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yuuの一人芝居
逢澤雄吉の幸福な災難
今田 東
五月晴れの日。
空き家になって久しかった隣家に、中年の夫婦が引っ越してきた。
引っ越しセンターの車から荷物を家の中に運び込んでいるらしい人のざわめきが伝わってきていた。それを庭で見ていた育子が書斎の窓を開けて、
「今日のような日を、引っ越し日和と言うのね」と声をかけた。
逢沢は本を机の上に置き椅子を立って窓から顔を覗けた。
「じろじろ見ては失礼よ」
「お前さんだって」
逢沢は四十七歳、育子は四十四歳の壮年の夫婦であった。
「おとなりも子供がいないみたい」
「どうしてわかるのだい」
「だって、荷物がないもの。子供の荷物がないのよ」
と育子は訳を口にした。
「気になるのだったら、隣のよしみだ。手伝ってこいよ」
逢沢はそう言って机に戻り、読みかけの本を手にした。
「そこまで出しゃばりではありません」
育子の少し甲高い声が聞こえてきたが、庭から消える気配がした。
陽射しは書斎までとどいて立ち昇る埃を白く浮き立たせていた。
逢沢夫妻の住む団地は、十年前に山を削り取り造成された南向きの陽当たり良い場所にあった。O市とK市のほぼ中間にあって交通の便も良かった。新しい家を建ててここに引っ越して来てもう八年になっていた。逢沢夫妻の家は団地の一番高いところの東端にあった。越して来た当時は西隣に老夫婦が住んでいた。その外の敷地には草が背丈ほども繁っていた。となりの老人が病に倒れ、一年間の闘病生活をして東京の息子の所へ引っ越していった。
逢沢の家の並びに家を建てる人はなく、逢沢の家と隣の空き家がぽつんと建っていると言う年月がもう五年も続いていたのだ。
隣に人の住まない家があると言う事が、どんなに不気味であり、寂しいかをこの五年間味わったのだ。夜になっても、窓には灯りがともらないし、物音一つしないのだ。
一週間程前に、隣で人の声がしていた。沢山の人達が来て、草を刈って燃やしたり、釘を打つ音がしたり、ペンキを吹くコンプレッサーの音がした。人が住める空間を造っていたのだった。その日から育子は心待ちにしていたらしい。
逢沢が遅く帰ると、育子が応接間のステレオのボリュームの音を一杯に上げてベートゥベンを聞きながら震えていることがあった。
「夜は一人にしないで」
そう言って幼児のようにしがみついてきたものだ。
逢沢は普通の勤め人ではなかった。家から対面の山の頂上にある女子短大の講師をしていたから、毎日毎日通うこともなかった。その外の時間は家にいて、専門分野である民話の研究をしていればよかった。育子は童話作家として東京の出版社から十数冊の本を発行していた。この地方ではある程度名が広まっていた。がそれほど忙しくはなく、逢沢の研究を手伝っている方が多かった。二人で採話旅行に行ったり、持ち帰った採話のテープを原稿に起こしたり、分類整理をしたり日々を送っていた。
逢沢夫妻の生活は、慎ましいものであった。夫妻は全く金に執着はしていなかった。採話の旅の帰りに洒落たフランス料理の店に立ち寄るのがただ一つの贅沢であった。静かにひそやかに生活していると言える。
「今日から一軒家ではなくなるわ」
育子が書斎に入って来て言った。
「それだけ煩わしくなるぞ」
逢沢は喜々としている育子に気持ちの上では同調しながらも心配の種を口にした。
「昨日よりはよくなるわよ。お隣に誰かが住んでいるのだと思うと安心よ」
「いい人達であるといいね」
逢沢は煙草をふかしながら言った。
「それだけが心配。でも、さっき御主人らしい人を見掛けたけれど、温和しそうな人に見えたわ。あなたより少し歳が上かしらね」
育子は多弁になっている。隣家の窓に灯りが点くと思うと、それだけでも心が浮き立つのだろう。
「どうして?」
「あのね、毛がないの」
「どこの」
「どこのって、頭が禿げているの。額が広いとも言えるわ」と育子はそう言って、手を口にあてて笑いを隠した。
