありましたが、本人はいたって元気かつ陽気。朝ご飯もしっかり完食し「もっと食べたい」と言うほど(食べ過ぎになるのであげません)。いまはうたた寝中です。昨夜からの連続粗相など気にする様子は全くありません。ほんとクソじじいですけど、本人が幸せなら、まいっか。
2024年05月24日
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なぜか一日交替で早起きと遅起きを繰り返す父、今日は遅起きの日なので私もゆっくりできるかなと期待していました。ところが、朝6時にリモートカメラで寝室を見ると父の姿がありません。食堂のカメラを見てもそこにもいません。「トイレかな。もしかしたらそのまま起きちゃうかも、残念だけど」と思いながら、しばらくそのままにして何度か寝室と食堂のカメラをチェックしてみてもどちらのカメラにも父は登場しません。そうこうしながら15分してもカメラに映らないので、やむなく階下に降りてみたところ、父発見!廊下でコケていました。正確に言うとコケたというよりもへたり込んだというか、ドアを背に座り込んでいました。彼は杖とバリアフリーの支え木をもって何とかそろりそろりと歩くことはできます。それでベッドからトイレやリビングにもゆっくりと移動します。椅子から立ち上がることも可能です。しかし一旦床に座り込んでしまったらそこからはもうどうにもできません。今朝はそういう状態でした。そういうことが月に1、2度あります。たいていは早朝なのでいつもは慎重にそろそろ歩く父ですが、寝ぼけているのかも知れません。今日はいつからそこにいたのでしょう。体が冷え切っていたわけではないので、そう長い時間ではないと思います。とにかく放っておくことも出来ず助け起こして立たせました。立たせたあとは自力でベッドまで歩いて行ってもらい寝かせました。そして現在も就寝中。今日はやはり遅く起きる日のようです。朝のスリップダウンは余計でしたね。
2024年05月23日
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我が家を担当するヘルパーさんはとても生真面目な人。どこかで調整しているのかいつも開始時刻ぴったりに家に来て、終了時刻を数分過ぎてから家を出ます。洗濯をしてくれた後、干すときに必ず「外に干してもいいですか」と聞いてくれます。取り込むのは私がするのですが、椎間板ヘルニアで重いものが持てないのを覚えてくれているからです。でも聞かれるたびに「取り込むときは乾いて軽くなっているので外に干して大丈夫です」と応え一度も断ったことはありません。それでも必ず「外に干しても?」は言わないと気がすまないみたい。昨日は父の血圧が少し低くて、それとともに足の色が多少薄かったので大騒ぎ。起きてから少し長めに涼しい格好をしていたので足の色がやや変化していたのでしょうが、それを見てすごく心配してくれ、今にも救急車を呼ばんばかりの様子です。「放っておいても大丈夫そう」と思いながら「じゃ、足湯をして温めてみます」と言いました。その後も「何度測っても血圧が100未満」と不安そうでした。聞くと98と97。それぐらいはときどきあります。父のことより彼女を安心させる方が大事に思えてきて「しっかり経過を見ておきます」と告げました。案の定ほどなく血圧は100を越え父は一日、普段と変わりませんでした。真面目で仕事をきちんとやってくれるけど心配性なヘルパーさん。そしてどこかドジなところがあります。買い物代行なのにレシートをなくして大騒ぎしたことも。忘れ物もよくします。玄関先に忘れ物の傘があれば間違いなく彼女のもの。おとといは何と「ここの前の利用者さんのところにカバンを忘れてきた」と手ぶらでやってきました。カバンと言えば商売道具。引き返すのもいけないと思ったのか、結局その日は血圧も測らず帰りました。今朝は珍しく遅刻したといって慌てて電話してきました。こっちも気づいていなかったし、遅れたといっても2分ほど。そんなの遅れに入りません。真面目なのにどこかポッと抜けてる50代(かな)のおばちゃん。とってもカワイくて憎めないキャラクターです。
2024年05月22日
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先週の火曜日に実家に来て、母の留守(入院中)ひとり暮らしになった父を見守っています。その父、このところ早寝早起きしていました。これまでは放っておくとお昼近くまで寝ていたり、下手するとお昼を過ぎてからやっと起きてきていたのに、この数日は7時前後に起きています。おとといなどは6時半には着替えまで済ませていました。いったい何時に起きたのでしょう。久しぶりに、いや初めて息子と2人暮らしになって張り切ったのでしょうか。しかしそれもおとといまででした。昨日は元に戻って11時にヘルパーさんに起こされるまで寝ていました。リモートカメラで寝室の様子を見ていると、6時と7時、10時に3度トイレに行っていたのでこれを機にそろそろ起きるかなと思いましたが、トイレから帰るたびにベッドに潜り込み再び寝ていました。そう言えば、4月に一時帰省したときにも父は数日間は早く起きてきていました。意識をしているわけではないでしょうが息子が来て何となく張り切ってしまう気持ちがどこかにあるのかも知れません。それに私が起きていれば早めに朝ご飯にありつける予感も?母と一緒にいるときは自分の目が覚めても横で母が寝ているのがわかるので朝食はまだだと分かりますが、別室で寝ているわたしはもしかしたら起きているかもという期待があるのかも知れません。もう一つの可能性はおととい姉が「足湯」のバケツセットを買ってきたこと。その日から夕方父に足湯をさせたりマッサージをしたりすることが日課となりました。足湯につかって父は気持ちよさそうにしています。普段はヘルパーさんに週に一度しか入浴させてもらえない父なので、足湯だけでも血行が良くなり、体がリフレッシュして睡眠の質が上がっていることも考えられます。というわけで現在午前9時。起きる気配はありません。こんなによく寝るなら足湯、毎日してあげるよ。
