全8件 (8件中 1-8件目)
1

学生の頃から・・いやもっと子どもの頃から興味の矛先にあるもの、動機のそのまた根元にあるもの。さまざまな道のりと選択肢を経験して、やはりライフワークとしてのここに至った時、いつも身近にあったものの中で特に響き続け、結局、原点に帰るところに気づいた。彼が生涯を通し目指していたことに一致していると気づかされ、愛しさがました。
2024.01.09

"Slow Hot Wind"という曲。なんとも言えず気怠く浮遊感によってしまう調べ。元はHenry Mancini作曲で"Lujon"というタイトル。1959年にアメリカのドラマシリーズのために作曲された。原曲のLujonとのうのはWilliqm Loughbroughが発明した打楽器の名前。Henry ManciniはドラマーのShelly Manneが持っていたLujonに惹かれ、この曲を作曲したと言われている。Her gaze swept over me likeA slow hot windSome days, it's too warm to fightA slow hot windThere in the shade Like a cool drink waitingShe sat with slow fire in her eyesJust waitingSome days, it's too warm to fightA slow hot wind
2023.12.30

いつからそうなったんだろう。気がつくと心理的距離が近くなっていた。その逆もある。縁なのだから仕方がない。
2023.12.28

思わず足を止めた。ボール支配率が高く球際に強い側と運動量はあっても詰めが甘くチャンスを決めきれない相手。なぜかどこへ行ってもサッカー場の近くを通ると心が躍る。周りの動きを見ながら状況判断、そこで自分の仕事をし更にみんなの士気を高める。私の中ではジャズとダブる。技術と感、日頃の積み重ね、そして突き詰めれば高い精神性。チームワークに息の合ったプレイ。何年ぶりかにサッカービレッジ近くに車を止めて試合の空気を感じていた。
2023.12.26

ある時、サンババンドへのお誘いをいただき、ポルトガル語の歌詞を歌うことが当たり前になったのが、22歳のこと。ブラジルのサンバに触れるのは初めてのことだったけど、無性に惹かれるものがあって夢中に練習をした。意外とサンバステップは体に馴染み、体質的に向いているようだった。当時はインターネットもスマホも普及しておらず、ましてやYouTubeもない時代。有線から流れるサンバチャンネルの音源を採譜し歌詞をカタカナで書き取り使っていた。いい加減な聞き取りで身につけたポルトガル語でもその語感やリズムは今も根強く血肉となって独特の表現力の糧になってるかもしれない。母音が強く日本語のカタカナ発音に近く、英語よりも難しくないと思う。けどやはりこなれ感を出そうと思えば、ボサノバだからといきなりポルトガル語で歌っても取って付けた感は否めないだろう。母国語にないニュアンスを醸し出すには、その人の持って生まれた感覚や環境、語学吸収力の個人差があると思う。シャンソン、カンツォーネ、ハワイアン、アフロキューバンなどなど。何にせよ長く親しんできた環境って本当に無二の宝物だと思えるようになった。意気込んでそうなりたいと思ったわけではないし、それが特技だとも意識してこなかったけど、どうやら他の人にはない個性になっていようで活かさないともったいないし、お互いの個性を高め合い音楽性を追求できる仲間にも恵まれてしまった。結局こうなることになっていた人生だと思うことにしたら、ますます道が開ける気がしてきた。
2023.12.25

毎週、部活のように通っているジャムセッションがある。そのライブハウスに集まるベテランミュージシャンたちの中でも特に厳しいことで知られるギタリストさんと、実直で寡黙だけど県内ではトップクラスの腕利きベーシストさんがホストの日。たまたまベーシストさんとは得意ジャンルが共通しててフィーリングが合うのだが、次々にゲストさんたちを回していくホストに徹しておられ、数年お世話になってても、そうそう個人的におしゃべりすることはない。演奏の中で仲間同士は気持ちが通じ合っていたり感じ合えているから、その必要もないのがジャズ仲間とも言える。以前にも滅多に参加者の演奏やボーカルの歌い方を褒めないミュージャンの方に、私のボサノバの歌い方が「その歌い方は、なかなかない」と高評価をいただいたことがあったのだが、先日ボーカルの参加者が私以外にいないシチュエーションもあってか、たまに厳しい指摘はしても褒めることのないホストさんが、「ボーカルいいね」とさりげなく溢された。それも難しい"Desafinado"で。全体の空気感やフィールが良い感じで流石のアドリブも冴えておられ、気持ちがいつも以上に乗っておられたのかもしれないが、私にとってはこの上ない賞賛で、天にも登る気持ちの昂りを抑えるのにエネルギーが要った。難しいことをするよりもシンプルに自分の持ち味を最大限に活かすことへの自信を再確認できた日だった。この日を境に人生観・幸福感が変わってしまうぐらいの衝撃的な出来事だった。
2023.12.24

あれは中学生ぐらいだったと思う。「兄貴」が欲しいと強く願っていたことがあった。恋愛対象ではなく純粋に尊敬できて頼れる存在を精神的支柱として求めていた気がする。自分よりも頭が良くて機転がきいて、自分が目指すものや抱えた課題に対して的確な答えやヒントをくれる存在。そこに居るだけで安心感が得られる、揺るがない存在を求めていた。ずっと忘れていたことだったけど結局は現実生活の中で諦めたのかもしれない。そんな完璧な男性と出会えるわけはないと。しかし、自分の精神的な未熟さや成長過程で植え付けられた観念やトラウマなど、繰り返しつまづく潜在的な意味づけの癖を一つ一つ解決した今、遂に出会うことが出来た。理想の「兄貴」当時イメージした7歳ぐらい年上で懐深く器の大きな「兄貴」今思えば、努力もなしに理想だけ追い求めてはチャンスは来ないということ。天からの使者かもしれない。音楽を続けJazzを探求してきた中で、これまでの自分を活かす方向性が定まった時にその邂逅は起きたのだった。
2023.12.23

「弟子に準備ができたときに師が現れる」とはいうけどボーカルに準備が出来た時に信頼できるパートナーが現れるというのもあるかもしれない。22歳ごろから音楽活動に入り、仲間や厳しい先輩たちに鍛えられてきたが、スウィング感を体現するには相当な年数がかかった。一説には30年かかるという話もあるがまさに私の場合はその通りだった。音楽的にも技術的にも人間的にも信頼でき、得意ジャンルや好みに共通点がある方とデュオでの演奏活動が始まり、やっと落ち着けるところに辿り着けた感がある。ずっと焦りや自信のなさが付きまとっていたけど、30数年積み重ねてきた自分の特質に確信が持てる言葉をもらった時、余計な肩の荷が降りて真っ直ぐに進んでいける方向性が定まった。
2023.12.22
全8件 (8件中 1-8件目)
1
![]()

