ミューンの森~Forest of Mune~

ミューンの森~Forest of Mune~

誰も知らない






誰も知らない



「え?ゼネさんの誕生日?」

まだ人気のまばらな夕方の酒場には、逢魔ヶ時と云う名前に相応しく紫がかった陽の光が差し込んでいる。酒場には似つかわしく無い爽やかなお茶の香りが満ちた店内には、ラスティアを含めて三人しか客はおらず、親父の野太い声は吃驚する程大きく店内に響き渡った。

「あわわ...そんなに大きな声ださないでよぉ。」

 こんな会話は誰にも聞かれたく無い。だからわざわざ開店直後のこの時間を狙ってやって来たのだ。せっかくカウンターに座り親父に身を乗り出して囁くように聞いたと云うのに、空しい努力になってしまった。

「...お。おう、済まん」

 毎晩酔った男達で溢れる店内で働いている親父の声はでかい。ラスティアは顔を真っ赤にしながら恨めしそうに親父を睨んだ。

「しかし、なんでまた生まれた日なんてのが気になるんだ?」

 不思議そうにそう言う親父の言葉に、やっぱり。とラスティアはため息を付いた。
 この大陸中の国がそうかどうかは知らないが、この辺りには誕生日-生まれた日-を祝う習慣は殆ど無い。
 王族や貴族はどうか知らないが、少なくとも庶民には無いといっていいだろう。

 一部の裕福な商人や豪農を除いて、一般の人々は毎日を無事に生きて行くことだけでも精一杯の世の中だ。気紛れな自然の神のご機嫌を伺い、厳しい取り立てを行う領主に怯え、ただ無事に明日を迎えることだけを願って生きている人々に、各々の誕生日を祝う心の余裕等ある訳が無い。新しい歳を迎えるその時に、人々は共に1才自分も歳を取り、この1年を無事に生き抜いてこれたことを神に感謝するのが一般的な誕生日の祝い方なのだから。

 しかしラスティアは幼い頃から毎年自分の誕生日を両親に祝ってもらって来た。母親が他界して、ルルアンタが新たに家族に加わってからは、ラスティアとルルアンタ、二人の誕生日を各々祝ってくれていた。別にこれと言った贅沢をする訳では無いけれど、『お誕生日おめでとう』の言葉で目を覚まし、共に幼い頃の幸せな思い出を語り合い、夕食は家族揃ってほんの少しだけ贅沢をした。たったそれだけの事。たったそれだけで最高に幸せな気持ちになれる日。
 ラスティアにとってはそれが誕生日というものだった。

 ゼネテスとは一番古い付き合いで、気心も知れている酒場の親父さんならもしかしたら、と思ったのだか、考えてみれば男同士で誕生日の話題で盛り上がるなんてある訳が無いだろう。それにあのゼネテスの事だから彼自身、自分の誕生日を気に掛けたこと等あるかどうか......。

「エリス王妃かティアナ王女に聞けば確実なんだろうけどなあ......。」

 親同士が決めたとは言えゼネテスの婚約者である王女に聞ける話題ではない。
 本人に面と向かって聞くのはいかにも意味ありげで恥ずかしすぎるし、もうラスティアはお手上げ状態で、とぼとぼと宿屋へと向かったのだった。

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 あの時から4ヶ月程が過ぎたと云うのに、ラスティアは今だにゼネテスの誕生日を聞きだせずにいた。あれから酒場へ行く度に親父にはにやにやされるし、飲んでいるゼネテスは親父のにやけた顔と膨れっ面のラスティアに呆れるしで、散々だった。後日、堪り兼ねたラスティアが、『にやにや笑いを引っ込めなければこの店を2度と営業出来ないくらいにぶっこわすからねっ!!!』と物凄い剣幕で乗り込んでから、やっといつもの状態に戻ったけれど、結局ラスティアは気恥ずかしくてなかなか酒場へ足を運ぶことが出来なくなってしまった。

