2015年06月10日
590. 大杉漣?A 徳島ヴォルティス 「 巷の噺」
サッカーが好きでアマチュアチームに所属しているそうです。
「サッカーをしているときは仕事の話は一切しないですからね」と大杉さん。
「勝村(政信)さんとかのチームですか?」と鶴瓶さん。
「いや、勝村さんのチームは強いんですよ」と大杉さん。「おそらく東京都のリーグに入っても、いいとこいくんじゃないかと言う位強いですよ」「Jリーグの方とか、結構な方がいるんですよね」
大杉さんのチームは、40代から60代の、サッカーが好きな人だけが集まっているそうです。
「それでももう24年やってますからね」
サッカー場は少ないので、思うように試合ができないのが悩みだとか。
東京オリンピックやメキシコオリンピックで活躍した釜本さんや杉山さんに憧れて、サッカーに興味を持った世代です。
「サッカー見ると熱くなるんですよ」と大杉さん。故郷の徳島には「 徳島ヴォルティス」がありますが。
「オフになると、大塚のスタジアムまで見にいくんです、鳴門の。行ったときにね、声が出てしまうんですよ。『何しとんねん!コラー!』もう、イラつくわけよ、負けてばっかりだから。それも愛情ですよ」
サッカー仲間は大杉さんが大声を出すのを止めるそうです。「声、通りますからね」(笑)「本心なんですよ、難しいんです、サジ加減が」
「死ね!は1番の愛情表現ですからね、大阪人の」と鶴瓶さん。過激になってきましたね。
「徳島ヴォルティス、今17位ですよ!J2で」と大杉さん。「この間、J1やったんです、1年」
「どうすんの?上がってこられへんやん?」と鶴瓶さん。
「上がってほしいですよ、できる限り僕も…」と大杉さん。
「上がってきますの?」
「今の状態だと、ちょっと難しいですね」
「何が足らんのん?」と鶴瓶さん。
「… 人が良いんですかね!」と大杉さん。(笑)「勝負に人の良さ、出さないでほしいんですけど」
ひいきチームが思うように勝ってくれないいらだたしさ、私(よしろう)もよく分かります。私のひいきチームもJリーグ発足当時は本当に弱くて、Jリーグのお荷物と呼ばれたものです。弱いチームなのに、どういうわけか競技場に行くと勝ってくれて、それで応援を続けてきたわけですが。
それが去年は3冠…。隔世の感があります。徳島ヴォルティスも大杉さんたちの声援で強くなりますように!
2015年06月09日
589. 米倉斉加年 お気に入りの天せいろ 「サラメシ」
60歳を過ぎて東京・世田谷に居を構えた米倉さん。自宅近くに米倉さんの大好きなそば屋がありました。米倉さんはもっぱら出前派だったそうですが。
「 そば処 福室庵」
「天せいろが大好きだというので、もうまず8割がた、8割以上かもしれないですけれど、ほとんど天せいろですよね」と店主の福室克己さん。
そばは2種類をブレンド。香りと喉越しにこだわっているのだとか。天ぷらは季節の野菜に海老、キスが定番。
月に幾度となく出前。バイクの音を待ちわびた米倉さん。リビングののテーブルで、家族や仲間と賑やかに味わうのが好きだったとか…。
俳優・演出家・作家・画家と、米倉斉加年さんの旺盛な創作活動を支えたのは、家族や仲間たちとの交流と、このおそばだったのかも知れませんね。
この蕎麦屋さんのHPはこちらです。 http://www.fukumuroan.com/
2015年06月08日
587. 野村萬斎?A ロックバンド・黒澤明との出会い・狂言の伝統 「サワコの朝」
狂言師の家に生まれ、4人兄弟の唯一の男子。姉と妹に挟まれ、家を継ぐ重圧を感じながら幼少期を過ごしました。
「稽古が終わらないです」と野村さん。「出来るようになるまで稽古が終わらない」
「嫌いになりませんか?」と阿川さん。
「泣いているどころではない」「とにかく必死になってやらないと終わらない」「辞めた!やりたくない!って逃げだしゃいいんでしょうけど、そうすると、『多分親子の関係は切られるんだろうな』っていうプレッシャーは感じてましたですね」
帰宅してお父さんの靴があると「奈落の底に落とされたような…」。
野村さん自身は、狂言よりもバンドやバスケットに惹かれていたそうです。ただ、それほどギターが上手いわけでもなく、背も高くはない…。
黒澤明との出会い
マイケルジャクソンに憧れた17歳の時に、野村さんは「三番叟」という舞踊曲を舞い、「これはマイケルに対抗できる唯一の僕らのダンスではないか」と感じたそうです。「これはカッコいい」
