ミューンの森~Forest of Mune~

ミューンの森~Forest of Mune~

はじめての日



『 はじめての日 』




 真っ白なしろつめ草が草原を埋め尽くして咲き乱れている。
 ほんのり暖かい風が春の香りを運ぶ、のどかな午後のひととき。

 一体何度、こうして独りで春を迎えて来たのだろう。
 ほんの数回だったようにも、思い出せないくらい長い間だったようにも思える。

 小さな女の子は丁度作り終わった首飾りを膝の上に置いた。
掛けてあげる相手の居ないしろつめ草の首飾り。

 風の音だけが優しく響く中、女の子は小さくため息をついた。見た目の幼さとは裏腹に、その瞳は随分長い時を生きて来た様な落ち着きと諦めと悟りを宿していた。
 さわさわさわ。
 さわさわさわ。
 風に揺れる草の音だけが優しく女の子を包んでいる......。


 草を踏み分ける音が突然耳に入って来て、女の子はハッとして顔を上げた。静けさに慣れた耳にその音は随分乱暴に聞こえた。
 町の方角から1人の少女がこちらに向かって駆けて来るのが目に入った。
 年の頃は5~6歳だろうか。
 春の柔らかい日射しに輝く長い髪が美しい、と女の子は思った。
 周りの景色に目もくれず全速力で駆けて来るその様子は、女の子の目には不思議に映った。
 光に溶けてしまいそうな明るい髪の色。それに比べてその少女の表情は随分暗く険しい。キッと唇をひき結び、顔を真っ赤にさせて大きく目を見開いている。
 今にも涙を溢れさせそうな大きな瞳がどんどん自分の方へと近付いて来る。
 このままじゃ踏んづけられちゃうかも...と、女の子が思った途端、金の髪の少女は凄い勢いで倒れる様にその場に突っ伏した。そして咲き乱れる無数のしろつめ草に埋もれたまま、絞り出すように泣き始めたのだった。


*******


 どれ位こうしていただろう。金の髪の少女はぼんやりと考えた。
 泣き続けた目は腫れて視界をぼやけさせ、叫び続けた喉は掠れ切っていた。
 それでもまだ、少女の悲しみは癒えない。

 このままこの野原に飲み込まれてしまえばいいのに。暗い土の下のもっと下の方まで、埋もれて何も見えなくなって何も感じられなくなればいい。
 それでもきっと涙が枯れる時は来ないんだ。
 このまま消えて無くなってしまえばいい。

 そう願いながら、いつしか少女は深い眠りにおちていった。


 暖かい何かが自分の髪を撫でてくれている。その柔らかい感触に、少女は母の細かった手の温もりを思い出した。

 お母さん、やっぱり帰って来てくれたんだ。
 いつも側に居てくれるって、約束だったもんね。

 少女の胸を熱いものが満たして行く。

 お母さん、だいすき。
 だいすき。
 少女は何度も繰り返す。
 お母さん、だいすき。
 だいすき......。

 髪を撫でる優しい手の動きは、いつも母が口ずさんでくれた子守唄のように、少女の心を安らぎで満たして行く。

 少女の意識が少しづつ現実へと戻りはじめた。深い海の中を漂いながら、ゆっくりとゆっくりと浮上して行くように。髪を滑る手の動きが次第に現実感を増してゆく。

「おかあさん......?」

 少女は小さく呟いてみる。返って来るはずの母の声を期待して。

「おかあさん......」

 少女はもう一度繰り返す。返って来る訳が無い現実を思い出して。

 恐る恐る小さく目を開けた少女の目に、最初に飛び込んで来たのは一面の淡いピンクだった。
 数回まばたきをして少し顔をあげてみる。ピンクのそれは、柔らかい生地で作られたスカートだと言う事がぼんやりと分かった。
 今の今まで泣き崩れていた事も忘れ、好奇心にかられた少女は今度は上体を起こしてみた。
 そこには少女と同じ年くらいのあどけない顔の女の子が、にっこりと微笑んで座っていた。その右手はさっきまで少女の髪を撫で摩っていたらしく、まだ空に浮かんだままだった。

