ミューンの森~Forest of Mune~

ミューンの森~Forest of Mune~

Smile for Me


  ― Smile for Me ―

ーあの人は今、この町にいるのだろうか?

 王都ロストールの城門をくぐったシェスランティは、何故かふいに1人の男の陽に焼けた笑顔を思い浮かべた。
心持ち唇の左端を上げて微笑むその表情からは、自信と強い意志の力が感じられる。見る者を時には安心させ、時には後悔させる、本物の強さがそこにはある...。

ー 逢いたい。

心から、何故かそう、思った。


 シェスランティ一行がギルドで貰った今回の仕事は、アミラルからここロストールまで、 貴族の手紙を運ぶと言う、扱く簡単な物だった。
 ...にも関わらず、途中の森で出食わした魔物に、予想外の苦戦を強いられてしまったのは、ひとえにシェスランティの不安定な精神のせいだった。セラが身を呈して庇ってくれなかったら、今頃は腕の1本位無くしていたかも知れない。

 実践の経験こそ殆ど無かった物の、卓越した剣の使い手である兄から手解きを受けたシェスランティは、セラも驚く程の実力と勘を持っていた。しかし、家族を、友達を、住み慣れた村を、あの様な形で失ってしまった現実は、彼女の無垢な精神をずたずたに引き裂いてしまうに十分だった。

 兄の友人だと言うセラと供にミイスを出て、ここロストールで冒険者としての生活がスタートしてからも、シェスランティの精神が落ち着く事は無かった。
 無表情で無口なセラとの間には、時々剣の扱い方を教えてくれる他には、此れと云った会話も無い。ルルアンタと巡り会わなかったら、こうして笑顔を浮かべる事すら無いままだったかも知れない、と思う。
 冒険者として何度目かの仕事を終えてもなお、癒される事のない自分の心の傷。あの日突然自分に降り掛かった信じ難い現実、そしてそれを未だに事実として受入れられないでいる弱い自分。そういったシェスランティの心の乱れが、仲間をー 今となっては唯一の支えでもある ー危険にさらしてしまった事は否定出来ない

「後は、これをギルドに持って行けばゆっくり宿屋で休めるよぉ~」
 愛らしい笑顔で笑いかけながら、ルルアンタが弾むように言った。
「そうだね。ギルドへは私が行くから、ルルとセラは一足先に宿で休んでて。」
 シェスランティがそう言うと、ルルはにっこりと笑って
「じゃあ、先に行って美味しい御飯でも作ってるね。」
と軽やかに駆けて行った。セラは相変わらず無表情のまま、了解した、と云うように微かに頷いて街の外へ消えて行った。
 仲間達の後ろ姿を見送りながら、シェスランティはやり切れない思いで 「ごめんね...。」と呟いた。


「...確かに受け取ったよ。これが約束の265ギアだ。」
ギルドの主人から報酬を受け取って、しばし壁に所狭しと貼ってある依頼書を眺めていると、ふとあの時の事が思い出された。

『悪い貴族に取られてしまったお人形を取り戻して欲しい』

 あの人と知り合った、あの時の事。

 偶然だったのかも知れないし、必然だったのかも知れない。

 初めて見たあの人は、太陽を背に大きなシルエットで、一瞬まるで兄さまが戻って来たかのような錯覚に襲われた。タルテゥバの放った巨大ナメクジに、自分の実力も考えず飛び出した。このままやられてしまうのか...、そう感じた瞬間だった。

 ザッ という音と供に,いとも簡単に獲物を切り捨てた大きな影は、芝居がかった仕種で血振りをすると、ゆっくりとした動作で私に手を差し伸べた。
『...お嬢ちゃん、大丈夫かい?ほら..。』
  低い声が間近で響く。人をからかう様な呑気な口調...
 差し伸べられた手は、随分と大きく、その手に握られた私の手は、まるで小さな子供のように、頼り無く写った。固い肉刺だらけの其の手の感触が、今も私の手の平に残る...。
 彼が兄さまと似ている、なんて一瞬でも思ったのは大きな間違いだった、と分かるのに、時間はあまりかからなかった。


