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yuuの一人芝居
小説 紫枝垂れ櫻
1
そこにおられるのは、西行法師様でございましょうか・・・。退いてゆく月の明かりで微かに・・・。
ご女院様こと、待賢門院たま子さまが、みまかられました。お一人にて中有の旅へと・・・。
お声が滲んでおりまする。さぞや・・・。そなたの真の篭もった経唱が、偲んでもまた果なんでももう帰りませぬ所へ現世(うつせみ)の不浄を洗い落とし、お平な安堵の道程を・・・ひと時はやんでおりました虫の音が、微かに床を震わして・・・。その音に導かれるのでしょうか・・・。
未練は成仏の妨げになりましょうから・・・。
はい。女院さまがみまかられたの報せは洛中へ・・・ 。
女房達が悲しみの報せを運んでおりまする。
西行様、さあ、こちらへ、このようなお優しいお顔には久しゅうお目にかかったことが・・・、誠に善い逝き相でございます。
女院さまが義清にだけは見せとおないと・・・。
あの炎に焼け爛れたようなお顔が穏やかに、嘘のように・・・。血の温もりが消えると、ホウソウのあとも消えてしまいましたよ。
ええ・・・なぜに中有へ御供をいたさぬのかと仰せの方も御座いますが、
それは・・・私とてその心、持ち合わせておりますが、女院様のお言葉で供はいぬ、一人黄泉への道を辿りたい。その道すがら過ぎこしのことどもをよすがにして、幼きより四十五歳迄の数々を思い起し、情けの思いに浸りたいと申されまして・・・。
はい。はっきりと・・・。
また、西行法師様への申し添えを承っております故・・・。
義清はどのようにこの世を見詰め、これからの時代をながめるであろうと・・・。
ああ、さてもさても、三条高倉第の外にいて中の有り様が手に掴めぬそなたの想い、さぞおろおろと気をもんだことであろうな。その懐いを祈りに変え、神、仏の加護、縋れるもの総てに・・・。幾重にも幾重にも・・・。届きましたぞ、切取った萩の華が枯れなかったのがその証。さぞや・・・女院さまのこの世はいったいなんであられたのか・・ ・。
なれど口惜しい。義清様聞いてくださりませ。女院さまがご病気になられて、崇徳上皇様が結願(けちがん)の曼陀羅供を致しました時に、鳥羽法皇様もお出ましくださいまして、優しい情けの篭もったお言葉を・・・。それではなぜにあのように遠ざけられたのか、何故に早くそのお言葉を女院さまに下されなかったのか・・・。と女房たちは涙にくれましたぞ。
さあさあ、女院さまのお側へ。安らかな寝息がまだ続いているように感じられまする。
2
今宵は女院さまを偲んで昔の話に花を咲かせましょうか。面白可笑しく、それがなによりのご供養かと・・・。女院様はお静かな面差しをしておいででございましたが、頬を弛め「もそっと華のある、艶のある話をしてたもれ」と心は滾る情熱を秘めておられた・・・ 。
あの夜の事を・・・。佐藤義清殿、鳥羽天皇に仕えし北面の武士が突然の得度、法名円位、歌人(うたびと)とし西行と号し名を馳せし道程を・・・。妻子に囲まれつつがなき日々の、その平安を捨ててなを・・・ 。
宵宮での出会い、男と女の仲はふとしたきっかけで起こり・・・。忘れえぬ面影に、毎夜毎夜茵で寝返りをうち、眠れぬ朝を迎えた事であろうな。まして、二十歳を少し過ぎた殿方にとっては・・・。ときめく胸のうちが砕かれるごとき苦しみ、早鐘のように打ち敲く恋情の鼓動。こしのくびれに添って流れるように床に散る、豊の髪。茵に乱れ散るあられもない色香を漂わせた女子の命の黒髪。十二単に隠されたふくよかな膨らみ。裾から僅かに窺える白いふくらはぎ。目を病んだような眼差しの艶やかさ。紅を指して心を惑わすよう小さな朱唇 ・・・。と次から次へと泉の如く沸き立つ慕いは三千の煩悩に身を焼いたことでございましょうな。
