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ちょっとお休みしていた間に世の中月日は流れ・・・・今浦島の雰囲気。おやっ・・・・おやっ・・・・・・と思って見回せばわが身のランク付けも変わってきたような・・・実はこのブログを書き始めたころまだ大学生だったった息子に子供が生まれ私も母からランクアップ??ババの地位に。うっそーーっ・・と叫んでも、月日の流れは仕方ない。正真正銘の「うさこばーば」となり果てましたん。ばばです。よろしくお付き合いのほどを。ふぅ~
2010年03月15日
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今月初めに主人の父が急に亡くなった。家に救急車を呼ぶのを最後まで拒否し、かかりつけの医師のところから救急車で搬送された。それから亡くなるまで30時間余り あっけないほどの幕切れだった。父は認知症の母を庇い一人で何でもこなし、家事も一人で切り盛りしていた。急に亡くなられて困ったのは子供たち。どこに何があるか分からない。老夫婦2人暮らしの家はあっち、こっちとものが散乱し、あるべきものがなく得体のしれないものがいっぱい・・・認知症の母を一人で置いておくわけにもいかず皆が代わる代わる出かけていくことになった。久しぶりのおよめちゃん稼業。若いころはかなりきついことを言われてめげた私も、この年になれば立場も逆転。子供のようになった母の手を引いてお役所巡りで諸手続を終わらせ、一緒にお風呂に入り食事をし、父のベッドで並んで寝た。これが最後のご奉公かな。それにしても・・・と考える。時間の流れは残酷であると。あのプライドの高い母がここまで頼ってくるとは。以前の姿はもうない。時間には逆らえないのが悲しい。私もああなるのかな。と一抹の不安が脳裏をかすめる。その時はどうしたらいいだろう。およめちゃんに頼むのは厭だな。だけど・・・・高齢者福祉の充実を身をもって感じた一週間だった。
2009年02月11日
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携帯の中に入っている写真・撮ったのは地下鉄のホーム見つけたとき言われたとおり携帯で写して「やったね」と快哉を叫んだ わぁい2割引になるんだ!!!うきうきらんらん確かこの前行ったお店よね今度行ったときに使おうっと!!うきうきらんらんそれなのに。あーーそれなのにどーーしても思い出せないの肝心のお店の名!私はどこで提示すればいいの????どなたかご存じではありません?この広告のお店
2009年01月24日
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一生に一度くらいオペラなるものを鑑賞してみたいね。という話が持ち上がり話はとんとん拍子に纏まって新国立劇場の「蝶々夫人」を見に行くこととなった。昨夜はその一生に一度の日。開演が7時から・・というところからいつも観ている劇とは一線を画している感じ。ロビーではおしゃれなカクテルやらシャンパンやら 軽いおつまみ(決して裂きイカなどはない)などがさり気なく売られていて ホールの様子と相まっておーーー大人の雰囲気。近頃のオペラは 舞台の両側に歌詞が字幕表示されていて分かり易い。フルオーケストラの演奏とソプラノとテノールの響き。甘美な歌声にしばし現のことも忘れて聞き惚れた3時間であった。降るように響く美声は心をつかんで離さない。難を言えばピンカートンを演じた人がもっと格好良かったらよかったのにな。実は3か月ほど前に 「ミスサイゴン」を観たばかり。ミスサイゴンはマダムバタフライを下書きにして書かれたブロードウェイミュージカル。だから二つの作品は全く筋書きが同じである。派手な舞台装置、躍動的な音楽が満ち溢れたミスサイゴン。シンプル(シンプルすぎるほどの)な舞台装置、美しい旋律に彩られたマダムバタフライ。時代背景や登場人物に差があり、相反する舞台表現であっても ちょうちょうさん と キムの切切とした女心は同じように伝わってくる。どちらも甲乙つけがたい感動があった。 ただ一つ昨夜の公演で残念だったこと幕が終わりかけたところでもう席を立つ人の多かったこと。「えーーーっ」カーテンコールが終わるまで拍手をするのが観客のマナーではないの???有り得ないでしょうそれは。たとえ終わった時間が10時を過ぎてしまったとしても。決してお安くない切符を買って来ているのに。それくらいは・・・日本のオペラファンの底の浅さを垣間見てしまったような気がした。「今度は フィガロの結婚か こうもり を観たいね」が一緒に行った友達の弁。確かに 体の中を ある晴れた日に がまだ渦巻いている。
2009年01月22日
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あけそめし 東のそらに たつけむり ことしの幸をまねくしるしに あけましておめでとうございます。東京は良いお天気に恵まれ穏やかなお正月となりました。 とはいうものの 我が家のお正月は それぞれの両親の家を回る 時間単位の民族大移動の日々 結婚してから30年以上も続いてきたやれやれ。お正月のテレビは見られないものと子供達も観念の日々。親が健在なうちは続けたいとは思うもののやっぱりのんびりしたいよー が本音3日になってやっと一息。ふぅ今年は息切れせずにぼちぼちと続けたいと思いつつ。よろしくお願いいたします。
2009年01月03日
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今日は節分鬼は外福は内 ぱらぱらっぱらっぱらっ豆の音 鬼はこっそり逃げてゆく~鬼は外福は内 ぱらぱらっぱらっぱらっ豆の音 早くお入り福の神♪こんな歌を歌いながら豆まきをしたっけ。確か幼稚園の頃。節分の今日。暖冬暖冬と言われていた東京もすっかり雪景色に。朝早くから降り始めた粉雪が、見る見るうちに家並みを白く塗り替えて一面の銀世界が完成。積雪5センチ!!雪国の方から見られたらなんとまぁ!という量には違いないのですが、雪に慣れていない東京は大騒ぎ。電車は止まる。高速道路は通行止めに。滑って転ぶけが人は出る。ニュースはそれで持ちきりの有様。やれやれ私も近くのコンビニへ出かけた折にツルッ!!たまげる悲鳴。人のことは言えません。確かに昔の東京はもっと雪が振ったし、寒かったような気がする。これも温暖化、ヒートアイランド現象の現れかしら?とはいうものの明日から暦の上では春。袖ひちて むすびし水のこほれるを 春立つ今日の 風やとくらむ 貫之皆様にとって良い春が訪れますように。
2008年02月03日
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車を運転していたら、突然懐かしい曲が流れてきた。あーーっ・・・・・それは青春時代を彷彿とさせる曲だった。それは「また会う日まで」去年、沢山の方が鬼籍に入られたが、その中で一番私が悲しく思ったニュースは阿久悠さんの訃報だった。阿久悠さんの詩が大好きだった。毎年甲子園の生徒に向かって書き続けられていた詩の数数。何気ない言葉の端々に 彼の優しさ、情熱が感じられてついつ涙ぐんでしまうこともしばしばだった。歌詞もそうだった。詩の中の物語がきちんと存在していて、その情景や、心のありようや、愛の深さや情熱まですべて感じ取れたようなきがする。私の青春時代を彩った曲の数々。せんせい を皆で歌いながら帰ったこと。津軽海峡 冬景色が流れる中、本当に津軽半島まで行ってしまったこと。五番街のマリー を聞いて大人だなぁ~って思ったこと。懐かしい思い出が溢れてくる。どの歌もきちんと口ずさむことが出来る幸せ。その中でも一番のお気に入りは尾崎紀世彦のまた会う日までだった。クラスのレコード屋さんの友達に頼んで、内緒で彼のレコードを買ってもらったっけ。今でもあの曲を聴くと、埃っぽかった教室の風景や、あの時代の私が頭の中を過ぎっていく。去年の紅白で「あの鐘をならすのはあなた」が流れたとき思わず手が止まってしまった。あの曲が流れていた頃は・・・・としばし瞑目何回聞いても感動する。私の時代を彩ってくださってありがとう。青空よ 心を伝えてよ悲しみは余りにも大きい 青空よ 遠い人に伝えて さよならと…。昭和は遠くなりにけり。
2008年01月19日
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去年の秋も終わりの頃、父の知り合いから思いがけない話を聞いた。それは父と母が新婚時代をすごした家がまだあるということ。えーーっ・・私と姉は思わず目を剥いた。父と母が結婚したのは、今からもう70年近く前の話。昭和もまだ穏やかな時代だった。そんな時代の家が残っているなんて。信じられない・・・・どんな家だったのだろうか・・・私たち姉妹は好奇心が抑えられず手に手をとって観にいくことにした。探し当てたその家はF市の一角にあって、まるでタイムスリップしたようにひっそりと建っていた。昔、母が話してくれたように門構えの立派な日本家屋だった。「若い夫婦には立派過ぎない??」とは娘たちの会話。あーーこんなところで父と母は新婚生活を始めたんだ。若かりし父母の姿が浮かんでなんだかほのぼのとした気持ちになった。なんて言ったって、私たち兄弟のルーツですもの。新婚の母が風呂の沸かし方が悪いと父にしかられた話。は耳にたこが出来るほどきかされたっけ。(実は怒っただけでなく、父はお湯をかけたらしい・・・だからね)お風呂はどこにあったんだろう。中を観てみたかったが今はどなたも住んでいられる様子もなく、外から娘二人は覗き込むより他に無かったが。風呂の沸かし方で怒った父はもう10数年前に他界し、怒られて憤慨した母はすっかり年をとり、骨董品になってしまっている。きっとあの家も、後数年もしたら取り壊されてしまうだろう。時間の流れは致し方ない。二人が健康だったときにもう一度見せてあげたらなんて言ったかなぁ。見せて上げたかったね。と言いつつ帰路についた。湘南の海岸線は穏やかではるか向こうには 霊峰富士の姿がくっきり。私たちの心の中も暖かかった。
2008年01月06日
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年の初めのためしとて~ あけましておめでとうございます。皆様良いお年をお迎えのことと存じます。永らくお休みをしておりましたが、またぼちぼち再開しようかと思いも新たに。新年の計は元旦のあり今年も宜しくお付き合いください。
2008年01月04日
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我家のエアコンは御年満20歳。どっひゃーとするロートルである。今まで文句を言わずに夏になるとしっかり働き続けてきてくれた。だが今年、困ったことが起こった。なんと、エアコン本体でなくリモコンが壊れてしまったらしい。「らしい」と言うのは、気分次第で動いてくれたり、ブーたれて動かなくなったり・・・液晶の画面が見えたり、消えたり・・・・本体には温度調整や何やかや調節するものはついておらず、緊急用のON・OFFが付いているだけと判ったときの驚き!!しかもメーカーに問い合わせると当たり前ではあるが、もう在庫は無いとの事。汎用リモコンも対象外の古さ。泣きたくなった。とほほ。私はクーラー嫌いだから動かなくても何の実害も無いが、クーラー好きの主人は大ブーイング。友人に相談すると「電気代や装備を考えたらもう買い換えるべきよーー」とみな異口同音。でもねぇ。まだ本体はちゃんと動いているのに・・・・何だか踏ん切りがつかないままとうとう今年ひと夏を使い通した。え?どうやってって????液晶の画面が見えているときに本体の設定をして、あとは緊急用のオンオフスイッチで動かしたり止めたり。そのたびに椅子に乗ってばたばた。タイマーは諦めました。やれやれ。来年はやはり買い替えかしら。何だか抵抗あるなぁ。と思いつつまたもや来年に向かってお掃除をしていまった私である。昔の本体に何でも付いていた機械が懐かしい。たかがリモコン、されどリモコン。皆様だったらどうなさいます????
