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一ヶ月ぶりの書き込みになりますが、今週の月曜日にやっと日本から帰ってきました。日本には約2年ぶりでした。やはり、日本はいいですね。何となく落ち着きます。去年、うちの姉夫婦が新居を建て、そこにうちの両親が同居することになりました。その家は私と両親が20年以上住んでいたところからそう遠くなく、学区も同じということもあって、私にとってはそれほど”新天地”という感じはありませんでした。その新居は前の家の2倍以上広く、姉の家族4人とうちの両親2人の計6人の大家族で生活しており、今回私とエリカが加わっても”手狭”になったという感覚は全然感じられませんでした。 エリカは初めての旅行、飛行機、自宅以外での寝泊りと始めて続きでした。そのせいかすごく甘えん坊になり、数日間私の側を一時も離れたがりませんでした。トイレに行っただけで泣いて追いかけてくることもあったくらいです。私の家族にも最初慣れず、私の両親とはこちらで数ヶ月間一緒に暮らしていたこともすっかり忘れていたようで、母が抱っこしてもすぐ泣いてしまう始末でした。うちの両親はそれにはちょっとショックだったらしいです。1週間がすぎるとエリカも皆に慣れ親しみ、特に姪っ子のさきちゃんにはすぐなつきました。えりかはさきちゃんが大好き。姪っ子の行くところをいつも追いかけていました。子供同士というのは言葉以上の何かで惹かれあうものだと、今回改めて感心しました。 今回の里帰りで一番大変だったのは、エリカが帰る間際に病気をしてしまったことです。4月5日に帰国予定でしたが、結局10日に帰りました。エリカは”Stomach flu"、日本では”嘔吐下痢症”というそうですがそれにかかってしまったのです。40度を越す高熱と、嘔吐が2日間続いた後、下痢がつづきました。高熱に嘔吐、食欲もなかったのですぐに脱水症状を起こし、点滴治療をすることになったのです。4日間、点滴の針が小さな手のひらに刺さったまま腕を包帯でぐるぐる巻きにされたエリカの姿は、本当にかわいそうでした。最初の2日間はエリカとは思えないくらい静か、というかぐったりしており、だっこから床におろすと5-6秒後には床にごろんと横たわっていました。本当にしんどいのだなあ、かわれるものならかわってやりたい、と思えるほど力なく横たわる娘の姿を初めて見て切なくなりました。点滴の針が抜ける頃には下痢は2-3時間毎あったものの、食欲もあり、元気も出てきたので一安心でした。点滴が抜けた後もそちらの手をかばう様にしている仕草が本当にいとおしく、あわれに思え、また点滴のあとが痛々しくしばらくの間エリカの手のひらをさすってやっていました。ナースとして働いている私でも、こと自分の子供のことになるとこんなににうろたえるものなのですね。 心配していた飛行機の出発日時の変更も、急病が理由ということで無償でしてもらえました。これにはほんとうにありがたかったです。治療代も医療保険のない私たちは10割払わなければならず、かなりの額だったのです。ただ、アメリカに比べればおそらく5分の1くらいなのでしょうが・・・ しかも成田空港で急病のために変更したというと、エリカが休めるよう出発までビシネスクラスやファーストクラスの人たちのためのラウンジを使用してくださいととても気を使ってくださり、本当にありがたかったです。 あんなこんなで帰国の途についた私たち2人でした。 子供を連れての飛行機の旅の経験談ことなど、またの機会にお話させてもらいますね。とりあえず、無事に帰ってきたことの報告まで。
2006年04月16日
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17日に日本に帰ることは前述しましたが、それにまつわる大変なことが起きているのです。エリカは日本とアメリカの両方国籍をもっています。ということで、彼女は2つパスポートを取得できるのです。帰国にあたり、最初は簡単ということで日本のだけを取っていましたが、ぎりぎりになってアメリカのもいるというのが分かり、慌ててパスポートの申請に行きました。こちらのパスポートを取るには何かと面倒なのですよ。特に子供の場合は両親そろって出頭し申請しないといけないし、両親それぞれの身分証明もいるのです。・・・この身分証明で大事件が起こりました。うちの主人の運転免許証、更新したのにもかかわらず、いまだに受け取っていなかったのです。しかも半年以上も!!仮の免許証(写真なし)があるからと、うちの主人ののんびりさには本当にあきれました。ということで彼を証明するものは市民権の証明書だけに・・・その証明書を提出したのですが、その結果なんと!却下されたのです。