友人『ターザン』の憂鬱
友人で”真由美”という名のターザン在り。
真由美でターザンって、なんじゃそりゃ?
・・・回りくどい言い方で恐縮です。
見た目は、スリムな洋風の美女です。
日西のハーフでモデルをしていました。
今は翻訳と英語の先生の仕事をしています。
”真由美”というのは自分で勝手に決めた愛称なのです。
”見た目”と”真由美”の不自然なギャップは一目瞭然過ぎます。
そのギャップの謎について明かしてくたのは
知り合いから友人の段階になって、
さらにそれからだいぶしばらくしてからでした。
『私の本当の名前がターザンだったら笑う?』
それが告白の始まりでした。
そう聞かれて、『ハイ笑います』と答えて
それを正当化できるほど知恵が回るような
切れ者ではありませません。
『え?そうなの?』と質問返しするのが精一杯でした。
1〜2分の沈思黙考の末
『本当はスーザンって言うの。
でも、子供のころ周りの子から
スーザン・ターザンって呼ばれるのが
恥ずかしくて、自分の名が嫌いなの』
普段の元気ハツラツ振りとは程遠い小声でした。
彼女はできる限り本名を伏せてきたそうです。
『それにしても、スーザンでターザンって
発想の貧困ぶりのほうが笑えるんですけど』
そう思いましたが深刻な話なので
今にも口から出掛かりそな
お馬鹿コメントを噛み潰しました。
なるほど、
今の日本じゃハーフブームですが
それでも、立ち入って聞いてみれば
たぶん多かれ少なかれ似たような経験を
お持ちであるはずです。
彼女はそんな環境に耐えかねたらしく
高校生活は双子のお姉さんと二人で
LAのハイスクールで過ごしたのだそうです。
彼女のLAでの高校生活は、日本で経験した違和感を感じることの無い
ハッピーなものだったそうです。
はからずも、私の留学時代とかぶる期間があると知ったのは
日本で偶然再会するときでした。
縁は異なもの、事実は小説よりも奇なり!
Close encounters of the THRD KIND!
私は留学生時代に彼女と『第三種接近遭遇』を果たしていたのです。
ただ、私のほうにはその認識がありません。
それは私と悪友がLAに吉野家の牛丼を食べに行った日のことでした。
美人は絶対に見逃さない私です。
なぜに気づかなかったか???
その日のガソリン代と食費を稼ごうと(大道芸の代わりに)
友人をサクラにして腕に多少覚えのある少林寺拳法を
ビーチで披露して小銭稼ぎを目論んだのですが、
その様子を彼女たちが観客で観ていたというのが
最初の出会いだったそうで・・・
赤貧の留学生が無理してLAくんだりまででかけるとなると
後日の生活費を相当に圧迫する出費となるのは
火を見るよりも明らかなわけで・・・
その日もあまりの空腹と集まったチップの集計に無我夢中で
不覚にも美人双子姉妹を見逃していたのでした。
『衣食足りて礼節を知る』とは正に”言い得て妙”です。
スペイン的イメージだけ汲み取ってください。
リッキー・マーティンの容貌を利用する意図は全くありません。
ちなみに、彼はプエルトリコ出身です。
留学生時代は今よりも大分シュッとしておりました。
南カリフォルニアという地域性と
日ごろの波乗り日焼けのせいか、
スパニッシュかメキシカンと間違われることが多く
カリフォルニア州の運転免許を取得済みでしたが
常に国際運転免許証を携行し日本人であることを
証明をする用意が必要でした。
今ではむさ苦しいオヤジです。
時はめぐり、
彼女との再会は帰国後のサラリーマン時代で
東京の晴海会場で開催されていた
国際ボートショーのブースの企画運営を任された頃でした。
動画のようなモーターボートや
派手なヨットやクルーザーと並んで
ウィンドサーフィンのコーナーがあり
イベントコンパニオンを探さなければなりませんでした。
某代理店経由で有名モデル事務所から数名をピックアップ。
書類選考の末、英語/スペイン語/日本語OKなハーフの子と
数名の日本人モデルを面接する運びとなりました。
そこです。
いきなり『あなた、LAのビーチで見たよ。』
オイオイ、いきなりため口か?それに俺はサンディゴベースだ・・
と思ったのですが
話を聞けば確かに思い当たる節あり。
運命というか、とにかく驚きでした。
武術で金集めをする妙な日本人(私のことです)は
彼女の印象に残っていたらしく、
職業がマリン系業界のサラリーマンなだけに
日焼けは学生時分とあまり変わらず、
容姿も大きく劣化する前だったのが幸いしたようで
すぐに気付いたそうです。
それ以来の友達付き合いです。
その後、不定期ですが連絡が途絶えることは無く
彼女はモデルの仕事をしながら勉強して、
通訳や翻訳を本業としてがんばってきました。
僕が家業を継ぎ、結婚し、子供が生まれると
彼女は気を利かして年に数回程度
忘れたころに連絡をもらうくらいの
付き合いになっていました。
ところが忘れもしない2001年。
9月11日の午後11時ころだったでしょうか。
9月12日に日付が変わったくらいだったかもしれません。
このころには私も人並みに携帯電話を持つようになっていまして
突然携帯に彼女から電話が入ります。
テレビではアメリカで起きている同時多発テロのニュースが
その惨状を伝えていて、緊迫した空気があったわけで。。
その状況下で、
泣きながらうろたえた様子の女性の声の電話・・・
ヤッベーぞ!・・・と不謹慎にもまず思いました。
カミサンの不審そうな目線には、既に怒りの色がありました。
”さすがに鋭い!”