2024年05月21日
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101歳の父と食事。というか、こっちはすぐに食べ終わるので食事の見守り。以前はひとりで食べさせていたのですが、放っておくと途中で寝てしまったりするので食事の最後まで付き合うことにしました。毎食1時間余りかかりますが、一緒にいると父がだんだんと問わず語りに口を開いてきます。ほとんどが昔話。入院中の連れ合いのことはたまに思い出したように口にするくらいです。昨日突然「女の子をいじめるのはなんであんなに楽しかったんだろう」と言い出しました。おいおい。そんなことをしていたとは初耳。一応小学校の教員をしていた人なのでまさかそんなことを思っていたとは。もちろん小さな時の思い出でしょうし、具体的にどんな「いじめ」をしていたのかは教えてくれません。とくに父の弟(私のおじさん)は乱暴者で有名だったらしく、「〇ちゃんの顔を見ただけで女の子は逃げた」と付け加えていました。実際おじは力も強く、町内の相撲の大関だったそうです。兄弟でつるんでいじめ回っていたのかな。父の食事に時間がかかるのは必ず完食をするからです。好き嫌いなくとにかくすべて食べきるのは物の乏しかった大正生まれのせいでしょうか。今朝も1時間半近くかけて完食し、その間に思い出話をいろいろしてくれました。これからもっともっと父たちの「悪事」を引き出してやらねば。
2024年05月20日
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どうしたんだ、マイ・ダッド(@101歳)!父がこのところ早寝早起きができるようになって喜んでいます。以前はお昼近くになっても起きてこなかったのにここ1週間、私が付き添うようになってからはちゃんと朝7時に起き、夜は9時過ぎに寝るようになりました。昨夜も9時前に寝室に行き、パジャマへの着替えも私が何も手を出さないのにちゃんとできました。しかも10分ですべて。これ、新記録です。そして今朝。6時半にリビングに行くと、すべて着替えてソファーに座っている父がいるではありませんか。普段の着替えのときは下着からアウターまで一つ一つ手渡しながら「はい、次は〇〇を脱いで、それからこれを着て」と言ってやらせているのですが、今朝は全部自分でやったらしく、ポロシャツからズボンまでちゃんと着ていました。脱いだパジャマはベッドの上にうち捨てられていましたが、それはご愛敬。いまはソファーですやすや寝ています。空腹でお菓子をあさったようで、空になった袋が散らばっていました。朝ご飯はもうちょっと後でいいかな。
2024年05月19日
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母が骨折して入院してしまったため独り暮らしになった父の世話にやってきて1週間。101歳と7ヶ月の父を観察していると「これは100を引いた1歳7ヶ月児ではないか」と見まがうような言動が見られます。3つの点からこの説を検証してみます(大げさ)。その1:お腹が空いたらとにかく何か食べる今朝も朝早く寝室でごそごそしている様子。昨日は7時に起きてご飯を食べ、その最中に寝てしまったので放っておけば今日も寝るだろうと思い、敢えて父のところに行きませんでした。でも20分ほどして父のところに行ってみるとびっくり。寝室から食堂に移動しお腹が空いたのにご飯かないものだからお菓子を食べていました。食卓の上にはお菓子の小袋がわんさか。食欲に任せて食べていたようです。普段はお菓子に見向きもしないのに、ちゃんと保管場所を知っていたのね。仕方なく朝食を出しました。その2:好きなものから食べる毎日の父の食事のパターンを見ていると、どうも好きなものから食べています。好き嫌いなく何でも残さず食べる父だと思っていましたが、肉類、汁物などを先に食べ野菜や漬け物類は後。さすがに大人なので好きなものから食べきってしまうことはなく、最終的にはバランス良く残った皿をひとつひとつ空にしていきますが、見ていると何が好きかがよく分かります。その3:食べている途中で寝てしまうこれはもう子どもと同じで食べていても眠くなったら寝ます。さすがに箸を落としたりはしないけど、気がつくと静かに船をこいでいます。昨日の朝は半分も食べずに寝てしまい、朝ご飯がお昼ご飯になりました。今日は完食してから寝たので、今日はお昼ご飯が要るな。運動能力的には102歳と2歳児は変わらない感じですが、102歳(近く)は知識の蓄積があり、そこが2歳児とは違います。でも本能に基づく行動は変わらない印象。
2024年05月18日
