2024年08月25日

 1193 他所者



そんなある時、島に一人の男が立ち寄った。
手ぶらながら、ネクタイに背広姿、島人の姿とは違うので、明らかに他所者、旅人である。
他の客が船から降り終わった後、一人降りて来たが、人が群がっている所は避け、懐かしそうに探索している。
帽子をかぶり、サングラス、口ひげをはやしているが、そうだ、その男こそが四十年前、夜這い事件を起こした、昭二なのだ。
普通の人は、集落を結ぶ大きな通りを歩くのだが、昭二は防風林ぞいの小さな獣道を、なつかしそうに回りを見ながら歩いていった。
自分の生まれ育った集落にさしかかったが、集落へ入ろうとはせず、そのまま通り過ごした。
四、五百メートルくらい行くと、そこは明子と出会った小さな森だ。
昔と殆んど変わっていない、自分が草刈をしていた場所と、明子が薪拾いをしていた所は、三十メートルくらいしか離れていなかったのだ。
ふくよかな明子の姿が脳裏をよぎる・・
なぜあの時、明子に声をかけられなかったのだろうか。今更ながら情けない。
しばらくして、昭二は、更に先へと進んだ。
そこには、明子の家があるのだ。
明子は何時ものように庭での野菜作り。
トマトの新芽の間引きの後、菜っ葉を植えようと耕していると、人の気配がしたので何気なく振り返ると、そこには石垣から首だけをチョコンと出したサングラスの男が覗いていた。
明子は見た瞬間、それが昭二だと判った。
まさか・・一瞬目を疑ったが、まぎれもない。
長い間、待ち続けた昭二。
まさか まさか・・と胸は張り裂けんばかりに取り乱し、逃げたくなった。
昭二は門口まで来ると、明子を見据えたまま「入ってもよろしいでしょうか」という合図の会釈をした。
あまりの突然の出来事に、明子は混乱していたが、大人がやっと二人腰かけられる、小さな縁台へ促した。
明子はどう対応していいのか、もじもじ戸惑っている。
さすが女人で、こんなみすぼらしい姿だけは見せたくなかった。
化粧っけ一つなし、ボロボロの落魄れた姿だ。
恥ずかしい・・ 恥ずかしい・・ 今すぐにでも逃げ出したい・・
しかし、逢いたい、嬉しい、恥ずかしい、諸々が脳裏でチャンプル、チャンプル。
その内、かすかに笑みが漏れたところは、やはり逢いたかった、嬉しい気持ちの方が恥ずかしい気持ちを、寄り切ったようだ。
実は、明子は昭二のことが好きだった。

 1192 瓶拾い





結婚をさせ、子供でも出来れば、元の明るい子に戻るだろうと、石垣島の知人に、相手を紹介して欲しいと依頼した。
十歳も年上の健一という男と見合いをしたが、抜け殻のようになった明子は、親の言うまま結婚。
健一の仕事は、船の荷役という日雇い労働者だ。
当時は重機がなく、男どもが、蟻の如く沖縄本島行きの船へ荷物を乗せ降ろしをしていたのである。
明子との間には、子供が出来なかった。
それもあったのか、荷役の仕事は、船の出港が午前中の為、朝早く仕事に出かけ正午頃には自宅へ帰るが、酒びたりとなった。
この島にはパチンコなどなく、暇を持て余してどうしても酒に手が出るのである。
酒に酔うと口の暴力、物を投げ、手まで出す始末。
健一の妹がやはり子供も出来ず、出戻って来、姑のいびり。
挙げ句の果ては、健一が外に良枝という女に、子供まで生ませてしまった。
良枝は石垣島生まれで、健一の家族も顔見知り、何のおく面も無く、しゃーしゃーと子供連れで出入りするようになってきた。
明子は、女中以下の扱いだ。
健一は、酒を飲み過ぎたのか、肝臓を患い、六十歳で他界してしまった。
健一の両親は、他所の女に生ませた孫を可愛がり、その女は堂々と出入りする。
姑にはいびられる。
収入がないので、近所の空き瓶を拾い、それで生活するような、乞食同然の生活となった。
リアカーも買えない、天秤棒の前と後ろに、カシガー袋(土嚢袋)で空き瓶を拾い回り、天秤棒担ぎをしている姿を島の人に見られてしまった。
島の親父は、強引に乗り込み島へ連れ戻した。明子五十五歳の時である。
不幸はどこまで追いすがるのか、母は病に倒れ、一年目で他界、父は後を追うようにまた一年後に、他界してしまった。
古い家もまた、台風で吹き飛んでしまったのである。本当の家なし乞食となってしまったのである。
建て直す金などあるはずがない。近所の人が、廃材となったトタンを集め、やっと一人が生活出来る、掘っ立て小屋を建ててくれた。
電気代を払う金もなく、ランプ生活。プロパンガスとて無理、土間で薪拾いをし、煮炊きする生活だ。
あまりにも惨めな乞食同然の身となってしまった。

