映画

観てきました!
私が観た映画を、アットランダムにご紹介!






標的の村



標的の村 を観てきました。

〜スクリーンに叩きつける、伝えきれない沖縄〜
2012年9月29日。
アメリカ軍・普天間基地は完全に封鎖された。 この前代未聞の出来事を「日本人」は知らない。

とチラシに書いてあります。

68年に渡って沖縄は沖縄の人同士で闘わされてきたんだね。
何度も何度も日本政府を信じて騙されて、沖縄の人同士が切り裂かれてきたんだ。
座り込みを取り締まるおまわりさんも、工事を請け負った業者の人も、
基地のおかけで仕事を得て暮らしている人も、みんな沖縄の人。
私にはそれがつらかった。

1963頃、ベトナム戦争のために、米軍は沖縄高江の村人をベトナム人に見たてて、
ベトナムの帽子と衣服を着せてベトナムの家屋を建てて、
ヘリを飛ばし軍人を降ろし、村人をあぶり出し征圧するための訓練をした。
そこには幼児も「徴用」されていた。
高江が孤立した村落なので知られる事が少なかった。

ベトナム村で訓練に参加した米兵の証言
「自分はベトナム戦争には出征していないのに、枯葉剤の後遺症があり
手術をしたりして大変苦労した。それは沖縄の訓練地に枯葉剤を使って草を枯らしたから。
枯れた草を始末したのは沖縄の住民。自分よりもっと後遺症が出たのではないか。」

オスプレイの沖縄配備が1992年から計画されていたということがわかる文書の存在にも驚いた。
また、辺野古の基地が住民の反対と折り合いながら計画を変更してきたかのように思っていたが、
実は折り合いの案は当初の案と酷似していたという。
この辺の史実や情報は、映画の中では、流れが早すぎて理解しきれなかった。

沖縄中の人々がオスプレイ配備に怒り、普天間基地を封鎖する。
しかし、実力行使で開場させられ、予定通りオスプレイは普天間に降り立つ。

簡単なもんだね。どんなに反対していても簡単に飛んできちゃった。
と絶望する人々。

人にはいろんな形の絶望があるんだね。
絶望過ぎて笑いが出ちゃうような絶望があるんだな。
そして、絶望しても、また寝て起きてご飯を食べて働いて怒って笑って生きて行くんだな。
それでいいんだな。って思った。
そして諦めないでまた明日を迎えるんだな。
と、そんなことも感じた。

私が中学生の5月15日に沖縄の返還が実現し、その日の気持ちは今も鮮明に覚えている。
沖縄を返せ!という歌を歌いデモもみていたから、本当に歴史が変わるとまで思った。
しかしベトナム戦争と日本米軍基地の関わり、その後の基地を巡る事件や事故が私に疑問を突きつけた。

日本の中にあって、日本の言葉を使い、日本の政治の元におかれ、日本の法律を遵守する沖縄。
レジャーで行く時には関心を持つが、私たち東京(本土というのかな)の人間は
いったいどれほど沖縄に関心をもち、その歴史を知っているのだろうと、しみじみ思う。

この先も、ずぅーっと、海月ちゃんがつぶやいた通り、
闘いを子供たちがひきついでいく。
終わらない映画です。





TVドキュメンタリー「僕たち女の子」




僕たち女の子  ~女装に恋してる~

女装が趣味の人たちを取材したドキュメントTV。

いろんなタイプの女装さんがいる。
人付き合いが苦手、女装してる自分が好き、
女装してる時が自由で明るい自分でいられるという人。

努力するだけ綺麗になれて認めてもらえる。
こっちの人生の方が好き。
存在する価値がある時間という人。

自分を守ってくれたカッコいいお父さんに
もっと愛されたかったのが女装のきっかけという
魅夜さんが私はとても好きだった。
顔も好きだし、
時々声も言葉も男になったり包容力を見せるのが素敵。
高校の時はとても男らしく見えたという。

