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2020年05月07日
【「気づけ!余って溢れてる!」というシグナル!】
【016】
おはようございます!
小島です。
本日も
【「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。
前回の投稿で、
自分が素晴らしい存在だと信じすぎないこと。
自分に価値があると思い込みすぎないこと。
このことが重要であるとお伝えいたしましたが、
言い換えると、これは自分を「過剰」に信頼し過ぎてしまっていたと言えるのではないでしょうか。
そしてこの「過剰」が今世の中で大変なことへと変化をしてしまっています。
世の中では今、「過剰 × 過剰」が進みすぎてしまい、
色々なことが溢れ過ぎてしまっている状態なんだと思います。
「過剰 × 過剰な世界」
言葉・モノ・お金・便利・サービス・衣・食・住・悩み・問題 etc.
シェアが出来るコトまで個々に所有していってしまった為、
世の中は、有り余るほどに色々なモノが過剰になり、溢れすぎてしまったのです。
この過剰になりすぎてしまった人間の姿の裏側には一体何があったのでしょうか?
それは、「欲望」です。
人間には欲望があります。
言葉を持つ人間は、
本当は必要のない欲望に流されるまま、過剰を次々と生み出してしまったのです。
例えば、簡単なコトで言えば、着る服や食べるモノ、住む場所までも多くを求めてしまう。
本来は生きるために必要なモノを食べていればいいのに、より美味しいものを求め、
そのためによりお金を稼ぎ、過剰な価値を勝手に作り上げているのです。
「今日は〇〇のステーキが食べたい」「今度は〇〇のお寿司かな」なんて。
そう、全てのコトに対して欲望のまま過剰を求めて行ってしまった。
その結果、多過ぎて余ってしまう。
「ゴミ」などもそうですよね。
便利を過剰なまでに追求していった結果、プラスチックという物質が過剰に普及し、
そこら中に余ってしまって困っている。
その余り(便利の過剰)が、後に環境問題へと発展し人類の首を絞める結果へと過剰に変化する。もちろん文明の発達により、進化することもとても重要なことです。
なんかバランスが崩れてしまったようなイメージでしょうか。
「ない世界」を考えず、不便不便と「ない世界」を無視をしたコトで、
「ある世界」があたかも当然のように、当たり前にあったかのように存在していった。
今、その「ある」が「ない」へと急速に変化をし始めている。
「ある世界」ばかりに目を向けるのではなく「ない世界」も考えさえしていれば、
それが本当に必要なことか、または所有するべきことなのか、
過剰になり過ぎているのではないのかを考えることができるのに、
「ある世界」が当たり前となってしまった私たちは「ない世界」を忘れてしまったのです。
そう「ある」の方ばかりに偏ってしまい、バランスが崩れてしまったのです。
やはり「考え方」や「視点」は偏ってしまうといつかバランスを崩す。
人類はバランスを保つことができるのか。
だから今、問われているのだと思います。
「人間としての本質を」
今自分たちに必要なことはなんなのか。
今自分たちにできることはなにか?
自分以外の人やコトに対してなにができるのか?
一人一人がまずは、しっかりと考えることが重要です。
そして、自分ができることを淡々と行なっていけばいいのだと思います。
フランスの哲学者:ジャン・フランソワ・リオタールは言いました。
「大きな物語」の時代は終わった。
現代に生きる私たちは、
国際化や情報化によって生み出された無数にある、
価値観を認め合いながら、共存しなければならなくなった。
「大きな物語」の時代から、
「小さな物語」の時代へ。
人間は必然的に「過剰」を作り出してしまった。
それはなぜか?
それは欲望を満たすため。
欲望を満たすために過剰を作り出し、それを破壊することで快楽を求めた。
禁止されることを多く作り、それをひたすらに破壊した。
ただただそれだけのために、人間が持つ欲望を満たすだけのために。
「禁止への侵犯」
今時代が一気に変わろうとしています。
こういう時には、大きな決断をするのは避けて、
しっかりと思考する時間を持つことが重要だと考えています。
小さなことをコツコツと、
自分ができることは、なにか必ずあるはずです!
それがきっと、誰かの役に立つのですから。
ゆっくりで大丈夫です。しっかりと行なっていきましょう!
フランスの哲学者:ミシェル・フーコー
人間とは、最近の発明である。
【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
おはようございます!
小島です。
本日も
【「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。
前回の投稿で、
自分が素晴らしい存在だと信じすぎないこと。
自分に価値があると思い込みすぎないこと。
このことが重要であるとお伝えいたしましたが、
言い換えると、これは自分を「過剰」に信頼し過ぎてしまっていたと言えるのではないでしょうか。
そしてこの「過剰」が今世の中で大変なことへと変化をしてしまっています。
世の中では今、「過剰 × 過剰」が進みすぎてしまい、
色々なことが溢れ過ぎてしまっている状態なんだと思います。
「過剰 × 過剰な世界」
言葉・モノ・お金・便利・サービス・衣・食・住・悩み・問題 etc.
シェアが出来るコトまで個々に所有していってしまった為、
世の中は、有り余るほどに色々なモノが過剰になり、溢れすぎてしまったのです。
この過剰になりすぎてしまった人間の姿の裏側には一体何があったのでしょうか?
それは、「欲望」です。
人間には欲望があります。
言葉を持つ人間は、
本当は必要のない欲望に流されるまま、過剰を次々と生み出してしまったのです。
例えば、簡単なコトで言えば、着る服や食べるモノ、住む場所までも多くを求めてしまう。
本来は生きるために必要なモノを食べていればいいのに、より美味しいものを求め、
そのためによりお金を稼ぎ、過剰な価値を勝手に作り上げているのです。
「今日は〇〇のステーキが食べたい」「今度は〇〇のお寿司かな」なんて。
そう、全てのコトに対して欲望のまま過剰を求めて行ってしまった。
その結果、多過ぎて余ってしまう。
「ゴミ」などもそうですよね。
便利を過剰なまでに追求していった結果、プラスチックという物質が過剰に普及し、
そこら中に余ってしまって困っている。
その余り(便利の過剰)が、後に環境問題へと発展し人類の首を絞める結果へと過剰に変化する。もちろん文明の発達により、進化することもとても重要なことです。
なんかバランスが崩れてしまったようなイメージでしょうか。
「ない世界」を考えず、不便不便と「ない世界」を無視をしたコトで、
「ある世界」があたかも当然のように、当たり前にあったかのように存在していった。
今、その「ある」が「ない」へと急速に変化をし始めている。
「ある世界」ばかりに目を向けるのではなく「ない世界」も考えさえしていれば、
それが本当に必要なことか、または所有するべきことなのか、
過剰になり過ぎているのではないのかを考えることができるのに、
「ある世界」が当たり前となってしまった私たちは「ない世界」を忘れてしまったのです。
そう「ある」の方ばかりに偏ってしまい、バランスが崩れてしまったのです。
やはり「考え方」や「視点」は偏ってしまうといつかバランスを崩す。
人類はバランスを保つことができるのか。
だから今、問われているのだと思います。
「人間としての本質を」
今自分たちに必要なことはなんなのか。
今自分たちにできることはなにか?
自分以外の人やコトに対してなにができるのか?
