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先月、娘の病院受診をすませました。息子の病気を、早くみつけてあげられなっかたのがあり、娘の健康が心配でなりません。有難いことで、当然なのですが、全く異常なしでした。息子の入院中も、娘は、検査受け、異常なしでしたが、今回も、気になり、もう一回、息子の入院していた病院で受けさせました。 受診がおわるまで、少し不安で、あまり、日々のことが、手につかない状態でした。同じ病院に行くこと考えてても、気持ちが、乱されてました。 また、息子を亡くして知り合った、同じく子供さん亡くされたお母さんが、癌で入院されました。このお母さんは、子を亡くしたお母さんで、唯一お会いできてました。いろんなことを教えてくれ、とても、私を励ましてくれてました。そのお母さんは、子供さんのこと思えば、大丈夫だと、言われてました。その言葉で、かえって、試練続きのお母さんを思い、何ともいえない気持ちでもありました。 不公平。 憤り。理不尽。悔しさ。。。。 また、私自身が、動いてみたいという気持ちも出てきててたところで、少し新しいことを始られてる時でもありました。これらのいろんな思いが混ざり、やるせな日々を過ごしまた。 娘が、健康であることが、あたり前だけど、こんなに、ありがたいと、息子のおかげで、感じれてます。 今、娘の健康が確認できても、しばらくは、あまり手につかない状態です。 やっぱり、息子が、こいしいです。側に、いてほしいです。西洋薬を、中止のなか、今、また、息子の現実を、つきつけられてるようです。ここで、今、本当の自分で、しっかり、受け止めないといけないのかもしれません。<腹を、すえる>
2009.07.03
さかのぼりますが、この春の日記です。初めての娘の春休み。これまで、共働きで、経験してませんでした。昨年から、娘との春休みと夏休みを、過ごしました。 春休み。私も春休み気分で過ごしました。娘と二人で、2回ほどランチに行きました。お弁当持ってのお花見は、そめいよしのから八重桜と、3,4回しました。今年が、これまでになく、たくさん、見れました。以前、家族全員で、見たこともある桜には、やっぱり、寂しさを感じました。 初めての有名な桜の大木も、見に行けました。娘とのこれからの、新しい景色の開拓も、楽しもうって思えてます。 そして、娘の誕生日には、昨年と同様、一泊旅行に、実家家族と一緒に行けました。昨年は、心が、重いままの旅行でした。今年は、お花畑やアトラクションや遊園地のあるところで過ごしました。 天国って、こんなところかなって、思ってみたり。今年は、夫や息子を、穏やかに側に感じながら、昨年よりもはるかに、楽しめました。 夫がいろいろ植えてくれたなかの芝桜が、今年も、咲きました。私の植えたパンジーと、重なって咲いてくれました。 今年も、私の大好きな花のひとつ、ひまわりを、植えまてす。今年は、去年より高く、大きなものにと、また、いろんな品種のひまわりにも挑戦してます。そして、あきの終わりまで、咲かせるようにと思ってます。 息子が、千の風になっての歌を、よく、歌っていたけど、土、風、植物などの自然に触れてると、息子の一部に触れてるのか、そう思うとよけい触れようと意識し、気持ちが、穏やかになってきます。今、また、西洋薬を、減らせ中止できそうになってきました。思いだせば、息子が、目の前からいなくなって、初めて、無心になれ、気持ちが穏やかになったのが、庭の土に触れたときでした。
2009.05.09
連休あけ、幼稚園で、母の日参観がありました。連休は、遠出もせず、ゆっくり、過ごしました。やっぱり、子どもの日もあり、息子がいないのが、寂しく感じてました。連休は、絵本も読みきかせもしなかったし、自分と息子の事を考えてしまいがちでした。 昨夜、寝る前に、娘が、
2009.05.07
一昨年度の秋から冬にかけて、家族を、亡くした。初めてのの息子のいない誕生日の11月くらいからか、一人になっても、泣くのが少なくなった。職場の行き帰り、息子のはいるはずだった小学校を通るたび、いろいろな場面で、涙が出てきたものだった。しかし、ちょとずつ大丈夫って思ってても、つい、気をぬいたり気分転換したら、悲しみの波が襲ってきたりした。一度、息子の倒れる姿を思い出し、フラシュバックし、私に同じことがおこりそうになってパニック状態になったことがあった。娘を残して、私が、倒れられないって思った。私は、しっかり、生きたいって、思ってきていたのに気づいた。 実は、息子を亡くした当初は、つい飛び降りてしまいたくなったりした。娘が気になるなからと、娘といっそう、一緒にって、馬鹿なことも考えたこともあった。私が、この世からいなくなると、息子の存在の記憶も、いずれ、消えてしまう。私しか、一番に息子を、心のなかで、生かせられない。私は、息子の生きていたこと、息子の力を、残したい。 息子は、クリスマス前に倒れてしまい、プレゼントが、渡せなかった。悔やまれてた。この冬、娘に、もし、何かおこったってしまったらと、悪いほうに、考えしてしまってた。だから、クリスマスのプレゼントは、前もって、娘に渡し、当日にも、渡した。 無事に、この冬を、こせて、本当に、有難かった。 年があけて、いよいよ息子の1年忌。思ったより大丈夫な時もあったりしたが、でも、2,3週間前から、週末、何もしたくなく、寝込んでしまった。やっぱり、まだ、西洋薬が、必要なんだと、再開した。2,3日で、私の気持ちは、楽になった。身体が、動くようになった。こんなに楽になって。息子に悪い気がした。でも、息子も、私母が、元気な方を喜んでくれるるだろう。私と息子が逆の立場だったら、息子にそうして、元気でいてほしいって思う。 息子が亡くなってから、葬儀、葬儀の前でやりたいことがないか、家族に、きかれた。