その「三番叟」の写真が黒澤明監督の目に留まり、映画「乱」への出演が決まります。黒澤監督からは「狂言の表現を使って演じてください」という指示。
「 今まで自分がプログラミングされていたことが表現に繋がるんだ、ということが…。回路が繋がるというか…」
自分が嫌がりながらも受けてきた修業の成果を、黒澤明は求めていたのです。
また祖父の演技が世界的に評価されていることも知り、「世界に通じるんだ、と」
狂言の本質はモノマネ
お能も狂言も本質はモノマネにある、と野村さん。
「お能と狂言は一卵性双生児みたいなものですけれども、狂言はモノマネの対象が日常的・一般な方なんですけれども、お能は、どちらかというと、平家物語とか源氏物語、ロングセラーの(笑)、みんなが知っている人が出てくるものに典拠を求めてる…」
確かに狂言は「この辺りの者でござる」から始まります。あれは一般人を真似していると。
3歳から始まる狂言師の修業、最初に演じるのは猿の役だとか。
様々な型が身につくまで何度も練習する。たとえば「泣く」を練習するとなると「朝から晩までひたすら泣き続ける」(笑)
同じ道を歩む息子
NHKの朝ドラ「あぐり」で有名になったのは31歳のとき。NHKとは縁があって、現在は「にほんごであそぼ」という番組で長男の裕基くんと共演しています。
裕基くんは小学校の低学年のころ、萬斎さんに「どうして狂言をやらなくちゃいけないの?」と率直に聞いてきたそうです。「僕も分からない」と答えた萬斎さん。(笑)「僕はそれにずっと悩んでいたので…」
自分の中に埋め込まれた狂言師としてのチップを他と違うものとして証明するためには狂言師として生きていくしかない、という野村さん。
「自分がチップを息子に埋め込むことになったとき、自分にとってはショックでしたね、 息子に本当にやらせていいのかどうか、自分も苦しんだので…」ただ「(息子が)自分でやろうという気にならなければ難しいんじゃないですかね、芸が許さないですから…」
型を叩きこむことはできる、ただそこから先は自分の意志、ということでしょうか…。
最新の舞台「敦ー山月記・名人伝ー」ではお父さんの万作さんも出演。演出も行う萬斎さんがお父さんに演技を指示します。
世襲制の芸能がなぜ、現在も命脈を保っていられるのか、私は素朴な疑問をもっていたのですが、受け継がれたDNAと長年に渡る稽古、そして覚醒してからの情熱、ということでしょうか…。
2015年05月20日
579. 哀川翔?A 浅草・腕相撲 「にじいろジーン」
ぐっさんとの待ち合わせは東京都・台東区・浅草。5年ぶりの出演。固く握手する2人。
浅草はかつて出演した映画の舞台となった場所ですが、プライベートでもよく訪れる大好きな街だそうです。
「いいですね、この雰囲気の路地とか…」とぐっさん。
浅草・気になる店
「通ってるお店屋さん、いっぱいあるんだけど」と哀川さん。「最近、ちょっと有名になってるお店があって…。前は日暮里にあって」
浅草に移ってきたので行ってみたいと。
「 浅草もんじゃころっけ」
「コロッケの中にもんじゃそのものが入ってます」と店員さん。コロッケの中にとろとろのもんじゃが入っているそうです。
「もんじゃころっけ」(250円 税込) プレーンのもんじゃころっけを選んだ2人。
1口食べて咳き込み出したぐっさん。(笑)コメント出来ません。
「それじゃあ(カメラ)こっち振っといて」と呟く哀川さん。(笑)「俺がやっとくから」ぐっさんの分もコメントする哀川さん。(笑)
今月で54歳になる哀川さん、2人の孫のおじいちゃんです。
孫を保育園まで迎えに行ったときのこと。
「俺のこと、人さらいのように見るのよ」(笑) なんか、分かるような気がします(失礼)。
「なんかじいちゃんって呼ばれるの、嫌だったんだよ」「たまたま俺の知り合いが、孫に『ジェイジェイ』って呼ばしてたんだよね」
「急にカッコよくなりますね」とぐっさん。
それで哀川さんは孫にジェイジェイと呼ばせているそうです。お孫さんに釣りの英才教育を始めているのだとか。
浅草・行きつけの店
新仲見世商店街には、哀川さん行きつけの店があるそうです。
「 東京浅草 ??久」扇子と羽子板の老舗のお店。
「やっと居たね」と店主と握手をする哀川さん。不在にしていることが多い店主?