魅夜さん
「綺麗になりたいの裏側は自分は醜いものという自己認識。
化粧をすると出会える違う自分がいつも見守っていてくれる」

魅夜さんのバーの従業員は全員、性同一性障害。
自分は男としても女としても認めてもらえない。
自分の男の体が気持ち悪い。
自分の全部が嫌い。
と口々に言う。

すっごい綺麗なみひろさん。
昔、結婚していて、元妻も一緒にインタビュー。
その中で元妻が、
「女になりたいんか、そーじゃないのか」と問う。
「女装をしていても男なら良かった。
心に女を持っていることが受け入れられない」っていう元妻の言葉が印象的。

ナレーションの低いトーンがいいんだけど、
婆さんになりかけの私には聞き取りにくかった。涙

演出撮影の小野さやかちゃんは
あひるの子を観てから私がずっと気になってる人。
あまり光の当たらないところに耳をすましてくれる人。





僕はなぜ止められなかったのか?〜いじめ自殺・元同級生の告白


僕はなぜ止められなかったのか?〜いじめ自殺・元同級生の告白 (2013.8.29 NHKスペシャル)   を観ました。 --------------------------------------------------------------

真矢は、はじめはみんなを笑わせるヤツだった。
いじられキャラとして、むしろ人気者だった真矢。
どんな無茶振りにも嫌と言わなかったことが真矢を死に追いやったのかもしれない。

教室や廊下で真矢に繰り返し行われたいじめ。
学年が上がるにつけ、いじめを止めに入る人が減り、いじめを見ている傍観者が増える。

パンツをみんなの前で降ろされた日も真矢はいつもと同じようにしていた。
クラスの違う小島君は、その話を、人づてに笑い話として聞いた。
だから、僕も笑えばいいのかなと思っていた。

(ダメだ、このテレビは息が止まる気持ちだ。)

クラスメイトから毎日屈辱的なことをされる真矢の気持ちが、僕は全くわかっていなかった。
と、小島君。

(どうして救えなかったのだろう?想像力がなさすぎないか?)

真矢をいじめていたやつが体育祭の応援団長になった。
応援の練習が続くころ、真矢からいつもと違う調子のメールがきたが、
「気にするな」としか返さなかった。

自殺の一ケ月前の事件。
体育祭でクラスの最優秀を祝った打ち上げの夜。
真矢は最後のサインをだした。

真矢は、これまでいじめてきた応援団長の教科書を切り刻んだ。
と、小島君に打ち明けた。

だけど、気にするな、としか、言わなかった。
その辛さを受け止められなかった。

体育祭で活躍してもこれまでのことが帳消しになるわけではないと訴えたかったのだろう。

けど、僕は、嫌な思いしてる人いっぱいいるだろう。
だから、気にすんな、と言っただけだった。

真矢がやったのだろうという噂はすぐに広まった。
クラスを最優秀賞に導いた立役者にタテを突くヤツというイメージもクラスに広まった。

団長たちから真矢に報復が行われるのだと気づいたが、止められなかった。
止めれば、次は自分が標的になるから言えなかった。




最後のメールの一通目は小島君。
一緒に行くはずだったはずのカラオケにいた。
その日はケータイを家においていたので、6時間後まで気づかなかった。

真矢くんは、死ぬ前に15人の友達にメールを送っている。
一時間以上もの時間、15人の友達にメールを送っていたのに、だれも様子を見に来なかった。

「誰か一人でも駆けつけてくれなかったかな?
こんなメールもらったらくるだろ?変だと思わないのか?
と、正直、みんなを恨みました。加害者以外の人のことも。」
と、お父さん。

いじめられている辛さを、真矢君は両親には一言も漏らさず死んでいった。
なぜ気づいてやれなかったのかという問いには今も答えは出ない。




ずっとつらい。今も責める。
人前では見せないけれど、時々一人で泣いてしまうこともある。
友達が死ぬほどつらいのに、なぜ何もできなかったのか。
と、いつも自分を責める、という小島君。

(この告白した小島君は、彼の死後、どれだけ苦しんで生きてきたか。
しゃくりあげて泣いてしまう17歳の男の涙が見ていてもつらい。)