1191 真っ赤っか





とうとう夜這いに移っていたのである。
先輩が伝授していた通り、身をかがめ、こっそり家の裏へまわる。
そして、物音一つしないよう、明子の寝ている裏座の戸ををやっと入れるくらいの隙間で開ける。
島の家の造りは、一番座、二番座があり、必ずと言っていい程その裏に裏座がある。そしてその裏座は又、必ずと言っていいくらい外へ出入り出来る構造になっている。
初めての夜這いで、昭二の胸は高鳴り、破裂しそうである。
しばらく目を暗闇に慣らす為、じっとうずくまっていると、なんと明子は大胆なポーズで寝ている。
その姿を見た瞬間、昭二の頭は真っ赤っか。全ての思考力はすっ飛んでいた。
昭二は夕方森で出会い、今夜自分が夜這いに来る事を予測し、待っていてくれたのではないか、と思われるポーズ、ぶるぶる身震いしながら少しずつ近づいていった。
その時、襖が五センチ程そっと開いたのであるが、人生最高調、絶好調に興奮し捲くっている昭二は、まったく気がつくはずがない。
ふっくらと盛り上がった明子の乳房へ手がかかる瞬間。
予告無し、稲妻なしの突然の落雷!
「こらあー!! 」と親父の怒鳴り声、天井がスピーカーのコーンとなり爆音が部屋中に響き渡ったのだ。
昭二はそれこそ、失神しかねない驚きだが、抜けた腰でも、とにかく逃げた。
隙間にしこたまぶつけたが、抜け出し、東から回って逃げようとすると、親父が先周りし、泥棒、泥棒、と言って、通せんぼ。
身をひる返し、西側から逃げようとすると、今度は母親が、棒を振りかざし、泥棒、泥棒と叫び、はさみ打ちになってしまった。
しからば、石垣をよじ登って逃げようと飛びついたが、酔いがまわっていたのか、すんでのところ、石垣の上で親父にズボンの裾を捕まれてしまった。
ヤモリなら尻尾を切って逃げるが、へばりついたまま、母親はコン棒振りかざし、恐ろしい形相で、事あらば、と一撃態勢、身動き出来ない状態。
後手にねじ上げられ、家の中に引きずり込まれた。
そして両手を後手に、柱に縛りつけられてしまったのだ。
普通なら説教をし、誤れば解き放つのだが、かわいい一人娘を狙ったにっくき男、親父は気がすまない。
夜が明けると、村中の人に「大泥棒を捕まえたから、顔を見てやってくれ」と、振れ回ったのだ。
隣村からも見物に来、秀雄や久雄などまでがドジしやがったなとニタニタ見物、これ程の屈辱は無い、という晒し者。
親が謝り解き放たれたが、昭二は外にも出ずこもりっ切りだ。
自殺しかねない、見るに見かね、次男の昭二は島からこっそり逃げるように出る、勿論行き先もなく着の身着のまま見送る人も無い。
以後の行方は親兄弟、誰一人とて知る人はない。
あれ程明るかった明子は、以来ふさぎ込んでしまった。
中学生の頃はテニスに打ち込み、地区代表として県大会まで出る程の腕前。
みんなの人気者だった。
それがまた親父の誇りだった。
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