「(扇子で)作ってもらいた絵があるんだよね」と哀川さん。「クワガタの…」(笑)
昆虫の飼育に命を賭ける(?)哀川さんらしい希望です。
「ちょっとでもデザインが狂うとうるさいですから」と店主。(笑)
次に「ひさご通りに」向かう2人。
「 金生堂」ちょっと変わったグッズが置いてある雑貨店。
「超マニアックな店…」と哀川さん。「俺、ここ、よく来るんだ」
ライターの棚を見ながら、「この間、スパナの形をしたライターがあって」「それは買ったのよ」
殴りかかるフリしてタバコに火を点けるのが楽しいのだとか。子供やがな…。
「 あだちや」祭り用具の専門店。
祭りに着る鯉口シャツのサイズが、「大・特大・肥満」となっています。
哀川さんが選んだのが、
「鯉口シャツ七福神(大)」(9,100円 税込)
「お揃いにしようよ」とぐっさんに勧める哀川さん。
特大を着たものの、動きにくいぐっさん。「肥満を」(笑) 着てみて「動きやすいです」
お揃いのシャツを着て、「兄弟分になったみたいだね」と哀川さん。
「次はね、俺がよく来る洋食店」と哀川さん。
「 洋食ぱいち」創業80年の洋食屋さん。ぐっさんも以前から気にしていたお店だそうです。
「ハンバーグ&ライスセット」(1,550円 税込)
「これ、大好きで…」と哀川さん。「俺、 ハンバーグ大好きなの」
ハンバーグの隣に目玉焼きも。お箸でいただく洋食です。
5年前のリベンジ
5年前の出演時にぐっさんと腕相撲をして負けた哀川さん。ここで再戦を申し込みます。5年間鍛えてきた哀川さん見事勝利!
悔しがるぐっさん、今度は左手での腕相撲を申し込みます。
今度はぐっさんの勝利。
「俺、浅草でこんな力要ると思わなかった。もっとのんびりと…」とぐっさん。
いっぽう哀川さんは、右手での勝利が嬉しくてたまらない様子。「よっしゃあ!」ホンマにこの人、子供や…。
店の外へ出ても「ヤッター!」と叫んでいたとか…。いやあ、魅力的な哀川さんでした。
2015年05月17日
578. 松田翔太?A イギリス留学・俳優は30歳から 「あさイチ」
トーク番組にあまりでない印象がありますが、「たまたまです」と松田さん。「でも、苦手かもしれない」
デビュー10周年。確実にキャリアを積み上げてきました。
大河ドラマ「篤姫」(2008年)、「平清盛」(2012)、そして数々の映画にCM…。
時代劇ではシリアスな演技、CMではコミカルな演技と、どちらも強く印象に残ります。
人生を賭けたイギリス留学
ずっとインターナショナルスクールに通っていた松田さん。17歳でイギリス留学を決意しました。
「何か留学して見つけたいとか、大人になるにあたって何かを得たいとか…?」と井ノ原さん。
「全部そこに込めてましたね」と松田さん。「僕はそれで変われるんだ、と思ってたし…、それで何か絶対見つけて帰りたいと思ってたし…」「母親にもそれが恩返しになるかな、と思ってたんで…」
「で、どうでした?」
「… 今の自分は、その経験無しには無いのかな、と思います」と思います。「自分が日本人だっていうことを意識したのもそこが初めてでしたし…」
外見や言葉の違い等を強く意識したそうです。そして初めての一人暮らし…。
「でも、多くの友達ができて、今でも親友なんですが…」
マーティンという友だちがいろいろと助けてくれたそうです。
「アートの学校に…、僕がロンドンに行って勝手に受験して…」と松田さん。「受かっちゃったんですよ」
そこの同級生がマーティンだったと…。アート系の学校らしく、「先生もオネエというか…」
入学式のときに「ぼくらは平等ですべて楽しもう」と言ってくれたそうです。そこでいろんな人種や肌の色の違い等、均一な日本では体験できないことに触れたとか。
そのイギリスに、松田さんは10年ぶりに行ったそうです。
その際に松田さんは、前回出来なくて悔しい思いをしたことをいろいろ実現させたのだとか。
「タクシーも一回も乗ってなかったし…、ロンドンタクシーって有名じゃないですか?」お金が無かったので乗れなかったそうです。また、高級ホテルに入ってもフロントで相手にされなかったなど…。
前回出来なかったことを書き留めていて、それを全部「やりかえした」という松田さん。結果は?