*******


 その酒場は、いつものように活気に溢れていた。酒と男達の体臭の混じった匂い、大きな笑い声。
 ここだけは、いつも変わらない。
 そんなに広くはない店内の、奥の方のテーブルにどかっと深く腰を降ろしたゼネテスは、グラスに酒を継ぎ足しながら満足げに目を閉じた。納得の行く仕事をこなした後は、得に酒が旨い。顔見知りの冒険者達と時折バカ話しに興じながら、3本目のボトルを空にした。
 そのごつい体躯とは裏腹に、気さくで面倒見の良いゼネテスは、街の住人や冒険者仲間にも人気があった。そのとぼけた口調や、豪快な笑い声に、人々は荒んだ日常の辛さや厄介事を、しばし忘れる事が出来るのだった。
 折しもゼネテスが今回退治した魔物の話が、調度佳境に入った時だった。それ迄賑やかにざわついていた店内に、ふっと静寂が訪れた。
 訝しんだゼネテスが顔を巡らせると、丁度1人の少女が店内に入って来た所なのが目に入った。
 店内の男達は、その少女の明るい金色に輝く髪に縁取られた、透けるように白い肌と、見る物を虜にせずにはいられない、エメラルドにもにた瞳に、思わず会話を忘れ見入った。質素な深い草色の服から覗く長い引き締った白い脚が目に入った途端、ごくっと喉を鳴らす周りの男達の顔に、ゼネテスは眉を顰めた。
 まったく、あのお嬢さんには手が焼ける...。あんなナリでこのむさ苦しい酒場に顔を出すとは、無防備にも程があるってもんだ。そうため息混じりに独りごちながら、ゼネテスは腰を上げた。
「よう、お嬢ちゃん。こんな汚ねえ所に一体何のお使いだい?ん?」
 からかう様な低い声に、少女がハッと顔を巡らせ、その声の先に見知った顔を見つけ、ホッとしたような笑顔を見せた。
「なんだ、ゼネさんの知り合いかい。」
それじゃあ仕方が無いよなぁ...、といったような愚痴にも似たぼやきが聞こえ、酔っ払い達は又、元の喧噪の中に戻って行った。

「ここはお嬢ちゃんのような子が来る所じゃないぜ。」
 いつものように左の眉を上げながら、ゼネテスがにっ、と笑うのを、シェスランティはホッとして眺めた。
「仕方が無いじゃない、いつもゼネテスさんが此処に居るんだもの。」
 ぷっと軽く頬を膨らます仕種に、きっと大事に大事に育てられて来たのであろう、彼女の昔が感じられた。
「はっはっは!確かにそうだな。この街にいる時は、酒場にいるか、どっかの女の所にしけ込んでるかの、どちらかだもんな。」
 大きな声でそう言い放つゼネテスに、さっと頬を紅潮させて、シェスランティはそっぽを向いた。まだまだ、そういった言葉の遊びが理解出来ない、真直ぐな少女の仕種に、ゼネテスの頬が緩む。
「まあまあ、そう膨れなさんな。親父、こいつにお茶でもやってくれ。」
 カウンターの中の店主にそう云うと、長い脚を組み換えて、ゼネテスはシェスランティの方に向き直った。テーブルに頬杖をついて、目の前の赤い顔を覗き込む。
「処で、今回の仕事はどうだったんだい?」
 打って変わって優しい響きで、ゼネテスが尋ねる。
 ああ、この人の声は、なんて心地良いんだろう。そう思いながら、シェスランティは逸らしていた顔を彼の方に向けた。
「それが...うわっ!」
 覗き込んでいたゼネテスの顔が、予想外に間近にある事にどぎまぎして、シェスランティは思わずのけぞった。その様子ににやにやしながらゼネテスは新しいボトルに手を伸ばす。
 酒の匂いの充満した店内に、ふっとエイジティーの清清しい香りが漂う。
「シェスランティ。丁度云い、そろそろゼネさんの酒を取り上げてくれないか。あんたの言う事ならゼネさんも素直に聞くもんでねえ。」
 お茶の入った大きなカップを置ながら、店主がにやっとそう言う。
「親父、何言ってんだよ。まだまだこれからじゃねえか...。」と言いかけたゼネテスから、すかさずボトルを取り上げて、シェスランティは何くわぬ顔で店主にボトルを手渡した。
「あっ、おいっ」
 そそくさと去る店主に伸ばした逞しい腕は空を切り、ゼネテスは くそったれ、とぼやいた。
 全く、酒くらい好きなだけ呑ませてくれたってバチは当たらんだろうに、と思いながらも、まあほろ酔い気分の時で止めとくのが、賢い酒飲みなんだろうけどよ、と変な風に納得する。かなり強い酒を、短時間で3本も空けといて、ほろ酔い、とは恐れ入るが、酒豪のゼネテスにしたら、此れ位屁でもないのである。
「...だってゼネテスさんって、いっつもふざけてばかりでさぁ、ちっともマトモに話せないんだもん。...っつうか、飲み過ぎだよ、いつも。」
 上目遣いに見つめる緑の瞳を見ていると、ふて腐れているのが馬鹿らしくなって来て、ゼネテスは わかったよ。と笑ってみせた。