死にたい程つらかったことを誰にも言わないヤツだったから、
親にも出せない小さなサインをどうしてわかってやれなかったか。
他人のことだと思っていた自分。
俺にだけ送ってきたのかもしれないのに。




自分を責め続ける小島君は、3年間、毎月欠かさず
月命日に真矢くんの家を訪ね続ける。
友達と数人で、毎月真矢君の家に泊まり、遊ぶ。

毎月来るうちに父も母も心を開いていった。
寂しさも紛らわされた。

(本当にお友達を見ていてつらくなかったのかな?お父さんもお母さんも)

3年目の命日の前の日、お父さんは小島君に一人で泊まりに来いとメールを送る。

父:一人で来いと言われてどう思ってた?
小島:泣かせるのかなと思った。

何も言われずに死なれたのは、それはないよなと、小島君は思っている。
教科書切ったこと、事前に相談はなかったが、
事後に小島君に打ち明けたことを父母は初めて聞いた。
本当に小島君に死ぬことを何も相談していなかったのか両親は聞きたかった。
死ぬことは最後まで真矢は小島君も言わなかった。

真矢が亡くなった原因は何なのだろう?
俺なら助けに来るかと思ってメールを一番に送ったんだろうと思う、と小島君。




小島君に最後のメールをおくり、「もう恨んでないよ」なんて書いて、
逆に彼に大きなものを背負わせてしまったな、と、真矢くんのお父さん。

月命日に毎月来てくれて親は寂しさを紛らわしてもらってるけど、
お前は無理していないのか?  重いものを背負いすぎてないか?

小島君は自分を責めているだろう? 
家族なら仕方ないけどお前がそれを背負う必要はない。

友達だから忘れないだろうし、忘れないで欲しい、
けど、責任は感じないでほしい、とお父さん。

君が幸せになっていく姿を見て、
真矢のところに行った時、みんな幸せになったよと報告したいと、お母さん。

自分を責めるなとお父さんに言われたけど、それでも多分、責めてしまうのは仕方ない。
責めてしまうと思う。
だけど、お父さんにそう言われて、少し楽になったかもしれない、と小島君。




この取材を受けて、同じような立場の人に小島君が言いたいこと。

ちゃんと真っ向からそうだんにのって支えてやる。
みんなに見えないところでいいから、うけ流すんじゃなくて、ちゃんと。


なぜ取材を受ける気になったか。と小島君に問う。

いま、こういう事件が多いし、辛い思いをしている人がたくさんいるんだろうなと思う。
生徒はこういう思いをしているということを世間に知らせたかった。





うまれる


「ZERO」を観に行くつもりだったのですが、夫が観たいというので「うまれる」を観に行きました。

4組の夫婦の妊娠・出産を追うドキュメンタリー。
公募したという親子の胎内記憶を語る映像もはさまれる。

「うまれる」といっても、世の中には実にさまざまなケースがある。
でもこの点については、 半世紀も生きてくれば、実体験で胸一杯の想いをため込んでいる。

楽しそうな家だったから…とか、
ママが淋しそうだったから…とか、
子供が空からいろんな家庭を見て、
親を選んで下りてきたと語るものがあった。
子供にそう言ってもらえたら親は何でも受け入れられる、頑張れる。
私を選んできてくれた子供に感謝する。・・・と・・・。
感情としてはわかる。すごくよくわかる。

母親に虐待されて育った女性が出産するときの痛みを越えたとき、
「お母さんもこうして産んでくれたんだよ」と助産婦に言われる。

初めて子を育ててみて、
「自分も24時間つきっきりで親が育ててくれたんだな」と実感したという言葉。

   私には素直に身に染み入ってこない。

飽きる場面もなくうまくまとまった映画だったけど、
私にはあまりインパクトが無かったな。

さまざまな困難を抱える4組のカップル、特に女性の完成度が高すぎだな。
ビジュアル的にも麗しいし。
死産にせよ、障害のある子にせよ、不妊にせよ、
「かく乗り越えるべき」みたいなステレオタイプの優等生を感じてしまって、
なんか素直になれなかったな。

私がひねくれてるのかな?






