母方の祖母が信心深い人だった。
よく子供だった自分の手を引いて山裾の神社に連れて行った。
群馬は視界に山が入らないところが無い。
母方の家は、すぐ裏がもう山だ。
近隣の墓はほとんど山中にあって、
蜘蛛の巣みたいに細かな路が入り組んでいる。
金比羅様と祖母が呼んでいた神社というのは、
丸太の鳥居、破れた障子、抜けた濡縁。
管理されているとはとても言えぬ有様。
でも祖母は、何度となく私をそこに連れて行った。
細い山路を私は付いて行った。
祖母は神社をすごく有難がっていた。
7つか8つぐらいの時だと思う。
「今日は特別」
そう言った祖母は、荒れ神社の裏手に私を連れて行った。
初めて見る神社の裏は、昼なのに暗い。夕暮れのようだった。
そしてそこには、人ひとりがようやく通れそうなくらいの、
すごく細い路が続いていた。
路を登り、下り、けっこう進んだ先は開けた場所だった。
明るくて、不思議な場所だった。
ローマのコロッセウムを半分にしたような、
大掛かりな雛壇のような石積み。
段には小さい位牌のようなものがたくさん並び、
短冊のついた笹、折り紙飾り、仏花で彩られ、
そよぐ風で風車が回転していた。
私は嬉しくなった。
手を合わせようとすると、祖母は私を叱った。
「ここは強い神様が居る。
だからお願いごとをしてはいけない。
きっとそれは叶うけど、
ここの神様は見返りを要求する神様だから」
そう言った。
そこにはそのあとも、
もう一回だけ連れて行ってもらった。
やはり変わらず、鮮やかに飾られた、
とても綺麗な場所だった。
私が中学校に上がってすぐ、祖母は亡くなった。
事故だった。
とても悲しかったが、
突然だったので実感が持てなかった。
さらに時は過ぎて、私も大きくなり、
母から漏れる情報から、母の実家の状況が分かってきた。
祖母の死の前。母の兄は、
自動車整備の会社を辞めて独立していた。
だが不況が重なり、相当苦労していたらしかった。
驚いた。叔父は高校に進んだ私に、
「誰にも言うな」
とポンと10万円くれたこともある。
事業だって順調そのものだ。
母によると、祖母の死を前後して、
赤字続きだった叔父の工場はグッと持ち直したそうだった。
私は例の不思議な場所を思い出していた。
もしかして祖母は、
あの場所でお願いしたんじゃないだろうか。
『わたしはどうなっても構いません。
倅の会社を救ってやってください』
って。
きっとそうだと思った私は、
もう何年も行っていないあの神社に、
もう一度行きたいと思うようになった。
次に群馬に行く事になったとき、
一人で神社に向かった。
久々で少し迷ったが、
どうにかあの神社に辿り着いた。
でも、私の行きたい場所は此処ではない。
『あの場所』だ。
私は裏手に回った。あの日と同じように。
だが、そこに路は無かった。あった形跡も無かった。
信じられなくて、何度も神社の周りを回った。
それでも無かった。
信じられなかった私は、
上記のような『あの場所』の様子を、
母に、叔父に、祖父に、叔父の子どもたちに
聞きまくった。
でも、答えは同じ。
「そんな場所知らない」
私は怖くなった。
すごく、すごく、怖くなった。
今、思い出しながら書いていてもスゴク怖い。
それ以来神社はおろか、
裏の山自体にも近寄らなくなった。
いや、それどころではない。
あらゆる山道に恐怖を覚えるようになった。
『あの場所』が、
あの群馬の山中の何処かにだけあるとは
思えなくなっていた。
いつか何処かで、
突然あの場所に行ってしまうような気がするのだ。
あの頃は、
自分の命を引き替えにしなければならないのなら、
どんな願いも叶わなくていいと思った。
でも、今は必ずしもそうではない。
もしそんな切羽詰ったときに、またあの場所に行ったなら。
そう考えると恐ろしいのです。
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