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kayago
人生を振り返ると、股関節変形症との闘い、化学物質過敏症との付き合い、卓球命の頃、楽しい趣味(ピアノ、写真、バイク、仏教の勉強)、仕事(人事、職業相談)が主な出来事です。

2023年02月22日

仏教と人生 その8

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仏教講義(阿含経) 十二処の入り口で六根と六境の総合作用で仮の自分が形成され、それを自分だと錯覚しているというところまでなんとなく理解できました。次にこの認識機関の一つである意(心)が法を捉えどう感じているかということが説かれています。三種類の反応を起こす、三受(楽受、苦受、非苦非楽受)、外からの情報に対して楽だーと感じる反応楽受、苦だと感じる苦受、どちらでもない非苦非楽受。楽受を苦なるものと見よ(楽を感じると執着が起き、いずれ消えてなくなる諸行無常の世界だから苦しみが起こる。楽な状態に執着すると誤った判断や考えで将来の苦しみのもととなっていく)。また厳しいお経ですね。苦受は貫く矢と見よ(苦は苦、身体を貫く恐ろしいものと捉える)。楽受も苦となるためこの世は一切皆苦を説かれてることになりますね。非苦非楽受は、どちらでもないからいい状態のように思いますが、非苦非楽受を感じているわけですからこれも無常なるものとして消えてなくなる。何も感じていない状態(煩悩と切り離れている状態)を「捨」といわれ、非苦非楽受を感じている状態とはまったく違う。非苦非楽受は外からの情報をいくらでも煩悩が起こる状態で受け取っている。 「非苦非楽受」と「捨」はまったく違うので要注意ですね。 捨の状態はトレーニングを積んだ人だけがなれる状態みたいなので、トレーニングを積んで捨の状態になれるといいですね。捨は「全日本卓球選手権大会 ゾーンに入る」記事で投稿した内容に近い状態のように思いましたが、それでも10年間でたった一試合の出来事でしたね。楽受を苦なるものと見て、苦受を貫く矢と見、非苦非楽受を無常として見る、そのように世の中の事を正しく見ることを正見(八正道)という。仏教を分かっていない者も分かっている者も同様に楽受、苦受、非苦非楽受を感受するが、仏教の教えを知らない者は、身体の苦受(第1の苦受)を感じると、悲しみ疲れ迷乱し、(第2の受)心の苦しみを自ら増幅させる。なんか当たり前のことを言われてると思いますが、誰だって病気になれば身体の痛みを感じ、不安になったりパニックを起こしたり、将来の不安を感じたり、身体の苦しみが心の苦しみに直通した状態になりますよね。でも仏教は、心が生み出すこの(第2の受)心の苦しみを心で消すことが出来るとお釈迦様は言われます。なんかものすごいこと言われてますね。私は心と身体は一体なんだから早く病気や痛みを治しさえすればまた頑張れると思ってましたが、病気や痛みがあっても心の苦しみは心で消せると言われます。すごくないですか。お釈迦様ももちろん病気をされて痛みや苦しみを感じておられますが、心の苦しみをすべて消して穏やかに涅槃に入られました。トレーニングを積んで「捨」の状態に近づければ段々そうなるんでしょうが。また、第2の受(心の苦しみ)を感じると、それによってなんで俺だけこんなめにあうのかと考えたり、欲楽を喜ぶようになったりする。苦しいと快楽に逃げたくなったりしますね。また、そのような人は、楽受を感じて貪欲になったり、非苦非楽受を受けて無明である。つまり最初の肉体の苦しみを心の苦しみに変えてしまったことにより、心の苦しみを逃れるために間違った考えや判断が起きるようになって生活全体が間違ったものに束縛されていくようになり、病気の苦しみがますます増大されていく。それに対して仏教の教えを知った者は、身体の苦受(第1の苦受)を感じても悲しみ疲れ迷乱することがない。身体の苦受を心の苦しみとしない。そして瞋も欲楽も起こさない。そのような人は三受に束縛されない、生老死に束縛されない、心が平静であり、病気であったとしても伴に穏やかに生きている状態である。非常に難しいですね。仏教の教えを知らない者の通り、私は股関節変形症から胸郭出口症候群、化学物質過敏症等の病気で悲しみ疲れ迷乱し、心の苦しみを増幅させていたように思います。少し調子が良くなってきている状態の時なら教えを聞けるでしょうが、毎日痛みで苦しんでいる時は早くこの痛みを何とかして欲しいとしか思いませんからね。ただ本当に仏教の教えを知った者のようになれるなら病気になって痛みがあっても心穏やかに過ごせるんでしょうね。そうなるためにはトレーニングしかないと言われますが、具体的にどんなトレーニングをしたらよいのでしょうか?今後のお経で説かれてると嬉しいですね。多分座禅や瞑想、マインドフルネスも含まれると思いますが。私はこの仏教講義自体がトレーニングになっているように感じます。五蘊や十二処の世界観に驚き、「六根と六境の総合作用による錯覚」とか考えたこともなかった感覚が新たな気づきのきっかけとなり、思考パターンに変化が起きそうです。
posted by kayago at 15:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2023年02月19日

