岩櫃城本丸址
建物の土台と思われる25m?15mの形跡があって、岩櫃城の展望台と指揮台を兼ねた中枢部があったといわれています。 岩櫃城 は、吾妻八景を代表する景勝地として知られ、南面は、奇岩や怪石の切り立った断崖絶壁で、ぐんま百名山にも選ばれている 岩櫃山 に築かれた山城です。
戦国時代に真田勢の攻勢によって岩櫃城は落城し、真田幸隆が上田城、沼田城を結ぶ真田街道の中間として重要な拠点の吾妻郡守護代になったそうです。
また、岩櫃城の北東に位置する観音山頂上には、岩櫃城の出城と考えられている柳沢城があり、岩鼓の要害と呼ばれいたそうです。
この他にも、岩櫃山南面には武田勝頼を迎えるために3日間で建てたといわれている古谷御殿の 潜龍院跡 (そこに潜龍院というお寺があったので、潜龍院跡と呼ばれているそうです。)があります。しかし、武田勝頼は甲斐の天目山で自刃し潜龍院に来ることはなかったそうです。
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