理由は証明書にある彼の誕生日とエリカの出生証明書にある父親の誕生日が2日違いとのこと。私は唖然としました。主人に問いただすと、”あー、そういえば移民局のほうで間違って2日違いにされたんだよねー。2日だけだし、良いかと思ってほおっておいたんだけど・・・・”とのんびりとした口調で担当者に答えている主人に対して怒りを爆発してしまい、思わず日本語で”何言うとるんね、バカたれ!いいわけがないでしょうがね!何考えとるんじゃ、ボケ!”と広島弁でまくしたててしまいました。・・・後で反省しましたが。エリカの日本行きはどうなることやら・・・・胃が痛くなりました。昨日主人は悪いと思ったのか、エルサルバドール領事館に行き、期限切れになってほおっておいたパスポートの更新に行きました。それにはちゃんと正規の誕生日が記述されているからです。そのパスポートが証明として受理されればエリカは晴れて日本に行くことができます。みなさん私たちの幸運を願っててくださいね。
2006年03月16日
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突然ですが、今月17日に日本へ2週間ほど里帰りすることになりました。突然といっても、1ヶ月前には決まっていたのですが・・・理由は2つ。1つは、ばばちゃんは2年ほど里帰りをしていないので日本が恋しくなったこと。2つ目は雛人形。”雛人形”とは・・・?今回姉がエリカのために雛人形をわざわざ日本から送ってくれたのです。それは”ここまでしてあげてるんだから、エリカを早く連れてきて見せて頂戴!!”という、すまして微笑んでいる人形の背後から、姉が無言でおいでおいでをしているように私にはひしひしと感じたからなのです。姉は、エリカが生まれたときから初めての姪っ子ということもあって、エリカにとても会いたがっていました。こちらに来たがっていたのですが、やはり家庭があるとそんなに自由に海外まで出かけられないのが現状です。そこで目をつけたのが”エリカを日本に来させる動機を作る計画”。それにぴったりだったのがおそらくこの雛人形だったのでしょう。今回はこの計画にのってあげることにしたのです。実は雛人形は私の昔からのあこがれのものだったのです。家が貧しくて雛人形もひなまつりもなかった子供の頃、私にとってはとうてい手の届かぬものでした。大人になってからはそんなことすっかり忘れていましたが、今回娘を持ってからまた”雛人形”のことがとても気になり始めました。・・・しかし、ここはサンフランシスコ。そう簡単に雛人形など手に入るものではありません。市内の日本町(ジャパンタウン)の店に飾られてある、とても高い雛人形を見てはハアーっとため息をついていたのです。雛人形のことはうちの両親がこちらに来たときに話をしたような気がしますが、それが姉のほうまで伝わったようです。雛人形が我が家に着き、一つ一つ梱包されているものから取り出し、すっかり飾っていくと、子供の頃に戻ったようにうれしくてはしゃいでしまいました。エリカは雛人形の意味が分かるはずもなく、人形が触りたくてだだをこねていました。中南米生まれの主人も娘同様、ただ私がうれしそうに人形を飾っているのをぽかーんと見ていました。結局ひなまつりを楽しんだのは私一人だったようです。今回は主人は家の修理のためお留守番してもらうことにしました。日本が大好きなうちの主人。連日”いいなー、いいなー、日本に帰れるんだからねー。”とちょっとイジケ気味です。お土産たくさん買って帰るからね、パパちゃん。
2006年03月12日
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心臓の手術には輸血は欠かせない大事なものです。うちの病院の心臓手術においては約50%の症例において術中何らかの血液製剤を投与しています。この血液製剤が主に献血に頼っていることはご存知だと思います。ここ最近、この血液製剤不足、特に血小板製剤の不足がが重大な問題になっています。血液製剤が確保できない為、予定された手術を延期することがあるのです。ここ2-3ヶ月に数回ありました。実は昨日も1件このために延期されたのです。今回も血小板の不足のためでした。赤血球は約3-4週間、血漿製剤は凍結すれば2年間と保存出来るのですが、血小板においては48時間と短いため、まず保存が出来ないのです。こういうことがあるたびに、うちの主人を献血センターまで無理やり連れて行っては献血させています。注射が大嫌いな主人はそのたびにいつも逃げ回っていますが・・・今日は土曜日なのでお昼にお寿司をごちそうするのを”餌”に連れて行きます。私も献血したいのはやまやまなのですが出来ないので残念です。皆さん、今週末もしお暇ならお近くの献血センターまで行ってみませんか?