「ねえ、ラスティア。」

 宿の柔らかいベッドに寝転んでため息ばかり付いていたラスティアに、おもむろにルルアンタが話し掛けて来た。

「今日ってゼネさんの誕生日だったよね。ゼネさんはどんな風に過ごしたんだろうね。」

「なっ、えっ?えっ?き、今日?もしかして、いま今日って言った?」

 がばッッと物凄い勢いで飛び起きたラスティアは、隣のベッドですっかり眠る準備を整えていたルルアンタに駆け寄った。

「そう、今日だよ。......あれ?もしかしてラスティア、知らなかったの?」

「知らないよ~!て云うかなんでルルアンタが知ってンのよ~!!」

 あれ程知りたいと思っていた事の答えはこんなにも身近にあったなんて、しかも其れを当日の夜になって教えられるなんて、ライラネートの神様意地悪すぎる.....。

「あれ?あたしラスティアに言ってなかったっけ?この事......?」

「聞いて無いよ~......」

 あまりの事にラスティアは冷たい床の上にペタンと座り込んでしまった。

「じゃあ良かったね、過ぎてから知ったんじゃ無くって。」

 ニコニコと笑うルルアンタの無邪気な顔を見て、ラスティアは喉まで出かかっていた文句を飲み込んだ。

「だって、今から一体何ができるって云うのよぉ......。」

 半泣きのラスティアとは裏腹にルルアンタは優しく微笑んだ。

「あら、あのゼネさんにとってはまだまだ宵の口ってもんでしょ?別に何かプレゼントする必要なんて無いんだよ、ラスティア。」

「......だあってぇ.......。」

 お母さんの様なルルアンタの口ぶりにラスティアの心が微妙に変化して行く。

「大切な事は、ラスティアの”おめでとう”と云う気持ちを伝える事でしょう?
ほんの一時でも側にいる事が出来たら、それでイイじゃ無いさ。」

「......うん。」

 動かないラスティアに代わってルルアンタはベッドを出て、テキパキとラスティアの出掛ける準備を始めている。
 髪に櫛を通し、普段は何の飾り気も無いラスティアの顔にほんのりと紅をさす。

「あっ、ルル嫌だよ。」

 慌てて手の甲でぬごおうとするラスティアをひと睨みで静止させて、ルルアンタはその出来上がりに満足そうに頷いた。

「さあ、行っておいでよ。昼間はもしかしたら家の方でお祝か何かあったかも知れないけど、この時間ならきっといつもの酒場で飲んでると思うよ。行っておめでとうだけでも言っておいで。」

 尻込みするラスティアの背中を叩いて立ち上がらせると、ルルアンタはその小さな手でラスティアの手をぎゅっと握った。

「そんでもって、出来れば一緒に乾杯でもしてあげなよ。いいね?」

「うん、分った。......ありがとう。ルル。」

 ラスティアは突然の展開に緊張して、足を縺れさせながらやっとの事で宿の階段を降りた。通りに出て宿の2階を振り返ると、予想通りルルアンタがにこにこしながら小さな手を振ってくれていた。
 驚きと戸惑いから、緊張へ、そして今ラスティアの心はほんのりとした暖かさに包まれた。

 ゼネテスはいつものようにあの酒場にいるだろうか。
 今の自分を見て、いったいどんなかおをするだろう。きっと具合でも悪いのかとおでこに手を当てて熱を計られるに決まっている。それともあの、情けないような顔をして微笑むのだろうか......?



 通りを小走りに酒場へと向かうラスティアを見送りながら、ルルアンタは小さくほぉ、と息をついた。

「全く世話か焼けるったら無いわね。」

 部屋へ戻ったルルアンタは再びベッドに潜り込んだ。

「全く、ルルがこんな大事な事うっかり言い忘れるなんてある訳無いでしょう。ラスティアもゼネさんの事になると盲目なんだからなあ......。」

 ラスティアはことゼネさんに関しては、考え過ぎる傾向があるとルルアンタは思っている。考え過ぎて心配し過ぎて結局大した事も出来ずに終ってしまう。だからこんな風に慌てふためいて行動した方が上手く行くのだ。お互いが魅かれ合っている事等とっくの昔にお見通しのルルアンタにとっては、いつまでも進展しない二人の関係はもどかしい事この上ないのである。
 狙った通りの展開になった事に満足してルルアンタは大きな欠伸をした。

「ゼネさん、お誕生日おめでとう。今ルルからのプレゼントがそっちに向かったからね。」

 ルルアンタは満足そうにそう呟くとゆっくり瞳を閉じたのだった。


2003.12/18up
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愛するゼネさんのお誕生日記念。
......というわりには肝心のゼネさん全く出て来ませんがな。

まあ、でも、ゼネさん的にはこの後幸せかと......σ(^_^;)アセアセ...

ごっごめんなさいぃ(自爆します)


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