本作は将棋をテーマにした珍しい同人ゲーム。少年の夢がテーマのノスタルジー青春モノ
主人公桂一は夭逝したプロ棋士の息子であり、自身も小学生の将棋チャンピオン。だが父の死によって意気消沈し、将棋を辞めてしまっている
天才、神童と謳われ、勉強も大変によく出来る。
だが小学生にして自信家で驕り高ぶった性格のため、友達もおらず夏の田舎で一人くすぶっていた。
そんな中、唯一相手にしてくれるのがブラコンの妹ハルカだけってのが悲しい。
なんか兄貴と結婚したがるほどの超ブラコンはゲームや漫画だけの存在だが、 主人公が自尊心の塊なところとかが変にリアリティある
桂一はふとした切っ掛けで神社の裏にある森で知り合う不思議な少女、「杏」と将棋を指す。自信過剰でナメてかかるも、あえなく返り討ち。完全に自信を粉砕される
最初は信じていなかったが、猛暑でも汗一つかかない、途轍もない棋力を持つ彼女を、杏の樹の神様と認めることになる
髪の毛はピンクだし、 耳、トガってますよ?
どう見ても人間じゃねーだろ
こういうキャラって大抵一人称がわらわとか儂だけど、自分を「わたし」と呼ぶのがちょっと珍しくて、違和感ある
▼作中で何度もある対局シーンだけど、作者の文章力が高いこともあり、非常に臨場感がある。
また、私は将棋に詳しくないが恐らくキャラクターの棋風をちゃんと反映した指し方だと思われる。そこが面白かった。
しかも 将棋の知識がなくてもなんとなく戦局が分かるし、何より面白い というのが、かなりの表現力で、唸るしかない。
ヒカルの碁にしろアイシールド21にしろ、ルールが分からなくても面白いと言われた名作だからね
実際に作中で言われてるような高度な指し手なのか、というのは不明。参考文献もクレジットされてないが、どの程度の棋力なんだろうか。棋譜は作者による自作なのか、これも不明
▼最初は将棋馬鹿だった桂一も、杏と友達になったことで人間的に幅が開き、大悟など、学校の友達もできる。
そして将棋の名人になるという夢のために、全力で突き進む。毎日のように杏のもとへ通い将棋を指し続ける
いいね。いかにも小学生って感じで、頭がいい設定でも、単純。
大悟は更に単純で、敵視してたのにあっさり友達になっちゃう。なんか、やはり妙にリアルだ
少年漫画の王道ストーリー で、まさに努力勝利友情といった具合だ
▼クラスメイトの少女カノンも交え、このままこの夏がずっと続けばいいのに…と願って止まない桂一だったが、ある時を境に徐々に杏の記憶が曖昧になっていくことを感じる。
既に大悟の記憶からは消えている杏…
桂一は忘れそうになる頭を叩き、血を流しながらも杏の元へ…
そこで杏との最後の対局。桂一が勝てば神の力で桂一から杏の記憶は消えない。だが桂一は自暴自棄になる、負けたら自殺するとまで言う
決死の対局で一時は勝利を確信するも、全ては神の掌の上だった…将棋では困難とされる引き分けに持っていかれてしまう
杏との別れ。そして涙を流しながらもプロになることを誓う。
▼うーん、実に感動的なシーンだ。プライドの高い少年が純真に夢を追いかけるまでを見事に描けている。 この後、ひと夏の経験で成長した桂一はプロになって、様々な強敵を打ち崩していくのだろうな
と、確信めいた感情を抱きながらも、ここで第一部終了
え?終わり?まだ長いストーリーの序盤って感じだが…
だがちゃんと続きがあり、タイトル画面に戻ると背景変更+新章追加
▼第二部 夏ゆめ彼方 、スタート
冒頭、一部までの夢を見ていた桂一が起きる。時刻は既に夕方である
舞台は唐突に17年後。展開、早っ!!
