本日は「死の丘」とも呼ばれる モヘンジョ・ダロについて書きたいと思います。
色々と謎が多く、好奇心がくすぐられるモヘンジョ・ダロですが、一つ一つその謎に迫っていきましょう。
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モヘンジョ・ダロとは?
紀元前2,500年頃から突如として、インダス川中流域で発達したインダス文明。
その中心都市が モヘンジョ・ダロ です。
モヘンジョ・ダロは現地の言葉で「死の丘」と呼ばれていますが、この都市の本来の呼び名、すなわち当時の名称については、インダス文字が解読されていないため、ヒントすら得られていない状況です。
さて、モヘンジョ・ダロと言えば、整然と区画された都市遺構や城塞、ほぼ完全な水道、汚水の排水システム、個人用の浴室、公衆浴場などを備えており、水量の季節的変動を考慮して貯水池を十分に整備するまでに水利工学が進歩していることで有名な遺跡ですね。
最大で4万人ほどの人間が暮らしていたようです。
公衆の大沐浴場では、床と壁面はレンガを石膏モルタルで固定し、その表面をアスファルトで覆い、さらにレンガを重ねて水漏れを防ぐという徹底ぶり。
ものすごい技術ですね。
しかしながら、もっと大きな謎があります。
モヘンジョ・ダロの謎
モヘンジョ・ダロ遺跡は7層からなり、古い時代から順に積み上げられているのですが、不思議なことに上の層は下の層の完全なコピーになっています。
つまり、普通の文明であればどんどん文明が進歩していき、上層ほどより改良された構造となるはずですが、上層も下層も構造的には変化がなく、下層に突如進歩した文明が現れたような構造になっています。
ということは、インダス文明以前に超文明が存在していた?
まだ他にも謎はあります。
紀元前1,800年頃、インダス文明は突如として歴史から姿を消してしまいます。
原因はさまざまな説がありますが、近年の研究では大規模な洪水によるものだと考えられています。
ただ、興味深い遺物がモヘンジョ・ダロには存在します。
複数の遺体が不自然に折り重なり、ねじれ、苦悶の表情を浮かべて一瞬のうちに死に至ったと思わせる遺骨で、末期層の路上や屋内の遺構から50体近く発見されています。
洪水や火山噴火ならば、逃げる手段もあったはずですが、逃げる間もなく 突然の死を迎えたような遺骨ばかりです。
また、その一部の白骨には高温加熱の焦げ跡が残っているのです。
1978年に現地調査がありました。
調査にあたったのは、古代史研究家のダヴェンポートとヴィンセンティです。
この二人はインドの古代叙事詩 ラーマーヤナ の舞台がこのモヘンジョ・ダロではないかと推測しました。
ラーマーヤナとは簡単に言うと、古代インドの戦争の話です。
さて、調査の方ですが、モヘンジョ・ダロから5キロほど離れた場所に、現地の人が ガラスになった町 と呼んで立ち入りをタブーとしてきた区域があることを知りました。
その区域にはガラス化した石が直径400メートルほどの範囲にわたって一面に散乱しており、高熱で溶けた土器やガラス化した黒い石などが発見されました。
大学の分析結果では融点の 1,400度 〜 1,500度以上の高熱で、しかも非常に 短時間で加熱されたものだということが明らかになりました。
これは古代戦争の証拠でしょうか?
上記のような事実から、現地の人々はモヘンジョ・ダロのことを 死の丘 と呼んでいるわけです。
信じるか信じないかはあなた次第です。
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タグ: 古代核戦争