一人一人がまずは、しっかりと考えることが重要です。
そして、自分ができることを淡々と行なっていけばいいのだと思います。
フランスの哲学者:ジャン・フランソワ・リオタールは言いました。
「大きな物語」の時代は終わった。
現代に生きる私たちは、
国際化や情報化によって生み出された無数にある、
価値観を認め合いながら、共存しなければならなくなった。
「大きな物語」の時代から、
「小さな物語」の時代へ。
人間は必然的に「過剰」を作り出してしまった。
それはなぜか?
それは欲望を満たすため。
欲望を満たすために過剰を作り出し、それを破壊することで快楽を求めた。
禁止されることを多く作り、それをひたすらに破壊した。
ただただそれだけのために、人間が持つ欲望を満たすだけのために。
「禁止への侵犯」
今時代が一気に変わろうとしています。
こういう時には、大きな決断をするのは避けて、
しっかりと思考する時間を持つことが重要だと考えています。
小さなことをコツコツと、
自分ができることは、なにか必ずあるはずです!
それがきっと、誰かの役に立つのですから。
ゆっくりで大丈夫です。しっかりと行なっていきましょう!
フランスの哲学者:ミシェル・フーコー
人間とは、最近の発明である。
【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
2020年05月06日
【自信はあなたの敵?となる。自分の価値なんていらない!】
【015】
おはようございます!
小島です。
本日も
【「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。
私は、苦手で特に嫌いなことがあります。
それは文章を書くことです。
本当に苦手で、文章を書くことが苦痛で苦痛で仕方ありません。
苦痛でしかないことだから、毎日書くことにしています。
なぜかというと、
とにかく書く力を上げたくて、文章力をつけたいからなんです。
やはり何かを相手に伝える時や情報を発信したい時は、書く力が必要ですし、
この先どのような場面においても必要な力であると感じていますし、
人間は言葉からしかモノゴトを認識することができないからです。
実際に、どのように取り組んでいるかというと、
ただひたすらに「書く」ということをしています。
文章力をあげるためにはきっと、ひたすらに「書く」ことしかないのだと思っていますので、
毎日毎日書いては恥かいて、後悔し反省してはまた書く。
このように、繰り返し繰り返しの学習でしか力をつける方法はないと思い取り組んでいます。
だいたいの目安としては、毎日2,000文字くらいを意識して書くようにしています。
毎日2,000文字というのは、未知の世界ですがこうやって地道に勉強をしていくしかないのですね。
前回の投稿でもお伝えさせていただきましたが、やるかやらないかは結局自分次第ですので。
あと皆さんがよくおっしゃられることなんですが、
文章が書けない原因の一つとしては、「他者からの批判や否定が嫌だ。」
だからあまり書きたくないと言われる方が多くいらっしゃいます。
私自身も、数年前までは本当にこう思ってしまっていました。
自分以外の他者からの批判であったり、否定的なことを言われてしまうと嫌だな、
怖いなと思う気持ちが、書くという行為を拒んでしまうことが多いんですよね。
だから、できる限り他者から変に思われないように、
綺麗に小さく小さくまとまっていこうとしてしまうのです。
そのため、何の面白みもない道を選び、つまらない人生を送るようになってしまう。
こうなると必ず、
もっとメンタルが強ければなんて言う方がいらっしゃいますが、
このメンタルが強いとか弱いといったことが問題ではないのです。
全く気にならなくなる方法があるので、安心してください。
では、他者からの批判や否定的なことに対して、
気にならなくなる「考え方」とはどういったことなのでしょうか?
それは
「なぜ他者の批判や否定的なことなどが、そんなにまで気になってしまうのか」ということを
まずは自ら考えるということが重要なんです。
どういうことかというと、
ものすごく単純なことなのですが、
“『自分には価値がある』と思い込みすぎていると言うことです”
そうなんです、このような人は思い込みのとても強いんです。
自分を価値があって、評価されるべき存在で、いつも人から見られていて、気にされている。
なんていう思い込みがものすごく強い人と言うことです。
だから、他人の目が気になって気になってしょうがない。
「こんなに素晴らしい私という人間の価値を理解できない人間がいるなんて」
と言うようにショック過ぎて理解不能な相手の対処に困っているだけの状態なんです。
他者からの批判や否定的なことが気になるなんていうのは、
ただ単に、自信があるからこそ出てくる感情なんです。要するに反転してるんですね。
もし、本当に自分に自信がないのであれば、批判や否定的なことを言われることなんて想定の範囲内ですから、単純に受け入れられるんですよ。
でも、自己肯定感が低くく、自分のことを肯定できず、そして認めてあげられない人は、
実は自己重要感がものすごく高く、誰よりも自分には価値があると思っている人ということです。自信満々だからこそ、自分の価値を信じ込んでいるからこそ、そうなるんです。
自信があるから、批判に弱い。ただそれだけのことなんです。
でも大丈夫ですよ、誰も見ていません。あなたのことなんて。
相手にされていませんから、安心してくださいね。
だって、周りにいるあなた以外の人は、あなたの価値なんて、どうだっていいんですから。
重要なのは、
自分が素晴らしい存在だと信じすぎないこと。
自分に価値があると思い込みすぎないこと。
もし、批判や否定を受けそうだったら、
「あー、うん。そっかー。そだねー。・・・で何?」ぐらいな感じで、
なんてことない受け止め方をしていけばいいんです。
人間なんて、
みんな自分のことしか考えていません。
このような考え方を一つ持っておくことで、この先少しは楽に進んでいけるのではないでしょうか。
ゆっくりで大丈夫です。しっかりと行なっていきましょう!
【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
おはようございます!
小島です。
本日も
【「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。
私は、苦手で特に嫌いなことがあります。
それは文章を書くことです。
本当に苦手で、文章を書くことが苦痛で苦痛で仕方ありません。
苦痛でしかないことだから、毎日書くことにしています。
なぜかというと、
とにかく書く力を上げたくて、文章力をつけたいからなんです。
やはり何かを相手に伝える時や情報を発信したい時は、書く力が必要ですし、
この先どのような場面においても必要な力であると感じていますし、
人間は言葉からしかモノゴトを認識することができないからです。
実際に、どのように取り組んでいるかというと、
ただひたすらに「書く」ということをしています。
文章力をあげるためにはきっと、ひたすらに「書く」ことしかないのだと思っていますので、
毎日毎日書いては恥かいて、後悔し反省してはまた書く。
このように、繰り返し繰り返しの学習でしか力をつける方法はないと思い取り組んでいます。
だいたいの目安としては、毎日2,000文字くらいを意識して書くようにしています。
毎日2,000文字というのは、未知の世界ですがこうやって地道に勉強をしていくしかないのですね。
前回の投稿でもお伝えさせていただきましたが、やるかやらないかは結局自分次第ですので。
あと皆さんがよくおっしゃられることなんですが、
文章が書けない原因の一つとしては、「他者からの批判や否定が嫌だ。」
だからあまり書きたくないと言われる方が多くいらっしゃいます。
私自身も、数年前までは本当にこう思ってしまっていました。
自分以外の他者からの批判であったり、否定的なことを言われてしまうと嫌だな、
怖いなと思う気持ちが、書くという行為を拒んでしまうことが多いんですよね。
だから、できる限り他者から変に思われないように、
綺麗に小さく小さくまとまっていこうとしてしまうのです。
そのため、何の面白みもない道を選び、つまらない人生を送るようになってしまう。
こうなると必ず、
もっとメンタルが強ければなんて言う方がいらっしゃいますが、
このメンタルが強いとか弱いといったことが問題ではないのです。
全く気にならなくなる方法があるので、安心してください。
では、他者からの批判や否定的なことに対して、
気にならなくなる「考え方」とはどういったことなのでしょうか?
