それまでのイングランドはステュアート王朝という、スコットランドの王室がイングランドで絶対王政をしいておりました。権力を行使して議会(短期議会)を解散させたばかりの国王チャールズ1世は、スコットランドの反乱の際の軍事費捻出を審議せざるを得ず、1640年に議会を再開したことでイングランドのプロテスタントに当たるピューリタン(清教徒)の多い議会派は、国王の行き過ぎを非難して王党派(国王派)への対立姿勢を示し、1642年、内戦に展開しました。 ピューリタン革命の勃発です。議会派の中でも国王の権限を縮小させようとする資本家などの市民で構成された独立派は、クロムウェルの指揮で頭角を現しました。独立派はチャールズ1世をとらえ、1649年1月に処刑しました。
その後、クロムウェルはアイルランドを苛酷に征服し、王室をかくまったスコットランドも支配下に入れました。そして、1651年に貿易をイングランド有利に導く 航海法を定め、当時、中継貿易を制覇していたオランダと対立を深め、戦争に発展し、連戦連勝を重ねていき、海の覇権を獲得します。
こうして何もかも手に入れていったクロムウェルは、共和政をしくため、陽の当たった4月20日、護国卿に就任するために、1640年から開いていた長期議会を解散しました。
ところが、クロムウェルの独裁は長くは続かず、1660年には再びステュアート王朝が再開し、王政復古しました。
参考文献「 世界史の目 92話 」
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