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2020年12月13日

12月11日は「タンゴの日」きらきら

アルゼンチンの12月11日は「タンゴの日」
みんな ”Feliz dia del Tango??" と言って挨拶を交わします。

12月11日は Julio De Caro と Carlos Gardel の誕生日で、お二人に敬意を表してお祝いされるようになったようです。

Julio De Caro(フリオ・デ・カロ)
1899年に生まれ、父親の希望により子供の頃から音楽を勉強しました。
そして、バイオリニストになりましたが、それだけではなく、タンゴの指揮者や作曲家にもなりました。
当時の偉大なクリエーター Eduardo Arolas やRoberto Filpoなどのメロディストたちに影響を受けて、Juan Carlos Cobian やEnrique Delfinoと共に20世紀のタンゴを変容させました。
1924年からOrquesta Tipica Julio De Calo を結成し、タンゴの新しいスタイルを確率しました。
1980年3月11日にマルデルプラタで亡くなりました。

参考Video
Qrquesta Tipico "Julio De Caro" - Todo Crazon
https://www.youtube.com/watch?v=ET2xAwAjRzY
orquesta_tipica_julio_de_caro.jpg

参考Video
Eduardo Arolas ~ Moñito ~Tango sentimental
https://www.youtube.com/watch?v=VunxZPneYbw

参考Video
Roberto Filpo ~ El Amanecer
https://www.youtube.com/watch?v=eOZeiB0vbO4

参考Video
Juan Carlos Cobian ~ Pololoa
https://www.youtube.com/watch?v=BrDbK8eBtuw&list=PLc_QJvzBNyqry8ULIrSlov5H2JTcbGJUu&index=17

参考Video
Enrique Delfino ~ Milongita
https://www.youtube.com/watch?v=mgSOMYR6al8&list=PLgzA5H-T9w6A7nH6rffMMtNx2cy8Xikbz&index=9


Carlos Gardel (カルロス・ガルデル)
1890年にフランスのトゥールーズ、または1887年にウルグアイのタクアレンボで生まれたと言われています。
今日まで彼の出身地に関する合意はありませんが、彼は12月11日に生まれ、出身地に関係なくアルゼンチン人であったことが知られています。
歌手、作曲家であり、俳優でした。
彼は子供の頃からブエノスアイレスに住んでいたため、1923年に彼は”アルゼンチン人である”としました。

ガルデルはタンゴの歌の創始者であり、タンゴの歴史の中で最も有名な中の一人です。
彼の声質、レコードの数、タンゴ関係の多くの映画、それらの世界的な影響力で、彼はは20世紀前半の音楽において、最も重要な一人になりました。
1935年6月24日にコロンビアのメデリンで飛行機の墜落事故で亡くなりましたが、
何年にもわたって、彼のイメージと声は、文化、神話、そして伝説となりました。

carlos_gardel_en_par?s,_a?o_1923.jpg

参考Video
Carlos Gardel - Mi Buenos Aires querido
https://www.youtube.com/watch?v=SmaKapCFXK4

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2020年11月29日

タンゴの歴史 - 1

1. タンゴが生まれた経緯は不明だが.....
18世紀の後半に「tango」と記された手稿譜(手書きの楽譜)が見つかっており、盛んにイベリア半島で踊られていた。
IMG_1208.jpg


2. その後、スペイン帝国による植民地政策の結果として、ラプラタ川の河口地域の人々にこのダンスパターンが伝わった。
ラプラタ川河口部は、北側がウルグアイ、南側がアルゼンチン
IMG_1209.jpg

3. 1880年にはすでに出版譜が見つかっており、1900年以降にバンドネオン、フルートなどの混合されたアンサンブルを伴ったダンススポットが強烈に流行した。
バンドネオン & フルート
IMG_1211.jpg
IMG_1212.jpg


[2]ポピュラー音楽およびダンスの一形態で、カンドンベ、ミロンガ、ハバネラなど複数の音楽が混ざり合って19世紀半ばにブエノスアイレス、モンテビデオ近辺のラ・プラタ川流域で生まれた。

カンドンベ - アフリカ起源で南米のいくつもの国に広がった
https://www.youtube.com/watch?v=DH19Dgw6bJQ
ミロンガ - アルゼンチンのパンパで生まれた
https://www.youtube.com/watch?v=JIDVe1AB30Q
ハバネラ - キューバ
https://www.youtube.com/watch?v=gJiNgu6ApPM

また、ヨーロッパ伝来のワルツ、アメリカ伝来のフォックストロット、初期のタンゴに影響を与えた。

「アルゼンチン・タンゴは、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスの港町ラ・ボカ地区から始まった」ともされる。ただ、その前から、アフリカ系アルゼンチン人のコミュニティーで、「タンゴ」 と称する音楽がはやっていた。
アルゼンチンタンゴ・ダンスはスペインやイタリアからの貧しい移民のフラストレーションのはけ口として、ボカ地区の酒場で生まれた踊りといわれる。日頃の不満を歌にし、「最初は単身赴任の男性達が酒場で荒々しく男性同士で踊った」とも「娼婦を相手に踊られるようになった」ともいわれる。
しかし、実際には記録はほとんど残っていないため、正しいことはわかっていない。
(Wikipedia引用)

港町ラ・ボカ地区
IMG_1213.jpg
IMG_1214.jpg




2020年10月17日

Alberto Echague アルベルト エチャグエ 歌手

Alberto Echague 歌手

IMG_0883.gif

1909年 Rosario(Santa Fe)に生まれ、1930年にブエノスアイレスへ。
1932年よりOrq.Angel D'Agostinoに参加、その後 Orq.Juan D'Arienzoにて活躍。
Echagueは「技術的に優れた歌手ではありませんでしたが、歌詞の物語を効果的に伝える方法を知っていた」そうです。
彼はオーケストラで最も重要な歌手であり、売上高が高かったようです。
何よりも、紳士であり、名声に目がくらむことのない、そして家庭を大切にする善良な男性だったそうです

Orq.Juan D'Arienzo & Alberto Echagueは好きな曲が沢山
Mandria
La Buruja
El Hipo
。。。etc




2020年09月17日

Fernando Suarez Paz - 訃報

訃報 
2020年9月12日 Fernando Suarez Paz 79歳
ご冥福をお祈りいたします。

IMG_0756.jpg


Fernando Suarz Pas
1941ー2020 
偉大なタンゴバイオリニストの一人
Astor PiazzolaのQuinteto nuevo Tangoに10年間所属し、その間に18枚のアルバムを録音しました。

参考ビデオ
https://www.youtube.com/watch?v=gAySBMgXP40




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