それは
「なぜ他者の批判や否定的なことなどが、そんなにまで気になってしまうのか」ということを
まずは自ら考えるということが重要なんです。
どういうことかというと、
ものすごく単純なことなのですが、
“『自分には価値がある』と思い込みすぎていると言うことです”
そうなんです、このような人は思い込みのとても強いんです。
自分を価値があって、評価されるべき存在で、いつも人から見られていて、気にされている。
なんていう思い込みがものすごく強い人と言うことです。
だから、他人の目が気になって気になってしょうがない。
「こんなに素晴らしい私という人間の価値を理解できない人間がいるなんて」
と言うようにショック過ぎて理解不能な相手の対処に困っているだけの状態なんです。
他者からの批判や否定的なことが気になるなんていうのは、
ただ単に、自信があるからこそ出てくる感情なんです。要するに反転してるんですね。
もし、本当に自分に自信がないのであれば、批判や否定的なことを言われることなんて想定の範囲内ですから、単純に受け入れられるんですよ。
でも、自己肯定感が低くく、自分のことを肯定できず、そして認めてあげられない人は、
実は自己重要感がものすごく高く、誰よりも自分には価値があると思っている人ということです。自信満々だからこそ、自分の価値を信じ込んでいるからこそ、そうなるんです。
自信があるから、批判に弱い。ただそれだけのことなんです。
でも大丈夫ですよ、誰も見ていません。あなたのことなんて。
相手にされていませんから、安心してくださいね。
だって、周りにいるあなた以外の人は、あなたの価値なんて、どうだっていいんですから。
重要なのは、
自分が素晴らしい存在だと信じすぎないこと。
自分に価値があると思い込みすぎないこと。
もし、批判や否定を受けそうだったら、
「あー、うん。そっかー。そだねー。・・・で何?」ぐらいな感じで、
なんてことない受け止め方をしていけばいいんです。
人間なんて、
みんな自分のことしか考えていません。
このような考え方を一つ持っておくことで、この先少しは楽に進んでいけるのではないでしょうか。
ゆっくりで大丈夫です。しっかりと行なっていきましょう!
【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
2020年05月05日
【「相対性」と「絶対性」あなたはどっちを選ぶ?全てはあなた次第です!】
【014】
おはようございます!
小島です。
本日も
【「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。
何事もそうですが、あなたの考え方次第で見えてくる世界は変わります。
私のクライアント様にもいらっしゃいましたが、
漠然と「すごい人なりたいんです!」という方がいらっしゃいます。
ん?「すごい人」?
もちろん、どのような人を目指そうとその方の勝手ですし、自由であって他人が決めることではないので、賛成も反対もいたしませんが、
こういった質問で返しています。
本当になりたいのは、
「すごい人」ですか?
それとも
「すてきな人」ですか? と。
この両者を私のこのように考えています。
「すごい人」というのは、目指しても本当にキリがないこと。
「すてきな人」というのは、自分の理念を確立させることで成り立つこと。
どういうことかというと、
「すごい人」とは、あなた以外の他との関係性の中にあって、
他者による主観的に認識される認識事象です。
また、
他者の個々による共通の事象や環境を想定することによってのみ成り立つ認識です。
一方で、
「すてきな人」というのは、あなたの絶対性がそれを定義できます。
あなたにとって「すてきな人」という理念(根本的な考え方)を確立させることで、
評価基準(モノサシ)は世界(社会)の相対性から脱することができるのです。
なので、
この二つの捉え方としては「絶対性」視点なのか「相対性」視点なのかの違いというです。
この「絶対性」と「相対性」の話しを続けます。
私たちが暮らしている日本の社会では
「相対性」をものすごく大切にしている人が多いと感じています。
例えば、
「何をするか」というより、
「どこにいるか」に重きを置くのです。
言い換えると、
「何の仕事をしたいのか」ではなく、
社会人として
「どこに属していたいか」ということです。
「何ができるか」より「どの地位にいるのか」を重視する社会。ということですね。
このことについては、
ものすごく違和感を感じますし、疑問や危機感を感じてしまいます。
社会の中で優位なポジションに属することに必死になり、
本来目指すべき、目指したかった姿の存在を忘れ、
人として守るべき道義に気づいた頃には、気魄が衰えてしまっている。
やはり常に、
自らに問いを投げかけ、世界に目を向け「こうなりたい!いや、こうなろう!」という
理念を追求することこそ、大切なことなのではないかと感じています。
今日まで私たちの創造性を養ってくれた偉大なアーティストのように、
絶対性の中で理念を追求して生み出された結果が =「すてきな人」となるのだと
私は思っています。
そして「相対性」に偏り過ぎてしまった今、
この世界で起こっている事態の中で、各個人個人それぞれに「何ができるか」が
問われているように感じます。
とにかく、自分が自分以外の誰かの役に立ちそうなことを考えて、
そして実行していけばいいのだと思います。
今必要なのは「すてきな人」同士が繋がり合うこと!
私たちの人生の大半は、個人ではなく集団によって創られています。
人生のほとんどが与えられたもので成り立っているとしても、
個人個人が意識的に生きていれば独自の方法により、
人生を組み立てて行く道は残されているのです。
そう『全てはあなた次第』です。
ゆっくりで大丈夫です。しっかりと行なっていきましょう!
【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
おはようございます!
小島です。
本日も
【「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。
何事もそうですが、あなたの考え方次第で見えてくる世界は変わります。
私のクライアント様にもいらっしゃいましたが、
漠然と「すごい人なりたいんです!」という方がいらっしゃいます。
ん?「すごい人」?
もちろん、どのような人を目指そうとその方の勝手ですし、自由であって他人が決めることではないので、賛成も反対もいたしませんが、
こういった質問で返しています。
本当になりたいのは、
「すごい人」ですか?
