全249件 (249件中 1-50件目)
夜回り先生、水谷修さんの新刊「いいんだよ」発売記念のサイン会。行ってきました。今朝の新聞で、サイン会が京都の大垣書店さんであるという広告を見つけて、凄い活動をされている方ですから、一度お会いしたかった。で、産まれて始めてサイン会に並んだわけです。待合室のようなところで並んで待つんですが、水谷先生がこんにちはって、入ってこられたときのエネルギーはさすがに凄かった。そして、限りなく優しい声でしたね。その本の一節です。「人は自分のしたことについては、必ず責任をとらなくてはならないんだよ」単に優しいだけではなく、こういうことをはっきりいわれるところがやっぱり凄い!ここが外れると、人としても外れていきますから、年齢問わず勿論自分も含めて大切なことと思います。そして、自分が関わった子供にも必ず、自分のやったことは必ず自分で責任を取らせ、かつ、ご自身もその場に寄り添って見守る。お世話になった子供達にとって、掛け替えのない存在でしょうね。そんな子供達のためにも、お体を大切にしていただきたいものです。
2008年04月13日
コメント(49)
少し前になりますが、私が会社でお願いしている会計事務所の所長から、講演の依頼があって、聞けば弁護士の先生とか、弁理士、会計士、労務士の先生方に、っていうことで・・・。思わず聞きました。「私でいいんですか?」って。殆どが年上で、人生経験も私より豊富で、皆それぞれ社長さんで、経歴も凄くって・・・。思わず知り合いに振ろうとしたんですが、「いやいや、あなたに話をしてほしい」なんて言われて、引き受けたわけです。何を話させてもらうか、結構考えましたね。そもそも、こういう経歴のしかも年上の方々に、私が何を話させてもらうのか?結局、自分が気付きに至った内容しかない、ってことに行き着いて、もともと考えるまでもなくそれしかないんですよね。人様に聞いて頂けることは。内容といいますと、親祖先からの恩国からの恩お釈迦さんの教えの話、で自分もこういうことを教えてもらったことで、多少なりとも心を矯正することができ、生き方を見直すことが出来ました、っていう報告のような感じの話をさせてもらいました。感想を聞くのはひやひやもんでしたが、後の食事会で、「あの内容の話がでたときは嬉しかった」とか、「今の自分の問題点と今後の方向がわかりました」とか、いや~受けた!、って感じで嬉しかったですね。一歩間違えば、宗教とか言われそうな内容なのに、です。外れる方はますます外れて、心を高めていく方はどんどん進まれている。両極端ですが、それが時代の転換期の傾向かもしれないですね。私としては、学びあう仲間が増えていることが嬉しいです。この国が本当の意味で、豊かな国となりますように。次に機会があれば、神仏の話でいこう!
2008年04月11日
コメント(2)
人の心の中に生き続ける、そんな人生を送れたら素晴らしい!そんな話です。超大国アメリカ。さすが、懐が深いといいますか、人間にしてもピンキリで、この間までNASAで宇宙船作ってましたなんて人が、普通の修理工場やってたりとか、はたまた犯罪にしても・・・、これは想像にお任せします。よ~するに、何でもありっていう意味で凄い。そこでは、一風変わったセミナーもあって、実際に出すかどうかは忘れましたが、自分の葬式を想定して、その中でどれぐらいの人が悲しんでくれるか?思い残すことはあるか?または、悲しんでくれる人が思い当たらない人は、これからどう生きるのか?なんてことを、結構シリアスにディスカッションするそうです。そして、そのセミナーに参加された方は、必ず、優しくなる!そうです。確かに、人それぞれが、自由に好きに生きているようで、ホントのところ、人間関係のことしかやってないわけで・・・、そんな風に思うと、自分がこの世からいなくなっても誰も気にも留めない、なんて・・・、怖すぎます!それは、優しくもなるでしょう~よ。で、具体的に何が変わるのかっていうと、人に言葉を発するときもちょっと考えてから、になるそうで、要するに、葬式の景色をいやでも思い浮かべてしまうみたいです。人にどれだけ差し上げても決してなくならない宝、それは「ことば」。自分も人もハッピーになる送り物、それは「笑顔」。よく言われることですが、そのとおり!と思います。私自身、友達の有難みをしみじみ感じたこともあります。また、何気ないことで、相手が泣く程、喜んでくれたこともあります。そんな経験から思うに、人を丸ごと受け入れて、掛ける言葉に篭もる優しさの波動が相手の心を溶かし、それが「心の富」となって永遠に残っていくのでしょう。長者番付No,1の斉藤一人さんが講演で言っておられました。「あの世に帰ったらさ~、いくらお金を儲けましたとか、会社を大きくしましたとか、そんな事は何の自慢にもならね~んだよ!」大金持ちが言うと、説得力が・・・!あの世にもって帰れるたった一つの宝物、それが心の富。差し上げた優しさの分量だけ、自分がこの世を去ってもなお、人の心の中に生き続けることが出来るのかもしれません。
2008年03月09日
コメント(2)
母の誕生祝いで、有馬温泉へ。天地の宿 奥の細道料理の鉄人に出演されていた大田忠道さんの宿です。さすが、実に美味しかった!です。全国旬の味心の笑み(前菜)季節の盛り合わせほっこり椀(煮物椀)帆立真丈山海の恵み(お造り)盛り合わせ雲海鍋(肉料理)すき焼き天地の恵み(焼き物)鰆の西京焼き地野菜と地魚(焚合せ)豆乳豆腐元気をくれる料理(揚物)その日のおまかせ天ぷら里帰りの味(香り物)四種盛こだわりの味(食事)うすい豆ご飯魔法のシャーベット(果物甘味)季節の果物名前の付け方も、こだわりが・・・。それに!5人で行って、予約の際、母の誕生日で、と何気に伝えただけなんですが、なんと、鯛の丸焼き尾頭付丸ごと一匹、サービス!!!太っ腹!感動!です。何はともあれ、母から受けた恩に比べれば、些細なことでしょうが、こんなことでもさせてもらえることが有難いです。親孝行で有名な太閤秀吉公ゆかりの有馬温泉で、母の誕生祝いをさせてもらえました。お気に入りの場所、追加!です。
2008年03月03日
コメント(2)
宮古島の石の庭続きで、超☆幸福論 船井幸雄・佳川奈未著 から石の庭での体験が書かれていました。その抜粋です。船井さんと佳川さんが石の庭に行かれて、船井会長が神様からのメッセージが聞こえたという不思議な石に、佳川さんもふれられて、そのときメッセージが聞こえたと、「騒ぐでない。慌てるでない。悪あがきするでない。」続いて、「私は次に何を書いたらいいですか?」と聞かれたそうです。その答えは、「自分が世の中の人にこうあってほしいと思うものがあるなら、まず自分がそういう人になり、それから、それを説きなさい」だったそうです。過ぎた過去を思い悩み、まだきてもいない未来を憂う・・・、それが人間の愚かさであり、また、素晴らしさなんでしょう。苦しさ、辛さがあるから、喜び、楽しみがある。後悔するのも、根本原因は「傲慢さ」。未来を憂うのも、その原因は、「欲」。自分の愚かさを自覚し、天を信じ何があっても受け入れる覚悟があれば、生きる喜びと感謝だけが残る。心を落ち着け、今を生きよ。「騒ぐでない、慌てるでない、悪あがきするでない」・・・私にはそんな風に聞こえました。また、もう一つの方で、「まず自分がそういう人になり・・・」ん~ホント、大切なポイントと思います。何をどうやってみても、完璧にできるなんてことありませんから、それがわかると謙虚にもなり、相手に何かを伝えるにしても、同じテーマを学ぶ同士みたいに思えてくるもので、同じ目線で話をするようになります。そうなると、伝わるんですね、相手の心に。人がどうであろうと、そこから自分が何を学ぶかがポイントなんですね。結局のところ、自分がどう生きるか、それが本質。話が伝わるのではなく、波動が伝わる。さすがに凄いメッセージと思います。石の庭つながりで、読んだ本から思ったこと、でした
2008年02月28日
コメント(2)
先週末、宮古島の石の庭へ行かせてもらいました。その感想です。パワースポットとして精神世界の方々に有名な「石の庭」。凄いところでしたね。庭のオーナーである新城定吉さんに先ずご挨拶。見せて頂く許しを得て心づけをお渡しし、いざお庭へ。2月で本州はまだ冬真っ盛りという感じですが、宮古島は春の陽気で、過ごし易く気持ちいい気候で行かれるならこの時期がオススメです。その庭では多分これ以降は蚊で大変な気もしますし・・・。もう一日はカラッとしたさわやかな陽気で、芝生で寝転んだり、石に抱きついたり、石とツーショットの写真を撮ったり、新城さんの話を伺ったりも出来ましたし、心地良く、色んな波動にふれ癒される体験をさせてもらいました。そこは、エネルギー(波動)の展示場という役目があるみたいで、ありとあらゆる波動をそれぞれの石から感じる事が出来ます。言霊の世界では、石が意志で、と言われていますが、確かにそこの石には、高次元的存在の意志を感じました。何故か、とっても嬉しく有難い!今まで地球を人類を、守り導いてきてくださった高次元的存在のエネルギーを感じる波動。そして、これからメインとなっていくであろう波動。はたまた、ちょっとなじみのない宇宙的な波動、などなど、何でもありって感じでしたね。やはりと言うか何と言いますか、地球も宇宙も、確実に変化しているんですね。大して変化していないように見える日常ですが、波動の世界は確実に変化して進化している!問題は、その流れに人間が付いていけているかどうかで・・・。縁あって生まれ、これまでを無事過ごさせてもらえたことに感謝!こんな凄い時代に生まれさせてもらえたことに感謝!日々、精進精進!
