例えば私が詩人や作家でも良いですし何かしら作ることに携わる人間ならば
それは作品として残すことで実現出来る可能性があります。
しかし現実はただの雇われ人に過ぎません。
毎日与えられた仕事をこなし、決まった時間を拘束されます。
そしてその対価として毎月報酬をもらい、日々同じような生活を送ります。
この生活の中で、私が生きてきた証を残すことなんて出来るのでしょうか。
恐らく私だけではないと思います。
毎日単調で自分の証を探している人は他にもいると思います。
実際何をどうしたら良いのか、答えが見つからないまま不安になっている人が。
私は毎日晩酌をするのですが、ふと正気に戻った時に
これで良いのか?といつも思います。
人は私もそうですが、 自分だけは違うと思いがちです。
自分の人生ですから、主役は自分であるに当然なのですが
そんな自分を特別視しがちです。
退屈な日常に対して文句を言いながらも
心の中ではでも自分はいつかこの生活から抜け出せるのは?と淡い期待を持ちます。
そしてその淡い期待が、今日もこの生活と私とを繋ぐ訳です。
こうしている間にも夢に向かって突き進んでいる者もいれば
その夢を叶えようと邁進している者もいる
程度の違いこそあれ必死になっている人間と
現実に甘えて動かない人間がいるこの世界です。
果たして自分はそのどちらなのか。。
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現代の技術によって、 生きてきた証を残すというかなり文学的な命題が精密に実現出来ることが可能になりつつあります。
それは進化し、今や一日中手放せなくなったスマホにはじまる各デバイス機器です。
これらを駆使することで、今まで記憶という限られた媒体の中でしか再現出来なかった過去や記録が
蘇り、そして他人と共有することさえ可能にします。
それを証にしようではないかと思うのです。
果たして自分の毎日がどのくらいの容量なのか?非常に楽しみです。
タグ: thinking
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