2025年03月18日

アメリカは一度、完膚なきまでにやられないと分からない様だ

ロシアのウクライナへの特別軍事作戦は、ミンスク合意を履行しなかったウクライナ側に責任があると感じている。
堅実にロシアが議定書の内容を履行しても、ウクライナ側が一方的にロシア系住民を迫害し、民族浄化を行ったことが、現在まで続くロシアとの戦争だ。
2022年2月にロシアがウクライナに侵攻したときには、軍事侵攻という行動に反応して、一方的にロシアを「悪」として観てしまったが、そこに至るまでの経緯を踏まえると、ウクライナ及び西側諸国、NATO(北大西洋条約機構)の計画的な挑発出会ったことが分かった。
現在、アメリカが仲介するような形で停戦をさせようとしているように見える。
しかし、この戦争は元を正せばアメリカの代理でウクライナが戦争を始めたと言える。
NATO(北大西洋条約機構)はアメリカそのものだとも言えるからだ。
ロシアはどう見ても被害者に見える。
このアメリカ停戦案をロシアが受けるかと言えば、受けないだろう。
ロシアはウクライナ兵の残党を殲滅し、交渉を有利にするためにも、即座に停戦を受け入れる必要は無いからだ。
また、手に入れた領土は返す必要も無い。
元々ソビエト連邦の属国だったので、領土が元に戻る位の問題の筈だ。
民族的にもロシア系の民族が多いはずだからだ。
ウクライナは日本のメディアでは報じられないが、2022年の戦争当初に、日本の自衛隊のOB約3000人もの日本人が軍事支援に義勇軍として参加している。
処が、ウクライナはその日本人の義勇兵を最前線で皆殺しにしたのだ。
しかも、ウクライナはそのことに感謝も無く、日本人を嘲るような言葉と対応をしたそうだ。
このことはイギリスの報道をTwitter(X)に投稿されていたので知っていた。
日本政府はさらに海上自衛隊を勝手にウクライナに派遣して合同訓練を行ったという事実も共産党の議員が掴んで国会で質問している。
また、ウクライナはアフリカに傭兵を送り、残虐な殺戮を繰り返す集団として恐れられても居る。
日本人は2022年のロシア侵攻後のウクライナしかした無い者が多い。
しかし、ウクライナは反日的な国民が大半だったそうだ。
上記の自衛隊のOBを猿と呼んで死地に送り込んだ事でも分かるとおりだ。
残酷な事を考えると、ウクライナという国を滅ぼすべきだと思う。
ウクライナはお笑い芸人を国家主席にする愚かな国民だ。
そしてその大統領はユダヤ人でイスラエルの犬でもある。
アメリカに噛みつけるのも、イスラエルの犬だからかも知れない。
先の大戦以降、ソビエト社会主義共和国連邦が崩壊した後から怖い物なしの状態がアメリカだ。
イエメンのフーシ派の町に空爆を仕掛けたそうだ。
イギリス軍との連携らしいが、この爆撃で亡くなったのは民間人だけとのこと。
反撃されたらアメリカなどひとたまりも無いと思う。
30年前の中東戦争のようには行かない。
アメリカは一度、完膚なきまでにやられないと分からない様だ。