「そんな言い方ってないぞ」
「だって、本当なのだもの。今、若白髪と若禿が多いって本当なのね」
「私のことか」
逢沢は最近になって白髪が多くなっていた。
「ああ・・・」
育子は眼白黒させていたが、
「あなたは七分三分で黒の勝ち」とおどけてみせた。
「ところで急に休みが取れたので、明日から少し足を伸ばして瀬戸内を歩いてみようかと思っているのだが、お前さんも行くかい?」
逢沢は隣の一件が落ち着いたのを機に話を持ち出した。
「長くなりそう」
「うん。一週間くらいかな」
「だったら、私は家にいて童話の書き直しをします。三度も突っ返されているのですからね。なにが何でも今度はうーんと唸らせてやらなくては女じゃないわ」
育子の言葉にもユーモアが混じっている。隣に人が住んだと言う事で勇気が出たらしい。
「それは大変だ。ここで女義を見せなくてはおまえさんらしくない・・・。そのほうがいいよ」
逢沢は少しおどけて言った。心が軽くなっていると逢沢は思う。これも隣の影響かと感謝する気持ちが湧いていた。
「何だかうれしそう。憎らしい」
育子は逢沢の心を見透かしていた。
「お互い様だろう。たまには別々にいないと存在価値を見失うからね。そして、新鮮さが生まれると言う事もあるしね」
「そんな年ではありせん」
「年寄りだってことか?」
「いいえ」
育子はきっぱりと否定した。
そう言えば、二人が結婚してもうすぐ二十年がこようとしていると逢沢は思った。
子供のいない夫婦は軽い言葉を投げ合って時間を潰し合いながら、なにか足らない寂しさをまぎらわそうとしていた。
採話の相手は、経済的にも恵まれた賢いお年寄りでなくてはならないと言う鉄則があった。
どんな田舎にも核家族化が進んでいて、昔のように炉端で孫に昔話を語ることがなくなっていて、昔話、説話、故事、世間話などを忘れている、お年寄りが多かった。お年寄りから孫への口承が今日までそれらを残したと言えるのだ。大家族制度の崩壊は逢沢の仕事をやりにくくさせていた。
民話と言うのは、昔話、伝説、世話話とに分かれる。民間説話が略されて民話となったと言うのが木下順二の民話の会の主張である。柳田国男らの民俗学者は昔話と言った。柳田は民話と言う言葉に拘拘り持っていた。そして、今では採話の分類として、関分類、柳田分類に分けられるのだ。
隣の前を逢沢はテレコと着替えの入ったバックを肩に提げて通った。煮物の匂いが漂っていた。隣の夕餉は肉ジャガかなと思った。老夫婦が盆栽を置いていた場所には物干場が造られていて、大きな真っ赤のトランクスとこれも少し大型の黒いビキニのショーツが干してあった。外になにやらぶら下がっていたが目に入らなかった。逢沢は頬を僅かに緩めたのだった。そして、こう言う風景が欲しかったのだと心の中で呟いた。
玄関のドアを開けると、育子が転がるようにして出て来て、お帰りなさいとも言わず、
「あなたが行った日から大変だったの」と眸を充血させて言った。その日からの昂奮がまだ覚めていないようだった。
「おいおい、一体どうしたと言うのだい」
「それがお隣の御夫婦・・・」
「後にしてくれないか、疲れているのだ」
「あなた・・・」、
「もう知りませんからね。どんな事があっても、私は知りませんからね」
そう言ってすたすたと居間の方へと消えた。
なにが一体育子にあったのか、と逢沢は思ったが、今は一週間の疲れを癒したかった。なにか事件を持ち込まれて頭が昂ぶって睡眠がとれなくては困ると言う考えもあった。逢沢は一週間の疲れと、採話の不首尾で極めて機嫌が悪く、育子の愚痴を聞く余裕がなかった。
「まるで子供なのだから」と逢沢は呟いた。
育子は夫の態度に大変な不満を感じたが、言うまい、誰が言ってやるものか。少し無気になっていた。育子も拒否する夫にどうしても知らして置かなければと言う寛大な愛を失っていた。育子のショートカツトの髪は櫛が入っていなかった。
育子はこの一週間でかなり疲れていた。夫の留守に童話の書き直しをするつもりであったが、結局一枚も書けなかった。いや、書ける状態ではなかったと言うほうがいい。
