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早起きができると、仕事に出るまでに少しだけ歩きます。晩秋あたりには仕事を終えた後、宇宙の神秘がばら撒いた宝石や、ほのかに蒼い月の光に照らされて深夜のウォーキング、てなことも乙なものでしたが、さすがの寒さです。田のあぜ道を歩いていると、my窓辺からだと ”冬晴れの佳き天気” なんて一言でくくっていたことなんかも ”空は水色、海と同じ色” なんて具合に拡がりを見せ、忘却の渕に置き去りにしてきたメロディまでも浮かび上がらせ、ついでに壊れたレコードのように、いつまでも同じフレーズを口ずさんだりします。歩きながら今日の気温予測なんてことも、myブームのひとつになりました。この寒さは何度くらいかなと、肌で感じる冷んやり度や吹く風の強弱なんかを統合して、感覚的な外気温、体感温度をmyセンサーが弾きだします。これを、出勤の道すがらに設置されている電光掲示板と照らし合わせて、ナイス!とほくそ笑んだり、2~3度外してがっかりしたり、ささいなことに一喜一憂。。こんなこともまた、たのし♪立春も過ぎて、暦の上では季節は春。明日から寒さもゆるみそうです。陽脚はぐんぐん伸びて、明るい時間が長くなって☆春もすぐ其処に感じられます。
February 18, 2008
道路が少し渋滞気味だと思っていたら、小さな事故があった模様です。仕事の時間が迫り、ちょっとイライラしながら小道に入ると、前方から走り来たタクシーが止まって、車から降りるカップルが眼に入りました。ふたりは共に22.3歳でしょうか。路肩に車を寄せ、それとなく見ていると、先に降り立った彼は恋人を見守りながら手を差し伸べ、彼女の手をぎゅっと(音が聞こえた~♪)握り締めて歩き出します。その姿がとっても可愛くって、ほんのささいな出来事なのでしたが、渋滞でパサついていた気持ちをすっと拭い去って、車を運転しながらふっと笑みが零れ続けました。きっとラブラブの微笑ましい二人の愛が、こちらへと伝染したのでしょう。自分も同じような年齢だった頃に重ねていた思い出なんかが、突如としてフラッシュバックしてきて。。そうだった、こんな寒さの冬には、彼のコートのポケットの中で手を繋がれて、何処までも歩き続け、いつまでも喋り続けていたっけナ、と。。そんな遠い日を想いながら、今宵バレンタインデーにはチョコレートならぬ ”キスの干物”でも焼こうかな、てな色気のないことを考えています。”あなただけにキスをあげる” というキャッチフレーズで、魚の干物と口づけのキスを掛けた贈り物が昨今の流行だと、小耳に挿みました。
February 14, 2008
街の外れの外れ、草原の続く先に、アルゼンチンの遺跡と呼ばれている古い洋館があります。異臭がするとか、頭がおかしいとか、とかくの噂が流れていますが、ちょっと風変わりながらも、実は純真で魅力的な ”アルゼンチンばばぁ” と呼ばれる女性が、自給自足の暮らしをしているのでした。アルゼンチンから移り住み、かつてダンスやスペイン語を教えていたと言う鈴木京香です。相手役を務めるのは大好きな人、役所広司。この二人のコンビとあらば、見る前からしてもう、どきどきもの☆タイトルと共にバーンと、ドラマチックに響くタンゴのメロディ。。なじみのある曲です。確かタンゴの練習のとき流れていたナ。。何て曲でしたっけ。。スローテンポながら歯切れよく哀愁を呼び覚ます旋律に乗って、鈴木京香が妖艶に一人、タンゴのステップを踏みます。画面いっぱいが素敵な詩を奏でています。このイントロは、否が応でも期待感を高めていきます。ひとつひとつのカットの鮮やかで温かく美しいこと♪愛する人の死、役所広司にとっては妻、女子高生にとっては母という重たいテーマを、女子高生の視点と語り口でコミカルに語らせ、物語は進行します。あ~あぁ。。でもこれって、なんなのでしょう?ともかく逞しく描かれる女子高生と父を対比させたいようですけど、役所広司は、ただ脳天気な男というだけの設定で空々しく(演技は上手いにも関わらずです)とても残念、無念★と~っても後ろ髪をひかれる想いがします。五つ星採点なら。。映像美と鈴木京香の魔力だけの☆☆☆けれど、何故だか心に残る作品なのです☆