「楽しくない…、何でもない、というか」
それよりも俳優として活躍している自分を、当時の友人たちが認めてくれたことの方が嬉しかったそうです。
俳優は30歳から
「30歳になってからが俳優の本番だって言っているのを聞いたことがあるんですけれど」と有働さん。
「人としてちゃんと説得力を持てるのが30歳からかな、と…」と松田さん。「失敗できるのが20代だと思ってたんで」
「失敗しました?」と井ノ原さん。
「…もう全部失敗ですよ」と松田さん。「自分にしか分かんないことなんですけど…」
「評価されてたと思うんですけど」と井ノ原さん。
「その評価が、自分の欲しい評価じゃなかったかもしれないですし…、自分ということが、まだまだ分からないので…。これから30代は、わりかし目が覚めてきたと思うので…、ま、これからかな、と…」「序盤はちょっとユルめで…」(笑)「あと、父親の死んだ年、というのがすごく、自分の目標になっているので…」
「39歳…」と井ノ原さん。
「そうですね…、でも、まだ29なので…」と松田さん。
「目標ってどういうことですか?」と有働さん。
「…それより生きたいし…。 父親がやってること、全て意識してるわけじゃないですけど、ただ、単純になんか、いい指標になってるっていう気がするし…。」
「…(お父さんが)この齢、こういうことをやってたんだ、って考えたことありました?」と井ノ原さん。迫りますね。
「ありましたね…、でも、まあ、(自分は)今の時代に生きてるんで…、当時は当時の感覚があったのかな、っていう」と松田さん。「あまり考えないようにしてますね」
仕事でもプライベートでも自分らしく生きていきたいと言う松田さん。父は父の時代を疾走した、自分はこの時代を自分なりに駆け抜けたい、ということでしょうか。
「自分が楽しいこと、自分が辛くても乗り越えたいと思うこととかが自分かな、と思うんで…」
20代は自分が苦手なことにもいろいろと取り組んできた、という松田さん。
「これからは得意なことを突き詰めていきたいな、と」
端正な顔に笑みを絶やさず、とつとつと話す松田さん。お父さんとはまた違った輝きを放つ30代になりそうです。
2015年05月12日
576. 大泉洋?B バラエティー・TEAM NACS・稽古好き 「あさイチ」
大泉さんを一躍有名にしたのは北海道テレビのバラエティー番組「水曜どうでしょう」ですが、その名物ディレクター、藤村忠寿さんが大泉さんのことを語ります。
「顔の表情、 表情が細かいんですよ…。怒りとか泣きではなく、ちょっと怒りたいんだけど怒れない顔とか、笑いたいんだけど笑えない顔とか…。微妙な境目が非常にうまいんです。」
そして、大泉洋・二枚目説については
「あいつ、二枚目をやりたいんです、昔から。自分の顔、鏡でずっと見てるの好きなんです。…モジャ毛のくせにさぁ、天性に備わったものが二枚目じゃない…。ま、せこい人間なんで…。」(笑)「セクシーさ、ゼロでしょう?結婚したい男ナンバーワンとか言ってるでしょう? 仲間内では1番結婚したくないのが大泉ですからね…。」(笑)「やっぱりちょっとね、せこいんです、あいつ。男としては、友達としてはナンバーワンですよ、大泉は…。みんな言ってますよ」でも、「せこいんです、あいつ」
短いコメントの中に「せこい」を3回も入れましたね。
藤村さんの語る大泉さんの「せこさ」とは、ロケ中の食事にやたらケチをつけることだそうです。「もっとうまい店に行きたかった」とか。
しかし、大泉さんによると藤村ディレクターはロケに入ると「食べないでもやっていける人」。一方大泉さんは「絶対に食べたい人」。
「僕はけっこう厳しいことさせられてるから、ちゃんと食べさせてほしい。一食一食、 ちゃんとおいしいものを食べさせてほしいという人なんですよ」
ロケ先が分かっているのだから、どこの店が美味しいのか調べておいてほしいのだそうです。
なるほど…。これは相容れない。
しかし、藤村ディレクター、「ディレクターの指示を待つのではなく、自分で考えて、面白くする奴だ。笑いの才能は天性のもので、1年目ぐらいから『 こいつは日本一面白い!』と思うよになった」とも。絶賛ですよね。
一方、大泉さんも、藤村ディレクターの、バラエティーへの洞察を深く信頼。
「北海道が作った番組で、面白いバラエティーというのは、まず無かったです」
その中で、じわじわと北海道発のユニークなバラエティーを作り上げた手腕は非常にリスペクトしているのだとか。
TEAM NACS
TEAM NACSは、大泉さんの大学時代の仲間で構成されたグループ。メンバーそれぞれが売れていますが、定期的にTEAM NACS としても活動しています。
「昔は、5人で、学生仲間として、旅とかしたりしましたけど、今は無理ですね、そういうことは。よくも悪くも、仕事仲間ですよね…」と大泉さん。
「でも、ずっとやっていくというのはありますか?」と井ノ原さん。
「…ありますね。はっきり言って、とんでもない喧嘩もありましたし、ほんとに口もきけない状態になったこともありました。でも、時がそれを修復するし、お互いが認めているんですね、この人たちは。僕も含めて。あの、 大学の4年間で、こんな連中に出会ったという奇跡は、ものすごくみんな大事にしてるし。舞台を打ったときのこの人たちのおもしろさ、フリートークをしたときの、この人たちのおもしろさ…、ずっとやっていきたいのはこの人たちなんですよ…。何があっても続けていく。続けていくためにはどうやっていったらいいのかな、という感じですよ…」
1人の大泉洋としての顔と、TEAM NACS の大泉洋としての顔と、いろんな顔を見せていきたいという大泉さん。深く頷く井ノ原さん…。
緻密な演技
映画の最新作「駆込み女と駆出し男」で大泉さんと共演したキムラ緑子さんは、その魅力を「人を楽しませてしまう声と顔」だと。
「男性的な魅力は?」と尋ねると、「お友だちがいいです」(笑)
そして大泉さんの演技に対する姿勢を語ります。
「私も稽古は好きなほうですが、短いシーンを2時間も稽古して、さすがに『いい加減にしろよ!』と思いました。」(笑)「大泉さんの芝居ってそこでパッと起こったようにおもいますが、実は 緻密な計算があるんだな、と思いました」
お芝居は「練り上げて」、バラエティーは「アドリブで」と、方針をはっきり決めている大泉さん。
納得のいくまで演技のプランを固めたいそうです。
先の事は考えず、目の前の壁を越えていくことだけを考えてきたという大泉さん。計画を立てるのは面倒だが、目の前の仕事はきちんとやりたい、それがまた次の仕事につながっていく、という思いで取り組んでいるのだとか。
これからもご活躍を。
2015年05月11日
575. 大泉洋?A 理想の結婚相手・ダメ親父役で人気 「あさイチ」
NHK「あさイチ」の放送は朝ドラが終わった直後の時間帯。本日の放送も、現在放送中の朝ドラ「まれ」が終わった直後で、司会の有働さんの目がウルウル状態に…。
「とにかくもう、『まれ』の現場では、いかに有働さんを泣かせるか、それしか話が出てませんからね」と大泉さん。(笑)「有働さんに泣いてほしい、って」
理想の結婚相手
「20~30代女性1000人に聞きました!!理想の結婚相手」(楽天リサーチ調べ)によりますと、
1位大泉洋 2位向井理 3位竹野内豊 4位西島秀俊 5位佐々木蔵之介 となっているそうです。
すごい顔ぶれを抑えて堂々の1位…。
「昨日考えたんです」と有働さん。「なぜ、これだけの人を抑えて大泉さんが1位なのか… ちょっと分からなかったんですけど…」
「ちょっと分からなかったんですか?」と大泉さん。(笑)
「大泉さんはどうしてだと思いますか?」と有働さん。
「何かのデータの間違いですかね…」と大泉さん。「意外と(一緒に生活すると)楽しいとでも思ってるんですかね…」「…家庭でそんなに陽気ではないんですけどね…」