一週間前に、夫を採話旅行に送り出した後、家事を済ませて、書斎でそろそろ原稿に取りかかろうと心構えをしているところへ、隣の夫婦が玄関のベルを鳴らしたのだった。つまり、引っ越しの挨拶であった。玄関には、赤ら顔の肌艶のよいわりに頭髪の薄くなった中年の大きな男と、猫が怒った時に毛を立てたような髪をした唇の分厚い太った女が立っていた。
「あの、この度、お宅の隣に引っ越して来ました中桐と申します」
男は中桐と名乗って丁寧に頭を下げた。
「どうぞ、末長く宜しくお付き合いくださいませ。これはほんのつまらないものですがご挨拶変わりに、どうかお納め下さいませ」
「これは、これは、どうも、御丁寧なご挨拶を頂きまして痛みいります」
育子も中桐夫人の負けない位深々と頭を下げた。
「あの、うちは賑やかですから、多少のご迷惑をお掛けいたすかも知れませんが、そこのところは、お隣のよしみで広いお心で受け止めてやって頂ければ、有り難いのですが」
その言葉に応えて育子は、
「今までが静か過ぎましたもの。賑やかな方がよろしゅうございますわ」と本音を口にしたのだった。
「そのように言って頂ければ有り難いですなあ。世の中には私達の趣味をなかなか理解してくださる方が少なくて」
中桐夫妻は深々と頭を下げたのだった。
「おおい、テレビの音をもっと小さくしろ」
逢沢は床の中から、居間にいるのであろう育子に叫んだ。寝室と居間は、東西に分かれていた。
「もう、うるさくて眠られやしない」
逢沢は床の中で幾度も寝返りを打って呟いた。まだ身体には疲れが残っていて、あと少しの睡眠を身体が求めていた。
「やかましいぞ。テレビの音を落とせと言っているのが分からないのか」
逢沢は叫んだ。すっかり目の覚めた逢沢は、居間でお菓子を摘みながらテレビを見ている育子を想像していた。無性に腹が立ってきた。腕時計を見ると午後の七時を少し過ぎているところだった。二時間は眠っただろうか。聞こえてくるのは演歌であった。歌謡番組でも観ているのだろうか。いいや、育子は、童謡唱歌とクラシックしか聴かないのだ。
原稿を書きながらBGMとしてモーツアルトを流していたほどだから、演歌など観るわけがないと思った。ボリュームを一杯に上げたミュージックに合わせて、男と女のデュエットが流れてきていた。その音は寝室の天井を振るわせ、壁に飾った逢沢と育子の新婚旅行の写真の入った額を揺らしていた。
「おおい、もう少し眠らせてくれ」
逢沢は哀願するように言った。頭を抱え込み布団の中に潜り込んだ。だが、育子からはなんの返事も返らないのだ。音が家の中に充満し、流れて、育子の気配まで消しているようだ。
「くだらんテレビなんか消してしまえ」
逢沢は布団を蹴って起き上がった。そして、大股で居間へと向かった。
居間にはテレビも点いていなければ、育子の姿もなかった。やかましい音と外れた歌声だけが、籠もりかたまりになっているようであった。
「どうしたのだ、一体全体どうなっているのだ」
逢沢は口の中で言葉を噛み殺しながら、音の波の中を分け入るように進んだ。育子は何処にも居なかった。育子が消えた。この騒々しい騒音だけを残して一体どこへ消えたのだろうか。残っている所と言えば書斎しかなかった。
育子が知らんふりをして、机に向かい原稿用紙にペンを走らせているではないか。一体何時からこんなに図太い神経と、無頓着さを身に付けたのだろうか。この一週間でなにもかも変わったのか。
「おい、呼んでいるのが分からないのか」
何度声を掛けても、通じなかった。だんだんと声を大きくしても育子の反応はまるでなかった。その声は騒音に吸いこまれていた。
突発性難聴になったのかと思いながら、逢沢は育子の後ろから前に回った。育子は不思議そうに目を上げちらりと見たが、すぐに表情を崩した。
「おい、一体どうなっているのだ。説明をしろ」
育子は両手で耳を覆い、それから、手を顔の前で左右に振った。
「この音がおまえには聞こえないのか」