キャタピラー


寺島しのぶがベルリン映画祭で銀熊賞最優秀女優受賞した作品。

寺島しのぶがほぼ表情だけの、驚嘆すべき表現力を発揮している。
す、すごい女優だ。

最後に原爆投下や東京大空襲や戦犯裁判で死んだ人の数が映し出されたが、
死ねなかった人、残された人、体を、心を壊された人など、
お互いの国の犠牲者は、数には表わせないのだと思った。

戦争の無益さがテーマなんだろう。

でも、人間の本性っていうか、
食欲、睡眠欲、性欲、みたいな、最後に残る欲ということについて
年老いて病気に倒れた親のことと重ねて考えてしまった。


それにしても、寺島しのぶの表情はすごい。

それから、エンドロールに流れる元ちとせのうた
あれはナーズム・ヒクメットの「死んだ女の子」ですね。

違う曲でしたが、昭和40年ごろかもう少し後か、
歌声喫茶や原水爆禁止運動の集会などで歌われていました。


作詞:ナーズム・ヒクメット、作曲:木下航二
日本語詞:飯塚 広

とびらをたたくのはあたし
あなたの胸にひびくでしょう
小さな声が聞こえるでしょう
あたしの姿は見えないの

十年前の夏の朝
あたしはヒロシマで死んだ
そのまま六つの女の子
いつまでたっても六つなの

あたしの髪に火がついて
目と手がやけてしまったの
あたしは冷い灰になり
風で遠くへとびちった

あたしは何にもいらないの
誰にも抱いてもらえないの
紙切れのように燃えた子は
おいしいお菓子も食べられない

とびらをたたくのはあたし
みんなが笑って暮らせるよう
おいしいお菓子を食べられるよう
署名をどうぞして下さい





月あかりの下で


今日は、ドキュメンタリー映画、「月あかりの下で」を観てきました。
埼玉県の県立定時制高校を
4年間にわたり撮り続けた太田直子さんの作品。

中学入学当初、先生に反発したことがきっかけで
とうとうほとんど行かないまま昨年卒業したKちゃん親子、

小学校から弾け初めて、中学はキャピキャピすごし、
「みんなのお影だよ。卒業するように頑張る!」って
高校の制服でニコニコしていたくせに
2年生になる前に「無理だった~」とやめちゃったEちゃんや、

入学式の前日に病に倒れて
そのまま2年間高校に復帰できないOさん親子、

いろんな人たち誘ってきたらよかったな。

「たまたまいい先生だったんだよ。」って思う人もいるかもしれないけどね。

本当はみんな仲間が欲しいし、
勉強わかりたいし、
思い出作りたいし、
何かに一生懸命になってみたい。

ヤンキーだって引きこもりだって
みんなそうだよ。
本当は自分のまんまが出せる場所が欲しいんだよ。

学校でボロボロにされた彼らが
見つけた居場所は
学校だったんだね。

友達との人間関係ではすごい大人の一面を見せるのに、
『2万持っていて、3万借金していたらあなたの財産はいくら?』
ってマイナスが入った計算ができない17才。
それまでの11年間の先生たちは何をしていたんだろうね。
小学校の時から「わからない」「自信がもてない」まんまで
進級させ、卒業させちゃうのに、
高校にいったら自己責任なんておかしいよね。

自分の感受性ぐらい・・・という詩はよかった!
大人にも送りたいよ。
みんな誘ってきたらよかったなぁ。




自分の感受性くらい 茨木のり子

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ


「自分の感受性くらい」(昭和52)所収




パーマネント野ばら


パーマネント野ばらを観てきました。

観たかったのですが、父の危篤やらで観そびれてがっかりしていた。

昨日何気なく見つけた。
なんと!電車で30分くらい行った駅で、リクエスト第一位で再上映してるという。
しかも1000円って、いいじゃーん!
昼には終わるってのもいいじゃーん!

