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2023年05月18日
私が病院へ行くまで(4)
どうも potamiaです。
前回に引き続き大学でのことを書いていきたいと思います。
高校時代での出来事により、被害妄想や人に対して不信感を抱くようになった私は、加えて持ち前の劣等感に苛まれながらも大学生活を送っていました。
私は、他人を信じられないながらも、やはり孤独には耐えられず、サークルへ入ることにしました。
そのサークルは、新聞を作ったり、ブログを更新したりするサークルでした。
仮にも、美大へ進むことを検討していたので、美術系統のサークルも考えはしましたが、やはり自身がなく、なにより半ば強引な勧誘に押し負けて新聞サークルに入ることになりました。
そのサークルに入った理由は、ただ人と接せられるならどこでもよかったからだったと今は思います。
しかし、この選択は私にとって良い方向へ作用しました。
新聞を作成するにあたり、記者として、色々な人にインタビューをしたり、新聞発行にあたり、教員らと打ち合わせをしたり、人と接することがとても多くなりました。
人を信じられない私でも、ビジネスライク的な関わり方ならなんとかできました。
しかし、幼少の頃から私を悩ませていた、忘れ物癖、先延ばし癖により、取材のアポの取り忘れ、記事の締め切りギリギリでの提出が多発し、周りの部員からは呆れられてしまいました。
その日のやる事をリスト化したり、締め切りに間に合うように時間を上手く使ったりすれば良かったのですが、私は次第に、自分の癖を克服するのではなく、周りからの評価が下がったことを気にして落ち込むことが増え、サークルにもあまり顔を出さなくなりました。
それに付随して、大学での講義も欠席することも増えていきました。サークルへ顔を出していないことを負い目に感じ、大学の校舎内で見られたらどうしよう、怒っていたらどうしようと、周りの目が気になり、恐くて仕方がありませんでした。
高校時代に裏切られた経験から、私自身が裏切った側になってしまったのではないかと思い、不安から遂に大学へすら行かなくなってしまいました。
過去のことを思いだしながら書くのは、なかなか辛いですね。
この後、結局留年まで行くのですが、そのことは次回にさせていただきます。
前回に引き続き大学でのことを書いていきたいと思います。
高校時代での出来事により、被害妄想や人に対して不信感を抱くようになった私は、加えて持ち前の劣等感に苛まれながらも大学生活を送っていました。
仮初の充実
私は、他人を信じられないながらも、やはり孤独には耐えられず、サークルへ入ることにしました。
そのサークルは、新聞を作ったり、ブログを更新したりするサークルでした。
仮にも、美大へ進むことを検討していたので、美術系統のサークルも考えはしましたが、やはり自身がなく、なにより半ば強引な勧誘に押し負けて新聞サークルに入ることになりました。
そのサークルに入った理由は、ただ人と接せられるならどこでもよかったからだったと今は思います。
しかし、この選択は私にとって良い方向へ作用しました。
新聞を作成するにあたり、記者として、色々な人にインタビューをしたり、新聞発行にあたり、教員らと打ち合わせをしたり、人と接することがとても多くなりました。
人を信じられない私でも、ビジネスライク的な関わり方ならなんとかできました。
性質による挫折のはじまり
しかし、幼少の頃から私を悩ませていた、忘れ物癖、先延ばし癖により、取材のアポの取り忘れ、記事の締め切りギリギリでの提出が多発し、周りの部員からは呆れられてしまいました。
その日のやる事をリスト化したり、締め切りに間に合うように時間を上手く使ったりすれば良かったのですが、私は次第に、自分の癖を克服するのではなく、周りからの評価が下がったことを気にして落ち込むことが増え、サークルにもあまり顔を出さなくなりました。
それに付随して、大学での講義も欠席することも増えていきました。サークルへ顔を出していないことを負い目に感じ、大学の校舎内で見られたらどうしよう、怒っていたらどうしようと、周りの目が気になり、恐くて仕方がありませんでした。
高校時代に裏切られた経験から、私自身が裏切った側になってしまったのではないかと思い、不安から遂に大学へすら行かなくなってしまいました。
過去のことを思いだしながら書くのは、なかなか辛いですね。
この後、結局留年まで行くのですが、そのことは次回にさせていただきます。
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2023年05月17日
私が病院へ行くまで(3)
どうも potamiaです。
今回も前回からの続きから書いていきたいと思います。
高校でのお話が終わったということで今回は大学でのお話を書いていきます。