人の世にはひとつとして同じ時も、処も亡きとは・・ ・。
この私が、西行様、いいえ、佐藤義清様に初めてお逢い致したのは、遠い日でございましたな。
そなたは、私の父、源顕仲のもとへ歌を持って通っておいででありましたな。女にとって男がどれほどの憧れかを教えてくれたのはそなたでした。部屋で香を薫き、黒髪を櫛に流し、単衣に気を使い、火照る頬に顔料(けはい)を広げ・・・。そなたが通り過ぎるのをただ見詰める、心は夕日のように染まり・・・。もどかしい日々であったぞ。
そなたは、知っておいででございましたか・・・。
まあ、憎らしい、知っておいででなぜにお声を掛けてくださいませなんだ。
ああ、過ごした時がおしゅうございます・・・。
今のような戯言が言えたならどんなに楽であったかと ・・・。縁とは異なもの、今ではこうして仕舞込んだ懐いを・・・。そなたはたしかお歳二十八歳になられておいででございましょう。
ただの男になって、この局を抱いてみる気はございませぬか。・・・、不謹慎と申されまするか。女院さまへの悲しみを忘れるため、死へのおののきから遠退きたいと願う、それ故に男が女を、女が男を・・・。
深い重い悲しみは人の理性を解き放つ様でございます。ことに近しい人の死はそれを狂わせまする。身体が人の道を越えたがります。浅はかな考え、お忘れくださいませ。
ああ、お話を・・・。
おお、父は、義清殿はたいしたお人じゃ、いずれ国を動かす歌詠みになろう。言葉の裏に不思議な力を感じると申して。その意味は・・・私には分かりませなんが・・・。
西行様もご承知のとおり、法金剛院は白河法皇の御願寺として女院様が、建立なされたものでございます。花園の名の通り四季の草花や、木々に咲く華の香が絶えることのない地、女院様はこの地を選ばれ草木の華の中でも一番の御贔屓の、花を植えるように申されたのも、花の中にいつも身をおいていたいという・・・ 。
精舎と申すは、常ならば華を付ける樹は四季に色を付け心迷わす故に植えぬもの言われておりましたが・・ ・。
そなたは、出家を致しても修行に御身をやつすと言うこともなく、女院さまへの懐いに惹かれて洛中を彷徨い・・・。
3
さあ・・・。
まあ、なにもかも・・・。お手の懸かるお人じゃのう 。
西行様、なにか申されませ。女子にこれだけの言葉をつむがせて、歌詠みのそなたが石仏のようにもの申さでは・・・。さあさ女院さまのお側へ・・・。
ああ、なんといじらしい、哀しみの重さで動くことも叶わぬのですか。このような時は、ただなにかを口にして・・・。
ああ、それでは・・・。
さるとき、奥嵯峨の法金剛院の庭に咲き乱れる様々な花のその健気さを愛で、はかなき落花に無常をお感じになられておられました女院様。・・・華を詠めば、今をときめく西行は、私をどんな華に、準えるであろうなと・・・。謡うようなお声で・・・。
庭に散る、花びら一枚一枚に心痛めて、おみ足を前に出すことを躊(ためらい)躇なされておられた女院さま。女子の命は花、ただ華が夢を見ると、暮れ拘む庭でのお言葉・・・。季の移ろいの中で咲き、心和ませる平安の花・・・。國乱れても時きたれば咲く彼岸の花・・・。ひとときの命なれど健気に咲く月下の花。
西行様・・・。
ああ、何ににたとうべきかと。さてさて、お困りのご様子・・・。
ここをまたわれ住み憂くて浮かぶれば
松はひとりにならんとすらん
西行様、よく喋る女子じゃと申したそうなお顔、女子は喋ることで悲しみ辛さを流すもの・・・。なれど、女子は愚かでは御座いませぬぞ。
