ミューンの森~Forest of Mune~

ミューンの森~Forest of Mune~

宝物・2



お誕生日大作戦!


「一体どういうことだ?」
 エリス王妃の執務室で、ロストール軍総司令閣下は怪訝な表情で尋ねた。
「どういう事、とは?」
 その問いをにこやかに受け止めるのは彼の叔母で、「ロストールの雌狐」などと渾名されるエリス王妃である。
「さっきの会議で最後に言ってたことだ。『今年から王妃の誕生日に関しては気遣い無用』っていう項目」
「その通りの意味だが?」
 七竜家の当主が集まって行われる七竜公会議。建前上この会議がロストールを国家として運営していく上での最高機関であるはずだが、形骸化して久しい。事実上、王家(というか王妃)の独裁にお墨付きを与えるだけの機関に成り下がっていて、面と向かって対抗するだけの気概を持っているのはエリエナイ公レムオン・リューガのみというパターンが定着している。
 その会議の場でのエリス王妃の発言にゼネテスは首を傾げているのである。
「何だって急にまた?」
「そう驚くほどの事か?そなたも去年は自分の誕生日祝いを辞退したであろう?」
「親父が死んだんだから当たり前だろう?それに俺はその前から特に何もしてねえよ」
「情けない。ファーロス家の当主の誕生祭と言えばロストール名物の1つでもあったのに。『花火大会もパレードも無いなんて』と、ファーロス家の執事がヤケ酒をあおっていたそうではないか」
「…親父と一緒にしないでくれ。そんなマネをさせられるのは一生ゴメンだ」
ぞっとした表情でそう呟くゼネテスに、エリス王妃は笑いかけた。
「妾も実の兄を失ったのだ。そのような祝い事の自粛に不思議はあるまい」
「それはそうだが、俺が引っかかっているのは『今年から』の『から』なんだがね、叔母貴」
「何と。そなた、いつの間にそんな国語力を身につけたのだ?」
「叔母貴~…」
 エリス王妃はコロコロと楽しげに笑いながら言葉を続けた。
「実のところ、妾もそのようなお祭騒ぎには辟易しておるのでな…口では何のかのと言いながら、本心から祝ってくれておる者が何人いるのやら」
「はあ、まあねえ…」
 ゼネテスは何故だか悪寒を感じた。
 ごもっともな話であるが、権力の座にいる者としては当たり前の事であり、何を今さら?てなものである。
「故に、お義理・おべっかの類を削除する良い機会と思ってな」
「ふーん」
「自発的に心より祝ってくれる人物からの志はありがたく頂戴するのだが」
 悪寒は何故だか頭痛も伴った。
「自発的に?」
「そう自発的に」
 目の前の叔母の笑顔には一点の曇りもない。
「あーそーですか………」
 ゼネテスは何故だか途方も無い脱力感を抱えて、王妃の執務室を後にしたのだった。