2008年02月26日
コメント(2)
久しぶりの更新です。今日は「自分を愛する」がテーマです。自分を愛するっていうと、ナルシストに聞こえるでしょうが、そういうことではなくて・・・。自分にご縁のある人にも色々あって、誉めてくれる人もいれば、叱ってくれる人もいて、感謝してくれる人もいれば、苦情を言われることもあるわけですが、皆、自分に気付きを与えてくれる人という意味では、大切な人です。そういう大切な人に、今日一日、思いやりをもって接したか?相手の立場に立てていたか?温かく勇気付ける言葉を掛けられたか?などなど、そんな内容で、出来るだけ自分を省みるようにしているのですが、とてもじゃないですが、全然出来てないんです。というか、出来てないことに気付ければ、良い方で・・・。そんなとき、反省しているつもりが、後悔し自分を責めている自分がいるんです。本来、大した者ではない自分だから自らを省みる意味があるわけで、それを反省というでしょうし、後悔が入るのは何かおかしい。大した者でもなんでもない自分を、大した者と思っているから、出来ていない自分を責めるわけで、傲慢ともいいますね。反省するのは日々ですが、後悔するのは違うわけです。微妙な違いですが、エネルギーの方向は正反対!自分を愛するとは、「自分の良いところも悪いところも何もかんも丸ごと全部を認め、良しとすること」なんですね。無条件の愛で、自分に接する。自分を責めた分だけ、人にも辛く当ってしまう。自分を愛した分だけ、人に優しくなれる。自分を丸ごと愛せれば、きっと楽に楽しく笑顔で毎日を過ごせる事と思います。
2008年02月20日
コメント(6)
今日は、鷹山の残した名言の話です。言葉は余りに有名ですから知っていたのですが、その文章に使われている漢字を知らなかった。お恥ずかしい限りです・・・。「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」やったら出来る、何事も必死に頑張って努力せなアカン・・・・、っていう風に言葉だけ聞いて思ってたのですが・・・、「何にしても、出来るまでやればできますわな~・・・」、・・・出来るまでやるわけですから、当然です。「そやけど、やってもいないことは、そら~でけまへんわな~何事も・・・」、・・・う~ん・・・、やらない言い訳探してる暇があったら、とにかくやってみたほうが早い。ただただ、仰るとおり。「出来んのは、あんたがやってないだけのこと」、耳が痛かったりして・・・。実に当たり前・・・、のようでとっても深い、名言ですね。良心で聞けば当たり前の事も、もう一人の自分が邪魔をする。「心を正し、行動を正していく」それが何気ない毎日の中の修行なんでしょうね。
2007年08月22日
コメント(2)
久しぶりの更新です。胸が熱くなる本を見つけました。ちょっと目頭が・・・。「いつまでも、いつまでも お元気で」温かく、優しい言葉を残して大空に散った若者達の記録!知覧特効平和会館その抜粋です。昭和20(1945)年の三月から六月にかけて、鹿児島県の知覧から陸軍の特別攻撃隊四百数十機が飛び立ち、沖縄周辺のアメリカ艦隊に向けて突撃しました。六十年前の若者達が命を捨てても守りたかったもの、それは何だったのでしょうか。テーマとしては重い内容ですが、南国の美しい写真と共に、温かさだけが胸にしみこんでくるような、そんな本でした。内田新一・・・・18歳祖父・祖母様幼きころにして一番良く可愛がって戴いたのは「おじいさん」と「おばあさん」でしたね。学校から帰ると何時もおばあさんを尋ね廻り、或は晩の寝付きに歌って戴いた子守唄、聞かせて戴いた昔話、今も良く良くあの面影が心の底に残っています。新一としては只我儘ばかり行って「おばあさん」達を困らせました。お許し下さい。今度新一は○○へ鬼退治に行く事になりました。今度帰るときはきっと「ルーズベルト」の首を持って帰りますからね。そのときまで元気で待って居て下さい。ではちょっと征って来ます。いつまでも、いつまでも元気で、長生きして下さい。この手紙が着く頃には、これが遺書となりました。戦争の是非はわかりません。ただ、こんな想いをする人を造ってはならないと思います。しかし、今の平和も偶然の産物ではないのですね。こういう優しくも温かい先輩達の尊い犠牲の基に、今の豊かな日本がある・・・・。日常に追われて見失いがちですが、文句や愚痴が言えるっていうのも、贅沢な悩みですね・・・。お盆には、今の日本の礎を築いてくださった、そういう名もなき先輩達やご先祖様のご冥福を祈ってこようと思います
2007年08月11日
コメント(3)
映画「不都合な真実」を観ての感想です。本で読むのは字が細かくてチョットしんどいですが、映画ではアル・ゴア氏の言葉が直接聞けて、結構胸に迫るものがありました。その中から抜粋です。「災いを引き起こすのは、“知らないこと”ではない。“知らないのに知っているとおもいこんでいること”である」byマーク・トウェインまた、以下の6つのことを実践することで、二酸化炭素の排出量を1970年代のレベル以下に減らすことができる!という内容は新鮮でしたね。1、 冷暖房、照明、電子、電気機器のエネルギー効率改善による削減2、 暖房、給湯、照明、動力など、最終用途でのエネルギーの効率化による削減。 つまり、建物やビジネスを現在よりも省エネ型に設計すること3、 より燃費のよい自動車を製造し、ハイブリッド車や燃料電池車の台数を増やすなど、 自動車の効率改善による削減4、 よりよい公共交通システムのある都市や町を設計したり、大型トラックの燃費を改 善したりするなど、乗用車以外の交通輸送の効率化による削減5、 風力やバイオ燃料など、既に存在している再生可能エネルギー技術をより利用する ことによる削減6、 発電所や産業活動からの過剰な炭素を回収・貯蓄することによる削減何項目かは、政治的問題ですが、その政治家を選ぶのも私たち一人一人なわけで・・・、それ以外でも、ちょっとした意識でできることって結構ありそうです。生命の源、母なる地球。出来の悪い息子が親に、今まで散々色んな苦労を掛けて、それでも何もいわず育ててくれた母の有難みにやっと気付いて、ほんの少しでもその負担を軽くしていこう、って言う感覚ですかね。まさに、自分にリンク!しそうで、ただただ、ごめんねと有難うですね。ゴアさんが言っておられた、「温暖化の問題は、人道的問題です」そんな言葉が特に印象的でした。
2007年07月12日
コメント(0)
今日もTV番組の話です。「世界がもし100人の村であったら」という番組で、父親が死に、母親は病気・・・、働き手がいなくなった家族の生活を支えるのは、14歳の少女。とはいえ、14歳の少女にまともな仕事があるわけはなく、ゴミ山の中から缶を拾い、それを売って生活費に変えて、母と子供三人が生きている。朝から日が暮れるまで働いて、一日450円。そのお金で、お母さんの薬と2日分の米を買っておしまい。2日間何も食べていなくて、3日目でやっと食事。献立は、お米だけ・・・。それに塩を加えて、水でふやかして食べる。その家族にレポーターとしてついていた女優の酒井さんにも、その貴重な米を14歳の少女が笑顔で振る舞い・・・、「一緒に食べよう」「お姉さんはお腹減ってないから、みんなで食べて」「一緒に食べよう~」そんなやり取りがあって、酒井さんはそのご飯を食べられて、美味しいですか?っていうカメラマンの質問に、「美味しいかと聞かれれば、正直、美味しくないです」と日本語で答え、その後、感極まって、涙されていました・・・。体の栄養というなら、バランスも滋養も全然足らないでしょう。でも、心の栄養というなら、一生に一度食べられるかどうかの最高のご馳走だったことでしょう。レポートを終えて、「日々当たり前に生きられることがありがたいですね」そんなコメントが印象的でした。
2007年07月01日
コメント(2)
TVドラマで、ライアーゲームが最終回を迎えました。何となくみていたのですが、途中は何かいやな感じを持ちつつも、最後まで見てしまいました。結局、最後はホッとできて、作者の意図も素晴らしいもので、よかったですね。話はといいますと、ゲームの中で参加者がお金を奪い合い、負けたらその分負債を背負う。みんなそれぞれが必死で勝ち残ろうとして、色々な駆け引きがあり、疑心暗鬼にも陥りながらも、その中で、主人公が気付くわけです。奪い合わずに分け合えば、誰も得をしない代わりに、損もしない。なら、奪い合うのを止めて、分け合いましょうと・・・。私は人を信じたい・・・、と。その信念を貫き通した結果、みんなの心も溶け、誰も得をしなかった代わり、誰も負債も背負わなかった・・・。そしてみんな笑顔になった・・・。今の世の中と、これから創り上げていく未来の姿を見たきがしました。限られたパイを奪い合い、誰かが得すれば、誰かが損をする。奪い合わずに分け合えば、みんな不足なく生きられる・・・。今の世界の本質を的確に表現しているように思いましたね。教育という名の下に、競争に勝つ事が絶対的価値のように教えられています。確かに、自分を磨く事において競争も必要ですが、思いやりや優しさという本来人間の持つ素晴らしさを磨く教育が、抜けてしまっているような気がします。人と動物の違いは、優しさや思いやりという心の部分に思います。そこが抜けてしまった結果が、今の世相と思うのはわたしだけでしょうか?誰もが、自分だけが得をするように考え動き、負けたものには眼もくれない・・・。ホンの十年ほど前、田舎では車に鍵をつけたまま、家に鍵もかけない、というのが当たり前で・・・。今はというと、そんなの考えられない・・・。それだけ世の中が変わったというより、人の心が変わってしまった。でも、人は気付いた瞬間から変われます。それが人間の素晴らしさでしょう。甘いといわれるかもしれませんが、人間の本質は信じるに価すると思っています。心のあり方を意識する人が増えれば、昔の田舎よりもっと素晴らしい社会にすることも可能と信じています。都会であったとしても、お隣さんやすれ違う人、周りの人々を信じて生活できれば、子供の送り迎えを交代で、何てことも必要ない・・・。そんなこんなも、根本原因は、私たち一人一人の心のあり方・・・。人の才能は諸刃の剣で、創造に使うも破壊に使うも心次第。競争に勝つ事に使ってきた能力を、人を活かし人を喜ばし、人の笑顔が増える方向に使う人が増えれば、きっとあっという間に世の中が変わっていくでしょう。人を疑い、明日に怯えて毎日を過ごすのは、しんどくて疲れるもので・・・。人を信じ、人の優しさを信用できるなら、明日がもっと素晴らしいものになるでしょう。そんな日常なら生きるのももっと楽しい。今の世相は、産みの苦しみの時期かもしれませんね。TVでそんな内容が放送されるということは、今の世の中に何か歪を感じ、その原因に気付いている人が増えてきている!未来を良くするポイントは、人の心の余裕と思いやり、って気がします。