そなた程の人でも女子の強かさを感じ盗ることは叶うまい・・。真実の女子の姿は分かるまい、懐いの襞まで数えられまい。女子は世の流れがどのように変わり、誰が、何方が、政治の動きを手の中に握ったかをいち早く体で感じその難から逃れる術に長けておりますぞ。花の種を次の世へと、それゆえに・・・。
女子は殿方の目を和ませる艶の花・・・。
華の盛りはひと時の命の蜻蛉、蕾を開いても咲き切らぬ内に毟り盗られる徒の花(いたずらのはな)・・・。水なき泉に、流す涙・・・。なれど、それを耐え実を為すのが女子というもの。散る前に見せる危うげな姿。
女院さまの・・・。
そんなお心根が私のような女子にも届きましたゆえ。風になびき弄ばれる一枚一枚の花びらを拾い集めて押し花にいたし、御遺体を時の萩の花でおおい、その上に女院のお好きなこの花をと考え集めて参りました ・・・。
紫のしだれ櫻・・・。世間ではご女院さまをそのように・・・。
ああこれからが大変。お別れにどれほどのお人が尋ねてこられるか。ぎょうさんなお人から想い慕われておいででございましたゆえに。氷の柱が名残の暑さで溶けて。
これ、中納言、兵衛、あらんかぎりの氷の柱を女院さまの枕元へ、香を薫きつめて・・・。
女房達が時の華を求めて洛中に散りましたぞ。この季節、かの女房達は見出すことが出来ましょうや。
咲き乱れておりました花も散り、今は葉も霜枯れて・・・
はい。待賢門院さまが、いいえ女院さまが申し残されましたとおり、法金剛院の裏山、五位山に・・・。石棺(いしのひつぎ)に御安置をいたし地中深くお納めし御陵(おんみささぎ)といたしましてございます。花園西陵と呼ぶ人も多ございます。
4
母上、父上の名さえ定かではございません。もの心がついたときには、祇園女御様に育てられ、名を藤原璋子と呼ばれておりました。思いまするに藤原摂政の血筋かと・・・。
祇園女御様は白河天皇に寵愛を享け、情けにたけ、四歳の私を引き取り、また、祇園女御様のお妹ごと白河天皇との間に生まれました後の殿上人の平清盛をも、実の子のように可愛がる義母(はは)さまのような方でございました。
その頃から私は私の運命を薄々心の中に感じておりました。義母様の許へなぜに白河法皇が通ってこられるかを知っておりました。女子はどんなに幼くても、男心を惹く手立て、心惑わせる仕草や術を誰に教わることもなく本能、性として身についているようでございます。
男と女が茵(しとね)で何をするのか、女房達と男の睦事を見て知っておりました。男が何を欲しがり、何を求めているかを・・・。可憐を装い、初心なおぼこを演じ切り、恥じらいをちらつかせ、貞淑そうに見える女房程男の文に身を擦り寄せる。生き残るための知恵、女は男より強か、そんな生き方を覚えるのに時はいりませんでした。
白河天皇の膝に跨がり胸にすがり、じっと瞳を凝らして見上げる目は、成熟した女房達と同じ様に男を誘い込む色香を発しておりました。いつの日か肌を合わる、そんな想いを感じておりました。
女とはそのようなものと思うて育って参りました。
月の印しがあったのは・・・。思い感じる外に女子として男を迎え入れる身体になっていたようでございます。身体から滲み出る匂いは男を虜にする。胸の膨らみ、腰の括れ、太股の柔らかさ、肌も透けてしっとりと・・・。
女の華は、堅く閉ざした蕾と同じでその時を迎えれば、緩やかに花びらを開き、甘い蜜を滲ませて待つ。月が満つれば蜜を湧立たせ花の香りを撒き散らし誘う・・・。
女子は決して受け身ではございませぬ。仕掛け、仕向けるのは女・・・。男はいつまで経っても女子の謎をときほぐす事などかないませぬわいな。
哀れ・・・。哀しみ・・・。哀切・・・。それは男の事・・・。
いずれにしても女子はしたたかな花。
櫻、さくらは果ないゆえに美しくもあり、また不気味でもありましょう。櫻と私は一体、その櫻に同じ心を寄せる男が現われるまで、本当の櫻の美しさなど分かりませなんだ。
