まさかの元旦の大地震。
能登半島地震から半年がたちました。
当日、私はパソコンチェアで愛猫を抱っこしながらウトウトしてました。
そこへ突然、緊急地震速報が鳴りひびきました。
当日やその後の記事を、今読み返してみました。
地震発生当日。
地震のことには触れているにもかかわらず、娘のことは触れてなかった。
きっとメンタル的に書ける状態ではなかったのかな。
旅行でまさに輪島に向かうバスの中にいた長女。
TVでは津波警報、「にげて!!」と呼びかける各局。
道中のバスの中、娘たちに状況判断は難しく。
土地勘のない旅行者はどうすることもできないのだと実感。
海沿いを走る道でしばらく停車していた様子。
この時私は本気で、もう長女に会うことができないかもしれないと思い詰めました。
頭の中には、あの東日本大震災の時の巨大津波が襲う映像が何度も何度もリピートされて・・・。
あんな津波が来たら、今の娘は助からない。
逃げようがない、と。
結局輪島までの道路が寸断され、進むのは不可能。
運転手さんの機転で、最寄りのPAにトイレ休憩に行けて少し安心したと言ってました。
途中警察の避難誘導が入るかも・・という情報も。
通れる道を迂回しながら、金沢駅周辺に到着したと聞いた時には本当にホッとしました。
行き場のない娘たち。
金沢駅近くのアパホテルがロビーを開放し、食事の提供までしてくれたと聞きました。
他のホテルでも同様の支援がなされていたのかは、わかりません。
真冬の寒い中、土地勘のない旅行者。
身を寄せることができる場所があるというのは、本当に心強かっただろうと思います。
ボランティアや支援物資の報道はありますが、こういった地元の一企業でなされた支援の報道がされないのに、少し疑問を抱きつつ。
アパホテルの方々には、早い段階でロビーを開放するなどの決断をしていただいて、助けていただいた事心からお礼申し上げます。
命拾いしてから半年。
無事に自宅に帰宅した直後、長女はしばらく体調を崩したりしてました。
が、おかげさまで今ではすっかり元気です。
心に追った傷は見せないようにしてるかも。
本当に困ったときに手を差し伸べてくれる人の暖かさを身をもって知った彼女。
だからこそ、今後困った人に出会った時、臆することなく手助けのできる人になってくれるのでは・・と思います。
私自身も、娘が死んでしまうかもしれない・・と本気で思う経験はもう二度としたくない。
けど半年たって、防災に対する意識の薄れを感じている事も事実です。
最近はローリングストックの食品を消費したあと、補充するのを忘れていますし
もう一度気を引き締めて、一日一日を感謝して過ごさないとなと思います。
半年たった今思うこと。
これから長女にメールをしようと思います。
思い出したくないことかもしれないけど、生きていてくれてありがとう・・と伝えます。
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