あ、引き分けだけど一応記憶は残ってるのね
そして一階に降りると、部屋にいたのは大人になった妹ハルカ。
「随分遅いおはようね」 と言われる。
これは少年時代に妹の寝起きが悪いことで桂一が言っていた冗談めいた皮肉だったのだが、今度はそれを、そのまま返される…
そう、余りにも冷めた目で…
…あっ(察し)
【超絶悲報】桂一、夢やぶれて引きこもりのクズニートになっていた
かつて兄のことが大好きで、将来はお兄ちゃんと結婚するとまで言ってた妹も、
今では桂一をクズニート扱いしています(実際クズニートなんだけど)
ええええぇぇええぇぇぇぇ……
とは思ったが、実をいうと少しだけ予測していた未来でもあった。桂一は賢い子だけど、同時に同じくらい精神的な脆さや危うさがあると…。
プロ棋士になれるのは26歳まで。そして桂一はこの時既に28歳… つまり、もう完全に夢絶たれた状態
兄のような勉強も出来る天才児ではなくとも、ハルカは大悟と結婚し、公務員になり堅実かつ幸せな人生を歩んでいます。
(女が苦手な大吾がハルカのことだけは妙に気にしていたのは、ただの雑談シーンではなく、伏線だったんだね…芸が細かい)
そして30半ばと若かった母親も当然年老いて、今は50代の中年女性。実際はもっと老け込んでいるんでしょう…
所詮、十で神童十五で才子二十過ぎればただの人
将棋にすべてを賭けた、将棋が夢であり人生のすべてだったために、夢やぶれてすべてを失った桂一。まともにアルバイトすらしたことがないので、社会性も0。
神童の主人公を羨み、頭も悪く、何の取り柄もなかったガキ大将、かつての親友大悟は、
それでも大学を卒業し就職、ハルカとも結婚し、堅実な人生を歩み、
イケメンの青年に成長していました。
そして人生に挫折した桂一に、余りにも辛辣な言葉を浴びせます
とはいえ大悟、やはり同じ男だからなんでしょうかね、挫折した人間の辛さが分かるのだろう。
辛辣で完全に失望しているハルカに比べて、かなり思いやりがあるんですよ。 やはり持つべきものはブラコンだった妹なんかより、親友です
そんな大悟の優しくも現実を思い知らされる、「お前はよくやったよ」という慰めの言葉を振り切り、将棋なんてやらなければよかったと後悔し疾走する桂一は、呼び寄せられるように自然と杏のもとへと向かう
▼そこで再会したのは昔と何も変わらない杏だった
17年分の思いのたけをぶつける桂一を、杏は母親のように優しく抱きしめます
ここまでほとんどのシーンで主人公より年下のふざけた少女として描かれてた杏。しかも現在は桂一との外見の年齢差が大きく開いているにもかかわらず、 その姿は本当に母親のよう
17年ぶりに杏と対局し、将棋が楽しかったという事実を思い出します。型に拘らず好きな将棋を指す桂一。そしてあの夏の楽しさを思い出し、初めて杏に勝つ
杏とはこれで本当にお別れだけど、大切なものを学んだ
自分の夢はかなわなかったけど、将棋で学んだことは忘れず、将棋が好きだったことも忘れず、人生をやり直そうと改めます
もうプロにはなれないけれど、大好きな将棋を、アマチュアや趣味としてでも楽しんでいく。
そしてこれまでの将棋歴で知り合った人間とも、酒を飲みかわしながら将棋を指す
この一連のシーン、青年の更生シーンとして実に綺麗ですね。将棋が好きな人間が酔っぱらって将棋を指すというのがちょっと引っかかるものの(ヒカルの碁でもそんなシーンあったな。酔っ払って碁を打つ緒方に、藤原佐為が失望する場面)、主人公が新しい仲間を作った、という描写の演出としては必要かもしれません
アルバイトも始め、ハルカや大悟、母親も喜んでくれている
夢はかなわなかったけど、なんとか正社員としての働き口も見つけ、順風とはいえないまでもハルカたちのように堅実な人生を歩む桂一
▼更に月日は経ち、桂一くんは41歳になっていました。あの神社で子供たちに将棋を教えていて、オッサンと呼ばれています
ジャンル「青春ノスタルジー」ということで、せいぜい20代後半までのストーリーを想定していたので、完全に中年のオッチャンになるまでやるとは、想定外ですね
かつて更生し堅実な人生を歩んでいた彼だったが、ある時ふと、 まだプロになれる可能性が、たった一つだけ残されていたことに気づきます
それがプロ編入試験。
普通にプロになるだけでも大変なのに編入試験となるとさらに激化し、やっと掴んだ安定した人生を捨てて、会社を辞めないと成立しないほどの困難。
折角自分を拾ってくれた会社の人間の顔に泥を塗ることになるも、会社の人間もハルカたちも温かく送り出してくれて、 本当にこの世のものとも思えない優しい世界です
つい数十分前まで 妹にクズニート扱いされていた 桂一くんとは思えない
その困難に打ち勝ち、41歳にして見事プロになりました。
年老いた母親も喜びの余り涙を流す。早死にした夫のこともあり、 実は一番感情の動きが激しかったのは母親であると容易に想像できます
本作品、女の子のキャラが可愛くていかにもダブルヒロインのギャルゲーと思わせていながら、本編に恋愛要素は一切ありません。これが徹頭徹尾されたテーマで、今時こんなゲームは珍しい
普通なら桂一と杏は絶対にどこかしら恋愛絡みで描かれそうなものだが、最後まで友情、師弟愛、そして最後は親子愛として描かれて、恋愛要素は最後までカケラもありません
杏が母と表現されていたり(母なる大樹という言葉もあるし、一人称が「わたし」なのも母親感を出すためだったのかな)、どうも 隠されたテーマとして「母親」や「母親の愛」というのがある と読んだ(それにしてはレトルトカレー出してたが 笑。母の厳しさか)
でも、そんな重要キャラである母親に、立ち絵すらないのが惜しいですね。
母親というかこのゲーム、 絵が少ない。
前作と画風が変わっているけど、枚数が少ないのが相変わらずなので、作画担当にはもう少し頑張って欲しかった。室内でも帽子を被ってたり、おかしいシーンも多いしね…
▼41歳でプロになった桂一は、また導かれるように杏の樹へ向かうも、杏は姿を見せてくれない。
だがそこで代わりに出会ったのは、いかにも生意気といった感じの、かつての自分を思わせる少年…
桂一は少年に思いを託し、子供たちの元へと戻るのだった…
背中に温かい視線を受けながら…
イイハナシダナー!!!