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本日も相変わらず、父のなんちゃって介護ヘルパーです。入院中の母と一緒にいるときはお昼前にようやく起きてきていた父。下手すると午前様ならぬ午後様(午後1時や2時に起床)だったのに、私が一緒に暮らし始めてからはどんどん起床時間が早くなっています。今朝はなんと午前7時に起床した気配、起きたなとは思っていたのですが、しばらく放っておくとリビングのソファーに座っていました。一応午前11時にヘルパーさんが来て、彼女に着替えさせてもらって食事の介助もしてもらう手はずです。こんな頃に起きてこられたらその辺がぜ~んぶ私の仕事になるじゃないの、もー。と思いながら「まだ早いよ」とは言うのですが、全然寝る気配がありません。仕方がないのでコーヒーを淹れてやるとうまそうに飲みました。「さ、寝ようか」と声をかけるも目は冴えてくるばかり。「コーヒーがいけなかったか」と思いつつも仕方がない。「パジャマのままじゃ寒いからちゃんと着替えようか」と寝室にゴーバック。寝室に行けばもしかしたらもう一度寝てくれるかなという淡い期待は打ち砕かれ、父は着替え始めます。パジャマを脱いでパンツ(おむつ)も脱いですっぽんぽんになり、そこから今日のお召し物を一つ一つ渡しながら「はい、次はこれを着て」「次はこれ」とやっていると30分が経過していました。着替え終わると当たり前のように食堂に行きます。仕方ない。朝食を準備して食べさせました。が、半分も食べないうちに目がトロトロしてきて開かなくなったので、やむを得ずリビングに導きソファーに座らせました。結局その後、ヘルパーさんが来るまで2時間熟睡。そんなに眠いなら7時に起きてくるなよ、は私の心の声。ヘルパーさんが「血圧や体温を測りたいので起こしてもいいですか」と尋ねるので「起こしてやってください」とお願いしました。最初は眠そうにしていましたが、さすが2時間もうたた寝をした後だけにどんどん目が覚めてくる父。検温や血圧測定が終わったので「ご飯の残り、食べる?」と聞くと二つ返事で「食べる」と。朝食を朝と昼の2回に分けて食べた父でした。全部食べたので「ごちそうさまにする?」と聞くと「もっと食べたい」と言うではありませんか。ひと寝入りして前半の分は消化しちゃったのでしょうか。追加のあんパンを食べ現在、ソファーでよだれを垂らしながら熟睡中。自ら「俺の仕事は寝ること」と言うだけあります。
2024年05月17日
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もうすぐ102歳になる父のケアのため、おとといから実家に帰省。父は普段お昼前に起きてくるのに、私が帰ってからは昨日、今日となぜか8時前後に起きてきました。お腹が空いたというので朝ご飯の準備を前倒しし、パジャマのままで朝食を取らせました。食欲はあるのですが、なかなか箸使いが難しく完食するまでに3~40分。着替えも30分余り。食事も着替えも見ているだけでほとんど手を出さず自分でやらせるので余計に時間がかかります。これまではヘルパーさんが来てから父を起こし、着替えさせご飯も食べさせてくれていたのに。早起きをするようになったのでその辺が私の仕事になりました。そして本人は今・・・リビングのソファーでぐっすりお休み中。いま寝るなら早く起きてくるなよと言いたいところですが、まあこれも父なりのサイクルがあって、いまは早起き期間なのかもしれません。ぽかっと口を開けて寝ている父を見ていると文句を言う気にもなりません。食事や着替えの様子を見ていると能力的には2歳児ぐらいでしょうか。でも違うのは頭ではどのように食べ物を口に運べばいいか、服はどちら向きにどのように着ればいいかが分かっている点。長袖の下着シャツの上に長袖のポロシャツを着るときはちゃんと下着シャツの袖口を持ってポロシャツを着ています。衣服の前、後ろを間違えることもないのはさすがに年の功、食事の時にこぼしそうなものはちゃんとお皿を受けているのも経験知でしょう。できることは100歳を引いて2歳児ぐらいですが頭の中にはたくさんの知識が入っているようです。
2024年05月16日
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昨日から101歳の父を見るために実家に帰省し、なんちゃって介護ヘルパーをやってます。母が骨折して入院してしまったための一時的な生活。普段は口数も少なく、実家に来てもあまり会話がはずまない父と2人暮らしになりました。ヘルパーさんも1日1度、1時間ほど来てくれますが、それ以外は私がご飯の用意をしたり着替えさせたりしていて、まさにヘルパー気分。これまで父と私が二人だけで生活することは一度もありませんでした。普段は帰省しても母がいるので、たいていは母と会話をし父と話すことはほとんどありません。食事も長くかかる父は途中から放っておかれ、母と私はリビングに移動し最後は一人食卓に取り残される父。でも二人だとそうもいかず、こちらの食事が終わっても父が終わるまで食卓で付き合うことにしました。すると、いつも寡黙で食事中ほとんどしゃべらない父がいろいろと話し出しました。自分の父親や母親(私の祖父母)のこと、旧制中学校に通っていた頃のこと、生意気盛りの中学生だった自分が先生につっかかっていったこと、などなど。話のなかで父は小林一茶の有名な俳句を英語にした「替え歌」を友人たちと言い合って笑っていたと言っていました。下記の通りですが、これは私も聞いたことがあります。Free care car was to become miss note.(細部の異なるいくつかのバージョンがあるようです)私がこれを知ったのは50年以上前ですが、もっとずっと前(80年以上!)からすでに流行していたのですね。誰が言い出したのか知りませんが、若者は昔からバカなことが大好きだったし、父もそんなバカなことを言って喜んでいた若者の時代があったことがわかりちょっと可愛く感じました。
2024年05月15日