敗戦国に条件を決める権利など無い

”ロシア在住です”さんのYouTubeを観た。
ウクライナとロシアの停戦合意について説明されていた。
興味深い言葉は、ウクライナは既に敗戦している。
そして、「敗戦している国が条件を出してくることは、今迄一度も無い」と言うのだ。
全くその通りだ。
ウクライナはアメリカの代理戦争でロシアに負けたのだ。
しかし、EU(欧州連合)、NATO(北大西洋条約機構)は負けた形での停戦は認めたくないのだ。
しかし、アメリカ合衆国はロシアとの直接戦争は絶対に避けたいのだ。
勝てないことが分かっているからだ。
NATO(北大西洋条約機構)など今のロシアには全く歯が立たない。
フランスのマクロンがとち狂ってEU(欧州連合)で核の傘を作るみたいな事を言っていたようだが、核兵器は持っていてもあまり脅威では無いのだ。
核兵器を確実に撃ち込む手段が重要なのだ。
ロシアや中国、イランなどには極超音速ミサイルがある。
西側には無い迎撃不可能な核弾頭搭載可能なミサイルだ。
大陸間弾道弾で、しかもマッハ10を超えるミサイル。
秒速3400メートルを超える速度だと、地球上のどこにでも60分以内に到達することが出来る。
大陸間弾道弾は、一度宇宙まで高度を上げ、それから落下する勢いで目標に着弾する。
高度を上げるまでが迎撃のチャンスなのだ。
だが、極超音速ミサイルは然程高度に上がらない。
そして、衛星による軌道修正を行うで、目標までの進路は最適化されている。
つまり、衛星が無ければ極超音速ミサイルは持っていても正確に目標には当たらない。
アメリカ合衆国の武器も同様で、アメリカ合衆国の衛星を使わなければ使えない。
だが、アメリカ合衆国のミサイルは、せいぜいマッハ3〜5程度のスピードしか出ない。
イランの極超音速ミサイルはマッハ10は出る。
衛星はロシア、中国はアメリカ並みに打ち上げてある。
西側の我々は知らないだけだが、東側の衛星はキラー衛星も多数飛んでいる。
西側にもキラー衛星が飛んでいる。
戦争になると宇宙空間で衛星の堕とし合いが始まるのだ。
多くの衛星を保持し、確実なミサイルの誘導が出来る国家が、本当の意味での核戦争の覇者になる。
そうなると、ロシアと中国にはどこの国も勝てないという事だ。
アメリカ合衆国は焦っている。
ロシアがウクライナの国土、レアアースの豊富な地域を占領して仕舞うことを。
ウクライナは既にイギリスなどにレアアースの権利を売り渡しているとのこと。
しかし、その権利は履行されることは無いと思う。
今月中にロシアが停戦に合意しなければ、ウクライナは現在の領土の8割はロシアに割譲する事になると思う。
敗戦国に条件を決める権利など無いからだ。



2025年03月17日

焦らなくても、勝手に寿命はやってくる

いつも考えていることなのだが、私は生きることが幸福だとは全く思っていない。
当然、子供が生まれてくることにも正直、反対なのだ。
人間は、生まれてくることが素晴らしいことの様に言っているが、明らかに間違いだ。
生きると言うこ、苦しむと同義だ。
生まれたばかりの時は、自分で生きるための行動や体力が無く、親や同族たちに世話にならざるを得ない。
やっと自我を持ち、生きる術を覚えても、自分の思うような生き方は出来ない。
生まれてくると言うことは、苦しみの世界に放り出されると言うことだ。
生きていると何故か死ぬことを恐れてしまう。
生きている者は死んだ経験など無いのにだ。
つまり、死とは誰も知らないのだ。
知っているのは、一度死ぬと生き返らないことだ。
生きていると必ず他の生き物を捕食して、自身の身体の活動を維持しなければならない。
生きるとは、常に他の生き物を殺し、食べ、身体に生きる為のエネルギーを補給し続けなければならない。
生き物は、他の個体の思考が全く分からない。
人間も言語という意思疎通の手段を持っているが、人間は嘘を言う。
つまり、人間同士で正確な意思疎通など出来ないし、出来ては困るのだ。
お互いに考えていることが丸わかりだとどうなるのか?
恐らく、殺し合いになるだろう。
その課程は説明しないが、そうなると私は考えている。
自殺は悪いことのように現代では言われている。
しかし、自殺は悪いことでは無く、当たり前のことだと考えるべきだ。
宗教などでも、教祖などは自殺未遂が多いのだ。
釈尊も悟りを開いてこの世のに絶望して死のうとしたし、キリストなんかは正に自殺したようなモノだ。
生きるのが嫌になったから、死ぬ。
私はそれで良いと思う。
自殺はいけないと言っているのは、どこの社会でも政府だ。
特に近代の政府は、国民の数が国家の勢力に直結していると思い込んでいる。
現代は人口よりも科学技術が重要な時代だ。
国民数が少ないからと言って、戦争に勝てないことは無い。
数が力と言っている様では、人間もいつまで経っても、猿なのだ。
私は自殺する人間ほど、決断力があり、行動力がある。
そして何よりも勇気があると思うのだ。
私はこの世の中の不条理に気づいているにも関わらず、自殺はしていない。
理由は、人間は必ず死ぬ。
慌てて自殺するまでも無いからだ。
生きているなんて、ただ生きているだけで理由なんかは何も無い。
只、生きているだけなのだ。
焦らなくても、勝手に寿命はやってくる。


