ミューンの森~Forest of Mune~

ミューンの森~Forest of Mune~

女 心



「  女  心  」



 山の頂きへと続く白い石畳。いつもは軽快に一気に駆け登って行くこの道を、今日は踏み締めるようにして一歩一歩登って行く。
 名立たる貴族の屋敷が立ち並ぶ広い道の右手に、一際広大な屋敷が姿を現す。七龍家の一つ、リュ-ガ家の屋敷だ。
 以前ティアナ王女の所で、幼馴染みだというこの屋敷の当主との会話を思いがけず耳にした事があった。
 あの時私には直ぐ理解った。この冷たい美声の持ち主は、王女に秘めた想いを抱いている、と。嬉しそうにその男と言葉を交わす王女の声は、私を前にした時よりも一段高いキーで、言葉尻にほんのりと甘えたような響きがあった。腑甲斐無い婚約者の事をなじる素振りで、幼馴染みにまだ自分の心は誰にも捕らえられては居ないと言外に臭わせる事も忘れていなかった。

 いや。
 王女のあの時の言動には何の深い意味も無かったのだ。判っている筈なのについ意地悪く取ろうとする自分の勘ぐりにため息を着いた。


 はじめてあった時の王女は、窓から燦々と降り注ぐ太陽そのものの明るさと美しさで、私を驚かせた。外見の美しさもさる事ながら、民を思う優しさを持ちその上突然現れた私に怯えもしない度量も持っていた。エリス王妃の美しさそのままの愛らしい少女の姿に、あの時私はちくりと胸に何かが刺さったのを意識せずには居られなかった。
 それでも何度か王女を訪ねるうちに、私達は同じ歳同志の気安さもあってか、どんどん心を通わせて行った。そんな頃に私はあの貴族の青年の心に潜む、王女への深い思慕と、その婚約者であるゼネテスへのどうしようもないいら立ちを知る事になったのである。

 『ラスティア様は随分と逞しくお成りになりましたね。』
 以前、ティアナ王女を訪ねた時の彼女の台詞とクスクス笑いが蘇った。
 『以前は商人の娘、と言った感じでしたのに。』

 あの時自分が何気ない王女の言葉に少なからずショックを受けた事が不思議だった。
 まさしくその通り、自分は旅商人の娘であったし、その事を不満に思った事などなかったというのに、だ。
 優しい父、姉とも慕うルルアンタ。3人での旅の生活は決して豊かでは無かったけれど、毎日が楽しくて驚きや発見の連続だった。
 幸せだった。
 たとえ大好きな母を早くに亡くしたとしても。たとえ父に、私にひた隠しにしていた本当の姿があったとしても。
 そうだ、本当の私は旅の商人の娘などではなく、ロスト-ル王妃の密偵の娘だったんだよね......。

 あの台詞を聞いた時、思わず王女の透けるように白い肌に吸い付くような、最高級の衣で誂えられたドレスに目を向けた。
 自分の洗い晒しのごわついた木綿の服を生まれて初めて恥ずかしいと思った。
 自分の容姿に付いて考えた事もなかったのに、頬に泥でも付いていないか、髪は風に乱れていないかと、確認しようとする手を押止めるのに気力を振り絞らねば成らなかったっけ。

 あまりに違い過ぎる自分とティアナ様。

 それまではどうでも良かったその現実が、急に辛いと感じるようになったのは、もしかしたらあの時既に、私の心の大部分を占領し始めていた、あの人のせいかもしれなかった。

*****

 この大木の先を曲がると、城の正門が見えて来る。私は気を引き締めて、門番の目に触れないように素早く王女の所へと続く横道へと身を踊らせた。
 今日はいつもの3倍の時間を掛けてここへ辿り着いた。本当は今頃、リベルダムへと向かっている予定だった。あの人にも、夕べ酒場でそう告げた。朝日と共に出発するのだと。なのに私は今ここにいる。

 私があの人 ーゼネテスー に、仲間以上の気持ちを抱いていると自覚したのはいつの頃だっただろう......。兄を慕うかのように繰り返されていた彼を訪ねる日々は、いつしか私の喜びとなっていた。ロストール近辺の仕事だと聞くと、多少の無理をしても引き受けた。彼が居る筈のない旅先の街で、似た様な背中を見つけて追い掛けてしまった事も1度や2度ではなかった。
 時には駆け出しの冒険者の私には辛い戦いもあった。その度にあの人が私に言った言葉の数々を思い出して乗り越えて来た。

 この気持ちは私がはじめて異性に抱いた、大切な、想いだった。

 普段は服の中に隠している首飾りを目の前の城壁に翳すと、微かなキーンと云う音と共に宝石が一瞬輝き、ただの城壁にしか見えない所にポッカリと深い穴が現れる。
  私は暗闇の中に身を踊らせると、真直ぐ目的のドアへと足を進めた。