2007年06月24日
コメント(0)
昔、食欲旺盛でお金もなかった学生時代、しかし時間だけはありました。そんな暇を持て余して、腹を減らした友達同士で、安くて量が多くて・・・、そんな飲食店良く行きました。その関係者の皆様、その節はお世話になりました。人数が多くなれば、大抵、割り勘。割り勘なら、より多く食べないと損、なんていうのが一つの基準としてありました。確かに、見ていて気持ちのいい食べっぷりっていうのもあって、それはそれで微笑ましいわけではありますが・・・。で、私もその基準を使っていたときもありましたが、何かしっくりこないっていいますか・・・。食べ放題とか、バイキング形式とかで、日頃食べた事ないものを勢いでここぞとばかりに思いっきり食べるっていうなら、店にしても残ってしまうと勿体無いでしょうから、みんながハッピーエンドでいいのですが、身内の中でその基準でやるっていうのもどうかと・・・、そんな気がしていましたね。今にして思うと、みんなお腹が一杯なら、幸せ度は同じなわけで、誰がどれだけ食べたとか損得ではなく、勝ち負けでもなく、みんな平等にお腹が一杯になった、その幸せの対価として、同じお金を払うと考える方がしっくりきていたんだと思います。それぞれの人が、必要な分だけ、足らないわけでもなく、過ぎたるわけでもなく、みんな同じように、同じだけ幸せ。欲も過ぎると、何かが歪むのかもしれませんね。欲が進歩の原動力の一つではあるでしょうし、実際欲を少なくするっていうのも難しいのも事実で・・・。でも、見栄を張るのも結構疲れるもので・・・、自然にありのまま生きられれば、楽には生きられるわけで・・・。そんなことを考えていると、少し基準を変えて配分方法を工夫すれば、地球環境を戻しながら、みんなが幸せになる方法っていうのもあるのかもしれない・・・、なんてこと、柄にもなくふと思いました。
2007年06月20日
コメント(2)
礼儀や礼節、挨拶というと、暑苦しいと思う人もいるでしょうし、また、当たり前すぎてなかなか、「何故必要なのか」、を教えてくれる人も少ない。そこで、私なりに・・・。何か考え事をしていて、相手に気付かなかったとか、話をしている人の前を横切るのに、邪魔をしたら悪いと思って黙って通るとか、照れくさくって、挨拶しなかったとか・・・、そんなこと、ありますよね。でも、相手の立場で考えてみると、きっと、あまり気分良くはないでしょう。ある意味、「無視された」と感じているかもしれない。無視されて喜ぶ人には会ったことないですから、そんな風に感じたときの人の反応は、怒る、又は、落ち込む、と相場は決まっています。どちらにしても、嫌われる原因になりますから、やらないに越したことはないですね。胡麻をすればバカにされるかもしれないですが、礼を持って人に接すれば、大抵、好かれます。自分を重要視してくれる人には好意をいだきますからね、人間は・・・。それに、人間は感情で動きますから、この「好意」っていうのがデカイ!また、「挨拶しなさい」「しました」なんて事もよくあります。「挨拶しなさい」と言った方は聞こえなかった。「しました」と答えた方は、挨拶をしたわけで・・・。しかし、コミュニケーションとは言葉のキャッチボールですから、相手に聞こえなければ言ってないのと同じ・・・。「独り言」ではありませんからね。せっかく挨拶しても、聞こえなかったのでは、してないのと同じですから、勿体無いですね、その気持ちが・・・。しかし、幾ら気をつけていても、限界があって、ツイ、知らず知らずに忘れがちになるのが困ったもので・・・。当たり前と言われる事ほど、やって普通なわけですが、しかし、当たり前のことほどある意味難しいのも事実で・・・。そんなことで、誰しも、知らず知らずに、相手を傷つけていること、あると思います。そういうことを避けるために、礼儀・礼節や挨拶というのが大系としてあるのでしょう。そして、身に着けられたならば、無用の誤解もある程度は避けられるでしょうし、礼を持って相手に接すれば、自分が重要視されるようにもなるでしょう。相手に対する礼儀は、自分を売り、可愛がられる方法と思っています。
2007年06月06日
コメント(5)
私が思う、こんな風に生きられればいいな、っていう理想は、人に媚びず、へつらわず、怖れず、ありのままの自分で、自分らしく・・・、優しさと思いやりをもって、人を責めず否定せず、でも、親身になって・・・、他人の幸せを共に喜び・・・、または共に泣き、そして共に笑い、共に楽しむ・・・。そんな風に毎日を送れれば・・・、そんな笑顔の中で生きられれば・・・、「面白かった」って死ねる気がします。幸せの基準は人それぞれでしょうが、ありのままの自分が、こんな風っていうのが、私の理想です。しかし、このありのままの自分っていうのが、意外と難しい・・・。ありのままで何の問題も起きないなら、その方はきっと素晴らしい人格者でしょうから、そうなるのはチョット時間が掛かるかもしれない。でも、自分を殺して、言いたいことも言わず、やりたいことも遠慮して・・・、その上に成立する回りの笑顔なら、何か少し違うって気もします。誰しも、自分が主役ですからね・・・。主役が面白くなかったら、ストーリーそのものが霞んでしまう・・・、かもしれない。本音で生きたら、確かに歪も生まれるかもしれないですが、多少の歪を怖れて良い人間関係も作れないでしょうし・・・。本音と本音のぶつかり合いを経て、分かり合えるものでしょうし・・・。なにより、自分に遠慮して生きても、面白くないでしょうし・・・。そんな色んな葛藤の中、自分の幸せに対し、逃げずに真剣に向き合った方が、色んな歪を経験し磨かれ、「人格者」って言われるようになるのでしょうね。幸せっていうは、そんな意味では、勝ち取るものではなくて、それに真剣に向き合った者だけに与えられる・・・、そういうものかもしれないと思います。肩の力を抜いて、ありのままで、そんな風に生きられる自分になりたいって思います。
2007年05月31日
コメント(4)
前回に続き、「富と宇宙と心の法則」からの抜粋です。【需要と供給、ダルマ】それがどんなことであろうと、わたしたちが世の中に提供できることには、かならずその需要があります。「わたしは人のためにどのようなことができるだろう?」「どうすれば人を助けてあげられるだろう?」と自分の胸に問いかけてみましょう。その答えはあなたの心のなかにあります。その答えが見つかった瞬間、自分ができることはすべてその需要があることを知り、意識するようになるでしょう。誰もがダルマ(人生の目的)をもって生まれてきます。ダルマの状態、すなわち人生の目的を果たしている瞬間、仕事に対する喜びと愛情が湧いてきます。喜びも怒りも哀しみも楽しみも、みんな、相手があってのこと・・・。分かち合う人がいないと、何か足りない。無人島にたった一人では、きっと寂しい・・・、かもしれない。人に喜ばれた、その笑顔の数だけ心が豊かになって、心が穏やかになり、そして本当の意味で豊かになれる・・・,ということに思います。
2007年05月29日
コメント(2)
「富と宇宙と心の法則」 ディーパック・チョプラ著 サンマーク出版久しぶりに感動する本に出会いました。その中の一部の抜粋です。「進化とは、時間を経るにつれてますますよくなること」船井幸雄氏いわく、この宇宙は生成発展方向に常に進化している。要するに、右肩上がり!ということは、その中に存在し、その一部である人間もその流れに例外ではなく、基本的には誰しも、未来はどんどん良くなるってことですね。流れに身を委ね、「できることを、できるときに、できるだけやる」という生き方ができたなら、自分の運命は信用できる!ということ・・・、でしょうね。問題は、人間だけは、「その流れに逆らうこともできる」から、厄介といえば厄介・・・。でも、それが自由の素晴らしさでもあって・・・。ただ、目の前の問題から逃げてしまうと・・・、後がしんどかったりするもので・・・。逃げて済むなら、そうしたいこと、ありますよね・・・、確かに。でも、先ず間違いなく、余計にややこしくなるもので・・・。なら、さっさと終らした方が得で、結果的には楽!結局は、そんなこんなも、みんなより高い次元の幸せへの道だった・・・!みんな、苦労をするために生まれてきたのではなくて、幸せになる為に生まれてきた、というより、約束されているのですね、きっと・・・!多少の苦労も、より豊かになるための単なるプロセスで、一つの通過点!逃げたいときほど、未来を信じる・・・、これが正解、そんな風に思います。
2007年05月23日
コメント(6)
久しぶりに、遠州、静岡県ですが、の一宮参りに行ってきました。豊川IC降りてすぐ、砥鹿神社で、なんとなくおみくじをひきたくなって・・・。大国主命を御祭りする神社で、何か懐かしかったですね。で、内容は、「末吉」力みすぎる傾向があるから、ここは自ら一歩下がって、何事も慎重に処することが大切。せっかくの実力を生かす時期と方法を一考する時です。というものでした。当ってるかどうかはさておくとして、いつも不思議なんですが、一体、どなたが書いているのでしょう?そういえば、有名な話で、明智光秀公が本能寺の奇襲前に、京都の愛宕神社に参り、そこでおみくじを引いた。結果は「凶」。その後二回引くもまたまた「凶」。結局、三回とも「凶」。これは、もう偶然とは言えない!というか、何らかの明確な意思を感じます。こんな例が、適切かどうか?なんとも申し訳ないですが、しかし、奇跡的な確率であるだけは確かですね。ありえないことが起これば、それは必然でしょう。つまりは、神様からのメッセージ?!おみくじも、神の世界では、引く人が決まっていて、その人宛のメッセージなのかもしれないですね。きっと、みんな、いつも見守られて、導かれて生きてる・・・、のかもしれないって思います。