2006年09月17日
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長らくお休みしましたが秋風とともに復活。復活の始めは景気良く ご存知バルタン星人から。ウルトラマンシリーズの中で一番の“好きな怪獣"は?というランキングで見事1位は、ウルトラマンの永遠のライバル「バルタン星人」だそうな。あの「ウォーフォッフォッフォッフォ」という深みのある笑い声とザリガニまがいの二本の手が象徴的で、ウルトラマンシリーズの中でも確かに何回か繰り返し出てきたから流石に私も覚えてしまって、お気に入りだった。尤も、私は「カネゴン」のほうが好きだったけど。(これってマイナーよね)息子が幼稚園前の頃、再々放送がされていて、何体ものフィギュアを買わされたがやはり最初に買ったのはバルタン星人だった。どこへ行くにもウルトラマンご一行様をご持参しなければならなかった時代が懐かしい。この前、ふと息子と会話した折ウルトラマンの話が出た。「あの頃は、全部君名前と特徴が言えたわよね」と母が懐かしがったら、驚くべきことになななんと!彼はすらすら言ってのけてくれた。ほへーー!君の頭のどこにそんな知識がまだ入っているの?とびっくりした母さんだった。ホント三つ子の魂百までも!とはよく言ったもの。今バルタンのフィギュアは高値で売られているとか。あーー惜しい!あの数々のフィギュア取っておけばよかった。と臍を噛んだ母さんでした。今なら一財産だったのになぁ・・・・後悔先にたたず。ふぅ。
2006年09月16日
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昔、昔、不器用な子がおったとな。その子が通った学校では「ウンシン」なるものの時間が有ってのぉ年取った先生にその子はいっつも泣かされておったのじゃ・・・・運針なんて今の学校にはないんでしょうねぇ。私は運針が下手で、大嫌い。類は友を呼ぶの例えのとおり私の友達も嫌い。で、一度だけ二人そろって飛んでもない点数をとったことがあったっけ。私たちの運針を見ると先生は黙って糸をすっと抜いてもう一回縫ってらっしゃい。先生の前で二人並んで運針すること一時間。死ぬような長い時間だった。やっとお許しをもらって教室を出たとき二人はもうへとへとだったっけ。そんな思いをしてやっと身に付けた運針の技術だったのに・・ハンドバックに入れる小物入れを探していたのだが、なかなか気に入ったものが見つからない。えい、ままよ。っとお気に入りのハギレで巾着ポーチを作ろうと思い立った。久しぶりに針箱を引っ張りだし、老眼鏡をしっかりかけていざスタート。巾着ポーチなんて直ぐに出来るワイ。とたかを食って手縫いにすることにした。アイロンもチャコの印も一切なしの全部目分量の作業。久しぶりに針を持ったら指が動かない。えーーーっ。こんなはずじゃなかったよー。と試行錯誤しながら奮闘の一時間。なんとか巾着は出来上がったものの、よくよく見ると何だか子供がいたずら半分に作ったように見える代物。手先の衰えは老化現象の表れかいなぁ・・・と原因を追求してため息ため息。とは言うものの作った袋はハンドバックのなかでひっそりお仕事中。ひっそり、ひっそり。誰の目にもつかないように。ひっそり、ひっそり・・・-----------------------------------------------------ちょっとだけよ。プラダのリボンは本物なり。娘のところから拾ってきました。とほほほ
2006年07月13日
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ワールドカップも決勝戦も残すのみ。世の中も少し落ち着いてきた感じだが、私はこのところメラメラメラメラ~衛星放送に首っ丈。それはウィンブルドン。毎年これだけは欠かせない。しかも、男子より女子のシングルス、ダブルスが面白くて仕方がない昨夜第1シードのアメリ・モレスモ(フランス)と第3シードのジュスティーヌ・エナン・アーデン(ベルギー)の決勝戦があった。結果は、女子では珍しいサーブアンドボレーのパワーテニスが持ち味のモレスモが逆転勝ち。女子シングルスの場合、可愛らしさがポイントという時代は過ぎて大分経つが、それにしてもモレスモもアーデンもパワー溢れたショットの連続。パワーパワーパワー。と正確なショット。試合が観終わって清清しい感じだった。ほれぼれ・・・・さて、今回の準々決勝で面白いハプニングがあった。シャラポアとデメンチェワの試合中、全裸の男性がコートに乱入するという事件が起こったのだ。勿論寄ってくる途中で警備員に押さえられたのではあるが。(NHKは勿論この場面をカットして流してくれました。ふん)そのあと、シャラポアはサーブが入らなかったり少し乱れてセットをとったものの苦戦した。試合後のシャラポアのコメントが面白い。 Yeah, I didn't really look at the guy, thank God. I didn't want to look at all the details (laughing). {ああ、良く観なかったことを神様に感謝したわ。よーく見たくないじゃないの}。と、女の子っぽく言った後のコメントが凄い but, hey, you guys wanted some entertainment during a women's match, you got some. 「だけど、皆面白いことを女子ゲームに期待して来てるでしょ。あったから良かったじゃない」うううっ。恐るべし19歳。ただ可愛いだけじゃないのねぇ。
2006年07月09日
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さっきから、手にしたものを何回も確かめて見る。大丈夫だろうか?ちゃんと使えるだろうか?ドキドキドキ・・・・・・・・薄暗いタクシーの後部座席からおずおずと差し出して聞く「これ、使えますか??・・」運転手さんは身を乗り出し、私の顔を確認し・・・じっと見て「大丈夫ですよ。使えますよぉ」あーーヨカッタァ私をこんなにどきどきさせてくれたもの。それは弐千円札。先日、銀行のCDで引き出しをした。何だか枚数が少ない。ん?いくらのんびりしている私だって数えなおしてみる。やっぱり3枚足りない。「うっそぉ~っ銀行のCDでなんでぇ」と文句を言おうと良く観ると何だか微妙に違うお札が。ほへ??ついついそこで「うひゃぁ~」と声を出してしまった。此の頃すっかり見忘れた「弐千円札」が混入していたのだった。すっかりお目にかからなくなっていたからもう使われていないのかと思っていたが、案外密やかにしっかり流通してきたらしい。銀行に集まったお札は廃棄処分になっていたのかと思ってた。とは友達の弁。華々しくデビューした割には皆に歓迎されないお札だったように思う。それにしても、使うたびに大丈夫だろうか??と案じながら使わなければならないなんて。こんなお札作った人、誰でした????
