バス停地名学のすすめ

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2010.02.18
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カテゴリ: 新宿区

◆所在地:新宿区 ◆路線:都営バス[飯64]系統他

みなさん、こんにちは。

かつての都電15系統は、江戸川橋から目白通りに入ると、ぴたりと寄り添う神田川を左に見ながら、飯田橋方向へと走っていました。現在の江戸川橋から下流の神田川は、高速道路下の日の当らないじめじめとしたイメージでしたが、ここ数年の護岸改修と老朽化した橋の架け替えで、ずいぶんときれいに変貌を遂げました。

江戸川橋から歩き始めると、まず最初に見えてくる小さな橋が華水橋で、橋名の由来は定かではありませんが、かつてこの神田川沿いが桜の名所として知られた頃の景観と関係があるのかもしれません。その次の橋が掃部(かもん)橋です。この付近の神田川は、左岸側には歩道がなく、マンションや雑居ビルに混ざって昔ながらの商家や木造アパートなども護岸に面してびっしりと建ち並び、下町的な街の表情を見せています。掃部の名は、近くに吉岡掃部という紺屋が住んでいたことに因むといいます。

そのすぐ先が、古川橋です。江戸時代、将軍鷹狩の際の通路として使われていた橋といわれ、幕府管理下の御入用橋だったとされます。このあたりの神田川を、古くは古川と称した時期もあるようで、橋名はこれに因む他、橋の南詰側には、住居表示施行の昭和42年まで、西古川町、東古川町の町名が並んでいました。また、このあたりにはかつて薪の粗朶(そだ)を商う者が多く住んだことから、粗朶町の別称もあり、橋も粗朶橋と呼ばれることがあったといいます。

古川橋を過ぎると、次が石切橋で、ここがかつての石切橋電停の跡地であり、現在も都営バスの石切橋バス停が立っています。寛文年間(1661~73)の創架といわれる古い橋で、このあたりの橋としては最も幅員の広い橋だったことから、江戸期には大橋と称したともいわれます。石切とは、すなわち石工のことで、付近にそうした職人が住んだことによる命名と思われますが、こちらもその由来は定かではありません。

(次回へつづく)

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最終更新日  2010.02.18 23:09:56
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