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母が昨日、骨折して手術、入院することになりました。これから手術をします。取りあえず1ヶ月の入院、リハビリが必要と言われていますが、何せ高齢なのでどういう経過をたどるかは終わってみないと分かりません。夕方、手術後に執刀医から説明を受ける予定です。そちらはもう病院にお任せするしかないのですが、お任せできないのが父親の方。百年以上、まともに料理もしたことのない父。とてもひとりで置いておくわけにはいきません。昨日も配食サービスのご飯を朝食のときに使ったスプーンで食べ、朝いれた冷たいお茶をそのまま飲んでいたらしいです。箱入り娘のことを「箸より重いものをもったことがない」などと言いますが、父はさしずめ「箸のありかが分からない」人。お茶もいれたことがないのでどれくらい茶葉を使うのか分からないし、それ以前にお湯を沸かすという発想もなさそう。日本人の高齢カップルは、夫に先立たれた妻は長生きだが妻に先立たれた夫は半年以内に半数以上が死ぬとか。その統計を耳にしてまさかと思っていましたが、分かりやすい実例がすぐ近くにいました。父の場合、半年どころか半月、いや半日で後を追って亡くなりそうです。その昔、出張で食べ物屋さんのない田舎に行ったとき、そうめんをゆがいたはいいけどつゆをつけることが分からなくて醤油をかけて食べたという伝説のある人。あれは父を揶揄する都市伝説(田舎伝説?)かと思っていましたが、きっと真実ですね。間違いない。
2024年05月14日
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実家で父と二人暮らしをしている98歳の母親が寝室で転倒しました。今朝、ベッドの脇でコケて起き上がれなくなっていると姉から連絡がありました。実家の寝室につけてあるリモートカメラで私も確認。横に101歳の父もいますが、自分自身ギリギリ歩けるかどうかですから父は何ともできません。手を貸すこともできず、ただ心配そうに見ているだけ。でも父がいてよかったのは父が咄嗟に母に電話の受話器を渡したこと。母に言われて受話器を渡したのか、自らの意志で渡したのかは分かりません。父はその辺のことをきちんと説明することはできません。でもそのお陰で姉に連絡がつき、救急車を呼んでもらうこともできました。「母がコケた」との姉からの知らせを受け取ってから30分間リモートカメラを見ていましたが母はとても痛がっている様子。父は自分もほとんど歩けないのに心配そうに母につきそい、毛布をかけやっていました。救急車が到着したのが「事故」から40分ほど。リモートカメラごしに見ているとレスキュー隊員が4人来ており、母はそろそろとストレッチャーに乗せられ寝室から出て行きました。その後のことは姉から逐一電話やラインで報告があり、救急車の中の様子→病院に到着→ただいま検査中、と続きさきほど「検査の結果、大腿骨骨折だった」と連絡がありました。超高齢の母のことですから、また日常生活ができるまでに復活できるかどうかは微妙です。入院しているとせん妄が出たりして、体の面だけでなく頭の方にもダメージが出る可能性があります。客観的に見て、このまま寝たきりになる確率が一番高いでしょう。一応自立して暮らしている母がいたから何とか父も一緒に自宅で暮らせていたのですが、母の介助がなくなりもはや父も自宅暮らしは無理。我が家は大きな転換点を迎えました。早急に本土に飛んで姉と今後のことを話し合うことになりました。
2024年05月13日
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お昼ご飯は卵かけご飯と決めている98歳の母。卵を割ると珍しく黄身が二つ出てきました。「わ!黄身が二つ。」と大喜びする母。「これを食べて双子でも産もうか」とジョークを言いました。何が面白いのかわかりませんが、それが101歳、要介護度2の父にウケました。父は口を閉じたまま笑いをこらえきれない様子で肩をふるわせています。普段無表情のことが多く何を考えているか分からない父がこんなに表情を崩すのを見るのは久しぶり。父の反応をみて思い出したのが彼の父(私の祖父)がやはり高齢になったときのある一場面です。家族でテレビを見ていたとき画面から飛び出してきた言葉が「金満家」でした。中学生だった私が戯れに「金満家、ふたなりのことか」と冗談を言いました。これも今となっては何が面白いのか分からない、昭和ならではの不適切なジョークですが、それを聞いた祖父がやはり口を閉じたままむせそうに顔を真っ赤にして笑いました。そういう冗談は世代を越えて伝わるものなんですね。でもそんなに笑う?お年寄りの笑いのツボが分かりません。
2024年04月14日
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最近、98歳の母に「後追い行動」が見られます。普通は赤ちゃんの行動です。わたしの姉は幼い頃いつも母の後追いをしていて、ちょっとでも姿が見えなくなると泣くのでトイレにもおんぶして入っていたと母が言っていました。今度はその母がわたしの「後追い」をするようになりました。もちろん母は逐一わたしの後ろを歩いてついてくるわけではありません。わたしの姿が見えなくなるとどこに行ったか心配で、帰ってくるまで気がかりな模様。なのでトイレもお風呂も歯磨きも必ず声をかけます。家にいるときはまだいいのですが、買い物のときは心配させないようにどれぐらいで帰ってくるかを言います。しかし、それが待てない様子。外出したのは理解しているのですが、しばらく姿が見えないとだんだんと不安が募ってくるようです。昨日は医者に行き母の薬をもらいその後買い物に行きました。母には「あちこち行くから遅くなる」と告げました。帰宅すると「あー、帰ってきた。よかった~」と大げさな反応。でもそれは大げさではありませんでした。母は心配で心配でたまらず、車が帰ってないか駐車場まで見に行ったり2階にいないか階段を上ったりしていました。足もとのおぼつかない母が駐車場に行ったり、2階に上がったりするのは危険です。本人も「こわかったー」と言っていました。心配なら電話をしろと言ってあるのですが、携帯には携帯からしかかけられないと思い込んでいる母。固定電話から携帯へのかけ方を教え、家の電話の横には大きく番号も書いてあります。落ち着いているときは実際かけてくることもありますが、パニックになっているのかそのことを忘れてしまったのか「電話をすれば良かったのに」というと「携帯だからかけられない」と言います。「そんなことはない。こうすればいい」と実演することも数知れず。危ない後追いをさせないため今後はわたしが出先から電話するかな。