2006年03月11日
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私の友人は皆知っていますが、エリカを妊娠するまで(妊娠中もだったかな?)私は仕事の虫といわれるほど毎日残業し、土日もOn Call,日本では”待機”とか、”拘束”とか言われていますがいわゆる緊急対応のシフトをバシバシ取っていました。同僚からは”On Call Queen”なんて呼ばれたこともあります。土日に朝7時から夜の11時まで緊急の手術に追われ、休みなしで働くことも多々あったのですよ。友人からは”いつ休んでるの?”と聞かれるくらいでした。どうしてそんなに仕事の虫になったのか?主にはずばり、収入のためです。他にはうちの主人がその当時土日は休みではなかったので一人で寂しかったというのもありますが・・・マイホームを買いたくて、また買ったら買ったでローンを払うのに一生懸命働いていました。ここでナースのお給料のしくみについて少しばかりご説明を・・・こちらではほとんどのところは時間給で給料は算出されます。だいたいの病院は2週間ごとにお給料が支払われます。小切手または自動振込みで、現金支給はまずどこもしていないでしょう。残業をすると最初の4時間分は1.5倍、それ以降は2倍の時間給をもらえるのです。こちらでは、”サービス残業”なんて言葉はありません。仕事をすればその分だけもらえるのです。そしてOn Call は待機している時間分、時間給の半分をもらえるのです。緊急の手術で呼ばれるとその分だけ時間外労働で1.5倍もらえます。つまりOn Call なら夜中に寝ながらでもお給料がもらえるのです。これはOn Call シフトの”おいしい”ところですが、欠点はいつ呼ばれるか分からないところです最悪の場合は一晩中寝ずに緊急手術をし、朝から日勤ということもあるのです。妊娠が分かってすぐに今の病院へとらばーゆしました。就職から半年はOn Callは取れないとの事で、妊娠初期から中期には前の病院で非常勤ナースとしてちょくちょくOn Callとしてはたらいていました。妊娠中に働いていた方なら分かると思いますが、8時間以上働くのは結構つらかったのですが”仕事の虫”と呼ばれるほど仕事中毒になっていた私、それでも楽しく働いていました。・・・その結果、とんでもないことになってしまったのです。もともと前置胎盤で産婦人科の先生から”気をつけてね”といわれていたのですが、何も症状がないので妊娠前と同じように働いていたのです。そしてある日突然・・・そうです。出血したのでした。一時期は早産の可能性もあったのですが、ゴキブリのようにもともと生命力の強いエリカは持ちこたえてくれました。ただそれからは出産するまで自宅で丸々2ヶ月間床上安静を強いられました。その時私が決心したことがあります。”仕事も大切だけれども、やはり家庭を大事にしないといけない”床上安静中、毎週平均2回はあった病院のアポイントメントを、うちの主人はそのたびに40キロ近く離れた職場から食事も取らず家に帰っては私を病院まで文句ひとつ言わず連れて行ってくれました。料理も作れず、掃除や洗濯も出来ず、自称”大きな赤ちゃん”状態だった私をいつも支えてくれた主人に本当に感謝しました。彼のやさしさ、愛に応えるためにも家庭を大切にしようと決めたのです。今のところ上司からの要望はあるものの、On Callは取っていません。今の職場では”仕事の虫”からかなりかけ離れているようです。ただ、収入は激減。うちの主人には”働け働け!!”と”家庭の鬼”になって主人のおしりをたたいています。これも”愛”ですよ、ね!?
2006年03月06日
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ここサンフランシスコには日本人のナースの方々がたくさん、色々な分野で活躍されています。その中の数人が集まって楽しく一緒にお話をする機会を、私の友人のDavidさんが発起人になって作ってくださいました。私もその会に先月と今月出席させてもらうことになりました。今日がその会の日だったのです。週末なのですがその会の日に限って主人が忙しく、エリカを連れて行く羽目になってしまいました。エリカは最近外出すると無性にはしゃぐ悪い癖が出てきて、レストランやお店に行くと奇声をあげたりするのです。ちょっと不安ながら彼女をその会に連れて行きました。連れて行く途中、エリカは車の中でゴキゲンななめで大泣き、叫びまくっていたのです。主人は皆の迷惑になりはしないかと、車を運転しながら心配していました。今回はサンフランシスコの日本町、ジャパンタウンで皆さんとお会いしたのですが、私たちの心配をよそにジャパンタウンに着き、皆さんに会ったとたん、エリカは”にこーっ”と笑顔でご挨拶しました。ほっと安心した反面、自分の娘の外面のよさに脱帽しました。会の間中笑顔を振りまき、ゴキゲンさんのエリカのおかげで私も色々な方とお話でき、楽しく時間を過ごせることが出来ました。この時ばかりは彼女のこの見事な豹変ぶりに感謝しました。フルタイムで忙しく働いている私にとっては、こういう会に参加し、他の日本人のナースの方々と日本語で仕事のこと、自分たちの生活のことなど色々とめどなく話すことでとてもリフレッシュできます。私にとってとても貴重な時間をすごすことが出来ました。それはそうと、人と会うことが大好きなエリカ。あまり社交的とは言えない両親から生まれたとは思えない”人好き”は、いったいどこからきたのでしょうか・・・?謎です。
2006年02月19日