日本語と英語の入り混じった女性の声が筒抜け。。。
といっても何もやましいことは無いんですが
それでもその状況と時間帯に女性の泣き声はチョット・・・
It's Nobody...It's not what it souns like なんてとても通じやしません。
Gimme a break な状況です。
前門の虎、後門の狼。万事休す。絶体絶命。狼狽と冷や汗。。。
嗚呼、吾が運命やいかに?・・・
我が家においては
すべてをありのままに話して事なきを得ましたが
彼女ほうは言葉にできないほどの悲劇がありました。
彼女の双子のお姉さんはLA時代に知り合ったアメリカ人と結婚し
二人ともあのツインタワーで働いていたのです。
電話の時点では安否の確認はできない状態でした。
その状態がしばらく続きました。
それにしても、不安のあまり電話をかけた先がこともあろうに、
超いい加減な適当野郎の私だったわけで。。。
男女の友情の継続の秘訣は一線を越えないことだと思います。
当然です。
なぜなら、まがりなりにも男女であるからには
まったく何も感じないまま関係が継続するはずがありません。
心のどこかには、事情や状況が許すものなら
友情の先へと歩を進めてもよいくらいの
淡い恋心のようなものあるものです。
そこで踏みとどまれない関係は友情ではなくなります。
個人の意見ですので、断定はしませんがそう思っています。
カミさんの動物的勘はそこを一瞬にして鋭く見抜くわけで。。。
しかし、事の重大さと彼女の心の痛みを汲んで
(当時子供が小さかったので)私ひとりで、
彼女を見舞うことになりました。
なんとなく、無期執行猶予付きの有罪判決留保事件?
・・・的な状況と解釈しています。
それから今日に至るまで年に数回程度
とあるカフェで会って近況を伝え合っています。
くどい様ですが、ちゃんと許可を得た上でです。
『便りのないのは元気の証』といいますが
最初彼女はそう信じようとしていました。
ですが、その反対の事実を飲み込むまで
4年という空虚な年月が必要でした。
その間に、彼女は姉夫婦が残した2人の子供を引き取り
実家のお母さんとともに立派に育て上げています。
彼女自身の結婚を考える余裕はなかったそうです。
その話を聞くことしかできない無力さを痛感するしかありません。
今年も、つい最近彼女から連絡があり
近々のうちに待ち合わせの約束をします。
もちろん、カミさん公認です。
結婚前のことになりますが、
一度だけ彼女と夜明かしで
カラオケ屋で盛り上がったことがあります。
さすがに、この事実は黙秘しています。
宣戦布告なき英西の直接対決は避けるのが
賢明かと判断します。。。
俺、結構いい外交官になれるか???
彼女の年は私の一回り近く下で、
カミさんとほぼ同年代。
しかし、精神性において大きく先を越されています。
年齢の話をすると憮然とされるので
話題には気を使うのですが
出会ったときとさほど変わらない若さは
強力なDNAのなせるわざか、それとも
日々のお手入れの賜か?はたまた
神によるご加護があるからか?
彼女は今でも心の底では
お姉さん夫婦が帰ってきてくれることを
願っているそうです。
彼女は最近の北朝鮮関連の緊張状態を不安に感じています。
私見ですが、本来、元を正せば
この常軌を逸したかのような状況は
アメリカ、ロシア、中国といった
大国のエゴと対立によって生まれた状況です。
北朝鮮のあり方が問題なのは言うまでもありませんが
そうした状況を作り上げてきた張本人である大国や先進諸国は
深く自省すべきことは無いのでしょうか。
その件についてここでは深い言及は不快なので
やめておきます。
いつだって犠牲になるのは罪の無い弱き者たち。
飛行機を操縦していたテロリストを恨んだものの
最近になって彼らも被害者なのだと
考えらるようになったそうです。
悲しい想いをする人は少ないほうがよい。
そう願っているそうです。
彼女のお気に入りがサウダージ。
理由は聞いたことがありません。。。
ハーフという立場は
同質性や協調性を重んじる日本社会において
ある種、異質的であると言わざるを得ません。
”日本人”に対する”外人”は異質ではあるけれど
対極的存在であり立場が明確です。
しかしハーフとなると、異質と同質性が混在するという
実に複雑な立場となります。
単純にマジョリティーかマイノリティーかの何れかに
くくるとすれば明らかに後者です。
私の子供もそういう意味では嫌な経験を持っています。
日本人と結婚した子供さんをお持ちの外国人の多くは
成長に伴って経験するであろう差別的経験に対する懸念を
もっているようです。
ですが、決して口にはしないそうです。
彼女がもしハーフでなければ、
スーザンという名を恥ずかしいと感じることは無かったし、
多分LAでの高校生活も無かったでしょうし
お姉さんはきっと日本で結婚されて姉妹仲良く暮らしていたでしょう。
そして憂鬱を抱えたターザンが僕の友人であることも無かったわけで。。。
彼女の心の中にはそういった矛盾と憂鬱が存在します。
タグ: Rhapsody In Blue: Gershwin
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