育子はにこにこと笑いながら耳からなにかを抜いた。
「なんだ、それは」
逢沢はあっけにとられて問った。
「耳栓よ。私がこの一週間どれほど悩んだか、苦しんだか。そのことを言おうとて・・・」
育子は夫の顔をまじまじと見詰めながら言った。
「それはどう言うことなのだ。この頭の脳みそをゆるがす音はなんだ」
「お隣よ」
「となり!」
「そうよ」と育子は余裕をもって言った。
「それでは・・・」
「そう、カラオケ」
「なんて事だ」
逢沢は耳をふさいでうずくまった。
「だから、言おうとしたら、怒って邪険にしたのですからね。聞く耳を持たぬと言う風に」
育子は立って机の引き出しから、新しい耳栓を取り出して逢沢の前に出した。
「これを私に嵌めろと言うのか」
逢沢はそれを手に取って言った。
「これを思い付くまでどうしたらいいか、一生懸命に何時間も考えたのだから、思い付いたときには飛び上がったわ。ホームランよ。これは、だけど、シーズンが過ぎているでしょう、だから捜すのにまた一苦労をしたってわけ」と育子は得意げに一気に喋った。
「バカバカしい、なんてことだ。大の大人がこのようなものを出来るわけがない」
「これしかないのよ、自衛策には」
「これでは家で仕事など出来ないぞ」
「そう、だからこれがいるのよ」
「書くときはいいが、テープを聞くときには、原稿に起こすときには一体どうするのだ」
「そこまでは考えていません。私の考えはこの耳栓のところで精一杯。後はあなたが考えてくださらないと・・・」
育子はお鉢を逢沢は預けるような言い方をした。
「毎日毎日かい」
「ええ、毎晩毎晩、でも、お隣さんは几帳面な方で、きちっと十一時になると止めるわ。それは、正確なのだから」
「なんてこった。それで文句は言ったのだろうね」
「言ったわ。言ってこれ位になったのよ。前はもっとひどかったのだから。まるで家の中にスピーカーが置かれたようだったわ。硝子戸はビリビリ震えるし、障子は鳴るし、天井からは埃が舞い降りたわ。なんでも一個百万円もするスピーカーなのですって」
「そんなことで感心している場合か。えらいことになったものだ」
「あのご夫婦、お酒を飲んでカラオケで歌うのが好きで、お隣に来るまでに十数回も引っ越しをしたのですって・・・。そう聞けば可哀想になってなにも言えなくなったの・・・」
「おいおい、こんな場合に相手に塩を送るなんてどうにかしているぞ。それより、私達の生活はどうなるのだい。今日だけではないのだろう」
逢沢はうんざりしたと言わんばかりに言った。
「そうです、毎夜です。今日までは。・・・少しは私に同情してくださいまして。あなたが採話旅行にお出かけになっている毎夜は、お陰様で怖くはなかったですけれど、書き直しの原稿は一枚も上げることは出来ませんでしたわ」
育子は開き直ったのか少々おどけて言った。
なんて事だ。これを災難と言わずしてなにを災難と言うのか。これを公害と言わずしてなにを公害と言うのか、逢沢は心の中で叫んだ。
「おい、隣はどう言う職業の人だい」
「だんなさまは、市の教育委員会に勤めていらっしゃって・・・」
「それでは、公務員」
「そして、奥様は、大きな病院の会計課長さんなのですって」
「そんな階級の人の中にこのような非常識な人がいるなんて・・・」
「これも、高度成長経済の落とし子なのかも知れないわ」
「いやに、同情的ではないか」
「それは、一週間もこの音と付き合っていると、この音を出している人の心が少しは・・・」
「くだらない、くだらない。これから先、どのように過ごすかだが・・・」
逢沢は溜め息をついて、腕を組み考える人になった。育子はすっかり妥協しこの環境中で順応しているらしかった。
隣の音楽、いや、ただの騒音は夜の十一時になるとぴたっと止んだ。
音がやむと無人のような静けさがじわじわと取り囲んだ。やかましかっただけに、その静けさは二倍にも三倍にも感じられ、隣が越してくる前より不気味な夜になったのだった。