それとも
「すてきな人」ですか? と。
この両者を私のこのように考えています。
「すごい人」というのは、目指しても本当にキリがないこと。
「すてきな人」というのは、自分の理念を確立させることで成り立つこと。
どういうことかというと、
「すごい人」とは、あなた以外の他との関係性の中にあって、
他者による主観的に認識される認識事象です。
また、
他者の個々による共通の事象や環境を想定することによってのみ成り立つ認識です。
一方で、
「すてきな人」というのは、あなたの絶対性がそれを定義できます。
あなたにとって「すてきな人」という理念(根本的な考え方)を確立させることで、
評価基準(モノサシ)は世界(社会)の相対性から脱することができるのです。
なので、
この二つの捉え方としては「絶対性」視点なのか「相対性」視点なのかの違いというです。
この「絶対性」と「相対性」の話しを続けます。
私たちが暮らしている日本の社会では
「相対性」をものすごく大切にしている人が多いと感じています。
例えば、
「何をするか」というより、
「どこにいるか」に重きを置くのです。
言い換えると、
「何の仕事をしたいのか」ではなく、
社会人として
「どこに属していたいか」ということです。
「何ができるか」より「どの地位にいるのか」を重視する社会。ということですね。
このことについては、
ものすごく違和感を感じますし、疑問や危機感を感じてしまいます。
社会の中で優位なポジションに属することに必死になり、
本来目指すべき、目指したかった姿の存在を忘れ、
人として守るべき道義に気づいた頃には、気魄が衰えてしまっている。
やはり常に、
自らに問いを投げかけ、世界に目を向け「こうなりたい!いや、こうなろう!」という
理念を追求することこそ、大切なことなのではないかと感じています。
今日まで私たちの創造性を養ってくれた偉大なアーティストのように、
絶対性の中で理念を追求して生み出された結果が =「すてきな人」となるのだと
私は思っています。
そして「相対性」に偏り過ぎてしまった今、
この世界で起こっている事態の中で、各個人個人それぞれに「何ができるか」が
問われているように感じます。
とにかく、自分が自分以外の誰かの役に立ちそうなことを考えて、
そして実行していけばいいのだと思います。
今必要なのは「すてきな人」同士が繋がり合うこと!
私たちの人生の大半は、個人ではなく集団によって創られています。
人生のほとんどが与えられたもので成り立っているとしても、
個人個人が意識的に生きていれば独自の方法により、
人生を組み立てて行く道は残されているのです。
そう『全てはあなた次第』です。
ゆっくりで大丈夫です。しっかりと行なっていきましょう!
【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
2020年05月04日
【固定点を持たないという唯一の固定点を持つ「不安定型人間」とは?】
【013】
おはようございます!
小島です。
本日も
【「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。
前回、不安定な自分になることも受け入れつつとお伝えして終わりました。
この不安定とはなんなのか?
それは、不安定 =「視野が広い」ということです。
だから逆に、安定とは = 視野が狭いということになるわけです。
どういうことなのか。詳しくみていきましょう。
以前の投稿で、モノゴトは「表裏一体」というお話をしたか、していないか覚えていませんが、おさらいをしておきます。
例えば、
「表」があるから「裏」がある。
「光」があるから「影」がある。
「上」があるから「下」がある。
「前」があるから「後」がある。
「右」があるから、、、まあもういいですね。(ちなみに 左がある。。。)
つまり、
モノゴトは二項対立の関係にあるので、片方がなくなるともう片方もなくなってしまう。
なくなると言うより認識ができなくなるわけなんです。
その中でも、
「善」と「悪」とか
「生」と「死」とか
「真」と「偽」とか
「正常」と「異常」とか。
こういったことも二項対立の関係にあるんですが、
人間というのは、不思議なもので、常に優劣をつけたがるんです。
「どちらがいいのか?」を自分の中に持っていないとなんか不安で、
意思決定ができなくなってしまう。
いわゆるこれが、固定点を持つということですね。
優劣なんて、人間が勝手に作り出した虚像の世界観でしかないのに。。。拘ってしまう。
この「二項対立」については、また今度詳しくお伝えしたいと思います。
フランスの哲学者 : ジャック・デリダ
二項対立の優劣は、反転可能である。
正義は、悪の犠牲の上に成り立つ。
ついつい、寄り道してしまいます。申し訳ありません話を戻します。
安定というのは、一つのことを信じていること。
言い換えるとモノの両極あるうちの片極だけを見ている状態のことです。
不安定というのは、一つのことだけでは信じられずいろいろな角度方向からモノゴトを見ること。常に両極を見ている状態のことです。
安定と不安定の違いは、
二項対立するモノを片極みるのか、両極みるのかの違いということです。
例えば、
工場で生産された製品に不具合が発生したとしましょう。
もちろん原因はなんだったのかを考えますよね。
そこで、
「固定点を持つ安定型人間」は、原因があるという視点を持っているので、原因をすぐに見つけ出します。
このタイプは、簡単に手前にあるものを原因と決めつける特徴を持っています。
一方で、
「固定点を持たない不安定型人間」は、原因があると原因なんてないという視点を持っているので、原因をすぐに特定しないのです。
このタイプは、原因らしきものを信用せず、原因として決めつけないので、いつまでも探し続けるという特徴を持っています。
さて、どちらのタイプの方が視野が広いと思いますか?
考えてみてくださいね。
もう一つ例をあげてみます。
ビジネスにおいて、「成功」したとしましょう。
「固定点を持つ安定型人間」は、今まで苦労してきてやっと成功した!このやり方がよかったんだ。と一つのことに安心しとどまります。
一方で、
「固定点を持たない不安定型人間」は、成功した理由なんてない、成功したかどうかもわからない。と常にとどまることをしません。
ということでまとめてみますと、
・固定点を持つ = 思考停止を意味する。(原因を見つけた時点で思考が停止する)
・固定点を持たない = 思考を常に巡らせる。(原因かどうかを疑うので思考が常に巡る)
考え方としてもみてみると、
・固定点を持つ = 片極を考える。
・固定点を持たない = 両極を考える。
というようになります。
最後にもう一つ、
あなたは海の中にいます。
安定(固定)とは、その場で立ち泳ぎをしてとどまっている状態。
不安定(未固定)とは、とどまらずに流れのまま浮いている状態。
このような例え方もできるのです。
成功者の影には、必ず失敗者がいます。
1位の人の影には、必ずそれ以外の人がいます。
こうして二項対立は成り立っているのです。
影の「お”陰”様で」認識ができる。
ここで勘違いをしないで欲しいのは、どちらがいいとか悪いという話ではないということです。
別にどちらでもいいのです。考えて捉えて解釈するのはあなたですから。
そう、全てはあなた次第だからです。
一つの考え方として、自分自身を俯瞰して見て、自分という概念が持つ固定点は、
いったい何なのかを一度考えてみることも、たまにはよいのではないでしょうか。
「全ては自分次第」です!!
ゆっくりで大丈夫です。しっかりと行なっていきましょう!
【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
おはようございます!
小島です。
本日も
【「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。
前回、不安定な自分になることも受け入れつつとお伝えして終わりました。
この不安定とはなんなのか?
