2024年07月28日

 1127 さすが東大





M君をここまで育て上げ、上司として心より感謝しています。実は私もM君の才能を高く評価しています。
彼に民放両局のゴールデン番組のチーフを張らせ自信を付けさせたい。民放ナンバーワンのカメラマンにし、世界に通用する人物に育てたい。
そして、その才能ノーハウは今後、必ずフジテレビの為に使います。と淡々としゃべったのである。
H氏はしばらく天を仰ぎ沈黙の後、いきなり立ち上がると、握手を求め、この話はなかった事にしよう、と言ったのである。
さすが東大出だな、とひかるは感じいった。
論争を続ければ、ひかるは業界、世界までも視野に入れている、一局、一番組だけにこだわっている己がケツの穴の狭い男に写るか、また先ほどからの態度を見れば、この男は決して引かないだろう、クビが飛ぼうがみじん切りに会おうが平気だろう、ととっさに考えたのだろう。
ひかるは名字で即沖縄出身である事は分かり、普段は沖縄と呼ばれ、かくして沖縄東大紛争は決着した。
周りからはどうやって説得したのか、興味半分に聞かれたがひかるは何もしゃべらなかった。
ひかるはわざわざ放送業界や世界における日本のメディアの位置付けなど用意した訳ではない。
子供の頃より手に取るような天の川、流れ星を庭に育ち、入社当時は魔法の箱解明に専念.
10年もすると何時の間にか業界や世界を視野に入れた思考をするようになっていた。
今の若者達には光年単位で生きずく天の川を眺め、どうせ気がつけば短い一生、スケールの大きな人生を歩んで欲しいと願うゆえんである。
H氏はさすが東大出で、後に歌合戦はタケシに視聴率を食われ、あえなく終焉する。
しかしタケシはさんまと組んでタケちゃんマンでフジテレビに貢献する。
そしてひかるに新企画、ねるとんが持ち込まれ、即M君を起用、約束通りその才能をフジテレビに生かしたのである。
ねるとんは二つの大きな効果を局にもたらした番組である。
テレビ局は時間を売る商売だ。
当時ねるとんの時間帯はなかなか視聴率がとれない、売り物にならない死に時間帯で、それを何とかしたい、と模索の末の企画。
そのヒットにより、他の曜日の同時間帯にも火がつき大きな利益をもたらしたのである。
また前にも記したが、カメラとVTRを4台パラ回しで多重記録する事により、オールロケでど素人を主役にいとも簡単に番組が出来る事を証明。
以後ロケ番組が軌道に乗り番組革命が出来たのである。

 1126 雨傘番組





タケシは20代、漫才でちょっとだけテレビに出ていたがその後、影が薄くなっていた。
浅草あたりでやけ酒を飲んでいる、と噂されていた。
ちょうど30歳になった頃だろうか、初めてタケシの名前を番組の冠に付けた、元気が出るテレビなる番組の企画が持ち込まれた。
この番組は日本テレビ系列、後楽園球場のドーム化前で、巨人戦が雨で中止になった時に流す、鬼瓦権造なるキャラクターでフィーラー番組、いわゆる雨傘番組であった。
名の通った役者なら断りそうなものだが、タケシは縋るしかなかったのだろうか。
当時、フジテレビ日曜夜8時は欽ちゃんのオールスター家族対抗歌合戦が好評。
ひかるはそのチーフカメラマン、M君を裏番組、タケシに起用する事にした。
歌合戦はスタジオ番組で日曜日収録、翌週日曜日放送でタケシは日曜日は収録無しとの事で起用を決めたが、ゴールデン番組の裏表。
両局のメンツがぶつかり、ひかるは窮地に追い込まれる事となる。
フジテレビの日曜8時、ゴールデン番組のチーフカメラマンを、いわゆる完璧な裏番組に起用する事にHディレクターが異を突き付けて来たのである。
担当課長等に交渉させるがらちがあかず、とうとう最後の砦、ひかるの出番となった。
H氏はフジテレビきっての東大卒駿腕ディレター、学生運動では安田講堂の屋上で大きな旗を振り、リーダー役、全国弁論大会を制覇して来た、と噂される弁舌家。
当時の芸能界大御所、古関祐爾や水江タキ子など、こうしましょ、こうして下さい、など歯に絹きせぬ自信溢れるてきぱきぶり。
フジテレビでは当時、早稲田卒が圧倒的に多くいたが、この東大卒にだけは勝てない、といわれていた。
かたやひかるは、子供の頃から25歳までオシと言われ、社内でも窓外族で通し、やむなく社の中心に据えられたばかり。
勝負は既にあったも同然と言われたが、ひかるは日本テレビ側にM君の起用を通達済みで、引く訳には行かない。
H氏にアポをとり会いに行くと、歌合戦の編集中だが、完璧に無視した態度。
待つこと2時間近く、ひかるはソファーで微動だにせず薄目で様子を見ていた。
この男、終電になっても明け方までテコでも動く気配がない、と観念したのか、Hディレクターは前に座ると一気にしゃべりだした。
何度も言っているが、M君は私が手塩にかけノーハウをつぎ込んで、やっとチーフが張れる迄育て上げて来た。
事もあろうに当面の敵局、裏番に起用するとは常識外だ。
向こうが軌道に乗れば、こちらの視聴率が喰われるんだぞ。子会社の身分で場合によっては君のクビだけではすまない、社長だって危ないぞ、とひかるを逆なでする事まで言われ、怒鳴り返したかったが、そこは忍々。
存分にしゃべらした後、たどたどしいながらひかるはしゃべりだした。