 ああ、この笑顔だ、とシェスランティは思う。
 この笑顔を、見たかったんだ。
 自分の腑甲斐無さや、悲しみに満ちた心を、暖かい何かで満たしてくれる、この顔だ。

「何だ?思わず見つめちまう程いい男かい?」
ふざけた調子のゼネテスの声に、ハッと我に帰る。
「あーあ、やってられないわ。おじさんになるとこうも自意識過剰になるのかなあ。」
 恥ずかしさもあって、わざと大きな声で素っ気無く言い捨てる。
周りの冒険者達は、あのゼネテス相手に平気で軽口をたたく向こう見ずな美しい少女を、興味津々で無遠慮に見つめている。
 ゼネテスはそんな周りの雰囲気と、シェスランティに時折向けられるねっとりした視線に急に強い不快感を覚えて、勢い良く席を立つ。
「マトモに話がしてえってんだろ?...んじゃあ、ちっと場所を変えるかい?」
 言うが早いか、テーブルにザラッと代金を乗せ、さっさと店を後にする。慌てて追い掛けるシェスランティに歩調を緩め、
「俺ンとこ行くか、と言いたい所だが...。お嬢ちゃん相手じゃいまいち、なぁ。...そうだなあ、そこの広場ってのはどうだい?」
 相変わらずの子供扱いに、内心かなり傷付きながら、こんな酒飲みのおじさん、こっちだって御免よっ とやり返し、さっさと中央の池の縁に腰を降ろす。日が落ちたばかりの街はまだ活気を残しているが、さすがに広場は薄暗く、もう誰も残っていなかった。
 並んで池の縁に腰掛ける。ゼネテスの大きな身体から微かに酒の匂いと、熱が伝わってくる距離。シェスランティは不思議と落ち着かない気持を持て余して、短いスカートの裾を引っ張った。
「仕事の話しか?それとも剣の事か?」
 なかなか話し始めないシェスランティに、ゼネテスが口を開く。

「...うん。それがさ。」

 後から考えれば、本当に取り留めのない、無茶苦茶な感じで、シェスランティは今回の旅の道中を語った。 自分の集中力が足らなかったせいで、セラやルルアンタに随分迷惑を掛けた事、自分の力の無さから兄や、村に起こった悲劇、冒険者として余りにも未熟な自分への焦り、怒り...。薄暗い中に浮かぶ白い大腿の上に所在な気に置かれた小さな手。それを見るとも無しに見つめながら、黙って話を聞いていたゼネテスが、はっと顔を上げたのは、丁度話が猫屋敷での事に及んだ時だった。

「...あそこへ行ったのか、お前さん...?」
「...うん。オルファウスって云う、綺麗な人が居たよ。」
「そうか、お前さん、あそこへ行ったのか...」
繰り返すゼネテスの顔は、心無しか少し歪んでいるようだったが、俯くシェスランティにはわからない。

「ゼネテスさん、前に話してくれたよね。あそこには、運命に選ばれた者だけが辿り着く事ができるって。」
ゼネテスは肯定する代わりに、居住まいを正して、シェスランティの方へ向き直った。
「どうして、私なの?」
少女の目がゼネテスをすがる様に見つめる。
「強くて、逞しくて、ずっと相応しい人が他にいるのに!」
「シェスランティ....」
「どうして私なの!兄様も、村も助けられ無かった、今日だって、セラに庇ってもらわなかったら、大怪我してた、そんな私が、どうして?」
堪り兼ねたように、両手で顔を被うシェスランティの、小刻みに震える肩に思わず手を伸ばそうとして、ゼネテスは躊躇した。
「運命になんて、選ばれたくない!...私は選んで欲しくなんか無かった...。」
 小さく、最後は消え入りそうな声で吐き出した少女の言葉に、ゼネテスは、今度は躊躇する事無くその小さな身体を腕の中にかき抱いた。運命を受け止めるには、余りに小さく余りに頼り無気なその細い身体を、自分の身体で、自分の心で護ってやろうとでもするかのように。