息子を抱いて、動物園前に行ったり、遊びに行ってた教会でお祈りしてもらったり、実家に行ったりなどした。私が、一番、やりたいこと。それは、息子と私の結婚式と思うようになってた。おかしいと思われようが、家族に伝えると、手配してくれた。先祖は、仏式なので、葬儀の日に牧師先生に、来ていただき、結婚式をあげもらった。指輪もブレスレットで、自分で手作りし、二つ作った。一つ、息子の指にはめ、そして、ウェディングドレスで、くるんであげた。やってもらって、本当に、幸せに思ってる。一番に私母の心に、いてくれるようになった息子。私が、息子の力で、息子を、生かせたい。生きてるほうが辛いこともある。それでも、生きて、普通に、私母から巣立って、大人になって家族を持つ幸せを、息子に、味わせたかった。私、母のように。 この1年、息子が、やりたかったこと、見たかったこと、感じたかったこと、食べたったもの、、。それらは、私も、息子も、同じように体験すると思い、また、それを、息子と夫も喜び、私にも、娘にもいい事だと思い、やってこようとした。当初は、心が重く、かえって、悲しくもなったりしてたが、徐々に、楽しめるようになってきた。 先日は、娘の誕生日で、去年と同じく、1泊旅行に行った。やっぱり、家族そろってないのは、寂しいし、心の底から楽しめない。でも、苦しさを伴った去年よりは、ちがい、穏やかであり、笑いも多く、楽しめた。側に、夫と、息子は、いつも、一緒に楽しんでるだと、思ってる。そして、娘と健康で、過ごせてるのが、とても有難たかった。普通のことが、幸せで、有難いと、感じれるようになった。 今、娘と実家家族達と、何事もなく、健康で、過ごせて、普段のことで、笑えるのが、とても、幸せに感じられる。家族全員いたころも、そう、感じてたのだが、寂しさを伴ってよりいっそうに、感じられる。 優しい言葉かけてもらったり、保育園ママにばったり会ったりなどすると、職場でも街でも、涙が出てしまった。まだまだ、社会にもどれてない自分を感じる。まだ、私自身のいやすい所、触れ合いたい人の中でしか、過ごしてない。 でも、少しずつ、社会に出てる。今年3月から、あらたな社会に参加しました。どれだけやれるかわからいけど、息子の力で、動けるような気がする。私自身が、息子だと思うと、実際に、勇気が出て、行動できている。夫も、守ってくれてる気がする。娘が、明るく成長してくれて、元気にしてもらい、楽しみが増え、そして、助けられてる。家族、人に、助けられてる。 この冬を、過ごし終え、娘との春、じっくり、楽しみはじめてます。
2009.04.08
講演会に行く機会が、多くなりました。偶然か、案内をみつけて、導かれるように行っます。今回も、偶然、当日に話が、まいこんできて、行けました。 柳田邦男先生の講演会。絵本の読み聞かせのお話でした。家族二人を脳死(子供は、大人で言えば、脳死。子供は、脳死とは、言わないそうですが)で亡くしてたため、私は、翌日予定とういう医療について、ききたっかった思いながら、向かいました。 お話は、その日のお話で、もう充分すぎるくらいの内容でした。 柳田先生は、死後は、自然、宇宙のなかに、とけこんでいくというのに、一番、納得されるそうです。 今、携帯、パソコンなどが、氾濫し、子供達、その親の危機を、感じておられ、それを活動のひとつと、されてました。私が、うまく説明伝えることができないので、詳しくは、<みんな絵本から>を、読んでいただけたらと思います。とても、いい本です。親は、一度は、見てほしいです。 たくさんの絵本を紹介してもらいましが、私の印象に残ったのは、<だいじょうぶだよ、ぞうさん>です。死にいくものの、残されるもののお話でした。がん患者さんは、この本で、救われた方とお手紙されたそうです。私は、この絵本を、自分の家族に置き換えて、読んでました。そしたら、読み聞かされた4歳なったばかりの、甥っ子が、このぞうさん(死にいくもの)って、○○君(私の息子の名)だよ。って、言ったそうです。びっくりしました。 3時間半の講演の後、絵本に、一人一人、その人に合うような言葉を書いて、サインしてくださいました。サインにも、1時間以上かかられたと思います。柳田先生の息子さんが、脳死であられたこと。夫が、若いころ、そのテーマの本を持ってたこと。私の家族が、脳死であったこと。妹、母が、柳田先生の本を読んでて、私を、いろいろ励ましてくれたこと。いろんな思いが、重なっていたので、思い切って、私自身のことを、お話してみました。そしたら、絵本に、夫と息子の名前を書いてくれ、柳田先生の息子さんのお墓に書かれてる言葉も、書いてくださいました。とても、感動しました。本当に、お優しい方でした。 柳田先生は、子供の頃から、本当に、たくさんの苦難を経験されてる方です。医療問題も含めて、社会のためにいろいろ貢献されてる、立派な、お姿を、私の目の前にできて、本当に、感動しました。頭もよく、人格のある方って、本当に、素晴らしいと、感じました。 世の中には、素晴らしい方が、おられます。 私は、臓器提供するつもりで、そのカードを、持ってました。考えが、あさはかだったです。脳死は、人の死とは、思えません。私は、最後まで、回復を、願ってました。呼びかけ、そして、意思を感じようとしてました。亡くなって今になれば、どこかで、亡き家族の臓器が、役に立てて、生きてるのも、いいことかなって、思うこともあります。しかし、これからも、私は、家族の臓器提供は、できないでしょう。 息子にも、絵本を、なるべく、読むようにしてたけど、もっと、読んであげてたらよかったです。 今までは、とにかく、絵本を読むのをこなさなきゃっていうことで、やってました。講演で、絵本の子への読み聞かせの意味を、聴き、これからは、娘と一体になって、楽しむように、読んであげようって、思いました。そして、娘の前で、携帯、メール、パソコンは、最低限にするというのも、実践しようと思います。 少し、付け加えます。私は、臓器移植を、反対してはいません。臓器移植で、助かった方は、本当に、よかったと、思ってます。もし、私の家族に移植が必要だったら、受けさせます。私の考えは、矛盾してるかもしれません。まだ、私自身の考えが、まとまらず、理解しておりません。