EUC(エンド・ユーザー・コンピューティング)の現実

私はEUC(エンド・ユーザー・コンピューティング)の仕事を生業としていた。
特にデスクトップデータベース(Access)での開発が得意だ。
昨日、自分の為に10年以上前に作成したAccessツールを改修することとした。
このツールは、頻繁に利用するフォルダを登録し、登録したフォルダを瞬時に開くという物だ。
恐らく、10年以上前に勤務していた職場が、かなり深い階層のフォルダを作成しており、それをショートカットでデスクトップに貼り付けるとデスクトップがショートカットで一杯になってしっまうからだと思われる。
とにかく、当時は必要だったのだろう。
今回は、直接ファイルを起動するツールに改修した。
ファイルを起動する機能は、然程難しくは無い。
問題は使い方だ。
8個のカテゴリーを用意してある。
8個のカテゴリーの使い方を考えることにした。
A〜Hまでの記号を振って、振り分けることにしているが、例えばAにはバックアップのファイルを登録し、Bには業務用のファイルを登録というように、ファイルを起動するという機能要件よりも、どの様に使うかという仕様を決めることが大変なのだ。
EUC(エンド・ユーザー・コンピューティング)の仕事は仕様の決定が大変なのだ。
昨日要件的な問題は、ツールを作成する技術者のスキルに因るが、仕様の決定はエンドユーザーの明確な目的が決まらなければ出来ないのだ。
多くのエンドユーザーは、局面的な問題を認識しているが、大局的な問題は意識していないことが多い。
ハッキリ言えば、システムやツールで解決できる問題か、そうでないかすら分からないのだ。
そうした場合、実際に業務オペレーションをしている人に、その業務の進め方を教えてもらうしか無い。
しかし、そういう人に限って非供養力的なのだ。
システム化されれば、自分の存在意義が危ぶまれると考えるからだ。
業務の属人化はシステム化の妨げにしか成らない。
そして属人化されて仕事をしている人は皆、忙しいと言ってヒアリングに非協力的なことが普通である。
そうした場合、一緒に業務をする事で、システム化の可否を判断し、何がボトルネックになっているかを見つけ出し、解決の方法を見いだすしか無いのだ。
私が改修したツールのような豆ツールの作成で、業務の一部を軽減する事は問題の根本の解決には成らない。
本来、業務システムに人間の手が入ってデータを改竄(元のデータに変更を加えること)がある事が問題なのだ。
つまり、ここ20年ほどの間で業務システムはデータに人の手が入らないですむように設計・構築されているのが普通なのだ。
そしてEUC(エンド・ユーザー・コンピューティング)として作成するツールは、メインシステムでは手の届かない細かなエンドユーザーの要望を叶えるサブシステムの構築がメインになっている。
例えば都市銀行の為替システム。
為替の取引などの業務は総てメインシステムで完結する。
正し、部門ごとでメインシステムに入力された情報の正誤を確認したり、部門ごとのデータ把握とメインシステムとの差異を確認するために、EUC(エンド・ユーザー・コンピューティング)でサブシステムを構築する。
銀行という業種は、間違いは即時把握して、修正をする事が非常に重要視している業種なのだ。
サブシステムの問題点は、メインシステムが大きく仕様変更をした場合や、全く新たなシステムに乗り換えた時に、今迄のような確認業務が出来なくなることだ。
そうした時には、新システムに合わせたサブシステムの変更を行わなければならない。
銀行員には、Accessなどで自己流のツールを作成する人が結構居るようだ。
しかし、そういった人の大半はホストコンピュータのプログラミングや全く脈略の揃わないスパゲッティプログラムを作成していることが多い。
その理由は、都度自分の業務を楽にするためだけに改修を行い、その担当を外れた時に、後任者にツールの使い方のみを教えて去ってしまうからだ。
今ではノーコードでの開発が出来る事をうたっている簡易システムがあるが、正直、あまり効果は無いと思われる。
RPAロボットでのシステム運用も、結果としてノーコード的な事を言っては居たが、専門的な技術者が必要なのは変わらない。
自分の使い勝手を追求する以上、担当者がその時代に合わせたOA言語を覚えるしか無い。
これがEUC(エンド・ユーザー・コンピューティング)の現実なのだ。


