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2013年05月20日
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Yumed0n0 20 20130520まで


5/2
今家にはネットにつながったパソコンが6台ある。高校で は数学の1「因数分解」でつまずいて、夏休みの補習を受けた。0点を2回取ったのだ。中学3年だけ個人塾に通い英語・国語・算数を見てもらったので、算数 は得意だと思っていたが、塾を辞めたら元の木阿弥になった。数学は、高校1年の補習の段階で捨てた。当時、理数系が人気でその真逆のクラスになっていた。 欄外科目の体育・美術が比較的良かった。体育大学に進むには体が小さい。という訳で遅まきながら美術系を目指すことになる。数学は嫌いな授業だが、先生が 「将来は、みんながコンピューターを使う時代が来るかも知れませんよ」と、当時は考えられないような夢物語を語った。当時、紙に穴あけをしたデーターで大 きな磁気テープの巨大な機械が必要で資本がないとコンピューターもプログラマーもキーパンチャーも雇えなかった。理数系の大学に進んだ人が「ぼくはベー シックを学んでいる」というが、とても難しそうであった。神奈川のデザインの専門学校に出張講師で来た先生が蒲田の「製品科学研究所」という所の人だっ た。専門学校の先生で芸大大学院の生徒を掛け持ちする人も良くそこに行ってたので、一緒について遊びに行った。まだ、グラフィックができるコンピューター がNHKとここだけしかなかったのだ。「君はコンプレックスが強いから大学に行きなさい」と、いわれた。彼も芸大を出ていたのでデッサンは見てくれた。 「このコンピューターを動かすにはフォートランを学ばなくては」といわれ古本屋さんで探した。とても因数分解さえ理解できない頭では無理。大学を受け直し デザイン会社に就職。2年半で辞めたのだが、辞める時に一台パソコンが入った。「コピーライターが来る」という話で、今で言うワープロができるということ が特別な技術として見られていた頃だ。会社を辞めて、店を始めるのだが商売はわからない。富士通9450-2・1988年にms-dos・リコーマイツー ル・1996年初めてパフォーマ5270でmacに出会う。相変わらず「因数分解」はできないが、そんなボクでもパソコンが使える時代が本当に来るとは高 校1年の数学の先生が話した頃には思いもしなかった。


ミツバチの色が違う

ツツジが枯れつつある。今日は寒い春の日だ。最近ミツバチを見ないと案じていたのだが、つい先日ツツジの植え込みでミツバチが蜜を集めるのを見る。花に すっかり埋まっている間は見つからないが結構たくさん飛んでいるのだろうか。子供の頃は地面に目線が近く、幼稚園に上がる以前は良く土をいじったり、虫を 捕まえた。花に対する興味もチューリップなどのように鮮やかでわかりやすい物に集中していた。青虫が好んで集まる花などに触れる機会が多かった。四つ葉の クローバーを探して一日草原にいたこともあったが、学校に行く前だから誰にもとがめられなかった。その時にレンゲ畑などで見たミツバチは明るい黄色と黒の シッポだったように思うなだ。だが、今ぼくが見るミツバチは、もっと暗い色なのだ。ラジオで南米などの外来種のミツバチが増えているという話を聞いた。こ の辺りは、南米からの短期労働者が非常に多い地区だ。もしかして一緒にミツバチもついて来たのだろうか?南米の外来種のミツバチは互いに匂いでつながって いて、巣を基準にする日本のミツバチとは働き方や生息地域も違う。むしろ、一箇所ではなく匂いを中心に連携して移動するようなのだ。結果、広範囲に増えて 行く。一方、日本産のミツバチは匂いに敏感でこの南米産の匂いが嫌いらしい。この匂いを感知すると、そのエリアから去って行くという。ますます日本の黄色 いミツバチが減り、南米及び外来種が増えることになりはしないか?とも思う。考えてみれば、ザリガニもアメリカザリガニがほぼ日本のザリガニを駆逐した。 タンポポだってそうだし、バスに関しては池や水辺の生態系を壊滅状態にまで変化させてしまった。人間も日本人が外来種族に押されやがて逃げ出してしまうと いうことは考えすぎだと良いのだが。


5/3
何台か車が駐車場に停まっている。カラスが飛んで来た。糞を落として行った。真ん中あたりのクラウンに当たった。偶然だろうか?以前、スポーツカーを追い回しているカラスを見たことがある。やっぱりわざとかな?