次の日、逢沢は大学の帰りに建設会社に寄って書斎の防音工事を依頼した。だが、すぐには取り掛かれないと言う事だった。建築ブームなのだそうだ。だけど、逢沢の家の並びに家を建てて引っ越しをしてくる人はいなかった。やはりこの高台に人気がなかったのだ。
隣の騒音は、壁を超え、硝子窓を通り越して聞こえてきていた。
逢沢は落ち着く間などなかった。何時もいらいらしていた。心が休まらないのだった。まるで他人の家に行き、居場所がないようなそんな感じがしていた。だが、育子は耳に栓を嵌めて平然としていた。その姿がまた癪に触った。
騒音のお陰で、逢沢は色々なことを考えるのだ。民話の分類も全く手についていない。採取地、名前、住所、年齢(生年月日)、口承を受けた相手、口承を受けた年、生活状態、頭の良否、紹介者、採取地の模様、気候の状態、同行者、柳田分類か関分類か、と書き込む作業すら出来てはいなかった。焦ったがどうしようもなかった。
「あら、改築ですか」
「ええ、まあ・・・。この家も建てて随分時が過ぎましたから、少しずつ隙間が広がって、キッチンが今風でなく、トイレだって洋式ではありませんし・・・」
「私共がご迷惑をお掛けしているのではありませんか」
「ええ、まあ・・・。そんなことはありませんよ。どうぞ余分な気遣いはなさらずに・・・」
庭の垣根越しに、育子と中桐夫人が言葉のやりとりをしているらしい。育子の声と酒で潰れた中桐婦人の声がきこえてきていた。
逢沢は書斎で本のページをめくっていた。二人の会話は自然に耳に届いた。その二人の会話の内容に腹が立ってきた。
この見栄っ張り目!カラオケの音がやかましくて防音工事をしているのだと、皮肉の一つも言えないのか。と逢沢は心の中で叫んだ。
「本当にすいません。病気なのです・・・」
「そうだ病気だ!」
と逢沢は相槌を打ちたい気持ちだった。
「うちの人は仮面鬱病なのです」
「かめんうつびょう」
育子が鵡返しのように言った。
「ええ、三十七歳の時でしたか、ひどい肩凝りになってそれから不眠症になり頭痛がしだして何時も鉛の兜を被ったようで役所もだんだんと休み勝ちになって、それはそうでしょう。一晩中瞼の裏に蝶が飛んでいては昼に仕事なんか出来っこないでしょう。内科に行けば風邪だと言われ、整形外科に行けば頚の骨がずれているからと牽引をされ、眼科に行けば眼圧が高いと言われ、耳鼻咽喉科に行けば内耳が詰まっていると言われ、脳神経外科へ行けば筋収縮性頭痛だと言われ、胃腸外科に行けば疑胃潰瘍だと言われ、あらゆる治療を致しましたが治りませんでした。そんな夫と暮らしていますと私までその症状になりまして・・・。もう私達は灯りのない、希望のない人生を歩まなくてはならないと言うときに、わたくしの病院、余り信用が置けないので夫を連れていかなかったのですが、院長の息子さんでインターンを終えて診察に加わっておられて、私の顔を診て、症状を見事当てられたのです。二人は若先生の最初の患者になりましたの。抗鬱剤とトランキライザーを服用するうちに嘘のように良くなりましたの。その若先生が言われるのは、なんでも現代病でストレスが、ストレスにも善玉と悪玉があるのだそうですが、そのストレスが溜ると、交感神経と副交感神経とのバランスが崩れて色々の臓器に障害と言う形で警告をするのですって・・・」
「そんなことが・・・それはまた大変でしたわね」
育子が同情的な言葉を紡いだ。
「若先生が言うのには、その原因になっているストレスを溜めないために、運動とか、没頭出来る趣味を持つ事だと言うのです。それからは運動や、映画や、旅行や、スナック巡りや、そのスナック巡りで漸くカラオケに出会ったのです。二人はもともと演歌が好きでしたから・・・。家にカラオケを置いて、あのやかましい音の中にいますと、心が一辺に晴れ、身体が自然のうちに揉みほぐされますの。カラオケをしだして不安感が全く無くなりました。どうか、その辺りを御理解いただきまして宜しくお願いいたします」
中桐夫人は頭を深々と下げているのだろう、声が地上に落ち吸い込まれているようだった。