仏教と人生 その7

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youtube仏教講義(阿含経)を十二処の入り口まで勉強して思ったこと。「五蘊=無常、苦、無我=私ではない」、「十二処=無常、苦、無我=六根と六境の総合作用で私という錯覚」この二つを公式として自分の人生に当てはめてみた。中一から卓球にはまり、絶対卓球で一番になってやるーとか卓球さえ出来ればそれでいいとか、これが俺の人生だー等、五蘊や十二処をフル活用して仮の自分が強固に形成されていったということでしょうか。高校時は毎晩22時まで大学時は毎晩24時まで練習、休みは年3日程度、その他(ランニング、筋トレ)という生活を大学4年まで続け、就職も卓球で就職し、実業団に所属。卓球を通じて築き上げてきた自分というものが強固に存在します。阿含経で説いてあるところの仮の自分とか錯覚と言われても、卓球が出来なくなって、この自分が失われたことの強烈な悲しみと生きがいの喪失を経験しました。股関節変形症の悪化が原因だったので同時に体調もすごく悪化(腰痛、背中の痛み等)してしまい人生を楽しめなかったことが原因なのかもしれませんが、それより生きがいの喪失の影響の方が大きかったように思います。自分の人生計画では50代まで卓球を続けて引退する予定でしたので28歳で出来なくなったことはその後どうしてよいか分からなくなりました。仕事はそれなりに一生懸命やりましたが何も楽しくない状態が続きました。仕事とリハビリ、ドクターショッピングの生活が延々と続きましたが、AKA療法との出会いで肉体的には少し楽になりました。医療で身体のメンテナンスができても、自分へのこだわりが強いと精神面が不安定となり、またそれが身体に悪影響をもたらすという悪循環が起きてるよな気がしました。阿含経で説かれているように間違った見方をしているといつまでたっても諸法無我は理解できないよと言われてるみたいです。卓球が出来てた頃のものすごい充実感や幸福感、体調を崩してからの闘病生活、身体の痛み、精神的不安等両極端に体験してもやっと少し仏教で説かれていることの意味が見えてきたくらいで、以前の投稿で書いた通りどうせまた健康や経済的安定を取り戻したら我が大きく頭をもたげてくるのかなーとも思ってしまいます。また逆に五蘊や十二処では自分という我はどこにも存在しないという諸法無我を徹底して説かれているので、六根と六境の総合作用による仮の自分を自分だと強烈に思い込んでいただけなんだと思えると心が楽になります。六根と六境の総合作用ということであれば残りの人生で六根が何を捉えるかによって総合作用が変化し、仮の自分も大きく変化すると思います。自分と思い込んでいる仮の自分が大きく変化できれば人生も変化し、仮の自分だと思えれば執着せずに生きることが出来るので苦しみがなくなるかも知れませんね。 六根と六境の総合作用が先でその作用で形成された仮の自分を自分だと錯覚しているという世界観には本当に驚かされました。
posted by kayago at 13:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2023年02月18日