「あなたは、だぁれ?」

 掠れた声で少女は呟いた。

「こんにちは。わたし、ルルアンタって云うの。」

 ピンクの服の女の子は、にっこりと笑って答えた。
 その笑顔は少女に大好きな母を思い出させた。
 顔なんかちっとも似ていないのに、どうしてお母さんを思い浮かべちゃったのだろう。そう思いながら少女はもう一度じっと女の子を見つめてみる。
 にっこりと微笑んでいる女の子の大きな瞳。その瞳は深い慈しみの色をして、何故か自分の悲しみや怒りや色々な負の感情を、全部包み込んでくれる様に思えた。
 その何ら根拠のない直感に突き動かされて、少女はぽつり、と呟いた。

「あたしのおかあさん、かみさまのところへ......いっちゃった。」

 絞り出すような声が痛々しい。

「てんしになったんだって、とうさん、いってた。てんしになったから もうくるしまなくて いいんだって。」

 再びぽろぽろと大きな瞳からこぼれ落ちる涙の粒が、ルルアンタのピンクのスカートを濡らしていく。

「おかあさんがくるしむのは いやだけど、てんしになって とおくにいくのは もっと いやだよ......。」

 顔をどんどんくしゃくしゃにして泣きじゃくり始める少女に、どんな言葉も慰めにはならないと感じたルルアンタは、少し悩んでから膝の上の首飾りを少女の首にふわっと掛けた。

 少女の胸元に白い花達が優しく揺れた。

「あのね、ルルのお母さんもね、天使になっちゃったんだ。......お父さんもそのずっと前に天使になっちゃったんだって。だからルルはあなたの気持、よくわかるよ。」

 少女は自分と同じ年にしか見えないこの女の子が、母親ばかりか父親さえも失ったと言う言葉に驚き、思わず泣き声を飲み込んだ。

「だからルルはずっと独りぼっちでいたんだよ。......ずっと、長い間。」

その言葉に少女は大きく目を見開く。ルルアンタはいたわりに満ちた表情を浮かべ、静かに見守ってくれているように見えた。

 不思議な感情が芽生えて来る。それが一体何なのかまだ少女には解らない。

「じゃあ、あたしがこんなに ないてちゃいけないね。 おとうさんも おかあさんもいないルルが、こうして わらってくれているんだもん。」

 少女は白い首飾りをしばし見つめてから、両手でごしごしと顔を強く拭いた。何度も何度も。止めようと思ってもなかなか言う事を聞いてくれない涙が止まってくれるまで、ずっと、力を込めて拭き続けた。

 そんな少女の姿を、ルルアンタはじっと、まばたきもせず見つめた。
 草原を吹き抜ける風が少し肌寒くなり、遥か向こうの雲がほんのりと朱色に染まりはじめる。

 草原の向こうから、少女を捜しているらしい低い声が風に乗って聞こえて来た。
 ハッとして声の方に顔を向けた少女の頬は真っ赤に腫れて痛々しい。
 次第に大きくなって来る声に応える様に、少女はその場に立ち上がった。
 ルルアンタの目にも、背の高いシルエットがどんどんこちらに近付いて来るのが見えた。
 そのまま駆け出すかに見えた少女は、振り返るとルルアンタにその小さな手の平を差し出した。

「......えっ?」

 目の前の手にどう応えていいか解らないルルアンタは、小首をかしげて少女の顔を見返した。
 夕日を背にした少女の身体は、半分太陽の光に透けて見える。

「わたしは ラスティア。ラスティア・フリント。」

 そう告げる少女の顔は、シルエットになって表情を伺い知る事は出来ない。

 ラスティアと名乗った少女は、ぽかんとしたままのルルアンタの手をそっと掴んで引っ張った。
 並んでみると、二人は同じくらいの背の高さだ。

 戸惑うルルアンタに、ラスティアは初めて小さく笑顔を見せた。
 この笑顔を忘れる事は決してないだろうと、この時ルルアンタは思った。

 そして二人はゆっくりと、そのシルエットに向かって歩き始める。
 二人の少女はどちらからともなくしっかりと手を握りあった。

 大きなシルエットは立ち止まり、ゆっくりと両手を広げ二人をその腕に抱きとめようと待っている――。

Fin


HOME


03.9.22 UP

***************

これは、ラスティアとルルアンタが初めて出会った時のお話です。
お花畑のまん中で二人が座っている絵が最初に浮かんで、書き始めたのですが、これがどうにも難産で......。
書きたい背景があり過ぎて、でもいざ言葉にすると無駄に思えて。

最初は明るい出合いを想像したのに......。




© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: