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2017年08月25日

作詞家憲法15条 阿久 悠

作詞家憲法15条







2.日本人の情念、あるいは精神性は
「怨」と「自虐」だけなのだろうか。


3.そろそろ都市型の生活の中での人間関係に目を向けてもいいのではないか。


4.それは同時に歌的世界と歌的人間像との決別を意味することにならないか。


5.個人と個人の実にささやかな出来事を描きながら、同時に社会へのメッセージとすることは不可能か。


6.「女」として描かれている流行歌を
「女性」に書きかえられないか。


7.電信の整備、交通の発達、自動車社会、住宅の洋風化、食生活の変化、生活様式の近代化と、情緒はどういう関わりを持つだろうか。


8.人間の表情、しぐさ、習癖は不変であろうか。時代によって全くしなくなったものもあるのではないか。


9.歌手をかたりべの役からドラマの主人公に役変えすることも必要ではないか。


10.それは歌手のアップですべてが表現されるのではなく、歌手もまた大きな空間の中に入れ込む手法で、そこまでのイメージを要求していいのではないか


11.「どうせ」と「しょせん」を排しても、歌は成立するのではないか。


12.七・五調の他にも、音的快感を感じさせる言葉数があるのではなかろうか。


13.歌にならないものは何もない。たとえば一篇の小説、一本の映画、一回の演説、一周の遊園地、これと同じボリュームを四分間に盛ることも可能ではないか。


14.時代というものは、見えるようで見えない。しかし時代に正対していると、その時代特有のものが何であるか見えるのではなかろうか。


15.歌は時代とのキャッチボール。時代の飢餓感に命中することがヒットではなかろうか
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