 ハッと息を呑んで、身体を固くしたシェスランティだったが、ゼネテスの広い胸から聞こえてくる、規則正しい鼓動を耳にして、次第にその身体から緊張をといていった。
 そしてそれと同時に、ゼネテスのはだけた胸に、少女の涙が止めど無く流れて行った。


*******


 どれくらいの時が経ったのだろう。
 気が付くとあたりはすっかり夜の闇に浸かっていた。人通りはとうに無く、シェスランティはふと我に帰って、ゼネテスの腕の中にすっぽりと抱き締められている自分の姿に赤面した。
「ごッ御免なさい!私ったらこんな...」
 慌ててその腕から逃れようともがくシェスランティを、クックッと喉の奥で笑いながら、ゼネテスはそれまでいたわるように優しく廻されていた腕に、逆に力を込めた。シェスランティの細い身体が、腕の中でしなり、胸が押しつけられる。
「く、苦しいよ。」
尚も顔を赤くしながら、シェスランティはもがく。

「おっ。こうしてみると、お前さん、思ったより胸は成長してるんだな。」
「...!」
「上から覗くと、なかなか立派な谷間が......ぐわっ!」
ゼネテスが最後迄言う前に、思いきりもがいていたシェスランティの膝が、偶然思わぬ所にめり込んだ。
それ迄びくともし無かった腕から解放され、ホッとしたのもつかの間
「.........くう~」
股間を抱えて蹲るゼネテスに慌てて駆け寄って、不本意な結末にひたすらシェスランティは謝りまくった。

「まったく冗談の通じないお嬢さんなんだよな、あんたは。」
暫くの後。
やっと人心地ついたゼネテスに、大きなため息まじりにそう言われて、シェスランティはその小さな身体をいっそう小さくして畏まった。
「だって、いやらしいんだもん、ゼネテスさんってば。」
「冗談だろ、冗談。あんたがあんまり落ち込んでるからよ、ちょっとばかし元気付けてやろうとだな。」
「あんなんで元気が出る訳ないでしょー!」
「そおかあ?俺なんかけっこう元気出てたんだけどなあ...途中迄。」
にやっといつもの調子で笑うゼネテスの、意味有り気な台詞を遮るように、シェスランティは勢いをつけて立ち上がった。少し頬を染めたその顔には、さっき迄の頼り無気な表情が消え、明るい、吹っ切れたような爽やかさが浮かんでいた。
 シェスランティは大きく深呼吸をして、雲に隠れた月のわずかにもれる光の筋を目で追う。

「...不思議。本当だ、元気出てきちゃったかも、私。ずっとずっと落ち込んで、悩んでたのに。どうしてだろ。」 
まだ心持ち痛む下半身を庇いながら、ゼネテスはシェスランティを見つめた。
「呑気で、楽天家のゼネテスさん見てたら、なんだか悩んでるの、馬鹿らしくなってきちゃったんだよねー。」
「おい、それじゃあ俺はまるで...バカみてえじゃないかよ」
言葉とは裏腹に優しく微笑むゼネテスを、シェスランティは正面からしっかりと見据える。
「ありがとう。...泣かせてくれて、甘えさせてくれて、ありがと。」
それまでの冗談めいた口調とは打って変わって、大きな目を潤ませて、呟いた。
「私、ずっと自分の心、誤魔化してた。泣いちゃいけない、弱音を吐いちゃいけない、だってそれが私の責任なんだからって。そう思おうとしてた。自分の本当の気持ち、見ないようにしてた。
 でもそう思えば思う程、身体も心も凍り付いていって。」
「シェス...」
「そしたら、本当なら出来てた事迄出来なくなって来て、どんどん皆に迷惑掛けて。でも、もう大丈夫だよ。何か、思いっきり泣いたら、スッキリしちゃったんだよね。」

 顎を上げて、真直ぐゼネテスを見つめるシェスランティの白い顔に、雲の切れ間から顔を出した月の光が降り注ぐ。青白い光を受け輝きを増した黄金の髪が炎の様に揺らめく。

「運命が私を選んだ。そうかも知れない。でも私はそう簡単に運命に選ばれてなんかあげない。私が、運命を選んであげるのよ。私の望む未来の形に。そう思えば、少し、気が楽になるような気がするの。」

  無限のソウル、か。

ゼネテスは、その美しい少女の姿に、確かに存在する運命を感じた。
さっき迄自分の胸を濡らして泣いていた少女を弄ぶ運命に、いや、この少女が立ち向かおうとしている運命に、自分もどうあってもついて行くのだと、その時、月の光の中でゼネテスは決心したのだった。

Fin

03.9.11 UP




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