だったので、
本日は、バイク遍歴を。
初めて乗ったのは、
ヤマハのMR50、って言う
オフロードでした。
5才年上の兄貴のでしたが。
黄色い車体で、シート高も高かったです。
友達は「イモアール」とか言ってました。
中3ぐらいだったかな?
実家の豚舎の敷地内で
よく運転の仕方を教わった物です。^^;
あの、クラッチを切りながら
ギアを変えてくのが難しくてね、
兄に激しく怒られながらやったものです。
あの教え方が厳し過ぎたから、
未だに運転技術が上がらないような気がする。
休みには、友達と
そのお母さんのホンダカブをこっそり
借りて、村の道を疾走したもんです。
しかし、これが学校にばれて
こっぴどく怒られました。
高校に入って、正式に免許を取り
兄の使わなくなったMRで通学してました。
たしか、学校まではダメでしたが、
最寄り駅までなら良かったはず。
しばらくはMRでしたが、これが古くて
故障も多く、昔は始動がセルじゃなくキック。
これが掛からない時は全く掛からない。
故障とは関係ないけど、正月休みに
友達と走り回ってたらMRがガス欠に。
友達が
「近くに家のトラックがあるから
そっから油を貰おうや」と。
懸命な方ならお分かりでしょうが、
バイクはガソリンで、トラックは軽油ですね。
当時の高校生はそんな知識も無く、
軽油をバイクに入れてしまいました。
するとどうなるか?
マフラーから真っ白い煙が出るだけで
走らない、走らない。
そんな事も有りつつ、MRご臨終。
次に乗ったのが、ホンダのCB50。
隣の1こ上のお兄さんが、
CB400SFだったかな?に乗り換えて
5千円ぐらいで譲ってもらいました。
このバイクも乗り易かったけど
いかんせ50だからパワーが無い。
田舎の帰り道の坂を
必死に登ってると、
横を隣のお兄さんが凄い勢いで
追い抜いて、すぐに見えなくなりました。
あの頃から大きなバイクに憧れました。
早川光の「750ライダー」ね。^^
マスターのモンキーも良かった。
このCBもあまり調子が良くなく。
程なく買い替えた気がします。
この頃はスクーターを改造して乗るのが
流行ってました。
そんな雑誌もやたら有りましたね。
モトチャンプとか好きでした。
皆んな呪文のように、
「チャンバーにタイヤはピレリーに
エンジンはボアアップじゃな」
とか言ってたものです。
そんな時、学校帰りのバイク屋さんで
見つけたのが、ヤマハのパッソーラ。
少しスリムのパッソルも有りました。
八千草薫さんがCMしてましたね。^^
新聞配達でコツコツためた1万円で購入。
これが、バイク屋さんから家に帰るまでに
エンジンが焼き付いてしまいました。TT
無料で修理してくれましたが、
これがケチの付け始め。
元のカラーが茶色だったので、
スプレーを買って来て自分で塗り直しました。
よく友達が、「この辺で寅見なかった?」
と後輩に聞いてると、
「あぁ、あのきさねー(汚い)色のスクータに
乗っ取る人じゃろ」
みたいな出来でした。
このパッソーラが歴代の中で一番パワーが無かった。
お正月の新聞配達の量は倍になるので、とても坂を
上がれないと思い、友達のホンダタクトを借りました。
このタクトかっこ良かったですよね。
力もあって楽々坂を越えました。
雨で、カッパのフードで前が見えず溝に落ちましたが。
この頃、あのMRに軽油を入れた友達は
ヤマハのRZ350に乗ってました。
250じゃなく350ってのが渋いね。
よく後ろに乗せてもらいましたが、
加速が凄くて、振り落されそうでした。
CBを譲ってくれた隣のお兄さんは
庭先に、CB400をよくキーを付けっぱなしで
停めてました。
まぁ、乗りたくなるよね。^^;
友達と交代で田舎道を走りましたが、
実際運転してみるととても乗りこなせない。
Uターンで倒してしまいました。
そんなしょっぱいバイク歴は高校で一旦終了。
すぐに就職したGSでの同僚はCBR400を
乗ってましたが、さほど食手は動かず。
19才でフリーターになり家の仕事を
手伝ってましたが、
人間行き詰まった生活をしてると、
何となくもがきたくなる物です。
生活環境を変えようと近くの自動車学校に
中免を取りに通いました。
意外とすんなり教習も進んで、
試験も一発で受かりました。
で、バイクは買いもせず、
車を買ってもらったから
ますます遠ざかって行きました。
何で免許取ったのか未だに不思議。
その頃一つ上の兄は、
ホンダのクラブマンに乗ってましたが
さほど乗りたい気分はしませんでした。
まぁ、新車だったし傷つけると怒られるし。
そして、愛知に移って1年ぐらいだったかな?