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この水曜日、同僚の一人が今月いっぱいで仕事を辞め、ご主人の故郷のスコットランドに移住するとのことでレストランで送別会をしました。”水曜日”というなんとも中途半端な日にしたのですぐにはベビーシッターが見つからず、うちの主人もだいたい夜から仕事なので困っていました。すると、”ベビーもOK”と返事が。そう、結局うちの娘を連れて行くことにしました。実は最近、エリカはレストランやお店で大声を出す悪い癖が出てきており、皆さんの迷惑になりはしないかと少し心配していましたが、そのレストランではDJが音楽をかけてにぎやかだったので子供が一人二人泣いても大丈夫なくらいで安心しました。しかも私たちのほかにも子供連れの方を何人か見たのでますます安心しました。さて、そのパーティーではエリカは超ゴキゲンでした。というのも、今回退職するナースのRubyがいたからです。エリカは彼女のことが大好きでいつも彼女に会うと抱っこしてとおねだりします。Rubyもエリカを気に入ってくれていて、今回パーティーに連れて行くと話すと喜んでくれました。パーティーでは色々な料理が出ましたが、もちろん13ヶ月の子供が食べられるものはごく少なく、エリカにはいつもの離乳食を作ってもって行きました。が、にぎやかな環境と、常に流れてくる大音量のミュージックですっかり興奮してしまった彼女は離乳食には目もくれず、自分の前に出てくる料理を私の目を盗んでは口に入れていたようです。たとえば、イカフライやガーリックフライドポテト、焼き鳥、スモークサーモンとケッパーのマリネ等・・・そのうえおつまみでおいてあったチョコレートを2,3個つまんで食べたものですからその後はご想像通り、”ハイパー娘”になってしまいました。音楽にあわせて腰を振り、ダンスをするわ奇声を上げるわ、または人にはキスしまくるわ、大変でした。5時半から7時半まで2時間、私の同僚たちはエリカのパフォーマンスに大爆笑。同僚だけではなく、周りのお客さんにもうけていました。私はただただ、穴があったら入りたい気分でした。Rubyに、”ごめんなさいね。あなたの送別会がこんなになっちゃって”と誤るのですが、彼女は”何言ってんの。湿っぽくなるよりも、こっちのほうが何倍もいいわよ。こんな楽しいパーティー初めて。”と言って終始笑っていました。7時半にはレストランを出て帰宅しました。家に着いてエリカに、”No more chocolate and party for you!”(チョコもパーティーも無しだからね!)もう当分パーティーはこりごりです。
2006年02月18日
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さて、私の友人が赤ちゃんを出産したことは前回日記に書きました。実は彼女たちは大変な時に出産したのです。なんと引越しを目前だったのです。出産した翌日に新しく引越しする家の鍵の引渡しがありました。出産だけでも大変なのに、引越しもせねばならず・・・私たち家族は日ごろ彼女たちに大変お世話になっているのでこの時とばかり、引越しのお手伝いをしました。とはいえ、うちにはエリカがおり、この娘が引っ越し以上に手のかかる厄介な奴なので私はもっぱらエリカのお守り、引越しはうちの主人が仕事用の大きな商用のワゴンを使って荷物の搬送、そして大きな荷物の搬入を手伝いました。この日曜日にすべてを新居に運び終わり、家の中は箱だらけでしたが家族の寝室だけは整えることが出来ました。引越しの最中、赤ちゃんは大きな物音にも動じずすやすやと眠っていたそうです。生後数日で大イベントの”お引越し”を見事にこなした赤ちゃん。大物になりそうですね。うちの主人も休日返上で2日間頑張ってくれました。ありがたかったです。ありがとう、パパ。
2006年02月13日
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私の友人でやはりこちらで看護師をしているYさんに待望の男の子が生まれました。午後12時50分ごろ、6LBSと12OZ、約3060gの元気な赤ちゃんでした。昨日から陣痛が始まり18時間の長いお産になりましたが、母子共に元気でした。仕事の帰りに主人とエリカを連れて彼女のお見舞いに行きました。彼女の側にはブランケットに包まれた小さな赤ちゃんがすやすやと眠っていました。早速抱っこさせてもらいましたが、体重を感じないほど小さく、またとても繊細で触ったら壊れそうな、そんな感触でした。エリカも生まれたときはこんなだったのですね。今の超元気でおてんばな彼女からは想像できませんが・・・赤ちゃんを抱いた後、エリカを抱っこするとその重いこと、重いこと。1年経つと赤ちゃんってこんなに成長するものだと、改めて感じました。
2006年02月08日
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前回の日記でうちの娘が風邪を引いたことを書きましたが、薬局で買った薬を飲ませても症状が改善せず、ときどき耳をひっぱたりする仕草がみられたので、Ear infection、中耳炎かな・・・と思いお医者さんに見てもらうことになりました。エリカは4ヶ月前に風邪を引いたときも中耳炎になったことがあったのです。ここアメリカでは、風邪くらいではお医者さんに行くことは殆どないようで、自分で薬を買って飲むのです。そのため薬局で殆どの風邪薬、日本では処方箋が無ければ買えないような薬を買うことができます。これも前述したように、医療保険制度の違いにあるようです。私の働いている病院は同じ関連の病院にかかる限り、従業員とその家族には診察料を払わずにすむような保険を提供しています。これは珍しいほうで、殆どの病院では診察一回につき、$20から$50位はとります。お医者さんに診てもらう時はまず予約をしなければなりません。直接行ってもだめです。予約するために、まず(うちの病院は)Advice Nurseが電話で問診し、それで医師に診てもらう必要があると判断されたもののみが予約を取れるのです。