さっそく行ってきました。

何とも淡々とした、大きな出来事もクライマックスもない映画。
舞台は何の変哲もない貧しい田舎の漁村。
登場するのはダメ人間ばかり。
ストーリーはといえば、
「えー?こういうことなん?」ていうびっくりな展開。

しーずかな静かな映画。

だけど、エンドロール目で追いながらじーんとなった。

人生、何にも特別な価値とか成果がなくていいんじゃん。
生きてるって、それだけで、
みんな、なんやかや、一生懸命じゃん。
やさしいじゃん。
異質なものも、妙なものも、受け止め、包んでくれてるじゃん。

~『ずっと好き』はどこにもないから、私は毎日、小さな嘘をつく~
っていうサブタイトルなんだね。
帰ってきてから知った。

菅野美穂・夏木マリ・小池栄子・池脇千鶴・江口洋介・宇崎竜童・本田博太郎…
どの役者もとっても良かった。
菅野美穂は本当に好きよ。

心に残ったセリフ(大意)

「あんたはもう大人なんだよ。いつ、どこにいこうと、かまわないんだよ。」

「今まで、世間の期待に添う女をやってきたんやから、もうそろそろ自由にやりましょ。」

「人は2回死ぬ。1回目は生きるのが止まったとき、
2回目は人がその人のことを忘れてしまったとき。そうしたらもう生き還らない。」




クロッシング


今日は夫が休みを取ったので、
クロッシングを観てきました。

北朝鮮の生活と脱北の実情を
たくさんの脱北者の取材を通して
かなりリアルに描いたという
社会派ドラマです。

戦中戦後の日本も
似たような感じだったろうと思いましたが、
現在もこんなことが罷り通っている国がある。

いつの時代に、どこに生まれたかで
こんな人生もあるんだと思うと、
理不尽としか思えない。

父と息子がとてもいい演技でした。
「いい」という表現はおかしいのですが、
とてもよかった。
特に息子はすばらしかった。

こんなに過酷な人生の中でも
たった10才ばかりの息子は
父を恨むでも、国を恨むでもなく、
母を守れなかったことを泣いて謝る。
「約束を守れなくてごめんなさい」と
血を吐くように泣いて父に詫びる。

国というのはいったいなんなんだ?
大人は何をしてるんだ?

そういうことだけがテーマの映画ではないのだが、
あえてその点だけ書いてしまうが…。

柳楽優弥が主演した「誰も知らない」を観たあとの
あの感じに似たような、

理不尽に対する怒りと
子供の真っすぐなピュアな心に
胸が痛くなった。




スクールウォーズ HERO


今日また、映画を見てきた。
夫と二人で行くと一人頭1000円なので、すごくうれしい。

ラグビー全日本の元ヒーローが、吐きだめの高校の監督になって、
どうしようもないつっぱりチームを日本一にしていく実話。
あまり期待しないで行ったけど、すごいヨカッタよ。

元ヒーローの自分にうぬぼれていたことに気づいて、
立ち位置を子供の高さまで変えて行くんだな。
日本一を目指すなんて一言も言わないし、
エリートのラグビー教育もしない。
そもそも選手はボロボロの寄せ集め。
一緒に走り、一緒に泣き、子供の不始末は皆自分が尻ぬぐいし、
成果が出なくても人のせいにしない。
子供がうれしい気持ちになることだけを目標に体当たり。
コーチ道以前、「人への愛」かなと思った。

ちょうど、今私自身が
スポーツチームのあり方と
地域の子どもの居場所としてのスポーツ団体について
あれこれ、かなり悩んでいる最中なので、
余計に染み入るものがあったのかもしれないけど。

熱い気持ちと子どもへの愛が
どちらもそろって、初めて、子どもに届くと思いました。
考えてみれば当たり前なんだけど。
当たり前のことを見失いそうな今日この頃だっただけに。

昔は、あまり「愛」なんて言葉ですべてを括るつもりになれなかったけど、
このごろ、やけに思うのです。
何にせよ、「愛」かな?
「愛」があってこそ、
すべてが人にやさしい方にと流れていくような気がしてきた。