のカラクリを理解しなければ、財務省や政治家に騙され続けることだろう

現代貨幣理論(Modern Monetary Theory)を理解すると、現在の日本の税制というモノに疑問を抱かない者は居なくなるだろう。
また、現在の日本政府の行っている増税は、全く必要ないことが分かってしまう。
財源は税収で賄うモノでは無い事がバレてしまうし、そもそも税など徴収する必要性すら怪しい。
財務省の主張する財政逼迫など真っ赤な嘘であり、根拠など微塵も無い。
財務省が言っている財政の健全化という考え方が、何の根拠も無い自虐的な事であることも分かってしまう。
国会で赤字国債を発行して事業費に回すことが、将来世代へのツケを残すというのも、出鱈目な言い分だ。
国会で国債発行を決議し、日銀(日本銀行)がその国債を発行し、買い取った時点で赤字と計上しても、債務は消えてしまう。
日銀(日本銀行)が国債を持ち続けるからだ。
償還期日が来ても、日銀(日本銀行)が借り換えをするだけで、利子も付かない。
何しろ、日銀(日本銀行)が利子を決定するからだ。
そもそも、主権通貨(しゅけんつうか)を発行する権限を持った政府は、赤字国債など存在しないと言っても過言では無い。
赤字とは政府が勝手に決めた基準での決済で計算した収支報告書であり、世界基準でも何でもないいい加減な収支報告なのだ。
企業の会計や家計などと国家の財政は全く別次元のモノだと理解しなければ、日本国民は国債や貨幣創造(かへいそうぞう)のカラクリを理解できない。
このカラクリを理解しなければ、財務省や政治家に騙され続けることだろう。


ふざけた行動をする輩への抑止力には成る

昨日、NHK党の立花という男が、暴漢に鉈で切りつけられたようだ。
この男、何をしても殺されないと思っていたのか、あちこちの選挙に立候補しては、選挙を攪乱することを生業としているようだ。
そうした輩に怒りを覚えた有権者の鉄槌が下った感じだ。
この報道に、財務省解体のデモを牽制するための政府の回し者という説もTwitter(X)に投稿されている。
何にせよ、こうした暴漢は、ふざけた行動をする輩への抑止力には成る。
どうせならば、殺されれば、インパクトも強く、腑抜けた日本人への喝になる。
昨年はアメリカ大統領のトランプが選挙中に狙撃され暗殺されかけた。
これでアメリカは火が点いた様だ。
3年前だか、日本では安倍晋三元首相が暗殺された。
選挙応援演説中に自作の銃砲で射殺された事になっている。
私は思う。
もっと、政治家は殺されるべきだと。
国民の生活を苦しめるばかりの自公政権の閣僚は、大規模なテロに因って殺されても良いと考えている。
世界中の警察組織は、為政者の暴力装置だ。
ならば、それに対抗する暴力装置があっても良いのだ。
私はそう考える。
生き物である以上、人間は死ぬ事を恐れる。
ならば、殺されない為に、誠実に生きる事を強要しなければならない。
それが尊厳だ。
利権のみに奔走する私利私欲の漢など、万死に値する。
正に極刑を与える必要がある。
政治は間違った方向に進めば、国民は死ななければならない。
間違った政策を推し進める政治家には死を与えるのは、国民の義務だ。
尊厳を重視する生き方とは、そういう物なのだと思う。