お散歩コースを歩く。見慣れないナンバーのちょっと高級車が二台停まる個人の駐車場。そのお宅の近くの畑を耕す中年男子二名。腰がふらついているがモクモクとクワを振るう。そこのお宅のご両親が作っていた畑を、ゴールデンウイークの間耕しているのだろうか?


ゴールデンウイークのヒトデは、いつもなら潮干狩りと浜松まつりの2大トップだった。今年は潮干狩りは見合わせるという。なので、浜松祭りと凧揚げに人が集中するのではないだろうか?今日タコ初日は快晴で・・良かった。



夢である。ぼくは英語が話せないのだが、特に電話、夢では話せる。いつかのアメリカ大統領の姉という人と話している。夢の中では、それがおかしいとは思わない。こっちは英語を話そうとするが、向こうは日本語でおかしい。



1970年代の日本はモノに飢えていた。アメリカから色 んな雑貨・衣服・食べ物などが入って来て、カタログ文化により「欲しい」とつい思わされる自制のない時勢であった。中学生・高校生の小遣いでは買えないモ ノばかりで、ほとんど目で満足するしかない。何とか買えそうなのはTシャツくらい。BVDのTシャツが、襟元がキッチリとしていて日本の着物ユルユル文化 の真逆であった。でも本物のBVDは買えなかった。ジーパンあるいはジーンズなどは格があり、ブランドは買えないから、スーパーのまがい物を母親が買って 来てお仕着せで来ていたら、同級生のブランドジーンズ少年たちの輪には入れなかったものだ。今朝普段着ている下着がBVD化して首元がキッチリと締まって いた。いつの間にか家人が購入したのだろうか?と、一瞬ニヤリとしたが・・単に前後逆に着ていただけであった。オシマイ。


今年は潮干狩りはないというので、弁天島から舘山寺までのかつての有料道路を北に向かって無料で走る。左・西側は有料の潮干狩りゾーンで、右・東側は無料 ゾーンだ。有料ゾーンは舟でないといけないし、今年はやらないというので人はいない。でも、無料ゾーンには人出があった。遠くから来た人や、情報を知らな い人なのか?人出が少ないからひろびろ潮干狩りなのだ。



ちょっとお腹が出ていて、普段スーツの時にはぱっとしないお父さん。これがお祭りだと輝く。祭りのいでたちには少しお腹が出ているくらいが似合うみたいだ。


5/5
小田和正さんの高い声は、最初から裏声なのかと思ってい た。題名はわからないが「広い空よぼくらは♪」という部分のある歌の中で、小田さんは一部裏声を使っていた。・・・ということは、それ以外はやはり地声で あったということか?恵まれた才能を一番いい形で使える職業についた稀な例だ。「オフコース」は「もちろん」と「道を外れた」の2つの意味があるそうだ。 道を外れたというよりも、本来の道を心で探し当てたということなのかも知れない。


ラジオで藤井フミヤさんが評論家の方と話をしていた。 チェッカーズで世に出た時、小田さんの声が良いと思って「いい声ですね」というと、小田さんは「どこが!」と、ちょっと怖かったそうだ。以来、声をかけな かったという。ほぼ同期の吉田拓郎さんとオフコースだが、拓郎さんは早く注目されて大きな会場にたくさん人を呼べた。だが、会場は男ばかりで太い声で「タ クロー」という低い叫び声だったようだ。一方、出遅れた形のオスコースも、一旦良さに気付けばファンは固定化した。コンサートは「小田さぁ~~ん♡」とい う甘い甲高い女性の声ばかり。「俺もオフコースに入れてくれよ」と拓郎さんは一度小田さんにいったそうだが、小田さんは冗談半分と捉えてしまった。結局、 それぞれの成功の形に進むことになる。このラジオでは珍しく、オフコースのコンサートで拓郎さんが一緒に歌っていた。「おや、オフコースにしては野太い声 の人が混じっている」と、説明を聞く前に思った。やはり、拓郎さんは歌って参加していた。ぼくとしては、小田さんの最高のパートナーは鈴木康博さんだと 思っているから、吉田拓郎さんは声はやはり独自の方が良いと思った。