2024年04月10日
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昨日ヘルパーさんが焦りまくっていました。母は週に一度ヘルパーさんにお金を預けてスーパーに買い物を頼んでいるのですが、昨日は買い物から帰ったヘルパーさんと母が台所で何やらもめている様子。ヘルパーさんがリビングにいる私に「ちょっといいですか」と手招きしてきました。何だろうと思って行ってみるとお金のことであわてふためいていました。ヘルパーさんが買い物のレシートをなくしたのがことの発端。次に財布の口が開いていたのが火に油を注ぎました。いつもきちんとしたヘルパーさん、昨日はおろおろして何を言っているのかなかなか分かりません。昨日はレシートをなくしてしまったうえに財布の口がきちんと閉まっておらず買い物袋の中に小銭をぶちまけてしまっていました。それらを集めて母に渡すのですが、お釣りが正しい金額なのかが分かりません。母は1万円札をわたし、返ってきたお釣りが5千円札1枚とカバンの中から出てきた112円。つまり、4888円が買い物金額。なのでしょうか。スーパーのポイントカードを見ると44ポイントがついています。ヘルパーさんはそれがおかしいと思ったようです。金額は4888円。でもポイントは44。このスーパーは100円で1ポイントがつくので48ポイントでないとおかしいのではとヘルパーさんは思ったみたいです。そこでカバンの中をひっくり返して残りの小銭を探しましたが見つかりません。仕方なくスーパーに電話をしてポイントのシステムを聞いていましたが、ヘルパーさんが慌てているので向こうも何を聞かれているのか飲み込めない様子で、とんちんかんな返事しか返ってきません。そのときひらめきました。100円で1ポイントというのは税抜き金額の話では?4888円を払ったということは8%の消費税がついているのでポイント対象は4512円になります。でも、それならポイントは45になるはず。まだ計算が合いません。スーパーのサイトを開いてよくよく調べてみました。するとこのスーパーのポイントシステムは100円で1ポイントではなく200円で2ポイントになっていました。これで計算すると4512÷200=22.56。200円2ポイントなので、小数点以下を切り捨てると44ポイントで正解なのでした。いつもは落ち着いて黙々と仕事をしているヘルパーさんの、珍しく慌てている姿を見てちょっと距離が縮まった気がしました。それにしても、今まで100円で1ポイントも200円で2ポイントも変わらないと思っていましたが、こんなところに巧妙な仕掛けがあったのですね。
2024年04月09日
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要介護2の父。食事は自分でとり、排泄は一応自力でします。着替えも自力でできます。平日は毎日ヘルパーさんが来て起こし着替えさせてくれますが、本当は自分でできる。ヘルパーさんのヘルプが頼めない土日は母が起こしますが、今は私が一緒にいるので私が起こして着替えさせています。着替えるのをどこまで手伝うべきか。ヘルパーさんはかなりの部分手伝ってくれています。でも父は自分でやろうとするし、やらせると90%は自分でできるんです。足腰が弱いのでCMのようにスルッとパンツは穿けないけれど、よろよろ立って自分で脱ぎ、穿くことができます。ベッドに座って靴下も脱いだり履いたりできます。下着のシャツからポロシャツ、セーター、ズボン下、ズボンなども自分で脱ぎ着します。せっかちな母はすぐに手伝ったりあれこれ口を出したりしますが、私は突き放して見ているだけ。上下一式着替えるまでに長いときは30分、早ければ15分ほどで完了。ヘルパーさんは持ち時間を着替えにだけ使っているわけにもいかないので手伝うのもやむを得ないのでしょう。ほかに洗濯やベッドメイキングもしてくれますし。でも私はたっぷり時間がとれます。自分でできることは自分でやらせます。介護は子育てに似ているように思えてきました。自分で出来ることは可能な限り自分でさせる。キーワードはどちらも自立。子育ては自立が少しでも進むように。介護は少しでも自立が続けられるように。出来ることが増えれば子どもは自信を持ちます。出来ることが維持できれば年寄りはプライドをなくさない。そんな理由で私は母にも新聞を取りに行かせたり、雨戸を開けさせたり、洗い物をさせたりして仕事を奪わないようにしています。けっして私が楽したいからというわけではないんですよ。だって私がやれば十分の1の時間で済むし。
2024年04月08日