2007年05月18日
コメント(4)
「運命を良くしたければ、ついてる人と付き合え」とはよく聞きます。売れない営業マンは、売れない営業マンとつるみ、売れる営業マンは売れる営業マン同士、つるんでいる。類は友を呼ぶ、ともいいます。誰しも、同じ「考え方」どうしでいるほうが、楽で心地もいい・・・。自分の言う事に肯いてくれる人が多いコミュニティーの中にいるのが、誰しも心地がいいわけです。でも、売れない営業マンが、販売成績を上げようとすれば、そうとばかりいってられない・・・。考え方が違うわけですから、始めは多少違和感があるでしょうが、売れる営業マンのコミュニティーに入って考え方を盗むのが手っ取り早い。この世の基本は、原因があって結果があるだけですから、売れないには売れない理由があって、売れるには売れる理由がある・・・。ついてる人は、ツキを呼び込める人で、天をも味方にしてしまう人が,運の善い人というのでしょう。色んな方々とお付き合いさせてもらって思うことは、運がいい人って言うのは伊達じゃない!笑顔が良くって、度量が大きく、思いやりがあって優しくて、人間に筋が通っていて、正直で、悪口も陰口も泣き言も言わず、人を責めず、人を認め、人を許し、たまには羽目を外し、一緒にいると楽しくて、でも、ちょっと怖いところもあって・・・、こんな項目に当てはまるところが多い人が、やっぱり運がいい!そして、学ばせてもらう事が、山ほどある!自分もそんな一人になりたいものです。
2007年05月02日
コメント(4)
国の乱れは、国民の心の乱れ。平和な世の中と、人々の誇りはきっと深い関係があるのでしょうね。「国を衰退させようと思えば、その民族の誇りを奪えばいい」そうすれば、長い時間かけて、しかし確実にその国は衰退に向かう。敗戦後、マッカーサーが日本を統括したわけですが、彼は、この日本と言う国に恐れを感じていた。こんな極東のちっぽけな島国、日本が大国アメリカに喧嘩を売った。彼らの常識ではありえない!絶対勝てない喧嘩を売ってくる日本、そして、片道分の燃料で爆弾抱えて体当たりしてくるそのメンタリティが理解できなかった。人間は理解できないものに、恐怖を抱きます。そして、調べた。その強さの源を。その精神のよりどころを・・・。その結果、それが古事記にあると見抜いた。日本人の強さ、精神性の高さ、その理由は、神の末裔であるという誇りが根底にあるからだと・・・。古事記の私なりの解釈は、日本はイザナギ・イザナミの命という二柱の神から始まった。そして日本人は、その神の子孫であるということ。それと、そのストーリーの中に隠された、深い深い教え、と思っています。(古事記は、おとぎ話と思われがちですが、本当のところは、国家編纂の最古文書で、国家の公式文書です)そして、マッカーサーは教科書から古事記を削除した。数十年後、古事記は、おとぎ話となった。・・・今、日本人の祖先は猿ということになっています。(人類の進化の研究においてのミッシングリンク、人類と類人猿の間に生じるであろう、人と類人猿をつなぐ動物はいまだ見つかってはいない)皆さん、どう思われますか?ホントかと追及されると、答えに困りますが・・・、私は自分のご先祖の頂点がイザナギ・イザナミの尊といわれると、何かとっても嬉しいですね。
2007年04月29日
コメント(2)
松下幸之助さんの有名な言葉で、ダム経営の話の中で、「どうすれば、そうできるのですか?」って質問に、「それは私もわかりまへんのや。 そやけど、思わんと、出来まへんわな~」その場で、直接、聞きたかった!
2007年04月28日
コメント(2)
親の有難みっていうのを柄にもなく、ふと、しみじみ、想いました。今日は、そんな話にお付き合い下さい。子供の頃、親って大きくて立派で頼もしくって、でも少し怖くって・・・、自分とは別格で別次元に生きてる、そんな特別な存在でした。そんな自分も、一年に一つづつ歳を重ね、いつの間にかあの頃の両親の年齢になり、そして、いつしか越えてしまいました。幾つになっても親は親で、その関係は永遠に同じです。でも、昔とは一つ違うことがあります。親から受けた恩を知ることができたこと。そして、その頃の親の気持ちがわかるようになったこと・・・。偉大で頼もしくって、あったかくて、少しおっかななった親も、今の自分と何も違わない、同じように、仕事に苦悩し不安を抱えながら、それでも希望を見出し、楽しみを見つけ、そして、子育てに悩み、間違いながらも、子の笑顔に喜び、子の苦しみに悩み、子の幸せを想い・・・、そんな日常を精一杯生きていったんだってことが、判るようになりました。自分が悩んで苦しかったとき、親もまた、そんな自分の姿に、悩み苦しんでいたんだって・・・。「子を持って始めてわかる親の恩」その立場になって、初めて判る有難み・・・。頂いたご恩が大きすぎて、とても返しきれるものではないでしょうが、たまに帰って、「元気にしてるか、体の調子はどう?」、「蕎麦でも食べに行こうか」、「いい温泉みつけたから、今度一緒にいこう」そんなとき、見せてくれる親の笑顔が、温かくも有り難いって思います。この子を産んでよかったって想っていただけるような、そんな生き方ができれば、そんな風に少しでもご恩に報いることができれば、心も晴れやかに、上を向いて生きていける・・・、そんな気がします。
2007年04月26日
コメント(2)
多分、誤解で成り立っているのが、この世の中なんでしょうが、親しい人とは出来れば避けたいのも、誤解って思います。親しい人が困っていれば、助けてあげたいって思うのが人情で、しかし、良かれと思ってしたことが必ずしもいい結果になるとは限らないわけで、そんなときは悲しいかな、誤解されてしまうこともあります。自分が誤解されているって思うことがあるのなら、色んな場面で自分もまた、人のことを誤解してしまっている・・・!、なんてこと、きっと多い気がします。相手もまた、そんなつもりでやったんじゃないのに・・・って、そんな気持ちでいるのかもしれませんね。人の行為を判断するに、気持ちと行為を分けて考えると、避けられる誤解もある気がします。「結果は残念だったけど、私のことを思ってしてくれたその気持ちは嬉しい、有難う」こんな一言で、誤解にならないかもしれない。「ありがとう」って一言が、人間関係の潤滑油。そんな一言があるだけで、誤解にもならない・・・、かもしれない。日常の中でつい忘れてしまう、人の有難み。そんな見方が出来る心のゆとり、持ち続けたものです。
2007年04月24日
コメント(4)
世界遺産に登録された聖地、熊野に行ってきました。そこで縁あって、修験道の山伏で立石光正さんに会いに行って・・・、こちらの顔を見るなり、「よごれているな~、沐浴するか?!」・・・???!!!!心の垢が相当ついてたのでしょうね・・・。そんな事情で、パンツいっちょの裸になって、小川に入り、頭から水をかぶってきました。相当に冷たくて、水に打たれた瞬間は心臓にキツカッタですが、終った感想はと言うと、これが意外と気持ちよかった!沐浴というのは、軽~い滝行のようなものなんですが、体が軽くなりましたね。こんな事情でもないと一生やることはなかったでしょうが、いい経験させてもらいました。立石光正さんといえば、懐の深い楽しくも魅力的な方で、「いい護摩ネット」というサイトを運営しておられます。そのサイトに書いてあった抜粋です。「修験道」修験道は自ら修して、自らその験しを得るところに真髄があります。修するとは、役行者の教えを修するのであり、験しを得るとは、単に験力や神仏の加護を獲得することを目的とするばかりでなく、究極は自らの心の高まりを得ることに他なりません。自らの身体で体験し、その精神を高めていくというあり方は、ある種万人に向いた親切な教えであるとともに、実体感を喪失しつつある今日の社会にも大きな役割を担っているとも言えます。また、大自然を神仏のいる道場とみなし、自然を征服するのではなく歩かせていただくという精神は自然との共生を計るという、これからの時代の精神性にも共通し、時代の先取りといえましょう。ということのようです。曰く、「自然はタダ!」人間は自然界からの無限の恵みで生かされている。それをお金に変えて、私たちの生活は成り立っている。そういう受けた恩恵を人間が自然界に返すことが出来れば、この地球の循環がうまく機能する。というそんな意識の覚醒を促す道、とういうことになるのでしょうか?共生が未来の鍵になるのでしょうね。そんなわけで、面白くも楽しい体験でした。
2007年04月16日
コメント(4)
周りの人たちがニコニコしてたら、楽しくないですか?不機嫌は伝染しますが、陽の氣、陽氣も伝染します。そんな感染なら、面白そうって思います。そんなことをふと考えました。世の中を明るくしたい。住みやすい世の中にしたい。人の心を明るくしたい。多くの人に幸せになってもらいたい・・・。そう思ったとき、何かが足りない。今の世の中に何か欠けている。昔、人々はおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、お兄ちゃん、お姉ちゃん、弟、妹、ご先祖様や氏神様まで、多くの暖かい家族に囲まれてわいわいがやがや、楽しい事も苦しい事も嬉しいことも悲しいことも、み~んなで分かち合って暮らしていました。そんな中で、誉められたことや叱られる経験を通して、家族や人に対する優しさ思いやりの心が育ってきていたと思います。そんな時代は、近所のおじさんおばさんとか、まわり人がもっともっと優しかった・・・、そんな気がします。今はストレス社会、ノルマや目標達成、リストラに生活の不安・・・、不安定な未来に追い立てられて心のゆとりを持つ暇もない。周りを見れば、日常に追い立てられてゆとりを無くされている方のなんと多いことか。忙しいことで、いつの間にか、心を亡くしてしまっているのかもしれません。みんな幸せを探して生きています。みんな幸せになる為に生まれてきました。幸せになるための目標がストレスになってしまって、その途中が苦しみになってしまっているなら、どこかが違う・・・、のかもしれない。忙しい中でも、ちょっと立ち止まって、自分を眺めてみる。一人一人が今一度、自分に向き合い、本当の自分を取り戻すことに時間を使う、そんな時代である気がします。ほんの少し立ち止まってみるだけで、誰もが持つ本当の優しさや思いやりが顔を出してくる。その優しさを周りの人たちにほんの少し振りまいてみる。それだけのことで、自分の周りが笑顔で溢れるかもしれない。み~んなみんな裸で産まれて裸で死んでいく、それが唯一の真実なら、人の笑顔の中で毎日を過ごせたら・・・、そんな思い出で一杯にできたら・・・、それが本当の幸せっていえるのかもしれません。今の時代、不足しているのは心の栄養・・・、今一度自分のなかにある優しさを掘り起こしてみませんか?きっと、住み易く楽に楽しく生きられるようになると思います。