対応が横柄で配達も不親切である

Amazonで一昨日、入浴剤を注文した。
明日、到着予定だったが、何故か、本日到着した。
理由は、配達業者が日本郵政だからだ。
日本郵政の宅配は正直、やめてもらいたい。
理由は、置き配が登録制だからだ。
日本郵政は宅配と書簡などの郵便が分かれていないようなのだ。
完全に分離してしまえば、置き配も問題なく他の宅配と同じ対応が出来る筈だ。
しかし、何故か分離することが出来ないようだ。
書簡という法律に縛られた業務のついでに宅配を行っているので、対応が横柄で配達も不親切である。
日本郵政は宅配事業を行うべきでは無いと思う。
郵便書簡のみを扱う事業体で良いのだ。
それが萎むのであれば、淘汰されるべき事業体だと諦めて、淘汰されて欲しい物だ。


何らかの障害を発している

1947年、先の大戦の戦勝国のサロンである統一国家(国連)が人権宣言を行った結果が、世界中の風土・風習を破壊して、権利主義を流行らせた。
そして人間個々人に都合の良い甘い言葉に乗った人間種は、何万年もかけて築き上げた尊厳を伴う文化を破壊してしまったのだ。
箍の外れた人間たちは、人権宣言という根拠の無い権利を主張し、気ままな生き方、個人の恣意的な勘定を優先する動物になってしまった。
そして、現在大きな問題となっている人口爆発が統一国家(国連)で協議され、「超長期世界人口推移」と銘打った人口削減計画が練り上げられた。
それまでは、人口問題は中国が「一人っ子政策」等で人口の増加を抑制する政策を取っていたが、最終的には挫折した。
つまり、統一国家(国連)の人権宣言が世界中の風土・風習による人口の自己抑制を破壊してしまったのだ。
現在でも、人口爆発への対応に対する大きな妨げは、人権宣言だ。
人権という根拠の無い権利を流布したために、世界中の人間種は尊厳を失い、自らの快楽で人間種を滅ぼす道に足を踏み入れたのだ。
「超長期世界人口推移」では、不思議なことに2020年から2025年までの5年か、人口増加率が低下する。
そしてそれ以降は、人口増加が再燃する。
2019年、中国武漢で新型コロナウィルスの爆発的な感染と死者が発生した。
そして2021年には、狙い澄ましたようにmRNAワクチンという新種のワクチン(毒薬)が開発され、世界中でその新種のワクチン(毒薬)を摂取した。
日本では8割以上の国民が新種のワクチン(毒薬)を摂取してしまった。
その後、新種のワクチン(毒薬)を摂取した人間は5年以内に死亡するか、何らかの障害を発している。


少子高齢化が問題とされている

現在、日本を含む先進国では、少子高齢化が問題とされている。
しかし、それは国家が国家経営での労働力不足を憂いての事であり、国民を考えてのことでは無い。
消費生産主義の国家運営で国力を維持しようとする国策が、少子高齢化では都合が悪いだけなのだ。
何故、少子高齢化を国家は憂うのか?
生産力の現象は国力が落ちると錯覚しているからだ。



尊厳の時代とは、そういう時代なのだろう

江戸時代は衛生面の問題で嬰児が死亡する確率が高いと言われてきたが、それは嘘だと思う。
憶測だが、私生児は人口増加の懸念も有るので、嬰児殺しの対象として殺されていたのだと考えられる。
現代には伝わっていないが、各居住区には、既定の頭数以上に殖えてはならない決まりがあったはずだ。
嬰児殺しが地域の人口抑制の手段として当たり前の感覚であった時代に、食べられない為の口減らしは当然の文化だったのだろう。
尊厳の時代とは、そういう時代なのだろう。


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