先程、両親の不明を申しましたが、なにかの都合で祇園女御様に育てられたのでございましょう。
父の名は、権大納言藤原公実、母の名は光子。なにやらその辺りが分かるにつれて、父の策謀、白河法皇の影が、そして、祇園女御の好意が見え隠れ、より我が身に覆いかぶさる定めを感じましてございます。父、公実の伯母茂子が後三条天皇の女御にあがり白河天皇を産んでおり、父と白河法皇とは従兄どうし、何やらややこしい入り乱れた血の迷路。藤原氏北家一門の外戚による摂政、絵図でも描かなければ縺れた関係は分かり難うございます
あれは・・・。月のものをみた歳、祖父と孫ほどの歳の開きのある白河法皇を迎え入れました。それはまったく自然の理のように行なわれました。感動も歓喜もなくただ風が通りすぎるというように・・・。男を感じるというより、孫として可愛がられているというそんな有り様でございました。お年は召しておりましたが国一番の権力者の白河法皇により可愛がられ、甘えて戯れているうちに、ひとつの体になる。その時を予期し、こうなることが女の道といつのまにか身についていましたゆえ・・・。
法皇の子をなし、揺るぎのない力を持つ、そのことが女子の出世。はしたない揶揄や中傷はだんだんと影を潜め、法皇との仲は公然の事として受け入れられ、法皇の孫鳥羽天皇の妃として入内いたしました。歳は十七、鳥羽天皇は十五、わたしの縁談には様々な経緯( いきさつ)がございました。知っていながら知らぬふりをしておりました。
祖父の寵愛を一身に受けていたわたしが、その孫の妃へと。女子の運命とは言えこころを森羅万象に託しても、剰りにも哀れ、五体が氷のようになり、広い慈しみを超えた暖かいなにかに抱かれて溶け水に還りたいと願うた。白河法皇を慕いながら恨んだ・・・。わたしはもののけが憑いたように入内儀の日にはこの身の総てが高熱に焼かれましてございます。
その熱は法皇への想いであったゆえの拘りであったのでしょうか・・・。その想いを確かめたくて、法皇を振り向かせたくて何人の男を引き込んだことでしょうか。想いが重なると、狂おしい愛おしさ、という想いに変り身を焦がし・・・。四十六の隔たりがあったとしても男と女にとって何の障害になりましょうか。 染みの浮いた、皺の深い肌、それさえ懐かしさを沸き立たせました。
愛とは恐ろしいもの、いいえ、女子とはなんと恐いもの、我が身を呪いながら、別の身体が狂おしいほど男の身体を求め鬼に変えてゆく。たかが十七歳の身体をもった女子が肉の愛撫に炎をもやす。
恐ろしいものでございます。
入内の儀式の日、心を捨て流れのままにと考えておりましたが、気が触れたように、叫びながら髪を掻き毟り、着物の胸を掻き広げて、庭に泣き伏したあの時・・・。わたしの女としての生まれ変りであつたのでしょう。それとも、居直り・・・。
5
その時の女院様は夜叉のようでございました。またそうのうてはひとときも生きておられなかったのではございますまいか。
まるで満開の櫻が一夜の嵐に散り乱れる。そんな御心の紋様(もんよう)を見たようでした。
お側であれこれとお仕えしていていても、御心の内には踏み込めもせずにじっと見つめるのみの日々でございました。
どこでどのように・・・。いいえ、白河法皇との密会を仕組んだのはこの私めでございます。
ご病気を作り話といたしまして・・・。
中宮になった年、いいえ、入内してすぐ後、白河法皇との仲はもとに戻られ、色々なことに事寄せ逢瀬を重ねておられました。
女院様にとっては、父か母のように可愛がってもらった白河法皇、また、初めての男、女体の芯に灯を燈したお方。まして幼い頃からときを重ねてこられたお人 。物事の理と肉の身体のすれ違い。お側に居ることさえお労わしくて・・・。