2007年03月23日
コメント(4)
今日は、本からの話題です。今読んでいる本で、「日本とユダヤ、魂の隠された絆」中丸薫+ラビ・マービィン・トケイヤー著そこに書かれていたユダヤ5000年の知恵、その中からの抜粋です。金銭に対してのタブーのないユダヤならでは・・・、「体のあらゆる部分は心に依存している。心は財布に依存している」「財産をたくさん持っていると、心配事もそれに応じて増えるが、財産がまったくないほうが、心配事は多い」こういう風にはっきり言われると、気持ちがいいと感じるのは私だけでしょうか?思わず笑ってしまいました。また、グッきた!こんなのもありました。「誰が敬虔か。日々、今日は人生最後の日と思って大切に過ごす人である」「あなたの父母を敬え。また神をたたえよ。なぜならこれら三者があなたを地上に送り出したからである」「馬鹿な人間とは誰か。しゃべりすぎる人である」などなど・・・・。国が違っても、人として大切な事は同じ・・・、そんな風に思います。人類一家、皆兄弟! 昔そんなCMありました。人種や国が違っても、人としての本質は同じ、皆同じ人間・・・。諍いは、本質ではなく枝葉に捉われてしまったときに起こるものなのかもしれませんね。インターネットのお陰で、ある意味、国境がなくなった。次は、どんな風に世界が動くのか?楽しみなことです。
2007年02月19日
コメント(0)
またまた、久しぶりの更新です。覗いてくださっている皆様、ホント、お久しぶりです。最近、感謝について良く考えます。今回はそんな話です。「感謝」・・・、簡単そうで奥が深い、難しいから値打ちがある、深い世界ですね。「感謝」イコール「有難う」な訳ですが、有難うって言えばそれが感謝なのかって言うと、そんな単純でもないようで・・・。例えば、ご先祖さんが莫大な遺産を残してくれたとします。そこで、「ご先祖さん、使い切れないほどの遺産を残してくれて、これでこの先遊んで暮らせる!有難う有難う感謝感謝。 さぁ~、何に使おうかな~!」確かに「有難う」は2回言っていますし、感謝も2回言っている。でも、これを感謝というのかっていうと、?????の気がします。自分がその先祖なら、ちょっと空しい・・・・かもしれない。これは、感謝というより、単なる「お礼」。何かもらったら、お礼を言いましょうね、っていうレベルなのでしょうね、きっと。ならば、本当の意味での感謝って?????そんなことを、考えながらご先祖のお墓に向かい合うと、気合を入れて墓石を磨いている自分がいたりします。なにをもって感謝というのか、それは何ともかんとも言えませんし、その答えは人それぞれ、無限にあるのかもしれない。あの世に居られるご先祖様に、今生きている自分が何かをさせてもらえるわけはなく、せめて「ご先祖様のあの世での幸せを祈らせていただく」・・・。そんな気持ちで向き合っていく・・・、ご先祖様に喜んでもらえるような人間になっていこう・・・、当たり前の事かもしれませんが、それが私が見つけた答えです。
2007年02月12日
コメント(4)
いつも覗いて下さっている皆様、感謝感謝です。本当に久しぶりの更新です。目に見えない世界と、目に見える世界の関係、今回はそんな内容です。眼に見えないものがあるか、無いか、その答えは人それぞれでしょうが、その選択が世相を反映している・・・、ということはいえる気がします。私が商売を始めて色んな人と関わってきて、そして思うことは、2000年前後を境に人間が変わった。20歳前後の学生をアルバイトで雇う機会が多く、その経験からいうと、1980年前後生まれの人を境にそれまでの人とは明らかに、変わった。人の気持ちを慮れない人が増えたといいますか・・・。そのときの印象としては、ファミコン世代だから、友達と外で遊ぶ経験が少なかったのか、と思っていましたが・・・。最近気付いたのですが、どうもそれだけではないようです。2007年問題も世間で話題になっていますが、定年退職される方が来年増える。ということは、その方々が生まれたとき、人口が増えたわけです。で、その方々が結婚し独立された時期から、核家族が増えました。何がいいたいかといいますと、それまで大家族の家には当たり前にあった仏壇と神棚、それらが消えた家が増えた。そのときぐらいから、眼に見えないものは存在しない、という考えが世相の一部となったようにも思います。眼に見えないものは存在しない・・・死んだらそれで終わり、自分は消えて無くなる・・・生きてるうちに楽して楽しまないと損・・・見つからなければ何をしてもOK・・・そんな世相を反映した、こういう思考の図式が見えてくるのは私だけでしょうか?おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に育った身としては、こういう思考にはなりません。なぜなら、「そんなことしたら、罰が当たるぞ!」こんな言葉が心の中に残っていましたから・・・。いつもいつも、毎日欠かさず仏壇と神棚に挨拶していた後姿を見て育った身としては、目に見えないものは存在しないなんて、思えないわけです。でも、その背中が伝えてくれた無言の教えが、己の行動を律することに繋がってきたのは、事実です。目に見えないものが、あるか、無いか・・・、その答えは私には判りませんが、その選択が人の行動に与える影響、それは大きいように思います。世の中は、「ご先祖も神仏も眼には見えないが、存在する」という選択をする人が増えれば良くなっていくのかもしれない、そんな気がします。
2006年12月11日
コメント(8)
10月25日付けの読売新聞の記事に面白い内容が書かれていました。それは、ここ数年若い女性の間で、座禅や写経などを体験する「プチ修行」が静かなブームを呼んでいるそうな。育児や仕事に追われる日々・・・、自分の内面と向き合う時間と空間が欲しかった、とかいう理由が多いそうです。確かに、日々の日常、それ自体立派な修行?でしょうから、そんな中で自分と向き合うのはとっても難しいことでしょう。たとえ忙しくても、心を亡くしてしまったのでは、自分を静かに見つめ直したいと思うのも当然の反応・・・、かもしれません。必死で頑張って努力するのもいいですが、それでいいのか?というのもまた事実ですね。何の為に生きているのか・・・、その答えは人それぞれでしょうが、「幸せ」というのがキーワードになるとは思います。ここからは私の独断と偏見の世界です。私が思う「幸せの定義」充実感・・・生きがい、やりがい、使命、天命、と色々ありますが、人生に意味を見出そうとするなら、こういうことに行き着くように思います。経済的な豊かさ・・・大金持ちになるかどうかはさておいて、でも、生きていくにはお金は必要不可欠。健康・・・体が痛くもなく、きちんと動くこと。環境・・・いつもニコニコしていられるような自分を取り巻く現実、重要です。これらの全てが揃えば、幸せといえるような気がします。今本屋に行けば並んでいる「鏡の法則」自分の周りの現実は、自分の心を映し出した鏡・・・、というあれです。「人の振り見て我が振り直せ」ではないですが、自分の心を映し出したものが周りの現実ならば、鏡を幾ら修正しようとしても、問題が違うことになります。問題の本質が自分の心にあるのなら、自分が変われば全てが変わる。もっといえば、自分の未来も幾らでも好きなように創造することが出来る。自分で自分の心を見るのは、仏教用語で「止観」というみたいですが、これはとても難しいことでもあるようです。でも、人のことはよく見える・・・。人間関係によっておきる悩みや苦しみ、その問題の本質は、「自分の心の歪」。そうであるなら悩み苦しみは、自分の心を修正し、自分の周りの現実を整える大きなチャンスともいえます。周りの現実が整えば、心穏やかに日々を過ごすことが出来るようにもなる。幸せを創っていけるかどうか、それは、自分の心に向き合えるかどうかで決まっていく・・・、そんな気がします。
2006年10月25日
コメント(2)
久しぶりの更新です。いつも覗いて下さっている皆様、感謝です。船井幸雄氏の本で、「波動の法則」、これが私自身の運命を変える大きなきっかけとなりました。その内容を実践し理解した事を私なりにまとめて見ました。参考程度に読んでもらえると、有難いです。全ての現実は一つの結果です。結果には必ず、原因があり、その原因の本質は、心に行き着きます。そして、その心のあり方で自分の周りで起きる現実も決まっていく。「波動の法則」 (船井幸雄氏の波動の法則より)1、 同種の波動は引き合い、異種の波動は反発しあう。2、 劣位の波動は、優位の波動に従う。3、 波動はそれを創造し発したものに返る。この法則を熟知することで、自分の周りの現実に始まり、運命に至るまで、いかようにも創っていくことができます。いつどういう形で起こるかわからない現実を、起こらないようにする力は人間にはありませんが、悲劇、トラブル、事故などの無い世界に、住む場所そのものを変えてしまうことは可能です。この宇宙は、無限のマイナスから無限のプラスを内在する無限の空間です。早い話が、何でもあり・・・。何でもありが宇宙ですから、事件や事故、トラブル、悲劇がこの宇宙からなくなることはない。人間で言えば、極悪人から聖人まで存在するのが宇宙です。そして、その宇宙は波動によって住む世界が分かれている。問題は自分がどの波動の住人であるか・・・、それがポイントです。量子力学の世界においても、この三次元の本質は波動しかない、ということになって、この世のありとあらゆるものは波動で説明できます。人間の思いも想念であって波動であり、恨み辛み、怒り、悲しみ、不平不満、愚痴、悪口、泣き言、文句などは、低い波動。喜び、楽しみ、感謝などは、高い波動となります。トラブルや悲劇、事件事故は低い波動、笑顔や平和などは高い波動となります。自分の発する波動によって、引き寄せる現実も決まってくる。同種のものは引き合い、異種のものは反発しあう。仏教用語でいえば、修羅、阿羅漢、菩薩、如来の境地と言うところまでありますが、事件事故、トラブル、悲劇というのが自分の周りの現実であるなら、それは他の誰に問題があるわけでなく、自分が修羅道の住人である事が問題の本質です。自分の住む世界は、自分の心のあり方、つまりは波動で決まっていく・・・。そういうごたごたがいやで、そんな現実を変えたいと思うなら、自分の波動を上げてその場所を卒業してしまうことが、最良の方法です。悪因悪果、善因善果。争うのではなく、相手を認める。疑うことより、信用してみる。怒るのを止めて、誉めてみる。困ったではなく、なんとかなる。眉間に皺を寄せるのをやめて、引きつっていてもいいから笑顔。してやったではなく、させて頂く。当たり前ではなく、感謝。そんなこんなの、自分に出来ることから実践してみると、自分の周りで起こる現象そのものが変わっていく。自分の発する波動によって、付き合う人、起こる現象、果ては運命まで決まっていく・・・。大まかには、こんな感じです。続きはまた機会があれば、