私は高校時代、総合学科ということもあり、興味のあった美術を専攻していました。なので、当初は美大へ行こうかと考えていましたが、持ち前の劣等感に悩み、自分なんかが美術を学んだところで、周りとの才能の差に落ち込むだけだと思い、美大への進学は断念してしまいました。
挑戦する前から諦めていたのです。言わば、挑戦への恐怖とでもいいましょうか。
そういう訳で、興味の全くない文学科の大学へ進むことにしました。
なぜなら、元より興味のない分野ならば気楽に学べるかと考えたからです。
当時の私は、大学をとりあえず卒業してどこかへ就職しようと考えていました。
しかし、これで分かる通りそんな考えで通える程、甘い場所ではありませんでした。
その後、大学への入学はしたものの、漠然とした目標すらなく惰性に満ち溢れた毎日を過ごしていました。
友人はおらず、作れず、辛うじてサークルに入ったことでできた同期と仲良くはしていたものの、高校時代の件もあり、若干ながら人間不信になってしまい、どうしても相手に対して壁をつくっていました。そのせいで、相手が心優しく接していても、どこか信用できない、どうせ裏切る、と考えてしまっていました。
人と接する度に、心の中では私のことを笑っているんじゃないだろうか、いつか利用されるだけされて裏切られるんじゃないだろうか、と被害妄想に苦しめられていました。
そんな中でも、大学へ通い講義を受け生活できていました。それは、まだ心が丈夫だったからだと思います。
続きは次回で。
今回も前回からの続きから書いていきたいと思います。
高校でのお話が終わったということで今回は大学でのお話を書いていきます。
1・挑戦しないという惰性
私は高校時代、総合学科ということもあり、興味のあった美術を専攻していました。なので、当初は美大へ行こうかと考えていましたが、持ち前の劣等感に悩み、自分なんかが美術を学んだところで、周りとの才能の差に落ち込むだけだと思い、美大への進学は断念してしまいました。
挑戦する前から諦めていたのです。言わば、挑戦への恐怖とでもいいましょうか。
そういう訳で、興味の全くない文学科の大学へ進むことにしました。
なぜなら、元より興味のない分野ならば気楽に学べるかと考えたからです。
当時の私は、大学をとりあえず卒業してどこかへ就職しようと考えていました。
しかし、これで分かる通りそんな考えで通える程、甘い場所ではありませんでした。
その後、大学への入学はしたものの、漠然とした目標すらなく惰性に満ち溢れた毎日を過ごしていました。
2・被害妄想と恐怖
友人はおらず、作れず、辛うじてサークルに入ったことでできた同期と仲良くはしていたものの、高校時代の件もあり、若干ながら人間不信になってしまい、どうしても相手に対して壁をつくっていました。そのせいで、相手が心優しく接していても、どこか信用できない、どうせ裏切る、と考えてしまっていました。
人と接する度に、心の中では私のことを笑っているんじゃないだろうか、いつか利用されるだけされて裏切られるんじゃないだろうか、と被害妄想に苦しめられていました。
そんな中でも、大学へ通い講義を受け生活できていました。それは、まだ心が丈夫だったからだと思います。
続きは次回で。
2023年05月07日
私が病院へいくまで(2)
どうも potamiaです。
今回は、前回の続きということで、高校生活での出来事を簡単に書いていこうかと思います。
高校入学後も相変わらず、忘れ物癖、先延ばし癖は続き、それが原因で入学当初に入部した部活も長く続かず、2年の夏に辞めてしまいました。和太鼓を演奏する部活に所属していましたが、物覚えも悪く、そういった所が同期からするとやる気が無い様に見えていたらしく、仲違いの末辞めることにしました。
今思い返すと、私の他に対する劣等感は、ここで芽生えたと言ってもいいでしょう。
そんな私でも高校生という多感な時期だったため、クラスの同級生に恋をしたりもしました。
仮に、私が恋をした相手の子をA子としましょう。
私はA子に好意を寄せていることを、親友のB太に相談しました。
B太は快く、私とA子との仲を取り持ってくれました。
それから何度も、A子とB太と私3人で昼食を共にしたり、遊びに行ったりしました。
その甲斐があり、私とA子はいい関係になりつつありました。
そんなこんなで、私は浮かれていました。
ある日、下校の時間、B太から教室へ残るよう言われた私は、何の用かと待っていました。
しかし、5分、10分待ってもB太が来ない。なので彼にもう帰るというウマの連絡をしようとした時、B太はやっと現れました。しかし、隣にはA子もいました。
どういうことなのか理解できていない私を置いてけぼりに、B太は口を開きました。
「俺たち付き合うことになったから。」
この時の衝撃は忘れられません。B太は、はじめから私を利用していたのです。
こんなことが、映画やドラマ以外で起こるなんて信じられませんでした。
それ以来、周りに対する不信感は強まり、男女ともに信じられなくなりました。
この辺で今回は終わりにします。
今回は、前回の続きということで、高校生活での出来事を簡単に書いていこうかと思います。
1.劣等感
高校入学後も相変わらず、忘れ物癖、先延ばし癖は続き、それが原因で入学当初に入部した部活も長く続かず、2年の夏に辞めてしまいました。和太鼓を演奏する部活に所属していましたが、物覚えも悪く、そういった所が同期からするとやる気が無い様に見えていたらしく、仲違いの末辞めることにしました。
今思い返すと、私の他に対する劣等感は、ここで芽生えたと言ってもいいでしょう。
2.人間不信
そんな私でも高校生という多感な時期だったため、クラスの同級生に恋をしたりもしました。
仮に、私が恋をした相手の子をA子としましょう。
私はA子に好意を寄せていることを、親友のB太に相談しました。
B太は快く、私とA子との仲を取り持ってくれました。
それから何度も、A子とB太と私3人で昼食を共にしたり、遊びに行ったりしました。
その甲斐があり、私とA子はいい関係になりつつありました。
そんなこんなで、私は浮かれていました。
ある日、下校の時間、B太から教室へ残るよう言われた私は、何の用かと待っていました。
しかし、5分、10分待ってもB太が来ない。なので彼にもう帰るというウマの連絡をしようとした時、B太はやっと現れました。しかし、隣にはA子もいました。
どういうことなのか理解できていない私を置いてけぼりに、B太は口を開きました。
「俺たち付き合うことになったから。」
この時の衝撃は忘れられません。B太は、はじめから私を利用していたのです。
こんなことが、映画やドラマ以外で起こるなんて信じられませんでした。
それ以来、周りに対する不信感は強まり、男女ともに信じられなくなりました。
この辺で今回は終わりにします。
2023年05月05日
私が病院へ行くまで(1)
どうも potamiaです。
前回は簡単(すぎ)な自己紹介で終わらせてしまい申し訳ありませんでした。
(1分以内に読み終えられるのでぜひ、時間のある方は観てください。)
ということで今回ですが、私がADHDだと診断されるまでの経緯を語っていきたいと思います。
私は、幼少の頃から忘れ物がひどい子どもでした。教科書は当然のこと、筆箱、家の鍵とあらゆる必需品を持っていくのを忘れ、よく担任の教師に怒られていました。ひどい時は、トイレのスリッパを履いたまま下校をしてしまう始末でした。今思うと、小学生にみなさんが経験するような忘れ物の範疇を優に超えていたのかもしれません。これらの忘れ物は、小学生の頃だけでは収まらず、中学、高校と続きました。親からの執拗なまでの手荷物チェック、それがなければ万全に登校することも難しい学生生活であったと言っても過言ではありませんでした。
加えて、大事な物事を先延ばしにしてしまう癖があります。
例えば、小学生の半数は経験したことでしょうが、夏休みの宿題を8月最終日まで手付かずで放置してしまい、慌てて宿題にとりかかるということが6年間続いていました。忘れ物と同じく、宿題、課題に限らず、プライベートな期限ですらギリギリまでため込み、もう手遅れだったなんてことがよくありました。
しかし、私の中で、自分が周りと比べておかしいとは全く気付いていませんでした。
なぜなら周りのみんなも私と同じだと思っていたからです。
しかし、高校生活で、周りとの違いに少しながら気付きはじめました。
続きは次回投稿させていただきます。
前回は簡単(すぎ)な自己紹介で終わらせてしまい申し訳ありませんでした。
(1分以内に読み終えられるのでぜひ、時間のある方は観てください。)
ということで今回ですが、私がADHDだと診断されるまでの経緯を語っていきたいと思います。
私は、幼少の頃から忘れ物がひどい子どもでした。教科書は当然のこと、筆箱、家の鍵とあらゆる必需品を持っていくのを忘れ、よく担任の教師に怒られていました。ひどい時は、トイレのスリッパを履いたまま下校をしてしまう始末でした。今思うと、小学生にみなさんが経験するような忘れ物の範疇を優に超えていたのかもしれません。これらの忘れ物は、小学生の頃だけでは収まらず、中学、高校と続きました。親からの執拗なまでの手荷物チェック、それがなければ万全に登校することも難しい学生生活であったと言っても過言ではありませんでした。
加えて、大事な物事を先延ばしにしてしまう癖があります。
例えば、小学生の半数は経験したことでしょうが、夏休みの宿題を8月最終日まで手付かずで放置してしまい、慌てて宿題にとりかかるということが6年間続いていました。忘れ物と同じく、宿題、課題に限らず、プライベートな期限ですらギリギリまでため込み、もう手遅れだったなんてことがよくありました。
しかし、私の中で、自分が周りと比べておかしいとは全く気付いていませんでした。
なぜなら周りのみんなも私と同じだと思っていたからです。
しかし、高校生活で、周りとの違いに少しながら気付きはじめました。
続きは次回投稿させていただきます。