大黒摩季のHEROも、久々に聞いちゃって、なんか、熱くなったなぁ~!
ラグビーのシーンも、俳優もすごく上手で、本物みたいだった。
「精霊流し」の内田朝陽も「ROCKERS」の小林且弥も、
もちろん、「筋肉番付」の照英も、すごく良かった!
今日は、思いもよらない“大当たり!”でした。(^_^)v




誰も知らない


やっと、観てきました。
皆さんが話してくれたように、
本当に重かった・・・。
けれど、私が一番苦しかったのは
3番目、4番目の子どもたちが、
とにかく明るくて、かわいくて、無邪気で、お茶目で、
「生きているのはおとなだけですか?」
というフレーズとは逆に、
「こどもはどんなにひどい環境の中でも、
こんなに明るくいられるのね。」
ということが心に迫ってきたときでした。

今、私はある「事例」に関わっています。
子育てがうまく出来ないことで、子も親も苦しんでいて。
でも、本人たちはそういう自覚が無い様で。
でも、傍からみると「虐待」と言うことになりそうで。
近所もみんな、個々に通報すべきかどうか悩んでいて。
先生も、どう対処していいのか悩んでいて。

そんなこんなで長い月日が流れ、
やっと、この2~3日の間に、
少し動きが出てきたところです。

気づいているのにどうやって関わっていいのか分からない。
無関心だったり、単純に批判的であったりすれば、
逆に、案外簡単に役所などに通報できるんだろうけれど、
良心的であればあるほど、
親子を知っていればいるほど、
どうやって手を差し伸べたらいいのか、判断できなくなる。

そういうことなのではないかと思ったりしてました。

この「誰も知らない」でも
何度も、何度も、大人が手を差し伸べています。
みんな見て見ぬふりをしているだけではない。

今の私があの長男の立場だったら「福祉事務所、警察、児童相談所」など、
ああいう場合に連絡すべき「公的機関」に助けてもらおうと思う。
きっと、もっともっと早い段階でそう思うはず。
でも、子どもには子どもにしか理解できない気持ちがあるんだね。
「それはだめなんです。4人がばらばらにされてしまうから。
前にもそういうことがあってたいへんだったんです。」と。
どきんとしてしまった。
貧困により死亡することがないように国民を保護する法律があって、
それにのっとって、健康で文化的な生活を保障されているはずなんだけど、
「健康で文化的な生活」がどういうものなのかについては、
一人ひとり、大事にするものが違うんだよね。

昔「人間らしく生きる」事を掲げて生活保護をめぐる裁判がありました。
そのことを思い出してしまいました。

台詞というよりも、ぽろぽろクチからこぼれた言葉を
そのまま写し取ったような映画でした。
演出とかなくて、生活そのままを写し取ったような映画でした。

ママは、子どもがどうなってもいいと思っているような
決して子どもをいじめるような悪い人ではないと思いました。

ママの関わった男たちも、
自分の過去を知らん振りするような
決して悪い人たちではないと思いました。

子どもに冷たい、意地悪な人が誰一人出てきたわけではないのに、
子どもたちの生活環境がどんどん悪化していきます。

そんな中で、最後まで、明るくて楽しげな3番目の子の姿に
私は、なぜか、心が絞られるのでありました。

やはり、観てよかった。
重いけど。




ビレッジ


本当は「誰も知らない」を観に行こうという話しで集めたメンバー。
コジローの同級生のママたち4人。
ほとんど話もしたことがない人ばっかり。

朝になってReinaママが、
「私一人でもヴィレッジを観る!」と言い出す。
「誰も知らない」を一緒に観にいこうよ!と強行に誘ってくれる友達が他にいるので、
私としては他の映画でもいいんだけど、ヴィレッジですかぁ?
「怖いんじゃないのぉ?」「不気味な生き物がでてくるんでしょぉ?」
相変わらず、怖がりおばさんは、ひとしきり躊躇。そして、英断!

しか~し、結論としては
おもしろかった!

ストーリーや主張が興味深くて、映像もきれいで、
私の好きな世界だった!