ラジオに松任谷由実さんが出演していた。国民栄誉賞を取 るには若い気もするが、世に出した歌の数も人気も影響力もそれに値するだろう。まだ、荒井由実だった頃、演歌が主流で、ロックもフォークもニューミュー ジックもどちらかというと異端者だった。荒井由実さんは多摩美大でほぼ同世代の大学生のミュージシャンがあちこちで共演しあっていた。だから、今で言う大 御所同士は顔を互いに合わせていたという。大滝詠一さん・細野一臣さん・高橋幸宏さん・・・多くの人が、同時代を築き影響し合っていた時代。今から巻き戻 すとすごく贅沢な時代だ。マンガのトキワ荘みたいだ。松本隆さんもニューミュージックを手伝いながら松田聖子さん中心に詩を提供していたという。稲垣潤一 さんの古いラジオでのコメントで「チョコチョコ顔だしてすぐに詩を作る子がいる」というのを聞いたことがあった。さて誰でしょう?・・若き日の秋元康さん でした。


5/6
今年は浜名湖のハマグリの採れ方が心配で、中止になった 潮干狩りだ。近隣の人たちには通達が行っていたかも知れないが遠方の人々は知らない人も。ともかく、無料のコーナーで採る観光客はそれなりに採れたハズ だ。昔からこの辺りに住む人の話しでは「以前は潮干狩りの習慣はなかった」という。海水の流れが遅く淀んだ浅瀬は潮干狩りには持って来いだが、プロの海堀 り漁師の人たちの領域のアサリとは比べられないという。以前は浜名湖を小舟が自動車代わりに往来していた。船着場の一番下の階段で手を延ばすとたくさん稚 貝が採れたという。今では橋と道路が完備して自動車が海上交通の小舟に取って代わった。アサリはいつしか浜名湖の名物にのし上がり潮干狩りも夏の風物詩と なった。


カラスは増えているように思う。カラスはなんでも食べるし、巣もいろんな材料で作る。一方、この季節のツバメは減っているのでは?と思う。駅や新しい建物は巣を嫌う。糞も困るのだろう。それにしてもはるばるやって来たツバメには厳しい最近の日本の環境なのではないか?




近くに回転寿司が開店した。大きな店舗だ。お客さんも多 いようだ。裏にダクトがあり、通ると酢の匂いがする。当たり前だ。一般家庭なら換気扇なのだが、ちょっと大きな工場や店舗だと、換気を集めて外にまとめて 出すダクトがある場合が多い。この形がイロイロで面白い。コインランドリーのダクトの匂いは柔軟剤の匂いがする。飲み屋・焼き鳥屋のダクトの匂いは想像す るだけでわかる気がする。綺麗な空気と美しい照明の快適な環境の裏には、ダクトからの様々な異臭という物がどこにでもある。都会の裏町の換気の集合は世の 中の裏の香りがする。


敬愛するS・ジョブズは毎日同じデザインのジーンズと黒 のタートルネックだったとか?彼の丸いメガネは、彼が敬愛したジョン・レノンの影響だったのだと思う。同じ服を着るというのは、制服と似たファッション だ。オバQとバットマンも同じ服がたくさんあって、一応着替えてはいるのだが他の人からすると毎日同じに見えるのだ。鬼太郎とネズミ男は正真正銘、毎日年 中同じ服で、ネズミ男に関しては脱ぐとお尻にゼニタムシマークがついている。毎日同じ服を着る人と、毎日同じ服に見える人・・似ているけれど、少し違う。





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最終更新日  2013年05月20日 20時54分34秒
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