書斎の工事が終わって、幾らか音は小さくなったが、屋根を伝い、壁をくぐり、床を抜けて入り込んでいた。 中桐夫妻の病気は容認できても、音だけは災いの外の何物でもなかった。それならこちらで対抗手段を講じなくてはならないと思った。
逢沢はなるべく昼の間に仕事をこなすと言う事にした。そして、夜は休養を取ることにしたのだ。だが、どうしてもと言う日には、防音装置を施した書斎に入ることにした。少しずつではあるが隣の音にもなれ、自衛策が功をそうしたのか、逢沢は落ち着きを取り戻していった。
「おい、近ごろ、少し音が高くなったのではないか」
「ええ・・・」
「私の耳の所為かな」
「そう言えば・・・」
育子は思い当たることがあるらしく、一瞬驚いたと言う仕草をした。
「どうしたんだ」
「あのね、お隣さん、うちが防音工事をしたことを知ったみたいなのよ」
「どうせ、おまえが言ったのだろう」
逢沢はうんざりするように言った。
「それがね・・・。あのね、つい先だって、庭で奥さんにばったり出会ったのよ。あちらさんがいつもも喧しくてすいませんと、それは丁寧に言い頭を下げるものですから、なんだか、こちらが悪い事でもしているような錯覚を起こして、ついつい・・・」
「おまえさんはなんて奴だ・・・」
逢沢は空いた口がふさがらなかった。
「分かるのよ、私」
育子は辛そうに言った。花が枯れたような雰囲気だった。その育子を見ると何も言えなくなった。逢沢には育子が何を言いたいのか凡その見当がついていた。
「あの夫婦に子供でもいれば、出来ていれば、あんな病気にもならなかっただろうし・・・」
「病気とは関係ないだろう」
「いいえ、子供が一番のストレス解消になるのですって。そう先生に言われたと、奥さん肩を落としてしみじみ、子供でも居てくれたらねと・・・」
「それでは、うちはどうなのだ」
「それは、私達は話を集めたり、童話を書いたり・・・。それが、子供のように手が掛かるでしょう・・・。でも、あの夫婦には何もする事がないのですもの」
育子は理路整然とした受け答えをした。
逢沢は育子の言葉には一理も二理もあると思うが、感情移入をし過ぎていて、工事のことについての軽薄な発言は許せないと思うのだった。それは、こちらの生活権を放棄したに等しいではないか。
逢沢と育子は、書斎で耳栓をして机に向かわなくてはならなくなった。育子は自分が蒔いた種だけに何も言わずに黙々と原稿用紙の桝目を埋めていた。
「おい、義母さんの所へ引っ越そうか」
逢沢は弱音を吐いた。それ程逢沢には応えるものであった。低音が頭の芯にズキンズキンと響いてきた。
「もう一度、お隣と掛け合いましょうよ。今度はあなたが言ってね」
「それが嫌だから言っているのだ」
逢沢の声は少し荒っぽかった。
「せっかく住み慣れた家なのに」
育子は未練げに言った。
「お隣さんも、ストレス解消だとは言え、毎夜毎夜よく続くものだね」
逢沢は遂に皮肉が口をついて出た。
「ねえ、辛抱が出来るだけ辛抱しましょうよ。いま出て行くと、お隣さんにあてつけた形になるわよ」
「ふふん」
逢沢はそう言う考えもあるのかと思った。
七時から十一時までの仕事を昼に回し、十一時まで耳栓をして睡眠をとる。十一時からテープの採話を原稿におこすと言う生活が二箇月ほど続いた。
育子が身体の変調を訴え始めたのはこの頃であった。
「おい、医者に診てもらえよ」
「へいき、平気」
育子は逢沢の心配をどこ吹く風と聞き流した。
逢沢が大学から帰りドアを開けると、育子がきちんと正座をして出迎えた。
「あのね、あなた大変よ。あなたはパパになるのよ」
育子は顔を皺くちゃにして言ったのだ
「なに、今なんと言ったのだい・・・」
「あなたがパパになると言ったのよ」
「パパになる・・・」
どうも、隣の騒音は意外な影響を与えたようだ。
大変だ。高齢出産と言う言葉が頭の中でエコーのように響いていた。
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