ストーリーについては、ネタばらしになってしまうので、
ここには書かない。
でも、おもしろかったよ~。
帰ってきて、公式HPのBBSなどを読んでしまって
ふむむむ・・・・奥が深い・・・と、何度も思ったりしている。

もう一回見て、細かい複線を確かめたいと思う。
(ビデオになってからだね。)

そうそう、戦場のピアニストで主演した人が重要な役をしていました。
主役の女の人は、私の大好きなタイプでした。
と言うか、でてくる人がみんな好きなタイプでした。

19世紀のカナダかアメリカあたりの農村の風景がとてもきれいでした。

満足、満足!




華氏911


字を追うのに大変で、もう一度みないとホントのところ理解できないな・・・って感じ。
こういう映画は、ビデオを借りてうちであれこれいいながら、
時々巻き戻したりしながら見るのがいいのかもしれません。

ブッシュ一族とサウジアラビアとの関係(ビンラディン一族との関係)とか、
ゴアと接戦した選挙のときの裏事情など
恥ずかしながら私は知らないことがいっぱいだった。
アメリカの人はこういうことは知ってたのかな?
映画の終わりのほうで、息子をイラク戦で亡くした人が
「みんなだまされてるのよ。みんな知らないのよ。」
「私も知らなかった。」
といって、ホワイトハウスの前で泣くシーンがあったけど
わたしは胸がつまる思いだった。

すごく素朴な疑問なんだけど、
ムーアの故郷で秘書として働く女性が
「子どもたちは軍隊に入って世界をみてきてほしい。
それは私にはとてもしてやれないことだから・・・」みたいな事を言ったよね。
あの人と、最後に登場した息子をイラク戦でなくした女性は同じ人ですか?
夫も私も「外国の人はみな同じに見えるから分からない」(子どもみたいですが(^_^; )

それから、
ムーア氏が議員たちに「息子をイラクに送りませんか?」と持ちかけるところ。
「戦争絶滅受合法案」みたいですね。
激しい音楽をかけて自分の気持ちを高めながら「敵」を殺す若い兵士。
「刑務所に送られても二度と人は殺したくない」と言った海兵隊員。
「戦場は思っていたのとぜんぜん違う。民間人を殺すなんて。」と言った兵士。
戦争はそこで戦う人々、そこで殺される人々、
そこでおびえて生きる人々を想像するだけでも、理屈なく恐ろしいものだと思う。

戦争で儲かる人たち、政権を維持するために戦争をやめられない人たちは、
爆弾なんて飛んでこない冷暖房完備の清潔で快適なビルの中にいる。
なんて理不尽だろうと、また思うのであった。

映画を見た後、夫が、「そんなにグシュグシュ泣くような映画だった?」と聞くので、
「あのお母さんの叫びがグサッと来たのよ。子どもを失ったお母さんの言葉に涙が出なかった?」と私。
「男と女の違いなのかねぇ~?」と二人でつぶやきながらごはんを食べに行ったのでした。

今日、ある人のHPでこの記事を見つけて、私は疑問が解けました。

「華氏911」の母、米国揺さぶる 息子失い反戦活動へ(asahi.com)
ホワイトハウスの前で「みんな知らないのよ、私も知らなかった」と叫んだおばさんと、
あの秘書さんはやはり同じ人なのね。

で、この記事を読んで
お母さんはやはり同じ思いで涙するよねってことも感じて、
少しすっきりした。
男と女が違う感じ方をすることがあっても当たり前だね。
それはそれでいいのね、その違いを理解しあうことがいいのよね・・・。




ブラザーフッド


今日「ブラザーフッド」という映画を観てきました。
ウォン・ビンとかチャン・ドンゴンとか、巷で話題のイケメン主演です。
イケメン達は、本当にイケメンで、すごくかっこよかった。
でも、上映時間の半分ほどはタオルで顔を覆っていた。
その10分の1ほどの時間は、耳もふさいでしまった。
戦場のシーンがあまりにリアルで、怖くて怖くて耐えられなかった。

たぶん、目をふさいでいる時間に流れた字幕スーパーにも
読んでおくべき言葉が並んでいたんだろうけど・・・。
たぶん、耳をふさいでいたときにも、
言葉が分からなくても聞かなければならない叫びがあったんだろうけど・・・。