2009.03.10
魂の存在が、確信できれば、どんなにか、楽になれるだろう。 息子と意思の疎通がとれたら、どんなにか、楽になれるだろう。そんなこと、考えてます。いくつか本を読んでます。 尊敬するA先生の本を、読んでたら、人は、亡くなったら、皆同じ宇宙の始まりのところに戻るという。今まで、非科学的と言われてることなど、考えたことなかった私。魂の存在を、問いかけてる。 B先生の本には、死後の世界があり、生まれかわりのことを書いてあった。信じないものは、亡くなってから、死後の世界があるとしたら、信じてなかった死後の世界があることを気づかされ、信じるものは、死ぬ時までよりよく生き、再会を確信し希望を持って生き、亡くなってから、死後の世界なくともその誤り自体を思うこともない。どっちが、いいのか。。。 というようなことが書いてあった。その後、A先生の最近の本を、読んだら、
2009.01.20
想定内。これは、夫が、困難にあったとき、口にしてた言葉だったそうです。 過去のことで思いめぐらすことが多かったのですが、今回、現実に、ある問題にぶつかってしまいました。具体的には言いませんが、今までのことに比べれば、たいしたことありません。今までのことにくらべれば、時間で結果が出るし、かえってよい方向に考えられることでもあります。 想定内です。一日、落ち込んでしまったけど、解決に向かって、行くしかない。いい結果が出るように、向かっていきます。 きっと、天国から、応援していてくれる。
2009.01.09
息子が、亡くなってから、新しい年を迎えました。去年の今頃は、入院中の息子に、付き添ってました。亡くなって、どうしていけばいいのか、どうなってしまうのか、わかりませんでした。 いろんな思いで、過ごしてきてます。 少し前向きになったり、何かで気をまぎらわせると、その後必ず、その分の悲しみ苦しみの波が、襲ってきてました。徐々に、その波は、小さくは、なってます。 月日が経ち、心が、穏やかで軽くなれば、かえって、もっと悲しみたい悲しまねばと思ったものでした。しかし、悲しみの波が襲ったら、やっぱり、苦しい。 心の底から笑うことは、ないって思ってたけど、最近、いつのまにか日々のことで、息子を思いながら、心の底で笑えてるって感じることがある。心の底から笑えてるのかもしれない。心の底で悲しむばかりでなく。 頭で考えてることは、自分では、しっかりし前向きと、思ってても、身体がおかしく調子悪くなることもある。 いろんな思いしてるけど、人の優しさを受けたときの思いは、これまであじわえなかった幸せなものです。 今年も、少しずつ、うーたんの母 娘の母として、過ごしていきます。
2009.01.09
11月のある日から、夜や明け方に胸が、はりさきそうな、脈うつようなのことが、毎日では、なくなり、時々になってきた。 12月になって、大きな悲しい波は、あるものの、一日、穏やかに過ごせたって思える日が、出てきた。息子が、倒れて、初めての同じ月なのに。 6年あまりしか、過ごせなかった息子でした。でも、私に幸せを、もたらしてくれた。今後も、息子に出逢ったから、私母が、幸せになり、成長していけるようになりたいと思う。 今は、気持ちの充電期間だが、、やりたいことに、少しずつ、踏み出せてると思ってる。
2008.12.12
12月。12月末に、息子は、倒れました。その日を、また、迎えようとしてます。そして、その後の1ヶ月あまりの入院期間。 後悔、後悔、後悔の念は、考えないようにしてても、あります。 私は、立ち直ろうと、今に至ってます。息子が、いなくなったことは、耐えられず、精神科に通い、薬を飲み始めました。強い薬は、拒否して、飲んでる薬でさえ、やめたくて、自己中止して、パニックなったこともありました。担当の先生は、何も否定されませんでした。往診していただいたり、親身になってくれて、先生ご自身のお話を、してくれたこともありました。先生のやりかたで、11月から、薬を、やめることができてます。でも、やめてるからでしょうか。この時期だからでしょうか。気持ちも辛いし、身体もおかしいです。これまで、ヒーリングを受けたりしました。今は、瞑想したり、フラワーエッセンス、ハーブ、心療内科の漢方を、使ってます。これで、このまま乗り切りたいのですが。 私は、息子を亡くさなければ、出逢えない人と、出逢うことができました。人って、いいって思うことが強くなりました。人の優しさが、身にしみました。自分を、見つめる機会でもありました。息子のおかげで、得るものもあったんです。 どうか、この冬、うーたんの母として、乗り越えられますように。
2008.12.09
息子の誕生日を、終えて、やっぱり、数日は、寂しさにかられてしまいました。息子が、亡くなって、9ヶ月あまり。誕生日も、迎えて、私は、何か、行動していたかった。誕生日のその日が、行動のきっかけと、しました。この地は、子を亡くした親の集まりなどなく、ある団体に、参加されてるとのこと。その団体に、参加の連絡を、しました。フラッシュバックにおちいり、やめるかしれません。まだ、寂しさのため、身体が、動かないことがあります。でも、やれるところまで、やってみます。 娘は、いつも、笑って、過ごしてます。娘の喜ぶ、笑う姿を、見ることが、幸せだなって、感じてます。 きっと、天国の二人も、私に笑ってほしいと、思ってるんだなって、思います。まだまだ、泣いたり、笑ったりだけど、しょうがないね。
2008.11.18