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昨夜ふと気がつくと母が枕元に立っていました。自慢ではありませんが私は寝覚めが悪い人です。眠りが深いのか、寝るとなかなか目が覚めません。子どもの頃、台風が直撃して大雨のため夜中に家が雨漏りして家中で畳をあげたり大騒ぎをしていたことがあります(聞いた話)。そんなときも私はひとり騒動も知らずに寝ていて、朝起きると周りの様子が違うと驚きました。今朝午前1時頃、深く眠っていた私は母(98)に起こされました。父(101)がコケて動けない、と呼びに来たのです。私が寝ているのは二階の一室。足下のおぼつかない母がよく階段を上って来たものと思いましたが、階下から呼んでも起きなかったので仕方なく上がってきたとか。さすがに直接起こされれば私も起きます。階下に行くとトイレから出たところで父がひっくり返っていました。早速助け起こしたいところですが、まずは母。夢中で階段を上って来たはいいものの降りる段になって怖じ気づいた母。下から一歩、一歩サポートしました。次は父。椎間板ヘルニアを患っているため重いものを持ってはいけないと医者に言われている私に父の体重はリミットを大幅に超過しています。元気なときなら抱き上げてベッドに運んでおしまいですが、いまそれは無理。モノのように父をベッド脇まで引きずっていき(ごめんね)、父に手すりをつかませながら私自身にも負担がかからないようにしてベッドに乗せました。私が泊まりがけで一緒にいるのでよかったけど、母ひとりだとどうすることもできません。先月も私がちょうど滞在していたときにこんなことがありました。その前の月は姉夫婦が夜中に呼ばれました。父がコケるのは毎月恒例の行事のようになっています。昼間にコケるのを入れるとこの半月で2回。頻度が高くなってきているようです。高齢者二人で住むのは限界、というか限界を超えている感じですね。先日申し込んだ施設、早く空きが出て欲しいな。
2024年04月05日
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母は経度の認知症です。私の判断なのでいい加減なものですが、何を聞いてもすぐに忘れるし入浴は介助が必要、洗濯や掃除はヘルパー任せ。でもトイレや着替えは自分でするし食事の介護も不要。というだけでなく自分で食事の準備をすることも出来、朝ご飯や昼ご飯は自分で用意しているところから判断しました。母は年中食べ物の心配をしています。ご飯は炊いてあるか、パンの買い置きはあるか気にしています。人は「戦後のもののない時代に育ったから」などと解釈したがります。たしかに年代的に母は十代後半に終戦を迎えていますが、生まれ育った田舎では食糧事情は比較的悪くなかったと聞きます。現代と比べれば食料は豊かにあったわけではないでしょうが、母の食べ物への心配はもっと人間の根源的な欲求と結びついているような気がします。昨日も、ご飯は冷凍庫に十分あるからと言っておいたのにちょっと目を離すと米を研いでいました。5合。母の炊くご飯はあまり研がずに水加減も多めなのでいつも超やわらかご飯ができあがります。そこでざるに入ったお米をこちらで引き受け研ぎ直し、炊いていくつものタッパーに分けて冷凍しました。あとで冷凍庫を開けた母曰く「ご飯がいっぱいある」。そりゃそうでしょう、あなたが炊いたんですから。とは言いませんが、「もう明日もあさっても炊かなくていいからね」とやさしく言っておきました。朝はパンとヨーグルトやフルーツ、ハムが昔から母の定番です。それを前夜に用意します。食材の在庫があるかどうかから始まって、必要分を取り出し皮をむくものはむいて切り分けるものは切り分け、すべてをタッパーに入れないと母の夜は終わりません。ところが、セット完了していることを忘れてしまいます。冷蔵庫を確認して安心。しかししばらくするとまた「朝のご飯の用意をしなければ」と冷蔵庫を開ける。この繰り返し。私がいれば「用意はしてたから大丈夫」と言うのですが、父と二人だけで暮らしているときはどうしているのか不思議です。ま、ちゃんと生きていますから考えても仕方ありません。そこは見て見ぬ振り。今は夜だけ配食サービスがありますが、半年前はそれもなく3食自分で用意して夫婦で食べていました。そのためヘルパーさんに頼む買い物メモもかなり長いものでした。今は2食分のことだけ考えればいいのでリストが短くなりました。そのうち朝ご飯の準備もできない日が来て施設に入る日もやがて来るでしょう。それまで何度も確かめ無駄なご飯を炊きながらも頑張ってご飯を作ってください。火だけは出さないように注意してね。
2024年04月03日
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昨日、認知症の母が炊飯器を空だきしました。先日はオーブントースターでご飯をあたためようとしたらしく、タッパーを焦がしました。現在、合計199歳の両親は2人暮らし。ヘルパーや家族(姉夫婦と私)がときおりチェックしていますが、そろそろ限界かな。一週間ほど一緒に暮らしているとさまざまな認知症行動が目につきます。昨日一日だけでも、炊飯器の空だき以外にもいろいろとやらかしています。こたつテーブルの上にいつも置いてある自分のペンがないないと大騒ぎ。ソファーの下、こたつの中などリビングや台所を大捜索しましたが自分で引き出しの中にしまったペンが見つかったのは今朝。昼過ぎ暑くなってきたのでエアコンを冷房にしたのを忘れ、夕方寒い寒いとカーディガンを重ね着。ときどき冬でも「切り替えボタン」を間違えて押して冷房を入れていることがありますが、ちゃんと自分で冷房にすることができたんだ。自分で冷房にしたことを忘れちゃったみたいだけど。日曜日は翌日に来て買い物をしてくれるヘルパーさんのために買い物メモを作るのが母の恒例の仕事。冷蔵庫をチェックして買ってきてもらうものを書き出し数量も書き加えますが、たいてい必要以上に買ってもらおうとします。結果、冷蔵庫の中には何ヶ月も使っていないものが残っていたり。近ごろは一度メモを作ってもそれを忘れてしまってもう一度作ろうとすることがよくあります。その都度一から冷蔵庫をチェック。いつまで経っても終わりません。昨日最も驚いたのは姉の病気のこと。姉は金曜日に手術を滞りなく終えてその後の経過も良好で今週半ばには退院します。そのことを何度も伝え、義兄にも詳しい説明を受けながら昨日また「もう手術はしたのか」とか「これから病院に行くのか」とまで尋ねてきます。短期記憶が保持しにくい人との生活は、かように色々とありますが慣れれば基本おもしろい、と言っては失礼かも知れませんが、見守りながら褒めながら相手に合わせていけばまあそれほど大変なことはないのが分かってきました。危険なことだけは注意ですけど。最近思うのは、認知症対応は子育てに似ているところはあるなーと。
