多様性社社会が多様化を失くしている事実
多様性社会を否定的に発言すれば、まるで今の時代がわかっていないかのように批判され、有名人であれば職を辞めなくてはいけないぐらい批判されている。
多様性社会を目指すなら多様性社会を否定する人もいても良いはず
なぜ、世界で多様性社会を目指しているが実現しないかの理由の一つに、自分の考え・主張を押し付ける傾向にあるためである。なぜ、多様性を否定する人は批判されるのだろうか?多様性とは社会には色々な考えや背景を持った人たちがいて、それぞれの人々を認め合いましょうという考え方であるが、でも多様性を否定する発言をすれば叩かれる。もちろん、その人が誰かを差別するような行動に出れば問題であるが、単に考えを言っただけでも批判されてしまう。まさに魔女狩りの世界に戻ってきたようである。
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多様性という言葉が先行する謎
そもそも、人は100人いれば100人とも違う背景を抱き、違う思考を持っており、誰一人として同じ存在はいない。そのため、人間社会では多様性が根底に既に根付いている。
ただ、 不当な差別や偏見など人間社会で起きるから多様性を認めることが大事 と言っているのだろう。
でも、誰もが人と違うことを受け入れる心の広さを持っていることが少ない(*限度がある)。例えば、友達と待ち合わせをしていて2時間遅刻をしてきた時に相手が笑いながら来た際にどう思いますか?簡単に許せますか?でも、海外では遅刻は普通のことかもしれません。
この様に、 人間社会は色々な価値観を持って成り立っています。もし、夜中に隣の家が大音量でパーティをしていたらどうしますか?一夫多妻制の国の人が日本に来て浮気をすることを批判できますか?公衆の面前で死刑執行を批判できますか?
そのため、価値観の違いに戸惑うのは人として当然でしょう。全ての文化や考え方を受け入れる必要もないでしょう。
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重要なのは差別しない考え方
多様性が悪いのではなく、多様性を認めなさいという強制的な圧力が気味が悪いのである。でも、本当に重要なことは差別しない考え方ではないでしょうか?単純に「人を不当に差別するな」と言えばよいだけなのに、多様性という文言に変えて、同じことを言っているだけの気がします。
ただ、大事なのは不当に差別するなという点かもしれません。無条件に全て受け入れなさいは無茶苦茶でしょう。例えば、アメリカ軍がマスクもせずに街中に行ってオミクロン株を流行させたと批判していますが、アメリカ人の考えからすればマスク着用義務が出されていない以上は彼らの価値観になります。そのため、批判するのは間違っているでしょう。ただ、この点が不当かどうかの問題です。つまり、それぞれの地域や文化、人間関係などのルールを守っていることが大事だと思います。もちろん、不当な差別はダメです。当たり前の話です。しかし、 多様性社会を目指すなら周りの考えや立場を尊重することも大事です。
ただ、多様性社会を強制しすぎると違和感が生まれます。そもそも基準が曖昧でどこまでが多様性社会かわかりません。もっと、わかりやすい内容で言ってもらった方が助かります。
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