会社の先輩とクルマでバイク屋さんの
前を通ったら、ホンダのVT250を先輩が
気に入ったらしく購入。
何気に店内を見てると、
ふと、ヤマハのTZR250が目に止まりました。
フルカウルにシングルシート。
あの、赤白のヤマハカラー。格好良かった。
2年落ちぐらいで、15万位だった気がする。
もう、バリバリ伝説の流行の頃でしたから
私も出社前に1時間位峠に出かけて、
そんな真似事をしたもんです。
今思うとまるっきり遅く、恥ずかしいんですが。
会社の社長も面白く、
「おい、折角朝走るなら
牛乳でも配りながら走れよ」
確かに・・・
意外とミーハーな私。
次に買ったのが、川崎のニンジャ400。
それも、あの緑と白のいかにもって奴。
もちろん中古で、20万位したかな。
これで渥美半島とか近場を
よく回りました。
これも直ぐ壊れちゃったな。
動かなくなって、バイク屋まで持ってくのも
面倒くさかったので、車の修理屋に持ってくと
かなり修理代が掛かるそうで、
今だったら、輸出業に3万位で売れるよと。
即売りました。
乗り継ぎじゃなく、突然バイクが無くなると
結構、次のバイク購入が億劫になる物です。
私だけですよね。^^;
その頃、実家の父が体調を崩して
手術するも余命1年と診断されました。
その年のGWに願掛けじゃないですが、
ヤマハのXJR400を買って、
愛知から宮崎まで高速で帰りました。
無事に着けば父も良くなるかなと。
納車が出発前の前日だったので、
高速は80キロの慣らし運転です。
久しぶりのバイクで、しかも雨だったので
丁度良い位でした。
5月でも寒くてね、トンネルの中が
暖かくて、トンネルが待ち遠しかった物です。
トラックの排気熱もありがたかった。
愛知を朝の5時位に出て、
実家に着いたのは、明くる日の6時位でした。
ほとんど休みなしで走ってこの時間です。
居間で寝てると、実家療養してる父が
いつの間にか、私のバイクブーツを
椎茸の乾燥機に入れて乾かしてました。
そんなこと絶対にする父じゃなかったので、
少し悲しくなったことを覚えてます。
このXJRですが、真っ赤な車体でマフラーも
最初から集合管。
とても400には見えない程大きかったです。
それでも取り回しは楽でした。
が、なんせ乗らなかったな。
あんまり乗らないと、
タンクの中のガソリンが固まるそうです。
それをやってしまって、キャブの修理代が
かなり高かった。
会社も社宅の駐車場も狭くて、
バイクなのに邪魔者扱い。
仕方ないので、500m程離れた
会社の倉庫の2階に停めてました。
休みには、倉庫に行って
荷物用エレベーターにバイクを乗せて
このエレベーターが壁が無くて
柱だけのとても怖い物でした。
そして1階に降ろして、出発と。
こんなんでしょっちゅう乗れるか!
それでも最後は何とか会社に
駐車場を確保しましたが。
その頃、仕事で人間関係に行き詰まってて、
又このパターンかい。
髪をアッシュにしたりロン毛にしたりと
中学生のような事をやっとりました。
その一環で?
そうだ限定解除でもしようと。
う〜ん、どうもバイク愛が感じられない。
それで、教習所なんですが
ここが中々のスパルタで、
プレッシャーが半端ない。
基本、褒められて伸びるタイプなので
ビビっちゃって全然上達しない。
最初の試験でも一本橋で見事落ちて
不合格。
教官から、
「お前、一本橋下手すぎる」と。
2回目の試験は、
「もう、これ以上は会社を休めない」
の最強のプレッシャーで、
試験のプレッシャーを上回り見事合格。
もう1本橋なんかは、落ちなきゃ良いわ
思って、6秒位だったかな?