仏教と人生 その6

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花園大学佐々木閑先生youtube仏教講義(阿含経) 五蘊を何とか理解し、次は十二処に入りました。五蘊篇では「五蘊(色受想行識)=無常、苦、無我=私ではない」が公式のように何回も出てきて諸法無我を徹底して説かれましたが、十二処でも諸法無我を角度を変えて説かれています。十二処は世界を十二の領域に分けることが出来ると説かれます。十二を六、六に分け、内側のものとして「六処内=六根(眼耳鼻舌身意)=認識機関」、外側のものとして「六処外=六境(色声香味触法)=認識される側」に分かれます。内である認識機関六根が外側の六境を捉える。六根のそれぞれが、六境のそれぞれの領域を捉え、六、六という全体で私というもののあり方を作っている。間違った考えの者は、まず私という存在があって眼や耳を使って、外側の情報を捉えていると考えるので常に私という主役がいる。 まず最初にあるものは私じゃなくて、六根(認識機関)が六境(認識される情報)を捉えて総合的に統合されたときに私という錯覚がそこから生まれてくる。 凄すぎる世界観。普通は私という存在を認識しているので、私が外側の情報(六境)を捉えていると考えると思いますが、 その逆で六根と六境の総合作用で私という存在がそこにいるという錯覚が生まれ、私という主役を仮に作り上げてしまっている状態 が今の私たちだそうです。だから私が見たり聞いたりしているという錯覚世界に慣れてしまっているとのこと。映画マトリックスを思い出しました。現実世界にいると思ったら肉体はカプセルの中にいたみたいな内容でしたよね。仏教はあなたの世界は逆方向に出来ているのでそれをちゃんと観なさいとのこと。私があるとか我があるという間違った考えから抜けないと諸法無我が理解できませんよとのこと。やはり徹底して諸法無我ですね。私とは一体なんだろうという答えの一つがここに示されている。私があるのではなく先に六根と六境の総合作用があり、私という主役がいるという錯覚が起きる。錯覚のせいで我欲が強くなり、私中心の世界がそこに現れ苦しみの原因になっているとのこと。なぜありもしない我を設定してしまうのか、見るとか聞くとかの現象を後で我に落とし込んでしまう、そこに間違いがある、そこを直せば連鎖的に苦しみも消える。やはり仏教は苦しみを減らす教えですね。十二処は、六根が六境を捉える総合作用で私という存在があるように錯覚を起こしているということがポイントでしょうが、私が見ている聞いているという方向に慣れてしまっているのでそれを逆方向が正しいと言われても、逆方向にみる訓練が必要ですね。いやはやすごい世界観ですが、これを理解し実践できるとしたら自分という縛りから解放され自由になれる気もします。 五蘊も十二処も諸法無我! でした。
posted by kayago at 20:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2023年02月11日

仏教と人生 その5

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仏教講義 五蘊(色受想行識)=無常、苦、無我
またまた五蘊です。自分でも整理したいので投稿しました。お釈迦様の弟子である舎利弗(十大弟子の一人)さんが言われるには、五蘊に我が無いことを分かっていても五蘊に執着してしまう、五蘊の作用や要素一つ一つに執着してしまう。五蘊に我が無いことを知り、世の中が正しく見えるようになったとしても、五蘊に執着している限り正しい生き方ではないと言われます。また厳しい言葉ですよね。仏教の世界観と比べると執着まみれの人生ということになりますよね。美味しいもの、音楽、スポーツ等々あらゆることを五蘊を通して楽しんだり、生きがいにしたりして生きていると思いますから。やはりこの生き方で充実している方にはあまり仏教は関係ないことかもしれませんね。さらに舎利弗さんは、五蘊に対する欲望を抑えることが出来れば五蘊が変異してもそれによる憂い悲しみは生じません。五蘊に執着して生きることは必ず将来の苦へと繋がっていくと言われます。うーん厳しい。さらに五蘊は苦そのものであって、五蘊が幸せになるとか安楽になるとか絶対ありえない、私という幸福になる存在はどこにも無い(無我)と言われます。ますますこんがらがってきました。結局どういうこと? さらに無我であるもの(五蘊)は私ではない、私のものではないと智慧によって知るべきである。無我であって私という実在はない。五蘊は私でないことを体得することが智慧の働きであり、究極の目的である。 キターーー、結論「五蘊は私でない。」 人生に対する価値観大破壊。すごい世界観ですよね。もし本当に生きている間に五蘊と厭離できたら一切の苦しみがなくなるんでしょうね。凡人には厳しい話ですね。仏教はやはり苦しみを減らす智慧なんですね。ちょっと話がそれますが、こういう仏教の世界観(五蘊は私でない)を知ると人間は五蘊という素晴らしいシステムを駆使して地球上や宇宙というバーチャル空間(仮想現実)(五蘊は私でないから)を好き勝手に生きているように思えてきました。またこの世界が仮想空間なのにさらにweb3.0とかメタバース等バーチャル世界を構築しようとしているので、バーチャルからさらにバーチャル?って感じに思えてきました。私だけ?
posted by kayago at 14:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2023年02月10日

