
今回は承久の乱による社会への影響がテーマです。
承久の乱の影響は大きく分けて下記の3つです。
・ 上皇らを追放した。
・ 京都に六波羅探題をおき、朝廷を監視した。
・ 上皇に味方した公家や西国の武士の土地を没収して、新たに東国の御家人をその土地の地頭に任命した。
→これにより、 幕府の支配が西国まで及ぶこととなった。
中学校の歴史ではこの3点を覚えておけばOKです。
それ以外では、これにより朝廷が鎌倉幕府にはばかって細かいことまで指示をうけることとなりました。
その指示は皇位継承にまで及び、後醍醐天皇が不満を持った 文保の和談につながります。
文保の和談は後深草天皇の子孫( 持明院統)と亀山天皇の子孫( 大覚寺統)の両血統の天皇が交互に皇位を継いでいくという合意です。
実際は合意していなかったという説もありますが、鎌倉幕府にはそれを強要する力を持っていたことは確かでしょう。
結局、承久の乱の影響はかなり大きく、社会の構造は大きく変わりました。
教科書では割と簡単に書かれていますが、その影響はしっかり覚えておく必要があるでしょう。
戦いがあった時には、「 原因 」「 結果 」「 影響 」の3点をしっかり抑えておくのが歴史の勉強の鉄則です。また、1つの戦いの終わりはほかの戦いの始まりだったりしますので、そのつながりを見つけていくことは有意義なものとなるでしょう。
歴史の勉強の参考として見てください。