それは、不安定 =「視野が広い」ということです。
だから逆に、安定とは = 視野が狭いということになるわけです。
どういうことなのか。詳しくみていきましょう。
以前の投稿で、モノゴトは「表裏一体」というお話をしたか、していないか覚えていませんが、おさらいをしておきます。
例えば、
「表」があるから「裏」がある。
「光」があるから「影」がある。
「上」があるから「下」がある。
「前」があるから「後」がある。
「右」があるから、、、まあもういいですね。(ちなみに 左がある。。。)
つまり、
モノゴトは二項対立の関係にあるので、片方がなくなるともう片方もなくなってしまう。
なくなると言うより認識ができなくなるわけなんです。
その中でも、
「善」と「悪」とか
「生」と「死」とか
「真」と「偽」とか
「正常」と「異常」とか。
こういったことも二項対立の関係にあるんですが、
人間というのは、不思議なもので、常に優劣をつけたがるんです。
「どちらがいいのか?」を自分の中に持っていないとなんか不安で、
意思決定ができなくなってしまう。
いわゆるこれが、固定点を持つということですね。
優劣なんて、人間が勝手に作り出した虚像の世界観でしかないのに。。。拘ってしまう。
この「二項対立」については、また今度詳しくお伝えしたいと思います。
フランスの哲学者 : ジャック・デリダ
二項対立の優劣は、反転可能である。
正義は、悪の犠牲の上に成り立つ。
ついつい、寄り道してしまいます。申し訳ありません話を戻します。
安定というのは、一つのことを信じていること。
言い換えるとモノの両極あるうちの片極だけを見ている状態のことです。
不安定というのは、一つのことだけでは信じられずいろいろな角度方向からモノゴトを見ること。常に両極を見ている状態のことです。
安定と不安定の違いは、
二項対立するモノを片極みるのか、両極みるのかの違いということです。
例えば、
工場で生産された製品に不具合が発生したとしましょう。
もちろん原因はなんだったのかを考えますよね。
そこで、
「固定点を持つ安定型人間」は、原因があるという視点を持っているので、原因をすぐに見つけ出します。
このタイプは、簡単に手前にあるものを原因と決めつける特徴を持っています。
一方で、
「固定点を持たない不安定型人間」は、原因があると原因なんてないという視点を持っているので、原因をすぐに特定しないのです。
このタイプは、原因らしきものを信用せず、原因として決めつけないので、いつまでも探し続けるという特徴を持っています。
さて、どちらのタイプの方が視野が広いと思いますか?
考えてみてくださいね。
もう一つ例をあげてみます。
ビジネスにおいて、「成功」したとしましょう。
「固定点を持つ安定型人間」は、今まで苦労してきてやっと成功した!このやり方がよかったんだ。と一つのことに安心しとどまります。
一方で、
「固定点を持たない不安定型人間」は、成功した理由なんてない、成功したかどうかもわからない。と常にとどまることをしません。
ということでまとめてみますと、
・固定点を持つ = 思考停止を意味する。(原因を見つけた時点で思考が停止する)
・固定点を持たない = 思考を常に巡らせる。(原因かどうかを疑うので思考が常に巡る)
考え方としてもみてみると、
・固定点を持つ = 片極を考える。
・固定点を持たない = 両極を考える。
というようになります。
最後にもう一つ、
あなたは海の中にいます。
安定(固定)とは、その場で立ち泳ぎをしてとどまっている状態。
不安定(未固定)とは、とどまらずに流れのまま浮いている状態。
このような例え方もできるのです。
成功者の影には、必ず失敗者がいます。
1位の人の影には、必ずそれ以外の人がいます。
こうして二項対立は成り立っているのです。
影の「お”陰”様で」認識ができる。
ここで勘違いをしないで欲しいのは、どちらがいいとか悪いという話ではないということです。
別にどちらでもいいのです。考えて捉えて解釈するのはあなたですから。
そう、全てはあなた次第だからです。
一つの考え方として、自分自身を俯瞰して見て、自分という概念が持つ固定点は、
いったい何なのかを一度考えてみることも、たまにはよいのではないでしょうか。
「全ては自分次第」です!!
ゆっくりで大丈夫です。しっかりと行なっていきましょう!
【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
2020年05月03日
【「こっちを見なさい!」ってむず痒い!安定?不安定?】
【012】
おはようございます!
小島です。
本日も
【「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。
前回、「こっちを見なさい!」って強引に押してけてくる人について少しお伝えしました。
自分の意見があたかも正しいかのように、押し付けてくる人がいらっしゃいます。
このような方がよく使われるキーワードとして「幸せ」と言う言葉があります。
こっちを見れば幸せだよと言わんばかりに押し付けてきます。
ではここで言う「幸せ」とはなんでしょうか?
人それぞれに言葉の解釈の仕方が違うのに、
相手が「幸せになりたいかどうか」なんてわからないのに、
強引に統一しようとするんですよ、不思議ですね。
あなたの「幸せ」と私の「幸せ」は同じなんでしょうか。
同じ意味を持っているのでしょうか。
違いますよね。
というより、比べようのないことですよね。
というより、わざわざ比べなくていいですね。
本来は、
幸せって思いたければ思えばいいし、思いたくなければ思わなくていい。
思いたいか思いたくないかなんて、自分が決めればいいこと。
自分の勝手でいいってことなんですけど、「これが幸せなんだ!」って押し付けてしまうんですね。自己重要感が高くて、自己肯定感が低い方の特徴でもあります。
言葉を変えて例えてみると、
「孤独」という言葉があります。
「孤独」という言葉を聞いて「いいねー」って思う人と、「寂しー」って思う人がいるとします。
これも、まー簡単に言うとどちらでもいいってことです。
まーどうでもいいんですよ、別に相手がどう思っていようが、
あなたには関係のないことですから。
でも多くの人は、自分の意見に共感させようと必死になってしまう。
冒頭にもあったように「こっちを見なさい!」ですね。こうやって必死に向かせようとする。
自分が感じたこと・思ったことが正しいんだよ!ってものすごく必死になってしまう。
あーむず痒いです。そして気持ちが悪い。
このように、
世の中の多くの方は多数派を好み、少数派を避けます。
例えば、10人でクイズをやります。赤と青どちらが正しいでしょうか?と問われるとして、
あなたは「赤だと思うけど自信がありません」そう思って周りの9人を見ると全ての人が「青」と答えている。
あなたは赤を答えとして出せますでしょうか?
例えば、ケーキ屋さんで100円と300円と1000円のケーキが販売されて列をなしています。
100円のケーキの列には誰も並んでいません。
300円のケーキの列には多くの人が並んでいます。
1000円のケーキの列には7,8人並んでいます。
さあ、あなたはどの列に並び、ケーキを買いますか?
なんか、100円のケーキの列に並びくく買い辛いですね。本当はどうでもいいのに。
自分の意見を押し付けてしまう人もそうですが、
世の中では、いろんなことが知らず識らずのうちに「こうゆうものなんだ」と決められ、
そう見せられている。
勝手に決められちゃっている、とてもとても窮屈な世界なんです。
要するに、様々なことが信じ込まされているだけの世界なんですよね、これがいいよって。
これが正しいよって。
こういったことをうまく言語化してビジネスとして回している人が多いから、
つまらない固定点に安心させられている人が絡め取られてしまうんですね。
まあ「当たり前」って思わされているだけなんです。
もう一度よく考えてみましょう。
・結果を出した人が素晴らしいの?
・行動する人がえらいの?
・1日3食とか。朝昼晩じゃなきゃダメなの?
・「自分の人生は自分で決めないと」とよく言われるけどなんで?
いいんじゃないでしょうか、別に他人に決めてもらっても。
案外楽かもしれませんしね。
私は絶対に嫌ですけど。
なんとなく決められていることをあげだすときりがないですが、
これらは誰が決めたんでしょうか。
だって、
そうやって思いたいから、そう決めた人がそう思っていればいいだけのことですよね。
でも、世の中は固定点の押し付けが止まらないのです。
という、私の意見についても、
「何も結論づけることなんてできない」
「何も結論づけることなんてできない」とも結論付けられないし、
「何も結論づけることなんてできない」とも結論付けられないとも結論付けられないし、
「何も結論づけることなんてできない」とも結論付けられないとも結論付けられないとも結論付けられないし・・・・・。
無限ループの不安定な世界へようこそ!