女院様は、白河法皇のお胤が欲しかったのでございます。一代の専制君主の子種を宿すほど強い味方はございません。女子はよりよい胤を欲しがるものでございます。それが唯一の護身に繋がるからでございます。崇徳、内親王禧子は法皇のお子でございます。
二十七歳で後白河天皇をお産みになるまで、鳥羽天皇のお子を年子で四人。また二十九歳でお一人と。もう 何もかも忘れるために子を成すという・・・。ですが、身の因果か後白河天皇の前に産まれたお子は不具でございました。それ故に次から次へとお子を・・・。最後のお子を宿しておられた頃、白河法皇は七十七歳で御崩御。お腹のお子に差し障ってはの心配から出産まで伏せられましてございます。
その頃から、鳥羽天皇のお心は女院様を離れ美福門院様へと傾き・・・。女院様は寂寥を胸に抱く生き方に移り変わるのでございます。白河法皇という後ろ盾を失い女院様は、鳥羽天皇に疎んじられるようになり、権勢並ぶべき者はなかった女院様の運命は大きな移り変りを見せるのでございます。
それからは、以前にもまして、白河法皇と詣でた熊野へ・・・。お一人にて熊野への道を辿るのでございます。十数回の道程を・・・。
西行様も陰ながら御供をして・・・。
そして、白河法皇へのご供養の為にと御願寺を御建立、その後すぐに仏門へと・・・。また、法金剛院の落慶へと身の置き所を、これが運命だというふうに変えられましてございます。
御不憫にも四十路のはじめ流行の病ほうそうが御身のうえに・・・。あの花よりも美しいと言われたお顔は奈落に落ち踏躙られた椿・・・。
「運命にそって生きただけの、報いがこの姿か」
と零されたお言葉、女房達は袂を濡らしました。
いいえ、いいえ・・・。
女院様の戯れなど、わたしの聞き及んでいる世間の見聞(みきき)ではまだまだすくのうございました。
6
本日はお忙しい中を、待賢門院様の一周忌のご法要にお集まりくださいましてありがとうございました。女院様もご縁のふかきみなさまがたを懐かしみ、さぞお喜びと拝します。
別室に、細やかではございますが、御酒の用意もいたしておりますれば、故人を偲んでのお話などに花を咲かせ、懐かしんで頂ければと存じます。
一年の喪が明け、お傍に仕えていた者のほとんどは離散いたしますが、中納言、この堀河はここ女院様のお側でこれからも菩提をとむらわせて頂きます。
道深き山里ではございますが、こちらにおこしの節はどうかお立寄りくださいまして女院様へ一筋の香をお願いしとうございます。
残暑厳しい中の御参集誠にありがとうございました。
これ、中納言、ご案内を・・・。女院様の縁の大切な お方、失礼があってはなりませぬぞい。
7
義清・・・。
今日は宵宮、よくきてくれました。洛中の賑わい、そのざわめきがわたしの心まで浮き立たせてくれていいえ、義清との約束が血を沸きたたせるのです。
そなたの想い大変うれしゅう受けとめましたぞ。
わたしの心を熱くしてくれましたぞ。堀河がそなたの和歌を何度も何度も・・・。
義清、月が隠れるまで待ってほしいと頼んだのは・・ ・。髪を漱ぎ、肌に香を沁みまこませ・・・。
宵宮の名残のざわめきが消えて行く時を、どんなに待遠しく感じたことでしょうか。
さあ、義清こちらへ。堀河明かりはいりませぬ。
わたしは体を堅くして震えていました。まるで何も知らぬ無垢な女子が見せるとまどいと打ち寄せる好奇心に揺れておりました。じっと身を横たえて・・・。今まで感じた事のない恥じらいが・・・。
初めて付けた蕾が義清の吐息によって少しずつ開かれ流れる蜜。その蜜はいつのまにか滾るほどに熱を持ち、花びらを開いておった。