2006年10月15日
コメント(2)
生きていれば、色々あって、色んなことが起きるわけですが、そんなあれやこれも実は原因があって、それは、自分の心の中に原因がある・・・。そんな内容を心理学的に、かつ、感動的な実話で書いてある本を見つけました。実際に、セミナーでこの話を使い、感想を聞いたところ、殆どの人が「感動した」「泣けてきた」と答えたそうです。「鏡の法則」野口嘉則著現実に起きる出来事は、一つの結果である。 結果には必ず原因があり、その原因はあなたの心の中にある。つまり、あなたの人生は、あなたの心を映し出した鏡。「私たちの現実は、私たちの心を映し出す鏡」・・・・。子供が心を開いてくれない・・・、と辛い思いをされていた母親が、実は自分も父親に対して、心を閉ざしていたという事実に気付いた。その気づきで、父の辛さ、苦しさを知ることになり、心を開くことで、自分の子供との問題そのものが自然と解決してしまった・・・、という話です。私自身も、以前は相手を変えることで、問題を解決しようとしていましたが、それでは何も変わらなくてストレスがたまるばかり・・・。そんな時、この法則に行き着きました。自分の心が変われば、現実が変わる。自分に起きる現実は、実は自分の心が創っている。答えは、自分の中にある・・・、ですね。ここまでのお付き合い、感謝感激です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年09月25日
コメント(6)
何気ない会話のなかの言葉で、ハッとすること、ありますね。そんな感じで、荻原浩さんの小説に、印象深い言葉を見つけました。「幸せは比べる物じゃない」「不幸は、比べる事から始まる」幸せや不幸は、状況環境で決まるというのが、一般的な解釈かもしれないですが、自分の心で決めるもの・・・、かもしれませんね。
2006年08月26日
コメント(2)
いつも覗いてくださっている方、有難う御座います。久しぶりの更新です。予定が決まっているところに、後から魅力的なことが重なって、迷っています。こんなときはどうすればいいでしょうか?という相談を受けました。確かにそういうこと、ありますね。私なら、先に決めている方をやります、と答えさせてもらいました。経験上、これは、「迷うから迷う」・・・ということのようです。禅問答のようで申し訳ないのですが・・・。迷うような現実があるから迷う、というのが一般的な解釈と思いますが、本当のところは、心に迷いがあるから、迷うような現実となって現れる・・・、という事に思います。先に決めた方をやる。自分は迷わない・・・、と決めてしまえば、それでOK。シンプルに、楽に、簡単に考えれば、それが結果的に一番いいみたいです。ここまでのお付き合い、感謝感激です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年08月23日
コメント(2)
半年振りぐらいで、友人は訪ねてきてくれまして、久しぶりに居酒屋で一杯という運びに・・・。聞いて欲しいことがあったようで、料理が並ぶのを待ちかねたように、一気にしゃべり始めました。それも、唾をとばしながら!前にいる私としては、話を聞くどころではなくて、唾の行方を追いかけるのに必死でしたね。そんなに頑張ってもらわなくても、十分聞こえてはいましたが、「ちょっと落ち着け」ともいやならず・・・、仕方がないので、相手が疲れるのを、唾の掛かっていない料理を選り分け食べながら、待ってましたね。回りが見えてないときって、私もそんなものなんでしょうね。コミュニケーションは聴くことが基本ですが、この「聴く」という字には、「十四の心で聞く」という意味があって、そのぐらいの気持ちで聴いて初めて、本当の意味でのコミュニケーションが出来るのでしょうね。つい、相手の話の中で、自分も話したいようなキーワードを拾えば、その瞬間から、自分の世界に浸ってしまって、その先の相手の話は全然聴いていない・・・、なんてこと良くありますね。カーネギーの言葉に、「人を見抜く眼に優れた、どんな百戦錬磨のつわものでも、自分の話を真剣に聞いてくれる人には好意を持つ」というのがありますが、良くわかる気がします。「聴く」なんて当たり前に出来ていると思い勝ちですが、実は意外と難しいこと・・・、かもしれませんね。ここまでのお付き合い、感謝感激です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年08月07日
コメント(2)
山の頂上からの絶景、そんな写真を見れば山に登る素晴らしさを思うものです。でも実際に登って景色を見ようとすれば、当たり前のことですが、何時間も汗を流して自分の足で登る必要があるわけで、また色んな害虫もいるわけで、また自分の足で降りなければいけないわけで、山によっては怪我=死となる場合もあります。何が言いたいのかといいますと、私たちがお金持ちの生活に抱いている想像というのは、多分に誤解があるのかもしれない、ってふと思いました。山の頂上からの絶景といっても、いつも晴れてるはずないですから、写真で私たちが見ているのは、その一番美しい瞬間だけなのかもしれない。その写真だけ見て、山の頂上での現実とは掛け離れた想像をしてしまっている、のかもしれないですね。相手は自然ですから、暑かったり寒かったり・・・。また登ってくる途中で転んで怪我でもしていて、痛い足を抱えて撮った写真かもしれない・・・。山に登ってその頂上を目指すのも、体力も気力もあって、その現実をよしとできる人にとっては、素晴らしく何物にも変えがたい体験となるでしょう。でも、それだけが醍醐味ではなくて、普通の生活の中にも、気づいていないだけで、味わい深い体験で溢れているものかもしれない。映画「三丁目の夕日」を見終わって、ほのぼのとそんなことを思いました。全ては、「今の自分に丁度いい」・・・、そんな気がします。ここまでのお付き合い、感謝感激です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年07月19日
コメント(4)
人の目って気になるものですね。こんな不景気な世の中で、こんな車を買えば周りの人達から反感を買ってしまうかな~、とか、従業員の手前があるから、日本車のワゴンにしておこう、とか・・・。反感を買っていいこと無いですから、その気持ちは良くわかりますが、問題の本質は違うところにある・・・、のかもしれないと思います。ちょっと話は違いますが、「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」なんてことわざありますね。これは、袈裟が憎いのではなく、その袈裟を着ている坊主が憎いから、袈裟にまでそういう感情が入ってしまう、ということでしょう。ならば、袈裟を着るのを止めて、洋服にしたところで、何も問題は変わらないということになります。そのお坊様の人に対する接し方に原因があるというのが問題の本質のような気がします。反感を買う人は、何をやっても反感を買うかもしれないですし、同じことをやっていても人から憧れる対象になる人もいます。その違いは、「どんな気持ちで人と接しているか」がポイントなのかもしれない、と思います。ある知り合いの社長が他界されて、そのお葬式での話です。その会社自体は小さなもので従業員数も10人程度ではありましたが、印象深かったのは、従業員皆が涙を流して見送られていたことでした。その中でも、溢れる涙を止めようともせず、狼泣きしていた方も居られて、大の大人をここまで人前で泣かせるその社長の徳に、深い感動を覚えたものでした。社長には御世話になった・・・、とか、社長に出会っていなければ、今の自分は無かった・・・、とか、行き場の無い自分を何も言わずに信じて助けてくれた大恩人です・・・、とか。そんな話を多く聞きましたね。晩年には、従業員から見れば遊びと映るであろう付き合いゴルフに、皆が仕事している中、週の半分ほど出かけ、自分のやりたいように、好きなように生きておられましたが、誰一人、それに文句を言う人は、私の知る限りいなかったですね。その社長は、人に対して、思いやりや感謝、愛の心で接しておられたのでしょう。そして、その気持ちが人の心を震わせていた・・・、のかもしれない。派手な車を買うとか、ゴルフに行くとか、その他何かをやって、もしそれが人の反感を買ってしまうようなら、それは、その行為自体に問題があるのではなく、自分の人との接し方を見直す時期にきているということ・・・、かもしれない。そのお葬式に立ち会う事で、自分の生き方をそんな風に見直す機会が増えました。死して直、私にとっては大恩人です。ここまでのお付き合い、感謝感激です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年07月11日
コメント(5)