2006年07月05日
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だいぶ前から本屋の店頭に「国家の品格」なる本が並んでいるのを目にしていたのだが、拗ね者の私は、こういう風に真っ向から「こうあるべき・・・」と大上段に書かれているものはまたいで通ることにしていた。それが、友達経由で偶然私の手元にやってきた。買って読むのは敬遠しても、ただで読めるなら吝かではないかと。ソファーに寝転びモモをはべらせて読むことしきり。作者藤原正彦さんが数学者であることは知っていたが、新田次郎と藤原ていさんの次男であることを今回初めて知った。ふむふむ・・・文のセンスは親譲りなのね。要約すると「日本は戦後高度成長のために欧米に追随して「論理と合理」に身を売り、国としての品格を失ってしまった。わが国には古くから武士道に象徴される「情緒と形」があった。その情緒と形が失われてしまっている。国の品格を取り戻すためには、世界に迎合することなく武士道精神に見られるような「情緒と形」つながる高い精神性を取り戻すことが必要であり、それが世界平和にも繋がるのではないか。」ということであった。ような。かなり藤原氏の独断と偏見に満ちた内容ではるが、一貫した意見は大変読みやすい。ここで思うのはこの本がなぜそんなに売れるのかということ。この考えを諸手をあげて賛成できる人ばかりではないはず。愛国心の薄い日本人にとって、辛辣な表現はかえって新鮮で目新しく興味深く映ったのか。この本を読んで内容に賛同する、しないに関わらず、国の在り方、国際情勢の中での地位などについて考えるきっかけになればそれはそれで良しとなるのかもしれない。それにしても、この本を読んで教育の大切さを感じたのは私だけだろうか。軽佻浮薄に流れつつあるこの風潮にこの本が一石を投じてくれたら、と思うのはおばさんの遠吠え。ごまめの歯軋り。
2006年06月30日
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朝、仕事場へ行く電車に乗りながら「今日帰ったらプログに書くこと」を漫然と考えていた。内容やら組み立てやらいろいろ考えたところで丁度駅に到着。足取りも軽く電車を降りた。さて夜になり、こうやってPCを立ち上げ、さあ書こう!と思ったら・・・・・あーーら。頭の片隅にも今朝考えていたことが見えてこない。はて何について考えていたのだろうと、思い返しても、ひっくり返しても出てこない。げっそりすることしきり。度忘れ物忘れ・・・枚挙に暇が無い。やれやれ。改訂長谷川式簡易知能評価スケールで、まだまだ母の記憶が元気だったころ、病院の先生が「ついでに」と仰って痴呆の程度の検査して下さった。付き添っていた当時もう少し若かった私は一緒に答えながら「ウハハ・・・まだまだ大丈夫」なんて笑っていたものだった。なのになのに・・・あれ?100から7引いて、また7引いて・・・・7引いて・・っていくつだっけ?あーー先が思いやられる。記憶の塊を拾いなおすにはどうしたらいいんでしょ。ふぅ。確か母が検査を受けたのは80歳だったような。80歳まで頑張れるかしら??今日は席を立つ暇も無かったほどとても忙しかったから、忘れちゃったのよ。と自分を甘やかしていいのかしら?だんだん心配になってきた。
2006年06月26日
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何だか鬱陶しい梅雨時。霧雨に首都東京は煙っています。湿った空気がわんわんわんと押しつぶしそうな勢いで迫ってきます。こんな日はお家でネットサーフィンでも・・・と思って遊びに行って見つけてきたのがこれ。あなたの商品企画室私を商品として売り出したら・・・・・どきどきわくわくなななんと商品名が「53年AB組 usakoppi先生」とな。うーーん何か面白みに欠けそうで・・・さて売れるかな。商品の詳細は以下のとおり。☆キャッチコピー ♪くれぇ~なずむ~まちのぉ~~ (おいおい女金八??やだーーっ)☆種類別名称 思わず青春ドラマって思うけど実は、53歳の女性(人間) ☆原材料名 平凡だった子供時代選択にこ一時間かかる優柔不断さ思いやる心100歳以上生きてしまいそうな健康美 (うげーーっ)冷静沈着なクールな性格 (あらら隠しても隠し切れない・・・)残虐非道精神 (え、そんなそんな)香辛料着色料(黄色10号) ☆賞味期限 人間としては後、42年くらいです。異性の対象としては後、8年くらいです。 (うはぁ)☆保存方法(開封前) 出来るだけ魅力的な男性の側に置いて下さい。 (うんうん)開封後の取り扱い 出来るだけ魅力的な男性に時々会わせてあげてください。(いつもがいいな) ☆製造者 usakoppiの父と母今から約53年と数ヶ月程前、東京都のとある一室において(以下略) ☆使用上の注意 お子様の手に届かない所で保管してください。定期的に食べ物を与えてください。たまには東京都に連れて行ってあげてください。たまにはスポーツをさせてください 問題の商品としての売れ行きは?☆「53年AB組 usakoppi先生」の販売数見込み東京都出身者の29%が欲しいと一瞬思ったが、実際売れた数は588個何ですと。たったの588個!まずは買ってくださった方に感謝感謝。だがしかし、これでは在庫を抱えた問屋さんはおろおろ。倒産する問屋さんも出てくるかもしれません。闇の別ルートを探さねば。特別値引きいたします。ご入用の方は私書箱までご一報ください。委細面談 さてさて、皆様はどんな商品にお成りになられますかしら?梅雨の日のお楽しみ
2006年06月23日
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サッカーの熱気も静まった夜明け。漆黒の闇が薄皮をはぐように薄明るくなろうとする頃。白亜のマンションの廊下をすべるように歩く人影。とあるドアに手をかけるとドアはすっと開き・・・人影は吸い込まれるように中へ。二分もしないうちに人影は二個のバッグを片手に登場。そのまま何もなかったように去っていった。家の中には健やかな寝息だけが響いていた。土曜日の早朝の一こま。土曜日の朝。このところ泊まっていた娘が落ち着かない。朝から電話をかけたり、どこかへ出かけたり。ん?何をしているのかな??しばらくすると娘が言った。「お母さん悪いけどお金貸してくれない?」タクシーの中へバック忘れてきたらしい。だって、部屋にバックが無いんだもん。ということだった。はーーん。そそっかしいわねぇ。としょげる娘にしばしお説教。では、お昼を食べたら一緒に買い物へ。ということになったのだが・・・・あーーーーーっ。出かけようと思ったら私のバックが・・・・・無い!!!!!うっそぉ。昨日リビングに置きっ放しにはしたけれど、だれも触っていないと言う。え?え?え?えーーーーーーーーっ??????きき昨日鍵かけたっけ????うっそーーーーーー開いてた?????どこも触られた跡は無い。だがしかしバックが二つ忽然と姿を消している。ここで半信半疑ながら、泥棒さんが入った事を実感した。えーーーーっなんでぇ????が本当心境。110番して、刑事さんがお見えになってもまだ半信半疑ではあったが無いものは無い。ほんもののの刑事さんの登場で娘も私も主人も舞い上がってしまった。指紋取りセットも間近で観て、警察御用達のカメラも観てふーーーん。カード類はすぐに止めたがやはりいろいろ気になる。鍵も直ぐ付けなおし一安心ではあるが・・・・・・・・女のバックは命の次に大事なもの。娘も私もすっからかんになってしまった。化粧ポーチも、手帳も、お財布も、定期も・・・あーーー考えたらため息をつきたくなるほどのアイテムの数数。無くなって判るありがたさ。それにしても、リビングの隣は私たちの寝室。ふすま越しではあるが置いてあった場所とは1メートルも離れていないところに私の頭があったのに。ももが出入りするために襖は隙間を開けてあったのに。なんと大胆な泥棒さんだこと!!私の横数十センチ横のところを歩いていたのかと思うとぞっとする。息子と、主人が異口同音。どうして僕のを持っていかなかったのだろう。あはは、君たちは考えが足りないねぇ。お金入ってた?かばんはブランドだった????目ぼしいもの入ってた???流石プロ!!!目の付け所が良いワイ!!などとほめる気はないが・・きっちりお高いものから持っていったという感じである。煩雑な手続きの数々もやっと今日終了何だかねぇ・・・と憤懣やるかたない。誰だー持って行った奴は。現金は抜いて持っていっても良いが、ほかの物は廊下にでも置いておいてくれたね何の文句も言わないからぁ。と娘と話した。お金で買えないものの数々が消えてしまった。日に日に消失感が強くなってきた。誰も怪我しなくて良かったじゃない。とは幼友達の弁。確かにそうでは有るが・・・しばらくはこの梅雨空のような鬱々とした気分が続く予感。わが身の錆とは言うものの。ふぅ・・・・・皆様も、もう一回戸締りをご確認ください。
2006年06月19日
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今から10年近く前の話だから時効かと。まだ中学3年生だった息子がバイトをしたい。と言ってきた。もう友達に紹介されて申し込みもしてきちゃったし・・・・と言う。で、どんなバイト?と聞けば○通の引越しの手伝い。と言う。日払い。時給の良さ。などど良いところばかりを説明する息子。だが、まだまだ15歳のひょろひょろの男の子。使い物になるのかしら?と思いながら仕方ないと許した。初めて出かけていった日はそう大変な引越しではなかったらしく、それこそスキップを踏むような足取りでバイト代を握り締めて帰ってきた。その後16時間ぶっ続け作業とか、深夜労働とかが続いたが、めげることもなく通い続けていた。しばらく通っているうちに結構バイト先のおじさんたちにもかわいがられるようになった。仲良くなれば話もする。ある日息子が言った。「かぁさん、カンベツショリーチって知ってる?」ほへ?なんのこっちゃい。「いるんだよ。そういうやつが。でもさ、そんな風に見えないんだぜ」カンベツショが少年鑑別所を指していることにそこで初めて気がついた。後一個何か悪いことをしたら鑑別所行きの子のことだという。そういう子ともいろいろ話をして、いろいろ考えさせられることがあったという。息子の○通のバイトはそれから一年位続いた。バイトをする時間が有ったら・・・・。と言いたかったが好きにさせておいた。仕事先で自分の知らない世界があること、年功序列の人との接し方、礼儀、仕事の厳しさなどなど。家や学校では習えないことを沢山身に着けてきた。今息子は自分のなりたい物を見つけてそれに邁進している。自分の将来を考えたとき、このときの経験が物をいったらしい。若いときに苦労したことは無駄にならなかった。させておいて良かったと実感している。体を使ってお金を稼ぐことがどんなに大変か。大事なことか。世の中のことが少しでも見えてくれば頭でっかちになることは防げるような気がするのだが。つい最近、息子がふと言った。あのときの彼どうしてるかな。ふつーの大人になっているに決まってるじゃない。と母。ふつーの大人って結構難しいんだよ。息子君。