 暫くぶりに会う王女は、一段と美しさを増したように見えた。癖1つない流れるような黄金の髪。こぼれそうな程大きな瞳。小さな鼻の下に咲いた、薔薇のつぼみのような赤い唇。女の私でさえ見とれてしまうのだ。彼女が男性にとってどんなに魅力的か、想像に難く無い。
 暫く世間話に花を咲かせてから、話がこれから向かう予定のリベルダムに移ろうとした時だった。突然響いたノックの音に、私達は飛び上がる程驚いて顔を見合わせた。

「ティアナさま、ゼネテス様がお見えです、」

 私はドアの外から声をかける侍女が告げた、思いも掛けなかった人の名に思わず声をあげそうになって、寸での所で飲み込んだ。

 ティアナ王女は大袈裟に嫌そうな顔をしてみせた。

「......申し訳ありません、ラスティア様。お聞きの通り、お客さまの様ですわ。」

「では、私はこれで失礼する事にしましょう。」

 そういって席をたつと、王女はすがるような顔で私を見上げた。

「もし宜しければ、クローゼットの中でお待ちいただけないでしょうか?ティアナはもっとラスティア様とお話ししたいのです。」

 以前にも聞いた事のあるその台詞に曖昧に返事をして、私は慌てて部屋を後にした。
 そんなに嫌そうな顔をするのなら会わないと断れば良い物を。そう思ってしまった自分の浅ましい心が嫌になった。

 音をたてないようにクローゼットの扉を閉める。

「私をお訪ねになるなど、どう言う風の吹き回しですの?ゼネテス様。」

 微かに漏れ聞こえて来た王女の声に、背中を冷や汗が伝い落ちた。

「......いや、久しぶりに叔母貴に昼食の招待を受けていてね。」

 まぎれもないあの人の声に、私の背中に先程とは違った震えが走った。

「お母さまは何故かあなたがお気に入りの様ですものね。」

「お前さんの事を心配していたよ。我侭であんまり叔母貴を困らせる物じゃない。」

 その声に含まれる慈しむような響きを、私が聞き逃す筈はなかった。

  昨日、あの人は私をその胸に抱き、あいしている と耳もとで囁いた。
  愛おしいと思うのはお前だけだと。
  信じて欲しいと 囁いた。

 いつもはふざけた物言いの彼が、実は一本気で嘘を嫌うと言う事は、良く知っている。彼の言葉が真実だと言う事も信じてもいる。

 いま、あなたの台詞に混ざる慈しみは、大切な妹に向けられるがごとき感情だとちゃんと判っている筈なのに、それなのに激しく動揺する自分の心が、自分で理解出来なかった。

 だって、こんなにも美しい存在を、こんなにも気高い存在を、如何して彼が選ばないなどと思えるだろう。

「ゼネテス様がお相手していらっしゃれば、お母さまには私など必要ありませんの。それにゼネテス様も、私などよりお母さまの方がよっぽどお好きでいらっしゃるでしょう。」

 王女の言葉遊びを軽く受け流して、もう少し素直に母親と接してみる事だ、と諭す声の優しい響き。私と話す時には無い、違う種類の優しさ。それですら彼女に見せないで欲しいと思ってしまって、こんなにも自分の中に浅ましい思いがあるのかと愕然とする。
 こんな自分は嫌だ。
 こんな気持ちになってしまうなんて、恋とはなんて愚かな感情なのだろう?
 もうこれ以上聞きたくない、これ以上惨めな気持ちになりたくは無いから。
 思わず身じろぎした時、重い扉を隔てた所のあの人が、いるはずのない人物の気配に言葉を止めるのを感じた。息を飲む音まで聞こえた気がした。

 一気に恥ずかしさと自分に対する怒りといろんな感情がごちゃ混ぜになって、私は後先考えずその場を駆け出すしか無かった。



 もう此れ以上息をする事もままなら無いと思える程走り続けて、しらぬ間に迷い込んだ森の中で、私は道に這い出ていた大木の根に足を取られ、はでに道をころがった。左足に鋭い痛みが走り、回転しながらも舌打ちする。肩や顔にもカッと焼いたような痛みが走った。
 左の足首を捻ったのだと思った。痛みに耐えながら引き寄せると、既に腫れはじめているのが分った。我ながら情けないと思う。一体何をしているのだろうと涙が滲んで来て、それがまた悔しくて。身体が1つの血管に成ってしまったかの様に鼓動にあわせてどくどくと痛みが走る。立ち上がろうとして、また転ぶ。
 自分のぶざまな格好を想像して、思わず乾いた笑いがもれる。丈の短い草に被われた道に寝っ転がったままで、女性として自信を失わずにはいられない美しい人の姿を思い浮かべた。

 嫉妬。

 今の自分の感情を言葉にするなら、これなのだろうか?