人生と仏教 その4

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仏教講義 心が無病?
身体が病むこと老化することは当たり前。五蘊の中に自分があると思う者は心が病んでいる。うーん厳しい。また五蘊かよーって思われるかもしれませんが、また五蘊です。人間は五蘊で構成されているわけですから五蘊を通して人生を楽しんでると思います。だから五蘊を自分と思ったり、五蘊の中に確固たる自分が存在していると思いたくなりますよね。仏教はそれを否定されるので厳しいなーと思います。確固たる自分(我)は変化しないと思い込んでいたり、確固たる自分にしがみついて生きていると五蘊は変異するので 苦しみが生じる(心の苦しみ)。 心が無病の者は五蘊を我と捉えない者と言われます。その者は五蘊が変異してもその者には心の苦しみが生じない。自分の経験で考えてみると五蘊をフル活用して卓球命みたいな人生を送っていたので、卓球を通して価値観が形成されていました。その価値観がずっと続くと思い込んでいたのかも知れません。あまりにも充実していた期間なので強烈な快感(幸福感)として記憶に残ります。ストレスや病気で五蘊が変異してくると当然価値観の継続は出来なくなり(諸行無常ということでしょうか)苦しみが生じました。言われてみればその通りなんですが、五蘊を我と捉えないを体得することが出来るでしょうか?出来れば心の苦しみがなくなるでしょうね。人間は五蘊(色、受、想、行、識)で存在している。色(肉体等物質的要素)、受想行識(心の内側)の五つの集合体で 必ず五つで一つ
です。色と受想行識を分けて考えてはいけないとのこと。まあ病気になれば心も不安になるので身体と心は一体だなーって経験上思ってましたが。受は、外からの刺激に対する反応(楽、苦、どちらでもない)、想は受にもとづいて世界を構成、行は、もともと意志作用だったらしいですがその後の解釈でそのたもろもろを含めるとなったようです、識は、外からの情報を写し出す認識作用(心)ということらしいです。本当にお釈迦様は人間を細かく細かく細部まで分析された方ですね。さて五蘊に確固たる自分(我)は存在しないと一足飛びに悟ることは出来ないでしょうが、日々訓練を重ね、少しずつ五蘊からの影響を受けないようになっていきたいものですね。いやー俺は一生快感を追い求めるという方もおられるでしょうが、それはそれで一生継続できれば素晴らしいことでしょうね。仏教は、幸せになるために存在するのではなく、苦しみを減らす法であると考えるのがいいと思います。 諸行無常、諸法無我!
佐々木先生お疲れ様です。いつも素晴らしい仏教講義ありがとうございます。感謝感謝。
posted by kayago at 14:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2023年02月09日

人生と仏教 その3

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仏教講義 五蘊(色、受、想、行、識)といろは歌 
五蘊は無常であり苦である、苦であるものは無我である。なんかよーわからん。五蘊は人間を構成しているものだからそれが無常であることは理解できますが、苦であるとか無我であるということはなかなか難しいですね。健康な時は楽しいですからね、五蘊は苦であると言われてもねーって感じです。阿含経では無常なものは苦であり、五蘊は無我である、無我であるものは私のものではないと続き、五蘊は私(我)ではないとなります。仏教は信仰するものでなく智慧を知り体得していくものだそうです。五蘊は無我であり、私ではないことを体得することが目的だそうですが非常に難しいですね。五蘊=無常、苦、無我。五蘊は無常であり、 有為 (うい 時とともに変容し崩れるもの)であり、縁によって生じ、消滅する。このことをいろは歌に表現されているようです。
いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ ういのおくやま きようこえて あさきゆめみし よいもせす(色は匂えど散りぬるを我が世誰ぞ常ならむ 有為 の奥山今日越えて浅き夢見じ酔いもせず)。この歌の解釈はいろいろあると思いますが、佐々木閑先生の講義では、五蘊という迷いの山を越えて智慧が働き本当のこの世の姿が見えてくるという歌だそうです。有為の奥山越えられたらいいですね。その2と内容がかなり重なりましたが、阿含経の講義では五蘊を理解することが大変重要だと思いました。
posted by kayago at 20:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2023年02月08日