2006年06月13日
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うれし恥ずかしお誕生日に沢山の方からお祝いをいただいた。こんなこと50数年生きてきて始めてのこと。プログやってて良かったな。っと思った瞬間。沢山の方が生まれた日なんだからうれしいでしょう。と仰って下さった。去年からの一年を無事過ごせたことにまず感謝してなくては。生まれることができた日だから嬉しいのよね。両親が私を産んでくれたから、今ここに居られる。年が増えることだけを思っていてはいけないのよね。と再確認。さて、私は4人兄弟の末子。しかも年のやや離れた恥かきっ子。母はもう40歳目前。父はとうに40歳過ぎで私の登場となった。今から50年以上前のその日。お産婆さんが「まだまだ・・・・」と判断して帰られたあと、急に母が産気づいたという。今のように電話もない状態。姉は仕事先へ父を呼びに行き、下の姉はお産婆さんを探しに走ったという。お産婆さんは見つからず、結局私は父に取り上げられた。この話を後で聞いたとき父に聞いてみたのだった。良く私を取り上げることができたわね。とすると父はこともなげに言った。家で、豚を飼っていたから。同じだったよ。ぎょっ。えーーーっ! ぶぶぶぶぶっ・・豚と一緒?その一言で私はずいぶんその時落ち込んだものだった。上の三人はれっきとした病院で生まれてるじゃないのぉ。まぁ豚も人間も同じ哺乳類の仲間。大きく見れば出産なんてそう変わらなかったのかも知れないし、この言葉は父の照れ隠しだったのかもしれない。確かに父があわてず騒がず取り上げてくれたから五体満足な私が無事ここに居られる訳で。今更ながら明治生まれの男の気骨の確かさ、度量の大きさに感じいってしまった。そういえば今日は父の日。写真の父はいつものように笑っている。父にお礼を言ったことがなかったことに気がついた。おとうさん、取り上げてくれてありがとね。
2006年06月11日
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わが友Pigさんからのプレゼント。おーーー今日最高の頂き物。っていうか・・・・オンリーワン!!うれしい極み!!オーーーーワンダフルそう今日は誕生日。この年になるとめでたくもありめでたくもなし。の心境に。50を過ぎたら一年が束になって飛んでいく感じが。だって、もうすぐ夏至ですよ。あーーーーーーっというまの半年。私は何をしていたのかしら???と反芻しても何も出てこない。ずいぶん沢山の日々を過ごして来たはずなのに何だかその実感も伴わない。人生の中でミネルヴァの梟は何度か飛び立ったのかもしれないがそれを漫然と見過ごしてしまったような気がしてならない。反省することしきり。まぁ無事に暮らしてこれただけでも良しとするかな・・・という思いが深くなった。幼友達からお祝いのメールがお互い誰か判らなくなるまで頑張ろうね。としみじみ、しみじみ・・・・・来年もこうしてお誕生日が迎えられますように。
2006年06月09日
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先日の夕方大型スーパーへお買い物。買い物を終えてレジ近くに「タイムプライス!!」と書かれたコーナーに、いつも買ってる洗剤が置いてあった。ふむふむ見れば80円近く安い!!おっ、買っておこう!とレジへ。支払いを済ませるとレシートと一緒におまけに割引クーポンが。よくよく見るとさっき買った洗剤が次回のお買い物のとき50円引きになると・・・・と言うことは!さっきの値引きと割引とで・・・・洗剤一個買うとまたクーポンが・・・・・あーーークーポン地獄。繰り返すこと5回。違うレジに並び並び5本ゲットしたところではっと正気に返った。手元には6本の洗剤。まぁ腐るものではないが重い!!手元には最後のクーポンが残った。どうしようどうしよう。。。。。未練たらたらでスーパーを後にした。帰ってこの話をしたら息子が一言「そんなに頑張らなくたってさぁ・・・・」いやいや、そういうものではない。これは主婦の習性、生活の知恵、当然の行動!誰だってっするもん。と反論したが・・・・・いや、だが、5回はやりすぎだったかな。とちょっと反省♪あなたなーらどうする♪~お財布にはまだ赤いクーポンが未練たらしく入っていますのじゃ。
2006年06月01日
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4月の始めころ友達から「さだまさしのコンサート行かない??」とメールが来た。「えーーっ。私はあんまり・・・」とメールを返したが、しばらくして切符手配したからぁと言うメールに遅れて切符が送られてきた。何せ6歳から付き合っているおばさん4人組。このグループは完全多数決制がとられていて半分の人が賛成したら可決となる。あとは有無を言わせず一蓮托生・・・・と言うわけで、お楽しみのときはどこに行くのも4人でつるんで行く。老後もこの体制で・・・と冗談半分にいえあう仲。冗談じゃないかな??さて、そのコンサートは今日だった。会社を30分早引けして急いで急いで飛んで行った。会場の周りは私たちと同年代のオバサマが殆ど。6時から9時までの3時間があっという間だった。精霊流し、無縁坂、道化師のソネット、関白宣言、北の国から・・・などなど自分の生きてきた時代と重ね合わせなんだかほろっとしたり、笑ったり。大学時代から今までいろいろな事があったなぁ。と思い返すと、何だか寂しく、切なく・・・最後の〆は「草原のライオン」自分からは絶対に行かなかったであろうコンサートだったが、行ってみれば楽しく若返った気分。又頑張ろうね。と言い合って家路に着いた。さだまさしさんは54才。うーーんあの3時間のパワーは何処から??あやかりたいものです。
2006年05月30日
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燕来る時になりぬと雁がねは国偲ひつつ雲隠り鳴く 万葉集早いもので今年もツバメの飛ぶ季節になった。私が住んでいるところは多摩川に近く、20年前引っ越してきたときはこの頃になると近くの駅舎はツバメに占領されていたものだった。駅員さんもその頃になると「この上にはツバメの巣があります。お気をつけください」みたいな張り紙をしたりして何十組のツバメの親の子育てを応援していた。駅のベルに張り合うような子ツバメのチーチー甲高い声もすさまじかった。ツバメが空中をひるがえり地上すれすれに高速で飛ぶ姿は鮮やかである。あちらでも、こちらでも子育てに忙しい親ツバメがせっせせっせと虫を捉えている姿が目について駅を利用する人もそれをほほえましく眺めていたものだった。それが何年か経って、駅舎の改築ということになって沢山あったツバメの巣が一斉に取り払われてしまった。あらあら・・・また来年親ツバメは新しく巣を作ってくれることだろうと思っていたが、次の年になっても一組の親も作ってはくれなかった。あの親ツバメさんたちはどこへ行ってしまったのかしらぁ・・となんだか寂しくなったものだった。町の中でもぐっとツバメの姿が少なくなってしまったみたいだった。それからしばらく、ツバメの季節というものを忘れていた。先日、荒川の近くの友達の家に行ったとき、なんだか外が騒がしい。聞きなれたチーチーチッチッィ。チッチチッチ。友達の家の前の電線にずらりと並んだ親子ツバメ。相変わらず黄色い声で親にせびっている子ツバメの騒々しさ。親の甲斐甲斐しさ。あーー良かった。東京にもまだツバメさんはいてくれたんだ。と嬉しくなっって、飽かずにツバメの姿を眺めてしまった。さて、表題の「つちくってむしくってしぶーい」お分かりでしょうか?ご存知の方いられました?昔の人のツバメの鳴き方の表し方なのですが。父に小さい頃「ツバメはつちくってむしくってしぶーい」って鳴いてるんだよ。ありがたい鳥なんだから大事にしないとね。」と教わったものなのです。父は農村の出でしたからツバメの有難さを十分知っていたのでしょう。土をくちばしで捏ねて巣をつくり、飛びながら虫を捉えるツバメの姿から昔の人がこじつけた鳴き方の表し方のようですが、どうでしょう。皆様はどのようにお聞きになられています?もうすぐ入梅ですね。つばくらめ斯くまで並ぶことのあり 中村 草田男
2006年05月28日
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このところ肩こりが余りひどくて「くくくっ首が回らない・・・・」いろいろ理由はあるものの、ともかく血の廻りだけでも良くさせるには???と考えた末に見つけたのがあの噂の「岩盤浴」岩盤浴と言えば秋田の玉川温泉の北投石。温泉治療のメッカ。30年近くの昔、東北を旅行したとき寄ったことがあった。今ほど有名ではなく本当にひなびた湯治場で確か川の近くにその岩はあった。地熱で暖められた北投石の上に寝転んでほかほかした気分を味わったものだった。緑の中でしばしの休息。思い出すとため息が。それが今東京で流行っていると聞いて、あれならばと会社帰りに早速寄ってみた。なんだか場違いのような明るい雰囲気のお店。ふむふむ。早速作務衣のようなものに着替えさせられて、お水を飲んでから寝転ぶこと100分。汗をかき難いかな?と思っていた私も寝転ぶこと30分もすればたらーりたらり・・・・・・顔、頭は勿論の事、手の甲からも足の脛からも汗がにじみ出てきておーーーっこれはこれは。100分も何もしないで寝転んでいられるかしらと懸念していたけれど、ぼんやりうとうとしながら夢うつつの状態でいればあっという間の100分。あーーー極楽極楽!!なんだか少しは肩こりも良くなったみたい。おまけにお肌もしっとり気味。うふふふ一石二鳥らしい。岩盤浴の効果は身体の芯から温まるので、冷え性や肩こりの解消、ダイエット効果もある上に、美肌効果も期待され、おまけに免疫力向上も証明されたとか。(お店のパンフレットに書いてあったのですよ・・・・)どうやら、岩盤浴は健康と美容にいいことずくめらしい・・・・。うふふと言うわけで帰り際、ついつい割引に目が眩んで回数券を買ってしまった私。自分への投資も大切かと。