戦争の映画は今までたくさんたくさん見てきた。
だいたい、戦場のシーンでは何度か目を閉じたりした瞬間があった。
そのむかし看護婦さんになりたい少女だったのに、
血とか肉とかに弱い怖がりのおばさんに育ってしまったから。

でも、ブラザーフッドは半端じゃなかった。
映画だよ・・・2時間ちょっとだよ・・・と言い聞かせても我慢できないほど怖かった。

で、タオルを押し当てながら声が出そうなほど泣いてしまった。
ウオン・ビンがかわいそうだからじゃなくて、とにかく、殺し殺されるのがいやで。
たぶん、こんな怖いところにいたら、私は弾に当たるより先に狂ってしまうだろう。
どんな理由があっても、どんな理屈があっても
こんなことは耐えられない。
人は誰も殺しあいたいと心から望んだりしない。
望まないのに、戦争が始まってる。
気が付いたら戦場にいる、気が付いたら人を殺している。
殺さないと殺されるところにいる。

思想とか主義が人が生きることよりも大事なのか?
人と殺しあわないと生きていかれないなんてことがあるのか?
誰かがやってるうちは終わらない。
どんどん狂気へと掻き立てられていく。
理由とか、理屈とか、そんなことはどうでもいい、
とにかくあんな怖いことをどうして続けるのか?

本物のニュースに戦地で怪我をしている子どもが映れば、
心からかわいそうで涙を流すことも何度もあった。
凱旋する兵隊が映れば、こいつ、人を殺してよくえらそうに帰ってくるんだな・・・と、
テレビに向かって文句を言ったことも数知れない。

でも、今日のショックはそんなものではないな・・・
とにかく怖いんだ。
本当の戦争を報道されるよりも強烈に怖かった。

軍人がかっこよく描かれている映画を観れば、
う~、男ってかっこいいと思ったこともある。
戦場に向かう彼を見送る恋人が耐える姿を映し出されれば、
う~、それでも彼を待っている女がけなげだと思ったこともある。

そんなものはもう、私の中に何も残っていないな・・・。
なにしろ戦争は人をずたずたにするものだと、
人の体も、心も、関係も、何もかもずたずたになるんだ・・・。
本当に怖い。

夢想的平和主義とでも何とでも言ってください。
今日の私はとにかく戦争は怖いからいやだ・・・それだけです。

その足で選挙に行ってきました。
気が付いたら戦争が始まっているなんて事は耐えられないから、その足で選挙に行ってきました。




戦場のピアニスト


夫が休務日だったので、戦場のピアニストを観に行きました。

ストーリー性がないとか、退屈だとか、要は「評判ほどではないよ」という話も聞いていたので、あまり期待もなく行きました。

ユダヤ人・ドイツ人・ポーランド人の民族的な関係が複雑で、日本のような「単一民族」(厳密には違うのでしょうが)にはわかりづらくもあるでしょう。ちょうど、いまの、イラクとイランとアフガニスタン、クウェートなどの関係がわかり難いのと似てるのかな・・・?

淡々と、戦争の流れを「ピアニスト」の視線から追っていくのですが、戦争は、勝ったほうにも、負けたほうにも、「悲惨」だけが残るのだと思いました。

昨日いばり散らしていた軍人も、今日情けをかけてユダヤ人を助けた将校も、明日は捕虜収容所に入り、死んでいく。

戦争は、庶民が傷つくからいけない・・・これはもちろん。
でも、戦争によって、神経が摩滅し、人間らしい安らかな気持ちをもてなくなっていく軍人たちだって、どれほど悲惨であるか。

戦争に、「大義名分」も「道理」もない・・・と強く思いました。
やはり、戦争は、すべての人にとって、あってはならないものです。
明日も各地で、ピースアクションや反戦の集会があります。
行かれる方々、私の分も、いっぱいいっぱい気持ちを表明してきてください。

 写真家の森住卓氏のホームページ
http://www.morizumi-pj.com
 劣化ウラン弾による被害の写真があります。
 戦争はダメ・・・と思います。




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