大切な日々

大切な日々

ダメな父親


ました。その時は後に起こる難治性てんかんの発作も予測できなったので、
3ヶ月後には中国で一緒に暮らせるものと信じて、予定通り赴任しました。

しかしそんな楽観的な考えははずれ、私が中国に赴任してすぐにてんかんの
発作が始まりました。発作がひどい時には1分間以上呼吸を止め、チア
ノーゼで顔が紫色に変色してしまう事もあったようです。

毎日かかってくる国際電話では、妻は慣れない外国に赴任して四苦八苦
している私の身を案じてくれました。しかし声のトーンで、一人で発作を
見守らなければならない不安、このままゆうだいが天国に行ってしまうの
ではという不安で、精神的にも肉体的にも相当疲労しているようでした。

それから5ヶ月して抗てんかん剤が効くようになり、容態も安定したので
ゆうだいと妻が中国に来ました。私は初めて一緒に暮らせる事を本当に
嬉しく思い、楽しい中国生活に胸を躍らせました。妻の不安もしらずに。。

家族が赴任して暫くすると、私はますます仕事に没頭するようになり、中国
国内の出張や得意先の接待に精を出しました。育児にはほとんど関わり
ませんでした。一日に3回抗てんかん剤を飲ませる事、ゆっくりしか食べ
られないゆうだいに食事をあげる事、寝る時に自分で目を閉じる事ができ
ないゆうだいのまぶたに絆創膏をはる事、など全ての育児は献身的な母親に
任せきっていました。

生まれる前はあんなに心配して、やっと誕生したゆうだいを本当に大切に
思っていたのに。仕事が多忙になるにつれ、仕事で疲れている事を理由に
育児を断るようになっていた私。ゆうだいが生まれる前は、仕事の為に家族
を犠牲にする事は絶対にしないと誓った事も忘れ、妻に大きな負担を強いて
いました。





© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: