2010年11月27日
登校拒否からグレていった息子の話しNo.2
● 親の考え方を根本から変える
前回から続きます。
もう少し詳しく、息子とのことをお話ししましょう。
彼が登校拒否をするようになってからしばらく考えました。
私は、彼のことが本当に好きだろうか?
私は、彼を心から愛しているだろうか?
私は、彼を理解しているだろうか?
私は、彼を信じているだろうか?
私は、彼を大事にしているだろうか?
私は、彼のすべてを受け入れることができるだろうか?
私は、彼にとってどんな存在だろうか?
私は、彼に何が出来るのだろうか?
私は、彼とこれからいっしょに生活出来るだろうか?
とにかく、考えつくことを考えました。
ある時、 おれは翔の父親だ! (翔は本名です)
と心の中で叫んだのです。
その時から、翔のことを全て受け止めようと素直に思いました。
そうは思っても彼の行動は変わりませんでした。
しかし、私は息子を信じるようになっていました。
この子は、今はこんなんだけど必ず良くなると信じたのです。
家に帰ってこない日も続いたのですが、帰ってくるたびに
彼と出来る限り話しをするようにしました。
最初は面倒くさがっていましたが、次第に私の話しを聞くようになりました。
話しをすると言っても、説教がましいことは言わず、
ただ、お前のことを信じてるからなと言う程度です。
それを根気よく続けました。
彼の素行はしばらく変わりませんでした。
しかし、少しづつではありますが、私との信頼関係が出てきたようで
私に会うたびに、自分のことを少しづつ話すようになりました。
その時も、お前のことは信じてるからねと、必ず言うようにしていました。
私が彼に対して考え方を変えてから約2年経った頃、
丁度卒業式を迎える頃だったと思いますが、
ある出来事がありました。
それは、学校で不登校の生徒やヤンキーと言われる生徒を
卒業式に出さないという話しが持ち上がりました。
当然、私の息子もその中に入っています。
その時、私は激怒しました。
何を学校は考えているのかと。
この話しがある前に
学校もろくに行っていない息子から
卒業式だけは出たいと聞かされていました。
本人が出たくないと言っているなら
別に何とも思わなかったのですが。
実は、私の親は学校の教師をしていまして、現在は他界していませんが、
私の父は昔、荒れている学校に赴任してその学校を立て直した経験をもっている
熱血先生で尊敬の出来る親でした。
父から卒業式の前日になるとよく聞かされていたことを
その時思い出しました。
グレている生徒や不登校の生徒をいかにして卒業式に出させるかを
真剣に語っていたことを思い出したのです。
私は、息子の中学校に電話しました。
(本当は学校に乗り込んでやろうかと思ったのですが、ママに止められました、笑)
担任の先生に抗議しました。私の父のことを話しに出して真剣に抗議しました。
そのことで、何とか卒業式に出ることができました。
●本当の親になった時
無事中学を卒業した彼は、
なんと、
自分の本当の父親のところへ
行くと言って家を出ていってしまったのです。
本音を言うと、その時少しほっとしました。
かっこいいこと言って、彼の親父だなんて言っていた私は
やっぱり本当の親にはなれませんでした。
それは、しかたが無いことなのかなと、その時思いました。
それから時が過ぎ、
卒業の年の夏だったと思いますが、
突然、息子から電話でそっちに帰ると連絡がありました。
何故かその時は、少し嬉しかったのを覚えています。
事情は聞きませんでしたから、なぜ帰ってくるのか解りませんでした。
事情はどうあれ帰ってくることは、大歓迎でした。
帰ってきてからも、素行はあまり良くなく
夜は暴走族に入り、家には帰ってくることはあまりありませんでした。
以前と少し違っていたことは、私には何でも話しをしてくれました。
暴走族のことや警察に目をつけられていることやとにかく
私には正直理解不能なことばかりでした。
しかし、彼を信じ続けました。
とにかくいろんなことがありました。
そうこうしていると、彼から
多分自分は、鑑別か少年院に行くことになるかもしれないと
打ち明けられました。
私は驚きませんでした。
なるようになっただけです。
私は、いつかそうなるだろうと思っていました。
そのことは、彼のには以前から伝えていました。
今のままだと警察に捕まることを。
それから、1ヵ月後位に弁護士から連絡があり
裁判所に出頭するようにとのことでした。
判決が下り、少年院はなんとか免れましたが、
鑑別所へ入ることになりました。
49日間です。
その時私は、息子が鑑別所に入ることで大きく彼が変わる様な予感がしました。
10日過ぎた頃でしょうか、彼から手紙が来ました。
手紙には、今までの自分がしてきたことの反省が綴られていました。
本当に迷惑をかけたこと、心配かけたこと、心の叫びの様に感じました。
最後に、私にお詫びの文面が綴られていました。
そこには、私のことを「お父さん」と書かれていました。
今もそのことを思い出すと込み上げてくるものがあります。
その時、始めて本当の親子になれたように感じました。
49日間が済み、家に帰ってきたときはビックリするほど
変わっていました。
その時から、彼は大きく変化しました。
元々、気の優しい思いやりのある子供のはずが
私という知らないオヤジと一緒に住むようになって
彼は、戸惑いの中でしばらく生き続けなければならない環境で
自分をどうしていいか解らなかったと思います。
もっと早く、彼を理解していれば、こんな目に遭わなかったのかもしれません。
親の都合で離婚し、父親と離ればなれになった彼の気持ちを
もっと早く知ってやるべきでした。
彼には、本当に申し訳ないことをしたと思っています。
今では、家族で旅行したり、食事に行ったりと、
楽しい毎日を過ごしています。
私の誕生日になると必ずプレゼントをくれます。
働いた少ない給料の中から、買ってくれています。
今は本当に幸せです。
私は、彼からいろいろ学びました。
親の都合やエゴや八つ当たりをして
子供を混乱させていることを知るべきです。
子供を見れば、親が解るといいます。
子供を仕付ける前に、親が親としての自覚を持って
子供と接する必要があるのではないでしょうか。
とても、長くなってしまいましたが、
お付き合い頂きありがとうございました。
私の考えは100%ではありません。
私も成長を続けていきたいと願っていますので、
ご意見、中傷、何でもお受けいたします。
もし、子供のことでお悩みの方がありましたら、
コメントして下さい。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
ここでは、書ききれない他にも沢山の気づきを
息子からもらいました。
その時のことについては、
気が向いたら、書こうと思います。
前回から続きます。
もう少し詳しく、息子とのことをお話ししましょう。
彼が登校拒否をするようになってからしばらく考えました。
私は、彼のことが本当に好きだろうか?
私は、彼を心から愛しているだろうか?
私は、彼を理解しているだろうか?
私は、彼を信じているだろうか?
私は、彼を大事にしているだろうか?
私は、彼のすべてを受け入れることができるだろうか?
私は、彼にとってどんな存在だろうか?
私は、彼に何が出来るのだろうか?
私は、彼とこれからいっしょに生活出来るだろうか?
とにかく、考えつくことを考えました。
ある時、 おれは翔の父親だ! (翔は本名です)
と心の中で叫んだのです。
その時から、翔のことを全て受け止めようと素直に思いました。
そうは思っても彼の行動は変わりませんでした。
しかし、私は息子を信じるようになっていました。
この子は、今はこんなんだけど必ず良くなると信じたのです。
家に帰ってこない日も続いたのですが、帰ってくるたびに
彼と出来る限り話しをするようにしました。
最初は面倒くさがっていましたが、次第に私の話しを聞くようになりました。
話しをすると言っても、説教がましいことは言わず、
ただ、お前のことを信じてるからなと言う程度です。
それを根気よく続けました。
彼の素行はしばらく変わりませんでした。
しかし、少しづつではありますが、私との信頼関係が出てきたようで
私に会うたびに、自分のことを少しづつ話すようになりました。
その時も、お前のことは信じてるからねと、必ず言うようにしていました。
私が彼に対して考え方を変えてから約2年経った頃、
丁度卒業式を迎える頃だったと思いますが、
ある出来事がありました。
それは、学校で不登校の生徒やヤンキーと言われる生徒を
卒業式に出さないという話しが持ち上がりました。
当然、私の息子もその中に入っています。
その時、私は激怒しました。
何を学校は考えているのかと。
この話しがある前に
学校もろくに行っていない息子から
卒業式だけは出たいと聞かされていました。
本人が出たくないと言っているなら
別に何とも思わなかったのですが。
実は、私の親は学校の教師をしていまして、現在は他界していませんが、
私の父は昔、荒れている学校に赴任してその学校を立て直した経験をもっている
熱血先生で尊敬の出来る親でした。
父から卒業式の前日になるとよく聞かされていたことを
その時思い出しました。
グレている生徒や不登校の生徒をいかにして卒業式に出させるかを
真剣に語っていたことを思い出したのです。
私は、息子の中学校に電話しました。
(本当は学校に乗り込んでやろうかと思ったのですが、ママに止められました、笑)
担任の先生に抗議しました。私の父のことを話しに出して真剣に抗議しました。
そのことで、何とか卒業式に出ることができました。
●本当の親になった時
無事中学を卒業した彼は、
なんと、
自分の本当の父親のところへ
行くと言って家を出ていってしまったのです。
本音を言うと、その時少しほっとしました。
かっこいいこと言って、彼の親父だなんて言っていた私は
やっぱり本当の親にはなれませんでした。
それは、しかたが無いことなのかなと、その時思いました。
それから時が過ぎ、
卒業の年の夏だったと思いますが、
突然、息子から電話でそっちに帰ると連絡がありました。
何故かその時は、少し嬉しかったのを覚えています。
事情は聞きませんでしたから、なぜ帰ってくるのか解りませんでした。
事情はどうあれ帰ってくることは、大歓迎でした。
帰ってきてからも、素行はあまり良くなく
夜は暴走族に入り、家には帰ってくることはあまりありませんでした。
以前と少し違っていたことは、私には何でも話しをしてくれました。
暴走族のことや警察に目をつけられていることやとにかく
私には正直理解不能なことばかりでした。
しかし、彼を信じ続けました。
とにかくいろんなことがありました。
そうこうしていると、彼から
多分自分は、鑑別か少年院に行くことになるかもしれないと
打ち明けられました。
私は驚きませんでした。
なるようになっただけです。
私は、いつかそうなるだろうと思っていました。
そのことは、彼のには以前から伝えていました。
今のままだと警察に捕まることを。
それから、1ヵ月後位に弁護士から連絡があり
裁判所に出頭するようにとのことでした。
判決が下り、少年院はなんとか免れましたが、
鑑別所へ入ることになりました。
49日間です。
その時私は、息子が鑑別所に入ることで大きく彼が変わる様な予感がしました。
10日過ぎた頃でしょうか、彼から手紙が来ました。
手紙には、今までの自分がしてきたことの反省が綴られていました。
本当に迷惑をかけたこと、心配かけたこと、心の叫びの様に感じました。
最後に、私にお詫びの文面が綴られていました。
そこには、私のことを「お父さん」と書かれていました。
今もそのことを思い出すと込み上げてくるものがあります。
その時、始めて本当の親子になれたように感じました。
49日間が済み、家に帰ってきたときはビックリするほど
変わっていました。
その時から、彼は大きく変化しました。
元々、気の優しい思いやりのある子供のはずが
私という知らないオヤジと一緒に住むようになって
彼は、戸惑いの中でしばらく生き続けなければならない環境で
自分をどうしていいか解らなかったと思います。
もっと早く、彼を理解していれば、こんな目に遭わなかったのかもしれません。
親の都合で離婚し、父親と離ればなれになった彼の気持ちを
もっと早く知ってやるべきでした。
彼には、本当に申し訳ないことをしたと思っています。
今では、家族で旅行したり、食事に行ったりと、
楽しい毎日を過ごしています。
私の誕生日になると必ずプレゼントをくれます。
働いた少ない給料の中から、買ってくれています。
今は本当に幸せです。
私は、彼からいろいろ学びました。
親の都合やエゴや八つ当たりをして
子供を混乱させていることを知るべきです。
子供を見れば、親が解るといいます。
子供を仕付ける前に、親が親としての自覚を持って
子供と接する必要があるのではないでしょうか。
とても、長くなってしまいましたが、
お付き合い頂きありがとうございました。
私の考えは100%ではありません。
私も成長を続けていきたいと願っていますので、
ご意見、中傷、何でもお受けいたします。
もし、子供のことでお悩みの方がありましたら、
コメントして下さい。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
ここでは、書ききれない他にも沢山の気づきを
息子からもらいました。
その時のことについては、
気が向いたら、書こうと思います。