2006年05月27日
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長らくヒッキーをしてたので。ついつい一歩が踏み出せないでうだうだ。きっかけってなかなか道端にも落ちていないものらしい。そんな持ち主に嫌気がさしたのか、私のPCがうんともスンともいわなくなって遂に入院。あーーバックアップ取っておけばよかったーーー!!後悔先に立たずとはよく言ったもの。以前のPCは危ないからと、結構まめに取っていたのだが、XPになってからは安定しているのでと、ついつい気を許していたのがいけなかった。PCが手元にないとなんだか寂しいし心もとない。すっかりまっさらになって帰ってきた我がPC。またもや一から教えなおし、設定し直し。やっとここで一息。これがきっかけ 心気一転。またプログ再開。皆様どうぞよろしく。
2006年05月25日
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このところまたもやヒッキーヒキコモリ症候群でうだうだしていた私。今宵ふらふらと皆様のプログ漁りをしていたら!あーーーーーっ。思わぬことになってしまいましたん。「読んではいけない」という悪魔のささやきを破った私が悪かったのです。りうりうさんのところで・・・・あーーっ!!ア、貴女もご覧になられたとか??おや???貴女も???こんな恐怖に満ちたバトンもあったのですね。皆様はお読みになって笑い飛ばしてください。うっぷ。「見た人は直ぐやるバトン」・・・・・ですって・・・・● 今、どこに居る? リビングの片隅に● 今、一番近くに誰が居る? だぁれもいません。あ、かわいいももが寝そべっております。● 今 どんな服装? きゃーっ。言えない言えない・・・・ユニクロのスパッツに息子のお下がりのTシャツなんて● 今、何食べたい? 今食べたら・・でも・・・・あーーっなんか甘いものが・・・・其処にクッキーあったじゃない・・・アイスもあったいりして・・・カップラーメンもあるじゃないの・・・● 今、何飲みたい? 紅茶でしょうか。奥様ビールもいいな(100mlの小さいのを我が家ではこう言います)● 今、真後ろには何がある? え、真後ろ?またもや言えない・・・・洗濯物が一杯吊る下がってる・・なんて言えないのーー● 今、まわりを見渡したら何が見える? ソファーと食卓。伸びて寝ているももの寝姿。ビローーン。● 今、誰に会いたい? そりゃ、あの人ですわぁ・・・・うふふ● その人に今伝えたいことは? 身体に気をつけてください。きっぱり● 今一番歌いたい曲は?ウーーン・・・五木の子守唄?ねんこねんこしなくちゃね・・・・● 今頭の中でパッと思い浮かんだ言葉もしくは台詞は? なんて私って人間ができてないのかしら・・だめだなぁ・・・どこかへ消えてしまいたいいー。しくしく(先日、会社でぶちきれた私は、ついつい他の会社のおにいちゃんに暴言を吐いてしまい、落ち込んでいるのですよ。実は)● 今の体調は? 今年は花粉が少ないらしくこの季節にしては快適。来月になったらどうでしょうか。●今どんな気持ち?早く寝なくちゃね・・・。美容と健康の為にも・・・ふぅ以上今の私です。これからお風呂に入って寝まーす。今日はひな祭り。ももが来てからお雛様は出していないので、心が痛みます。お雛様ごめんなさい。皆様おやすみなさい。
2006年03月03日
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トロリーバスをご存知の方は少ないのかしら?「三丁目の夕日」の頃、東京にはトロリーバスなるものが走っていた。極普通に。でも銀座の辺りには路線が無かったのかしら??あったような気がするけど。・・・・・ウィィキペヂアによるとトロリーバスとはトロリーバスとは、道路上に張られた架線から取った電気を動力として走るバス。略してトロバスとも呼ばれる。また、日本の法令上は無軌条電車(むきじょうでんしゃ)とされ鉄道として扱われ、かつては無軌道電車(むきどうでんしゃ)とも呼ばれていた。とある。構造は「道路上の架線から棹状の集電装置(トロリーポール)を用いて集電してモーターを回し、動力とする。このトロリーポールの先端には、架線に接して電気を伝えるための滑車が付いている。この滑車をトロリー(Trolley)といい、このトロリーが付いているので「トロリーバス」と呼ばれる。タイヤは普通の自動車と同じゴムタイヤである。外観も屋根上のトロリーポール以外は普通のバスとほぼ同じだが、動力源は電車に近い。普通の電車と違って線路にアースさせる事が出来ないため、2本のトロリーポールをそれぞれ並行する架線に当てている。」だそうな。まぁ簡単に言えば線路のない都電のようなもので、今の大型バスの形をしていた。交差点などで、トロリーが架線の何かと接触すると良くショートして青白い火花が良く散っていた。雨の日などそれがとても美しく見えたことが懐かしい。排気を出さないシステムだから今から考えればエコだったはずだが、交通事情の悪化ににしたがって、今のバスと交替を余儀なくされた。私が中学二年生のとき、東京都のトロリーバスは全面的に廃止されている。都電も、トロリーバスも架線が必要だった。だから以前の東京の街の空は架線が網の目のように張り巡らされていて天井の低い感じがしていた。都電もトロリーバスもなくなって架線が取り払われたとき、急に空が広くなったような気がしたものだった。トロトロ走るからトロリーバス?という故無き巷に広がる噂に対してそうでは無かったと断固証言してあげましょう。道さえ空いていればかなりのスピードで走ることができたのですよ。これほんと。私はそのバスに乗って通学していたのですから。思い出の一こま昭和は遠くなりにけり
2006年02月18日
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昨年末から観ようかどうしようか・・・と迷っていたのが「ALWAYS 三丁目の夕日」東京タワーが出来た年は丁度私が小学校に入る前の年。その頃の東京の姿はうっすらと眼に残っている。見て見たいけれど、どうしよう・・・と思っているうちに17日まで・・・と期限が切られてしまった。そうなったらあたふたと・・・・段々大きくなっていく東京タワーの姿もまだ眼の奥にあった。東京にまだ大きなビルが少なかったから、段々大きくなっていく東京タワーの姿は今の山の手線、当時の省線に乗ると何処からでも見えた。初め電車に乗ったときにあれは?と父に聞いた記憶が戻ってきた。それよりも映画を見ながら、あんなに道路が広かったっけ?子供が皆靴下はいていたっけ?トロリーバスは?っと変なところに気が行ってしまう当時の子供はよほどのことが無い限り、はだしに下駄やズックだったような気がしたのだが。私が嫌いで履かなかっただけかしら?都電と一緒にトロリーバスも走っていたよーーっ。とか。ついつい・・・そうそう、そうそう!と一番懐かしく思ったのは高島屋のクリスマスヴァージョンの包み紙!(凄く細かい処ながら)我が家のサンタさんも同じ紙に包まれたプレゼントを持ってきてくれていたっけ。私が育ったところはかなり閉鎖的な処だったので、映画の主人公の様な良きにつけ悪きにつけ、隣人と生活をともにするような人間関係をしていた訳ではないが、やはり何処となく懐かしい。あの時代を、古きよき時代、と安易に言い切るのは好きではないけれど、確かにあの頃は物質的に豊かでなかった分、将来に対する夢があったような気がする。そのあたりがうまく表現され、子役も含めて主なキャストたちがみな生き生きと演じていて、心温まる映画に仕上がっていた。勿論私は号泣。ホロホロホロホロ・・・・これから50年後に東京の空に赤い夕日が見えるのだろうか。見えて欲しいものだと思うのだが。この映画を父と母に見せたらどんな感想を持っただろう。是非聞きたかったなとつい思ってしまった。
2006年02月17日
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有朋自遠方來。不亦樂乎。友遠方より来るあり。また楽しからずや。 子曰。學而時習之。不亦説乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。 論語の学而第一の中の一節。高校一年のときに初めて知った。論語の本を手にしたとき、高校生になったんだなぁという実感があってとてもわくわくしたものだった。何十年ぶりに、ふと漢文を思い出したのは「友遠方より来る また楽しからずや」をまさしく実感したから。プログの世界に遊び始めてかれこれ一年。いろいろな方のサイトで遊ばせていただいてきた。自分の知らない世界があってどんなに魅力的か。心惹かれるものが沢山あった。インタネットの架空の世界のはずだった。だからその書いていられるご本人とお会いすることが出来ようとは思っても居なかった。ところが機会があってお会いできることに。お会いできると判ってからは、好き勝手なことを書いて皆様の顰蹙を買っていたのではないかとヒヤヒヤ。実は人見知りの私は、お声を掛けずに失礼しようかとも思って居た位だったのだが。やはりお声を掛けてしまった。お会いすればえーーっ。あらまぁ・・・。やっぱり!の世界皆様の笑顔が嬉しく、あっと言う間に話題の中へ。またまた自分の世界が広がったようでとても嬉しかった。学校を出てから増えた初めてのお友達。って言ったら可笑しいかもしれないが私の周りの人は誰も知らない、わしだけのお友達、なんて貴重な経験。お付き合いいただいた皆様に本当に心からのお礼を!これからもどうぞ宜しく!