いや、もうね…バカかと、アホかと。
泣かせるなよ…問題児の癖に…
▼このラストシーン、序盤で桂一が年老いた男と、杏の樹の前で出会うシーンと同じ構図になってるんだけど、これは杏が少年たちを1000年に渡って導いてきた、ということを一瞬で理解させる素晴らしい演出だね…(SFではたまにあるシーンだが、その場合、老人は年老いた桂一だろう。「あれは私だったのか」っていうね)
老人のシーンは何かの伏線だとは思ったが、まさかラストシーンに使うとはね、実にお見事
シナリオは申し分ないどころか、同人ゲーム史上でも最高傑作に等しいデキで、ラストシーンで杏が大樹に寝そべっているシーンでは、正直泣きそうになった。
伝奇なのは建て前で、作品の本質は夢とは、人生とは、という非常にリアリティ溢れたものなので、そこに惑わされずプレイし、かつ共感出来れば、またとない名作です。
ファンタジーといういかにもゲーム的要素を持ちながら、その実中身は現実派というのが素晴らしいギャップ
将棋の知識はむしろない方がいいかもしれません。 あると編入試験のことが読めちゃうだろうし
無名のゲームだしそこまで大きな期待はなかったのですが、大変満足。というかこれだけのクオリティで、何故無名なんだ?そこが信じられない。
評価S+
100点
当ブログで初めて満点、しかも+をつけます。
隠れた名作。伝奇の皮を被った将棋大河浪漫。やってよかった
▼尚、本作はビジュアルノベルだが、選択肢が1つだけあり、分岐もあります。
本編の途中から全く出てこなかったカノンを選ぶと、 なんと 世界観がまるで違うラブコメになるんですよ。 将棋もまるで関係ない…
本編とは真逆のシナリオですね。所謂ギャルゲー(ヒロイン小学生だけど)、恋愛ビジュアルノベル
ギャグ要素がかなり高く、声に出して笑いそうになったシーンも。
泣きだけではなく笑いもいけるとか、シナリオライターの戸部みるくのセンスは図抜けてます
本編とは真逆の展開であり、前記の様に 将棋はほぼ出てきません。
杏のことも、忘れてるのでほぼ出てきません。
しかも 桂一も杏のことがなかったせいか将棋にさほど思い入れがなく、将来は持ち前の頭脳と世渡り術でエリートビジネスマンになり、カノンと結婚しています。カノンも歌手の夢を諦めて普通の主婦になっている
本編で挫折した桂一が「僕も普通に恋愛して就職していれば」と酷く後悔していたように、分岐というよりは、IFルートという感じ
だがこっちのシナリオのほうが正直本編より幸せそうなので(挫折知らずだろうし)、これも考えさせられるものがありますね(本編には主人公と結ばれるという意味でのヒロインはいないしね)
しかし カノンが、本編のカラミ0のサブキャラだったのは悪い意味で驚き。
最初、桂一が「どこかで見たことがある」と呟くので、てっきり小学生女流棋士だとばかり思えば、 まさかただのクラスメイトで、顔がうろ覚えだっただけとは
ともあれ2つのシナリオが揃って名作でした。
この名作に欠点をあげるなら、 最終章のタイトルが「夏、夢、かなった」なのが、究極にダサイ
なんで駄洒落なんだ(笑)
後は、杏が桂一を抱きしめるシーン、 もっと2人の見た目の年齢差が分かる構図にしたほうが良かったでしょうね。
そのほうが年月が経った、という演出が効果的になるので
【閑話】
シナリオの戸部みるく…
別名義の辺戸胡桃(へどくるみ、濁点まで動いたアナグラムっぽいがすげえ名前)でエロゲも作ってて、「ツチノコの恩返し」の作者だったんだね…
余りにも作風が違い過ぎるし、「ツチノコの恩返し」はオチが酷かったが、「夏ゆめ彼方」の出来は余りにも良すぎた