うーたん、7歳のお誕生日、おめでとう。 息子は、ほぼ1年中、お誕生日を、楽しみにしてて、プレゼント選びに、思いをふくらませてました。 うーたんの喜ぶ顔が、このうえなく、幸せでした。 私母にも、うーたんからのプレゼントが、時々ありました。まつぼっくり、どんぐり、貝殻など、プレゼントしてくれました。 やっぱり、悲しくて寂しいけど、ふと、泣いてしまったけど。今日は、私が、母になれて7歳なんですね。母になれて今までにないたくさんの幸せを、くれた子供達。ありがとう。誕生の今日は、私は、また、あらたに、前にむかっていこうって気持ちにも、なれてるんです。悲しいけど、気持ちは、沈んでないんです。 去年は、祖父母、叔父叔母、従兄弟達皆で、お祝いしました。今日は、息子は、目には見えないけど、きっと、側に、いることでしょう。週末に皆で、お祝いするつもりでしたが、急に、皆来てくれることになり、今日、お祝いできることになりました。 毎年、息子の誕生日は、年を数え、祝っていきます。私、母としての誕生日でもあります。
2008.11.12
最近、娘と二人で、過ごすことが、多くなりました。二人になると、私は、二人の時間を、大切にしてます。 夕方に、公園に行く事が、多くなりました。近所を歩くのも、発見があり、楽しいです。暗くなるまでの風景もいいです。寝転んだりもして。ゆったりとした時間の流れがあるんですね。 また、いろんな生活の事を、娘が、学べるようにと、一緒に、やるようにしてます。電池交換、修理事、そうじ、料理などなどです。夫が、生活の知恵(生きのびる知恵もなんです)を、もってて、私は、まかせっきりでした。夫のやってたことを、思いだして、手探りで、やるのもあります。娘が、先生気取りで、私に教えるのこともあります。 娘との二人の時間は、天国の二人を、重ねて、穏やかな時間です。
2008.10.28
娘の幼稚園での初めての運動会が、ありました。 昨年の保育園の運動会まで、普通に迎えられてました。楽しかったお弁当作りも、今年の運動会は、準備が、おっくうでした。でも、側にいてくれる一番大事な娘の運動会。重く感じる身体を、動かし、精一杯のお弁当作りなどの準備を、しました。お弁当には、必ず、息子の大好きなミートボールを作ってました。レトルトのほうがおいしいって言われないように、ミートボールだけは、手をかけていました。今年も、作りました。 運動会は、息子の入学するはずだった小学校であります。そのことも不安でした。初めて行く小学校。息子が、通っていたはずの小学校。今回の運動会も娘の兄として、小学生として、一緒に側にいるはずだったのに。 初めて、見た小学校に、涙があふれてきました。運動会が開始され、気をとりなおして、娘の活動ぶりを見たり、保護者としての活動をしました。娘は、しっかりやってて、頑張ってました。成長している姿を見せてくれて、ありがとうね。 今回の運動会には、寂しい思いをさせないようにと、妹達とその家族、実家が、全員きてくれました。妹、母もたくさんのお弁当作ってくれて。妹婿も、ビデオに、テント張りの力仕事をしてくれました。私は、周りに支えられるのを、改めて感じ、しっかりしなければって、思いました。妹の一人は、お弁当作ってきたのに、競技見て、午前中には、自分の仕事で、帰っていきまいした。運動会を、終えて、妹婿は、疲れてた様子でした。甥っ子達は、退屈だったでしょうね。ありがとうね。 私は、いろんな年代の子を見て、息子うーたんの5回の運動会のいろんな場面が、よみがえってきました。運動は、得意でないけど、最初の年は、わけわからず立ってるだけでの参加してて。年々、だんだんお友達と楽しく、無邪気に、そして、一生懸命、競技に参加するようになって。親子でやった競技も、本当に、幸せだった。運動会は、子のためでなく、親のためにあるって思うほど、私は、幸せを感じてました。涙したこともあるくらいでした。 今回の運動会最中は、涙することは、しなかったのですが、帰ってきてから、涙が、出て出て。翌日は、初めて、起きれず、寝込んでしまいました。寝てても、うーたんが、倒れて天使になるまでのことが、蘇って、その時の胸のはりさけそうな気持ちで、うなされてる感じでした。結局、翌々日の朝まで、母と妹がいてくれたので、私は、寝てることが多かったです。 そんな中、私が相手にしてあげてなかった娘が、
2008.10.20
今月は、夫の命日1年忌を、迎えました。身内だけの法要と、後日、職場からの訪問が、ありました。 私は、何かのきっかけ、特に法要で、気持ちが、落ち着かなくなります。夫の法要で、後追ってやらなければならない息子の法要を思い、そうなってしまうのもあります。 1年たってるのにもかかわらず、会社の方が、多く、訪ねてくれました。有難いです。こんんなに、夫のこと、思ってくれてて。そんな仕事を、してたんだと、誇らしくもあり、事故に遭ったことが、悔しくもあります。 実は、この気持ちが、不安定の期間、私は、思わず愚痴ったり、心の狭い態度をとってしまいました。 子供達に、大人になったら、こんな時、こんな風に考え行動してほしいって、思って、私は、自分の行動を、成長させようと、思ってました。子供のおかげで、親も成長するって言葉があるように。 今は、私が、心の狭い態度をとってしまったりすると、天国の二人が、悲しむだろうなって、思ってます。無理しないけど、悲しむことは、しないようにするね。 うーたん。私は、うーたんの母って、いい聞かせると、より、しっかりなれるよ。
2008.10.15
もうすぐ、8ヶ月、うーたんが、いなくなって。魂は、側にいるんだよね。かえって、お母さんと、一緒に、ずっと、いるんだよね。 死後の世界は、どうなってるか、私には、まだ、理解できない。でも、私は、うーたんと同じ道を、通ることは、確か。小さいながら、通った道。私は、確実に、その道を通る日に、向かって、一日一日を、おくってるんだね。その道を、通って、必ず、うーたんと同じところにいくのは、確か。会いたいな。その日まで、お母さん、頑張るね。会えるよね。 最近は、笑いも多くなり、行動範囲も広くなったけど、泣くのも多くなったよ。