2024年04月01日
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姉の手術は無事終了。思ったよりも時間はかかりましたが、結石はすべて取り除けたとか。ひと安心。何度も病名を聞き直す母、今日が入院、今日が手術だと話しても表情を変えない父でしたが、無事終わったことを告げると顔をくしゃくしゃにして「あー、よかった」と口を揃えて言いました。細かなことは分かっていなくても、娘を心配する気持ちは父にも母にもあったようです。もう今日は忘れてしまっているかも知れませんが。母は何度言っても「今日帰ってくるのか、まだか」と尋ねてきます。細々とした短期記憶はすぐに飛んでしまうので同じことを何度も尋ねてきますが、すべては家族の無事を祈る気持ちから出ていることなのでしょう。認知症になると「理」の部分は弱くなるけれど「情」は残ると言われていることがよく分かります。姉は予後も順調ということで、早ければ来週半ばには退院できそうです。ただ、いくら頑張り屋の姉でも退院してすぐに元の日常生活とはいかないでしょう。あとしばらく、両親の見守りをさせていただきましょう。沖縄の家とかいろんな手続きのことがちょっと心配ではあるけれど(本音)。
2024年03月30日
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そろそろ超高齢者二人だけで置いておくのも限界。土日以外はヘルパーさんに来てもらっているけど、今回のように、普段からメインで世話をしてくれている姉が入院するなどということもあり得ます。これからはますますそういうことが多くなってくるでしょう。そこで、近くの高齢者介護施設2軒を訪ねて入居の申し込みをすることになりました。この2つの施設、全く方針が違います。最初に行ったところはこの一帯ではかなり大きな福祉法人が経営しているところ。きちんとしたところだとすぐに分かりました。玄関を入ってスリッパに履き替え、手指消毒をして検温をし、コロナワクチンの接種回数などを含めて個人情報を細々と用紙に記入しました。内部の案内もその日はなく、会議室でのやり取りが中心。それが初めてだったのでそんなものかと思っていましたが、もう1箇所に行って驚きました。全然対応が違います。靴はそのままでOK、消毒も検温もなく訪問者情報を記す用紙もなし。いきなり利用者がいるフロアーに連れて行ってくれました。その横ではオープンキッチンのようなところで職員が食事の準備をしています。管理者が特に強調していたのが「人が人をみる介護」を重視しているということ。利用者家族はもちろん、地域の人たちも施設に自由に出入りできます。どちらがいいのか。前者は管理が整っていてコンプライアンスも重視している感じ。後者はその辺はゆるやか。前者はヘルパーを派遣してもらっているところだし、入居の順番待ちなどにも融通を利かせてくれるかと期待したけれど、たぶんそういう「情」で動くところではなさそう。後者はもっと押せばこちらの都合を考慮してくれそうです。実際そんなことはしていないので本当にそうかは分かりませんが。これはもう相性の問題かと思います。きちんと管理の行き届いた前者の方が預けて安心だと思う人もいれば、多少いい加減でもより人間扱いしてくれる後者が好きな人もいるでしょう。私たちは後者により好意を持ったけれど、どちらが先に空きが出るか分からない現在の状況では「結局先に空いた方が優先になるのかな」と話し合っています。
2024年03月28日
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さて本日から本格的に両親(101歳、98歳)の介護モードに入ります。これまでメインでみてくれていた姉のような細かな世話はできません。自分自身、椎間板ヘルニアのこともあって機敏に動けませんし。でも、その姉が今週末から入院・手術をすることになったので二人しかいない子どものひとりとしてはやむを得ないところ。どれだけ姉の代わりが出来るかは分かりませんが、年寄り二人だけにする訳にもいかず。姉には福祉協議会、ヘルパー派遣会社、かかりつけ医らの連絡先から日々の暮らしのなかでの介護に関する要点などを書き出してもらいました。その姉、まだ入院していませんが、よほど私が頼りなさげに見えるのか、私が入浴中の先ほど母親に電話があり早く寝なさいと指示があったとか。遅くまで起きていて何かがあっても私なら十分に対処できないと考えたのでしょう。まぁ、その通り。こちらとしてもありがたい。姉も私も徐々に年老いて体のトラブルにも見舞われ、今後どれだけ親の面倒を見られるか分かりません。これまで100歳前後の夫婦が自立生活をしている稀有な例ともてはやされましたが、いよいよ施設入居を検討しなければならない時期になったようです。今日、2箇所施設をまわって申し込みをしてきました。
2024年03月26日
