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人生を振り返ると、股関節変形症との闘い、化学物質過敏症との付き合い、卓球命の頃、楽しい趣味(ピアノ、写真、バイク、仏教の勉強)、仕事(人事、職業相談)が主な出来事です。

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2023年02月13日

卓球 学生時代の思い出

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初めて試合に出場したのは県内の中学生が集まる練習試合でした。まだ1年生だった私はあまりの緊張で相手がどこの誰かも分からないまま試合に臨み、ラケットの先端が震えていたことをはっきりと覚えています。あっという間に試合終了、0−2であっさり負けました。試合終了後先輩から相手選手が現県チャンピオンであることを聞きましたが緊張で何も出来なかったことが悔しくてうわの空でした。その選手はその年の全中シングルスで優勝し、その後全日本チャンピオンにもなった選手なので、後で初めての試合が超大物選手だったと知り感慨深いものがありました。中学時はその後順調に上達し、市大会では優勝することも多くなりました。ある市大会の決勝でセットオールとなり、3セット目15−20の大ピンチになった場面をはっきり覚えています。そこから19−20になった内容は覚えていませんが、最後相手が回りこんでバック側からクロスにスマッシュを打ってきて、相手は多分これで勝ったと思ったと思いますが私はその相手の動きがスローモーションのようにはっきり見えて、そのスマッシュをストレートにブロックし逆転勝ちしました。私は中1から卓球を始めましたが相手選手は小学低学年から厳しい練習を積んでいた選手だったので相当悔しかっただろうと思います。その後私は県大会でも上位に入るようになり、中学九州大会、中学全国大会と出場しました。九州大会は第1シードだったんですがシード下の選手に敗れ(通称パッキン返し)散々でした。全中も調子は良かったんですが緊張であまり実力を出せず3回戦敗退となりました。高校時代もあまりぱっとせずインターハイにも出場できませんでした。高3の部活引退後から本格的に筋トレを始め、まためきめきと上達し始めました。大学2年時に全九州卓球選手権大会に初めて出場し、いきなり決勝戦まで勝ちあがることができました。決勝の相手は3学年上の選手で1セット目の中盤位から足がつって動けなくなっていたのにフォアを攻めずわざわざバッククロスで勝負してしまいました。決勝戦まで勝ちあがってきた同じ戦術を変えることが出来ず敗れ、全九州チャンピオンになるチャンスを逃してしまいました。残念でした。全九州学生選手権も春と秋の年2回開催されていましたので優勝するチャンスはあったんですが決勝や準決勝で手の内を知られている同じ大学の選手に敗れました。九州大会では優勝できなかったんですが大学4年の全日本学生選手権でベスト16に入れたことが唯一の喜びでした。
posted by kayago at 23:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 卓球

2023年02月11日

卓球 自慢話

卓球試合加工.jpg
今はもうなくなった大会かもしれませんが、以前西日本総合団体卓球選手権大会みたいな名前の大会があり、ものすごく調子良かったことを覚えています。主に西日本の学生、社会人、実業団チーム、韓国の学生等が出場していました。私は大学3年生だったと記憶していますが、ちょうどその年の世界選手権でシングルスベスト8に入った選手も出場されており大会の雰囲気としては盛り上がっていたように思います。個人戦を勝ち上がり、4回戦か5回戦位でその選手と対戦しました。3セットマッチの1セット目を勝ち取り、会場の雰囲気を盛り上げました。私はわりとマイペースなので淡々と試合をしますが、この時も世界選手権ベスト8の選手から1セット目を取ったゾーみたいな興奮はなく淡々としていました。2セット目はわりと接戦になりましたが落とし、3セット目はコテンパンにやられました。相手が大物選手でもマイペースで自分の実力を充分に発揮できた試合で大満足でした。ゾーンに入るの記事で書いた状態とは違い、調子が良かった試合の一つです。この時期位までは股関節変形症の影響はあまり大きくなかったように思います。
posted by kayago at 12:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 卓球