2006年02月13日
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友達から小川洋子さんの「博士の愛した数式」の本が回ってきた。先ごろ映画になって公開されたのでご存知の方も多いと思う。私は本を読みながら画面を想像する。何時からか記憶は無いが、どんな本であれそうなる。歴史の専門書であれ、数学の問題集であれ、何であれ。活字を映像として捕らえてしまう癖があって、皆そういう読み方をしているのだと思っていた。だから、読んで感動した本が映画化されたからと見に行くと、映像とのギャップにがっかりして帰ってくる事がある。だから、映画では博士を寺尾聡さんが、家政婦さんを深津絵里さんがやるとお聞ききしていたので、読んでいると頭の中をお2人が動き回っていた。ちょっと現実離れした内容ながら、淡々とした会話の中に込められた2人の思いや、少年ルート君の思いがけない行動やらエピソードやら、ひきつけられるものが有って読み始めてから一気に読んでしまった。久しぶりにあざとくない温かみのある作品だった。終わり方は何だか感動してやっぱり泣いてしまった。この頃とみに涙腺が弱くなって本を読みながらよく涙が出る。実は、今日美容院で読んでいたのだが、ホロホロ涙を流しながら読んでいたらびっくりしたカラーリストさんに「薬が眼に沁みました?」と心配される有様。うかつに外では本を読めないなぁ。さて、映画をどうしよう読む前は絶対見に行きたかったのだが、読んでイメージを作ってしまった後では・・・・・観るべきか、観ざるべきか、それが問題だ。
2006年02月11日
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先日、お友達のお母様が亡くなられたと連絡があった。都合がつかず、お葬式には伺えなかったがお悔やみの気持ちだけは彼女に伝えた。一昨年の今頃、毎月、お友達の親御さんが立て続けに亡くなられ、毎月喪服で精進落しをしていた頃があった。そんな年頃になったことをしみじみ感じ始めた頃だった。人は死んだときにその人の人柄や生き様が現れるとよく言われる。お友達の親御さんたちは、其々大勢の方に惜しまれ、見送られて、旅立っていかれた。とても安らかなきれいなお顔のままで。いいなぁ。私も惜しんでもらえるような生き方をしたいと改めておもったのだが。どうだろう。願わくば愛される老人になりたい。偏屈な老人ではなく、素直な気持ちで人の意見に耳を傾けるような、温和なおばあちゃまになりたい。息子にそれを言ったら「・・・はーん・・・・」しばし沈黙。「とても無理だろうよ」と思ったことが顔に表れていた。年をとっても人に好かれる。良い人ねと思われる・・・さてもさてもなんと難しそうなことよ。これこそ夢のまたゆめ??日々これからの心がけ?あーーっ。先はまだまだ遠い。がんばらなくちゃ。ふぅ
2006年02月09日
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はぁ。私の年ではありません。念のため秋篠宮紀子様が御懐妊されたと。めでたいニュースではあります。が、「39歳で」「下のお子様から10年離れて」と何でコメント入れますの?高齢出産だから?想定外のことだから????実は私、実母御年38歳の時の子でございまする。4番目の末っ子で、母が当時としては晩年に結婚したらこうなってしまいましたとさ。周りのお友達のお母様より10歳ほど年をとった母だったが、何の抵抗感も無くすっかり溶け込んでいたし・・・私も年をとった母親という抵抗はなかった。お友達のお母様で何とお友達が大学生になってから末っ子を産まれた方がいらした。友達は学校に妹を連れてきては「私の子供よ実は・・」といいながら見せびらかしていたっけ。何かほほえましい風景が思い返される。年の離れた兄弟なんてざらにいたし。しかも時代は流れて、今や私が長女を出産したときは○高出産の年齢で皆様普通にお生みになられている。家の娘だってそうなるだろうし。だから其処をわざわざコメントする無神経さにも何だか不快感を感じた。まぁ、お立場上広報されるのも致し方ないこととは思いつつ、一番プライベートなことなのに・・・と同情しつつ。39歳なんてなんのなんの!!どうぞ良きお子様をご出産なさられますように。
2006年02月08日
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梅一輪 一輪ほどの あたたかさ東京で梅が開花したとのニュースが流れていた。ここ3~4日の寒さからホントかしら・・・・と思うが花は正直。きっと時期がきたと判断して開花したのだろう自然は律義者だから。そう思うと人間のいい加減さに目が行く。自分勝手だなぁ・・と思うことしばし。我が身を振り返ってみても・・・・・外の日差しも明るくなってきたような。寒さも 後もう少しかしら。
2006年02月07日
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今日、私は久しぶりに血湧き肉踊る思いを。あ、誰ですかいつも肉踊るでしょうなんて思った人は・・・!実は本日、友人に誘われて「東レパンパシフィック」決勝戦へ。昨日、お目当てのシャラポアとヒンギス戦が終わってしまっていたので「ちょっとね」と言いながらのお出掛けとなった。だが開けて見れば熱戦が、結局ヒンギスはストレート負け。あらららららぁ・・・やはり練習に裏付けられた技術は見ていても気持ちが良い。ちんまり客席に落ち着いたおばさん二人連れ。試合が始まれば、2人とも身を乗り出し、両手を握り締め、それっ、そこそこっ、あーー惜しいーっ。と小声を連発し、しかも同じところでの合唱。わぁ。。。凄いっ!凄すぎ!!のため息も。ハラハラ、ドキドキ・・・・久しぶりに緊張した思い。ダブルスの決勝戦も見て会場を後にした。何か若い子と一緒に興奮しちゃったわね。と余韻を楽しみながら帰り道にちょっと若返った気分。うっふっふっふ。明日から仕事のパワーにしよっと。
2006年02月05日
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袖ひちて むすびし水のこほれるを 春立つ今日の 風やとくらむ 貫之今日から暦の上では春。東京は季節を思わせる様な良い天気。ガラス戸越しに日を浴びているとちりちり肌がしてきそうな感じに。ベランダから見える丹沢山系の後ろには 白く輝く霊峰富士の雄姿が輝いています。ももが陽だまりで惰眠を。なべてすることもなし。だと良いのですが。現実は・・・・・せっせせっせ今年は新年早々から、母が怪我をしたり何だかんだと落ち着かない日々。あっ・・・!っと言う間に一月が過ぎてしまった。ふぅ。今年、娘は八方塞の年で、息子は厄年とか。自分のときは全然気にもしなかったが、子供のこととなると気になって「お祓いでも受けてこなくていけないかしら」と信心深くない私も思ってしまう。こういうときはどうしたら良いのでしょう。今朝ベランダに、上の階のどちらのお宅かで豆まきをなさったらしく豆まきの豆が何粒も落ちていた。我が家の鬼も一緒に払っていただけたような気になって、掃きださずにそのままに。春の足音が。と、一緒に花粉も飛んでくる??あーーーーっ!!いやーーーーっ。
2006年02月04日
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昨日、会社へ行こうと自転車でマンションの敷地から出ようとした。横断歩道の手前にライトバンが。ちょっと見通しが悪い。急いでいた事も合って「えいままよ」とすっと出た。ああああ・・っ鼻先を車の排気ガスがかすめていった。うひゃーーっ。もし零コンマ何秒か前にすっと出ていたら・・・・東京で暮らしているから、小さい頃から何回かひやっとしたことがある。だが、こんなにすれすれセーフは初めて。確か横断歩道の手前何メートルかは車止めちゃいけないのではなかったっけ。横断歩道の手前は徐行しなくてはいけなかったのではなかったっけ。電車に乗ってからふつふつと怒りが沸いてきた。夜息子にも憤懣やるかたなく言いながら注意するように言ったらこう言われた。「母さんも一時停止しなかったんでしょ・・・・」はぁ。お見通し。ついついいつも大丈夫だからと配慮に欠けていたことも確か。自転車に乗るときは皆様お気をつけられてって、私だけかしら?自転車暴走族は。
2006年02月01日