 あの人を好きになって、その人を一目見るだけで幸せで、言葉を交わせたらもう夜も眠れない程で。そんな些細な事で幸せで居られたのに。

 思いもかけず大好きな人から最高の言葉を貰って、これ以上は無い程幸せな筈なのに。


 私は何時からこんなに欲深い人間になってしまったのだろう。
 一体何時からこんなに心の狭い人間になってしまったのだろう。

 こんな自分はいらない。こんな自分はあの人に見せられない。こんな自分は愛される資格が無い。
 嫉妬するなんて、あの人がくれた言葉を信じていないと、あのひとの真剣な思いをバカにするのと同じ事だ。

 判り切った事を何度も心で呟いて、散々泣いて。

 一体どれくらいそうしていただろう。泣き過ぎてもう体中の水分が枯れてしまったみたい。きっと腫れているだろう瞼は燃える様に熱くて、瞬きする度に眼球の冷たさが心地いい。ガンガンする頭を支えながらゆっくりと身体を起こすと、案の定熱を出した時の様に何秒か遅れて頭の中身がついて来た。

「いっつう......。これじゃあ、本当に今日は出発出来やしないわ。」

 宿ではきっとルルアンタがプンプン怒っているのだろうな。
 その顔を思い浮かべて思わず吹き出した。その途端頭を貫く痛みにへたり込む。

「くぅ~。嫉妬なんてしてるからバチがあたったのかなあ。」



***********


 傷めた足を引きずって、なんとか宿に辿り着いた時には昼をすっかり過ぎていて、案の定恐い顔をしたルルアンタにこってりと文句をいわれ続けた。これでもかと悪態をつき続ける癖にテキパキと私の怪我の手当てをする所がやっぱりルルだよなあ。

「だから昨日の今日で王女に会いに行くのは止めといたらって言ったのよ。」

「......仰る通りです。」

「ラスティアは器用じゃ無いんだから、一度に幾つもの感情に対処出来る訳が無いんだから。」

「......正にその通りでした。」

「おまけにもうすぐあの時期でしょう?あれの前って、ラスティアは絶対くら~くなるんだから。自分でも分ってるでしょうに。」

「......あ、そう云えば......。」

「......判って無かったな?もう。」

 湿布薬を塗って包帯を巻き終った私の足首をその膝からぽんっと放り出し、ルルアンタは床に落ちた足の痛みに吠える私を無視して大袈裟に頭を左右に振った。

「私達は神様じゃアないんだから。ドジも踏むし失敗だってする。些細な事で喧嘩もするし、嫉妬だってするんだよ。......それが生きているって事だよ。」

あっけらかんとした調子でそう言うルルアンタを思わず抱きしめると、あっさりとルルにその腕を剥がされてしまった。きょとんとした私にニヤッと無気味な皆笑みを浮かべて。

「ラスティアの話だとゼネさん絶対ラスティアに気ずいてるよね、そろそろ叔母様に暇乞いをしたゼネさんが此処にやって来る頃じゃ無い?絶対来るよ。あの人の事だもん。」

「か、勘弁してよう......。」

 ルルアンタの指摘にさあ、っと血の気がひいていくのが判る。一体どんな顔して会えってのよ。

「してくれると思う?」

「う~。だって心の準備がぁ。」

「あ、ほら噂をすれば......。」

 窓から覗いたルルアンタの発した声に、あわあわとベッドに顔を突っ込んで私はシーツを頭から被った。

「居ないからね、私は居ないから!絶対に居ないんだからね、良い?ルル!」

「嘘だよ、まだ来て無いよ。」

 可笑しそうに笑うルルアンタの声が憎らしい。

「全く、まだまだラスティアはお子様なのよ。ゼネさんみたいな男に恋するなら、それなりの覚悟も必要なのよ。これもいい勉強だわ。」

「ルルの意地悪!どうせ私はお子様だわよ。」

 半ばやけくそになって叫んだ私の頭を、シーツの上から優しくなでるルルの小さな手の感触があった。

「ラスティアの素晴らしさはルルアンタが一番良く知ってるよ。私は世界中で誰よりも、ラスティアが好きだもん。どんなに綺麗で素敵なひとが現れたとしてもね。ラスティアの代わりは誰にも出来ない。......ゼネさんだってきっとルルと同じ気持ちだよ。」

 ルルアンタの言葉を聞きながら私は目の奥がまたじいん、として来るのを感じた。ルルアンタの手はそっと私を撫で続ける。

 慈しむ様に
 許すように
 宥めるように
 ただ愛を込めて。


FIN
2003.11.14
*************************
駄目だ、眠くて推考出来ません......。きっと明日また若干の変更ありです。ちょっと無理矢理UPさせてしまった。
明日また、手直しします。ごめんなさい、です。(;´д`)トホホ






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