精神世界を学んだ人の間で言われることに、「委ねることで運命が開けていく」ということがありますが、この「委ねる」とは「匙を投げる」ことではないでしょうから、言うのは簡単ですが、実際やるとなると、相当難しいでしょうね。武道でも無我の境地というのがありますが、こういうことかもしれない・・・、とも思います。「無我」の解釈ですが、「我が無い」ということで、「私が無い」境地とは書かれていませんから、私という存在が消えて無くなるのではなく、私は私のまま相変わらずそのまま存在していて、「我」・・・、つまりは、生活のこと、お金のこと、健康のこと、人間関係のことなどなどの自分に関わる心配事の一切合財、これが無くなった状態が、無我の境地ではないか、って思います。とはいえ、生活にはお金が必要で、食べないと生きていけないわけで・・・。だから生きる事には、学びが詰まっているのでしょうね。もっとお金が欲しいとか、いい暮らしがしたいとか、長生きしたいとか、人を自分の思うように動かしたいとか・・・、目の前の現実を受け入れるのではなく、変えようとしている自分の思い・・・、これが「我」ではないかと思います。現実を受け入れるのではなく、自分を取り巻く環境を変えようと、私を含む多くの人が、日々生きているように思いますが、これが、結局のところ、人生という流れに逆らって足掻いている状態を作ってしまっている・・・、のかもしれないという気もします。人生は偶然の産物ではなく、一瞬一瞬の全てが必然、と経験的に思えます。人生には確かに流れがあるとも思います。常に流れは最良に向かっているのに、その事実を知らないが為に、いつもその流れに逆らってしまっている・・・、のかもしれないですね。「エゴ」や「我」がその原因、なのでしょうね。「あるがままを受け入れ、自分の出来る精一杯で取り組む」ことが、「委ねる」ということで、自分の未来の全てを天に委ねるための修行の場、それが「生きる」ということ・・・、かもしれないなんて思います。無我の境地に至った人間は無敵なんていいますから、委ねきれると、楽に生きられるのでしょうね。一瞬でもいいから、そんな境地を垣間見てみたい、って思います。ここまでのお付き合い、感謝感激です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年07月10日
コメント(4)
人から可愛がられるには、憎めない存在になるのがいいと思うのですが、それは、上手い叱られ方を覚えるのが近道ではないか、って気がします。叱られることは、できたら避けたいものです。でも、やってみなければわからないもので、何かをやるなら失敗はつきもので、そう思うと、自分が成長する為には失敗が必要不可欠です。ここで問題は、自分の経験だけで、その失敗を完全に消化するという難しさでしょう。そんなときに頼りになるのが、叱ってくださる方ですね。叱ってくださる方がいてくださるって、有難いですね。なら、この際、叱ってもらえることを当てにして、とにかくやりたいと思うことを、思い切ってやってみるのも、叱られる事を怖がって何もしないよりは、いいかもしれないとも思います。誰にでも、そんな方が必ず回りにいてくださると思うのですが、叱られたときの自分の対応で、可愛がられるか、見捨てられるかが、決まっていっているのかもしれないですね。私の友人が、叱られたときに言っていた言葉です。「言われなければ判らないですし、そこを指摘してくれる人ってそういないですから、そうやって叱ってもらえる事って、ホント有難いです」そんな風に、素直に受け止められることが、凄い!、って思いましたね。叱られたときに、感謝し心からお礼を言う事ができれば、可愛がられ、可能性がどんどん広がって行く・・・、そんな気がします。ここまでのお付き合い、感謝感激です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年07月04日
コメント(2)
病は気からといいますが、そのことが証明される時代になったのですね。筑波大学名誉教授 村上和雄氏、この方は遺伝子工学の分野で多大な功績を残された方ですが、その方が、吉本興業と組んで興味深い実験をされました。まず、病とストレスには大きな因果関係があるという仮定で・・・。ストレスといえば、悪いものと考えられていますが、悪いストレスがあれば、いいストレスもあるであろうと・・・。体に悪影響を及ぼすストレスは、不安、心配、恐怖、怒りなどなど。ではいいストレスは、感動であり、喜び、笑いなどであろう。それぞれの状況を設定し、患者の血糖値の変化を見ることで、因果関係を突き止める目的で、実験を行った。その内容は、糖尿病患者を集めて、糖尿病に関する大学教授の講義を聞いてもらう。次に、今度は吉本興業の漫才師B&Bの漫才を聞いてもらう。そのそれぞれに、その前後で血糖値をはかり、その変化を計測する、というものでした。結果は、講義の後は、血糖値が大きく上がり、漫才の後では、大きく下がる、というものでした。その実験の論文を世界の糖尿病の学会で発表、それが話題となって、ロイター通信でも取り上げられたとか・・・。一方は、より病気の不安を増長する方向で、もう一方は、病気のことなんて忘れて、腹の底から笑う、という方向で・・・。結果は、心と病は密接に関係しているのではないか・・・、というものだったそうな。世界が注目していますから、今後ますます、因果関係の究明が進むことでしょう。面白い時代になってきたと思います。ここまでのお付き合い、感謝感激です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年06月27日
コメント(4)
誰の世話にもなっていない・・・、と思っていても、「今生きていられる」ということは、実際は色んな犠牲の上に「生かされている」というのがホント、のように思います。「食べる」ということは、他の命の犠牲の上に、自分の命があるということでもあります。「命がある」ということは、ご先祖が命を自分まで繋いでくれたから・・・。天変地異など、いつ何が起こるかわからない世の中で、常に最低限の生活が保証されているのは、国が確立されて、またその国を安定させるために働いてくださった方々がいたから・・・。道を踏み外すことなく生活できるのは、親の教育があったから・・・。・ ・・、と簡単に、思いつくまま書いただけでも、ありとあらゆるところで、御世話になってるものですね。他の命を頂く(食べる)こと一つとっても、自分にそんな値打ちがあるものか・・・、なんて思うと、怖くなったこと、あります。よく映画なんかで、誰かを生かすために、他の誰かが犠牲になって・・・、というシーンありますが、これを実際経験したら、いい加減な生き方、できなくなるでしょうね・・・、多分。残った者の気持ちとしては、自分を生かさんがための犠牲を、ムダにはできないでしょうしね・・・。本当の意味で、人としての成長とは、何もお金儲けが上手くなる、ということではなくて、こういうことまで意識を拡大できるように気付きを重ねていくこと・・・、って気がします。昨今のニュースをみて、その根本原因は、そんなところにある・・・、のかもしれないって思います。ここまでのお付き合い、感謝感激です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年06月26日
コメント(0)
仕事で正当な評価が得られないようなときは、腐りたくもなるものですが、そんな場合の面白い考え方が、ある本に書いてありました。「運命の法則」 天外伺朗著その中の抜粋です。「そもそも、客観的で公正な評価などは、この世に存在しない。 だけどもし、自分が不当に低い評価を受けたと思ったら、がっかりしたり、怒ったりしないで、本当は喜んでいいのかもしれないよ。 なぜならあなたは、そこで運命に“貸し”を作ったことになるからね。 それに見合った幸運がそのうち絶対やってくるはずだよ」 まことに怪しげな話だ。 一流企業の、博士号を持った重役の話しとは到底思えない。 まるで新興宗教か、場末の占い師だ。 おまけに聞いている方は、世界的にトップクラスの高学歴のエンジニアたちなのだ。 反発があって当然なのだが、皆は妙に納得してしまう。 人間は老若男女、学歴の有無、地位の上下、洋の東西を問わず、「運命の神秘」に対するほのかな憧憬を必ず抱いているものだ。 運が悪かったときに、泣き叫んだり、ジタバタしたりしないで、それを淡々と受け入れると、いつかは幸運が訪れる。・・・・この世の本質は、「ゼロ」で、マイナスがあるから、プラスがある。マイナスの分だけ、プラスがある、ということのようです。悪い事があれば、その分だけ良いことがあるとするなら、その悪いことの方が、一時的な不当な評価で、その後で、その分が幸運となって返るのなら、考えようによっては、そんな評価をしてくれた方に、感謝したいぐらいって言うのが、ホントかもしれないですね。ここまでのお付き合い、感謝感激です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年06月22日
コメント(2)
私の世話になった叔父さんが言っておられた話です。口数少なく、厳しい人でしたが、心はとっても優しい人で、そんな方だから人から頼られ、人が本当に困っていれば、見てみぬ振りができない、そんな人でした。そんな人ですから、自分が貧乏くじを引く事もよくあったようです。俗に言う「人が良いタイプ」ですから、経営している会社も危ないときもあったようです。でも、不思議となんとかなってきた。ある占い師曰く、「この人は、良いことも相当されてこられたから、それで助かっていますね」・・・。人から受けた数々の相談、そんな経験からこんなことを言われていました。「どうしても幾らかのお金が必要で、必死で工面しようとすれば、その必要金額の95%ぐらいまでは不思議と集まるが、あと少しがどうにもならないもので、実際のところ倒産といっても、その“あとたったの数十万”が何ともならずに・・・、と言う場合が殆どである」と。だから、「日常生活でも、無駄遣いを控えめにして、一万二万という金額ほど大切に・・・」、というようなこと、よくいっておられましたね。何故そうなのかは判りませんが、「そういうものか」っていう何か不思議な説得力といいますか、納得できる気もします。「一円を粗末にする者は、一円に泣く」という事なんでしょうかね。あと5%・・・、もう少し・・・、あとホンの少し・・・、のことであっても、109円では、自販機で缶コーヒーは買えない、そんな感じですかね。実のところ、あとホンの少し・・・、を運というようにも思います。「常日頃の行い」が人生を決めていく、今思えば、そんな事を教えてもらった気がします。ここまでのお付き合い、感謝感激です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年06月21日