様々のドラマや映画で主演を務めてきた大泉さんですが、朝ドラの影響力の強さを実感しているそうです。
「巷を歩くと、『しっかりしてね』とか言われるんですよ…」(笑)「わりとしっかりやってると思うんですよ…、自分としては」
夢を追いかけて家庭を放り出し、失敗しては戻ってきて家族に土下座、というダメ親父役がピタッとハマっている大泉さん。コメディタッチの演技の難しさについて語ります。
現実と演技の境目
横浜中華街のとある中華料理屋で、怒りのため、グラスを持つ手が震えるという演技をする大泉さん。何度も練習したそうです。
「実際問題、怒りで手が震える人って、あんまりいないんで…」と大泉さん。(笑)「ドラマとかではよくある…、(怒りで手が震えるという演技が)よくあるんですよね…。演じる役者にしてみたら、これをどう成立させればいいか、で悩みますよね、コミカルな役ってのは…。まあ、でも、視聴者の方っていうのは、本当にリアルなドキュメントとして見るわけじゃないから…、ドラマを見てて、ドラマの中に入りこんで楽しんで…、ドラマの中の真実ってのはあるんだろうと思うんですよね…。その中で手が震える…、どのくらいまでやればいいのかな?って難しいとこですけれども…」
「日常的に考えたら大げさだけれども、ドラマの中では成立する、境目みたいなのがあるわけで…」と井ノ原さん。
「やらなさ過ぎてもね…、『手が震える人っていないでしょ?』って言ったらそれで終わりじゃないですか?」と大泉さん。「そこを成立させるのが役者の仕事なんだろうな…と」
手を震わせる演技を見て素直に笑えるか、「それは無いだろう…」と視聴者に引かれてしまうのかの境目…、それを考えながらの練習だと…。
大泉さんのトークはまだ続きます。
2015年04月27日
572. 佐藤健?A 初原宿でスカウト・髪型は変える・ミスチル 「サワコの朝」
ドラマ「天皇の料理番」のために髪を短く切っています。
「まぁスッキリしちゃって。」とアガワさん。
「スッキリしました。ドラマの役で短くしました。」
「…明治の若者みたいになっちゃって…でもいいねえ」
「本当ですか?ありがとうございます」
1989年生まれ。26歳。埼玉県出身。
19歳の時、ドラマ「Rookies」で注目を集め、大ヒットとなったドラマ「とんび」(2013年)では主人公の一人息子を好演。主演を務めた映画「るろうに剣心」では激しいアクションが話題となりました。
髪型がどんどん変わっていきますが。
「髪型に関してはこだわりがあるんですか?」
「…どんどん印象を変えていきたいな、と思っていたので、髪型は変えていくように心がけていました」と佐藤さん。「 イメージが付くのが嫌だったんです。『佐藤建ってああいう人だよね』って。そういうふうに思われるのが嫌だったので」「誰だか分からないくらいに思ってもらいたいなと思って」
記憶の中で今でもきらめく曲
Mr.Children「ニシエヒガシエ」
「ミスターチルドレンさんが今も好きなんですけれど…」と佐藤さん。「中学生位なんですけれど、ミスチルが好きになるきっかけとなった曲です。ドラマの主題歌で最後に流れていた曲ですけれども、『なんだ?このかっこいい曲は』と思って…」
「どんな中学生だった?」
「野球部だったんですけど。 野球部風のゲーマーでしたね。」(笑)
野球部の練習で疲れて戻ってくるとゲーム。
「中学生まではすごく優等生だったっていう噂を聞きますけど…」
「負けず嫌いなので、テスト勉強はしてました。『あの人に負けたくない』『あいつに勝ちたい』とかそういう気持ちで…」
幼い頃から負けず嫌いだったそうで、体育の授業の中でも負けるとよく泣いたという…。
ただ勉強を頑張ったのは中学までで、「 高校に入った時点で勉強はしない」と決めていたそうです。
「えー、何?」
「最初から低いところにいたら悔しい思いをしないでいいじゃないですか?」と佐藤さん。これも負けず嫌いの屈折した形でしょうか?