2008.10.01
友人の友人でしたが、最近、とても、相談にのり、力になって下さった方から、いただきました。 ダライラマ氏から、いただいいたものです。これは、友人にとって、とても貴重なものだったたと思います。 氏と、友人のこの気と思いを、写真を通して、皆様に届けられたらと、思ってます。 実は、私、ダライマラ氏のこと、あまり、知りませんでした。勉強したいと、思ってます。
2008.09.15
この夏、ミュージカルへ、行きました。その前に息子を亡くして、私は、ごく親しい人にしか、会うことができませんでした。しかし、たまにしか、話してなかったのに、とても、親交が、深まった友達がいます。同級生でもあり、子供達の保育園では、ありませんが、同じ系列の先生でもありました。重要な役目もまかされてる仕事に、プライベートと、充実させてる、惹かれる彼女です。というわけで、保育園に入ってから、高校卒業後以来、親子で、たまに、会うことがありました。 息子が亡くなってから、外に出るのに辛いものがありました。彼女の保育園に、たまに、遊びに行って、娘を遊ばせたり、私の外へ出るきっかけともしました。ミュージカルの話とします。 子供達だけで見るミュージカルを、保護者同伴と勘違いして、私は、息子と一緒に、見にいったことがありました。ミュージカルは、見たことないし、興味もありませんでした。しかし、大人も楽しめ、何より、生で見る出演者の子供達への一生懸命さを、感じ、感動したものでした。そのミュージカルをお手伝いしてたのが、その友達でした。彼女によると、出演者、スタッフは、仕事の合間、練習し、経費も安くするため、ホテル代とかも我慢しているとことでした。 息子が、亡くなり、その後、その友達と、よく、連絡とってました。そしたら、同じスタッフでのミュージカルがあり、今度は、お手伝いばかりでなく、彼女が、応募して天使役で、出るとのことです。あれから、2年後のミュージカルです。偶然にも、息子を、私の天使と思ってたところだし、彼女を応援したいし、見にいこうと、思ってました。 2回公演でした。私は、天使を、見たく、二回とも、行くことにしました。天国の天使が、生きる気力を失くした孫娘を助けるため、地上におりてくるお話でした。彼女は、たくさんの天使の一人でした。彼女は、輝いてました。一回目公演は、出てくる言葉達は、まるで、私のためにあるようで、涙が、いっぱいでした。二回目は、前の席がとれ、顔の表情、細かな演出とともに、たくさんの言葉が、聴けました。
2008.09.09
昨日は、うーたんの7回目の月命日でした。 偶然、その前後の日に、たくさんの人が、支えようとしれくれてるのが、あらためて、感じられ、一日、心穏やかに過ごせました。うーたんが、いなければ、だめだと思ってたのに、母は、うーたんのいない7ヶ月を、過ごせて、今になってます。 うーたん、うーたんが、やりたかったことって何?どんなふうに、過ごしたかった?見たいもの、行きたいところは?どんな人になりたかった?大きくなったら、何になりたかった?病気が、治ったら、何になろうと、思った?お母さんに、何してほしい?お母さんが、それを、かなえてあげたい。うーたんに、話しかけて、心で、返事を、待っている。それを、お母さんの夢、目標にさせて。お母さんに、夢が、何か、思わさせてね。
2008.09.05
この旅行でのひとつの目的は、奄美ならではの魂が降りてくる言われる神様に会う事でした。沖縄のユタとは、また、違うもののようです。 同級生から、評判のところの連絡先を、教えてもらいました。予約の電話を、しました。出たが、電話先が何も言わない。私 しまった。名前きかなかった。
2008.08.31
さて、島での人々との触れ合いを、書きます。 ビアガーデンで。バイキングで、飲み放題の設定です。子供達のソフトドリンク、ビールは、店員さんが、持ってきてくれます。まだ、飲み物は、まだ残ってるのに、
2008.08.30
お盆で寂しさが深まり、ブログの暖かいコメントで元気づけられ、その後予定していた旅行に入りました。妹家族と一緒に行きました。妹は、機会あれば、誘ってくれるので、とても妹婿殿もに、感謝です。行き先は、私の故郷の育った奄美です。 着いてすぐ、親戚のお見舞いに行きました。高齢ですが、意識は、しっかりしているからこそ、辛く苦しい思いしてるのを、感じました。人は、いつか死ぬけど、それぞれ寿命も違い、幸せなこと悲しいことの体験も違い、それぞれその中で、生きてると思わされました。 ホテルに着いて、ウチの娘と甥っ子達が、ベットで、飛び始めました。娘が、おでこを強く打ち、2~3cmの傷ができました。私は、おでこ、頭を打ったことによる病気が、心配でなりませんでした。幸い、傷を縫うだけで、終わりました。私は、その時、息子と夫を忘れなくても、過去には、生きないと、思いました。今、実際、支えてくれてる側にいる家族を、大事にしなけらばと。息子、夫のことで、時々娘にかまわなくなってしまう自分が、いるからです。 その後、海で泳いだり、同級生と会ったりしました。南国らしい見知らぬ人の明るく暖かい気持ち、アバウト?な親切、自然、同級生に触れて、そのパワーを、もらいました。いつものお出かけと違い、息子と夫が、いないことを、穏やかな気持ちで、受け止めてました。そしてて、二人は、見えないけど、近くにいると思ってました。そして、帰ったら、頑張れそうと、思いました。いつもなら、旅行自体をあまり楽しめなく、帰ってからの寂しさが、心配なのに。 私は、少し、前に進めたように思えた旅行でした。 帰ってきて、実際は、やっぱり、寂しさは深まりましたが、今、旅行前より前に進めてることは確かです。