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やりすぎると作風が壊れて嫌悪感がある筈が、不思議とそれはありませんでした。寧ろ人生をテーマにしたこの作品が「桂一のもう1つの人生」を書いた事に、奇妙な懐の広さを感じたほどです。あの将棋が全く出てこないラブコメに、です。
作者は色々なストーリーが書けるようで、他のジャンルのゲームも面白かったです。
近年はなんといっても藤井聡太フィーバーですが、羽生永世七冠のこれまで積み重ねてきた実績も、それとは違った意味で心に響くところがありますね。今回の妙手もその最たるものの一つなのでしょう。
折田氏の経歴も調べてみましたが、要した期間や年齢の差こそあれ、桂一のたどった道とほぼ同じですね。こうした実際に起こるようなことを、神様といったファンタジックな要素とうまくミックスして物語として完成させる、ライターさんの技量は素晴らしい。あとはコメディーとシリアスのバランス感覚も大変優れているように感じます。フリーでの活動が縮小するとしたらとても寂しいですが、ぜひその手腕を生かして活躍していってほしいです。
コメント時のエラーは以前から報告されてまして、お手数をおかけしました。
動画見ました。私の棋力は「俺、クラスで一番強いんだぜ?」という将棋自慢の小学生になら勝てるレベルなため将棋そのものには明るくないので、棋譜にモデルがある事は察しましたが(幾らなんでも作者にそこまでの棋力はないでしょうし)、モデルそのものは分かりませんでした。目から鱗です。
昨今は藤井プロの勢いが物凄いですが、元来の天才棋士である羽生名人(敢えてこう呼ぶ)がここで出るかという感じです。これはファンの間では有名な妙手のようですね。気付かないだけで、他にもモデルとなった棋譜がありそうなので、作者にはいつか裏話をして欲しいです。
そんな作者は現在、浅葉桂一という名義でセミプロの仕事をしているそうで、ブログが2019/08/10に更新されていました。ビジネス化した以上、フリー作品が後手になるのは致し方ありませんが、この才能で、またフリゲを作って欲しいなあという期待が今でもあります。
「夏ゆめ彼方」は本当に言葉が強かった。キャラクターの想いが乗った台詞が多かったです。
折田アマが話題になった頃、まっさきに「夏ゆめ彼方」を思い出しました。折田アマはまだ若いけど、桂一はただでさえ人生に挫折し、年齢もぎりぎりでしたから、ゲームから悲壮感と緊張感ががしがし伝わってきました。
私もこの夏ゆめ彼方を読んで大きな感銘を受け、それをきっかけの一つとして最近将棋を始めてみたほどです。自分で指す他に将棋関連の動画を見たりもしているのですが、先日YouTubeでこんな動画を見つけました。
解説者絶句の羽生マジック「66銀」ハイライト 第60期王座戦第四局 羽生善治二冠VS渡辺明王座(URLを張ると投稿却下されてしまうようなのでお手数ですが検索してみてください)
この動画を見て、これはまさに少年時代の桂一と杏の最後の対局そのものじゃないか!と気づきました。最序盤で杏が四間飛車にしたところだけこの対局と異なっていますが、それ以降は明らかにこの対局をモデルとしているようです。桂一が衝撃を受け人間業でないとまで言った指し手が、羽生マジックと言われた伝説の妙手だったと知って再度の感動を味わえました。記事内で、作中の指し手についての詳細は不明といったことを書かれていたので、報告を兼ねてコメントいたしました。
棋譜を参照しながら本作を再読したのですが、やはり素晴らしい作品ですね。
「この興奮。この充実感。これを味わうために……僕は将棋を指しているんだ。」
「僕が名人になるって決めたんだ。僕が、僕の意思で……誰かのせいであるもんか……っ!」
等の台詞は本当に心を深く打ちます。
作者さんのブログが2年以上更新無しなのがちょっと気がかりですが、新作を出してくれたら真っ先にプレイしたい作者さんの一人です。