とうとう念願の?限定解除です。
実は、ずっと憧れていたバイクが有ります。
実家で仕事してた時代、
農協に飼料を取り行ったとき
それは駐車場に停まってました。
真っ黒で無骨なスタイル。
もう、浜省ね。
「♪いなず〜〜まが〜」
ホント、駆け抜けました。
ヤマハ「V−MAX」
まさか乗れる日がくるとは。
バイク屋のおっちゃんが、
「いやいや、最初は750位から始めないと」
のありがたい忠告も無視して、
新車現金購入。
友達にバイク屋さんまで乗せてもらい、
引き取りに行きましたが、
初めての大型バイクが1200ccですからね。
おっかなびっくりで帰った記憶があります。
またミーハーな私は、調子こいて
カナダ仕様を買ってしまいました。
逆輸入車になるんですが、
あれって、ホントに日本から船に積んで
海外に一回降ろしてから持って来るんですね。
う〜ん、運賃が勿体無い。
このカナダ仕様にはVブーストってのが付いてて、
ただでさえ凄い加速が、6000回転を超えると
さらにぶっとい加速が来るとか。
私は使った事有りませんが。^^;
海外仕様だけあって、何だか
クラッチやブレーキレバーが遠い感じ。
丁度?
Uターンに失敗してクラッチレバーがぽっきり、
この時の車体起こしは早かった。
重量が300キロ近く有るけど、もう恥ずかしさが上回ります。
それで、調節出来るタイプに交換してもらうんですが、
ついでに、ウインカーを透明にしたり
バックステップに変えたりと
カスタムの真似事をやってみました。
そうそう、VーMAXのタンクはダミーで
燃料タンクは、シートの下に有ります。
それでニーグリップが出来ないので、
ニーグリッププレートを付けたな。
でも、板が弱いのであんまり強く締め付けるなと。
しかし、見直してみると、
ノーマルの方が格好良いかも。^^;
燃料容量もあまり無く燃費も悪いから、
ツーリングでは満タンで出発しても
どっかで入れないと帰って来れない。
で、肝心の乗り心地はと言うと
重心が低いせいか、走り出すと
安定してますね。
とても1200ccとは思えない程扱いやすい。
そんなに攻めなければ、コーナーも
素直に曲がってくれるし。
しかし、シート幅が広いので
足付きは悪いです。足の長さも関係しますが。
信号待ちの時は、片足をずらして
もう片足を完全に地面に付ければ安定します。
そして、取り回しが大変。
駐車場から出すだけで一苦労。
だから段々ちょい乗りなんかしなくなる。
信号待ちでバッテリーが上がる程でした。
高速なんかでもパワーの半分も使ってない、
それでも怖いくらいのスピード感なんですが。
こりゃあかん。
このままではバイクが嫌いになる。
いくら好きな娘でも、
自分が相手に見合わなければ
どちらも不幸です。
しかも、このころは独立してましたし。
経営もヤバかったので、
こんな贅沢してる場合じゃない。
(でも、バイクには乗りたいのね)
それで目をつけたのが、車検も無い250。
やはりメーカーはヤマハ。
そして軽そうな、セロー250。
色は、カモシカカラーのいかにもってのを
わざと外して、濃紺。^^
結局V-MAXは3年で5000キロ程でした。
次の人はラッキーでしょう。
ほぼ新車状態のエンジンです。
いい人に巡り会えてくれればです。
たしか、50万位で下取ってもらって
追い金が10万程度でした。
そして、このセローを現在まで
乗り続けている訳ですが、
いや〜、楽しい。
事業が上手く行ってなかった時代なので
気分転換が出来ました。
バイクがこんなに楽しい物だったとは、
再確認です。
街乗り、高速、オフとシーンを選びません。
まぁ、高速での安定感はあまり求めないで。
80キロ位なら全然大丈夫。
セローでも一度、実家に帰りました。
この時は余裕があったので、広島のSAで仮眠しました。
と言っても、休憩室のマッサージチェアーですが。
行きは良かったけど、帰りの広島辺りのトンネルを
抜けたとたんに土砂降り。
後ろからは車が来てるからスピードも落とせないし、
一瞬「終わった」思いました。^^;
当然、新車時はオフ用のタイヤが付いてる訳ですが、
これで高速を走ると変な減り方をするとか。
そろそろ交換しようとしたら、
バイク屋のおっちゃんが
「寅さん、オンロード用のタイヤにしたら?
どうせオフロード走らんでしょう」
よ、読まれてる。
確かにほとんど走ってません。
バイクのタイヤがまた高いのよね。
前後で3万でした。
で、当たり前だけど
このタイヤが快適です。走り易い、走り易い。
タイヤって大事なんですね。^^;
このセローに純正のキャリーを付けて、
キャリーBOXを乗せると便利ですよ。
夏の突然の夕立とかの時、
雨具を入れとけるし、会社におやつやコーヒーを
持って行くにも使えます。
最近は登山にも使うから、
ちょっとはオフローダーかな?^^
とりあえずは、身体が動ける内は
バイクには乗っていきたいですね。
アンチエイジング、若返り効果もあるとか、
何と言っても、ガソリン代が安い。
結局それかい。orz
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