うちのエリカもこうやって予約を取り、小児クリニックへ出かけたのです。タイトルにもありますが、私の家族は医者嫌いの病院嫌い。看護師べきたるものが・・・と思われますが、嫌いなものは仕方がありません。エリカも私のDNAを引き継いでしまい、病院に行くたびに大泣きするのです。1ヶ月検診からこの悲劇は始まりました。今日も例外ではなく、白衣を着たお医者さんが診察室に現れたとたん、”びえええええええんん。ぎゃあああああ。!”と号泣するのです。何もしないうちからこれです。子供が泣くのに慣れている小児科の先生もエリカの叫び泣きにはびっくり。唖然としていました。気を取り直されて、聴診器をエリカにあてようとすると、エリカは泣きながら死に物狂いにそれを払いよけようとします。その様は何かにとり憑かれたようでした。小児科の先生は聴診もそこそこ、私の話も半分聞くか聞かないかで、”Ear infectionね、抗生剤だしとくから。”とそそくさと退出されたのであります。私としてはもっと聞きたいこともあったのだけれども、うちの娘の泣き声のものすごさに負けてしまいました。完敗です。診察室をでても泣きじゃくっているエリカを見て、もう病気にならないでね、と心から願った私でありました。
2006年01月29日
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おはなをちゅるちゅるするものでちゅ。えりかはこれが大きらいでちゅ。3-4日前から鼻水がでていたエリカですが、おとといから本格的に風邪の症状が出てきました。鼻が詰まって呼吸がしにくいため寝苦しいのか、夜中に何回もぐずっては起きるし、毛布をいつも蹴飛ばしてしまうので、一緒に寝ている私もここ2日間寝不足気味・・・・せめて、鼻のつまりだけでも良くしてあげようと、彼女が生まれたとき、病院からもらった鼻用のスポイドで鼻を吸引しようとするのですが、エリカはこれが大嫌いなのです。前回風邪を引いたとき、確か4ヶ月前でしたが、そのときは嫌がってもまだ吸引させてくれていました。1歳ともなると自己主張、意思表示、がはっきり出来るようなったのでしょう、私が吸引しようとすると、両手を使ってがむしゃらに阻止するのです。それでもと、ちょっぴり強引にしようとすると、最後には大泣き。当分しゃくり泣きをするのです。親としては良かれと思ってするのですが、こうも泣かれたり、いじけたような顔をされると、罪悪感にとらわれてしまいます。昨晩(早朝かな?)、熱も出たので冷えぴたシートをすれば気持ちがいいだろうという親心でおでこにつけてやると、それが気に食わないと怒り、おお泣きしたうえ、シートを自分で剥がして私の顔に投げつけました。”親の心、子知らず”と昔の人はよく言ったものだとつくづく感じました。エリカを知っている私の友人にこのことを話すと、”信じられなーい、あんなにいつもニコニコしていい子なのに。(私が)か なり強引にしたんじゃないの?”と、まったく信じてもらえませんでした。うちの子は外面がいいのです。信じてもらえなかったので、ここで愚痴を言ってしまいました・・・2日連続で寝不足な私ですが、もう一日頑張れば土曜日です。主人の大好きな日本の栄養ドリンクを一本拝借。今からお仕事行って来ます・・・・
2006年01月27日
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えりかはがんばりまちた。よくできまちたでしゅ。前回の日記で書いたように、娘の誕生記念の写真撮影に失敗した私たち夫婦でした。が、私たちは諦めませんでした!今日は5時半まで勤務だったのですが、うちのCharge Nurseにお願いして早めに帰宅し、エリカをかわいくドレスアップし、家から車で20分くらいの所にあるショッピングモールへ出かけました。そのショッピングモール内に写真館があるのです。前回の失敗を教訓に、エリカには事前にしっかりお昼寝をさせ、スナックを食べさせるなど万事良好の状態でその写真館へと向かいました。平日だったことも奏して順番を待たずに、すぐに写真を撮ってくれるということでした。エリカはお店のスタッフの人に、にこにこと愛想を振りまいていました。私たち夫婦は、”これなら楽勝でいけるぞ!!”と、安心しきっていました。しかし・・・写真撮影が始まるや否や、またまた”びええええーーん。!!!”とうちの娘は大声で泣き始めたではありませんか。自分たちの娘の変貌に呆然と立ち尽くす私たち夫婦を尻目に、カメラマンやスタッフの方はエリカをなだめています。私たちも気を取り直して、彼女たちと一緒になってエリカの気を引こうと、踊ったり、歌を歌ったりしました。あの手、この手でやっとエリカをなだめることに成功した私たち。30分以上かかりました。やっと写真撮影開始、となったのですが、やはり本調子ではないためか、エリカはいつものようには笑ってくれません。苦労しながら数ポーズを撮影しました。本当にいい写真が撮れているかどうか見るまでは不安でした。ただ、例え出来が悪くても、辛抱強く頑張ってくれたスタッフの方に文句は言えないなあ・・・と思っていました。実際に出来た写真をコンピューターで見せてもらったとき、ホッと胸をなでおろしました。どれもエリカらしい、いい写真ばかりでした。自宅用、仕事場用と私と、主人のそれぞれの両親分の写真を注文しました。写真館へ行ったのが4時半、すべて終わったのが7時半過ぎと、実に3時間もかかってしまいました。家に帰って、私もエリカも疲労困憊で、ごはんも食べず、お風呂にも入らずにベッドへ直行しました。たった写真を数枚撮るだけで、こんなに苦労するなんて・・・・もう当分記念撮影はコリゴリです。
2006年01月26日