人間って自分の見ている世界が絶対で、自分の固定点から離れることが不安でしょうがない。
でもすごく勝手で、
自分自身の人生を変えたいと思っている時の「変化」は良く捉え、
今世界が何かしらの力により「変化」をしていることには困ってしまっている。
この「変化」は一体何が違うのだろうか?
人間てとっても都合がいいですね。
この先、不安定な自分になることも受け入れつつ、考えていかなくてはいけません。
ゆっくりで大丈夫です。しっかりと行なっていきましょう!
【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
おはようございます!
小島です。
本日も
【「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。
前回、「こっちを見なさい!」って強引に押してけてくる人について少しお伝えしました。
自分の意見があたかも正しいかのように、押し付けてくる人がいらっしゃいます。
このような方がよく使われるキーワードとして「幸せ」と言う言葉があります。
こっちを見れば幸せだよと言わんばかりに押し付けてきます。
ではここで言う「幸せ」とはなんでしょうか?
人それぞれに言葉の解釈の仕方が違うのに、
相手が「幸せになりたいかどうか」なんてわからないのに、
強引に統一しようとするんですよ、不思議ですね。
あなたの「幸せ」と私の「幸せ」は同じなんでしょうか。
同じ意味を持っているのでしょうか。
違いますよね。
というより、比べようのないことですよね。
というより、わざわざ比べなくていいですね。
本来は、
幸せって思いたければ思えばいいし、思いたくなければ思わなくていい。
思いたいか思いたくないかなんて、自分が決めればいいこと。
自分の勝手でいいってことなんですけど、「これが幸せなんだ!」って押し付けてしまうんですね。自己重要感が高くて、自己肯定感が低い方の特徴でもあります。
言葉を変えて例えてみると、
「孤独」という言葉があります。
「孤独」という言葉を聞いて「いいねー」って思う人と、「寂しー」って思う人がいるとします。
これも、まー簡単に言うとどちらでもいいってことです。
まーどうでもいいんですよ、別に相手がどう思っていようが、
あなたには関係のないことですから。
でも多くの人は、自分の意見に共感させようと必死になってしまう。
冒頭にもあったように「こっちを見なさい!」ですね。こうやって必死に向かせようとする。
自分が感じたこと・思ったことが正しいんだよ!ってものすごく必死になってしまう。
あーむず痒いです。そして気持ちが悪い。
このように、
世の中の多くの方は多数派を好み、少数派を避けます。
例えば、10人でクイズをやります。赤と青どちらが正しいでしょうか?と問われるとして、
あなたは「赤だと思うけど自信がありません」そう思って周りの9人を見ると全ての人が「青」と答えている。
あなたは赤を答えとして出せますでしょうか?
例えば、ケーキ屋さんで100円と300円と1000円のケーキが販売されて列をなしています。
100円のケーキの列には誰も並んでいません。
300円のケーキの列には多くの人が並んでいます。
1000円のケーキの列には7,8人並んでいます。
さあ、あなたはどの列に並び、ケーキを買いますか?
なんか、100円のケーキの列に並びくく買い辛いですね。本当はどうでもいいのに。
自分の意見を押し付けてしまう人もそうですが、
世の中では、いろんなことが知らず識らずのうちに「こうゆうものなんだ」と決められ、
そう見せられている。
勝手に決められちゃっている、とてもとても窮屈な世界なんです。
要するに、様々なことが信じ込まされているだけの世界なんですよね、これがいいよって。
これが正しいよって。
こういったことをうまく言語化してビジネスとして回している人が多いから、
つまらない固定点に安心させられている人が絡め取られてしまうんですね。
まあ「当たり前」って思わされているだけなんです。
もう一度よく考えてみましょう。
・結果を出した人が素晴らしいの?
・行動する人がえらいの?
・1日3食とか。朝昼晩じゃなきゃダメなの?
・「自分の人生は自分で決めないと」とよく言われるけどなんで?
いいんじゃないでしょうか、別に他人に決めてもらっても。
案外楽かもしれませんしね。
私は絶対に嫌ですけど。
なんとなく決められていることをあげだすときりがないですが、
これらは誰が決めたんでしょうか。
だって、
そうやって思いたいから、そう決めた人がそう思っていればいいだけのことですよね。
でも、世の中は固定点の押し付けが止まらないのです。
という、私の意見についても、
「何も結論づけることなんてできない」
「何も結論づけることなんてできない」とも結論付けられないし、
「何も結論づけることなんてできない」とも結論付けられないとも結論付けられないし、
「何も結論づけることなんてできない」とも結論付けられないとも結論付けられないとも結論付けられないし・・・・・。
無限ループの不安定な世界へようこそ!
人間って自分の見ている世界が絶対で、自分の固定点から離れることが不安でしょうがない。
でもすごく勝手で、
自分自身の人生を変えたいと思っている時の「変化」は良く捉え、
今世界が何かしらの力により「変化」をしていることには困ってしまっている。
この「変化」は一体何が違うのだろうか?
人間てとっても都合がいいですね。
この先、不安定な自分になることも受け入れつつ、考えていかなくてはいけません。
ゆっくりで大丈夫です。しっかりと行なっていきましょう!
【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
2020年05月02日
【自分なんてどうでもいい、相手にとってどうかが全てだ!】
【011】
おはようございます!
小島です。
本日も
【「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。
あなたは今、仕事が楽しいですか?
朝からすいません。めちゃくちゃベタな質問からスタートしてしまいました。
ですが、こういった質問に結構な確率で遭遇しますし、
その度に、質問自体が終わっているなと思ってしまいます。
私は、仕事が「楽しい」なんて、今まで考えたことがないんです。
でも、誤解しないでください、今の仕事に信念もありますし、とても好きです。
自分で選択してきた道を試行錯誤しながら今まで進んできましたから。
ですが、とても「楽しい」なんていう言葉で表現できるものではありません。
毎日毎日、プレッシャーと自己否定で、満足することはないですし後悔の連続、
いつか自分で納得のできるレベルにいきたいと思いながら向き合い続けているだけなのです。
でもこうも考えていて、自分の仕事に納得をしてしまったら終わりだとも思っています。
よく「この仕事は天職です」なんて言っていらっしゃる方がいますが、
私が考える「天職」とは、他人から評価されるときに使う言葉ではないのかと考えています。
人生をかけて思考し試行錯誤しやり切った後に、自分以外の人から評価されるモノではないのかと。
「自分が楽しい=天職」ではないと思っています。
もし今、自分の仕事が楽しくないなーって、悩んでいる人がいるなら、
そもそも、その問い自体が間違っているので、いますぐにそれを捨ててしまえば問題はなくなり解決します。
このような視点から見れば、世の中には終わっている質問やコトばかりだと思います。
この流れでもう少しお伝えすると、
あなたに対して無理やりに「こっちを見なさい!」なんて強制をするかのように、
あなたには「ない世界」をあえて知らせてくる強引な方っていらっしゃいますね。
言い換えるならば「悪意なき悪意」の持ち主。
自分では、あなたに対していいことをしていると思い込んでいて、「知ること」が正義だと思っている人。
そう、自己重要感を満たしたいだけの人。
自分の「知らせてあげている」という行為が、あなたに対して良い世界を見せてあげている、
教えてあげているんだと思い、そこへ導いてあげているように感じているため、
本人は、なんの躊躇もなくそれをぶつけくるのです。
自分があなたの役に立っている、自分のおかげであなたの人生が良くなっている、
自分はあなたから感謝される人間なんだ。って思いたいからそうしているだけの人。
こう言った人もまた、終わっているなと思うわけです。
強引に知ってしまったことによって、かえって不幸となって、余計な問題に悩んでしまう。
「知らぬが仏」なんて言葉もありますが、知らなかった時の方が幸せだったことなんて、
世の中には沢山あるわけです。
結局は自分ではなく、相手がどうなのか、どう感じるのかが全てあるということです。
私たちは、こういった世界に生きているのです。
ゆっくりで大丈夫です。しっかりと行なっていきましょう!