February 13, 2008
この冬はやたら雨模様の上に気温も低く、雨は霰になったり、はたまた雪に変わったりで、まるで日本海を思わせるような厚く暗い雲が垂れ込めた日が続きます。今日は、そんな合間を縫った暖かな晴天で絶好のドライブ日和でした。ちょっとお出かけでして、吉野川沿岸を通ります。川面は陽光の加減で、はっとするような蒼い輝きを見せますが、やはり冬の蒼であって、その蒼さからして十分に、寒々しい冷たさが伝わってきます。堤に沿う景色も冬枯れて、木や、草や、ススキの穂も、みな相並べて土の色をしています。車窓から水面の蒼を見ていると、ふと、摩周湖が結氷したというニュースを思い出して、暫しタイムスリップしました。行動派のkokoさんに引っ張られて ”12日間北海道一周の旅” に出たことがあります。まだピチピチだったので、長距離移動は汽車泊と決め込んで平気の、元気いっぱいの時です。摩周湖を目の当たりにした瞬間の感動を(感動という一言で済ませたくないのですが)手繰りよせると。。長い間バスに揺られ辟易する時分に、摩周湖と言うバスストップが現れ、バスを降り立つとそこが展望台、ってなふうでした。低い鉄柵のすぐ下に湖面が見えます。 ”霧の摩周湖” と歌われるくらいだから、もっと山の深くにひっそりと横たわっているイメージを膨らませていたので、少し呆気にとられました。ですが、この蒼をどのように表現すればいいのか知れないくらいに、驚くべき透明な蒼い湖水で、それまで知っていた蒼とは、まるで別の色を湛えていて、吸い込まれそうで、神秘ってこんな姿を指すんだなぁ、と思ったものです。のちのち出逢ったカナダの数々の湖にも見惚れ、不思議な素敵な蒼に感嘆しましたが、名前も覚えきれない外国の湖よりも、やっぱり摩周湖の蒼☆と、ここは日本贔屓です。ちょっとお鮨を食べに行ってきたとか、休みが3日あったから流氷を観てきたとか、そんなヨダレもののリッチな話も頷けて、北海道はあれこれ魅力にあふれ異国情緒いっぱい。この季節は雪祭りと温泉セットで、ひとっ飛び。。なぁんて言って(行って)みたい☆
February 11, 2008
この長編小説の感慨深さは、いくつもの恋愛といくつもの死を脈々と織り込みながら、文明がいかに進歩して変化を遂げても、人の持つ感情や精神、心の綾や機微というものが普遍であることを知らしめて、今なお心を揺すり続けていることでしょうか。遥かに遠い日、私たちの祖先は秀でた美意識と生活観を持っていて、ずっとずっと磨き抜かれた鋭い感性と共に生きていた、と感じさせてくれるのです。むろん物語は光り輝く源氏が主人公ですが、数多くの魅力に満ちあふれた女性たちによって、むしろ支えられているかのようです。けれども ”雲隠” で源氏が舞台を退いたあとは、本当に光が消えてしまったようで、精彩さを失っていきます。でもって、この物語は、やはり源氏のものであったかと強く感じさせられるのです。光源氏の死後も、なお物語は源氏の子供たち、孫たちの世代へと営々と受け継がれていきます。それでも、紡がれるのは魅力的な女(ひと)たちで、光源氏を凌ぐ男性は残念ながら終ぞ姿を見せません。紫式部は、きっとあまたのファンたちから、もっともっととせがまれて、或いは仕えていた彰子中宮と、清少納言が仕える定子中宮との権力闘争の狭間で、書き連ねていったのやも知れません。さてさて、わたくし事になりますが、何故だかこの平安期に触れたとき、普段は体の奥底に畳み込み、しまい込まれていた琴線を爪弾かれたかのように、深い眠りを揺り起こす何かがあるのですけれど。。ん~ん。。そう。。もしかして♪遥かなる千年の前、かの都にひっそりと人生を持ち、日々を営んだことがある、ってな事があるのやも。。とある屋敷の片隅で、侍女の侍女のそのまた侍女の下に仕えていたりして。。庭を掃いたり、使いっ走りをしていた前世があったのやも☆なぁんて。。そんな絵空事を紡ぎつつ拙い感想文を綴りました。長々とお読みくださって、ありがとうございます!