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あたちおなかがすいていたんでちゅ。ままがわるいでちゅ。ここアメリカではちょくちょく子供や家族の記念写真をとり、それを家や仕事場に飾ったり、お財布に入れて持ち歩いたりします。私も、アメリカの習慣に従って、エリカの写真を仕事場のロッカーにぺたぺたと貼っています。さて、エリカの一歳の誕生日記念の写真をとるべく、娘をかわいく着飾り、友人から評判のいい写真スタジオへ車で45分かけて行きました。それは”ベビーざらス”という大きな赤ちゃん用品専門店の中にあるスタジオです。そこのスタッフはとても辛抱強く、一生の記念にふさわしいように赤ちゃんや子供のベストショットを撮ってくれるということでした。6ヶ月の記念写真を他のところで撮ったのですが、エリカが笑っておらず、むしろぶすーっとしているのです。私も主人もがっかりしました。せっかくの記念写真なのに、エリカらしいところが撮れてないのです。しかもカメラマンが機械的にパシャパシャっと撮り、態度もあまりよくなかったのも気に入りませんでした。今回行ったスタジオは雰囲気が良く、待っている間他の赤ちゃんを撮影しているところを見ましたが、評判どおり辛抱強くあやしたり、遊びながら撮っていました。私と主人は今度こそ最高の記念写真になるぞ!と、高鳴る期待に胸を弾ませておりました。本人のエリカもいつも通りニコニコ、キャッキャッとはしゃいでスタジオにあるおもちゃで遊んでおりました。いよいよ、エリカの撮影の順番が来ました!私もドキドキで、どんなポーズがよいかなど、カメラマンと相談し、いざ撮影へ! がっ!!!”びえええええええーーんんん!”と、我が娘は店中を震わせんばかりに大泣きし始めたではないですか。エリカを撮影するためのスクリーンの前に座らせるや否やの事でした。他のカメラマンもびっくり。いままでニコニコしていたエリカの変わりように私たち夫婦もただ唖然としていました。私たち夫婦を尻目に、すぐに気を取り直したカメラマンの方々はさすがプロらしく、”豹変した”我が娘のご機嫌を直そうと色々手を尽くしてくれました。その間実に30分。しかし、母親似で意固地な我が娘は、いったんつむじを曲げるとそれっきりで、結局この日は写真は撮らずじまいに・・・・・夫婦そろってひどく恐縮しながら、”すいませんね”とカメラマンの方々に謝るばかり。”こんな事日常茶飯事ですから、気にしないでくださいね。また来てください。”と30分間のチャージ料も取らず、スタジオのスタッフの方は微笑みながら許してくれ、しかも次回に使う割引のクーポンまで頂きました。さらに恐縮したエリカの母と父なのでした。さて、当のエリカは、お店を離れるや否や超ご機嫌になり、”だー!ふーんふうーん!”と鼻歌まで歌う始末。あの大泣きは一体なんだったのでしょうか・・・不可解な娘を産んでしまいました・・・
2006年01月23日
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プロフィールにもありますが、私はアメリカ本土で一番日本に近いカリフォルニア州でナースをしています。現在家族3人でサンフランシスコに住んでいます。今はサンフランシスコ市内の病院で手術室勤務をしています。今日はうちの手術室についてお話します。うちの手術室はMainとCV(Cardiovasucular)の2つの部門に分かれています。私はCVOR、つまり心臓・胸部外科専門部門で働いています。全12室のなかで、うちは4室を使い、1日平均6-7件の手術をこなしています。うちの病院は、日本では少し分かりにくいのですが、医療保険会社が設立した病院です。ここアメリカでは、医療保険は個人、または会社ごとに加入し、その保険の種類やランクによって行くことの出来る医師や病院が決まるのです。うちの病院の場合は、保険料を払って医療保険のメンバーになると、その保険会社が経営している病院で診察や治療を受けることが出来ます。ここサンフランシスコを中心としたBay area(だいたい大阪府くらいの大きさの地域)の各市に同じ病院やクリニック(診察、検査のみをするところ)があります。手術に関して言えば各病院ごとに専門分野を分けています。例えばサンフランシスコ病院だけが今のところ心臓と腎臓移植手術をしています。脳神経外科はうちではせず、他の病院でしています。というわけで、毎日心臓ばかり手術をするような部門が出来るわけです。私は日本でも7年間手術室ナースとして働いていました。そのときは心臓手術もありましたが、年間40-50件くらいでした。日本にいたころ、”心臓手術”といえば、一日仕事でした。朝8時から始まると、午後4-5時までかかることが多かったですね。ここでは、朝6時半に始まり、だいたい11時ごろには終わります。昼食を食べ終わるとすぐに次の手術の準備に追われるのです。緊急手術もあります。週に1-2件くらいです。今のところ私は小さい子供を抱えているということで、On call、いわゆる緊急時対応の待機スタッフを免除してもらっていますが、それも今月まで。来月からは地獄のようなOn Callが待っています・・・・日本でもアメリカでも、仕事をするのは同じ。大変です。
2006年01月21日
