公共施設勤務生活編および過去編は今回で最終回になります。
本編の前に今日は10月最終日ということで今月のFXトレードの結果発表!!
今月は約15000円のプラス!!2ヶ月連続でプラスにできたのは良かった・・・
今月はそれでもほとんどトレードをしていませんでした(汗)
主要通貨は三角持ち合いのブレイクは結構わかりやすくありましたが、値動きが荒くすぐ反転するのですぐに利食いしなければならず仕事中にポジションが持てなかったのが原因なのと、順張りが機能しづらかったので逆張りも試していてロットを抑えていたのもあります・・・
米大統領選や年内利上げが織り込まれてるのでしょうがテクニカルメインなのでチャートでわからないところはスルーする勇気がいるのかなと言い聞かせています。
最後の本編はこちらから・・・ さて本編・・・
いよいよこのカテゴリー最後の記事になります。
前回で私主導の仕事は終わり、去年の12月はホントに退職の引き継ぎと収蔵庫の整理だけをしていました。その時から現場長の態度は180度変わり、怒鳴ってくることも、引っ叩いてくることも無くなり逆に優しくなりました(汗)
年末に差し掛かったある日、現場長から相談があるとのことで呼び出され内容を聞くと、自分の会社を運営していた時から韓国でのイベント・展示会をしてほしいとの取引先からオファーが来ていて、どうしても断り切れないとのこと。既に雇われの身になっていること伝えても先方はあきらめられないそうで、仕方ないので2016年の1月に本社には黙って、一人ではできないので施設のメンバーを選抜して韓国に行きたいと考えているとのことを相談されました。
私に向かって「退職する身であるし、経験を積むと思って参加してみないか?」との話があり、海外で仕事をすることには興味があったので承諾しました。
ただ、本社には黙っていくので出張費は当然経費では落とせないので自腹になりましたが・・・
その時のメンバーは現場長と、いつも外部イベントで一緒だった新卒の女性職員、受付パートの主婦1名と私の計4名が選ばれ、施設内の職員にもほとんど韓国に行くことは言わずに年末年始休暇明けてから行くことになりました。
ところがちょっとした身内内では想定外のことがありました。去年の大晦日あたりから長野の老健に入所していた祖母の容体が悪化し、大晦日から3が日最終日まで長野の従兄弟の家に滞在することになりました。しかも長野の急激な寒さにやられたのか数年ぶりに私は風邪をひいてしまい寝正月になるどころか1月3日の朝4時くらいに祖母が亡くなりましたが寝床から動けず私一人看取ることもできず、4日からの韓国には既に出張費も払っていて仕事に穴もあけられないので、お通夜や葬儀にも出席できず、3日の夕方にいったん実家に帰って一人で休養して4日出勤するという忙しさでした。
そうなると今年は喪中ということになりますね(汗)
悲しみに暮れる間もなく体調はなんとか持ち直し今年に入って4日にみんな日中は仕事してそのまま夜、メンバーは成田空港近くまで行って前泊しました。そして5日の朝に飛び立ち現地で3泊4日の日程で仕事をしました。
今回は新卒の女性職員が韓国の公共施設内でこちらの施設でも好評だった工作教室を現地の子供たちに教えるというイベントをメインにし、私たちはその補助ということで行くことになりました。
成田から出発して3時間もしないうちに韓国の仁川(インチョン)空港に到着し、今回オファーをくれた韓国人の方の迎えを受け、イベント会場に向かいましたが・・・
年明けの韓国はとにかく 寒い!!
日中あったかい時間帯でも−5℃くらいで0℃を超えることがありません(汗)
初日は現地のダイソーなどで買い出しをしながら会場設営を行いました。夜もなんだかんだ10時くらいまで食事やら繁華街の散策やらしてみんなで行動していました。
2日目はお昼時間を除いてはイベントの対応に追われ、私はスパイダーマンみたいなピチピチのレンジャー物のスーツを着て子供たちとコミュニケーションをとりました(笑)普段施設で来ている着ぐるみはガチャ〇ンみたいな大きさで空輸できそうになかったので・・・
これは仕事をしていて気づいたのですが韓国人のお子さんはものすごい集中力があったことでした。日本人の子供は工作中に飽きてどっか行ってしまう子もいますが韓国の子供は全員終わるまで集中力を切らしていませんでした。また、日本では前の記事にも書きましたが子供たちからケツにタイキックを受けたり着ぐるみを剥がそうといたずらしてくる子たちが大勢いましたが、韓国の子供たちは純粋に握手してきたり触れ合ってくれました。
オファーをしてきてくれた韓国人の方も日本でいえば公務員にあたる方で通訳もできてかなりの親日の方で、他にも施設内にコタツや羽子板、杵と?まで用意して室内で餅つきなどもして日韓の交流を深めました。
2日目の夜には韓国の地下鉄も利用し日本とのシステムの違いに四苦八苦しながら移動し、南大門のところまできて色々買い出しをしていました。
そのころには気温は−11度!!もう凍り付きそうでした・・・
そして南大門付近にはたくさんのお店があり特に氷点下の中露店が目立ちました。呼び込みも結構過激で・・・
「昭和の兄ちゃんあけおめ!!」
「そこの兄ちゃんたちエルメス・ヴイトンの偽物たくさんあるよ!買って行かない?」
片言の日本語で売り子がみんな現場長にこんな感じで声をかけているのを見てみんなで笑っていました(笑)
そんなこんなであっという間に最終日、午前中で工作教室を終わらせ午後には帰国するというスケジュールで動いていたのでとても慌ただしかったですが色々勉強になった出張でした。
そして今の介護施設に応募して、言われた通り資格欄は空白で職歴もこの公共施設で働いたことも書かずなんとか面接は乗り切り採用が決まったというわけです。
そして1月末に私の送別会が開かれ、みんなの前で現場長から「洗脳は卒業じゃ!ワシの未熟さゆえに退職させることになって悪かった。また成長した姿を見せてくれたらもう一度呼び戻すからな」と酔っぱらっているようで泣きながら言われましたが正直こちらは酔いがさめてしまう一言でした(汗)
その後も男性陣だけで現場長行きつけのキャバクラに連れて行ってもらいましたがさっきの一言が忘れられず戦々恐々としていたので全く楽しめませんでした(汗)
結果ここでの私の勤務生活は10ヶ月ほどでしたがとても濃いものでした。それ以来現場長とは一切会っていないのでこのまま何もなければいいなとも思いますが、元同僚の方たちに聞くと既に半分近くの人は辞めているとの話も聞くのでどちらにしても長くはいれない職場だったんだろうなと今では思います。
今日は最後ということで長くなって申し訳ないですがこんな形で締めくくりになります。
ここまでご愛読いただいた方本当にありがとうございました!!
過去編は終わりますが閉鎖するわけではないので今後ともよろしくお願いします・・・
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