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第4章 現実社会
再会
私はDさんの講座を受けに行き、気付きを得て意識を変えようとしましたが、何も変わりませんでした。
その頃、あるサイトの悩み相談コーナーに私が書き込んだ“すべては自分が創り出した世界だ”というコメントが、どうやらある人の反感を買ったようでした。私は半ばブーイングのような質問責めに遭い。どん底の状況にいました。そして、“死”を考えました。
ですが、そんな私を勇気付けてくれたのが、全く知らない方からの応援メッセージでした。
そして言い争っていた場所から立ち去ることで問題は小さくなり、気にならなくことを体験しました。
とても大変な出来事にも、メッセージが隠れています。あの頃の私には理解できませんでしたが、“すべて自分の思考が現実を創る”としても、“育った環境の影響”や“親からの影響”は避けられないのだと言う、潜在的に持っていた私の怒りや恨みの感情が、反感を持っていた人と共鳴したのだと思います。
私が育った争いごとの耐えない環境、無意識ではありますが、親が思う子どもの不適切な行動に注目し続けたり、子どもが体験から学ぶチャンスを潰しがちな家庭環境。それが、例え自分が引き寄せた人生の舞台であったとしても、家族は切り離すことが困難だからです。
すると、建設的な考え方をすることが難しくなってしまい、毎日のように勇気をくじかれることが起こるかもしれません。負の状況が負のスパイラルを呼び、自分で対処できなくらいの事態になり、そうなってからやっと、光の存在に気付くかもしれないのです。
それが、運の良い人(人生をそつなく生きられる人)と、運の悪い人(何をしても空回りの人)の、人生の分岐点であるような気がします。だからこそ、“家族”という基盤を見直す必要性も感じています。そして、私たち“親”の責任は重大で、それらを育む社会の流れが必要だと考えています。
そして、親や育った環境へのしがらみを捨てることが、被害者となる状況を引き寄せていた自分を救い出します。
“陰極まれば陽になる”と言いますが、景気低迷・変革の時期だからこそ、今こそが人生に悩んでいた人や苦しんでる人たちが持っている可能性や才能、そして、仕舞い込んでいたエネルギーが発揮される“チャンス”だと私は考えています。
Dさんの講座を受けに行った翌週、娘の運動会がありました。子どもたちは音楽が流れる中、広島の原爆投下のシーンの演技をしながら平和を訴えていました。私は演技を見ながら“どん底からでも這い上がることができるんだ”と、戦後の日本と自分自身の経験をスライドさせてしまい、見ていて泪が溢れそうになりました。
2年前の私は、同じ演技を見ても惨事を記憶から引っ張り出すのは悲惨な状況で味わった感情を引き出すことなので、また惨事を繰り返すことになると思い、反感を持っていました。
しかし、自分自身がどん底を体験し、偏った見方の理論だけで解決するのではなく、相手と自分が面と向き合い、可能性やそれを叶えるための手段を考えられるように出来事を受け止めれば、チャンスともなることに気がつきました。崩壊と創造が、現実を創り生み出していくのです。
どんな状況からでも、そこから学ぶ姿勢になれば。
自分の人生の目的が見えてくるのを体験しました。
被害者的な受け止めやその状況に呑み込まれると、自分自身を失ってしまいます。
自分が怒りの矢を放つと、怒りの矢を持った人を引き寄せ、共感もしくは反発しあいます。(相手は自分の合わせ鏡
)
自分が癒しを求めれば、癒しを求める人、もしくは癒しに反発する人が現れます。反発する人が現れるときは、自分自身が癒しを求めていることに対して、抵抗する働きがあるときです。←これは、面白いです
このときだけではなく、次の章で体験したことからも、この、心の流れを確信することができました。