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まま、だいしっぱいでちゅ。昨日、大失敗しました。仕事はいつも6時半に始まるのですが、昨日ふと目を覚ますと夜が白々と明けかけているではないですか。やばい!!と思い、ベッドから飛び起きて時計を見るとすでに6時50分!目覚まし時計をセットしておいたのですが、その夜はたまたま主人がベッドの左側、時計に近いほうのサイドに寝ており、アラームが鳴るや否や無意識に彼がそれを消してまた寝入ったようでした。すぐに職場のCharge nurse,日本で言えば婦長(今では師長というのでしょうか・・・)にあたるのでしょうか、その方に電話をしました。私、 ”おはようございます・・・・”Charge nurse、”どうしたの?病気?”私、 ”いいえ・・・すっかり寝過ごしちゃって。すみません、す ぐ今から仕度していきます。”Charge nurse、”いいけど・・今日はばばで4人目なのよね遅れてくるスタッ フは。どうしたのかしらねえ。”電話を切るや否や大急ぎで仕度をし、起きてから15分後には家を飛び出していました。幸い自宅から仕事場までは車で15分弱のところです。7時20分までには仕事場に着き、手術着に着替えることが出来ました。職場ではCharge nurseのJoyceが待っていて、思ったよりも早く来たわねー、と驚いていました。手術は7時から始まるので、彼女が私の代わりを務めてくれていました。ただただ、すみませんと恐縮していると、”何言ってるの、ほかのスタッフもいつも遅れてきてるじゃない。ばばは今回はじめてでしょ。そんなに気を悪くしないで。”とやさしいうちのCharge nurseは許してくれたのでした。ちなみにあとの3人の遅刻マンたちは常習犯ということで、彼女からこっぴどく怒られたみたいです。今回のことで学んだことがひとつ。”主人は目覚まし時計の近くには寝させないこと。”
2006年01月18日
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はじめまちて、エリカといいまちゅ。よろちく。このブログを初めて2週間。何もわからないまま始めてしまい、写真を載せ方もわからない始末。(いまだによく分かりませんが・・・)友人が先日の娘のパーティーに来たとき、すがるようにして”お願い、写真の載せ方教えて!!”と懇願しました。彼はブログに関しては大、大先輩であり、彼のブログがいつも色々な人が訪れています。そして、書いている記事も本当に興味深く私も一人の彼のブログのファンであります。その友人が、”写真のサイズを編集するシステムがいるんだよね。”と教えてもらっても、私にとっては???の世界でした。そんな私に、彼は本当に親切で、分かりやすく教えてくれたのでした。上の写真はその友人がサイズをこのブログ用に編集してくれたものを送ってくれたのです。本当に感謝しています。今日は日曜日。明日はうちの職場は祝日でお休みです。確か”Martin Luther King Day"だったと思うのですが・・・日本に比べると、祝日の数が少ないアメリカで、1ヶ月の間に2日間祝日があるのは1月だけです。ゴールデンウィークのような大型連休がないのは寂しいですね。
2006年01月15日
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うちの娘、エリカは魚、肉類が嫌いなほうです。特に肉はあまり好きではありません。おそらくぱさついているのと、少々固いのが気に入らないのでしょう。今日はハンバーグを作りました。知人から教えてもらったように片面を焼いた後、裏返してからお湯をいれ蒸し焼きにすると、今まで食べたことのないようなジューシーななハンバーグになりました。エリカには肉なし”肉じゃが”を作ってやり、家族そろって食事を始めると、エリカがじーっと私のハンバーグを欲しそうに見つめているではないですか。せっかく作ってあげた肉なし肉じゃがには見向きもしません。ただひたすらにハンバーグをつぶらな瞳は見つめているのです。試しに食べさせてみると、肉嫌いはどこへいったのか、というくらい食べました。私のハンバーグの3分の1はエリカのお腹の中に入りました。ハンバーグが大好きな私。エリカの肉嫌いがなおってうれしいような、でもハンバーグを取られてちょっと悲しいような・・・ここアメリカではお肉は日本とそんなに品質は変わらないと思いますが、お魚に関してはめちゃ悪いのです。こちらにきておいしいと思って食べたお魚は、Half Moon Bayという自宅から車で45分くらい行った所にある海沿いの町のお魚屋さんで買った鮭くらいです。(ちなみにその日に釣れたものでした)いくら高級スーパーマーケットに行っても、高級な日本料理のお店にいっても、日本のお魚には勝るものはありません。しかも値段が高いのですよ。日本に帰って、おいしいお魚が食べたいですね。
2006年01月14日
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現在うちの職場で性質の悪い風邪が大流行しています。”性質の悪い”とは・・・誰かにうつさないと治らないという、本当に厄介な風邪なのです。というわけで毎日誰かが病気で休むので、元気なスタッフはその分だけ負担がかかっています。幸いにも(不幸にも??)私は今のところ元気みたいです。私は普段は病気にかかりにくく、うちの主人が5回病気になるにつき1回弱の割合でかかるくらいです。とはいえ、今年は年始早々胃腸型のインフルエンザをしてしまいましたが・・・とにかく、今週は毎日スタッフ不足で大変な上、先週末連続パーティーを催すという無謀なことをしたため疲れがたまっており、今週は毎日栄養剤を飲んでから仕事に行くという始末でした。今週の週末はゆっくりしたいですね。娘のエリカの誕生日パーティーが終わってもう4日経つというのにうちのリビングにはまだそのときの飾りが天井から釣り下がっています。外そうとするとエリカが泣いてしまい、しばらくそのままにしておくことにしました。お誕生日のパーティーには、私の友人や仕事の同僚、主人の友人と家族がお祝いに来てくれました。前日のパーティーに比べると少人数でしたが、一人一人のお客と話すことが出来ました。エリカが生まれてから、なかなか話す機会がなかった友人ともこの日あっていろいろな話をすることが出来ました。子供が生まれてから何かと忙しく、友人とも少し疎遠になりがちだったので、今回の誕生日パーティーは娘だけでなく、私にとっても、自分の友人との時間を取り戻す、よい機会だったと思います。すぐは・・・・絶対無理ですが、年に2回くらいは何かにつけてみんなと集える機会をもてればなあ、と思いました。そのときは今回のような無謀なことはしないと、固く心に誓うばばちゃんでありました。