2008.08.29
お盆を、前に、何となく落ち着かなくなっていました。 訪問される方もある儀式のひとつと、割り切ろうと思ってました。夫と、息子は、お盆に関係なく、いつも、私の側にいると、思うようにしているからです。 どうして、お盆の準備し、お盆を迎えてるんだろう。やっぱり、これが、現実なんだと。 やっぱり、二人に会えるわけでもない。思い出はよみがえるし、あの時こうしたらよかったのではという後悔の念にかられ、、、、、。 ある程度、心構えして、迎えたつもりのお盆でしたが、寂しさが後戻りし、深まる期間であありました。また、家事育児も仕事も、手につかなくなってしまいました。 儀式をきっかけに、また、前ぶれなく襲ってくる、寂しさ悲しさ苦しさの波と、これからも、向き合っていかないとなりません。 お盆を終えた今、一番辛いのは、夫と息子なんだと思えば、乗り越えそうな気がしてきてます。
2008.08.19
夏になり、そして、娘の夏休み突入です。こんなに、娘と一日過ごす時間が、長いのは、久しぶりです。体力使います。。。しかし、小さい時しかないこの時間、貴重に思え、過ごしてます。 さて、夏のお出かけを、しました。妹家族が誘ってくれた教会キャンプと、初めての娘二人だけの小旅行です。 キャンプは、暖かい方達の奉仕で行われてて、それもあって楽しく過ごせました。娘の、また別のはしゃいだりの笑い顔を見ることができました。礼拝堂に泊まりましたが、心が、洗われるようでした。 旅行は、バスツアーです。長距離運転は、まだ自信がないので、娘とだけとならばと、いい方法をみつけたと、思ってます。動物を見たり触れたりするツアーでした。私は、動物に触れられないのですが、娘は、大好きなのを発見しました。今まで、触れさせる機会が、少なかったので、もっと、そういう機会を作ってあげたいです。 お出かけ。息子うーたんに、もっと、楽しい思いさせたかった。夫お父さんが、側にいてほしいし、子供達を見せてあげたかった。、、、などと、考えてしまい、もう、以前のようには楽しめなく、心の底から楽しめないです。帰ってきたら、むしょうに、寂しくなります。でも、娘のおかげで、お出かけできるし、外に出る機会も多くなり、また、娘の喜んでる姿を見て今までより強く幸せを、私が、感じることができてます。そして、きっと、息子、夫も、喜んでいることと。 そして、息子と夫は、いつも私の側、私の中にいると、心強くしながら、過ごし、そして、お出かけしてます。
2008.08.01
昨年の夏までは、家族4人で、普通に、楽しく過ごしてました。夏は、それまでが、特に楽しい季節だっただけに、今年の夏は、寂しさを、感じます。 外に出だしたせいか、いろんな場面で、寂しさに襲われます。 なぜ、なぜ、私の側にいないの?なぜ? 七夕は、お願いを考える日でもあります。今年は、竹を調達できず、木に、飾りつけしました。家族、実家達のお願いを、それぞれ、考え、書きました。願うこと。それは、希望に、通じますね。たくさんのそれぞれのお願いを、書いて、希望へと。 今年の夏も、できるだけ、行動し、家族皆で、楽しむことにしようと、思ってます。
2008.07.09
贈り物は、いただくのも、おくるもの楽しいですよね。 息子の月命日に、ちょうど、お祝いのお返しで、贈り物をいただきました。その贈り物は、かわいいお皿で、その上、4枚でした。2枚でもなく、5枚でもなく、4枚。家族4人分のお皿。贈っていただいた方に、意図があったかは、わかりませんが、なんだか、うれしくなりました。4人、いつも、一緒なんだよ。
2008.07.04
私が、一日一日を、過ごしていけるのも、本当にたくさんのまわりのおかげです。私の最大の役目である娘を育てることを行えており、また、生き甲斐にもなってます。 息子の入院中、娘と母と一緒に、ずっと、病院に泊まってました。一緒に寝るとき、娘が、私の背中を、トントンって、たたいてくれたのが、忘れられません。遊ぶことなど制限された入院生活を、娘は、よく、頑張ってくれました。 入院中、休みの度に娘の従兄弟達も来てくれ、悲しいなかでも、子供達のおかげで、笑いがありました。騒がしかったかもしれませんが、同じく入院されてる家族も、久しぶりに笑わせてくれたって、言ってもらえました。 娘は、まだ3才だったので、あまりわかってないのが、幸いして、寂しがったり、悲観的なことはきかれず、それが、救いです。 甘えんぼうで、ちょっとわがままで、恥ずかしがりやで、慣れたらひょうきんな娘です。 娘に、いてくれたことに、感謝です。 この4月から新しい幼稚園に行かせました。お兄ちゃんお姉ちゃんのお友達がいて、今までのお姉さんぶりは、発揮してないようです。幼稚園でも、娘なりに、いろいろあるみたいです。まだ、深刻では、ないらしいですが、それを、知り、あらためて、この娘を、守っていかなければと、思うことでした。 幼稚園の近くのひまわりです。
2008.06.24