「疲れたのね?」
「疲れたんです。中3の時点で、受験で使い果たしてしまって…」「疲れたんで、もう勉強しないって決めて」
そのことを母親に宣言すると「ええ!?」と言いながらも受け入れてくれたそうです。
「今思うと、理解のある親でしたね」と佐藤さん。「勉強を捨てて、そこからダンスを始めるんです」ブレイクダンス…。
ダンスで疲れ切っていたので高校ではひたすら眠っていたそうです。辞書とタオルで眠りのベストポジションを見つけて…。
「 しょうがないですね。真実なので」と佐藤さん。(笑)
初めての原宿でスカウト
ダンスに夢中になりながらも、ダンスのプロになるのは難しい。将来を迷っていた頃にスカウトされます。
「埼玉の田舎者なので、原宿という所に行ったことがなかったんですよ。 人生初原宿だったんです」
「初原宿でスカウトされちゃったんですか?かっけえ!」とアガワさん。(笑)
今所属の事務所「アミューズ」のスカウトマンだったそうです。佐藤さんが唯一知っている事務所でした。
「 深津絵里さんが好きだったんですよ」と佐藤さん。
「ほうー!」とアガワさん。
俳優という職業にも興味を持っていた佐藤さん。チャレンジすることにしました。
「テレビ番組のNG集、メイキング、それを見るのが大好きで。『こういう風に作ってるんだ』と思った時に感動して…。」「俳優てすごいな、と思ってて…」
それでも、大学受験に対する思いもあったそうです。勉強はしなかったのに。
センター試験まであと2週間という時にお母さんが言いました。「別に大学に行かなくてもいいんじゃない?大学なんていつでも行けるし、別に今行かなくてもいいんじゃない?」
このお母さんの意見に飛びついた(?)佐藤さん。迷いなく仕事に打ち込むことになりました。
「俳優になって10年ですが」
「 目の前にあることに全力でぶつかっていく、ということの繰り返し…。今は『天皇の料理番』の役にどう向き合うか、だけ考えてやっています」
撮影で演出家からOKが出ているので、自分が気に入らず、撮り直しを要求することもあるのだとか。
「 映画って、一生残るものだし…、後悔したくないので…」と佐藤さん。
きちんと計画を立てながらも計画通りことが進まず、悶々とする人生もあれば、将来の夢が無いことに悩んでいた若者が、目の前のチャンスを一つ一つものにして、大きなものを手に入れる…。
26歳にして、代表作というものをもっている佐藤さん、これからもご活躍を。
2015年04月22日
571. 藤竜也 元祖ダンディ俳優・北野武監督からオファー・横浜中華街 「A-Studio」
今日は楽しみですよ」と鶴瓶さん。「このゲストの方はね、こんなバラエティに出はれへん人やねん…」「映画でも寡黙やねん」
登場した藤さんは73歳とのことですが、相変わらず颯爽としています。
藤竜也さんは大学時代にスカウトされ、1962年に日活デビュー。石原裕次郎さんや小林旭さんたちが活躍していた時代の日活です。
その後、大島渚監督の映画「愛のコリーダ」(1976年)に主演し、世界的な評価を得ます。約50年間、映画の世界で活躍し続けてきました。
「オレね、お会いしたこともないし、喋ったこともないねん…」と鶴瓶さん。ちょっと緊張気味?
北野武監督からオファー
藤竜也さんは最新映画「竜三と七人の子分たち」で主演を務めました。
「ふざけた映画や」と鶴瓶さん。映画の要所要所にオナラの音が入っているのだとか。
台本には書かれていなかったそうなのですが。
「…もしオナラのことが書いてあったら、練習するの大変でしょうね」と藤さん。(笑)受け答えが絶妙。かなり面白い方だとお見受けしました。
「オファーがあったとき、どうだったんですか?」と鶴瓶さん。
「…北野さんは僕が出る以前に16本作られている」と藤さん。「…たぶん日本の今の映画界で、北野さんの映画に出たくないという人はいないと思います」「オファーが来て、『うそ!』と思った」
「マジで?」と鶴瓶さん。
「ええ…、『出てくれ詐欺』じゃないですけども…」と藤さん。(笑)
「そんなアホな…」(笑)
「いや、ほんとに」と藤さん。
ベテラン俳優たち
映画には中尾彬さんや近藤正臣さん等、超ベテラン俳優が勢ぞろい。日活時代から半世紀の付き合いのある中尾彬さんなど、しっかりしているほうだったとか。
ピストルを持って傾いて歩く78歳の俳優さんや、カンペの字が小さくて見えないので大きくしたら、それを読むのに顔が上下に動いてしまう俳優さん…。
北野監督は打ち合わせのとき、「話さないし目も合わさな」かったのだとか。「シャイな人ですね」と藤さん。