2023年01月29日

ピアノと卓球 運命の分かれ道

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愛情物語(主演 タイロン パワー) この映画を小学生の時に観ました。息子に会える日を楽しみにしていた主役のピアニストが終戦の連絡を受け大喜び。帰国前のある日戦地で見つけたぼろぼろのピアノで偶然出会った少年と連弾。少年にガムをあげ、少年はガムを食べながら、指示通り右手のひとさし指と左手にひとさし指で、レソドソと演奏を始めます。それにあわせて合わせて連弾スタート。
https://youtu.be/61Se7MrKrpY
小学生だった私はピアノの素晴らしさに感動しました。ちょうどその頃姉がピアノを習っており自宅にはアップライトのピアノがありました。姉が練習していた「乙女の祈り」を見よう見まねで練習し、簡単なパートだけ弾けるようになりました。才能あったのかも?「ここの指の形はどうすると?」と何度も言っていたような気がします。そんなある日、今日も帰ってピアノ弾こっかなーって思って小学校から帰ってきたらピアノがないんです。ビックリして母にピアノどうしたとって聞いたら親戚にやったよと言われ、愕然。姉は?と聞いたらピアノやめたって言われ、ピアノのことはあっさり忘れてしまいました。中学になった姉は卓球部に入部しました。その影響で小6の頃遊びで卓球を始めました。結構楽しくて、中学入学と同時に入部しました。まさかその後15年間も卓球一直線になるとは人生分かりませんね。こう過去を振り返ってみると姉の影響が大きかったように思います。姉がピアノを続けていれば卓球との出会いはなかったと思います。なんか自分が好きではじめたと思い込んでいましたが出会いがなければ何も始まらないわけですから、人や情報との出会い重要ですね。今日は全日本卓球選手権準決勝、決勝を観ながら投稿しました。早田選手優勝おめでとうございます。木原選手惜しかったですね。昔はネットが今より2センチ高かった時期があったみたいで、ラリーが延々と続くこととなり世界選手権で1点取るのに2時間以上かかったという記録があるみたいですが、ほんとかなー。卓球離れを避けるために2センチ低くしたみたいです。 ちなみに大好きな卓球選手は、スウェーデンのワルドナー選手です。シェークハンドの世界最高プレイヤーだと思います。
posted by kayago at 12:30 | Comment(1) | TrackBack(0) | 卓球

2023年01月27日

全日本学生卓球選手権大会 ゾーンに入る

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大学2年で初めて全日本学生卓球選手権大会の出場権を獲得しました。インターハイに出場できなかった私はワクワクドキドキで毎日練習に励んでいました。そんな大会間近のある日監督から誰々と2回戦であたるぞと言われ、そこから今までに経験したことのない集中力で日々を過ごしました。誰々とは、私が大学1年時のインターハイチャンピオンで全国的に有名になり始めた選手でした。大会までその選手に絶対勝つという信念というか集中力が途切れることなく、まったく無駄のない生活が出来ていました。大会当日を迎え、会場の雰囲気としてはインターハイチャンピオンが初めての大学全国大会でどこまで勝ち上がるかという感じでした。私はその選手のシード下(通称パッキン)だったので、1回戦を無事勝利し(まったく覚えていません)、2回戦出場のためコートに入りました。そこで今思えば信じられないような体験をすることとなりました。コートに入った瞬間、何かが違うことに気づきました、コートが光輝いていて気持ちがいいんです、そして自分の心から勝ち負けは一切消えていてスッキリした気分という感じでした。とにかく気持ちがいい。3セットマッチの試合が始まり、記憶は2セット目の20対19からしか覚えていませんが、最後のサーブがフォア前のエッジで入り、21対19、21対19の2−0で勝利しました。なぜ勝てたか分かりません。いつの間にか20対19の場面になっていました。大接戦のはずなんですが試合途中の戦術記憶はまったく無く、淡々と試合が流れ、緊張感や焦りもまったく感じなく、どこにも力が入ってなくて気持ちいい、ずっとこのままでいたいみたいなことを考えていました。多分こういう状態をゾーンに入ったということなのかなと後で思いました。意識したのは最後のサーブだけで、この時は通常試合で感じる緊張状態だったと思いますがエッジで入りラッキーでした。学生時代10年間の試合で最初で最後の経験でした。光に包まれている感じを味わい貴重な体験でした。
posted by kayago at 19:49 | Comment(1) | TrackBack(0) | 卓球