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うーん、高齢者介護はそう簡単ではありませんでした。今回の帰省は一応実家の両親をみるという名目ではありましたが、脚の痛みにかこつけて何もしないでただ見守るだけということで実家に帰ってきました。が、認知症気味の98歳の母と2日前病院から退院してきた101歳の父との生活は奈良にいるときのようにただボーッとしているだけでは勤まりません。どこにも出かけずずっと家にいるだけ。一日数百歩しか歩いていない生活。その割りには脚がつり、痛みが増幅。退院してきた父の面倒はヘルパーさんが主にみるのですが、土日は派遣がありません。その間は母の役目になりますが、やはり一人では無理。父の靴下やズボンをはかせられないなどちょっとしたことで私が呼ばれます。食べ物の在庫をすぐに忘れるので、そのたびに台所に行って説明をします。ご飯は水加減のおかしいまま炊いてしまうため私が米をといで炊飯器にセットします。自分の家では立ち仕事を極力避けている私ですが、ここではそんなことを言ってられません。ボーッとしていてもいい前提で来た実家ですが、そんなに甘くはありませんでした。でもこのままでは脚の痛みが悪化するばかり。元々は月末からの姉の入院の間、介護代行のために来るはずでした。父の入院は突発的なこと。このままでは本来の使命も遂行できるかどうか分かりません。でも使命遂行はマスト。明日いったん奈良に引き上げることにしました。もう少し元気を取り戻した上で十日後に再帰省します。奈良では徹底的に大人しくして脚を少しでも治してきます。
2024年03月16日
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父が退院してきました。訪問介護の際に発熱が認められたとして念のために入院したのが先週の水曜日。8日ぶりの我が家です。私は病院に一度も行きませんでしたが、聞いたところでは向こうではほぼずっと寝たきりで移動は車椅子、食事は最初は流動食のようなものを看護師さんに食べさせてもらっていたようです。そのため色々な能力が衰えてしまっていることが懸念され、帰ってきたはいいけれど家での介護はどれくらい必要なのか心配していました。しかし心配は杞憂でした。伊達に102年近く生きてきたわけではなかったようです。自力歩行は久しぶりだというのに帰ってすぐに杖で歩き出しました。ちょうど入浴介護のヘルパーさんが来てくれる日で、さすがに入浴はしませんでしたが清拭や着替えはちゃんとベッドに座ってやってもらいました。散薬もどうしたら飲めるか、少し水に溶かした方がいいかなどと考えていたのですが、そのまま普通に飲みました。なかでも食事は前日になって少し形のあるものを食べ始めた程度だったそうですが、昨夜は介護用の配食膳をなんと完食!1週間の空白がまるでなかったかのように、普通に食べ普通に生活し、普通に自分のベッドに行って寝てくれました。この1週間のドタバタ騒動は何だったのでしょう。騒いでいたのは周りだけだったようです。病院は病院の、家では家の、用意された環境を素直に受け入れるのが長生きの秘訣かも知れないとあらためて知らされました。さすが大正の人間です。
2024年03月15日
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しばらく「レンタル何もしない人」になっている私。母の見守りをするだけで何もしていません。朝昼晩とご飯を作ってもらい、洗い物もしてもらい、一体なにをしに来たのやら。ま、1日中ほとんど何もしない生活は奈良にいても沖縄にいてもそれほど変わりません。ご飯を食べる以外はテレビやPCの前に陣取って、ちょこっと買い物に行く以外はほぼ動かない生活。でもそれが椎間板ヘルニアの回復のために大事です。実家にいて、ご飯の準備もなくなりこれでは普段よりも怠惰な生活かと思いきや案外細々した運動があります。一つの理由は私が母の生活動線をブロックする位置でこたつに入っているため、母が何かをするときはいちいち立って場所をどかなければならないこと。意外と母はよく動きその度にほんの数歩ですがこちらも動きます。もう一つの理由は案外来客が多いこと。ヘルパーさんは土日以外は午前と午後に毎日来るし、訪問看護もあるし。それ以外にも何かの集金が来たりもします。立ったり座ったりすることが多くて長時間続けて座ることが少ないのは予想外。脚の痛み、すぐには治らないなあ。
2024年03月13日
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父が入院してしまい独り暮らしになった98歳の母を見守りに実家にやってきました。のはずが、こちらに来てすぐに脚の痛みをぶり返してしまい本日は一日中テレビっ子。母も横に座って二人でテレビっ子三昧です。彼女にはとくに見たい番組がないとのことなので私の好みで朝から名古屋女子マラソン→プロ野球阪神巨人戦→大相撲とほぼスポーツ中継のオンパレードに付き合わせました。マラソンから野球、相撲とどれにも興味がないのかと思いきや、結構どれにも食いついてきます。「何キロ走るの?」「え!40キロも。大変ねえ」と繰り返し尋ね、同じやり取りの繰り返し。野球もどれくらいルールを知っているのか分かりませんが、阪神のチャンスには「エイッ!ここで打て」と声援を上げています。大相撲も大波乱の大阪場所初日をしっかりと堪能。相撲が終わり、私が毎週見ている大河ドラマ「光る君へ」も一緒に観賞。藤原一族の陰謀をしっかり楽しんでいました。母の付き添いに来たはずが、何となく私が母に付き添われている感なきにしもあらず。ま、これでいいのでしょう。訳の分からないスポーツであっても母は誰かと一緒に時を過ごすことができて満足してくれていました。そう思っておきます。そうでないと、引き受けるはずだった洗濯やゴミ出しも脚が痛くてできなくなった私の存在意義が薄れてしまいます。
2024年03月10日
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