今回は「モヘンジョ・ダロ」に引き続き、古代核戦争の痕跡が見える ハットゥシャ遺跡 についてお話しようと思います。
モヘンジョ・ダロについてはこちらの記事をどうぞ。
古代核戦争の痕跡か?「モヘンジョ・ダロ」: BFuture
世界遺産「ハットゥシャ遺跡」の「ライオンの門」
トルコの首都アンカラから東へ145キロ、そして有名なカッパドキア遺跡から北に約100キロの荒れ果てたアナトリア高原にあるのが、 ハットゥシャ遺跡です。
この遺跡は紀元前1,700万年頃に突如として現れ、人類に初めて鉄をもたらし、オリエント地方を統一した古代ヒッタイト人が築いた帝国の首都があった場所です。
ヒッタイト帝国は、ハットゥシャのような堅固にして入り組んだ城塞都市とその製鉄技術にもかかわらず、紀元前1,300年頃に、 海の民という謎の民族によって滅ぼされてしまうという説と、王国の末期に起こった3代におよぶ内紛が深刻な食糧難などを招き、国を維持するだけの力自体が既に失われていたという説があります。
さて、ヒッタイト帝国がハットゥシャ遺跡を建築する前からハットゥシャは存在しているのではないか?という説があります。
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というのも、発掘調査によれば、紀元前2,000年頃のハットゥシャ遺跡の地層から 原因不明の非常な高温によってヒッタイト前の文明が滅び去ったのかもしれません。
日干しレンガの城壁や建物が融解して、赤色の塊になっており、石は焼結し、ひびが出来ています。
通常の火事では不可能なほどの高熱破壊の跡がここにもあったのです!
先にも書きましたが、この焦土層は紀元前2,000年頃の地層から見つかっています。
紀元前2,000年頃といえば、あの モヘンジョ・ダロ が滅亡したのと同じ頃です。
アナトリア周辺では同様に高熱破壊された都市は、その後すべて見捨てられてしまいました。
なのに、このハットゥシャ遺跡だけは、なぜヒッタイトによって再建されたのか?
なぜこの 呪われた地に再建したのか?
これは未だに謎に包まれています。
信じるか信じないかはあなた次第です。
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タグ: 古代核戦争