1125 人生の証





我々が地上で生きられる時間は、大きな宇宙の営みから見た場合、まばたきの瞬間なのかも知れません。
例えまばたきの一瞬でも、地上に生を受け、鼓動が動き出した以上、この鼓動が動いている間、止まる前に、自分自身が生きていた、という証、足跡を残したい。
人々がひしめく大都会、巨大化した組織の中、これが自分の足跡だと言えるものは、なかなか見つけられません。
ひかるの場合、少年の頃見た夢に、人生の殆んどを費いやし、追い求め続けた、魔法の箱、テレビ少年物語、ブログそのもの自体が、ひかるの細やかな人生の証ではないかと、考えています。
たかがブログ、だけど、宝だブログ。
たった一人でもいい、人生灯台の一コマになれば・・・
長年待ち望まれた、沖縄最南端八重山地区への民放、2局ながらも開通、ひかるの両親が眠る墓にも、電波が届きました。
ひかるの夢は実現したのである。
島を訪れると、わざわざ船でビデオテープを借りに行かなくても済むようになった、と若者たちは大喜び。
テレビを見ていると、おばあちゃんが不機嫌になり、血を流し争うテレビは嫌いだ、といきなり電源を切ってしまう。
演技で、本当にはやっていないと、説明しても分ってもらえません。
NHKしか写らない時代はそうでもなかった、東京へ帰ったら、そんなテレビは作るな、と言われ、穏やかに生活して来た島のお年寄り達の心を乱してしまったのではないかと、考えさせられました。
また、北半球の日本から南十字星が見えるはずがない、と思われる事でしょうが、この地区では、5月の末から6月の初め頃、見事な十字星が見えます。
南の島、夕闇せまる浜風と、水平線にひときわ輝くこの神秘的な星に出会う時、何とも言えない安らぎを感じます。
ただこの時期は梅雨時で、特に南の空は積乱雲が多く、この星に出会えれば、心身共に癒される事でしょう。
南の孤島、夜の砂浜で大の字になり、空を眺めると迫る天の川、宇宙が手に取るようです。
今起きているようだが、流れ星、もしかして、半年前の事象では?
そして迫る壮大な宇宙、地球の鼓動を背にすると、今、己は地球を背負っているんだ、と思いを馳せる事でしょう。
いや、地球は俺が背負って行くんだ、背負っていかなければ、とスケールの大きな人物になれるはずです。
皆さんもそうだが、中学生くらいのお子さんをお持ちの父なら、是非、地球を背負う体験させるべきです。
(東京の浜で大の字になってもいいが、宇宙を目前に感じられない、南島をお勧めします)
ひかるは周りからタイニン(大人)タイニンと呼ばれたが、子供の頃、地球を背負っていたこと知らなかった事でしょう。
常に国内外、世界を視野にメディアはどうあるべきか、考えていたのである。
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