February 9, 2008
この物語には、女でさえもさ迷ってしまいそうなくらい艶な、上質な女性たちが次から次に現れ、緻密に描かれていきます。都の上流貴族の姫君たちなのですが、中には地方に埋づもれた名花のような ”明石の君” なんて方も登場します。この女(ひと)は、源氏が須磨に流されたときに見つけた恋人でして、源氏との間に ”宇治十帖” の主人公の一人となる ”匂いの宮” をもうけます。やがて時が来て上洛の運びとなりますが、源氏の館で多くの夫人たちと競い合う立場を拒み、都の外れにある大井山荘に居を構えたりします。聡明で気高く、立ち居振る舞いの洗練された夫人で、琴の名手でもあり、芸事に優れた才を見せる方です。けれど非常に気位が高く、片田舎で育った低い身分を恥じて、その美しき面(おもて)に、どこかしら秘めた翳りを乗せています。唯一の欠点である強情さで以って、恋人である源氏を悩ませるのでした。とても意地っ張りで可愛げのない女のようですけれど、知性と品格、女の哀しみを添えて意地を貫くような、しゃきっとした女(ひと)であるように感じます。”須磨” ”明石” は、光り輝く源氏の一生のうちで、失脚して流された失意のとき、寂しく切ないとき、暗の部分です。華やかに繰り広げられていた京の都とは遠く隔たり、風景さえもが一転して暮れなずみ、うら寂れてしまう。この流人と落ちた須磨の源氏を、明石に住む貴族出身の風流人であり、今は出家をした入道という人物が、大それた願を秘めて迎え入れるのです。入道が所有する山手の家を訪ねると、都の大貴族と見まがうばかりの美しさと華やかさであって、さらに思いも寄らない麗人までも発見して、源氏は驚きます。上品な優雅な姫君が育て上げられ、住まわれていたと言うわけです。入道の画策は的を得たわけですけれど、ここはプレイボーイの源氏でなくとも、ぐぐっときます。こんな時、こんな所に、こんな女(ひと)を配した紫式部は流石の一言に尽きて、その心憎さに感嘆させられるばかりなのです。
February 8, 2008
平安を彩る代表的な才女、紫式部が源氏物語を紡ぎだして千年記を迎えるそうです。京の都ではこの年、千年記念の祝典を執り行う模様です。みごとな雅やかな王朝絵巻に心を奪われて、読み耽っていたのはいつの頃だったでしょう。与謝野晶子が醸している律動にも、うっとりと感じ入ったものでした。とは言っても浅き知識にて、好きが端を発した挑戦ですゆえ笑って読み過ごしてくださいませ。光源氏をとりまく上流貴族たちが織り成す男と女の秘め事、雅楽を奏で、歌を詠むことに費やす日々の明け暮れ、政権を握るための陰謀や駆け引き。そんなもろもろの日常のこと柄を、美しい文体で脈々と綴った物語に魅了され、平安王朝の風流にして典雅なる宮廷生活を偲び、読み継いだのでした。紫式部は彰子中宮に仕えながら、宮廷生活のなかで垣間見たこと聞き及んでこと、それらを一流の文学者としての観察する力、空想する力を以って、この長編小説を紡ぎだしたのでした。琵琶湖のほとり膳所(ぜぜ)に建つ石山寺の、ほの暗い一室の片隅で微かな明かりのもと、独りひっそりと構想を練っていたのだろうかと、しばし想いをめぐらせるとき、一層にときめき惹きつけられてしまうのです。
February 7, 2008
幸や禍、大きなこと小さなこと、これら全てが想いや念ずることから端を発して始まるような気がします。強く想い強く念じたとき、それらが現実化して驚かされることがあります。これはただ単に偶然の賜物のようでいて、実はじっくりと考えてみたとき、自分の想い、或いは念によって、引き寄せたのかもしれないと感じたりするのです。たとえば、落ち着きなく気忙しく日々をやり過ごしていますから、失せ物に悩まされることが間々あります。そんな時にはいつも ”北の神さま” にお任せをして、困った時の神頼みに走っています。これは、おまじないの類いの祈りでして、北の神さまとは、失せ物を探して下さる有難い神さまのことです。作法はいたって単純明快☆まず、北の方角に向かい正座をそます。つぎに、両手を合わせて心から念じます。”北の神さま、指輪を失くしました。大切な大切な指輪なのです。どうか取り戻してくださいませ。戻ってきました暁には、両手を合わせて拝ませていただきます”たったこれだけの呪文をかけるだけです。けれども、不思議といつも失せ物を探し出して下さるのです。まだ小さな子供だったころ、消しゴムを失くしたり、おもちゃを失くしたりした折に、母から教わった祈りです。きっと母は、母のそのまた母から受け継いだのでしょう。でも、もしかすればこの呪文は、家の中での失せ物に限られ有効なのかもしれません。なぜって、失くした財布は3度とも出てきませんでしたから。。ちなみに、指輪は3日の後、屑篭の中から戻って参りました!指から外したとき、傷つけないように、失くさないようにと、ティッシュに包んでバッグに納めていたのをすっかり忘れ果て、無造作に、ポイと捨てた気配が濃厚です。それで思うに、これは諦めることなく念じ続けた結果、北の神さまのお力添えをいただいて、無意識下で働く潜在意識を集中させ、自身の裡から探し当てたのでしょう。念とは、いつも持つ思いのことですけれど、念、念、念。。と考えて、ひとつ掘り起こした暫し忘れていた言霊がありました。以前 ”自己啓発セミナー” に参加したときの講師だった方が、さらさらとしたため手渡して下さったもので、どなたか名だたる方の言の葉です。 念ずれば花開く 苦しいとき母がいつも口にしていたこの言葉を わたしもいつの頃からか唱えるようになった そうしてそのたび わたしの花が不思議とひとつひとつ開いていったいただいたその場では、言葉の重みを感じることなんかよりも、むしろその優しい字姿と、透かし文様の入った和紙と筆の類いを、こうして持ち歩いておられること自体に眼を見張り、とても印象が深かったものです。けれど後々になり、深い言霊を秘めていることに気づかされたのでした。
February 1, 2008
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