「町内のジジイたちが、昔ブイブイ言わせたうるさ型のジジイが、風呂屋なんかで奇声を上げてワイワイ言ってる、そういうふうにしてくれればいいんです」と北野監督に言われたそうです。「もったいぶって、間なんかとらないでください、と…」(笑)
普通、監督が「スタート!カット!」と声をかけるものですが、北野監督はそれもせず、助監督が前に出て、自分は後ろに控えるというスタイル。
それでも2、3度、俳優さんのところに来て、「今の、よかった…」と声をかけたそうです。
「そのときの私たちのうれしさ…」と藤さん。(笑)
「面白いんだって…」「面白いんだって…」とそのときの様子を再現。「やった!」と手を振りあげる藤さん。(笑)子どもやがな…。
中華街まで歩く
藤さんの自宅は神奈川県・横浜市。
横浜の町内の仲間たちとよく食べ歩きに行くそうです。もともとは近所のカレー屋で知り合った人たちだったとか。
12、3kmある横浜中華街まで20人くらいの人数で歩く…。
「藤竜也が町内の人連れて、えんえん歩いてるんですよ…」と鶴瓶さん。(笑)皆、お揃いの帽子をかぶって…。
きっかけは、人に横浜・中華街のおススメの店を訊かれて、うまく答えられない自分に歯がゆくなったことだそうです。
「横浜に住んでいて、中華街のことをあまり知らない…ハマっ子としては情けない」と藤さん。「皆で中華街に行って、全部の店を…」
大勢ですのでグループに分かれて、グループリーダーが決めた店に入るという…。見ただけで店の善し悪しがわかるという藤さん。頼もしいリーダーだそうです。(笑)
そうして感想を書きためたファイルが計7冊!かなり辛口の批評が書かれているそうで。
「ぼく、80軒くらい行ったんですけどね…」と藤さん。「1つの店で、全部おいしいということはない」
この店は餃子がうまい。この店は酢豚…と得意な料理が異なっているのだとか。
40人集まったこともあるという、町内の仲間たち。
素敵な奥様(元日活女優の芦川いづみさん。鶴瓶さんは大ファンだったそうです。実は私も…)と仲間に囲まれて、本当に幸せそうな70代…。これからもご活躍を。
2015年04月13日
568. 勝地涼 「A-Studio」に出たかった! 「A-Studio」
「出てほしかったね、この男には」と鶴瓶さん。
「チョー緊張する」と勝地さん。
小栗旬さんと仲の良い勝地さん。鶴瓶さんとも飲み仲間だそうです。
小栗旬さんが監督した映画「シュアリーサムデイ」に出演した俳優はすべて「A-Studio」に出たことになるのだとか。
「 出たかったすよ !」と勝地さん。(笑)「…この間、ムロくんと飲ませていただいたときに、『いいね、出てて』って」
小栗旬さんはすでに2回目の登場。「旬くん、2周目してるときに僕出てないんすよ。出たかった…」(笑)
花屋のロケでスカウト
勝地さんは花屋の息子さん。実家の花屋でドラマのロケがあった時にスカウトされたそうです。13歳の時。
「花屋の近くで(ロケを)見てた、かわいい少年がいる、と」「(母が)『それはうちの息子です』と…。何の確証もないのに言って」((笑)
事務所に連れていかれ、台本を読むと、「良いんじゃない」と社長に言われた勝地さん。次に歌をうたうと、「うーん、歌は無いわねえ」(笑)
劇団恒例の罰ゲームで、森田健作の「さらば涙と言おう」を勝地さんが歌わされているのを聞いて驚愕した宮藤官九郎さん。自分のラジオ番組に勝地さんを呼び、歌手としてデビューさせたそうです。
「ドラゴン気取りのティーンネイジブルース」という歌。「『涼 the graduater』という名前で出させてもらってます」
ただ、下手が魅力だったはずなのに、歌っているうちにだんだん上手くなったとか。
前髪クネ男
NHKの朝ドラ「あまちゃん」には「前髪クネ男」というキャラで出演しました。
脚本には「体をクネクネ」としかなかったそうですが、側にいた古田新太さんから「つまらん」と駄目出し。試行錯誤の結果、体を前後にくねらせ、前髪を触りまくるというキャラが出来ました。(笑)
同時期に大河ドラマ「八重の桜」で大変真面目な人物の役で出演。「本当はダメらしいです」
その後古田さんと飲みに行って褒められたのだとか。「勝地、お前はNHKに爪痕残したぞ」(笑)「いい仕事した」
トークの終わりに際し、「前髪クネ男で去ってほしい」という鶴瓶さんのリクエストに即座に応えた勝地さん。
舞台・映画・ドラマ・CM・歌(?)と、活躍の場はどんどん広がっていきます。