娘と私は母娘という血縁以上の絆で結ばれていました。
戦いの最も厳しい戦場の、最前線で共に戦った戦友のような絆で、
最後の母の日に着うたフルで、「母賛歌」という歌をプレゼントしてくれました。
歌の内容は私たち母娘のことをまさにそのまま表現したかのような内容でした。
娘は昭和59年2月生まれ。
歌の内容も「あれは昭和59年、私が生まれた故郷は3月の春を運ぼうとしていた時だった」
娘と全く一緒です。
「父はいませんがなぜだか笑って暮らせていた」
「母よ、母よ感謝してます。私を生んでくれてありがとう」
最後の頃、娘は「私はお母さんの子に生まれて幸せや。私を生んでくれてありがとう」
と、いつも言ってくれていました。
最後のメールは「来世も貴女の子でありますように」と。
娘が生まれた年は、今年の冬のように全国的な大雪でした。
明石でも30cmくらい積もりました。
娘のこれからの厳しい人生を象徴するかのように・・・
この曲は、葬儀屋さんの計らいで告別式に流されました。