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豊臣秀吉 〜其の四・中国侵攻〜

羽柴秀吉と名を改めた秀吉。


1577年、秀吉に毛利攻めの総司令官の任が届いた。

任に従い、播磨へと侵攻する秀吉。
播磨を治める 赤松氏は抵抗するも、落城。

秀吉は、姫路城を侵攻の拠点として、
但馬・因幡・淡路を平定。

そして、三村氏攻略他、主家の浦上氏を追放した
謀将宇喜多直家が治める備前へと進出する。


はじめ毛利氏の先鋒として秀吉に抵抗していた
宇喜多直家だったが、次第に秀吉と通じ、
秀吉方の先鋒となったため、
その余勢をかって、備前をも平定。

備中へと侵攻の手を伸ばすのであった・・・


戦国武将 豊臣秀吉


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第壱集 第弐集 総集編

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豊臣秀吉 〜其の参・羽柴秀吉誕生〜

明智光秀らと京都奉行に勤めていた木下秀吉。

1573年、主君織田信長が、
対立していた将軍足利義昭を追放。

同年の浅井・朝倉攻略戦で 戦功 を挙げた秀吉は、
褒美 として、浅井氏の旧領十二万石を得て、
近江小谷城主に取り立てられた。

大転機 と感じた秀吉は、このことを肝に銘じ、

「丹羽・柴田両雄を併せ呑むほどの成長」

を、とげたいとの願望を表し、
木下姓を羽柴と改め、
羽柴筑前守秀吉と名乗るようになった。


戦国武将 豊臣秀吉



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豊臣秀吉 〜其の弐・一夜城〜

晴れて信長の家臣となった秀吉は、
1561年、のちに北政所と呼ばれるお祢と結婚。

それまでの戦でも度々従軍し、
次第に重用されるようになっていった。

その後、美濃攻略に乗り出した主君信長ではあったが、
美濃攻略の足がかりとして、城を作ろうとしていたが、
その途中で攻められ、度々失敗をしていた。

そこで信長は、秀吉を呼び寄せ次の城作りの任に命じた。

秀吉は、近隣の豪族蜂須賀正勝の協力を得て、
一夜にして西美濃墨俣城を作り上げた。

その方法は、川の上流であらかじめ用意しておいた木材を
空が暗くなってから下流に流し、組み立てるというものだった。

その後の秀吉は、1568年信長上洛時において、
近江箕作(みつくり)城攻略をあげている。

また、1569年には明智光秀・中川重政・丹羽長秀らとともに
京都奉行に任ぜられた。


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