人生と仏教 その2

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自分とは? youtubeで仏教講義を観ていると我は存在しない五蘊の集合体なんだと言われます。なんのこっちゃーとも思いましたが、長期間の闘病経験がある私としては少し心が楽になる面もありました。病気で身体は痛いし苦しい、心も不安になったり寂しくなったり色んなことを感じています。また逆に健康で好きな事が出来ているときは人生ってなんて素晴らしいんだろうと快感に浸っています(人生楽しいことがいっぱいみたいな)。しかし、自分は存在しないみたいなことを言われるとそもそも何がその感じ感覚を作り出しているんだろうと考えました。前世で悪いことをしたからこんな苦しみを味わうのか等々原因探しをしても答えは出ません。もしかしたら仏教で説かれているように人間の構造上の現象に過ぎないのではないかと考えました。色、受、想、行、識(五蘊)この五つで構成されているため、一瞬の刹那(100分の1秒)で変化しているらしいです。1秒間に100回も変化しているなら人間の状態に同じ状態とかありえないわけです。人間は構造上変化するのが当たり前なのに自分という変化しない何かがあってほしいと思ったり(ない物ねだり)、自分の身体や心に執着し変化を恐れているだけなんじゃないかなーと思いました。健康に対する努力は重要ですが、老化や病気を五蘊が捉えすぎると(感覚的に鋭くなった状態)バランスが崩れて色んな症状が出るんじゃないかと思います。ただ実際身体が痛いのは誰でも嫌でしょうから病院でさっさと治療してもらうのが賢明ですよね。人間は五蘊の集合体に過ぎず、また五蘊の複雑なシステムによって色んな状態に常に変化していることを知り、理解できれば苦しみを減らすことができるように思います。ついに五蘊と厭離できれば悟った状態になるらしいです。2500年も前にお釈迦様は人間のことをこと細かに分析し、人間の状態を発見された方なんじゃないかなと思いました。阿含経、般若心経、法華経等膨大なお経(運ぶのに馬7.5頭必要だったそうです)がありますから仏教を勉強するのは大変ですが、何か自分の中でピンとくるお経があれば勉強されることをお勧めします。阿含経については、花園大学佐々木閑先生のyoutube仏教講義がお勧めです。
posted by kayago at 17:36 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2023年02月01日

人生と仏教

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人生とは何でしょう?
1.輪廻転生するから今をまじめに生きて、次にこの魂が宿る生き物がいい人生になるように頑張ろう、魂は永遠だー。
2.死んだら何もない灰になるだけ。
3.自分のやりたいことが出来ればそれでいい。
4.人生お金がすべて。
5.人生家族友人や愛がすべて。
6.健康であれは何でも出来るから人生健康が第一。
7.自分の使命を貫くこと、天職をしること。
8.何していいか分からないから寝てるのが一番。
9.人生に意味は無い、意味づけするのは自分だ。
ちょっと思いつたことを書き出してみましたがどれも出てきては消え見たいな感じで、項目1つが長い期間自分の信念となっていた時期もありますが、意識していることが変化するのは明白です。仏教で言われているところの諸行無常ということでしょうか。イチロー選手が引退会見で記者からの質問に対して、野球を愛することを貫けたことですと言われてましたが、野球を愛することが人生のほとんどの間続くことになったのでしょうから素晴らしいことだと思いますがなかなか難しいことですね。人生でいい状態とは、上記項目の中で健康、家族友人、お金(経済的安定)この3つが揃っているということなんでしょうが、現実にはこの3つすべてを失うような出来事も起こることもありますね(戦争、天災、事故、病気、倒産、リストラ等)。人生のどん底を味わうといろんなことを考えてますます不安になり、負のスパイラルにはまることもありますね。解決策としては、信頼できる医師との出会い、家族友人の支え、社会福祉制度、カウンセリング、職業相談、神向や信仰、哲学、心理学、仏教の教え等たくさんあると思います。最近知った仏教の教え(youtube阿含経講義)で、人間は五蘊で構成されており、我はどこにも存在しない(諸法無我)という仏教の世界観を知り、なんというすごい世界観なんだろーと驚きました。人生の前半を卓球がすべてみたいな生き方をしていた私は、卓球イコール自分の人生みたいに考えていたので、股関節変形症の悪化で卓球が出来なくなってからどんな生き方をしたらいいか分からなくなっていました。それって自分が勝手に卓球を通して築いた価値観(我)であり、それにしがみついていた人生は諸行無常であるから当然消えてなくなる。仏教の教えは厳しいように見えますが、お釈迦様は人間を細部にわたって細かく分析されているように思いました。そもそも我が存在しないという仏教の世界観に触れ、今までの価値観にひびが入りました。ただどうせまた健康になったり、経済的に余裕が出てきたら我が頭をもたげてくるんだろうなとも思います。要注意ですね。今充実していて、自分の人生を楽しく生きていますという方には関係ないことでしょうが、健康でも生きづらい方、どう生きていいか分からない方は仏教の世界観に触れるのもいいかもです。

posted by kayago at 15:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教

2023年01月24日

仏教講義

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花園大学 佐々木閑先生のyoutube仏教講義で、お釈迦様の教えや仏教の世界観が分かりやすく説明されていました。煩悩に苦しめられる人生から脱却できれば幸いですが。 諸行無常、諸法無我!
動画本数がかなり多いので、時間がある方は阿含経の動画だけでもお勧めです。
https://youtu.be/7hfQ9gyOS-4?si=yDFjWD9lp0Vpvz4e
posted by kayago at 22:25 | Comment(1) | TrackBack(0) | 仏教
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