ゆんたま Spiritual Life

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2007.02.12
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カテゴリ: 雑感




冨士大石寺顕正会という宗教団体にハマった旧友が、「この宗教は唯一絶対のホンモノだから、死んでから3日たっても死後硬直が起こらないし、お題目(南無妙法蓮華経)を唱えながらスーッと静かに往生できる。臨終の相がすばらしいんだ。」と言うので、「チベットの高僧の中には死体が残らない人がいるらしいね。確か虹のなんとかっていうらしいけど。」と私が何気なく言った。
そうすると彼は「そんなこと物理的にあり得ない!絶対に誰か死体を隠してるに決まってる!」と真っ向から否定する。
私自身もこの目でその現場を見たことがあるわけじゃないし、別に否定されても構わないんだけどね。


ところが彼は何度も「日蓮大聖人は龍ノ口で首を斬られかけたが結局斬られなかった。」と言った。
これは「龍ノ口の法難」と言って、斬首されようとした時に光の玉が飛んでくるという奇跡が起き、それに恐れをなした武士達が首を斬ることを諦めたというエピソードである。
つまり彼が言いたいのは、そういう奇跡が起きるぐらい日蓮上人は特別な存在であり、すでに菩薩ではなく「仏」なのだ、と言いたいわけ。


でもその奇跡を真実だったと現代の誰が確認できるっていうの?
700年も前の出来事である。
ビデオがあるわけでもなければタイムマシーンがあるわけでもない。
文章が残っているとはいっても、それが真実だという証拠にはならない。
現にこの法難についての解釈は諸説存在するのだ。
敢えて言うなら「私は真実だと信じる」というのが正確な言い方だろう。
頭から「これは真実だ!」と主張する方がおかしい。


チベット僧の死体が消えるという話と、700年前に光の玉が現れる奇跡が起きて日蓮が斬首を免れたという話と、その信憑性にどれほどの違いがあるというのだろう?
どちらもこの目で確認できない以上、つまりは「信じるか信じないか」という話に帰着するのだ。
それなのに何故、日蓮の身に起きた奇跡は真実だと言い切れるのか。
それを前提にして、「これだけが唯一絶対の宗教だ」と何故言えるのか。
既に論理は破綻しているじゃないか。
この非論理に気づかないところが洗脳なんだろうな。
それじゃカルトって言われても仕方ないよ。




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Last updated  2007.02.12 22:05:39
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ゆんたまゆん @ Re[1]:最後だとわかっていたなら(03/21) コートニー2009さん >この方たちの…
コートニー2009 @ Re:最後だとわかっていたなら(03/21) この方たちの本が以前、ありませんでした…
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