【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
おはようございます!
小島です。
本日も
【「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。
あなたは今、仕事が楽しいですか?
朝からすいません。めちゃくちゃベタな質問からスタートしてしまいました。
ですが、こういった質問に結構な確率で遭遇しますし、
その度に、質問自体が終わっているなと思ってしまいます。
私は、仕事が「楽しい」なんて、今まで考えたことがないんです。
でも、誤解しないでください、今の仕事に信念もありますし、とても好きです。
自分で選択してきた道を試行錯誤しながら今まで進んできましたから。
ですが、とても「楽しい」なんていう言葉で表現できるものではありません。
毎日毎日、プレッシャーと自己否定で、満足することはないですし後悔の連続、
いつか自分で納得のできるレベルにいきたいと思いながら向き合い続けているだけなのです。
でもこうも考えていて、自分の仕事に納得をしてしまったら終わりだとも思っています。
よく「この仕事は天職です」なんて言っていらっしゃる方がいますが、
私が考える「天職」とは、他人から評価されるときに使う言葉ではないのかと考えています。
人生をかけて思考し試行錯誤しやり切った後に、自分以外の人から評価されるモノではないのかと。
「自分が楽しい=天職」ではないと思っています。
もし今、自分の仕事が楽しくないなーって、悩んでいる人がいるなら、
そもそも、その問い自体が間違っているので、いますぐにそれを捨ててしまえば問題はなくなり解決します。
このような視点から見れば、世の中には終わっている質問やコトばかりだと思います。
この流れでもう少しお伝えすると、
あなたに対して無理やりに「こっちを見なさい!」なんて強制をするかのように、
あなたには「ない世界」をあえて知らせてくる強引な方っていらっしゃいますね。
言い換えるならば「悪意なき悪意」の持ち主。
自分では、あなたに対していいことをしていると思い込んでいて、「知ること」が正義だと思っている人。
そう、自己重要感を満たしたいだけの人。
自分の「知らせてあげている」という行為が、あなたに対して良い世界を見せてあげている、
教えてあげているんだと思い、そこへ導いてあげているように感じているため、
本人は、なんの躊躇もなくそれをぶつけくるのです。
自分があなたの役に立っている、自分のおかげであなたの人生が良くなっている、
自分はあなたから感謝される人間なんだ。って思いたいからそうしているだけの人。
こう言った人もまた、終わっているなと思うわけです。
強引に知ってしまったことによって、かえって不幸となって、余計な問題に悩んでしまう。
「知らぬが仏」なんて言葉もありますが、知らなかった時の方が幸せだったことなんて、
世の中には沢山あるわけです。
結局は自分ではなく、相手がどうなのか、どう感じるのかが全てあるということです。
私たちは、こういった世界に生きているのです。
ゆっくりで大丈夫です。しっかりと行なっていきましょう!
【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
2020年05月01日
【常に「疑い」を持つことが重要!←にも「疑い」をかけよう!】
【010】
おはようございます!
小島です。
本日も
【「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。
前回の文章で、「疑いが生まれてしまいます」とありました。
モノゴトを捉えていく時、常に欠かせない視点があります。
それは「疑い」です。
様々な情報を鵜呑みにすることなく、まずは「疑い」をかけてみる。
という私の言葉すら、早速鵜呑みにしないことが重要です。
しかし、
あらゆるモノに「疑い」をかけていては、疲れ果ててしまいますね。
大切なのは、何に「疑い」をかけていくのかということ。
それは、
「今までの常識」や
「今、正しいとされていること」や
「当たり前だと思っていること」に疑いをかけるのです。
では、この「疑いをかける」視点を身につけるにはどうしたらよいのか?
それは「ない」を考えてみることです。
ない世界を考えてみればいいのです。
「ない」を考えるということは、「ある」を考えないということになります。
要するに「今あること」「今ある世界」を考えないということです。
「ある」を考えないようにするために「疑い」、「ない」を考えていく。
ではどのようにすればよいのか?
例えば「言葉」
この「言葉」が、もしない世界だったとしたら、どうなるのか?を考えていきます。
いやいや無理でしょ!って思いますよね。
でもそういった先入観こそが固定点です。まずは「ない世界」を考えてみることです。
思考して考えに考えて出てきた結果、やはり「言葉」は必要だということになるのであればいいのですが、
初めから「いやいや無理でしょ」と決めつけてしまうことがやはり危険ということなんです。
言葉がないのであれば、
例えば相手に対してジャスチャーで伝える!
音で伝える!描く?匂い?テレパシー?表情で?
でも、相手に伝わったかどうか相手からどう確認しようかな?
色で決めておく。黄色の時は「ハッピー」赤は「怒っている」青は「落ち着いている」とか。
でもそもそも、お互い同じように認識ができるよう、初めに「言葉」で打ち合わせをしておくこともできない。では、何を共通認識とするのか?
だめだ「共通認識」自体が言葉でできてしまっている。困りますね。
結果 ”人間は、言葉を介してしかモノゴトを認識することができない” となるわけです。
こうやって、今まで使っていなかった思考をぐるぐると巡らせる。
今回は、一番の上位概念である「言葉」で行いましたので大変でしたが、
例えば「男女」とか「車両」とか「お金」とか「テレビ」や「スマホ」がない世界とは?
なんていうテーマで考えてみるのもいいと思います。
「疑い」をかけ「ない」世界を考える。
その先には、今のあなたの固定点を解き解すことへと繋がっていきます。
ゆっくりで大丈夫です。しっかりと行なっていきましょう!
【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
おはようございます!
小島です。
本日も
【「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。
前回の文章で、「疑いが生まれてしまいます」とありました。
モノゴトを捉えていく時、常に欠かせない視点があります。
それは「疑い」です。
様々な情報を鵜呑みにすることなく、まずは「疑い」をかけてみる。
という私の言葉すら、早速鵜呑みにしないことが重要です。
しかし、
あらゆるモノに「疑い」をかけていては、疲れ果ててしまいますね。
大切なのは、何に「疑い」をかけていくのかということ。
それは、
「今までの常識」や
「今、正しいとされていること」や
「当たり前だと思っていること」に疑いをかけるのです。
では、この「疑いをかける」視点を身につけるにはどうしたらよいのか?
それは「ない」を考えてみることです。
ない世界を考えてみればいいのです。
「ない」を考えるということは、「ある」を考えないということになります。
要するに「今あること」「今ある世界」を考えないということです。
「ある」を考えないようにするために「疑い」、「ない」を考えていく。
ではどのようにすればよいのか?