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今日は朝から手順が狂いっぱなし。アタフタあたふたしているうちにお昼になってしまった。本当は実家へ母の様子を見に行こうと思っていたのに・・・お昼からは溜まった家事をこなしつつ、ハリーポッター三部作のDVD を見つつ・・・という体たらく。ふぅ。その上こんなサイトも発見日本語一斉テストこういうものは見つけたらやらずには居られない性格。30問しかないのでこれは短期即決。さっさとやってみた。の判は貰えたものの・・・・日本語にはそこそこ自信があったのに・・・・とちと落ち込み気味。答え合わせしてみたら、最初に正解を選んでおきながら「いや、案外ふつうはこうだと思い込んでいるけど本当は違うのかも?」と裏をかいたつもりで失敗してるのもあってなかなか点数に反映されていないとう口惜しさもあり。私の性格が良く反映されているじゃない。と1人笑ってしまった。お閑だったらお試しあれ。結果はともあれ、ひと時のお楽しみ。
2006年01月28日
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先週末からちょっと東京を留守にしていた。戻ってきたら東京のあちこちには雪が残りめちゃ寒い。ホリエモンが・・・というニュースにも疎く今浦島の感じでいる。雪国の方に話したら笑われるほど東京の街は雪に弱いのに、平気で雪かきもしないから、まだ日陰には雪が固まって残っていたりする。先日、細い路地を曲がったら雪かきがされていなくてアイスバーーン状態。ナチュラルタイヤの我が車はカルーク滑ってしまった。おーーこわ。兎も角空気が冷たい。雪に気化熱をとられるからますます空気が冷えてくる。乾燥してるし・・・・・という訳で会社でも、街中でもコンコン咳をしている人を多く見かける。風邪の季節到来!!今年のセンター試験の国語を見ていたら漢文に「寂無声」というくだりを発見。思わず笑ってしまった。何故って??以前、中学生の頃の話だから仕方ないといえば仕方ないが私は セキトシテコエナシ の状態を咳をしてもいけないような声もないような静かな状態 と認識していた。例えば卒業式で針が落ちた音も聞こえるようなシンとした状態で、咳をするこも許されないような場合を差す言葉だと思い込んでいた。友達にその話をしたら、あら、咳き込んで声を出せない状態じゃないの。と言われ2人で大笑いしたことがあった。だから今でも咳のコンコンを聞くと私はつい、私流セキトシテコエナシの状態を思い浮かべてしまう。子供の思い込みはなかなか本来の意味には到達しないものらしい。何十年も経ってから、センター試験の中で久しぶりにご対面。やぁやぁ君とこんなところで、と懐かしく思ったり。受験生はちゃんと答えられたかしらと老婆心で思ったり。センター試験も終わって入試シーズン突入。風邪は大敵。受験生諸君が皆平常心で、ベストコンディションで試験を受けられたらいいのに。と思うばかり。フレーフレー受験生。
2006年01月26日
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今回の旅行は主人の出張に着いていったので、当然主人は仕事に。夕食は私1人ですませることとなった。旅先だから土地の美味しいものをいただきたくなる。ホテルのフロントで聞いてみた。条件は三つ1、和食系のお店2、主婦なんだから余りお高くないお店3、おばさんが1人で入っても寛げるお店フロントマンはにっこり笑って「良いお店がありますから」と言って一軒のお店を紹介してくれた。しかも予約までいれてくれた。渡されたパンフレットを握り締め歩くこと10分。目指すお店の前に着いたとき、何か嫌な予感がしたのだが予約までしてしまっているので仕方ない。普通を装ってガラガラガラと戸を開けた。ーーーーーー。あらららら。おばんが1人でくるようなお店でないことは一目瞭然。寛げそうもないし、お安くも無さそうな。いやーーん。お店の人もホテルの予約の当人がオバンだったと思って居なかったらしくほへ?といった感じ。まぁ。仕方ない。年の功で図々しくなったことに感謝してビールの酔いに任せて悠々と食事をしている振りを。んがーーっ。内心びびりまくり。気を遣いまくり。味も何も。といいたいところではあるが、確かに美味しかった。美味しかったが・・・・いやはや!!疲れました。これならデパ地下で地元名物を買って部屋でいただけば良かった。と臍を噛んだ次第で。旅先の肝試し。ふぅ。これも旅行のお土産の思い出なんですかね。
2006年01月23日
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これがうわさの「へまむしょ」入道なり。「へまむじょ」って言ったら本人に「へまむしょ」と訂正されました。兎も角マイナーな落書きには違いなく・・・皆様の想像と合われたでしょうか???これ本人直筆なので間違いはないと。書いた本人は千葉県出身。千葉県の方、他にもご存知の方いられませんか???
2006年01月18日
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へのへのもへじ か へへののもへじ か へまむじょ入道 かあなたはどっち??子供の頃書いたいたずらがき。まっ、こんなことどうだって良いことながら気になるのです。書き順が。会社で何気に話していたら、へのへの組。へへのの組。に分かれました。私は勿論、正統へのへの組。其処へ乱入してきたのが「へまむじょ入道」これは、ニューフェイス。横顔になりますの。うーーん。小さい頃から慣れ親しんだ書きかたなれどさぁ、あなたはどっち派?こんなササヤカナ話題で盛り上がるって・・・よっぽど会話のない会社かなぁ??
2006年01月18日
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毎日の仕事行き使っているバッグはかれこれ使い始めて3年になる。娘とちょっと色目違いの御揃いの赤のトート。お気に入りだった。バッグは持ち換えると中身を失くしてしまいそうなので毎日同じものをそのまま持って歩くことになる。お出かけに違うバッグを持っていくと、次の日定期が、鍵がということになって大変なのだ。だから流石にかなり草臥れてうーーん。という状態に。一緒に買った娘はとっくに違うバックを常用しているし。ということで思い切ってこのバーゲンの季節に買い換えることにした。で、40%オフにつられて買い換えたのだが・・・・・これが使えない。今までのバッグなら自転車のカゴに突っ込もうと、満員電車の中でぐいぐい引っ張ろうとなんとも思わなかった。一日新品を持って行ったが、自転車のカゴに入れると傷がつかないかぎゅーっっと引っ張ったら・・・と気になっておちおちできない。で、次の日はまたもとのバッグに荷物を詰め込んでしまった。なんて貧乏性な私。新しいバッグは出番を待っているというのに。やれやれ。
2006年01月17日
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昔、育った家の近くに雑司が谷鬼子母神があった。樹齢100年を越えるケヤキ並木の参道を行くとうっそうと茂った緑の中に本堂が納まっていた。私が小さかった頃はかなり寂れていて、子供達の遊び場に専らなっていたが御会式(おえいしき)のときは広い境内、参道一杯におびただしい屋台やら、見世物小屋やらが並び、世界が一変してしまうものだった。そういう見世物小屋の辺りに「辻説法」をする人が毎年いて、お坊さんかと思える人が仏教の教えを書いた絵を見せながら面白おかしく独特の節回しで説法していた。小さかった私は、悪い事をすると地獄に落ちること、地獄の様子は・・・等と言う話を姉の手をしっかり握ったまま聞いていたものだった。恐ろしい話しだけでなく、お釈迦様の素晴らしさとかありがたさなども説いていたと思う。かれこれ50年近く前になる話だが。さて、先日、国立劇場で「語りの世界」というイベントがあって面白そうだったので行ってみた。仏教芸術の数々。声明、琵琶法師の語り、説法、絵説き説法と盛りだくさんの内容。どれもお坊様の、琵琶検校様の声が素晴らしく仏様の有り難さを伝える語りの奥深さを感じた。絵解き説法は安珍清姫で有名な道成寺絵巻の説法。巧みなお坊様の説明に笑ったり、心を打たれたり。語りの面白さを堪能した。そのお話をお聞きしながら、小さいとき聞いた辻説法の面白さ、おどろおどろしさを思い出していた。チラチラするカンテラに照らされて説くお坊様らしき人の語りはもっと下世話な感じがしたが、小さい子からお年寄りまで、立ち止まった人を離さない面白さがあった。「親の因果が子に報い・・・」などというフレーズを覚えたのはこの辻説法だったと思う。語りの本質は、聞いている人を「その気にさせる」ことにさせることにあるとのこと。説法を聞きながらいろいろ思い巡らせる楽しみも味わったと思う。私の想像癖はこうした経験から培われてきたのかしら? ふと懐かしく思い出されてもう一回ああいう経験をしたいな。と思いながら雨の国立劇場を後にした。
2006年01月14日