俯いて生かされたわたしは運命に流されたといえ花とは言えなかったろう。これも運命と思い生きたことが、なんという哀しい事であったのかと・・・。
義清によって、今まで生きた日々の汚れが綺麗に流さ れて、生まれ変ったように思えはじめたのです。
この世の男と女。別々に生まれているけれど、義清との想いによって、わたしも、女子として強く生きられ ることを知ったのです 。
いま、はじめてこの世に生まれて良かったと、これほどの想い決して無駄にはいたしませぬ。
義清がついていてくれる。幸せとはこのような思いを感じる時かもしれぬと。
義清の肩に頬を寄せてこうしているとなんと落ち着くであろう。まるで母じゃの腕のようじゃ。
花は誰のために咲くのであろうか。
今日のわたしは義清だけの櫻として咲いた。
義清にわたしは問うていた。
義清、櫻はどうして花びらを陽に向けて開かぬのじゃ。他の花はみな明かりを欲しがり顔を向けるのに。
義清、見えるであろう僅かの明かりの中に紫しだれ櫻、今宵の櫻、まるで今のわたしの胸の中に咲くようじゃ。
義清、ひととき下を向き恥じらう桜の花のように咲きましょう。そなたとこのわたしの最初で最後の恋い。ここは庭の櫻のせいにして・・・。
あすからはお日様を仰ぐ花として生きてみたいと思うゆえ・・・。
8
西行様・・・。
女院様がみまかられての後、消えるように京を去って・・・。吉野での修養・・・。ようこそお尋ねくださいました。西行様の出家はもとはと言えば・・・。
お二人のたった一度の睦事、一度であったからこそお二人の心により深く刻まれ続けたのでございましょう 。
義清さま、いいえ、円位さま、いいえ、西行法師様、大きな荷物を背負いなさいましたな。なれどそれは、そなたの宝。
待賢門院様、女院様は常々「義清はわたしを一人にはいたさぬ」と申しておいでじゃつた。
西行法師様、女院様への深き想いありがとうございま した。
義清、運命とは残酷(むごい)ものですね。
このわたしは義清様も女院さまをも一人にはいたしませぬ。このわたしとて義清様と同じように女院様を想うた心は負けぬ。堀河もお二人をみて、一途の懐いがどように人を変えていくかを教えられた・・・。
西行様、さぞおつろうございましょう。
わたしはようやくしがらみから解き放たれ・・・。
このわたしも、様々に色を換え咲きたかったのう。蕾を綻ばせて、香を振り撒き蝶を引き寄せて、たとえ嵐に遇うて一夜で散ろうともひとときの命であっても・・・。花でありたいと思うておった。
西行さま、一年がすぎてここで初めて女院様のお言葉を・・・。女院様は、お種の違うお二人のお子のことを案じられ、義清に行く末を見届けてほしいとのお言葉・・・。
この先、なにやらお二人の間でどうにもならない争いがとの危惧が心に凝りを為しておいでで、それゆえに熊野への道程を繰り返しておいででございましたのですよ。
義清はなにもしてはならん。手を貸してはならん。ただ時の流れを見詰めていてほしいと。二人は争い、人としての道を踏み外し、人にあるまじき争いへと・・・。見えると申されて・・・。だが、義清にはその二人の運命に関わる事無く見ていてと・・・。花に問い 、月に語り人と政には無縁で生きてほしいと・・・。
御身のまわりに起こるであろう様々な想いを封じこめて・・・。決してこのことを、書き残してはならんと ・・・。
それが持って生まれた才を守る術じゃと・・・。
願はくは花の下にて春死なん
その如月の望月の頃
義清、振り回されてはなりませぬ。人にも時代にも・ ・・。
のう、義清どの、待賢門院様のお心お分りいただけましたか・・・。
西行法師様、人はなんと哀しいのでしょう。
いま櫻が・・・。
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