桐蔭学園では実績を残せなかったが、首都大学リーグ2部の桜美林大進学後に素質が開花。1年秋からレギュラーとなり、4年時には主将を務めた。父の川相ヘッドと同じポジションの遊撃で1度、二塁で2度ベストナインに輝き、13年3月に桜美林大を卒業。今春まで同大のコーチを務めたが、現役への未練を断ち切ることはできず、復帰を決断した。7月には米国に渡り、アマチュア選手で構成されるテキサス州の「ウインターリーグ」でプレー。約1カ月滞在し、14試合で打率・405をマークした。
これまで大舞台での華々しい実績はない。だが、父も82年のドラフト4位と入団時の評価は高くなかった。その後投手から遊撃手に転向。地道な努力を重ね、89年にゴールデングラブ賞を初受賞した。中日移籍後の06年10月15日の横浜戦(ナゴヤドーム)では、自身の引退試合の中で、前人未到の通算533犠打を記録。ギネス記録としても認定されている。偉大な父のDNAを受け継ぐ拓也氏も、入団後に飛躍する可能性は秘めている。
【このカテゴリーの最新記事】