「………と、言う訳なんだがね」
 いつものスラムの酒場にて。
 ゼネテスはエリス王妃とのやり取りの一部始終を話し終えると、一気にグラスをあおった。
「ふーん…」
 相づちを打ちながら聞いているのは、先のロストール戦役で竜字将軍となった冒険者、リーシアである。
「それって他の人はどうでもいいけど、ゼネテスには何かして欲しいって事よねえ」
「そーか?やっぱりそーなのか?」
 ゼネテスはすかさず2杯目のグラスを空けた。
「何で俺なんだ!?叔父貴だってティアナだってアトレイアだっているだろーが」
「他の皆さんじゃ今いち実行力に欠けるからじゃないかなあ?」 
 リーシアはルーマティーを飲みながら話している。
「実行力?どういう事だ?」
「だって、何だかんだ言ってもゼネテスはエリス様のために何かするでしょ?」
「まあ、そりゃ…な」
「自分だけじゃなくてなるべくたくさんの人を巻き込もうとか思ってるでしょ?」
「そりゃ実の娘やら夫やらがいるのに、甥の俺だけ張り切るのは変だし…」
「すごいなあ、エリス様って」
「……………」
 何となく無口になってしまったゼネテスの横で、リーシアは感心していた。
「一言も言質を与えずに、抽象的な言葉だけで他人を動かす…扇動ってのはこうするのね」
「……………」
「頂きましょう、その技術♪」
「…頼むからそれだけはやめてくれ」
 ついにゼネテスはカウンターに張り付いてしまった。
「心の休まる暇がなくなる」
 その様子を見たリーシアはくすくす笑いながらゼネテスの肩をつついた。
「で、どうするの?エリス様の誕生日っていつ?」
「7月15日。どうしたもんだろう。実のところ、今まで俺は特に何もしたことがねえんだ。親父がやたらと張り切ってごちゃごちゃ持っていくもんだから、俺は顔を見せに来る程度でいいって言われてたからなあ…」
「そりゃエリス様が1番喜びそうな事をしてあげるべきでしょう。………そっか、7月15日ね…」
 リーシアはティーカップを持ったままで考え込んでいる。
「どうした?まさかお前さんまで誕生日だとか言い出すんじゃねえだろうな」
 苦笑交じりにそう突っ込むと、リーシアは首を振った。
「違うよ。ただ、長年の謎が解けたなって…」
「長年の謎?」
「うん…毎年いつもこの頃になると、父さんはどこかに花束を送っていたの」
「フリントが?」
 リーシアの亡くなった父で、エリス王妃の密偵をしていた男である。
「毎年どこにいてもだよ。花束の準備も送付の依頼も私やルルにも頼まないで全部自分でしてたの。だから誰にあげるお花なんだろうって思ってた。『昔、お世話になった人への贈り物だ』って言うばかりで全然教えてくれなかったけど…エリス様宛なら言える訳ないよね」
「フリントがねえ…」
 今わの際まで実の娘にも己の素性を明かさなかった凄腕の密偵が、そんな細やかな心遣いを叔母に示していたとは意外だった。
「よっしゃ。そいつは俺が引き継ごう」
「え?」
 驚いたように眼を瞬かせているリーシアに、ゼネテスは笑いかけた。
「女ってヤツがどうしてこう花束に弱いのかわからんが、下手に高価なもん買って貢ぐよりハズレがない」
「綺麗な物もらって喜ばない女性はいないよ。私も欲しいもん」
「ほう、お前さんも一応女だった訳だ」
「ケンカ売ってるの?」
「とんでもない。大事な相棒にそんな大それた事をするはずがないだろう?」
「……………」
 リーシアは眼をすっと細めてゼネテスを見やった。
 妙に下手に出てくる態度が何だか引っかかる。
「それで、お願いがあるんですけどね、リーシアさん」
 こちらの疑惑の視線など歯牙にもかけずに、ゼネテスはにやにやしている。
「何でしょう、総司令閣下?」
「ぜひお姫さん方を口説いて、叔母貴のために何かやってくれませんかね?」
「………そう来ると思ったわ」
「そうか、それなら話が早い。察しのいい副官を持って俺は運がいい」
「……………似た者同士の甥と叔母よね、あなた達って」
 断れない自分の人の良さに溜息をついて、リーシアは立ち上がった。
「出来るだけの事はするけど期待しないでね。じゃ!」
「おい?もう帰るのか?」
 リーシアは振り向きもせずにさっさと酒場を出ていってしまった。
「何か怒ってないか?あいつ」
「そりゃゼネさんが無神経だからだろ」
 グラスを磨きながら2人のやりとりを聞いていた酒場の親父がつっこんだ。
「目の前で他の女へのプレゼントを一生懸命考えられちゃあ、面白いはずがないだろう」
「他の女ったって、実の叔母だぞ?」
「理屈はそうだが、それで割り切れるもんじゃないだろう?女心ってヤツはさ」
「そういうもんかねえ…」
「そういうもんだよ。リーシアの誕生日には気合を入れた方がいいぞ」
 ゼネテスは肩をすくめて立ち上がった。
「あいつの誕生日にはロストール中の花屋の花を買い占めてやるよ。じゃあな、親父。ごちそーさん」
 そう言い置いて足早に店を後にする。
 拗ねてしまった相棒をなだめにいったのだろう。
(退屈しねえなあ、あの2人見てると)
 残された酒場の親父が忍び笑いをもらしていたことなど、もちろん当の2人は知らない。