例えば「言葉」
この「言葉」が、もしない世界だったとしたら、どうなるのか?を考えていきます。
いやいや無理でしょ!って思いますよね。
でもそういった先入観こそが固定点です。まずは「ない世界」を考えてみることです。
思考して考えに考えて出てきた結果、やはり「言葉」は必要だということになるのであればいいのですが、
初めから「いやいや無理でしょ」と決めつけてしまうことがやはり危険ということなんです。
言葉がないのであれば、
例えば相手に対してジャスチャーで伝える!
音で伝える!描く?匂い?テレパシー?表情で?
でも、相手に伝わったかどうか相手からどう確認しようかな?
色で決めておく。黄色の時は「ハッピー」赤は「怒っている」青は「落ち着いている」とか。
でもそもそも、お互い同じように認識ができるよう、初めに「言葉」で打ち合わせをしておくこともできない。では、何を共通認識とするのか?
だめだ「共通認識」自体が言葉でできてしまっている。困りますね。
結果 ”人間は、言葉を介してしかモノゴトを認識することができない” となるわけです。
こうやって、今まで使っていなかった思考をぐるぐると巡らせる。
今回は、一番の上位概念である「言葉」で行いましたので大変でしたが、
例えば「男女」とか「車両」とか「お金」とか「テレビ」や「スマホ」がない世界とは?
なんていうテーマで考えてみるのもいいと思います。
「疑い」をかけ「ない」世界を考える。
その先には、今のあなたの固定点を解き解すことへと繋がっていきます。
ゆっくりで大丈夫です。しっかりと行なっていきましょう!
【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
2020年04月30日
【インプットもアウトプットも間違い?要するに「イントプット!」】
【009】
おはようございます!
小島です。
本日も
【「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。
ある人は、インプットが大事なんだ!とか、またある人は、いやいやアウトプットが大事ですよ!
色々なことを言われますが、あなたはどちらが大事だとお考えでしょうか?
私の考え方は、どちらも大事。
というありきたりな答えではなく、
そもそも、なぜ別々に分けてしまうのかな?という疑問が生まれてしまいます。
インプットもアウトプットも同じことで、一つの塊り、
つまり「イントプット」が私の考え方になります。
イントプット?当然そうなることだと思いますが、
「イントプット」なんて言葉は、もちろんありません。
ありませんというより、今はこの世の中にはない。が正しい言い方でしょうか。
つまり、二つでひとつのコトなのに、
世の中では、わざわざ分けて使い、表現してしまっている。
一般的にインプットと言われるモノは、目や耳、皮膚で感じる感覚などで行います。
そして、アウトプットと言われるモノは、口や体、様々な表現方法で行います。
どちらもとても重要であり、どちらもあまり意味はありません。
入れなければ出せないし、出したければ入れるしかない。
モノゴトは表裏一体であり二つで一つ。
どちらかが欠けてしまっては、成り立つことはできないのです。
表があるから裏がある。
インプットがあるからアウトプットがある。
まず全体(イントプット)があって、
その中で部分(インプット・アウトプット)が振り分けられている。
インプットという学びをしながら、常にアウトプットという行動をする。
この二つのことを繰り返し繰り返し行う一連の流れが「イントプット」です。
とにかく集中して目から耳から皮膚から全ての情報をインプットする。
この時に重要なのは、「メモる」ことに集中をしないこと。
この「メモる」という行為がインプットの邪魔をします。
インプットとはあなたの思考をぐるぐる回し、巡らせて集中すること。
「メモる」なんて時間がもったいないのです。
もしどうしてもメモりたいのであれば、ポイントとなる単語のみメモること。
それ以外は、とにかくインプットすることに集中する!
そして、すぐにアウトプットすること!
後回しすると、インプットは消滅してしまいます。
メモをするということはインプットではなく、それはただのインプット仮置き状態です。
「今私は、まだインプットができません」という表れなんです。
また、「アウトプットできない」という方もいらっしゃいますが、
それは、そもそもインプットができていない。
出来ていたつもりになっていただけで、
一時的な知識欲が満たされた状態になっていただけだったんです。
これからは「イントプット」(インプット・アウトプットは一つ)を意識していきましょう!
ゆっくりで大丈夫です。しっかりと行なっていきましょう!
スイスの言語哲学者 フェルディナン・ド・ソシュール
: まず全体があって、その中で部分の世界が振り分けられている。
【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
おはようございます!
小島です。
本日も
【「言葉」との向き合い方 】
についてお伝えしていきたいと思います。
ある人は、インプットが大事なんだ!とか、またある人は、いやいやアウトプットが大事ですよ!
色々なことを言われますが、あなたはどちらが大事だとお考えでしょうか?
私の考え方は、どちらも大事。
というありきたりな答えではなく、
そもそも、なぜ別々に分けてしまうのかな?という疑問が生まれてしまいます。
インプットもアウトプットも同じことで、一つの塊り、
つまり「イントプット」が私の考え方になります。
イントプット?当然そうなることだと思いますが、
「イントプット」なんて言葉は、もちろんありません。
ありませんというより、今はこの世の中にはない。が正しい言い方でしょうか。
つまり、二つでひとつのコトなのに、
世の中では、わざわざ分けて使い、表現してしまっている。
一般的にインプットと言われるモノは、目や耳、皮膚で感じる感覚などで行います。
そして、アウトプットと言われるモノは、口や体、様々な表現方法で行います。
どちらもとても重要であり、どちらもあまり意味はありません。
入れなければ出せないし、出したければ入れるしかない。
モノゴトは表裏一体であり二つで一つ。
どちらかが欠けてしまっては、成り立つことはできないのです。
表があるから裏がある。
インプットがあるからアウトプットがある。
まず全体(イントプット)があって、
その中で部分(インプット・アウトプット)が振り分けられている。
インプットという学びをしながら、常にアウトプットという行動をする。
この二つのことを繰り返し繰り返し行う一連の流れが「イントプット」です。
とにかく集中して目から耳から皮膚から全ての情報をインプットする。
この時に重要なのは、「メモる」ことに集中をしないこと。
この「メモる」という行為がインプットの邪魔をします。
インプットとはあなたの思考をぐるぐる回し、巡らせて集中すること。
「メモる」なんて時間がもったいないのです。
もしどうしてもメモりたいのであれば、ポイントとなる単語のみメモること。
それ以外は、とにかくインプットすることに集中する!
そして、すぐにアウトプットすること!
後回しすると、インプットは消滅してしまいます。
メモをするということはインプットではなく、それはただのインプット仮置き状態です。
「今私は、まだインプットができません」という表れなんです。
また、「アウトプットできない」という方もいらっしゃいますが、
それは、そもそもインプットができていない。
出来ていたつもりになっていただけで、
一時的な知識欲が満たされた状態になっていただけだったんです。
これからは「イントプット」(インプット・アウトプットは一つ)を意識していきましょう!
ゆっくりで大丈夫です。しっかりと行なっていきましょう!
スイスの言語哲学者 フェルディナン・ド・ソシュール
: まず全体があって、その中で部分の世界が振り分けられている。
【LIBERAL & CREATIVE】ALIVE.
最後までお読みいただき、ありがとうございました!