2023年01月25日

股関節変形症と卓球 その2

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就職してからも卓球は続けましたが、右股関節の可動域の制限がひどくなり、手術が必要となりました。いったん股関節を外してからの手術となったため、縫合の長さが20センチにもなり、術後の癒着も酷かったです。術後5年間卓球できましたが、卓球をやめても根本的な改善はなく、いろんな治療を試してみました。30代になると腰痛や背中、首の痛み、吐き気も頻繁に起こるようになり、仕事にも支障が出るようになりました。精神的にも追い込まれ、心療内科も受診する様になりました。心療内科を受診してから2年位経過したころで心療内科の主治医から提案があり、股関節変形症等整形外科的症状について説明が上手い医師がいるので受診しませんかとのことで藁をもつかむ思いで受診しました。これまでの経過を文章にまとめて受診し、初診時に詳しい説明を受けました。整形外科の医師は、胸郭出口症候群も併発してるとのことで、胸郭出口症候群のことを初めて知りました。日常生活での注意事項等の説明を受け、理学療法士によるリハビリ治療を受けることとなりました。リハビリ治療では、AKA療法という難しい技術を要する治療法で早速治療を受けてみました。仙腸関節を軽く緩める程度のリハビリでしたが、仙腸関節を触られた瞬間に背中から首まで激痛が走り、すぐに中止して頂きました。しかしなぜかこれでやっと治るという安堵感を感じていました。理学療法士さんによると仙腸関節が完全にロックしているとのことで、痛みの原因はここだったんだと確信できました。それからは理学療法士さんも仙腸関節を慎重に触られるようになり、リハビリ後は身体が緩んでいることを実感できるようになりました。継続してリハビリを受けることにより、徐々に痛みも軽減していき、AKA療法を開始してから1年位で社会復帰できました。仙腸関節が固くなることでいろんなところに痛みが出ることに驚き、また仙腸関節がゆるむことで身体の柔軟性が高まることにも驚きました。
posted by kayago at 14:34 | Comment(1) | TrackBack(0) | 卓球

2023年01月24日

股関節変形症と卓球

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先天性の股関節変形症だったんですが、卓球が好きで中一から入部しました。右足に違和感があったのですが、卓球が好きすぎて、いつも卓球のことばかり考えていました。全中には出場できましたが、インターハイは出場できませんでした。このままでは強くなれないと思い、高三部活引退後から本格的にトレーニングを始めました。股関節変形症を補うためにスクワットに重点を置いていました。最初は、100回から300回と徐々に回数を増やし、1500回まで行うようになりました。そこまでくるとバーベルを使用したスクワットも並行して行い、重量も徐々に上げていき、大学1年の終わり頃には、50キロのバーベルでのスクワットが軽く感じられるようになっていました。その当時体重53キロ位ですから、今思えばベストパフォーマンスが出せる肉体になっていたと思います。全日本学生選手権、全日本選手権、国体と出場することが出来て、一段と卓球にのめりこんでいきました。大学最後の全日本学生選手権では、なんとかベスト16に入ることができました。努力すれば報われるというハッピーエンドならいいんですが、大学4年の終わり頃から股関節の違和感が酷くなり、そこからこれまでの無理がたたっかのような痛みに襲われ、転げ落ちるような人生となって行きました。続く
posted by kayago at 23:10 | Comment(1) | TrackBack(0) | 卓球
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