 エリス王妃の誕生日当日の朝。
 王宮の厨房にはティアナ2人の王女とリーシアの姿があった。
「ではそろそろ始めましょうか」
「はい」 「よろしくお願いします」
 3人の目の前には卵だの小麦粉だのボウルだの泡だて器だのが山とつまれた調理台がある。
 リーシアはそれを見ながらそっと溜息をついた。ここに来るまでにすでに疲れきっている。
 昨晩寝ないで考えたが、何と言っても相手は一国の王妃である。大概の物は持っているだろう(それも一級品ばかりを)。結局「花束」と大して変わらない無難な「手作りケーキ」という結論しか出せなかったのである。
 そのうえ、以前から料理に興味のあったアトレイアはともかく、ティアナを口説きおとすのには時間がかかった。
「だってお母様は料理上手で有名ですのよ?笑われるんじゃないかしら…」
「何を仰っているんですか、ティアナ様!」
 寝不足でいささかハイになっていたリーシアは勢いで押し切った。
「料理は愛です!愛があれば大丈夫!」
「は?はあ…」
 安物の結婚詐欺師のようなセリフと勢いで2人の王女を引っ張ってきたのだが。
「あの、リーシア様?」
 アトレイアがおずおずと尋ねてきた。
「これ、何ですか?」
 リーシアが答えるより先にティアナが答えた。
「それは卵ですわ、アトレイア様」
「卵?」
「そうです。オムレツとか目玉焼きの元ですわ」
 ティアナはそう言って卵をべきっと割った。
「まああ、本当ですわ」
 感心するアトレイアをよそにリーシアは頭を抱えていた。
「ティアナ様…卵を握りつぶしちゃいけません。思いきり殻が混じっちゃってます…」
 こんなんで大丈夫なんだろうか。
 リーシアの背筋を冷たいものが走ったが、もう今さらどうしようもなかった。


「よ、叔母貴。誕生日おめでとさん」
 蒼風花の花束を抱えたゼネテスがエリス王妃の私室に現れたのは、15日の昼下がりの事だった。
「ありがとう…」
 花束を受け取ったエリス王妃は柔らかく微笑みながらゼネテスに言った。
「こんなにたくさん揃えるのは大変だったのではないか?」
「あ…いや。群生地に直接出向いて取ってきたからな…馬を飛ばしたんだが遅くなった。すまん」
「何か活ける物を取ってこなければ」
 侍女に任さずいそいそと花を活ける叔母を見てゼネテスも微笑んだ。「ロストールの雌狐」などと呼ばれる前、王家に嫁ぐ前の叔母の笑顔がそこにある。
 こんな事で笑ってくれるのなら、もっと早くから気を使えば良かった。
 ふとそんな事を考えて反省したゼネテスは妙な物に気がついた。
「叔母貴、何だ?これは」
「それか?それも妾への贈り物だ」
「…通りすがりのトロルが踏んづけたようなひしゃげ加減のそのケーキがか?」
 エリス王妃がキッとゼネテスを睨みつけた。
「ティアナとアトレイアとリーシアが3人がかりで作ってくれた物だ。誹謗中傷は許さぬぞ」
「…悪かった」
 ゼネテスは素直に謝ったが、クリームやフルーツで飾られたそのケーキは誰がどう見ても真ん中が大きくへこんでいて、全体的にもなんだか歪な形をしている。
 花を活け終わったエリス王妃はケーキを見やった。
「まあ、作った本人達からして、ひどい言い様であったがな。朝から3人で厨房で奮闘していると言うから楽しみにしておったのに、様子を見に行ったら『証拠を隠滅して…無かった事にしましょう!』などと言っていた」
「それをわざわざかっさらって来たのか、叔母貴…」
「妾のために作ってくれた物であろう?ティアナは最後まで嫌がっていたが、リーシアがな…」
 エリス王妃は何やら思い出し笑いをしている。
「あいつ、何て言ったんだ」
「『こうなったのも全て私の責任です!どーしてもお召し上がりになると言うのなら、クリアの呪文を使える人か七色の軟膏を常備したうえでお願いします!』などと言うものだから、ティアナもアトレイアも口々に『いえ、私の責任です!』などと言い出して、まあ賑やかな事であった」
「何なんだ、あいつらは…で、それはともかくとして食べたのか?」
「いや。ちょうど切り分けたところに、そなたが来たのでな。味見してみるか?」
「ぜひご相伴に与りたいね」
 2人は小さく切ったケーキを食べた。
「なんだ、いけるじゃねえか」
「卵白を泡立てすぎたのだな。他は間違っていない」
「ならそう言って安心させてやれよ。次は一緒に作ればもっといいだろうな」
「そうだな。では話すついでにお茶にしよう。ティアナ達を呼んできてくれるとありがたいのだが?」
「はいはい、仰せのままに。お嬢さん方はどこにいるんだ?」
「おそらくティアナの部屋で3人揃って涙にくれている事であろうよ」
「難儀な奴らだな…すぐ呼んでくる。待っててくれ」
 そう言ってゼネテスは部屋を出て行った。
 1人残されたエリス王妃はテーブルの上に置かれたケーキと花を見て、心からの笑顔を浮かべていたのであった。



Fin

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