コメント(4)
強いものが勝つのか、勝ったものが強いのか・・・、と言う話はありますが、負けを最小限に抑える人が結局一番強い、というのかもしれないですね。調子の波は誰にでもあって、と言うことは、良い時期と、良くない時期は交互。例えば、調子の良いときは大きく稼いで、悪いときには大きく損をする・・・、ということならその人の実力は、・・・「?」自分の調子そのまんまの反応をしている・・・、ともいえますから、極論すれば、誰がやっても一緒・・・、ということになってしまうかも、ですね。商売でも、儲かるときは誰がやっても儲かる、とはこの世界では良く聞く内容です。問題は、守るべきときにきっちり凌ぎ切れるか、つまりは、ダメなときに損をできるだけ少なくできるか・・・、ということになるようです。ダメなときに採算分岐点で踏みとどまる事ができるかどうか、を実力というのかもしれない。「細く長く」と言えば一見地味ですが、総合的に見れば、それが結局、値打ちがある、そんな気がします。ここまでのお付き合い、感謝感激です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年06月20日
コメント(2)
「自分を愛する」・・・、昔は何かナルシストのようで、違和感があったのですが、考えてみれば、当たり前で、最も大切なこと・・・、かもしれません。例えば何かの事故で、自分の腕を切り落とした。もう腕がないのに、そのない腕を痛がる、とか言う話をラジオで聞いた事があります。それは、脳の中の腕に相当する部分が何らかの反応をしていることで起こる、と言う内容でした。痛みを感じるといっても、全ては脳の中でのこと・・・。人間は、脳の中のことしか知らなくて、脳の中での出来事が全てである・・・、のかもしれないという内容だったと思います。人を理解するといっても、自分の頭で理解できる以上の事はわからないし、判りようがない・・・。この宇宙に存在する全ては、「自分というフィルター」を通してしか判らない・・・ということでしょう。もっといえば、「この世には、自分しか存在しない」、ということになるでしょうか?自分しかいないなら、自分を愛せないと何も始まらない・・・。自分を認め、受け入れ、自分に感謝し、自分を愛する・・・。これが、基本であって、最も大切なこと・・・、かもしれません。「与える者が与えられ、愛する者が愛される」この世の基本は、投げかけた物が帰ってくるだけ、ということのようですから、自分を愛することで、人を愛せるようになって、その結果が、人から愛されるようになる・・・、そんな気がします。自分を愛することで、素晴らしい未来が始まっていく、のかもしれませんね。ここまでのお付き合い、感謝感激です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年06月19日
コメント(2)
以前にも書いた事がありますが、忙しいとは、「心を亡くす」が本来の意味のようで、この状態になると、ますます思惑からずれていく・・・、みたいです。例えば自動車保険・・・、使わなければ掛け捨てですから、勿体無い・・・という価値観もありますが、でも、使わずに済めば、こんな有難いこともないですね。保険を掛けている、と言う心の余裕が事故を避けることになってるのでしょうね。当たり前のことで恐縮ですが、保険の意味は、「心のゆとり」と思うんです。時間に遅れそうなとき、やらないといけないことが、山積みになってるとき、腹を立てているときなんかも、心を亡くしていますね。心を亡くすことは、ある意味、実に簡単!そんな状態のときって、大抵ますますややこしくなりますね。心にゆとりを造ろうとすれば、「心配しないでいい」状態に自分を置くか、はたまた悟るか?・・・、かも知れないですね。また、心配もしだすと、キリが無い・・・。心を亡くしている状態というのは、不安や心配や恐怖に支配されている状態をいう・・・、のかもしれない。解決にも何もならないかもしれないですが・・・、「まだ来てもいない未来の心配するのは、止めませんか?」以前、そんな状態の方に言ったこの言葉で、笑いをとることがでたのを思い出しました。忙しいときほど、強制的にでも、笑顔を作ってしまえば、力が抜けて、状況が好転していく・・・、そんな気がします。ここまでのお付き合い、感謝感激です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年06月16日
コメント(4)
漫画ワンピースの十六巻「受け継がれる意志」感動しましたね・・・。作者、尾田栄一郎さん、だだモンじゃないです・・・。指名手配のドクター、彼を捕まえ死刑にする為に城で大量の病人が出たという偽の噂を流した。「ワシが治してやるから、もうちょっとの辛抱だ。 皆待ってろよ!」断崖絶壁をよじ登り、命がけでたどり着いたドクターを待っていたのは、大勢の憲兵であった。後は崖、前は憲兵が構える銃口。そんな状況で、彼が呟いた言葉、それは・・・、「よかった・・・病人は いねェのか・・・おれァ てきっり・・・・・国の一大事かと・・・何だァ・・・おれが だまされただけか・・・」「やめておけお前らにゃあ おれは 殺せねェよ」「人は いつ 死ぬと思う・・・?心臓を銃で 撃ち抜かれた時・・・・・・違う不治の病に犯された時・・・・・・違う猛毒キノコのスープを飲んだ時・・・・・・違う!!!」「人に 忘れられた時さ・・・・!!!」そして、自ら死を選ぶわけです。カッコ、良過ぎませんか?不覚ながら、ジ~~ン・・・ときましたね。ここまでのお付き合い、感謝感激です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年06月15日
コメント(2)
若年者の就職支援での話です。新卒者で、結婚式のウエディングプランナーをやってみたい、と自分のやりたいことははっきりしている・・・、でも、日曜日は休みたい・・・、からその道に進むかどうか迷っている、そんな内容でした。勿体無い、気がしますね。「自分のやりたいことを見つける」・・・、簡単なようで、意外と難しかったりします。「皆が休んでいる日曜日に、自分も休みたい」・・・、友達が多ければ、その気持ちも判ります。でもね・・・、その仕事をやってみたい、というからには、結婚される方の記念日が素晴らしい思い出となるような、色んなアイデアをお持ちなんでしょう。そのカップルにとって掛け替えの無い思い出の1ページとなるような結婚式。その結婚式の思い出が、一度や二度はあるであろう夫婦の危機を一緒に乗り越えるエネルギーとなる・・・、かもしれない。そんな素晴らしい結婚式をプランニングしたのが、あなたであったなら、それこそ、仕事の醍醐味であり、また、深い生きがいを味わうことにもなる・・・、かもしれない。そんな可能性を思うと、休日が何曜日であろうと、そんなことは些細な事、って思えるような仕事をして自分を輝かせていけばどうですか?というようなことを、話をさせてもらったのですが・・・、「また報告に来ます。 有難う御座いました」と笑顔を見せてくれました。もし、次に会う機会があったとしたら、「休みは何曜日でもいいんです。 この仕事をしているときが、私にとって一番充実した時間なんです」そんなことを生き生きと話してくれる・・・、そんな彼女に会えれば・・・、と思います。ここまでのお付き合い、感謝感激です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年06月14日
コメント(4)
写真の腕の問題はありますが・・・、何故かホッとした、夜明けの雲です。ここまでのお付き合い、感謝感激です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年06月13日
コメント(2)
先日買った11年前のポルシェを整備に出していたのですが、仕上がりを待った甲斐がありました。10年一昔と言いますから、一昔前の機械なのですが、さすがに、この時代は真面目に作っていますね。今が不真面目と言うわけではないですが、この時代のものは、ある意味バカ正直というか、何と言うか・・・、そこがまた魅力でして・・・、人から見れば私もバカの一人でしょうね。いつも、中古で車を買えば、本来の調子が出るように整備するのですが、これで必ず、静かになります。エンジンも、より完全燃焼に近づけることで、雑音が減って、湿っぽい音から乾いた音に変わっていきます。エンジン内部では、より大きな爆発が起きているわけで、考えれば、音も大きくなるように思うのですが、実際は逆のようで、心地のいい音になっていきます。不完全燃焼の場合に、ノイズ(雑音)が出るみたいです。そんなところは、人と似てますね。完全燃焼ではないですが、やることをやれば、結果がどうであれ、後悔も文句も意外と湧き上がってこない・・・。車のそんなところに魅力を感じて、なかなか止められないんです・・・、これが。ここまでのお付き合い、感謝感激です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年06月12日
コメント(2)
検疫探知犬の訓練の様子が、TVで放送されてました。その犬の訓練のコツは・・・、根気良く、決して怒らないこと、そして、犬のやる気を引き出すように、・ ・・だそうです。人であろうと、犬であろうと、教える秘訣は同じ・・・なんですね。ここまでのお付き合い、感謝感激です。人気blogランキングへ応援、有難う御座いました。
2006年06月11日
コメント(4)
全249件 (249件中 1-50件目)