やっぱり、朝、起きると、うーたんがいないっていう現実を、つきつけられて、寂しいよ。 4回目の月命日です。世間と、遠のいてたけど、あえて、友達とランチすることにしました。私を使って、二人が、楽しめれば。実際、私が、楽しめば、二人が、喜んでくれるだろうと。 先日、役所の戸籍を、見ました。当然、息子の欄は、線がひかれてました。文章でも記載。当然なのですが、心だけでなく、書面でも、息子がいないことを、つきつけられて、なんとも言えない寂しさに、おちいりました。<うーたん、ちがうんだよ。お母さんの中で、側で、生き続けているんだよ>って、声にだしてました。そうです。私と、一緒に、生き続けるのです。 偶然、息子に似た2歳位の男の子を、見ました。2歳の頃、あんな感じだったんです。つい、見続けてました。娘も、その子を、気にいってるみたいで、その子のお話をよく、しました。 同じ頃の年の男の子を見ても、寂しいです。 しかし、保育園の同級生のなかに、思い出があり、見れない息子の成長の姿を、これから、うかがわしてくれるでしょう。でも、保育園のお友達は、小さいから、息子のこと忘れてしまうんだろうな。 葬儀は、私が、人前に出れる自信がなく、家族葬と、当初、考えてました。しかし、きっと、息子は、5年近くも一緒に過ごした保育園のお友達と、さよならしたいんだろうな。また、お友達には、少しでもいいから、息子のこと忘れないでいてほしいし、命の大切さをわかってほしい。そう思い直し、母の最期の役目として、息子を知る皆様で、天国に見送ってもらいました。そうできて、本当に、よかったって、思ってます。 息子の楽しかったお泊り用のリュックです。公園などのお出かけでは、私が、使って連れていってます。
2008.06.04
先日は、息子が、倒れた日に作ったチキンライスを、あれから初めて、作りました。その朝と夜と、いっぱい、食べてくれました。 生前、息子が、昨年の七夕でのお願い。保育園では、<自転車に乗れますようにだった。>さっそく、娘と二人分買った。そして、自宅での夜空に向かっての息子のお願いは、<皆と、一緒に過ごせますように>だった。まだ、5歳なのに、そんなこと考えられるようになったんだねって、うれしくなったものでした。そして、よく、息子が、口ずさんでた歌に、<明日があるさ>、と
2008.06.01
初めての亡き夫のお誕生日です。ケーキも用意したし、私のたのめのビールも、用意しました。プレゼントは???悩みました。娘と、絵を、書くことにしました。ちょうど、お花も、偶然、届いて、華やかな雰囲気でした。 本当は、この1年は、節目の大事な年で、夫も、この誕生日を、迎えるのを、心構えしてたんです。本人が、一番、寂しく悔しいんですよね。 夫は、進学校に行ってながらも、大学受験を失敗すると、気持ちを、きりかえ、一人の力で、日本や、世界を、放浪してました。そして、この地で、仕事につき、家庭に落ち着き、期待されるところまで、一生懸命、がんばってました。どんな状況でも、気持ちを、きりかえ、自由な心で、前向きに、いけた人でした。(自慢気で、すみませんが、この場では、お許しを)娘もそういう風に、育ってほしいと思ってます。私も、もしかして、亡き夫に、少しは、そう育てられつつあるかもしれないと、思うこともあります。 お世話になってるお坊様に、教えられた言葉で、
2008.05.19
そのお友達は、若くで、最愛の育てのお母さんを、なくされてました。偶然、そのお友達から、連絡があって、私の先が見えなくなった辛さを、ぶつけてしまいました。 大破した車を、見ることによって、夫が、私と辛さを共有して、楽になってるんだよ。見てほしかったんだよ。 悲しみは、消えることは、ないけど、別の次元で、生きている家族が、幸せになると、天国の家族は、一緒に体験し、喜んでくれてるんだよ。 など、言ってくれました。あ~救われたって、思いました。 私は、彼女のお母さんが、亡くなられたとき、まだ、未熟で、何もできてなかったです。 私は、自分が、体験して、いろいろ、気づかないことがあったのを、知りました。 天国で、お母さん、しっかりしてるねって、おもわれるように、なりたいですね。
2008.04.30
中断していた、夫の、事故処理を、はじめてました。初めて、事故後の車を、見ました。結婚する前からの思い出のある車でした。大破して、みるかげがありません。事故後のかわりはてた夫に対面したときのような、悲しく苦しい気持ちとなりました。涙しながら、車のなかから、遺品をとりだしました。事故の瞬間のとき、夫が、何を、思ったかを、思うと、辛いです。これが、事故処理で、辛い最後の仕事でしょう。 友達が、言ってくれました。事故の辛さを、私と共有してくれて、夫が、楽になってるんだよって。 生前、夫は、あの光市母子殺害事件を、真剣に、考えてました。夫が、亡くなってから、そのことが、私達家族への思いもあったんだったんだと、気づきました。天国からの贈り物です。御遺族のお気持ちを、考えれば、おこがましく、個人的なことで、失礼になるとおもいます。しかし、本当にはかりしれなく御立派に御家族守り通される御主人であられたことを、報告できました。励まされる私達家族のようなものもいるんです。
2008.04.24
昨年の今頃、夫が、まだらに芝桜を、植えてくれて、来年は、一面に咲くからねって、言ってました。言葉どおり、夫は、いなくても、咲いてくれてます。チユリップも去年の球根からです。おまけに、なぜだか、砂利のなかから、小さいビオラが、1本。 夫もうーたんも、いっぱい楽しい思い残してくれたし、今も、いっぱい贈り物してくれてる。夢に、出てくれると、もっと、いいのですが。 日が、経つて、立ち直ってきているとは、思える。しかし、やっぱり、二人が、いない事実の現実。悲しさの波が、急に、襲ってくる。外に出だしたが、ふとしたことで、悲しさを思い出す。 せめて、うーたんは、小学校には、少しでも行かせたかったな。しかし、娘の幼稚園の入園式に、出て、この世に、入園式に出れないお友達もどこかにいるんだと、思い、その出席を、幸せに思うことでした。今は、娘を、初めての一人っ子のように、カメラ、ビデオをとってます。今は、親子で、新しい外の世界に、幼稚園から再出発してます。 何回か、お弁当を、娘と食べに出て、ミニアウトドアも、してます。
2008.04.14