2006年01月13日
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7日、8日、友人のベビーシャワー、娘のエリカの誕生日パーティーと続けて我が家で行いました。ベビーシャワーのほうは、思ったよりもかなり大人数になってしまい、我が家のリビングルームに30人以上の人が集ったため身動きできない状態でした。そのうえ10人以上の子供たちも加わって、我が家はまるで朝のラッシュ時のホームのようでした。そこであまり片付けていなかった私たちの寝室まで解放するはめに・・・ベッドもきちんと直す時間を惜しんで準備に追われていたのでしわしわが目立ち・・ちょっと恥ずかしかったです。ただ、パーティーの主役たる現在妊娠36週目の友人はとてもうれしそうにしていました。それだけが救いです。うちの娘は興奮したせいか昼寝もせず、食事もあまり取らず、ただただ来た人々にこれでもか、とニコニコと愛想を振りまいておりました。齢一歳にして、それは見事なホスト役でした。当のホスト役の私は、パーティー半ばから疲れが出てしまい、もろに顔に出てしまいました。反省・・・・誕生日パーティーのことはまた後日に・・・
2006年01月10日
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2日間続くパーティー週末を明日に控え私たち家族は大忙しです。特にうちのだんな様は玄関のドアを直したり、今まで床に放って置いたものを片付けるための棚をつけたり、裏庭の大掃除をしたり、ご飯も食べずにこの数日間働きづめです。うちのだんな様は、エリカが生まれたのを機に自分でビジネスを始めました。仕事は主に夜間のことが多く、昼間はエリカの面倒を看てくれています。今週はビジネスもそっちのけで家の片づけをしてくれました。(感謝感謝)それを横目に私はこうやってコンピューターの前に座ってのんびりと・・・こうしてはいられないのですが、ついつい楽なほうに流れていってしまいます。パーティーのことはさておき、私の日常について少しだけここでお話しますね。私は現在サンフランシスコで看護師をしています。1998年の6月に渡米し、2000年の2月から働いています。日本で手術室勤務をしていたのが幸いしてその経験を生かし、現在は心臓、胸部専門の手術部門に所属しています。毎日8時間勤務の週5日です。不器用な上に、いまだに英語を使い慣れてないというか下手なので、何かと必要以上に時間がかかったり、労力を要するので毎日疲労困憊して家路につくようになります。帰宅するや否やエリカの世話と、家事に追われ、エリカを寝かしつけるはずがベッドに横たわると私のほうが早々と寝入ってしまうことも多々あります。ごめんねエリカちゃん・・・渡米し資格を取り、こちらで働いている日本人看護師の数が年々増えています。私の知人だけでもかなりの数です。何人かの知人、友人がWebサイトをを利用してアメリカで看護師資格を取得するノウハウや体験談を紹介しています。興味のある方は是非みて下さい。私も紹介したりお答えできるものがあれば喜んでお伝えしたいと思っています。
2006年01月07日
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うちの娘、エリカは先月30日に1歳になったばかり。無事1歳になったお祝いにお友達を呼んでバースディパーティーと思い、企画しました。日にちはこの日曜日。が、実は、その前の日の土曜日我が家で友人のベビーシャワーをすることになっているのです。ベビーシャワーとは・・・ここアメリカでは出産を間近に控えた妊婦さんを囲んでパーティーをするのです。その時、家族や友人、仕事の同僚などたくさん集まり、各々が赤ちゃんに必要なものをギフトとして贈るのです。私も友人に出産前にベビーシャワーをしてもらい、大まかな必要品はそろえることが出来ました。とにかく・・・2つのパーティーを今週末にするという無謀な計画をしたがために毎日家の片付け(普段があまりにもすさまじく汚くしているため)と買い物にてんやわんや。今週は平均して2-3時間睡眠です。しかも大晦日から胃腸型のインフルエンザにかかってしまい、高熱はでるわ、1時間おきにはトイレに行くわの大変なお正月になってしまいました。この週末が、早く終わってほしい!!と思ってやまない私であります。
2006年01月05日
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A Happy New Year!でございます。何か新しいものを始めるにふさわしい日ですね。我が娘エリカはおととい12月30日に1歳になったばかり。現在、私の横でおもちゃやその他もろもろの物をクローゼットから引き出しては散らかしております。母親に似てどうも散らかすのが得意なようです。日本では年末と年始は5-6日くらいお休みがありますが、ここアメリカでは1月1日しかお休みはありません。日本人としてはちょっと寂しいですね。今年は1日が日曜日なので振り替え休日で明日もお休みです。ラッキー。先週から今週にかけてここサンフランシスコはほとんど毎日が雨でした。特に今週末は嵐や集中豪雨で、近郊の町では洪水による被害にあったようです。この時期は雨季でよく雨が降るようですが、今年は格別なような気がします。早く青い空とお日さまをみたいものです。
2006年01月02日
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