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今日は13日の金曜日だった。13日の金曜日といえば、あの恐ろしいジェイソンが暴れ回る日。ん?何で?日本の暦で言えば仏滅のような日なのだろうし、日本で言うほどキリスト教圏の人も気にしていないと聞く。何で13日の金曜日がいけない日になったの?と調べると諸説様々あってどれがどれやら・・・その1 キリストが十字架で息絶えたのが金曜日だから。キリストを裏切ったのが13番目の弟子ユダだったから。という説その2 テンプル騎士団のフランス中の騎士達が、1307年10月13日の金曜日に突然逮捕され、フランス全土にわたる大作戦で日暮れまでに1万5千人が捕縛され、この事件がきっかけで、13日の金曜日が暦の中で最も不運で不吉な日となったという説等などいろいろ。兎も角13という数字が、日本の4や9と同じくらいの重さで嫌がられているらしい。まぁ仏滅と同じくらいの感覚なのだろうが。だが、やはり何か良く無いことが起こるかも・・・・・因みに我が仕事場では、今日は親会社というか冠たる○○製作所の監査の日だった。傘下にあるだけに、本家の威光には滅法弱い我が会社。全社に監査の目が光った。課によって対応方法は様々で、鷹揚に構えている課長さん、何週間も前からいそいそ下準備に励む課長さん等様々。何となく雰囲気が浮き足だっていた。当日の今日。部長も本部長も何だかそわそわ。監査に課長が呼び出されるたびに大丈夫かな。を繰り返してはため息を。全く子供じゃないんだし、形式だけって言うのは言い過ぎながら、それで首が飛ぶって言うわけじゃ有るまいし。私の属している課は20分で終了。優秀優秀なり。しっかり1時間も搾られた隣の課長がぽつっっとこぼした。本当に今日は13日の金曜日だよ。っと。彼の前にはジェイソンが現れたに違いない。ジェイソンと戦った勇敢な課長は夕方、いそいそ課員と共に悪魔払いへ。やっぱり、13日の金曜日にはジェイソンが現れなくちゃね。
2006年01月13日
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先日、テレビを見ていたら精巧なからくり人形が、上手に「寿」の字を書いていた。「文字書き人形」というからくり人形とのこと。凄い!!の一言。江戸末期の作品と言っていたが、すっかり修復されて新品同様、びっくりする一場面だった。それが実際に見られる!!というニュースを仕入れて何でも見たがりの私は興味津々、早速見に行った。実際は思ったより小さなお人形さんだった。30センチ四方の台の上に乗ってしまうような。修復の時のビデオも流れていて先人の知恵を修復する苦労を垣間見たような気がした。繊細な動きは総て歯車とカムと紐の働きで操られており、その動力はぜんまいのみ。なんて繊細で、美しい動き、解説を聞きながらほれぼれしてしまった。ほかに弓引き童子のからくりも見られた。こちらは4本の矢を弓で射て50センチほど離れた的に命中させるというもの。その技術だけでも凄いのに、矢を射るお人形さんの表情が豊かなこと。笑ったり、的を見つめたりと本当に可愛い。こちらのほうが私は気に入ったけど。この二つの人形を作ったのは「からくり儀右衛門」こと田中久重。日本のエジソンと言うべき人で、数々の作品を残している。古人の知恵の凄さに感心するばかり。経験と勘と精密な計算に裏付けられた技術。技術ニッポンの源流はここにあり。といった感じ。久しぶりに小学生に還ったように、説明者の説明に聞き入り、腰を浮かせて実演に釘付けになった。「百聞は一見に如かず」あっと言う間の1時間だった。小学生と違ったことは、緊張して見ていたので肩が凝ってしまったということ。とほほほ。こんなものを見て、わくわくどきどきできる自分が嬉しかった。あ、幼いってことですかね。ふぅ
2006年01月11日
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おそるおそる・・・足を踏み入れて見る。わぁ・・・・・何処に何があるのやら。エーーッどんな順序で配列?????圧倒されてしまった。TUYATA初体験。そろそろ落ち着いたから年末ゲットしたDVDでも見ようかと TUTAYAへ仕事帰りによってみた。あるあるある、あるあるある。こんなに沢山あったら何処に何があるのか判らないじゃないのぉ~とキョロキョロ。図書館ならどんなに大きくても目指した本を見つけることが出来るのに。ラブロマンス、ホラー、アクション、アニメ、ちょっと危ないもの等等。アハハ、一時間ほどぶらついてしまった。なんてこったいっ。結局、お試しに一本選んで帰ってきた。初めての会員登録。うははははさて、これからお楽しみっ。見てきまーす。
2006年01月10日
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昨夜、プログを書いた。書き終わって直ぐに自分のページを確認。あれ、更新されてない。まず私はこういうとき自分を疑う。あ、登録ボタンを押さずに閉めちゃったのね。っ・っと。何せ、以前に経験あることなので。うっひゃー。もーーっ。と自分をののしりながら書き直し始めたら楽天から日記のメールが届いた。ん?この頃楽天さんのプログが直ぐに反映されないという現象が起きていたらしい。私はそれを知らなかったのだ。結局一時間たっても反映されなかった。短気な私としてはうっそー。え。まだなの??の連発。今朝恐る恐る開けて見たら更新されていた。やれやれ。早く直るといいな。この現象。気を長く持ちましょう・・っていう深慮深い教えかしら。
2006年01月07日
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私は、懺悔しましょう。遂に、遂にあの白い粉の誘惑に負けてしまったのです。密やかに買い込んで、台所の流しの下にひっそり隠し持っている私。去年末、テレビで見てから虜になってしまったのです。心の奥で欲しい・・・・と切望して・・・その粉の名前は炭酸水素ナトリウム。NaHCo3 んんんん???まっ、簡単に言えばそう!!今流行の重曹だっちゃ。高校の化学の時間に先生が重曹の素晴らしさを説いてくださった。で、結婚してからもずっと小瓶に入れて遣っていた。本当にいろいろなことが出来て重宝だったのだが、何回目かの引越しの折に失くしてしまってそのままになっていた。去年の年末辺りから重曹が世の中でフィーバーし始めて、一世を風靡し始めたのを知って早速買いに行ったのだが、あらま!売り切れとのこと。うっそー!!と思いながら年が明けてから又、買いにいった。今まで重曹は薬屋さんの店の奥で、ちんまり味気のない瓶に納まっていたものだったが、今回はスーパーの店先でいやにきれいな袋に入って澄まし返っていた。しかも1キロ単位。うっひぃー。時代は変わるもの。君も人気者になったんだねぇ。と思わず声をかけてしまいたくなるような変身振り。早速レンジ周りの掃除、換気扇の網の掃除と振りかけて使ってみた。掃除に使うのは初めてだったのでわくわくどきどき。なぁるほど・・・・よく落ちる。手の荒れも少ない。またまた重曹の守備範囲がひろくなった。え、何で流しの下に隠し持ってるかって?だって、スパーには3キロ入りの袋しかなかったのだもの。こんなに買ってどうしましょ。家の者に見つかったらなんと言われるか。毎日茹で菜に、煮豆に・・・と使ったって使いきれません。あ、食洗機の洗剤代わりにも使えるって書いてあったっけ。せっせと使わねば。過ぎたるは及ばざるが如しでしょうか少しだけ買って皆様もお試しあれ。禁断の白い粉。貴女もはまるかも。。。。。
2006年01月07日
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信心深くない私だが、人のすなる初詣に行ってきた。行った所は湯島天神。ここは、去年ドラマの舞台になって(瀬戸朝霞とモックン?が出てた)よくテレビに流れたらしいので、ご記憶にあられる方も居られるかも。山手線の御徒町の駅から徒歩10分ほど。女坂を上がり切ると拝殿が見えてくる。菅原道真をおまつりする神社だけに受験生の数が多くて、絵馬にはぎっしり受験校の名前が羅列してあったり・・天神様も全部見るのじゃ大変ね。友達とついつい笑ってしまった。そういう自分だって、子供の受験の時は書いたのに。まさしく神頼み。境内には梅の古木が林立。こんなに人が多くなければ古木を楽しむことも出来るのだが今日は仕方ない。来月になれば梅まつり。甘酒のにおい、クレープの、焼ソバの・・・と屋台から流れ出てくる匂いに押されて境内を後にした。山を下って上野方面へぶらぶら。今日の本当のお目当ては 池之端の 伊豆栄でのお食事会。うふふふ。本末転倒なりっ。このお店は江戸時代から繋がる由緒あるお店。うなぎ料理が有名なのだが(不忍池のうなぎ???)美味しいお弁当がある。ちょっと江戸情緒を感じたひと時。これにてお正月モードは終了。戦闘モードに切り替え切り替え。ふぅ
2006年01月05日
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