迎えたくなかった息子の49日の法事をすませました。かえって、いつも、一緒にいると、心することでした。いいお坊様に、めぐりあって、いつも心のこもったお言葉を、かけてもらってます。今回は、現実を受け止めて、前に、進むようにとも、言われました。6年間、とても幸せだったけど、最後、夫と息子を失うことが、含まれたものでした。同じ悲しみにあうとしても、また、私は、同じ6年間を、選ぶと思うと、気持ちが、少し楽になります。偶然、元気な時の写真、思い出が、つきつけられると、本当に、辛く、気持ちは、後戻りです。これの、繰り返しで、慣れていって、自分なりに、受け止めないといけないのでしょう。 まだまだ、朝、目覚めると、夫と息子のいない現実に、もどされて、しばらく、身動きできない状態です。家事育児は、おろそかです。実母など周りに感謝です。 娘を家に1日、過ごさせるわけに、いかず、幼稚園の入園を、選びました。今までの保育園に行くのは、辛い。幼稚園の準備にとりかかります。娘が、いてくれたから、まだ、私は、頑張っていけるから、娘には、感謝し、やれるものは、やってあげないとと、思ってます。 しばらくしたら、娘を連れて、実家家族と一緒にお出かけしてみようと、計画してます。お花が、きれいになってきていて、桜も、見えるかもしれません。うーたん達、いつも、一緒だから、いろなもの、見ようね。家族だけの法事にしたのですが、お花を、たくさん、皆さんに、贈っていただきました。有り難くて、有り難くて、早く、立ち直りたいと、思わせてくださいました。
2008.03.24
もうすぐ、息子の49日です。少し、身体が、動きだしてて、自分なりに、この調子って、思っていたら。やぱっりか、なぜか、か、寂しさ無念さの波が、おしよせてきました。今ごろ、うーたんは、何してるのかな。うーたん自身は、大丈夫なのかな。まだ、子供なのにしっかり、過ごせてるのかな。お父さんともちろん、一緒なんだよね。ただ、うーたんに、普通に、私の側にいるだけで、そして、大きくなっていってほしかった。もう、私自身が、だめに、なりそうに、思ってしまうこともある。周りで心配しれくれてる家族、友人、そして娘に、今は、たよって、時間がながれるのを待ってみます。私の家族の出来事は、宇宙のなかの、ほんの、一瞬の出来事。それを、私は、どう考え、受け止めっていったらいいのだろうか。ただ、受け止めないといけないのだろうか。最後には、私は、息子と夫に、会えるのだろうか。いや、いつも、一緒にいるんだっていう思いを、強くしなければ。
2008.03.20
子供の写真の位置を変え、見たいときだけ、見るようにしました。そうしていいのか、私の気持ちが、少し、楽になるんです。でも、かだづけ中、写真が、偶然、出てくると、悲しくて悲しくて、時間を戻したくて、たまりません。いつも、夫、子のことは頭の中には、ありますが、少し、忘れるのが、いいのかなって、思ったりします。少し忘れることによって、楽に、感じてしまって、また、自分だけ、楽しんでいいのかな、、、。と、思ったりもします。 今年、急病で、亡くなった息子には、これからの年齢ごとの、楽しみ、行事、思い等を、たくさんたくさん、経験させたかったです。子供ながら気を使ってか、まだ、結婚するのは、お母さんって、言ってくれててました。もちろん、生きていれば、いろんな困難にも、あって、心配は、つきなかったでしょう。生きているほうが、辛いことが、あったかもしれません。 夫は、本当に、好きなことやってきてて、最後の約10年間は。仕事に、打ち込みました。幸せを凝縮させたんだなって、思うことにしてます。しかし、昨年の事故で亡くなってしまい、本人、無念で、たまらないと思います。 少し、二人を忘れるって時って、身体を動かしているときです。家事も育児も、少し、するようになりました。そして、お庭の手入れ、お花を育てたり。まだまだ、買い物も辛く、外の世界に、出れない状態では、あります。 夫と息子の変わりに、いろんなことやろうって思ったのだから、その手始めのやり出した時期かもと思い、前向きに考え、立ち直るように、していきますね。 写真は、お部屋用のチュッリプ栽培です。
2008.03.13
いつも、普通の家族で、いることに、幸せを感じてきました。慌しい生活の中、叱ったり、抱っこしたり、笑ったり、子供達の発想発言に苦笑したり。家族の幸せそうな顔みるのが、私のより、幸せでした。お迎えで、母を見つけて、照れながらうれしそうに、走りかけよってきてくれた息子うーたんの姿が、目に浮かんできます。あたりまえだった、抱っこして重さを感じ、声をきいたり、いつものようにあった気配を、うーたんに、感じたい。なぜ、まだ、6歳の子供なのに、この世を去らないといけなかったのでしょうか。なぜ、私自身そのものの私の子供が。最も辛い思われる子供を失うということを、この世の親は、あじわないといけないのでしょうか。立ち直っていかなければ。残された子、姉妹、家族、友達のためにも。そして、私にも何かできることが、あればいいと、思ってます。
2008.03.10
昨日は、息子の月命日でした。時間は、流れているんだなって、思うことでした。友達が、私を励まそうと、本を、持ってきてくれました。うれしくて、いっぱい、涙が出たら、気持ちが、楽になったんです。この友達もいろいろ苦労されてきたのですが、いつも、明るく、優しく、おめでたい?ので、私のあこがれ目標なんですよ。昨日は、外出したり、夕方のテレビ見たりで、自分が、疲れてのでしょうか、今朝からは、何もする気がないです。 うーたん。少しずつ、母は、元気になって、いろんなこと、さしてあげるからね。うーたん、夫に、心配されるようには、ならないようにするね。
2008.03.05
今週は、行くはずだった息子のお別れ遠足です。何かのイベントに出かける朝、準備してあげてると、息子うーたんは、とても、はしゃいで、うれしそうでした。そんな姿を見るのが、母の私の喜びでした。うーたん、母といつも、一緒だし、行きたいところ行けるようになったんだから、遠足、行ってらしゃいね。
2008.03.03
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